NHKの龍馬伝の初回に、上士と下士があるのは当たり前と、一刀両断の元に切った私だが、江戸時代の士農工商やらの身分制度を知り尽くしていた訳ではない。士農工商の上にも下にも連なる身分制度を云々する訳でもない。私は侍も厳しいなと感じ、昭和のしかも戦後に生まれて、本当に有り難かったと思ったのは、この映画を観たせいである。それは「武士道残酷物語」だ。
ちょうどその頃、「世界残酷物語」が流行っていて、続編も作られていたから、この武士道残酷物語も何編かあると思っていたのに、調べてみたらオムニバス式の映画だった。傍若無人で、無理難題を吹きかける殿様に、ただただ堪え忍んで仕える侍の話なのだが、欲しいと言われれば妻をも差し出し、死ねと言われれば腹も切り、それが何代にも渡り、延々と繰り広げられるのだ。当時の中村錦之助(萬屋錦之助)が代々の主人公で、殿が「脇差しを貴様にくれてやる」と言いながら、家来の手にグサッと刺すのを、「ありがとうございます。」と言って堪える。「武士道とは、堪え忍ぶことと見つけたり」みたいな台詞が頭に残っているのだが、正確な所は覚えていない。こんなに迄、我慢をしなければならないのか、嫌だとは言えないのかが、現代まで続くと言う、腹わたが煮えくりかえるような映画だったのだ。
今になって、あれは脚本ありきの映画だったと判るが、その当時は親に聞いても格言の大好きな親だったから「昔は我慢が当たり前だった。」と言うだけだったのだ。ある意味恐ろしい。
ちょうどその頃、「世界残酷物語」が流行っていて、続編も作られていたから、この武士道残酷物語も何編かあると思っていたのに、調べてみたらオムニバス式の映画だった。傍若無人で、無理難題を吹きかける殿様に、ただただ堪え忍んで仕える侍の話なのだが、欲しいと言われれば妻をも差し出し、死ねと言われれば腹も切り、それが何代にも渡り、延々と繰り広げられるのだ。当時の中村錦之助(萬屋錦之助)が代々の主人公で、殿が「脇差しを貴様にくれてやる」と言いながら、家来の手にグサッと刺すのを、「ありがとうございます。」と言って堪える。「武士道とは、堪え忍ぶことと見つけたり」みたいな台詞が頭に残っているのだが、正確な所は覚えていない。こんなに迄、我慢をしなければならないのか、嫌だとは言えないのかが、現代まで続くと言う、腹わたが煮えくりかえるような映画だったのだ。
今になって、あれは脚本ありきの映画だったと判るが、その当時は親に聞いても格言の大好きな親だったから「昔は我慢が当たり前だった。」と言うだけだったのだ。ある意味恐ろしい。