無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

恐かった映画・その2

2010-01-11 16:56:33 | 映画・TV
NHKの龍馬伝の初回に、上士と下士があるのは当たり前と、一刀両断の元に切った私だが、江戸時代の士農工商やらの身分制度を知り尽くしていた訳ではない。士農工商の上にも下にも連なる身分制度を云々する訳でもない。私は侍も厳しいなと感じ、昭和のしかも戦後に生まれて、本当に有り難かったと思ったのは、この映画を観たせいである。それは「武士道残酷物語」だ。

ちょうどその頃、「世界残酷物語」が流行っていて、続編も作られていたから、この武士道残酷物語も何編かあると思っていたのに、調べてみたらオムニバス式の映画だった。傍若無人で、無理難題を吹きかける殿様に、ただただ堪え忍んで仕える侍の話なのだが、欲しいと言われれば妻をも差し出し、死ねと言われれば腹も切り、それが何代にも渡り、延々と繰り広げられるのだ。当時の中村錦之助(萬屋錦之助)が代々の主人公で、殿が「脇差しを貴様にくれてやる」と言いながら、家来の手にグサッと刺すのを、「ありがとうございます。」と言って堪える。「武士道とは、堪え忍ぶことと見つけたり」みたいな台詞が頭に残っているのだが、正確な所は覚えていない。こんなに迄、我慢をしなければならないのか、嫌だとは言えないのかが、現代まで続くと言う、腹わたが煮えくりかえるような映画だったのだ。

今になって、あれは脚本ありきの映画だったと判るが、その当時は親に聞いても格言の大好きな親だったから「昔は我慢が当たり前だった。」と言うだけだったのだ。ある意味恐ろしい。
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恐かった映画・その1

2010-01-11 16:18:08 | 映画・TV
子供の頃、酒田には5カ所の映画館があって、よく見に行ったものだ。港座が一番近かったので、ゴジラなどの怪獣映画や、美空ひばり主演の3本立て、夏になるとオドロオドロした幽霊映画も見に行った。番町皿屋敷、四谷怪談や、主人の敵を討つために娘に化ける化け猫ものなど、時代劇が多かったように思う。見ている時には恐くて、ビクビクしながらも、見終われば時代劇と自分が生きている現代では状況が違ったのか、家に帰る夜の道も割に平気だった。

そんな生意気な子供だったが、これだけは見なければ良かったと、数ヶ月も恐怖を引きづった映画がある。「美女と液体人間」である。物陰や隙間、蚊帳の下から、ヌルヌルとした液体人間が、こちらに狙いを定めてやってくるようで、恐くてたまらなかった。

物語は、核実験の放射能を浴びた1隻の船が漂流していた。救助に入ると、服が人間の形をしたまま転がっている。船内には一人の人間もいなかったのだが、救助の人達が一人二人と消えていく。この怪物は、液体になっても人間の意思を持っていて、東京へ帰ろうとし、上陸に成功する。そして次々と人が襲われていくと言うストーリーなのだ。

大抵の恐怖映画は、子供だましのような所があり、大人になって改めて見ると、鼻の先でふんふんと笑える類の物が多い。そんな中で、この映画は、単に液体人間に襲われるから恐いと言う映画ではなかった。広島長崎の原爆の記憶が新しいことと、核実験の死の灰を被った第五福龍丸の存在が、液体人間をリアルなものにしていた。カエルに放射能を浴びさせて液体にすることに成功した大学の教授や、液体人間を滅ぼそうと努力する警視庁の面々に加え、液体を操って自分の儲けの材料にしようと企む人間が入り乱れて、後味の悪い終わり方をした。昨年の暮れに、CSでチラッと流れたのを最後の方だけ見てしまったのだが、液体人間よりも本物の人間の方がより恐いことを知り、これは子供にはきつかっただろうなと、今更ながらに感じた映画だった。
コメント (2)
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