2010韓国日記(6)
① 茅亭
日本読みではぼうていとなるが、韓国の農村で目にした村の休憩所である。農作業の休憩、仮眠、そして雑談の場所である。村の道路の交差する中心地に建てられている。茅舎といえばかやぶきの粗末な小屋だが、これは小屋ではない。壁がないのだ。朝鮮風の立派な瓦屋根があり、高床式で、丸柱だ。だが壁がなく屋根だけがのっかっているという不思議な建物だ。四方から出入りできる。大きい庭園にある休憩所を想像すればいい。いや、寺の鐘楼だ。床があって鐘のない鐘楼というところか。屋根や柱の立派さからは庭の休憩所ではなく鐘楼だ。無名東学農民慰霊塔がある村の茅亭は最近建て替えたとおもわれる新しいものだった。広さは12畳くらいか。ちょうど人々がすわったり寝ころんだりして昼の談笑中だった。われわれが見学をおえて村の外へ出るとき、彼らも昼の休憩をおえて仕事に戻る時で、すわっていた床からひょいと降りて、三々五々別れていった。
村の集会所よりもっと気軽な日々の交流の場なのだろう。歴史の重要な場面では、村落共同体の力を引き出す交差点であり決起の場にもなったであろう。
村の周りの畑は、日本の自給用の畑と同じように、さまざまな野菜を育てていた。村の入り口の農家では、玄関の向かいに赤い唐辛子を一面に広げて干してあった。われわれが「わあ、唐辛子や」などといっていると、その家のおばあさんが何か説明をしてくれた。帰り際にあいさつをするとにこにこと返事してくれた。別の家には、なんとなつかしい青いナツメの実がなっていた。秋になると黄色から茶色になり、ほのかな甘みがでてくる。親指の第1関節くらいの大きさだ。昔は日本の農村では見かけたものだが、いまでは目にすることはない。
② 朝鮮人参
忠清南道の大屯山は急峻な岩山に陣を張った農民軍が激戦をしたところだ。この岩山の途中までみんなハアハアいいながら登った。ただしコンクリで整備されている範囲だが。ガイドの韓さんは10歳も年上なのにすいすいと歩く。山は今は観光地なので、麓に食堂兼みやげ物店が並んでいる。ふと見ると天ぷらが山盛りになっている。さつまいもを細長く切って揚げたのかなとおもって近づくとそうでもなさそうだ。細い根っこもある。朝鮮人参だった。人参の天ぷらがひとつ1000ウオンだ。80円くらいだ。私が注文するとその場で揚げてくれた。珍しいのでみんなもつられて注文した。人参の香りがした。「これが朝鮮人参かあ」といいながら食べた。太さは親指か人差し指、長さは13センチくらいだった。別の店で食べた人はタレもついていた。
韓国では、各地で朝鮮人参の栽培をしていた。最高6年まで育てるそうだ。そのあとは畑を替えるという。土地の養分を吸い尽くすからだ。繊細な野菜で、強い日光、雨には弱いそうで、ひと畝ごとに遮光用の黒い屋根をしつらえてある。遮光ネットのような感じだ。大事に大事に育てられる。だから色白だ。日本では安い中国吉林省産が多いと思われる。バスでの移動の途中、とにかく韓国各地で人参の日よけ屋根が目についた。
③ 土まんじゅう
韓国の農村部では各地で里山の麓に土まんじゅうがあった。土葬の風習が残っているのだ。直径2メートルくらいの半円形の土饅頭だ。山すその木や雑草が刈り取られたところにぽつぽつとある。土まんじゅう自体の草もきれいに刈り込まれて草もちのようだ。日本ではすべて火葬にしなければいけないので、土葬を見ることはない。昔は農作業用の牛などが死んだ場合土葬にした。でもきれいな形の土まんじゅうは韓国のものだ。
そういえば、中国での南京大虐殺のあと南京の慈善団体が打ちすてられた死体を14万も埋葬していったのだが、そのときの写真を見ると同じような土まんじゅうを作って弔っている。ただし大量の急いだ作業ゆえ、形よく大きくは盛り上がってはいなかったが。
① 茅亭
日本読みではぼうていとなるが、韓国の農村で目にした村の休憩所である。農作業の休憩、仮眠、そして雑談の場所である。村の道路の交差する中心地に建てられている。茅舎といえばかやぶきの粗末な小屋だが、これは小屋ではない。壁がないのだ。朝鮮風の立派な瓦屋根があり、高床式で、丸柱だ。だが壁がなく屋根だけがのっかっているという不思議な建物だ。四方から出入りできる。大きい庭園にある休憩所を想像すればいい。いや、寺の鐘楼だ。床があって鐘のない鐘楼というところか。屋根や柱の立派さからは庭の休憩所ではなく鐘楼だ。無名東学農民慰霊塔がある村の茅亭は最近建て替えたとおもわれる新しいものだった。広さは12畳くらいか。ちょうど人々がすわったり寝ころんだりして昼の談笑中だった。われわれが見学をおえて村の外へ出るとき、彼らも昼の休憩をおえて仕事に戻る時で、すわっていた床からひょいと降りて、三々五々別れていった。
村の集会所よりもっと気軽な日々の交流の場なのだろう。歴史の重要な場面では、村落共同体の力を引き出す交差点であり決起の場にもなったであろう。
村の周りの畑は、日本の自給用の畑と同じように、さまざまな野菜を育てていた。村の入り口の農家では、玄関の向かいに赤い唐辛子を一面に広げて干してあった。われわれが「わあ、唐辛子や」などといっていると、その家のおばあさんが何か説明をしてくれた。帰り際にあいさつをするとにこにこと返事してくれた。別の家には、なんとなつかしい青いナツメの実がなっていた。秋になると黄色から茶色になり、ほのかな甘みがでてくる。親指の第1関節くらいの大きさだ。昔は日本の農村では見かけたものだが、いまでは目にすることはない。
② 朝鮮人参
忠清南道の大屯山は急峻な岩山に陣を張った農民軍が激戦をしたところだ。この岩山の途中までみんなハアハアいいながら登った。ただしコンクリで整備されている範囲だが。ガイドの韓さんは10歳も年上なのにすいすいと歩く。山は今は観光地なので、麓に食堂兼みやげ物店が並んでいる。ふと見ると天ぷらが山盛りになっている。さつまいもを細長く切って揚げたのかなとおもって近づくとそうでもなさそうだ。細い根っこもある。朝鮮人参だった。人参の天ぷらがひとつ1000ウオンだ。80円くらいだ。私が注文するとその場で揚げてくれた。珍しいのでみんなもつられて注文した。人参の香りがした。「これが朝鮮人参かあ」といいながら食べた。太さは親指か人差し指、長さは13センチくらいだった。別の店で食べた人はタレもついていた。
韓国では、各地で朝鮮人参の栽培をしていた。最高6年まで育てるそうだ。そのあとは畑を替えるという。土地の養分を吸い尽くすからだ。繊細な野菜で、強い日光、雨には弱いそうで、ひと畝ごとに遮光用の黒い屋根をしつらえてある。遮光ネットのような感じだ。大事に大事に育てられる。だから色白だ。日本では安い中国吉林省産が多いと思われる。バスでの移動の途中、とにかく韓国各地で人参の日よけ屋根が目についた。
③ 土まんじゅう
韓国の農村部では各地で里山の麓に土まんじゅうがあった。土葬の風習が残っているのだ。直径2メートルくらいの半円形の土饅頭だ。山すその木や雑草が刈り取られたところにぽつぽつとある。土まんじゅう自体の草もきれいに刈り込まれて草もちのようだ。日本ではすべて火葬にしなければいけないので、土葬を見ることはない。昔は農作業用の牛などが死んだ場合土葬にした。でもきれいな形の土まんじゅうは韓国のものだ。
そういえば、中国での南京大虐殺のあと南京の慈善団体が打ちすてられた死体を14万も埋葬していったのだが、そのときの写真を見ると同じような土まんじゅうを作って弔っている。ただし大量の急いだ作業ゆえ、形よく大きくは盛り上がってはいなかったが。