私の日帰り散策

写真でつづる山歩き、ドライブなどの日誌です。
最近は ギャラリー巡りをしています。

聖徳太子ゆかりの斑鳩寺

2011-09-22 14:07:58 | 日記
 9月22日(木)  天気:晴れて爽やか  室温:25.6℃

 きょうは 太子町の斑鳩寺に お参りしました。 斑鳩寺は 606年 聖徳太子が 建立したと 言われる古刹
・霊刹ですが 何故 「播磨六山(六ヵ寺)」に ならなかったのか? 神積寺より よほど 立派ですが・・・。
寺の縁起によると 斑鳩寺は 大和法隆寺の末寺でしたが 戦乱により焼失・再建後 天台宗に改宗したの
だそうです。 『はりま歴史の山ハイキング』 の檀特山の項の最後に さらに 西ヘ足を延ばして 法隆寺別
院・斑鳩寺へ行ってみてはどうでしょう とあります。 檀特山へは 登ったつもりで・・・。
 斑鳩寺の東南約1.5kmに 檀特山があり 聖徳太子が この山に登り 伽藍建立の霊地を選び定めさせ
給う・・・。 山頂に 太子が 馬を縛いだ「駒縛ぎの松」 や 馬の蹄跡の如き窪みのある 「馬蹄岩」 があります。
今日でも 太子の命日である2月22日に 春会式が行われ 播州随一の賑わいを見せています。

 太子町は 今年 町制60周年だそうで 法隆寺の荘園 「鵤荘」 として 千年近く 栄えた・・・。
太子町歴史資料館には 「法隆寺領鵤荘と斑鳩寺」など 町の歴史を わかりやすく解説しているそうです。

 下の図は 江戸時代の境内図ですが 現在の伽藍配置も ほぼ同じです。 今は 仁王門を潜った右に
納経所があり 左の太子堂は 聖徳殿と呼ばれ 後方に 中殿と後殿がつながっています。 護摩堂は?


 網干駅の前から 約1km西へ行き 陸橋を渡り JRを越え 北へ真っ直ぐ進み 旧国道2号線を越え
ると 右手に 斑鳩寺があります。 家から 5km、12分ほど。 仁王門の前に 駐車場があります。

 推古天皇は 播磨国揖保郡(いぼのこうり)の水田360町を 太子に 賜り 太子は 大和国斑鳩宮から
当国へ下られ 斑鳩荘と名付けられ 一つの伽藍を営まれた。 これが 斑鳩寺の始まりです。
 往古には 七堂伽藍 数十の坊庵が甍(いらか)を並べ 壮麗を極めたが 天文14年(1541) 尼子
政久播磨侵入後の混乱の中 堂塔尽く焼失。 その後 漸次 再建された・・・。
御詠歌:神代(かみつよ)の 聖の徳は いかるがの 蓮(はちす)の花と かほるなりけり

仁王さんの目つきは 何とかならないのでしょうか? やはり 仁王さんは 朱塗りでないと・・・。



 江戸時代の境内図によると 仁王門の左に 護摩堂があったようですが・・・。 現在は 物置?
右の納経所の裏にある 小さなお堂が 弥勒堂。 中に安置してあった仏像は 弥勒菩薩?


 三重塔は 国の重要文化財で 永禄八年(1565) 赤松政秀により再建。 昭和25年 解体修理。
軒下には 猿も力士もいません。 一番上の水煙が 高い。 屋根の縁が 緩い曲線を描き 屋根の
角が 上向きに 反り上がっています。 輪柱に 太子伝来の仏舎利が蔵めてあるそうで 「歴史教室」
で学んだ通り 古代寺院は 仏舎利を納める塔が 寺の中心的な建物であったようです。
 斑鳩寺の伽藍配置は 塔を中心に 回廊で囲む 飛鳥寺式でも 四天王寺式でも ありません・・・。



 三重塔の東の塀に沿って 33ヵ所霊場巡りの石仏が 並んでいます。 狭い間隔で 並んでいる
ので 50mも歩けば 全部巡ることができます。 残念ながら 私の好きな 29番松尾寺の馬頭観
音は なぜか 顔が 潰されています・・。


 三重塔の北側に 鐘楼があります。 ちょうど 戸が開いていたので 中に入って 鐘を撮ること
が できましたが スペースが狭く 身動きができません。 入口に 立札が あったのですが・・・。
鐘楼は 焼失後 赤松広英によって 天正三年 再興。 銅鐘は 元禄六年(1693)に 再鋳した
もので このとき 鐘楼の修理も 行われたそうです。 鐘楼は 石組の上に建っているようです。
手水舎には 水が ちょろちょろ流れていました。 井戸水でしょうか? 手水鉢も古そうでした。



 中央にある講堂に お参りしました。 鰐口を叩くと えらく大きな音がします。 講堂は 弘治二年再建。
御本尊は 釈迦如来、薬師如来、観世音菩薩の三尊で いずれも 秘仏で 毎年 2月22日に御開帳さ
れます。 立派な象の木鼻がありましたが・・。 前にある石燈籠も 面白い形をしています。



 講堂の左が 聖徳殿(旧太子殿)で 斑鳩寺で 最も重要な建物。 嘉暦四年(1329)の絵図に描か
れているそうで 天文十年に焼失、同20年復興、寛文五年に再建。 明治43年~大正3年に 中殿、
後殿(八角堂)が増築され 御本尊の聖徳太子十六歳の尊像が 祀られているそうです。
北にある庫裏と講堂、聖徳殿は 渡り廊下で 結ばれています。



 後殿は 変わった形の建物で 法隆寺の夢殿を模して 造られたそうですす。 南北に入母屋の屋根
が 突き出ていて その上に八角形の二階が乗っています。 後殿の西から聖徳殿の周りを 歩きまし
た。  境内図の薬師堂の場所にあるのは 今でも 薬師堂でしょうか? 小さいお堂があります。
 境内の北西の隅は 保育園になっているようで 横は 公園です。 大木の陰にあった石塔は 宝篋
印塔でしょうか? 笠の部分の形が変わっています。 一番上の相輪はありません。 一番下の部分
基壇には 模様が彫ってあります。


 白い建物は 聖宝殿。 宝物が納めてあるのでしょうか? 前に 白いサルスベリが咲いています。
境内の北東隅に 庫裏(塔頭の一つ 旧保性院)があります。 門を入ると 正面に大きなサザンカの
木が 二本あり 太い幹で 樹齢350年。 枝がきれいに刈り込まれ まるで盆栽のようです。 1月に
は 薄紅色の一重と二重の可憐な花を 咲かせるそうです。 左は 玄関で 唐破風の屋根に 立派な
鬼瓦が乗っています。 慶安二年(1649)の造営で 17室からなるそうです。 県指定の文化財。
今は使われていないのか 建物と庭園は 荒れていて 南天も倒れそう・・。




 聖霊権現社は 本殿、幣殿?、拝殿が つながっていますが 拝殿は コンクリート造り? 前に
ある狛犬には 安政四年の銘があり 顔は いかめしいが 前足の長いスマートな狛犬でした。
大木の下に供養塔があります。 五輪塔は よく見ますが 七輪塔?を見るのは 初めてです。


 境内をぐるっと一周して 仁王門に戻りましたが 「江戸時代の境内図」にあった護摩堂が 気にかか
り 行ってみました。 今は 小屋のような黒い建物があります。 中を覗くと 小さいお堂があります。
護摩堂では ないようです。 不動堂? 覆い堂に覆われています。 格子から 中を撮ると ストロボが
光り 蟇股が写っていましたが 彫ってあるのは 鳳凰?


 車に戻り 12:00 帰路につき 12:28 帰着。 本日の走行距離は 往復:5.2kmでした。



 下の写真は 「あいたい兵庫」 2011 春&夏号の ”仏教伝来と聖徳太子ゆかりの地を巡る” にある
写真で 聖徳殿の内部のようです。 月光菩薩像と十二神将像は 加古川の鶴林寺のもの?



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