Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

随念寺(2015年12月20日参拝)

2016年03月20日 | 三河三十三観音霊場
続きまして鐘楼門が見たくて随念寺というお寺に到着。

こちらも家康公ゆかりの寺社の一つです。

岡崎天満宮からは500メートルぐらいの近さです。



所在地:愛知県岡崎市門前町91
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:永禄5年(1562)
開山:磨誉魯聞上人
札所:三河三十三観音霊場、法然上人三河二十五霊場


【縁起】
随念寺は徳川家康が祖父である松平清康とその妹久子の菩提を弔う為、
魯聞上人(大樹寺15世)を招いて開山したのが始まりとされます。

天文4年(1535)に清康が尾張国守山で死去するとこの地に葬られ、
永禄4年(1561)に久子が岡崎城の城内で死去すると遺言により、
清康の墓の近くに葬られることになりました。

松平家と水野家が対立すると家康の生母である於大の方は、
実家である水野家に戻され、実質的に久子が家康の養育したとされ、
その菩提寺である随念寺は松平家、徳川家から庇護されました。

家康公は清康の画像や阿弥陀三尊像、什器類などの寄進だけでなく、
堂宇の造営や慶長8年(1603)には朱印地50石を与え、
二代将軍徳川秀忠は堂宇の修築や山門の造営などを行っています。

明治時代に入ると庇護者を失い衰退し、書院や庫裏は額田郡の所有となり、
明治6年(1873)には岡崎小学校、その後、額田郡第一番小学岡崎学校、
町立岡崎高等小学校の校舎、その他の学校の仮校舎として利用されました。

戦火を免れ伽藍の保存状態もよく、現在では付近でも際立つ大寺であります。


【山門】


ナビだとこの山門前に誘導されます。

山門横に2台分ぐらいの駐車場らしき場所があり停めると、
そこはお寺とは関係無い民家の駐車場でした。(^^;

大型の無料駐車場は大通りの477号線沿いから入るとありました。

車を駐車場に停めて、本堂を横切り山門へ徒歩で戻る。

やはりお寺は山門から入らないとね。




この参道から見る鐘楼門と白い塀が美しい。


【鎮守社】



【鐘楼門】


こちらも山門ですが、二階に鐘楼が吊るされていました。

本当にかっこいい鐘楼門です。


【本堂】




立派な本堂です。

元和5年(1619)徳川秀忠が寄進して建立されたもの。




ちょっとだけ扉が開いていたので堂内は見れたが、
御朱印をお願いすると入れていただきました。(^^


【庫裏】



【大方丈】



【聖徳太子堂】



【地蔵尊】


半跏趺坐とは珍しいですね。


【三重塔】


2011年に建立されたもので、初層には天井画があるそうです。

三重塔の下には大きな墓地となっており、
一般のお墓を写さないようにするのに苦労した。

本当はもっと引きの写真を撮りたかったけど、
そんな理由でこのような写真になりました。


【御朱印】


綺麗な墨書きを奥様にしていただきました。

本堂に入れていただき有難うございました。(^^

岡崎天満宮(2015年12月20日参拝)

2016年03月19日 | 神社
そろそろ岡崎市の寺社参拝も終わりに近づいてきました。

次も家康公ゆかりの寺社である岡崎天満宮へ。

こちらも無料駐車場がありました。
ただ初めての場合、ちょっと分かりづらかった。



所在地:愛知県岡崎市中町北野1
主祭神:菅原道真公、道臣命
創建:建保5年(1217)
社格:郷社


【由緒】
社伝によれば建保5年(1217)8月23日、総持尼寺の鬼門除けとして、
道臣命を勧請し北野庄に天神社を建立した。
当時は伴天神や弓弦天神と称された。

元禄3年(1690)菅原道真を合祀して岡崎天満宮に改められた。

社務は総持尼寺が掌握していたが、
明治維新後の神仏分離令により分離された。


【鳥居】





【境内】


そんなに大きくない神社です。


【狛犬】



【拝殿】


御大典記念事業として昭和8年(1933)に新築したが、
岡崎空襲により焼失、その後、神楽殿を移転修復し拝殿とした。

現在の拝殿は昭和45年(1970)に新築。


【本殿】


本殿の棟木を神宮式年遷宮の御古材を使用し、
昭和8年(1933)に新築、その後、岡崎空襲により焼失、
昭和33年(1958)に再建されたもの。


【うそ塚】



【神牛】



【英霊社】



【御鍬社】





【金的中】




本殿裏手にありました。

自分なりに調べると金的とは金色の紙を張った小さな的のことで、
中とは的中と同じくあたるという意味。

京都の三十三間堂では通し矢が有名ですが、
岡崎市内の神社で弓を射るという神事が続いているようです。

ということは、このよく分からん洞穴のようなものは、
ここに弓を射るものなんでしょう。


金的中と書いてあったから、神社に参拝してギャンブルか何かで、
大金を得た人が奉納したのかと思ったよ。(^^;


【御朱印】


兼務社の八柱神社と若宮八幡宮の御朱印もいただけます。

六所神社(2015年12月20日参拝)

2016年03月18日 | 神社
続きまして華麗なる楼門が見たくて六所神社へ。

こちらも家康公所縁の神社です。

大型無料駐車場とは反対側の大池側の駐車場は資材置き場になってて、
停める場所がほとんどありません。

ナビだと大池側に誘導されるので注意してください。

停める所が無くて探し回りましたから。(泣)



所在地:愛知県岡崎市明大寺町耳取44
主祭神:猿田彦命、塩土老翁命、事勝国勝長狭命
創建:斉明天皇元年-斉明天皇7年
社格:県社


【由緒】
創建は二説あり、人皇37代斎明天皇(655~661)の勅願により、
奥州塩竃六所大明神を勧請され、神領をご寄進、創立されたと伝えられている。

もう一説には永和3年(1377)に松平親氏が吉木山の山頂に、
塩釜神社の祭神である六所大明神の分霊を勧請し、松平郷の六所神社を創建、
永禄年間(1558-1570)に徳川家康が松平郷の六所神社から分霊が勧請され、
岡崎の六所神社が創建されたと伝えられています。


その後、人皇50代桓武天皇(781~806)の御世「田村麿将軍」が、
東夷征伐の為ご下向なさる折にご祈願、天皇に奏聞、勅許のうえ
再建され「六所大明神」の勅額を下賜された。

時代は降り松平氏が三河入国以来、代々崇敬厚く、
天文11年(1542)12月26日岡崎城にて竹千代君ご誕生の折には、
産土神としてご拝礼になった。

慶長7年(1602)には家康公よりご朱印状を下され、
同9年(1604)社殿ご造営のうえご神器の品々をくだされた。

家光公は同11年から13年(1634~36)にかけて、
御普請奉行本多伊勢守と神主大竹大膳久次により、
社殿および神供所を造営された。

現在は安産に御利益があるということで、
多くの妊婦や御礼参りをする家族で賑わう。


【二之鳥居】


この辺りの雰囲気はとてもいいです。


【手水舎】



【神馬】



【楼門】




徳川家光公により寄進され、
貞享5年(1688)に建立されたもので重要文化財。

とても見事で美しい楼門にうっとりですよ。(^^
素晴らしい。


【拝殿】


重文の拝殿、本殿は絶賛工事中。(泣)

平成29年11月までだそうです。


【神供所】


寛永11年(1634)に建立されたもので重要文化財。


【神楽殿】



【三晃大黒社】





【遥拝所】



【母子犬銅像】



【一之鳥居】


次の寺社に向かっている途中で偶然見つけたもの。

停まっている時に慌ててカメラで撮ったよ。(^^


【御朱印】


オリジナル御朱印帳がありました。


拝殿は残念でしたが、美しい楼門が見れて満足です。

上地八幡宮(2015年12月20日参拝)

2016年03月17日 | 神社
残念だったお寺を後にし、
家康公ゆかりの寺社である上地八幡宮へ。

こちらには二カ所無料駐車場がありますが、
ナビだと狭い方に誘導されました。



所在地:愛知県岡崎市上地町字宮脇48番地
御祭神:応神天皇、仁徳天皇、天照大神
創建:建久元年(1190)
社格:村社



【由緒】
伝承によれば元暦元年(1184)、
源頼朝の弟の源範頼が平家討伐に向かう途中、
この地の祠に祀られていた八幡神に戦勝の祈願をしたという。

範頼は「私がこの戦で勝利を収めることができたのなら、
是非ともこの小祠を立派な社殿に建て替えさせて欲しい」と
言い残して戦に向かい、勝利を収める。

勝運の守護神・八幡宮の御神徳により平家との戦に勝利し、
範頼公が三河の守護に命じられると、建久元年(1190)範頼公は、
立派な社殿を造営し、祠に祀られていた八幡宮と
鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮の御分霊を合わせてお祀りされました。

これが上地八幡宮の起源とされる。


【鳥居】


この辺りが駐車場でした。


【狛犬】



【鳥居】



【境内】


結構殺風景です。


【拝殿】


昭和23年(1948)に建立されたもの。


【本殿】


元国宝の現重文。


【鬱金桜】


約00年前に社殿の修繕を幕府に申し入れた際に下賜されたもので、
現在の桜はその子株か孫株と言われています。


【右近の橘】



【神楽殿】



【境内】



【神馬】



【建勲社】





【秋葉神社】



【奇石宮】



【唸石】







【御饌津の井】




昔はこの井戸の水で米を研ぎ、
果物や野菜を清め神前に供えたそうです。


【御朱印】



うーん、由緒を呼んでも家康公に所縁がある神社とは思えない。
強いて言えば天下の茶器初花と茶畑ぐらいかな。

三河善光寺<無量寺>(2015年12月20日参拝)

2016年03月17日 | 三河三十三観音霊場
本来であれば重文の仏殿を擁する天恩寺へ行くつもりだったが、
ちょっと離れた場所にあって時間がかかってしまう。

その後の寺社の参拝の都合も考えて、
今回は泣く泣く回避。

これが後になって後悔することに。



所在地:愛知県岡崎市久後崎町字郷西37番地
宗派:単立
御本尊:一光三尊阿弥陀如来
創建:元和年中(1615-1624)
開基:本多伊勢守康紀
札所:三河三十三観音霊場番外


【本堂】




無料駐車場に車を停めて本堂へ。

思っていたより遥かに小さいお寺でした。


【石佛】


隣は熊野神社が鎮座してました。


【薬師堂】




おおよそ薬師如来には見えないが、
薬壺は持っていらっしゃいます。(笑)


【納経印】


セルフでした。(泣)


【御朱印】


うーん、通称でも善光寺を名乗るからには期待して参拝したが。

ちょっと残念でした。

ここに来る時間があったら天恩寺にその時間を回せば良かった。(泣)

一畑山薬師寺(2015年12月20日参拝)

2016年03月16日 | 仏閣
島根の総本山一畑薬師の分院である一畑山薬師寺へ。

ここは家康公とは全く関係ありませんが、
伽藍が凄そうだったので参拝することにしました。



所在地:愛知県岡崎市藤川町王子ヶ入12-44
宗派:臨済宗妙心寺派
御本尊:薬師瑠璃光如来
創建:不明(昭和年代)


【山門】


お寺は東名と1号線の間の牛乗山にあるのですが、
もうすぐ到着という所で大きな山門がありました。

見事な門ですが、
道路をくぐる山門は初めて見たような気がする。(笑)

この辺りは既に寺の境内だそうで、
広大な土地を購入して開山したとか。


【風景】


大型の無料駐車場近くから見た風景。

めっちゃ山奥や。(笑)


【境内】


立派な本堂と左には印象深い塔がある。

古刹の雰囲気は皆無である。


【鐘楼堂】


1回撞くと100円以上の志納が必要です。

勿論撞いてません。(キリッ)


【本堂】


デカい。

このタイプの本堂はどっかで見た記憶があるけど忘れた。(^^;

御朱印は本堂横に事務所があったので、
そこでいただき、本堂拝観をお願いしたらOKをいただいた。

大きな本堂内陣には御本尊や十二神将、不動明王尊等が祀られていました。

それがどれもまだまだ若い仏像で、
このお寺の創建は近年では無いかと感じ、
ハハーン、ここは新興宗教だなと思いましたね。


団体で祈祷を受けておられる方々が沢山いらした。
さすが祈祷寺といわれるだけある。

このお寺の祈祷の凄いところは、
1500円から御祈祷を受けられること。

こんなリーズナブルな料金は他には無いでしょ。(^^

しかも一畑山薬師寺御霊泉と名付けたと言われた温泉入浴付き。

2002年に地質学上99パーセント不可能と言われた地層から、
温泉が湧き出したそうです。

正直あんまり入る気と時間が無かったので、
入浴はしませんでしたが、温泉施設は結構良いそうです。

ちなみに祈祷料は1万円ぐらいまで料金設定が幾つかありましたけど、
違いはお札の大きさだけだそうです。(笑)

本堂内は撮影禁止でした。


【境内】


本堂から見た境内です。


【宝塔】


じっくり見たかったけど、
水子供養の為の塔でしたので止めておきました。


【瑠璃光殿】


2012年に建立されたもので納骨堂のようです。

瑠璃光殿に出入りしている女性職員を見ると、
いかにも新興宗教の雰囲気が発せられていた。

沢山の寺社を巡っているからこそ分かる直感です。


で、結局ここが新興宗教であるのが分かったし、
瑠璃光殿に入りづらい雰囲気でしたので、
世界初である薬師如来の涅槃仏は見れませんでした。(^^;

ここでは涅槃仏のお姿が押された朱印というか、
スタンプもいただけます。

当然いただいておりません。


【祈祷殿・食事処】


一階は広い売店と食事処があり、
かなりの参拝客がいました。

結構人気があるお寺なのか、
信者さん達がこぞって来られてるのかと思いましたね。


【風呂場】


2階部分にお風呂があるようです。(笑)


【御朱印】


祈祷殿の横に不動明王殿があったのですが痛恨の見逃し。

不動明王殿でも御朱印がいただけるようです。

伊賀八幡宮(2015年12月20日参拝)

2016年03月15日 | 神社
大満足の大樹寺の次は家康公ゆかりの神社である、
伊賀八幡宮を参拝です。

岡崎市は魅力的な寺社が多くて参拝してて楽しい。(^^



所在地:愛知県岡崎市伊賀町東郷中86
主祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、東照大権現
創建:文明2年(1470)
社格:県社


【由緒】



【教国稲荷社】


無料駐車場の横に鎮座してました。


【石鳥居】


重要文化財。


【境内】




手前の橋は寛永13年(1636)三代将軍徳川家光公の命により、
建立された重要文化財の神橋。

向こうに見える立派な門は同じく重要文化財の随神門です。


【神橋】



【随神門】


圧倒的で見事な門です。

愛知県では伊賀八幡宮だけに随神門があるそうです。





【東照大権現】



【神馬】



【境内】



【拝殿】




こちらも神橋と同じく家光公の命により建立されたもの。
重要文化財に相応しい拝殿です。

ただ、拝殿なのに木の塀に阻まれ近くまで行けませんでした。

どうやら朝の8時半までに参拝すると、
中に入れて近くに行くことが出来たようです。

くぅ~、この事を知っていれば予定を変更して、
朝一番に参拝したのに。


【さざれ石】



【牟久津社】


御祭神:大奈持之命


【御供所】


重要文化財。


【讃岐社】


御祭神:大物主之命


【上総社】


御祭神:天日鷲之命


【御朱印】

大樹寺(2015年12月20日参拝)

2016年03月14日 | 三河三十三観音霊場
今回の旅のメインである大樹寺へ。

ここは昔から参拝したかったお寺で、
以前放送された「ぶっちゃけ寺」を見たら、
ついに我慢出来なくなりました。(笑)

非常に楽しみです。

こちらも無料駐車場があって助かります。

岡崎って良い所だなぁ。(^^



所在地:愛知県岡崎市鴨田町広元5-1
宗派:浄土宗
御本尊:一光千体阿弥陀如来、如意輪観世音菩薩
創建:文明7年(1475年)
開基:松平親忠
開山:勢誉愚底
札所:三河三十三観音霊場


【縁起】
安城城主松平左京亮親忠法名大胤西忠が、
真蓮社勢誉愚底を開山として文明7年(1475)に創建。

寺号の大樹とは征夷大将軍の唐名であり、
松平氏から将軍が誕生することを祈願して、
勢誉愚底により命名されたと伝わるもの。

松平親忠により大樹寺は松平氏の菩提寺とされ、
松平郷の高月院にあった墓から分骨され、先代3代である松平親氏墓、
松平泰親墓及び松平信光墓が大樹寺に作られた。

天文4年(1535)、松平氏宗家第7代当主松平清康により再興。

永禄3年(1560)桶狭間の戦いで総大将義元を失った今川軍は潰走、
大高城で織田方の水野信元の使者からの義元討死の報を聞いた
松平元康(徳川家康)は、追手を逃れて手勢18名とともに当寺に逃げ込んだ。

寺を囲んだ追撃の前に絶望した元康は、先祖の松平八代墓前で
自害して果てる決意を固め、第13代住職登誉天室に告げた。

しかし登誉は問答の末「厭離穢土 欣求浄土」の教えを説いて諭した。
元康は奮起し教えを書した旗を立て、およそ500人の寺僧と共に奮戦し退散させた。

家康の死後は、遺言に従い位牌が収められた。
以降、歴代徳川将軍14代までの等身大位牌が大樹寺に収めらようになった。


【ビスタライン】




これは有名ですよね。

寺から家康公生誕の地である岡崎城を望むことが出来ました。

直線上にマンション等の高層建築物を建てないように、
今もなお岡崎市民にビスタラインは守られている。

とても良いことです。


【山門】




寛永18年(1641)徳川家光公により建立されたもの。

豪壮な見事な山門です。
しかしこの山門が県指定文化財で重文ではない。

これが何故重文じゃないのか理解不能です。

おかしいわ。


後奈良天皇宸筆の勅願は重文だとか。






境内から見ても素晴らしい。

山門の中には釈迦三尊像と十六羅漢が安置されているそうです。

登りたいなぁ。


【多宝塔】




これは美しい。

日本でも10本の指に入ると言っても過言ではない。




天文4年(1535)松平清康公が建立したもので、
当然ながら重要文化財。


多宝塔の隣は大きな墓地でした。
ここで眠りたいという人が多いんでしょうね。


【葵の御紋】


関西人はやっぱり太閤さんが好きで、
家康公の人気はそんなにありませんが、
私はこの葵の御紋には畏敬の念があります。

水戸黄門の影響かなぁ。(笑)


【境内】


この辺りは観音霊場のような雰囲気を感じた。


【徳川家康公霊夢像】



【位牌堂】


位牌堂や収蔵庫は拝観料を支払えば見ることが出来ます。

この位牌堂を見ずにして帰れませんよ。


【本堂】




安政2年(1855)の火災により焼失後、
安政4年(1857)徳川十三代将軍家定公により再建されたもの。

早速本堂内を拝観。
ここはさすがに無料でした。




内陣は残念ながら撮影不可でしたので、
画像は「今、出発の刻(たびだちのとき)」様のブログより拝借しました。
http://blog.goo.ne.jp/2014kurumatabi/e/0dc88c82c4248e29c6bed8d5b3e4fd32


御本尊の阿弥陀如来は浄土宗らしい仏像でした。

また柱には「厭離穢土欣求浄土」の文字がありました。


【春日局念持佛】


本堂には御本尊の他に如意輪観世音菩薩や弘法大師が祀られていましたが、
とても印象に残る菩薩様がいらっしゃいました。

こちらも画像を拝借したものですが、
素晴らしい女性的な綺麗なお顔をされていました。

地蔵菩薩だそうです。


本堂の次は大方丈です。

最初の部屋のほうで家康公を救ったと言われる、
貫木神が祀られていました。

大方丈を進んで行くと将軍の間があって、
家康公真筆と言われている掛け軸がありました。




その掛け軸がこれです。
(画像はネットで拾ったものです。)

南無阿弥陀仏とひたすら書いていますが、
最後の所だけ南無阿弥家康と書かれています。(笑)


【収蔵庫】
中大名控間である牡丹の間の障壁画、
大大名控間である鶴の間の障壁画、
冷泉為恭作の重文「鉄線花図」等、貴重な文化財がありました。
 
こちらも撮影禁止でした。

最後に宝物殿の位牌堂です。


【位牌堂】
位牌堂には松平八代の御位牌と徳川将軍14代までの
等身大の御位牌が部屋の左右に安置されていました。



写真は家康公の御位牌。
写真はネットで拾ったものです。


初代家康(前大相国一品徳蓮社崇誉道和大居士)位牌の高さ159.0センチ
2代秀忠(台徳院殿一品大相国公)位牌の高さ160.0センチ
3代家光(大猷院殿贈正一位大相国公) 位牌の高さ157.0センチ
4代家綱(厳有院殿贈正一位大相国公) 位牌の高さ158.0センチ
5代綱吉(常憲院殿贈正一位大相国公) 位牌の高さ124.0センチ
6代家宣(文昭院殿贈正一位大相国公) 位牌の高さ156.0センチ
7代家継(有章院殿贈正一位大相国公) 位牌の高さ135.0センチ
8代吉宗(有徳院殿贈正一位大相国公) 位牌の高さ155.5センチ
9代家重(惇信院殿贈正一位大相国公) 位牌の高さ151.4センチ
10代家治(浚明院殿贈正一位大相国公)位牌の高さ153.5センチ
11代家斉(文恭院殿贈正一位大相国公)位牌の高さ156.6センチ
12代家慶(慎徳院殿贈正一位大相国公)位牌の高さ153.5センチ
13代家定(温恭院殿贈正一位大相国公)位牌の高さ149.0センチ
14代家茂(昭徳院殿贈正一位大相国公)位牌の高さ151.6センチ


とりあえず家康公の御位牌を見れただけで満足ですが、
5代将軍綱吉公の身長が124センチとは小さいな。

俄かに信じられない身長ですが、
低身長だったのかな。

ちなみに15代将軍慶喜公は神式で葬儀を済ませており、
慶喜の墓は徳川家菩提寺である増上寺でも寛永寺でもなく、
谷中霊園に皇族のそれと同じような円墳にあるそうです。




家康公木像。

画像は「家康の足跡 IN 東海」様から拝借しました。
http://ieyasu1542.blog.fc2.com/blog-entry-44.html

これにて有料拝観終了。

大変満足しました。
また拝観したいと思う。


【熊野権現社】



【卍地蔵尊】



【家康公・登誉上人像】


切腹を思いとどまらせる上人のようです。


【豊国稲荷】



【歴代住職墓】



【開山堂】



【石像】



【鐘楼堂】


徳川家光公が寄進したもの。


【御朱印】


基本的にいただけるのがこれです。




何種類あるのか確認していませんが、
僧侶にお願いするといただけます。

受付けのおばちゃんは基本の厭離穢土欣求浄土しか知らないので、
注意してくださいね。


【御朱印帳】


買ってもた。(^^

真福寺(2015年12月20日参拝)

2016年03月13日 | 仏閣
岩津天満宮の次は同じく家康公ゆかりの真福寺へ。

ここは家康公云々では無く、伽藍とか良さそうです。



所在地:愛知県岡崎市真福寺町薬師山6
宗派:天台宗
御本尊:水体薬師如来
創建:伝・推古天皇2年(594)
開基:伝・聖徳太子
開山:真福長者
札所:三河白寿十八観音、三河国准四国八十八箇所、東海四十九薬師霊場



【縁起】
伝承では聖徳太子建立46か寺の一とされ、推古天皇2年(594)、
物部守屋の子の物部真福が願主となって建立したという。

また聖徳太子伝古今目録抄でも、
物部真福が父物部守屋の為に真福寺を建立したとされる。

聖徳太子建立のことは伝承の域を出ないが、
当寺には奈良時代にさかのぼる塑像の頭部が伝来しており、
創建はかなり古く、真福寺東谷遺跡の寺院跡は三河最古の古代寺院跡とされる。

かつては物部氏氏寺とされる北野廃寺が移転してきたものと考えられていたが、
発掘調査により現在では否定されている。

真福寺東谷遺跡からは建物跡や、白鳳時代の北野廃寺系瓦、瓦塔、
須恵器、陶器、釘などが見つかっている。

仁平元年(1151)に全山焼失。
現存する仁王門等は明応3年(1494)に復興し現在に至る。


【仁王門】


お寺から数百メートル離れた場所にありました。

応永17年(1410)に焼失後、 明応3年(1494)再建されたもので、
なかなか見事な仁王門で、これから参拝するのが楽しみになった。

仁王門から参道を通って境内に行くことが出来るようです。


【仁王像】





【千手観音堂】



【西居院】


塔頭のひとつ。






スピーカーからひたすらお経が聴こえていた。

ここは見ただけです。


ほどなくして境内に到着。

ここには2カ所の無料駐車場があり、
普通車は上の駐車場に停めれることが出来ます。


【毘沙門天開山堂】






毘沙門天の化身と呼ばれる開山である真福長者が祀られています。


【供養塔】



【ほら貝の穴】






奥には小さな石像があって、
そこまで行くことが出来るのですが、
何だか気味悪くて行きませんでした。(^^;


【石塔】



【極楽橋】


赤い橋があったので行ってみた。




極楽橋とはまた安易なネーミング。(笑)


【境内】



【招福の鐘】




有料(200円)で鳴らすことが出来ます。

なんやカネを取るんかいな。(^^;


【安楽殿】



【信徒会館】


何かよく分からんけど盆栽展らしきものがやっていた。
有料だったので行ってないけど。


【大師堂】




慈恵大師坐像や歴代徳川将軍の位牌が安置されていました。


【龍神】





【八所神社】






本殿




狛犬。






拝殿。






石段を降りれば鳥居。
村社と刻まれているので神仏習合の名残りでしょう。


【本堂】


ここでようやく本堂参拝です。

堂内は撮影禁止だったし、御本尊も拝めないし、
ちょっと残念でした。




石段を降りてきました。


【カメ石】



【多宝塔】






これは渋くて良い多宝塔ですね。

御本尊として釈迦如来と多宝如来が祀られています。


【白寿観音】



【一休さん】



【十三重搭】



【不動滝】



【水かけ不動】



【御朱印】


御住職が不在で書置きをいただきました。

本堂内で対応してくれたお婆さんが日付間違いに気付いて、
その御朱印をどうするのかな~と思ってみていると、
クシャクシャとしてゴミ箱に捨てました。

ハァ?
ゴミ箱に捨てますか?(呆)

婆さんにとっては御朱印はどうでもいいんだろうけど、
仮にも本堂に詰めているんだから、
御朱印の大切さぐらいは理解してほしいよ。

よっぽど叱ってやろうかと思ったけど、
気分悪くなっちゃうし、婆さんも歳が歳だけに自重しましたけどね。

でも、高野山の南院でも同じことしてましたけど、
案外、御朱印をただの紙だと思ってる寺院関係者は多いと思うよ。

残念なことだけどね。

岩津天満宮(2015年12月20日参拝)

2016年03月12日 | 神社
続きまして家康公ゆかりの寺社の一つである岩津天満宮へ。

無料駐車場がありました。
いろいろ巡る時に無料は助かります。(^^



所在地:愛知県岡崎市岩津町字東山53
主祭神:菅原道真
創建:宝暦9年(1759)



【由緒】
宝暦9年(1759)に信光明寺第22代の一誉が、
伊豆国の芭蕉天神ないし相模国の荏柄天神を勧請したといわれる。

明治維新後の神仏分離令により、管理が信光明寺から岩津村へ移すことになった。
しかし1879年(明治12)火災により境内は焼失した。

これを聞いた、三河へ布教に訪れていた富山県の芦峅寺の大阿闍梨鑁禪が、
屋敷をねぐらとして借りていた碧南の実業家、服部長七に援助を依頼し社殿を再建。

明治33年(1900)6月に臨時祭典を執行し、明治44年(1911)に本殿を、
大正8年(1920)に現在の拝殿を造営し、現在では多くの参拝客で賑わう。


【第一鳥居】



【第二鳥居】



【神橋】



【石段】




結構しんどい。(^^;


【岩津観音】


観音様が祀られており、
子育てに御利益があるとか。


【第三鳥居】


ここの横にも駐車場がありました。

無駄に石段を登って疲れたよ。(^^;


【稲荷社】


伏見稲荷より勧請されたもの。


【境内】


結構人気がある神社なんでしょうか。

参拝客も意外と多かったです。


【拝殿】


これはまた立派であり美しい拝殿です。

見事です。


【狛犬】


面白い狛犬です。

隣に見える鳥みたいなのは無視。(笑)


【鷽塚】


無視出来ませんでした。(笑)

災いを嘘にして吉事に変えてくれる幸運の鳥ですって。


【白太夫社】


天神様が不遇の生涯を閉じられるまで仕えた白太夫が祀られています。

百歳近くまで生きたということで、長寿の御利益があるそうです。


【宗像神社・産霊神社】



【神楽殿】



【いぼとり石】



【筆塚】



【重軽地蔵】



【願掛け撫で牛】



【長七庵】





【御朱印】

瀧山東照宮(2015年12月20日参拝)

2016年03月11日 | 神社
瀧山寺本堂の横に鎮座しているのが瀧山東照宮。

同じ境内にあるので明治以前は神仏習合だったんだろう。



所在地:愛知県岡崎市滝町山籠107
主祭神:東照大権現
創建:正保3年(1646)
社格:村社


【由緒】
正保元年(1644)徳川家光は徳川家康が生まれた
岡崎城の近くにも東照宮を観請したいと考え、
酒井忠勝、松平正綱らに命じてその場所の選定を行わせた。

古跡であり家康もよく訪れていた滝山寺に観請するのが良いということになり、
正保3年(1646年)9月17日に創建された。

創建以来、滝山寺が別当職を兼務してきたが、
明治6年(1873)の神仏分離により、
滝山寺の運営から独立して独自の神官が選任され無格社に列せられた。

大正5年(1917)附近の白山社、日吉社を合祀して、
社名を常磐神社と改め、村社に昇格した。

大正12年(1924)には稲荷社、若一皇子社、荒神社、神明社を合祀。

昭和29年(1954)8月17日、社名をかつての瀧山東照宮に戻し現在に至る。


【鳥居】



【拝殿】




重要文化財。




拝観料200円を支払えば拝殿の中を拝観出来るようでしたが、
参拝した時は知りませんでした。(泣)

やっぱり知っておくべきことは知っておかないとなぁ。
無念じゃ。


【幣殿】


重要文化財。


【本殿】






これは美しい。

重要文化財だけど国宝であっても文句は誰も言うまい。


【境内社】



【日吉山王社】






こちらは瀧山寺本堂の後ろに鎮座。

かつては瀧山寺の鎮守社であったが、
神仏分離令により今では別管理となっています。


【地蔵尊】




日吉山王社社殿の裏手に祀られていました。
ひっそりと寂しい雰囲気の場所です。

このようなお地蔵さんは本堂手前の明るい場所に移してほしい。


【稲荷社】




稲荷社といえばこういう寂しい雰囲気の場所が多いですね。


【幟】




水体薬師如来という幟を見つけたので行ってみたが、
ヤバい雰囲気を感じました。

小さな幟が何十もの数が刺さっていて怖い。

夜だったら確実に何か出ると思う。(^^;


【水体薬師如来御霊水】


眼に良いといわれていますが、
この水を眼に入れると結膜炎になると思います。(^^;


【御朱印】


こちらは書置きのみの対応となり、
土日のみしかいただくことは出来ません。

瀧山寺(2015年12月20日参拝)

2016年03月10日 | 仏閣
松平東照宮から岡崎市の瀧山寺に移動。
この旅でようやく初の岡崎の寺社に参拝です。

この瀧山寺を訪れたのはズバリ聖観音菩薩を拝仏する為です。

仏像好きならご存知の仏様です。
非常に楽しみです。



所在地:愛知県岡崎市滝町山籠107
宗派:天台宗
御本尊:薬師如来
創建:伝・天武天皇時代(673-686)
開基:伝・役小角
札所:東海四十九薬師霊場番外


【歴史】
瀧山寺はおよそ1300年前に創建された古刹で、
山号を吉祥陀羅尼山、院号を薬師王院といい、天台宗の寺院である。

瀧山寺縁起によれば天武天皇の御代朱鳥元年(686)
奈良時代の伝説的な山岳修行者小角が青木川の滝壺から
薬師如来を拾い上げ、安置するために吉祥寺という
一堂を建てたのに始まると言われる。

保安年間(1120〜24)比叡山で修行した仏泉上人永救が、
仏法興隆の為この地に来住。
荒廃していた吉祥寺跡に再び霊場を建て、物部氏の外護により本堂を造営。
 
上人を慕って弟子入りするものは跡を絶たず、
境内には360もの寺院が建立され、
その頃に官府の命によって寺名を瀧山寺と改めました。

源頼朝の従兄弟にあたる寛伝上人は瀧山寺僧侶となり、
縁故から頼朝公の厚い信仰を得ました。
頼朝公没後には、菩提のため正治三年(1201)
頼朝公の3回忌にあたるこの年に惣持禅院を創建。

本尊として頼朝公の御歯と御髪を納めた
聖観音菩薩・梵天・帝釈天の三尊像を仏師、運慶・湛慶父子が造立。
 
その後は承久の乱後に三河守護足利氏が壇越となり最盛期を迎えます。

室町時代には三代将軍義満の援助により本堂が造営されたが、
戦乱によって次第に寺盛は衰退。

400年後の江戸時代、比叡山天海僧正の命により住職となって入寺した
亮盛上人は三代将軍家光公に見いだされ、正保三年(1646)には、
家康公誕生の地の守護である瀧山寺隣地に東照宮が設立されました。

「青龍院・玉泉院・常心院・浄蓮院・観量院・密厳院」の六坊があったが、
明治初期に廃され、現在浄蓮院のみが瀧山寺本坊として残っています。

時は流れ明治六年(1874)には神仏分離により滝山東照宮は独立し、
現在も別法人となっている。


【山門】


山門近くに無料駐車場がありました。


【童地蔵尊】



【庫裏】





【宝物殿】


拝観料300円を支払い拝観。

決して広くないですが、
所狭しに安置された仏様や書の数々に圧倒される。

それを詳しく御住職からいろいろと御説明いただいた。

薬師三尊像、毘沙門天、不動明王、十二神将等、
魅力的な仏様達に感動しました。

素晴らしい。

これだけでも充分なのにお目当ての聖観音菩薩三尊像が更に凄かった。


【聖観音菩薩三尊像】


撮影不可でしたので画像はネットで拾ったものです。

この三尊像は熱田官司藤原範忠の子、寛伝が、
従兄弟にあたる源頼朝の菩提を弔う為に作成されたもの。

彩色は江戸時代に塗られたそうですが、
さすが運慶と湛慶の力作と唸るばかり。




このような重要文化財がガラス越しではなく、
普通に間近で見れる幸福感はたまりません。

後ろからも見れるんだから余計に嬉しい。

まさに至福の時を過ごさせていただきました。




これはX線透視撮影されたもので、
口の辺りに見えるのは胎内に埋めた源頼朝の顎髭と歯だとか。

こういうのって大概眉唾モノが多いのですが、
運慶作の仏像に胎内に奉納出来る人物は限られる。

よってこの胎内に入っているのは源頼朝であるのは、
限りなく間違い無いと推測されます。


【参道】


大満足の瀧山寺を後にし隣の瀧山東照宮を探す。

瀧山寺って思ったより小さなお寺で、
本堂って庫裏の中にあったのかな、と呑気な事を思いながら。(^^;

無知って恥ずかしいな。

東照宮はこの道を登っていけばありました。
案内板が無くてカンを頼りに行きましたけど。




東照宮が見えてきた。

すると境内に大きなお堂があった。

すぐに調べてみるとこれが瀧山寺の本堂でした。

いや~、ここに本堂があったとは恥ずかしい。(^^;

瀧山東照宮の参拝は後にしよう。


【本堂】




足利義氏が貞応元年(1222)に建立した重要文化財。

これは素晴らしい。

誰が見ても感嘆してしまう本堂です。

薬師如来や十一面観音菩薩が祀られています。


【石灯篭】



【鐘楼堂】


鐘楼は徳川五代将軍綱吉公が寄進したもの。


【鬼塚】



五穀を炒ったものを塚の上に撒き「春秋の芽の生うる時出で来たれ」という、
毎年の鬼祭りの儀式があるそうです。

この鬼祭りの時は凄い人出で賑わうとか。


【薬師堂・薬師如来】



【三門】




文永四年(1267)に建立された重要文化財。

お寺から数百メートル離れた所にありました。
危うく見逃すところであった。


【御朱印】

松平東照宮(2015年12月20日参拝)

2016年03月09日 | 神社
松平東照宮へ戻ってみると氏子さん達が、
神社よりちょっと離れた所で焚火で暖をとっている。

あれだけの人数がいると参拝し難かったので、
今ならゆっくり気兼ねなく参拝出来る。

松平東照宮の横に大型の無料駐車場がありました。



所在地:愛知県豊田市松平町赤原13
御祭神:譽田別命、東照大権現、松平親氏公、他六柱
創建:元和5年



【由緒】
松平東照宮は徳川家康と松平氏の始祖松平親氏を祀る神社です。

松平親氏がこの地に居を構え、氏神として若宮八幡を勧請したのが、
始まりであると伝えられています。

その後、元和5年(1619)に久能山東照宮から、
徳川家康公の御分霊を勧請、奉祀され、
大正5年(1916)に松平郷内の無格社3社を合併、
昭和40年(1965)に初代・松平親氏公が合祀され、
神社名を「八幡神社」から「松平神社」へと変更。

その後、昭和58年(1983)に現在の名称へと変更され現在に至っています。

境内には松平氏が産湯として使った産湯の井戸があり、
不老長寿や安産に霊験あらたかな御神水として参拝者に授与されています。

石垣の南と西に水濠が巡らされていて、関ヶ原の合戦の後、
松平家九代尚宋が居館を整えたときの遺構といわれています。



【水濠】



【鳥居】


そんなに大きな神社では無いようです。


【拝殿】


東照宮というからにはド派手な拝殿と思っていたら、
お寺の本堂かと思うような拝殿でした。

ただ拝殿の108枚の天井画は美しかったです。
有料ですが拝殿の中で見ることも出来るようです。

拝殿の天井画は撮影禁止でした。


【扁額】



【狛犬】



【本殿】



【二宮金次郎像】


何でこんな所に?(^^;


【狸像】


これの意味は?(^^;

家康公が狸親父だったから?


【境内】


向こうに奥宮があります。


【松平郷館】


朝が早かったからか閉まってました。


【奥宮】




元の八幡宮とのこと。


【松平家産湯井戸】


二の井戸と三の井戸。


【家康公産湯の井戸】




家康公が産まれた時に使用された井戸。

ちょっと胸熱です。

石板の蓋のある井戸は極めて珍しいそうです。

またこの井戸は産湯の井戸、奥の井戸、沙汰なしの井戸、
見すての井戸等の異名が多い。


【弁財天社】



【御神木】



【神門】


とても品のある神門でした。


【御朱印】


左肩に「天下和順日月清明」の印。

浄土宗ではよく使われている言葉ですが、
初代松平親氏公の願文に使用されたそうです。

高月院(2015年12月20日参拝)

2016年03月08日 | 仏閣
二日目の朝。
天気が良いけど気温が0度と寒い。

顏がやたらと冷たく感じる中、
松平東照宮と高月院がある松平郷へ向かう。

気合い入り過ぎて8時10分に松平東照宮に到着。

凄く長閑なところで癒されます。


こんな寒い朝なのに氏子さん達が何やら境内で準備をされている。

うーむ、静かに参拝したかったのだが、
これでは参拝しずらい雰囲気。

仕方ないので先に高月院を参拝することにした。




所在地:愛知県豊田市松平町寒ヶ入44
宗派:浄土宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:貞治6年(1367)
開山:寛立上人
札所:法然上人三河二十五霊場



【縁起】


高月院はもとの名を寂静寺ともいい、
寛立上人が在原信重の援護を受けて貞治6年(1367)に建立したといわれます。

高月院になったのは親氏が天授3年(1377)に本尊阿弥陀仏をはじめ、
堂・塔のすべてを寄進してからと伝えられます。  

その後、家康から寺領100石が寄進され、
明治維新まで時の将軍から厚い保護を受けてきました。

境内には松平家墓所があり、親氏、泰親、親忠夫人の墓が並んでいます。
また、現在の山門や本堂は寛永18年(1641)に
徳川家光によって建立され多くの文化財が残っています。


【松平郷園地】


東照宮近くに何かあるようです。
寄ってみます。




なかなか良い雰囲気ですね。

松平八代を象徴する七対の石柱と銅像が見えます。


【初代徳川親氏銅像】





【天下池】





【冠木門】


天下茶屋という店があって、うどんや蕎麦、天下餅等が食べれますが、
残念ながら10時からということで閉まってました。


【室町塀】



【遊歩道】




寒い中、250メートルほど歩いてお寺に到着。


【石段】


無料駐車場がありました。


【山門】


簡素な山門です。

とても徳川家光が寄進したとは思えない。(^^;


【参道】


両側の壁のせいか、武家の薫りというか雰囲気を感じた。


【三十三観音】



【境内】


まるで城壁のような石垣。

やはりここは松平家の庇護を受けてきた歴史から、
武家の雰囲気が漂うのも当たりまえですね。


【佛足石・地蔵尊】



【山門】


多分、こっちが徳川家光が寄進した門じゃないのかな。


【徳川宗家十八代代恒孝公御手植松】


お~、現御当主も訪れていたんですね。


【本堂】


嬉しいことに本堂は自由に入っていいということで、
早速上がらせていただく。




浄土宗の煌びやかな本堂内陣ではなく、
あくまで質素なものでした。




葵の御紋がありました。(^^


【鐘楼堂】



【元信君御手植枝垂れ桜】




徳川家康公の御手植えらしい。


【徳川宗家十七代家正公御手植】



【高松宮殿下御手植】


皇室の殿下まで参拝されている。
それだけ由緒あるお寺だというのが分かる。

それにしても高松宮殿下御手植の松はよく見るなぁ。
全国の寺社に何本ぐらいあるんだろうね。


【弁財天】



【蔵】



【秩父宮妃殿下御手植】



【徳川宗家十八代代恒孝公御手植松】


もう1本ありました。


【松平家墓所】




向かって右には歴代住職の墓石となっています。




歴代住職より上にあるのが松平家墓所で、
重厚な雰囲気ですね。




中央が初代徳川親氏の墓塔です。


【松平太郎左衛門墓所】



【十三重搭】



【御朱印】


御本尊の他に法然上人三河二十五霊場の御朱印もあります。

御朱印をいただいている際、
御住職が「1回の参拝と100回の参拝、どちらが良いと思われますか?」と、
なかなか難しい質問をされた。

どうやらこれは私を試されているなと思った。

「1回の参拝でもきっちり心をこめて参拝すればいいけど、
 たった1回だと難しいかも知れない。
 だから100回参拝すればその内の何回かは、
 心をこめて参拝出来るんではないでしょうか。
 1回でも出来る人もいるでしょう。
 参拝も人それぞれですし。」と答えておきました。

この答えで良かったのか不安でしたが、
御住職はその答えに納得してくれました。(^^

御鍬神社(2015年12月19日参拝)

2016年03月08日 | 神社
寒かったので熱い缶コーヒーを探していたら、
神社が見つかったので参拝。(^^


所在地:愛知県蒲郡市竹島町15-64
御祭神:伊佐波登美命
創建:明和2年(1765)


【由緒】
明和2年(1765)天災打続き村民同4年2月21日、
伊勢より勧請すと棟札に奉勧請太神宮御鍬庄屋内田幸助とあり。

その後、文政7年(1824)7月12日正午天王社
この地の茶屋場下に漂着する假屋建て祀るという。

明治12年10月、据置公許となる。


【鳥居】



【石段】


結構しんどい。




登りきった所から振り返るとこんな感じ。


【拝殿】



【金比羅神社】






いかにもといった感じの小さな神社でした。

御朱印は無いと思われます。


それにしても近くの金剛寺を見逃していたのは痛い。
下調べ無しだから見逃しは仕方ないけど。


【とろろ天婦羅釜揚げうどん】


本日のお宿であるオーワホテル近くにある
人気店大正庵釜春本店で釜揚げうどんを食らう。

関西人好みの柔らかいうどんが美味かったです。
讃岐うどんは固いからあんまり好きではないので。


【徳川家康公顕彰400周年記念特別御朱印帳】






岡崎市内のホテル宿泊者限定御朱印帳。

無事にゲット出来て良かった。(^^