郡上八幡から帰宅途中、美濃国の一宮である南宮大社へ。
こちらの徳川家光が再建した楼門が必見です。
所在地:岐阜県不破郡垂井町宮代峯1734-1
主祭神:金山彦命
創建:不明
社格:式内社、美濃国一宮、国幣大社、別表神社
【由緒】
社伝によれば神武天皇東征の砌、金鵄を輔けて大いに霊験を顕わされた故を以って、
当郡府中に祀られたらせられ、 後に人皇十代崇神天皇の御代に、
美濃仲山麓の現在地に奉還され、古くは仲山金山彦神社として申し上げたが、
国府から南方に位置する故に南宮大社と云われる様になったと伝えます。
御神位は古く既に貞観15年(873)に正二位に叙せられ、
延喜式の神名帳には美濃国39座の内、当社のみ国幣大社として
名神祭にも預る大社に列せられています。
天慶3年(940)平将門の乱の誅伏の勅願や、康平年中(1058-1065)
安部貞任追討の神験によって、正一位勲一等の神位勲等を極められ、
依頼、鎌倉、室町、戦国の世を通じて、源氏、北条氏、
土岐氏等の有力な武将の崇敬をうけ、 美濃国一宮として、
亦、金の神の総本宮として、朝野の崇敬極めて厚い名大社であります。
慶長5年(1600)関ヶ原の合戦の兵火で社殿は焼失。
その後、寛永19年(1642)この地に所縁の乳母・春日局らの
願いを聞き入れた三代将軍徳川家光によって再建された。
現在の南宮大社の社殿、石鳥居、石橋などは、
このとき家光が寄付した七千両(約21億円)をもとに、
造営奉行、岡田将監の指揮によって建築・造営された。
【大鳥居】
大社らしく少し離れた位置にありました。
【美濃国総社】
大型の無料駐車場近くに鎮座。
【楼門】
残念ながら逆光で美しく華麗は楼門を撮れませんでした。
重要文化財。
【随身】
【石輪橋】
こんな組み方をした石橋を見たのは初めてです。
重要文化財。
【高舞殿】
【拝殿】
【幣殿】
【楼門】
いいですね~。
とても見事な門です。
【北門】
【落合神社】
境内社。
【御朱印】
大社だけあって近所にあるような落ち着ける神社ではありませんが、
気持ちが引き締まる良い神社でした。
こちらの徳川家光が再建した楼門が必見です。
所在地:岐阜県不破郡垂井町宮代峯1734-1
主祭神:金山彦命
創建:不明
社格:式内社、美濃国一宮、国幣大社、別表神社
【由緒】
社伝によれば神武天皇東征の砌、金鵄を輔けて大いに霊験を顕わされた故を以って、
当郡府中に祀られたらせられ、 後に人皇十代崇神天皇の御代に、
美濃仲山麓の現在地に奉還され、古くは仲山金山彦神社として申し上げたが、
国府から南方に位置する故に南宮大社と云われる様になったと伝えます。
御神位は古く既に貞観15年(873)に正二位に叙せられ、
延喜式の神名帳には美濃国39座の内、当社のみ国幣大社として
名神祭にも預る大社に列せられています。
天慶3年(940)平将門の乱の誅伏の勅願や、康平年中(1058-1065)
安部貞任追討の神験によって、正一位勲一等の神位勲等を極められ、
依頼、鎌倉、室町、戦国の世を通じて、源氏、北条氏、
土岐氏等の有力な武将の崇敬をうけ、 美濃国一宮として、
亦、金の神の総本宮として、朝野の崇敬極めて厚い名大社であります。
慶長5年(1600)関ヶ原の合戦の兵火で社殿は焼失。
その後、寛永19年(1642)この地に所縁の乳母・春日局らの
願いを聞き入れた三代将軍徳川家光によって再建された。
現在の南宮大社の社殿、石鳥居、石橋などは、
このとき家光が寄付した七千両(約21億円)をもとに、
造営奉行、岡田将監の指揮によって建築・造営された。
【大鳥居】
大社らしく少し離れた位置にありました。
【美濃国総社】
大型の無料駐車場近くに鎮座。
【楼門】
残念ながら逆光で美しく華麗は楼門を撮れませんでした。
重要文化財。
【随身】
【石輪橋】
こんな組み方をした石橋を見たのは初めてです。
重要文化財。
【高舞殿】
【拝殿】
【幣殿】
【楼門】
いいですね~。
とても見事な門です。
【北門】
【落合神社】
境内社。
【御朱印】
大社だけあって近所にあるような落ち着ける神社ではありませんが、
気持ちが引き締まる良い神社でした。
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