Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めてII

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

諏訪大社下社秋宮(2016年4月30日参拝)

2016年05月28日 | 一宮
本宮から秋宮に移動。

ここは青い鳥のロケ地なので、
個人的に思い入れの強い神社です。

幣拝殿も超絶かっこいいし。(^^


<2016年9月20日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/a192300cb17baea5dc84d098fc7aeb0c



所在地:長野県下諏訪郡下諏訪町5828
御祭神:建御名方神、八坂刀売神
創建:不明
社格:信濃国一宮


【鳥居】



【春紅葉】



【根入りの杉】



【神楽殿】




天保6年(1835)建立の重要文化財。

見事な神楽殿です。


【幣拝殿】





【本殿】



【片拝殿】



【御柱跡】



【御朱印】


秋宮でもいただけて良かった。

一体千円でした。

諏訪大社上社本宮(2016年4月30日参拝)

2016年05月27日 | 一宮
ゴールデンウィーク7連休に突入。

毎年この時期は高野山に行っているのですが、
今年は前から行きたかった善光寺と戸隠神社に行くことにしました。

戸隠神社は自宅からオール高速でも6時間以上かかるので翌日に回し、
今日は諏訪大社と善光寺を参拝したいと思います。


自宅を朝4時半に出発し約4時間40分で諏訪に到着。


途中の関ヶ原付近で私の車にぴったりくっついて走っていた後続車が、
覆面にやられたのを見た時は笑ってもうた。

正直、私がスピード違反でやられたと思ったけど、
サイレンを鳴らしたクラウンが猛スピードで後続車を追っていったので、
煽り運転で捕まったと思います。

後続車は助手席に小学生ぐらいの息子を乗せていたのに、
結構なスピードで私の車に張り付いていましたからね。

親なら子供を乗せてる時は安全運転しましょうよ。

もし自分の荒い運転で息子を死なせてしまったらどうするよ?

私なら生きてる自信が無いから、安全運転するけどね。



【諏訪湖】


この諏訪湖が見たいから、諏訪湖SAに着いたら絶対寄ります。


【朝食】


豚汁に蕎麦が入ったもので初めて食べました。

ちょっと寒かったので温まって美味かったです。


さて、本宮へ向かいますか。

去年のシルバーウィーク以来の参拝です。

<2015年9月20日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/9908530d54412bb81dad100d35007cc2

http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/1781d87257a332025bb8254ec9363cdc



所在地:長野県諏訪市中洲宮山1
御祭神:建御名方神
創建:不明
社格:信濃国一宮、官幣大社


【東参道鳥居】


今日はやたら氏子さん達が多いな。
何かあるようです。

車では鳥居前の無料駐車場に何とか停めれました。

無料というのは本当に有難い。(^^


【入口御門】



【布橋】



【御柱】


おー、これが新しい御柱かぁ。




この穴に埋めて立てるわけですな。(^^


【境内】




氏子さん達が高い所で作業をされていました。

数日後、氏子さんがここから落ちてお亡くなりなったそうで。

御冥福をお祈り申し上げます。


【塀重門】



【参拝所】


相変わらず気持ちが引き締まる境内です。


【幣拝殿・左右片拝殿】


美しい。

いつの日か祈祷をここで受けましょうぞ。(^^


【勅額殿】



【神輿】




参集殿の前に安置されていましたが、
とても綺麗でした。


【神楽殿】



【巨木】




二之御柱もまだ立てられていませんでした。


【御朱印】


御柱祭期間中に諏訪大社上社本宮と下社秋宮では、
御柱と同じ樅の木を用いた板製の御朱印がいただけます。

数量限定と書いてあったので心配でしたが、
無事にいただけて嬉しいです。

出雲大神宮(2016年1月31日参拝)

2016年04月03日 | 一宮
本日のもう一つのメインである出雲大神宮に到着。

丹波国一宮として名だたる神社の参拝が楽しみです。

無料駐車場がありました。



所在地:京都府亀岡市千歳町千歳出雲無番地
主祭神:大国主命、三穂津姫尊
創建:不明
社格:式内社、丹波国一宮、国幣中社


【由緒】
当宮は大国主命とその后神、三穂津姫命御二柱の
御神格を併せて主祭神と称え祀り、丹波國に御鎮座なされています。

殊に三穂津姫命は天祖高皇産霊神の娘神で、
大国主命国譲りの砌、天祖の命により后神となられました。

日本建国は国譲りの神事に拠るところですが、
丹波国は恰も出雲大和両勢力の接点にあり、
此処に国譲りの所由に依り祀られたのが当宮です。

古来大平和の御神意に拠り、国と国人総ての結びの大神を祀るとして、
上下の尊崇極めて篤く、崇神天皇再興の後、
社伝によれば元明天皇和銅2年(709)に初めて社殿を造営。

現社殿は鎌倉末期の建立、それ以前は御神体山の御陰山を奉斎し、
古来より今尚禁足の地であります。

御陰山は元々国常立尊のお鎮まりになられる聖地と伝えられています。


【辨財天社】





【鳥居】



【舟岩】



【拝殿】




明治11年(1878)に建立されたもので、
檜皮葺の美しさが際立つ一宮に相応しい拝殿です。


【狛犬】



【本殿】


一宮の元国宝だけあってさすがの品格の高さを感じられる。

重要文化財。


ちなみに参拝作法は二拝二拍手一拝となります。


【大国・恵比須社】



【夫婦岩】





【真名井のいずみ】








なかなか美味しかったです。


【磐座】



【鳥居】


ここから上の社や磐座を見に行きます。


【社殿】


本殿と拝殿。




お寺の雰囲気を感じましたね。


【本殿】


本殿内部には重文の木造男神坐像が安置されているそうです。


【鳥居】


神気溢れる参道を登っていきます。


【春日社】




お社は無く磐座がそのままで祀られていました。


【稲荷社】





【御蔭の滝】





【磐座】



【参道】



【上の社】





【参道】


此処から先は特に重要な神域になり、
社務所で行くことを伝えタスキを首にかけるのが必須です。


【磐座】



【参道】



【鳥居】


この参道と鳥居の雰囲気がたまらなくいい。


【磐座群】




もうちょっと登るかなと思ったけど、
入口から3分くらいで到着。








もっと凄い大きな磐座があるかと期待していたけど、
思ってたより小さな磐座がゴロゴロしてました。(^^;

本殿の裏側にある磐座は写真で見ると期待に副うものでしたが、
それは完全に見逃していたし。(泣)

次回参拝時は必ずや。


【笑殿社】







【蔵】



【御朱印】


オリジナル御朱印がありました。

砥鹿神社奥宮~奥の院(2015年12月19日参拝)

2016年03月06日 | 一宮
本日のメインである砥鹿神社奥宮へやってきました。

奥宮だけあって山に鎮座していますが、
ここには鎖場があるという。

事前に調べてみるとなかなかデンジャラスな鎖場。

いわゆる怖いモノみたさですね。

果たして実際に登り降りが出来るのかいかに。




頂上付近に大きな無料駐車場があったが、
この先まで車で行けました。(^^;



所在地:愛知県豊川市上長山町本宮下4
御祭神:大己貴命
創建:大宝年間(701-704)
社格:三河国一宮


【由緒】
海抜789メートルの本宮山は神代より大己貴命の神霊が鎮まります霊山である。

その姿が秀麗で東三河平野の何処からも拝することが出来る為、
古代の人々の崇敬の対象とされて来た。

大宝年間(701-704)には神託により里へ社殿を造営するに及び、
山頂の社を奥宮、里の社殿を里宮と称し、
二所一体の崇敬を集めるに至った。


【鳥居】


この先まで車で行けます&停めれます。




ようやく神社に到着。
無駄に歩いてしまった。(^^;


【境内】


大木に囲まれて良い雰囲気です。


【大福釜】



【守見殿神社】


御祭神:大己貴命和魂


【参道】


実に清々しく清廉な気持ちにさせてくれる。
これが山に鎮座している神社の良いところ。


【富士山遥拝所】


まぁ、当然のことなが見えません。


【本殿】






本殿前の石段から登って来られる方々がいた。

どうやら登山道が整備されていて、
下から本殿までハイキングが出来るようですね。


【乙女前神社遥拝所】



【祓所】



【鳥居】


第一鳥居と第二鳥居の間にある鳥居。

手前の看板には目的である奥の院である岩戸神社参道と書いてある。

行ってみた。






参道というより林道です。

しかも三つに道が分かれているのに案内板の字が読めない。(泣)
これではどこに行くのか全く分からない。

こんな林道で道に迷ったら泣きそうになるので、
元に戻って第一鳥居から駐車場に一旦撤収。


【鳥居】


駐車場に戻ってきました。

この鳥居は最初に停めた大型駐車場にあります。

知らない人はここが奥宮の入口と勘違いしてしまいますね。


【案内板】


鎖場は男道にあるようです。


【鳥居】


少し下に行くと鳥居がありました。


【岩戸神社看板】



【天の磐座】




大己貴命がこの岩から国見して穂の国を造ったとされることから、
国見岩と呼ばれているそうです。


後で知ったことだが国見岩の左側が男道だったようです。

行った時は誰もその男道を通っていないので、
道らしき道が無く全く行ける気がしませんでした。


【女道】


女道と言えど急で歩き難い石段を下っていきます。




この崖に鎖が無いかなぁと見たけど、
鎖はどこも見つけることが出来ませんでした。

しかし、他の方のブログを拝見すると、
鎖場はかなり危険だったので、男道を行かなくて正解でした。

あれは素人が行ったらアカンやつや。(^^;


【岩戸神社】


ここが奥の院なのかな。

よく分からん。(^^;


神社なのに小さな石仏が安置されていました。

しかし、他のブログでは不動明王が安置されている写真があったけど、
不動明王はどこへ行ったの?(^^;


【磐座】


上を見ると注連縄があり岩の割れ目があった。

凄く興味が湧いて見てみたくなったが、
滑りやすい岩が危険だったので止めておきました。

ここで無理をして岩の割れ目を見たら、
バチが当たって怪我するだけだしね。


【林道】


急な女道を登り天の磐座へ戻る。

男道や女道と違ったルートがあったので行ってみたが、
強烈な坂道だったので回避。

写真だと大したことないと思われるだろうけど。

結局、この先は何にも無いので止めて正解でした。


【御朱印】



奥の院に行かれる方は充分な注意が必要です。
男道は止めておきましょう。

怪我するか遭難しますから。(^^;

砥鹿神社(2015年12月19日参拝)

2016年03月01日 | 一宮
本日から一泊二日で徳川家康公所縁の寺社を巡る旅に出ます。

場所は家康公にとっても最重要の大樹寺を筆頭に、
歴史的に価値の高い寺社が揃っている岡崎市です。

まずは三河国の一宮で今回の旅の無事を祈願しに、
砥鹿神社へ向かい車を飛ばす。

朝4時半出発しオール高速で朝8時半に到着。
7時ぐらいに凄く眠くなったけど。(^^;

砥鹿と書いて「とが」と読みます。



所在地:愛知県豊川市一宮町西垣内2
主祭神:大己貴命
御神体:本宮山(神体山)
創建:不明
社格:式内社、三河国一宮、国幣小社、別表神社


【由緒】
当社の創始は詳らかではないが、当社神名が国史に明記されるのは、
文徳実録巻二、嘉祥3年(850)秋7月の条からで、
従五位下の神階に叙せられとある。

その後幾度かの加階を経て文政10年(1827)には正一位の神階に昇叙した。
 
平安時代初期以降当社は三河国の一宮、
また延喜式神名帳登載の名神小社として、
朝野の崇敬を受け、当三河国内神社の首座として、
国司の巡拝及び奉幣に預かった。
 
慶長7年(1602)に徳川家康より朱印領として一宮領百石、
同8年(1603)には本宮山領20石の寄進を受け明治に至った。
 
明治4年(1871)の官国幣社の制度では、国幣小社の筆頭に列したが、
戦後この社格制が廃止になり、現在神社本庁別表神社として、
本宮山奥宮とともに時代を超えて、広大無辺な御神威が受け継がれている。

【鳥居】


さすがに一宮だけあって、
大型の無料駐車場が二か所ありました。


【神門】


掃除に精を出す神職達と巫女さん。
御苦労様です。


【神鹿絵馬殿】



【拝殿】




さすが一宮に相応しい拝殿です。
素晴らしい。


【幣殿・本殿】



【三河えびす社】


二宮社(事代主命)と三宮社(建御名方命)を祀る摂社のようです。




本殿。


【八幡宮】





【本宮山奥宮遙拝所】


奥宮は後で行くことにしよう。


【守見殿神社】





【太鼓楼】



【表神門】


こちらが正門だったようです。


【一宮町護国神社】



【御朱印】


実に清々しい神社で気持ちがシャキっとなりました。

今日も良い参拝が出来そうです。(^^

枚岡神社(2015年11月22日参拝)

2016年02月03日 | 一宮
今日は姪っ子の七五三の御祈祷のお付き合い。



<2012年4月1日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/8e7f52618e354ac670de77330f7499de


<2013年1月2日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/b38f7616a9950d7b4c791d9debf49b8b


<2013年6月30日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/8b7aafe6085bc34406140f0416528c08


<2015年2月5日参拝>
http://blog.goo.ne.jp/05100625777/e/b67482ad71553f8e76ce0c2c3b05d094/?img=76df2d4a432828be1d91d84db0ff38a2



所在地:大阪府東大阪市出雲井町7番16号
主祭神:天児屋根大神、比売大神、武甕槌大神、斎主大神
創建:神武天皇紀元前3年
社格:式内社(名神大)・河内国一宮・官幣大社・別表神社
札所:神仏霊場巡拝の道


【境内】





【拝殿】




この拝殿の中で御祈祷。

とても厳かな雰囲気で良かったです。(^^


【御朱印】


書いてくれたのはいつものおばちゃんでした。(^^

いつになったら神職からいただけるんだろうか。(笑)


【風景】


七五三が終わるとちょっと野暮用で東大阪市役所へ。

最上階ではこんな風景が見れます。
あべのハルカスの16階ぐらいと同じ感じですね。

奥に見える山は奈良県との境になる生駒山。

下に見えるのは阪神高速東大阪線です。

甲斐浅間神社(2015年9月22日参拝)

2015年11月22日 | 一宮
楽しかった山梨の旅も終わりに近づいてきました。

最後の参拝となるのが甲斐一宮である甲斐浅間神社です。

こちらも当然のように無料駐車場がありました。

無料万歳!



所在地:山梨県笛吹市一宮町一宮1684
主祭神:木花開耶姫命
創建:(伝)垂仁天皇8年
社格:式内社、甲斐国一宮、国幣中社、別表神社



【由緒】
社伝では垂仁天皇8年正月に神山の麓(現 摂社山宮神社)で創建され、
貞観7年(865)旧暦12月9日現在地に遷座したという。

平安時代末期より甲斐国一宮とされたとしている。

貞観6年(864)の富士山の大噴火を受けて甲斐国でも浅間神を祀ることになり、
翌貞観7年(865)に甲斐国八代郡に浅間神社を建てて官社としたとある。

その後、山梨郡にも同様に浅間神社を建てたとも記す。
このことから当社は後に山梨郡に建てられた浅間神社であるとする説が有力である。

当社は武田氏からの崇敬が篤く、関係文書も多く伝わっている。
江戸時代に入ってからも江戸幕府から所領を安堵されるなど保護された。

明治4年(1871)旧暦5月14日に近代社格制度において国幣中社に列し、
戦後は別表神社となった。



【第一鳥居】


第一鳥居近くで車を停めれなかったので、
第二鳥居前から撮影。


【第二鳥居】



【随身門】



【拝殿】




なかなか立派な拝殿です。


【神楽殿】


明治36年に建立されたもの。


【子持石】


これはいわゆるマラ石ですね。


【両部鳥居】


第二鳥居の反対側にある鳥居で、
渋い鳥居でした。

好きです。(照)


【枕石】


これもマラ石と思われます。


【神輿庫】



【護国社】





一宮町の英霊458柱が祀られています。


【七社】



【祓門】


なんだこの有難味の無い門は。(^^;


【十二支石像】


こ、これは?

何か嫌な思い出が蘇る。


【成就石】


まぁ、これは何とか許容範囲。

しかし次のが理解不能。


【太陽神】


なんじゃこりゃー。

松田優作ばりに叫んだのは言うまでもない。

これはもしかして岡本太郎氏が作ったものですか?(苦笑)

もうこれ以上、一宮の品格を落とすようなマネはやめてー。

これから更に変なオブジェが増えて、
田村神社の二の舞だけは止めてもらいたい。(願)


【御朱印】



【御朱印帳】


富士山があったので衝動買いしちゃった。


これにて三日間の参拝全て終了。

予定通り行けなかったお寺もあったが、
ほぼ当初の予定通りに参拝することが出来た。

諏訪、甲斐の神社仏閣、青い鳥のロケ地等、
見所や感動が多い実り多い旅となった。

充実感で幸せいっぱいです。(^^

こうして無事に参拝出来たこと、長野、山梨に来れたこと、
生きていることに感謝。


さて帰宅するまでが旅。


【かき揚げ蕎麦】


中央道のサービスエリアで遅い昼食。

470円と安かったけど美味かったです。(^^


【近江牛肉うどん】


さすがにシルバーウィークだけあって、高速も大渋滞。

まだ駒ヶ根辺りで18時前とか泣きそうになる。

35キロの渋滞を抜けたと思ったら17キロの渋滞とかあって、
計60キロ以上の渋滞を経験しました。(泣)

甲府から六時間かかってようやく滋賀県の草津PAに到着。

遅い晩飯の近江牛肉うどん650円。
旨し。

そういや旅行中お米を食って無かったわ。(笑)

結局7時間半かかって自宅に到着。

さすがに疲れた。

でもすぐに山梨に行きたくなった。(^^

次回は雲峰寺、大善寺、放光寺、武田八幡宮、景徳院、清白寺等、
まだ知らぬ寺社を訪れたいと思う。

諏訪大社上社本宮 其の二(2015年9月20日参拝)

2015年10月25日 | 一宮
腹が減ったのでここいらで昼食。


【塀重門】



【大鳥居】


大鳥居を出るとお土産屋さんや食事処があった。


【昼食】


門前の店で天ぷらそばと名物のモツ煮を食らう。

天ぷらじゃなくてかき揚げだった件。(泣)

関西というか私が住んでる地域では、
天ぷらといえば海老とかチクワが普通。

私もそれを期待していた。

でも出てきたのがかき揚げでちょっとガックリ。(^^;

いや、かき揚げはかき揚げで美味しいんだけどね。

信州ではこれが普通の天ぷらそばなんだろうか。

モツ煮も期待していたほどでは無かった。(^^;


【狛犬】


参拝開始です。


【高島神社】





【交通安全祈願殿】





【一之御柱】


ここで一つ白状します。

諏訪の方々はこの御柱に物凄く思い入れがあると思いますが、
私には何の思い入れも無いので、柱があるなぁとしか思えないんです。(^^;


【雷電為右衛門の像】





【布橋】



【上社筒粥殿跡】



【天流水舎】





【神楽殿】









【五間廊】





【勅使殿】





【土俵】



【境内】


東参道入口御門、二之御柱付近に戻ってきました。


【二之御柱】



【神馬舎】





【御朱印】


こちらも500円でした。


【落雁】


諏訪大社四社全て参拝するといただけました。

御朱印帳と御朱印が相場より高いのは、
社格が高いからではなく、落雁代の費用に充ててる訳ですね。


個人的には甘ーい落雁より、
信州そば一人前の方が嬉しいです。(笑)

ご検討宜しくお願い致します。(^^

諏訪大社上社本宮 其の一(2015年9月20日参拝)

2015年10月24日 | 一宮
いよいよ本日メインの諏訪大社上社本宮へ。

ずっと訪れたかったので本当に楽しみ。

無料駐車場がありましたけど、
これほどの有名神社で観光地なのに、
駐車場が無料なのは有難いっす。(^^




所在地:長野県諏訪市中洲宮山1
御祭神:建御名方神
創建:不明
社格:信濃国一宮、官幣大社


【由緒】
我国最古の神社の一つであり信濃國の国造りをなされた後、
日本国土の守護神としてこの地にお鎮りになり、信濃國一之宮として、
皇室武門および一般の信仰が厚く、全国一万有余の諏訪神社の総本社です。

幣拝殿と片拝殿のみで本殿を持たない、諏訪造りという独持の様式。
徳川家康が造営寄進したと言う四脚門など貴重な建造物が数多く残っております。

境内のほぼ真中に東宝殿、西宝殿と言う二棟の茅葺の建物があります。
本宮で最も大切な御社殿で寅年と申年毎に交互に建替がなされ遷座祭が行われます。

本宮の昔の建物は極彩色が施されておりましたが、
天正10年(1582)に織田信長の兵火の為、山中に逃れた神輿の他はすべて焼失。
この時まず仮殿が作られ順次再建され社殿は元和三年(1617)に完成しました。

その後約二百年を経て諏訪藩主に依り社殿の改が計画され、
立川和四郎二代目富昌が上社棟梁と共に事に当り、
天保二年から9年(1838)迄8年の歳月を要し現在の社殿が落成し、
立川流の代表的建築物と言われえております。

尚旧殿の拝殿は嘉永二年(1849)に郡内の富士見町乙事の諏訪神社へ移築され、
桃山時代の代表的建造物として重要文化財に指定されております。


【注連掛鳥居】


もうすぐ到着です。


【東参道鳥居】




鳥居をくぐると神域感たっぷり。


【御神木】



【出早社】





【入口御門】







【彫刻】



【絵馬堂】





【砲弾】



【摂末社遥拝所】





【大国主社】





【東御宝殿造営御敷地】



【神楽殿】



【四脚門】





【御宝殿】







【西御宝殿】



【布橋】




橋というより廊下、回廊といった感じですね。

古の時代、諏訪湖の湖岸が近かった頃に波がきても渡れるように、
この橋が造られたとか。

その布橋は明治以前は大祝のみが通れたそうで、
大祝が通る時に布を敷いたとかで布橋という名がついたとか。


【塀重門】



【入口門】



【参拝所】


諏訪大社の案内図には参拝所と書かれていたが、
この門の正式名称なんだろうか。

これほどの立派な門が名無しでは可哀想です。(^^;


【幣拝殿・左右片拝殿】


何という気品のある社殿なんだろう。

七五三で祈祷されたんでしょうか。
斎庭に入れて間近で社殿を見れるなんて羨ましい。


【宝物殿】



【勅額殿】








殿内がとても幽玄な雰囲気。

この中に入りたかったなぁ。


【文庫】



【四之柱】


木の塀の奥に御柱がありましたが、
ちょっと見にくかったです。

向かって右上には境内社が鎮座してました。


とりあえず長くなりましたので、
続きは明日。

諏訪大社上社前宮(2015年9月20日参拝)

2015年10月23日 | 一宮
続きまして諏訪大社上社前宮へ。

国道152号線沿いの無料駐車場に停めていざ参る。



所在地:長野県茅野市宮川2030
御祭神:建御名方神、八坂刀賣神
創建:不明
社格:信濃国一宮、官幣大社



【由緒】
この地は諏訪大社大祝の始祖と伝えられる有賀が始めて大祝の職について以来、
代々大祝代々の居館でした。

神殿は御神体と同一視された大祝常駐の殿舎の尊称です。
この神殿のあった場所を神原と言い、代々の大祝職位式及び
旧3月酉日の大御立座神事をはじめ、上社の重要な神事のほとんどが、
この神原で行われました。

大祝が諏訪から出ることは禁忌とされ、諏訪氏当主は幼少時に大祝として祭祀を行い、
長じると大祝を辞し、惣領として政治を行うといったことを続けてきました。

しかし室町時代になり戦乱が増えてくると、諏訪信満の系統が惣領家を、
諏訪頼満の系統が大祝を分担することとなり、両家は神殿に居住します。

しかし康正2年(1456)に両家は対立、惣領家は神殿を出て上原城へ移ります。
文明15年(1483)大祝家当主継満が惣領職も独占しようと
惣領家当主政満とその子・若宮丸らを謀殺。

聖地が穢されたことで社家衆の反発を招き、継満は高遠へ追放されます。
後に神殿は清地にかえされ、大祝の居館として後世まで続きました。

後にこの居館は他に移りましたが祭儀は引き続いて神原において行われてきました。
 
諏訪大社の祭政一致時代の古体の跡を示している最も由緒ある史跡です。



【境外社】



【大鳥居】



【境内】



【御神木】



【鳥居】







【狛犬】





【十間廊】









【内御玉殿】





【御室社】





【風景】


ちょっとした坂道を歩いて本殿近くまで到着。

長閑で良い所です。

しかし、本殿近くに駐車場があるをすっかり忘れてた。(^^;

まぁ、ここの参道の良さは歩いてないと分からない。


【拝殿】


良い雰囲気ですね~。




大社というより山にある雰囲気のある神社という感じです。

ここは気を張らずに参拝出来るのがいい。


【水眼の清流】







【神殿】





【三之御柱】



【二之御柱】



【四之御柱】



【一之御柱】




本殿を囲むように建てられていました。


【御朱印】


こちらも500円でした。

諏訪大社下社春宮(2015年9月20日参拝)

2015年10月19日 | 一宮
大満足の慈雲禅寺から数分で諏訪大社の春宮に到着。

これだけ有名な大社で人気の観光地にも関わらず、
駐車場が無料なのは有難い。(^^


所在地:長野県諏訪郡下諏訪町193
御祭神:建御名方神、八坂刀賣神
創建:不明
社格:信濃国一宮、官幣大社


【由緒】
諏訪大社は建御名方富命と八坂刀売命を祀り、
上社は建御名方富命(彦神)を下社 は八坂刀売命(女神)を主祭神としている。

下社の祭神は二月から七月まで春宮に鎮座し、
八月一日の御舟祭で秋宮に遷座し、翌二月一日に春宮に帰座される。

当大社は古来より朝廷の崇敬がきわめて厚く、持統天皇5年(691)には勅使を遣わされて、
国家の安泰と五穀豊穣を祈願されたのをはじめ、歴代の朝廷が神位や神階を進められ、
或は神田、幣帛、御宸筆等を御奉納なされ、又、皇族の方々が数多く御参拝なされております。

又、諏訪大神は武勇の神、武門武将の守護神として仰がれ、
古くは神功皇后の三韓出兵の折りに御神威を顕わされ、
平安時代には関より東で第一の軍さ神として広く世に知れ渡りました。

鎌倉時代以降は源頼朝をはじめ北条氏一門、足利尊氏、武田信玄、徳川家康以下歴代の将軍、
その他、高島藩主をはじめ諸国の大名達がいづれも社領を寄進し、
或は神宝を奉納して武運の長久と国家の安泰を祈願されております。



【大鳥居】


万治2年(1659)建立されたもの。


【境内】



【狛犬】



【神楽殿】


注連縄もそうだけど、全体的に秋宮より小ぶりですね。







【子安社】





【筒粥殿】





【幣拝殿】






重要文化財。

秋宮と同じく見事なものです。

下社の中心となる建築は正面中央にあり拝殿と門を兼ねたような形式の幣拝殿、
その左右にある回廊形式の片拝殿、それらの背後にある、
東西の宝殿は茅葺・ 切妻造・平の簡素で古風な形式をもち、
申寅の7年ごとに新築する式年造替制度がとられている。

このような社殿形式は諏訪大社に特有のものであり、
また、その幣拝殿と左右片拝殿に似た形式は、
長野県内の諏訪神を祀る幾つかの神社でも用いられている。


【片拝殿】


重要文化財。


【一之御柱】



【二之御柱】



【若宮社・上諏訪社】







【結びの杉】



徒歩数分の場所にある万治の石仏を見に行きます。


【砥川】



【朱橋】



【浮島社】




祓戸大神が祀られています。


【砥川】



【朱橋】



【万治の石仏】






いや~面白いお姿をしてますね。

大きい石に身体を刻み、頭を乗せました!みたいな感じ。(笑)


【御朱印】


500円でした。

四社全てを巡ると落雁が貰えるらしい。

あー、御朱印代が500円なのはお菓子代込みなんですね、分かります。(笑)

諏訪大社下社秋宮(2015年9月20日参拝)

2015年10月16日 | 一宮
今年は19日からシルバーウィークで5連休。
おかげで仕事がめちゃくちゃ忙しくタクシー帰り連発。(泣)

しんどかったけど何とか仕事を終えシルバーウィークに突入。

19日は休養にあてて、
20日からずーーーと前から行きたかった諏訪、信濃境、甲府へ旅行です。


というのも私が最も好きな戦国武将が武田信玄公なんですよね。

中井貴一主演の大河ドラマ「武田信玄」は本当に名作で、
このドラマの影響で我が御屋形様になりました。(^^

その御屋形様所縁の神社仏閣を巡る旅となり、
行く前から興奮が抑えられない。


朝3時半出発し約5時間で諏訪大社秋宮に到着。
無料駐車場がありました。


所在地:長野県下諏訪郡下諏訪町5828
御祭神:建御名方神、八坂刀売神
創建:不明
社格:信濃国一宮


【由緒】
御祭神の建御名方神は大国主神の御子神で、
妃神が八坂刀売神、八重事代主神は御兄神に当たります。

御鎮座の年代について詳しく知ることはできませんが、
古事記その他の書物から推定して少なくも千五、六百年から二千年前と言われており、
我国で最古の神社の一つに数えることができます。

北は北海道から南は九州鹿児島県に至る全国に勧請された御分社の数は壱万有余にも達し、
その総本社であり、昔から諏訪大明神、諏訪南宮法性上下大明神、
又はお諏訪さまと親しまれ、雨や風、水の守り神として竜神の信仰も古く、
国土開発、農耕生産、開運招福、交通安全の守護神として篤く崇敬され、
特に歴代の朝廷をはじめ武門武将からは勝負の神、軍さ神として崇められ日本第一大軍神、
又は東関第一の軍さ神として称えられて来ております。

昭和21年迄官弊大社諏訪大社と称しておりましたが、
同23年に現在の社号に改称しております。

諏訪大社は諏訪湖の南北に二社ずつ四カ所に分かれて鎮座する、
独特の形を持ったお宮です。


【鳥居】


関西でよく見る鳥居とはちょっと違いがありますね。


【境外末社】


鳥居横に鎮座してましたので先に参拝。


【八幡社】




御祭神:誉田別尊・息長足姫命・玉依姫命


【恵比寿社】








ささっと参拝を済ませ境内へ。


【根入りの杉】



【神楽殿】




天保6年(1835)建立された重要文化財。

これはさすが一宮の社殿だと唸らざるをえない。


この場所はあるドラマのロケ地になっています。
それは後日。


【青銅製狛犬】


以前の狛犬は戦前に供出され、
現在の狛犬は昭和35年に造られたもの。


【注連縄】


諏訪大社って注連縄のイメージって全く無かったんだけど、
出雲大社を思わせる立派な注連縄でした。


【神楽殿内部】


とても清潔で清々しい内部です。


【神宮遥拝所】





【境内社】


鹿島社・子安社・賀茂上下社・八坂社。


【二之御柱】



【幣拝殿】




これは素晴らしい。

誰がどう見ても感動ものの美しさです。






彫刻も見事なものでした。


【左右片拝殿】





【一之御柱】





【境内社】




真ん中が若宮社。




稲荷社。






皇大神宮社。


【宝殿】


よく見えませんでしたが、
伊勢神宮の雰囲気を感じましたね。

でもこれ、ボランティアの説明によると、
宝殿に聳える御神木が御神体ということで、本殿は無いとのこと。




【明神湯】


お湯が出てくるのは嬉しいが、
めっちゃ熱かった。


【宝物館】



【境内社】



【千尋池】





【千尋社】





【御朱印】


相場より高めの500円でした。


【御朱印帳】


紙のケース。




記念に購入しました。
こちらも相場より高めの2000円でした。


【感想】
とにかく一宮に相応しい社殿が見事でしたね。

期待を裏切らない神社でした。

南宮大社(2015年8月10日参拝)

2015年10月05日 | 一宮
郡上八幡から帰宅途中、美濃国の一宮である南宮大社へ。

こちらの徳川家光が再建した楼門が必見です。



所在地:岐阜県不破郡垂井町宮代峯1734-1
主祭神:金山彦命
創建:不明
社格:式内社、美濃国一宮、国幣大社、別表神社



【由緒】
社伝によれば神武天皇東征の砌、金鵄を輔けて大いに霊験を顕わされた故を以って、
当郡府中に祀られたらせられ、 後に人皇十代崇神天皇の御代に、
美濃仲山麓の現在地に奉還され、古くは仲山金山彦神社として申し上げたが、
国府から南方に位置する故に南宮大社と云われる様になったと伝えます。  

御神位は古く既に貞観15年(873)に正二位に叙せられ、
延喜式の神名帳には美濃国39座の内、当社のみ国幣大社として
名神祭にも預る大社に列せられています。  

天慶3年(940)平将門の乱の誅伏の勅願や、康平年中(1058-1065)
安部貞任追討の神験によって、正一位勲一等の神位勲等を極められ、
依頼、鎌倉、室町、戦国の世を通じて、源氏、北条氏、
土岐氏等の有力な武将の崇敬をうけ、 美濃国一宮として、
亦、金の神の総本宮として、朝野の崇敬極めて厚い名大社であります。

慶長5年(1600)関ヶ原の合戦の兵火で社殿は焼失。
その後、寛永19年(1642)この地に所縁の乳母・春日局らの
願いを聞き入れた三代将軍徳川家光によって再建された。
 
現在の南宮大社の社殿、石鳥居、石橋などは、
このとき家光が寄付した七千両(約21億円)をもとに、
造営奉行、岡田将監の指揮によって建築・造営された。


【大鳥居】


大社らしく少し離れた位置にありました。


【美濃国総社】


大型の無料駐車場近くに鎮座。


【楼門】




残念ながら逆光で美しく華麗は楼門を撮れませんでした。

重要文化財。


【随身】



【石輪橋】


こんな組み方をした石橋を見たのは初めてです。

重要文化財。


【高舞殿】





【拝殿】



【幣殿】



【楼門】




いいですね~。
とても見事な門です。


【北門】



【落合神社】


境内社。


【御朱印】



大社だけあって近所にあるような落ち着ける神社ではありませんが、
気持ちが引き締まる良い神社でした。

日前神宮・國懸神宮(2015年7月26日参拝)

2015年09月02日 | 一宮
本日最後を飾るのは紀伊国一宮の日前神宮・國懸神宮。

こちらの神社は二つの神宮が一つの境内に鎮座するという、
非常に珍しい神社なんです。

初めて参拝するので、
一体どんな神社なのか楽しみです。

大型の駐車場はありますが、
何故か一般不可の看板が。

この辺りで他の駐車場を探したが無し。
ダメ元で管理人に聞いてみたら、参拝する時間ならいいよ、とのこと。

基本、有料&月極のようですが無料にしてくれた。

あざーす!(^^

というか、私の日頃の行いの良さは関係無くて、
参拝者は無料のようですね。



所在地:和歌山県和歌山市秋月365
主祭神:日前神宮・日前大神
主祭神:國懸神宮・國懸大神
御神体:日前神宮・日像鏡
御神体:國懸神宮・日矛鏡
創建:(伝)神武天皇2年
社格:式内社、紀伊国一宮、官幣大社



【由緒】
創建二千六百餘年を溯る日前神宮・國懸神宮は、
同一境内に座します二社の大社をなしております。

日前神宮は日像鏡を御神体として日前大神を奉祀し、
國懸神宮は日矛鏡を御神体として國懸大神を奉祀しております。

神代、天照大御神が天の岩窟に御隠れになられた際、
思兼命の議に従い種種の供物を供え、天照大御神の御心を慰め和んで頂く為、
石凝姥命を治工とし、天香山から採取した銅を用いて、
天照大御神の御鏡を鋳造しました。

その初度に鋳造された天照大御神の御鏡前霊を日前國懸両神宮の御神体として、
後に鋳造された御鏡を伊勢の神宮の御神体として奉祀されたと、
日本書紀に記されております。

天孫降臨の際、三種の神器とともに両神宮の御神体も副えられ、
神武天皇東征の後、紀伊國造家の肇祖に当たる天道根命を紀伊國造に任命し、
二つの神鏡を以て紀伊國名草郡毛見郷の地に奉祀せられたのが、
当宮の起源とされています。

その後、崇神天皇五十一年、名草郡濱ノ宮に遷宮され、
垂仁天皇十六年には名草郡萬代宮すなわち現在の場所に遷幸され、
永きに渉り鎮座の地として今に至っております。

戦国時代豊臣秀吉の天正の兵乱により境内荒廃、社領没収の憂き目に逢いましたが、
徳川の時代に入り紀州藩初代藩主徳川頼宣が入国されるや社殿を再興され、
明治四年太政官布告による神格の制が治定されると、
官幣大社に列し敬神崇祖の大義を示すことと相成りました。

大正八年の国費による境内建物すべての改善工事によって旧観は一新され、
大正十五年三月の完成をもって現在の姿となっております。


【鳥居】


今日は何やら祭りがあるのかテキ屋がいっぱい。

帰宅してから調べたら日前宮薪能が7月26日に行われるようです。

観ないで帰ったのは惜しいことをしたな。(^^;


【祓所】



【知恵の輪くぐり】



【参道】



【案内板】


だいたい右利きの人は右に行くよね。(^^


【参道】



【市戎神社】






末社。
御祭神:蛭子神


【中言神社】


摂社。
御祭神:名草姫命、名草彦命


【松尾神社】




末社。
御祭神:大山咋神、中津島姫命


【國懸神宮】





【拝殿】




雰囲気も思っていたより良くないし、
本殿がよく見えないのが残念。


【天道根神社】






御祭神:天道根命。


【邦安神社】


御祭神:松平頼雄命。


【深草神社】




御祭神:野槌神。

牛は御祭神の使いだそうです。


【日前神宮】





【拝殿】



【本殿】



【境内社】





【御朱印】


こちらの巫女さんが綺麗でしたね。(^^


これにて参拝終了。

ふたつほど行きそびれた寺社がありましたが、
今日も充実した一日であった。(^^

伊太祁曽神社(2015年7月26日参拝)

2015年08月31日 | 一宮
長保寺から一宮の伊太祁曽神社へ。

途中で善福院と藤白神社の案内板を見たのですが、
華麗にスルーしてしまった。

帰宅してから調べたら参拝しておけば良かったと後悔。

事前リサーチと気になったら即確認するのが大事ですね。

そんなことを改めて思い知った今日この頃。(苦笑)



所在地:和歌山県和歌山市伊太祈曽558
主祭神:五十猛命
配祀神:大屋都比賣命、都麻津比賣命
創建:不明
社格:式内社、紀伊国一宮、官幣中社、別表神社



【由緒】
伊太祁曽神社についての具体的な年号の初見は、
「続日本紀」の文武天皇大宝2年(702)です。

伊太祁曽神社が現在の社地に静まります以前には、
日前神宮・国懸神宮の社地にお祀りされていたようです。

日前宮のご鎮座が垂仁天皇16年と伝えられていますので、
その頃に山東(現在の伊太祈曽)に遷座せられたようです。

太古より祀られていた伊太祁曽神社は日前宮の鎮座とともに山東に遷り、
大宝2年の官命によって社殿の造営がはじめられ、
約10年後の和銅6年に現在の地にご鎮座になられたというのが通説です。

延喜式神名帳に所載の神社(式内社)で、
明神大・月次・新嘗・相嘗に預かると記載されており、
平安期には朝廷の崇敬が篤い大社であったことがわかります。

新義真言宗である根来寺との関係が非常に深く、
境内南側には 興徳院、奥宮である丹生神社に隣接して傳法院という、
いずれも真言宗寺院が神宮寺として存在しました。

覚鑁上人が傳法院を建立し伊太祁曽神社の奥之院としたと伝えられています。

明治18年には国幣中社に列格し、大正7年には官幣中社に昇格しています。


【第一鳥居】


鳥居の横に5台分ほどの無料駐車場がありました。

また、数百メートル離れた場所に大型の有料駐車場もあります。


【櫛磐間戸神社】


櫛磐間戸神と豊磐間戸神が祀られていました。


【神泉】


いや~良い雰囲気です。
品格の高さを感じますね。


【第二鳥居】



【参道】



【割拝殿】


でかい拝殿です。


【神門】




なんという気品。

さすが一宮だと唸らされました。


【本殿】


美しい。

手前に狛犬、左右に脇殿。


【脇殿】


大屋都比賣命が祀られています。


【珠抱申】



【木の俣くぐり】



【チェンソーカービングの干支】



【氣生神社】




五十猛命の荒御霊をお祀りする摂社。

真ん中が脇殿、奥が本殿になります。


【蛭子神社】





【龍神】



【おさる石】







【本殿】


本殿も本当に気品があります。

さすが一宮です。


【御朱印】



社殿が本当に気品があり雰囲気もとても良かったです。

何より巫女さんが可愛かったです。(←ここ強調)