こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

“9条の心”  市政にも

2015-04-21 14:32:33 | 活動報告
告示の日の私の訴えの結びです。


「憲法9条の心」を市政にも生かしたい。


今、開かれている国会に、一斉地方選挙が終われば連休明けにも「戦争立法」と呼ばれる物騒な法律が提案されようとしています。

秘密保護法の制定、集団的自衛行使容認の閣議決定・・・怒涛のような怒りの世論のなかで強行されました。

集団的自衛権行使容認は、これまでの自民党政府も踏み込まなかった「戦争する国」への道。

そして「戦争立法」は、その法制化。自衛隊を公然と軍隊として地球上のどこへでも送り出していこうという、憲法9条が明確に禁じている道です。


私の父は、もし今生きていれば今年で100歳になります。


山形県の農家の3男として生まれ、勉強が好きだったそうですが「百姓に学問はいらない」という父の一言で進学はあきらめ、かといって耕す田もなく、10代の終わりにひとり、親戚を頼って横浜へ出てきました。

子どものときに、学校に提出する両親の学歴などが書かかれた書類に「父 高等小学校卒業」とあるのが、何だか恥ずかしかった記憶があります。

昼は工場で働き、通信教育で勉強しているときに召集令状を受け取り、6年間の軍隊生活。

「父に、青春と呼べる日は一日でもあったのだろうか、父の青春は、貧しさと戦争が奪っていったのではなかったか?」とふと、考えたのは、父が70歳で亡くなったあとのことでした。


母が18歳で初めて小学校の教壇に立ったその年に、小学校は国民学校と名を変えました。

「この戦争は正義の戦争。神風が吹いて日本は必ず勝つ。それまではどんな辛抱でもしよう」と思う軍国少女だったと言います。

幼い子どもたちにも、毎日「お国のために役にたつ人になれ」と言い聞かせたことを、母は生涯、自分の胸に重く抱えていました。

母が、1ヶ月前になくなる日まで、使っていた手帳に、母の手書きの「憲法9条」の条文が栞のように挟まれていました。

父たち、母たちの世代の人たちの血と汗と涙がいっぱいつまった贈り物が、戦争放棄の憲法だと私は思っています。


受け取った「平和のバトン」を、子どもたちの世代に手渡し、愛しい孫たちが生きる時代に残したいと思います。


「戦争」という言葉は、国と国との紛争だけでなく、たとえば「受験戦争」などという使い方もします。

人を蹴落とし、勝ち残っていくための「努力」、がんばりをほめたたえる。そして人間に優劣をつける。

「人材育成」という言葉にも、私は違和感を覚えます。

「リーダーを育てる」などというのは、実に思いあがった思想ではないかと思います。

互いを認め合い、生かしあう。自分も生き、相手も生かす。ともに育ちあいたいと思います。


競い合い、奪い合い、傷つけあう「戦争」の歴史は終わりにしたい。

支えあい、分かちあい、ともに生きる社会を創りたい。


それが「憲法9条の心」だと思っています。

戦争放棄の9条を守り抜き、そしてその「心」を市政にも生かしたい。


19日の告示にあたって、私が訴え、自分自身にも誓ったことです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする