東京電力福島第1原発事故で強制起訴された元経営陣3人(勝俣恒久・元会長、武黒一郎・元副社長、武藤栄・元副社長)に東京地裁・永渕健一裁判長は無罪を言い渡した。地裁前に集まった市民からは大きい批判の声が上がった。福島の被災者には仕打ちとしか映らなかっただろう。
わたしは、「朝日新聞」の判決要旨を読んで、被告を無罪にするために仕組んだある論理に気付いた。
判決の流れはこうだ。
【主な争点】業務上過失致死傷罪が成立するためには予見可能性が必要だ。本件では一定の高さの津波がくると予見できたかだ。【予見可能性について】敷地の高さ10mを上回って非常用電源が水をかぶって冷却機能が失われた結果炉心溶融した。したがって3人が10mを上回る津波が来ると予見できたか。【津波予測の根拠】検察官役弁護士は、①津波が敷地に上がるのを未然に防ぐ対策②津波が上がっても建屋内への浸水を防ぐ対策③建屋内に津波が侵入しても重要な機器がある部屋への侵入を防ぐ対策④原子炉への注水や冷却のための代替機器を浸水の恐れがない高台に準備する対策をとるべきだったと主張した。しかしいつまでに①~④を着手していれば事故前までに完了していたか判然としない。10mを越える津波が来る可能性情報に3人が接するのは2008年6月から09年2月だ。仮にこの時期に①~④のすべてに着手していたとしても事故前までに完了できたか証拠上明らかではない。そうすると結局、事故を回避するには、原発の運転を停止するほかなかったということになる。予測に限界がある津波について、あらゆる可能性を考慮して措置を講じることが義務付けられるとすれば、法令上は原発の設置、運転が認められているのに、運転はおよそ不可能ということになる。【予見可能性を判断するための事実関係】(略)【長期評価の信用性】長期評価は政府の地震本部で取りまとめられた。だが11年3月時点で、長期評価の見解が客観的に信頼性、具体性があったと認めるには合理的な疑いが残る。【運転停止の困難さ】地震発生前に運転停止命令も受けておらず、事故もなかった福島原発の運転を同等期間停止するのは3人の一存でできるものではない。【予見可能性の検討】11年3月時点で原子炉等規制法の定める安全性は、放射能が外部に放出されることはないという極めて高度の安全性をいうものではない。3人に10mを越える津波の予見可能性がなかったとはいいがたい。しかし武藤と武黒は長期評価の見解それ自体に信頼性がないと認識しており、勝俣は長期評価の内容も認識していなかった。専門家や行政から直ちに対策工事に着手すべきとの情報に接することもなかった。指定弁護士は、3人が情報収集を尽くしていれば、予見可能だったと主張する。しかし、3人がさらに情報収集したとしても、その認識に至るような情報を得られたとは認められない。【結び】地震発生前までは法令上の規制や国の指針、審査基準のあり方は、絶対的安全性の確保までを前提とはしていなかった。3人は東電の取締役などの立場にあったが、予見可能性の有無にかかわらず当然に刑事責任を負うということにはならない。
判決要旨を読む限り、永渕裁判長は東電トップを無罪に導くために腐心したという跡が見える。
3人がさらに情報収集したとしても予見可能性に至るかはわからないというような判断を裁判長はするが、重大事故が起こる可能性がある責任ある地位のものが情報を得ても認識しないということは到底許されない。これでは安全性はザルの上にあるようなものだ。さらに最後に、予見可能性の有無にかかわらず当然に刑事責任を負うということにはならないという。これを結びにするのは納得できない。予見可能性があればもちろん、可能性がなくても責任を負わなければならない場合があるというのが、被害者が求める結論だろう。
判決の論理でいちばん変なところは、①~④の対策すべてに着手したとしても事故前までに完了できたかわからない、そうすると事故を回避するには運転を停止するほかなかったということになるという点だ。勝俣が10m超の津波情報に接した09年2月からでも対策にのりだせば、完了できなかったと断言できるか。判決は①~④すべてを同時に工事するという前提に立っているが、そのうちのひとつでもやり切れば全電源喪失という事態は防ぐことができた。①の防波堤を高くする工事は十分可能ではないか。高台に④の代替施設をつくることも可能だ。対策のうちひとつでも完璧にやっておけば事故を防ぐことができたのだから、判決も①~④の工事期間や技術上の問題など具体的可能性を検討すべきだった。そうすれば事故を防ぐ道が可能な形で存在したことを明らかにできた。となると東電トップの責任はもっとわかりやすくなる。だが、裁判長は対策は①~④セットであり、対策工事は完了せず、運転停止しか方策はない、運転停止はライフラインに影響を与えることからおよそ不可能と、被告に無罪の道を用意する。この論理は絶対おかしい。15・7mの情報に接した段階で防波堤を高くするというわかりやすい方策をとれないことはなかった。そこに目を塞ぐ判決は納得できない。
わたしは、「朝日新聞」の判決要旨を読んで、被告を無罪にするために仕組んだある論理に気付いた。
判決の流れはこうだ。
【主な争点】業務上過失致死傷罪が成立するためには予見可能性が必要だ。本件では一定の高さの津波がくると予見できたかだ。【予見可能性について】敷地の高さ10mを上回って非常用電源が水をかぶって冷却機能が失われた結果炉心溶融した。したがって3人が10mを上回る津波が来ると予見できたか。【津波予測の根拠】検察官役弁護士は、①津波が敷地に上がるのを未然に防ぐ対策②津波が上がっても建屋内への浸水を防ぐ対策③建屋内に津波が侵入しても重要な機器がある部屋への侵入を防ぐ対策④原子炉への注水や冷却のための代替機器を浸水の恐れがない高台に準備する対策をとるべきだったと主張した。しかしいつまでに①~④を着手していれば事故前までに完了していたか判然としない。10mを越える津波が来る可能性情報に3人が接するのは2008年6月から09年2月だ。仮にこの時期に①~④のすべてに着手していたとしても事故前までに完了できたか証拠上明らかではない。そうすると結局、事故を回避するには、原発の運転を停止するほかなかったということになる。予測に限界がある津波について、あらゆる可能性を考慮して措置を講じることが義務付けられるとすれば、法令上は原発の設置、運転が認められているのに、運転はおよそ不可能ということになる。【予見可能性を判断するための事実関係】(略)【長期評価の信用性】長期評価は政府の地震本部で取りまとめられた。だが11年3月時点で、長期評価の見解が客観的に信頼性、具体性があったと認めるには合理的な疑いが残る。【運転停止の困難さ】地震発生前に運転停止命令も受けておらず、事故もなかった福島原発の運転を同等期間停止するのは3人の一存でできるものではない。【予見可能性の検討】11年3月時点で原子炉等規制法の定める安全性は、放射能が外部に放出されることはないという極めて高度の安全性をいうものではない。3人に10mを越える津波の予見可能性がなかったとはいいがたい。しかし武藤と武黒は長期評価の見解それ自体に信頼性がないと認識しており、勝俣は長期評価の内容も認識していなかった。専門家や行政から直ちに対策工事に着手すべきとの情報に接することもなかった。指定弁護士は、3人が情報収集を尽くしていれば、予見可能だったと主張する。しかし、3人がさらに情報収集したとしても、その認識に至るような情報を得られたとは認められない。【結び】地震発生前までは法令上の規制や国の指針、審査基準のあり方は、絶対的安全性の確保までを前提とはしていなかった。3人は東電の取締役などの立場にあったが、予見可能性の有無にかかわらず当然に刑事責任を負うということにはならない。
判決要旨を読む限り、永渕裁判長は東電トップを無罪に導くために腐心したという跡が見える。
3人がさらに情報収集したとしても予見可能性に至るかはわからないというような判断を裁判長はするが、重大事故が起こる可能性がある責任ある地位のものが情報を得ても認識しないということは到底許されない。これでは安全性はザルの上にあるようなものだ。さらに最後に、予見可能性の有無にかかわらず当然に刑事責任を負うということにはならないという。これを結びにするのは納得できない。予見可能性があればもちろん、可能性がなくても責任を負わなければならない場合があるというのが、被害者が求める結論だろう。
判決の論理でいちばん変なところは、①~④の対策すべてに着手したとしても事故前までに完了できたかわからない、そうすると事故を回避するには運転を停止するほかなかったということになるという点だ。勝俣が10m超の津波情報に接した09年2月からでも対策にのりだせば、完了できなかったと断言できるか。判決は①~④すべてを同時に工事するという前提に立っているが、そのうちのひとつでもやり切れば全電源喪失という事態は防ぐことができた。①の防波堤を高くする工事は十分可能ではないか。高台に④の代替施設をつくることも可能だ。対策のうちひとつでも完璧にやっておけば事故を防ぐことができたのだから、判決も①~④の工事期間や技術上の問題など具体的可能性を検討すべきだった。そうすれば事故を防ぐ道が可能な形で存在したことを明らかにできた。となると東電トップの責任はもっとわかりやすくなる。だが、裁判長は対策は①~④セットであり、対策工事は完了せず、運転停止しか方策はない、運転停止はライフラインに影響を与えることからおよそ不可能と、被告に無罪の道を用意する。この論理は絶対おかしい。15・7mの情報に接した段階で防波堤を高くするというわかりやすい方策をとれないことはなかった。そこに目を塞ぐ判決は納得できない。
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