1週間ほど前にオブラートを買ってきてニンニク健康法を始めた。ニンニクをすりおろしてオブラートに包んで水で飲むのだ。だが、ニンニクひとかけ丸ごと飲んだために胃に負担が来た。
そこでニンニク健康法を教わった畑田重夫『畑田重夫の卒寿の健康力』(本の泉社、2013)をもう一度読んだ。すると小指の先ほどの量を毎食後飲むのだそうな。わたしは朝食後、それも時間がたって忘れた後で、ひとかけ分飲んだので、胃に少しの痛みと負担を感じた。生ニンニクは効き目が強い。
明日からはちょびっとだけ、朝夕に飲むことにしようか。いつまで続くかわからないが。いまのところ、ニンニク臭くはないのでいいなと思っている。
畑田重夫さんは国際政治学者で、民主運動のリーダーでもある。93歳で全国での講演に引っ張りだこだ。若い時は病弱で、名古屋大学の助教授も38歳でリタイアしたくらいだったとか。その後、ニンニク健康法で50年風邪もひかない。
あらためて読み返して、畑田さんを名古屋大学に呼ぶきっかけを作ったのが日本国憲法起草に多大な影響をあたえた鈴木安蔵先生だと知った。畑田さんが雑誌『改造』に書いた論文に鈴木安蔵さんが注目し、名古屋大学法学部長戸澤鐵彦氏にとりついだ。畑田さんは旧制八高(のちの名古屋大学)の出身ということもあり話はまとまった。1950年だと推測される。
実は、鈴木安蔵さんはこのとき教職についていなかった。無職だ。鈴木さんは憲法研究会の中心として戦後すぐに大きな仕事をした。日本国憲法のいしづえを作ったのだから、戦後日本の骨格をつくったといって差し支えない。安倍晋三・稲田朋美という人たちは、日本国憲法をさげすんでいるが、世界の最先端の憲法づくりをしたのだ。
鈴木さんは名古屋大学から招聘されていたにもかかわらず、これを断って蟄居していた。なぜか。それは自らの戦争責任を厳しく問うていたからだ。鈴木さんは、治安維持法違反事件の第1号として、京都学連事件に連座して逮捕投獄された人だ。そのひとがアジア太平洋戦争中、戦争を賛美する本をいくつも書いた。生活のために。優秀な人だからさまざまな誘いがあっただろう。天皇制権力の弾圧被害者でありながら、のちに戦争協力をした。
そのことを鈴木さんは恥じた。憲法草案作りに活躍した後、官職への誘いがあったが、すべて断った。自主的に公職追放をしたのだ。鈴木さんが静岡大学で教職に就いたのは、公職追放が解除された後のことだった。
畑田さんと鈴木安蔵さんの出会いが本に書かれていたので少しふれた。