お正月の楽しみのひとつ、年賀状。IT時代といわれても年賀状はいいものです。取引業者の方からの社交辞令的なものも何枚かありますが、それも日本の商慣習と思って楽しんでいます。
近年はパソコンを駆使したキレイなモノが多くなり(私もその一人、キレイではないですけど)、手書きの趣はありませんが、それぞれに「らしさ」が感じられてなかなか面白みがあります。丸藤葡萄酒の大村社長さんからの賀状はご覧のように色気も飾りもない文字だらけ、性格がモロに表れていて、「大村さんらしいな…」と、思わず笑ってしまいまいました。
私、かーちゃん、せがれと、各々が何通かの賀状をいただきましたが、娘のところには何かのお店屋さんの1通のみ。ケータイ世代だから互いにメールのやり取りで年賀のあいさつを交換しているようです、さみしいねぇ~。便利なのは認めますが、常にリアルタイムで交信しあってないと不安になるという『ケータイ依存症』というやつかな?ちなみに、今や「ケータイ」とカタカナで書くと携帯電話のことなんだそうで、携帯ラジオや携帯ヒゲソリは蚊帳の外。あらゆる「携帯モノ」をブッちぎり、後発のくせに不動の地位に君臨している通信端末。文明の利器は上手に使えばスグレモノですが、子供には玩具に等しい存在のように思えるのは私がオヤジになった証拠でしょうか…。まあ、こんなことを言ってると「年賀状だって作為的に作られた文化じゃないか!」なんてご指摘も受けそうなのでほどほどにしておきましょう。
でも、手元に届いたハガキを見て、差し出してくれた人のことを考える「ゆとり」っていいですよね。文(ふみ)の文化も大切にしていきたいものです。