goo blog サービス終了のお知らせ 
不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

48歳の中年オヤジ 柔道を始める

48歳の中年が柔道に挑戦!怪我をして一時期柔道をやめようと思いましたが、やはり続けることにしました。いつまで続くかな?

伊勢神宮へのランニングの後、病院で怒るおじさん

2023年05月05日 06時44分50秒 | 旅ラン
5月1日 月曜日 伊勢神宮へのランニングの後、病院で怒るおじさん

病院への面談前に、外宮さんへランニングをしました。
外宮さんに来たのは10年ぶりです。
さてGW期間中ですが、平日なので外宮さんは混んでませんでした。外人さんも少なかったです。
おかげ横丁も良いけど、やはり伊勢神宮ですよね。社会の喧騒から逃れられる。
大昔に来た時、お神酒をここで飲んだことがあります。ちゃんとお祓いを受けた小瓶のものです。ただし伊勢神宮ではなく、西尾の地元の神社の物(笑)。
それを当時大事に取ってあったんですが、伊勢神宮に来た際に持ってきまして、外宮さんのベンチで座りながら飲んだ記憶があります。
「神社は違っても、お神酒だから」
という強引な理由をつけて飲んでおりました。単なる呑兵衛です。
もちろんこの後面談があるので、今回は飲んでません。
外宮からは近鉄宇治山田駅に行き、ここで休憩させてもらいました。70年前に建てられたモダニズムの建物は、相変わらずきれいな駅です。私が小さい頃からほとんど変わってません。約7km1時間のジョグ。
さて面談の内容です。

妹の話によると、オカンは「退院したら自宅に戻る」と言ってきかないらしい。
お医者さんの話では、「いきなり自宅は難しいので、退院したら施設でショートステイ(2~4週間)しよう」でした。
オカンも一時期ショートステイに納得してたんだけど、今になって「家に帰る」と言い始めた。
もう行先もほぼ決定し、仮予約をしている段階。市役所への限度額申請も終わってる。
で今回先生たちが来てほしいとの要望があった。オカンの我儘に手を焼いているみたいです。

旧日本軍の言語で言うとですね、これって「決心変更」なんですわ。これをやられると周りや下が非常に困る。
注:詳しくは山本七平氏の「私の中の日本軍 上・下」文春文庫をお読みください。
あっ「上司は思いつきでものを言う」橋本治 集英社新書 という名著もありましたね。
気まぐれな人は、思いっきり周りに迷惑をかけてしまうのです。一度決めたことを変更するという事が、どれほど大変か。それを平気でする人は嫌われるのだ。

退院は「病気が一旦治まる」という事で、体力が回復したというわけではありません。危険性を下げるためにも施設でショートステイをし、体力を少しでも回復してから帰ってほしいのです。病院の先生もその方法をお勧めでした。
「それをひっくり返すとは何事だあ!」
と面談で私がオカンを怒って、元の方向に戻りました。はあああ、このことを決めるのに、重要な会社の会議をブッチして(周りに迷惑をかけた)、無理やり会社を休んで来たのか。
ホント休みの日にもかかわらず、面談して下さった先生に申し訳ない。
妹は「兄貴が来てくれて良かった。ようやく言う事を聞いてくれた。まわりに迷惑を掛けずに済む」と。妹の気苦労は想像するだけでも重い。
オカン、老いては子に従え。

面談が終わったら夕方の6時でした。明日は仕事なので、すぐに帰らなければいけません。突然の休みで会社の連中に迷惑をかけてしまったので、明和のイオンでお土産を買いました。
伊勢志摩の日帰り・我儘な年寄りの相手は疲れます。

柔道のランキングに参加しております、下のバナーをクリックしてね。

にほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

階段ダッシュ191段 出来るかな?

2021年03月09日 07時11分56秒 | 旅ラン
3月6日 日曜日 階段ダッシュ191段

緊急事態宣言が解除されたので、滋賀県に日帰り旅行しようと考えておったのですが、嫁から仕事を押し付けられ、午前中いっぱい潰れてしまいました(泣)。しくしく、琵琶湖畔の彦根を走りたかったのに・・・ぶつぶつ。
仕方がない、嫁には逆らえんので近場で我慢しよう。
近場といっても、2時間近くかかる場所である。先週愛知県内の湯谷温泉に旅行したのですが、その近くで車からこんな階段を見て驚いたのです。

じゃーん!この階段です。191段あります。
先週見た瞬間、「登りたい!走りたい!」という衝動が(笑)。嫁に言った所、「アンタはあほか?」という反応がありました。
バカだろうか?多分アホだと思う。いや間抜けに違いない。
湯谷から4キロ離れた新城市の大野という宿場町のはずれにあります。元々大野宿は、静岡県浜松市天竜区にある秋葉神社の総本山へと続く、秋葉街道・別所街道の宿場町で、古くからの神社が多い。この階段のある神社も、階段の先にある菅原神社のものです。
「よっしゃあ!走ってやるぜい!」
勢いよく走りましたが、階段は石造りで凸凹。しかも段の幅が足の長さの2/3しかない。むっちゃ走りにくい。しかも急角度なので転がったら・・・あわわわ怖い。

上から見た光景。高所恐怖症の私は、登りより降りるほうが時間がかかってしまいました。
しかも傾斜がきつくて途中休憩無しだと5往復で限界であった。もうダメ。情けないの一言である。
足がプルプルで限界です。それ以上に高くて怖くて怖くて。
「仕方がない、街でも走るかあ」

という事で、新城市の大野宿を走り始めました。
最初は街中をグルグル走っていたのですが、大野駅から飯田線沿いに北上していきます。電車の走る飯田線沿いは、いつの日か全然を走ってみたい!
豊橋から長篠までは豊川沿いを走ったので、それ以北を走ってみたいのですが、交通の便があまり良くない所なので、泊りが必然的に出てしまう事になります。

途中から東海自然歩道に入り、吊り橋から滝めぐりをしました。滝の名前は不動の滝で、長さが10mほどでした。
ふと気が付いたのは・・・街中は住民の方がぽつぽつおられましたが、神社・吊り橋・滝は誰も居ない・・・。こういうガイドブックに載っていない観光地やポイントは、やはり誰も来ないのか。

私の場合はグーグルマップをよく使っておるのですが、ここ数年は細かいポイントの情報も詳しく取得できるようになったので、探索する世界が広がっております。
世の中で一番ヒマでお金を持っているお年寄りが、一番うろうろして観光地を活性化してくれるもんだと思っております。が、その人達がパソコンを使えない情報弱者だとすると、こういう所には中々来ないんでしょうなあ。
うちの義父に今日行ったこの街の事を話したのですが、「そこは観光MAPに載ってる?」という反応でした。残念ながら一般の書籍の案内にはほとんど載ってません。

この前理系学生の息子と話をした。息子に「パソコンを使えるか使えないかで、大きな情報格差が出てる」という事を、詳しく教えてもらった。
幸いにして私は仕事で否応なしに使わなければいけない立場なので、20年前に勉強した(させられた)のですが、同年代ではわからない人も結構います。キーボードが打てない。エクセルがわからない。
息子の年代でも、スマホは使えるけどパソコンは触った事無いという人が結構いて(←ホント)、それが就職格差として影響しております。
義父の年代は、まあ良くてスマホでパソコンは皆無。仕方がありません。例えばお年寄りの登山では、「TVでやってる百名山」って事で、百名山以外の情報を得る機会は皆無だそうだ(義父に聞いた)。

今月中に新しいデスクトップを買う予定でして(もちろんSSDです)、今このブログを書くために使ってるパソコンは、一旦リカバリしてうちの義父に・・・うーん使えるかなあ?
まあ使えなくても囲碁ソフトだけでも(笑)。

ネットの情報は嘘が多いけど、多種多様な意見を見聞きできる。TV新聞しか見ない義父は、「皆が賛成する緊急事態宣言を、何故解除する!」という意見です。それ以外の意見を見聞きしたことがありません。
「コロナなんか大したことない」という私みたいな意見も結構あるので、その事を義父に説明すると、驚いておりました。「そんな意見もいっぱいあるんだ」って。やはりいろんなものを取り込んでから判断するのが一番だと。
情報弱者・情報格差というものを、改めて感じました。
もちろん私が情報勝者という事はありません、絶対ありえません。情報を得ても使いこなせていないのが現実(笑)。こればかりはアホなので、どうしようもないです。

話が脱線してしまった。
しばらく湯谷に向かって走っていくと、愛宕山という看板があったので、登ってみる事に。
上の写真は山頂に近い神社からみた大野宿の全景です。凄い!
うーむ、こんな素晴らしい景色が見れるなんて、偶然のめっけものです。
神社に到着し、ここで休憩して家から持ってきたプロテインを飲む(笑)。神社でプロテインを飲む男であった。
神社の奥から尾根道を山頂目指してどんどん進んでいくが、道どころか踏み跡さえ無い!冬だから草が少ないけど、それでも数か所藪漕ぎをして、どんどん進んで行ってようやく山頂と思われるところに到着。

死んでおります。久しぶりの藪漕ぎで体力使い果たしてしました。雨が降りそうだったので、早々に下山しました。
愛宕山自体は、私の所持してる愛知県付近のガイドマップには全然載ってません。ネットでかろうじて数件引っかかるくらい。
下山してからは国道沿いに走って日帰り入浴施設の「湯~ゆ~アリーナ」から湯谷温泉街を走り、飯田線沿いの地元民しか使わない農道で大野宿まで走る。

いやあ飯田線を見れるなんて良いですなあ。ああ電車の乗って中部天竜駅まで行き、佐久間湖を走ってみたい~。
コメントいただいてる一匹狼様とのやり取りで、「飯田線ラン」というものを決めました。何し交通の便が悪い地域のランですから、中々「仕事の合間を縫って」という今までの方法では難しいと思います。費用も掛かるでしょう。でも日本全国あちこち走ってみたい!飯田線ランは何年かかってもやり遂げたい!
これからも大会から旅ランに少しずつシフトしていくのではないかなあと。やはり旅ランですねえ。

湯谷の民家の軒先には猫が沢山。全然逃げません。ほっこ利してしまった。
2時間かけて、新城市の大野宿~湯谷をグルグル回りました。12キロを2時間かけた(笑)。遅い!

帰りは道の駅に寄って、地酒を買って帰りました。
4年前に乗鞍天空マラソンに出た際に、お風呂で知り合った横浜の方が、
「休みに乗鞍まで来て1泊し、ランニングをして帰りにワインを買って帰るんです」
という話を聞いて、おしゃれだなあと。
私も真似してみました(笑)。
休みの日に新城に来て、ランニングして地酒を買う。
本人は「おしゃれだ」と思い込んでおります、ハイ。

柔道のブログランキングに参加しております、下のバナーをクリックしてね。

にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

帰省してランニング 親父の墓を殴りつける

2021年01月04日 23時37分23秒 | 旅ラン
1月3日 帰省してランニング

2日から1泊2日で、三重県伊勢志摩の実家に帰省しました。
うちの息子が学校を卒業予定・就職が決定しました。勤務先(会社)は関西地方なので、これからは盆正月しか愛知に帰省しません。
私の田舎の伊勢志摩は、息子はこれから多分来る機会が無いと思います。で、私のオカン(婆ちゃん)に最後のつもりで合わせようと(笑)。なんて言ってるけど、うちの婆はそう簡単に死なんやろなあ(笑)。

伊勢に行く途中の国道23号線で見た痛車(笑)。2人して写真撮りまくりです。アホ親子(笑)。
学校の送り迎えで、1~2時間の運転で一緒の事は多々ありますが、1泊2日の小旅行は、中学卒業時の箱根旅行以来です。
うちは割合親とは喋ってくれるので、「お前、今後はどうすんねん」という質問にも、本人なりに考えている事を説明してくれた。
「どうなるかはわかんないけど、高専を出てエンジニアとして就職する場合、ほとんどの卒業生はそこの会社で勤め上げるから、父さんのように転職を繰り返したりしないと思う」
のだそうだ。わははは、私は転職しすぎ(笑)。
でも言い訳させてくれい!倒産とブラック企業しか当たらんかったんやー!

という事は、多分愛知には帰省以外では帰ってこないという事か。勤務先の地方で結婚し、家を建ててそこで一生暮らすつもりみたいです。
まあ仕方がない。嫁さんと私は愛知で終活ですな。寂しいけど仕方が無い。

実家に到着し、子供とオカンが話をしてる間、私が子供の頃過ごした街を走ってみました。
街といっても海に突き出た漁村で、大自然の宝庫です。
「住むにはここしかない!」
と思った事もあった。大いなる勘違い(笑)。
19年前にUターンして田舎暮らしにチャレンジしてみたのですが、仕事が無い!全然無い!食っていけない!
結局嫁と子供を連れて、愛知県の嫁の実家に逃げ帰りました。三重県でも北の工業地帯(北勢地方)では就職先は沢山あるのですが、中勢・伊勢志摩・南西・紀伊地方は、仕事が皆無に近い状態です。

失業の恐怖を嫌というほど味わった30代後半(笑)。
愛知県って良いなあ。仕事がいっぱいあって。愛知県は素晴らしい!トヨタの車は嫌いだけど、トヨタ系の会社には感謝するぞい(笑)。

私がコロナよりも失業を怖がるのは、この時の体験からです。うちの家族はコロナ(風邪)では死なないけど、失業で飢え死にする。路頭に迷う。
お年寄りや病気持ちの人やその家族・医療関係者は、コロナを怖がって当然でしょう。
でもそれとは関係ない人で、「経済よりも命!」と言って叫んでる人は、失業の恐怖を体験したことが無い人・路頭に迷った事が無い・その心配が無い人だと思う。
特に自営業の人達は、「命よりも経済!」なのです(当然です)。コロナで死ぬ確率はほぼゼロに近く、倒産で破産・失業・路頭に迷う事の方が大変なのです。
これをお読みの中年のあなた、会社が倒産したら、アナタはまず再就職できません。現在は景気が悪くて失業率も急上昇しております。
「うちは倒産しません」って会社でも、コロナでANAのように大量の社員をスーパーに出向させるとか(笑)。40~50のオジサンが、スーパーのレジ打ちかあ。バックヤードで野菜切ってたりして。
無理無理絶対無理。1日8~9時間の立ち仕事がまず無理ですな。

どうしても職が無くて、条件も確認せずに30代後半に入社したところがですね、休みが月4回のみ(労働基準法違反)。ボーナス無し・基本給7%カット(事前説明無し)。
私は事務の専門職で入社したのですが、経営が怪しくなると、週の半分昼間は系列会社の飲食店にて、毎日ラーメンを作ってました(笑)。
40のおっさんがいきなりラーメン屋で働らかされるんですよ(笑)。昼間のラーメン屋なんて戦争状態ですから、よほど要領が良くてテキパキ動かないと、仕事になりません。同じく手伝いに来た社員は、大将に怒鳴られっぱなしでノイローゼになってしまいました。
受付の若い女の子が、昼間は草刈り機で請け負った造成地の草刈りをしてました。
バリバリの営業マンが、空いた日にはエアコンの取り付けをさせられていた。
出向なんてこんなもんです。出向させられた人は、体力が持たない・メンタルが耐えられない等で、どんどん辞めていきます。私の場合は、意外にラーメン屋が性に合って、新しいメニューを作ったり(笑)。面白かったです。

まあ何を言いたいかというと、老人・病人・医療関係者・介護関係は仕方が無いのですが、その他の人達が「自粛自粛」と言ってる人達ってのは、失業とか倒産を経験したことが無い人達なんですわ。
「非常事態宣言」に賛成の人は、仕事を無くす可能性が少ない人って事。安全なとこから言ってるだけ。
私の友人の某都心のスナック経営者は、
「絶対に時短せんぞ!ボケ!」
と叫んで無視するとの事。何しろ開店の時の借金が1500万残ってます。老父母が済む家を担保にしているので、返さないと老夫婦も路頭に迷います。
「罰則?やれるもんならやってみい!都知事がなんぼのもんじゃい!」
私も応援しております。

今回の帰省もオカンは、
「近所の手前帰ってくるな」
でしたが、アホかあ!そんなこと言う近所なんぞ踏みつぶしてやるわ!とばかりに、息子を連れて帰りました。電話でオカンに、
「息子と孫に会えて死んだら本望やんか!」
「そうやなあ」
と、結局真昼間から帰ったのだ。夜こそこそ帰るのは性に合わん。

ところが国道23号沿いに帰ったのですが、伊勢・鳥羽市内は大阪ナンバーなにわナンバーの車が多く、
「何や、自粛してへん奴多いやん」
実家の近くの県道では、サーフボード積み込んだ名古屋ナンバーがいっぱい。わははは。

凄かったのは実家の港の堤防でして、他地方の車のナンバーが沢山停車し、釣り客がいっぱい居ました。
観光客はいませんでしたが、コアなサーファー・釣り人は全然自粛してないと(笑)。まあこのくそ寒い中、ウェットスーツで海に入ってる健康な人は、コロナも風邪程度なんだろうなあ。
同じくこのくそ寒い中、岬を走ってるこのオジサンも超健康体です。所詮風邪程度です。

しかし毎回帰るごとに、廃屋が多くなっております。私が子供の頃に見た商店街は、完全なるゴーストタウンになってました。

オカンが、「墓に寄ってお父さんに挨拶してき」と言ってたので、共同墓地の一角にある一族の墓に寄った。
一番端の墓石がうちの親父のもの。
手を合わせて拝んでるうちに、だんだん腹が立ってきた。この親父は若い頃から好き勝手な事ばかりして、私が大学生の時に爆弾みたいな借金残して死んだのだ。
その後私とオカンで、会社と借金の整理でどんだけ苦労したか。
「このバカ親父がー!」
と叫んで墓石を殴りつけたが手が腫れた。ああ私も間抜け。

しかし俺も何書いてんだろ(笑)。
「どこそこの田舎を走りました。キャー綺麗!」
では他のブログと同じなので、あまり興味がわかないと思い、思いつくまま書いてみた。
しかしこの記事では「旅ラン」でも無ければ「田舎ラン」でもないな。
「たわごとラン」と名付けよう(笑)。

柔道のブログランキングに参加しております、下のバナーをクリックしてね。
にほんブログ村
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛知県の山奥・旧小原村を走る

2020年12月14日 03時07分34秒 | 旅ラン
12月11日 金曜日 愛知県の山奥・旧小原村を走る

またもや息子を豊田にある学校に送り、帰りの時間まで豊田の山奥にある旧小原村を走ってきました。
豊田市は、本来は矢作川の中流域だけだったのですが、平成の大合併で周辺町村を抱え込み、愛知県で一番広い自治体になってしまいました。工場があるのは平野部だけで、大半は山です田舎です。
旧小原村は市の中心部から1時間強、北の山奥に入った所にあります。和紙の故郷として有名なのですが、この季節(11~12月)は年に2回(春・秋)咲く四季桜が有名で、花見が出来るのです。これホント。ほんまでっせ。
私の住む西尾市の隣の幸田町に行く峠道に、この四季桜が10本ほどあるのですが、それ以外はほとんど見た事がありません。
小原村は四季桜の祭りをやっておるのですが、今年はコロナの為に中止だそうで、逆に人が来ないので、人混みが嫌いな私にとっては最高の状態なのです。

旧役場・観光協会の駐車場に停めさせていただいたのですが、いきなり二宮金次郎のお出迎えです。
観光協会にも寄って観光地図を頂いたのですが、ウォーキングマップも添付されていました。ただし1周10キロほどで、途中で観光する時間も入れると丸1日かかりそうです。
時間の都合上一部しか回れないので、適当に走り始めました。

とは言うものの、紅葉と四季桜があちこちにわんさか咲いておりまして、足を止めては写真撮影をしております。私しかいない、超贅沢!

街のはずれにある、「家康の腰掛岩」なんだそうです。私も座ってみようかなと思ったのですが、恐れ多いので触ってみただけ。小心者ですなあ。

とにかく村の中はあちこちで四季桜が咲いてる。平日なので観光客も全然いない。私一人の独占である。嬉しい嬉しい。
大阪というゴミゴミした環境の悪い所で育ちながら、どうも人混みは苦手なのである。
マラソン大会の人混みや、電車や駅の人混みは全然気にならない。が、それ以外はダメ。「趣味の分野の人混み」は気にならないという、自分勝手な法則(笑)。
ディズニーに並ぶ人の気持ちは全然わかりません。レア物を買うための長蛇の列もわかりません。でもマラソン大会の受付の列に並ぶのは、苦ではないのです。

途中で出会った「泥ぶち観音」です。泥を当てると願いが叶うそうなのですが、近くに泥が無かったので撮影だけ。しかも泥で埋まって観音様が見えん。
この辺りから坂道が急になり、「坂道ダッシュ状態」になって来た。こりゃあ足腰が鍛えられるわい(笑)。

はずれにある市場城祉です。山城の一周コースはえげつない坂道でした。ここで休憩し水分補給。

ここからは適当にどんどん山に入って行ったのですが、蚕霊山(こだまやま)という低山を目指して走っております。で、先週の岐阜の山奥串原村に続いて、この辺りも熊が出るとの事。
うわー、やだなあ。
ウィリー・ウィリアムスじゃないんだから、出会いたくない。

が、どうやら道を間違えたらしい。行けども行けども蚕霊山は見当たらず。山の手前にある神社も見当たらず。人も見当たらず人家も無い細い林道・・・。
うわあヤバイ。
「道に迷う AND 熊が出る」かも、という理由で、オジサンは慌てふためいてしまった。
ここで熊に殺されて、道のそばの草むらに転がったら、数か月は発見されんだろうなあ。
ああ俺の人生長かった。嫁よ子供よありがとう。こんなアホなおやじですまんかった。
なんて考えてたら民家が2~3軒ある所に出た、
林道の表記を見てたら、どうやらそこは矢作川近くみたい。いつの間にか尾根と峠を越えて、別の水系に来てしまったらしい。

帰ろう。熊が出る前に帰ろう。
と思ったのは良いが、またもや尾根を越えなければいけない。もう足がパンパンである。
山を越え、谷を越え、畑を越えて駐車場に戻ったのは。約3時間後であった。
本日の走行距離15キロ。

いやあ、愛知県にもいっぱい走る所があるわあ。俺が今まで知らんかっただけやあ。
「今まで行った事が無い所を走りたい」
と思うのは贅沢なんでしょうかね。道場も大会も無いので、どんどん出歩こうと思います。
軽バンを買ったので、仕事が終わってから目的に行き車中泊。翌日旅先を走って帰る・・・という事を計画しております。この方法だと電車の不便な中山道を行けるかもしれません。

飯田線の旅、ってのをやってみたいんです。もちろん飯田線に乗る旅でもあるんですが、目的は飯田線沿線ラン(笑)。信州辰野が目的ですが、何なら諏訪湖まで行きたい走りたい。
20代の頃バイクで走った事があるんですが、アップダウンがきついコースなので、1回20キロぐらいが限度ではないかなと。車で現地に行ってランニングし、電車で車まで戻る・・・というパターンになると思います。

東海道ランのほうはですね、この春までに箱根越え32kmを計画しております。途中で一泊するか?一日で一気に越えてしまうか?現在迷っております。その頃までGOTOやってたら、良い旅館に泊まれるかも(笑)。
その前に、滋賀県内の貴生川~瀬田間30kmは走ってしまおうかと考えてます。1年以内に東海道は完全制覇!が目標です。

やはり俺には自粛は無理だ(笑)。する気もないです。

柔道のブログランキングに参加しております、下のバナーをクリックしてね。

にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熊が出る岐阜串原村を走る

2020年12月06日 23時44分40秒 | 旅ラン
12月3日 木曜日 熊が出る岐阜串原村を走る

休みなので息子を豊田の学校まで送った。で帰りの迎えまで時間があったので、山奥をランニングしようと、車を豊田市の山奥に走らせていたら、いつの間か岐阜県に行ってしまった。
行先を決めずに車を転がすと、こうなります(笑)。
で行った先は日本大正村。

見てください。物凄い混雑。しかも出歩いては危険なお年寄りが凄く多い。こりゃあTVが「お年寄りは出歩くな!」って言っても誰も聞いてないわ。
コロナが怖いとは思っていないのですが、人混みは嫌いなので早々に移動。6キロ離れた「ささゆりの湯」という温泉施設に行きました。ここはキャンプ場が混んでたぐらいで、温泉は普通ぐらいの混みようです。
ここからランニング開始!

パンフによりますと、ささゆりの湯がある岐阜県恵那市串原村は、東海自然歩道や滝も沢山あり、なかなか観る所が多いです。いつも温泉しか使っていませんでした。知らなかったとはいえ、今まで何度も来てるのにもったいない。
すまぬすまぬ、串原の人達よ。

さっぱり地理がわからないので、適当に2時間ほどあちこちを走りました。こんな小さな村に大きなお寺があった。黄梅院というお寺でして、1600年頃からある由緒正しい名跡です。東海自然歩道がここからは入れたので、山道も久しぶりにトレイルラン。

串原村には七つの滝があるのですが、そのうち3つを走って回りました。上の写真は「お軽の滝」という名前のもの。
昔雨が降らなくて、お軽という女性が雨乞いのために命を捧げたそうです。そういう伝説です。

天気は曇りでしたが、山道・林道・里山をゆっくり走りました。特に行き当たりばったりで山道(林業用の踏み跡)を走ったのは、気持ち良かった!
また今度来よう!

と気分よく山道から降りたところに、こんな看板が。
知らんかったとはいえ、俺の走ってた山に熊が出るのか・・・冷汗。こわー!
しかも最近やんか。いくら私が格闘技をやっていても、熊には勝てません。一撃で頭を砕かれて終わり。
皆さんも山を走る時は注意しましょう。死んだら終わりです。

柔道のブログランキングに参加しております、下のバナーをクリックしてね。
にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土浦市内観光ランニング クラスターの発生現場

2020年11月25日 04時52分39秒 | 旅ラン
11月20日 金曜日 土浦市内観光ランニング クラスターの発生現場

さてさて土浦駅前のホテルに入ったのが3時過ぎ。荷物をほどいて着替えてから、晩飯買い出しを兼ねてランニングに出た。
事前に調べて来たのですが、土浦はホントに素晴らしい田舎です。こんなに良い所は無いと思うくらい。

東京から土浦まで電車で移動する際に、私が今まで思い込んでいた関東地方への認識が、大いに誤ってる事に気が付きました。
私、関東って巨大で凄い都会だって思い込んでました(笑)。

箱根の関を越え、関東地方に初めて来たのが大学生の時。神保町の古本屋を中心に廻った事を覚えております。翌年も同じく神保町・・・って、古本屋廻りかい!ダサい大学生だなあ(笑)。
就職して2年目に、神奈川県の相模原に1か月仕事で行った。この時はひたすら仕事。
で、4年前に仕事(研修)で東銀座に1拍。
2年前1年前に息子のロボコンで2年連続両国国技館・・・。
私の関東への遠征はたったこれだけ(笑)。
ですから、関東と言うと東京のイメージしかなく、それが関東地方のイメージにも膨らんでます。
「関東って凄いなあ」
「三千万人だって」
「関西圏の2倍あるよ」
「中部圏の6倍だ」
関東平野の隅から隅まで人が満ち溢れており、建物が乱立しているイメージでした(笑)。アホですな。
だから昨日土浦へ向かう電車内から、利根川を越えた瞬間に広がる畑を見て驚いた。
「えっ?こんなに自然があるんだ」

という訳で、私の住む愛知県ほど田舎では無いのですが、それでもゴミゴミした都会ではなくて、非常に親近感が持てる地方なのです。
今回は観光目的に市街地内を走りましたが、明日は霞ケ浦を歩くと思うと、わくわくなのです。来て良かったと思う。

でホテルから出て最初に駅の反対側に出た。そこは市役所と商業施設の複合ビル。
変わっとるなあー!
普通市役所は市役所で独自の建物なんですが、ここはでっかいビルの中に市役所が入っております。店子です。
実はこの市役所で最近クラスターが発生し、21名の感染者が出たのです。女性市長さんが平謝りに謝ってるのを拝見しました。
まあこんだけ広まったら、気をつけてもどっかで拾って来るわなあ。市長さんや感染した人達の責任ではないので可哀そうです。

ちなみに友人の会社の計算では、「無症状感染」の率が非常に高いので、おそらく感染者は11万人ではなく、110万~660万人は居るとの事です。この差は無症状感染率という係数によって、大きく変わるとの事です。
すまん、それ以上は説明聞いても、難しすぎて全然わからんかった(笑)。
真ん中の300万人としても、もう抑え込みなんて無理ですな。いつ罹ってもおかしくないので、まあその時はその時だ(笑)。
私やうちの家族にとっては単なる風邪なので、葛根湯を飲んで寝てよう。
「いつか感染する風邪」なら、ビビっても無駄なので、今後は自粛しません。バカバカしい。「人にうつさない」事を前提に、あっちこっちに出歩こうと思います(笑)。

詳しくは調べておりませんが、土浦は城下町なので、こういう古い街並みも保存されております。大徳という旧家にお邪魔して見学させていただきました。

中身はこれ。花火の模型がドンと置いてあった。夕方で誰も居なかったので、寝転んで写真撮影。独占です。

旧家のかたまる通りを観光ランしてから、土浦城跡の公園に行きました。夕方なので近所の家族連れしかおりません。ここで休憩。

この後は市内をグルグルランニング。ホントに普通の地方都市です。市街地はともかく、ちょっと離れると畑が広がる景色の良い街。ホントに親近感が持てる。

観光地図を見ても走る所が思い浮かばないので、明日の会場を見に行きました。外から見ても立派な施設!
明日ここから出発するのかあ。
と思っていたのですが、実は大いに勘違いしておりました。

夕陽の土浦港の写真です。ヨットハーバーです。
この後はネットで予約してあった居酒屋さんに行き、テイクアウトのおつまみメニューを買ってから、酒も買い込んでホテルで一人宴会です。で、眠くなるまで読書。読む本は時代小説って最高じゃないですか(笑)。
旅ランと酒と時代小説、これが私の贅沢です。

本日の走行距離 10キロ。ホントは明日大会だから、休まないといけないんですが、こんな素晴らしい所に来て走らないなんて、もったいない(笑)。

柔道のランキングに参加しております、下のバナーをクリックしてね。

にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福山市観光トレーニングラン

2020年09月28日 00時03分34秒 | 旅ラン
9月22日 火曜日 福山市観光トレーニングラン

「しまなみ海道ウルトラフリーウォーキング大会」の後一泊し、翌日早朝ランをしてから、高速バスにて福山に寄りました。ほぼ半日かけて観光ランを行うのが目的です。近畿地方・東海地方にしか住んだ事の無い私にとって、四国や中国地方はほとんど地理もわかりません。
「えっと、明石の次は姫路で、その次にある大きな街って岡山で、次は尾道かなあ」
尾道は行ったことがあるので、少しだけわかりましたが、「しまなみ海道」に参加するまでは、福山市ってどこ?という認識ぐらいなのです。事前に少しだけ下調べをしていたので、観光ランをやってみました。

じゃーん!この格好で走ります。荷物の大半はコインロッカーに預けました。
で駅前の観光センターに行き、観光マップを頂きました。やはり福山も今治と同じで、御城が観光の目玉です。駅の目の前が福山城なので早々に走る。

GOTOキャンペーンで私以外にも観光客は結構いました。ただ残念な事に、福山城博物館と天守は、現在改装修復工事のため入れません。残念!

お城はかなりデカいです。今治城の倍以上ありそう。岡崎城よりもでかい!西尾城・・・比べる私がバカでした(笑)。

城内の初代藩主水野勝成公の銅像の前でランニングポーズ!なかなか決まってますなあ(笑)。
お城の周りには、美術館・博物館・文学館などがあり、今回は美術館に寄ってきました。「かわいい?作品たち」という特別美術展をやってましたので、休憩がてら2時間ほど見学。

美術館の外にもいっぱい銅像・モジュールが建っております。上の銅像でちょつと吹き出しを入れてみました(笑)。わははは。

お城の周囲2~3キロには、いくつもの神社仏閣が沢山あり、ランニングをしながらほぼ全部を回ってみました。で、その中で気になったものをいくつか写真で。
上の写真は「宮本武蔵腰掛岩」です。パッと見、
「こりゃあ踏み台昇降にええぞ」
と思ったのですが、尊敬する武道家なので(ホンマかいな)、恐れ多くて触る事も出来ませんでした。

八幡神社の階段です。誰も居なかったので階段ダッシュを10本(笑)。ひいはあ、気持ちええ。

護国神社の階段です。ここは参詣者が降りましたので、階段ダッシュは1本のみでした。

稲荷神社のお百度石です。お百度石は初めて見ました。しかも小さな神社なので誰もいない。
「よおし!やってみよう」
お百度です。知ってる方は知っていると思いますが、神社の入り口から石畳を裸足で歩いて参る、これを毎日100回やり続けると願いが叶うという風習です。すいません、時代劇で見た事しかないので、間違ってたらごめんなさい。
で、これって走ったら「シャトルラン・トレーニング」やん。
もちろん裸足ではありません。入り口からダッシュして神社の前でタッチして、再び戻って・・・を100回繰り返す。トレーニング版お百度参り(笑)。
やってみました(笑)。50回を過ぎたあたりから、足に来はじめました。100回終わってへたり込んだ。
神様に、「トレーニングさせていただいて、ありがとうございます」とお礼を言い、賽銭箱に、久しぶりに千円札を入れました。

市の中心部から西側に走り、芦田川に出ると、一気に視界が開けました。気持ち良かったので、川沿いを走ってみました。気分最高です。汗が気持ちいいです。

途中から市内に戻り、JR西日本の福塩線沿いに南下し、再び福山駅に戻った。
福山市内は面白かったです。お城・美術館・城下町の古い神社仏閣・景色の良い地域。コースはマップを見ながら大ざっぱで走りましたが、半日かけた観光ランとしては良かったと思います。
旅ランは面白いですねえ。

柔道のブログランキングに参加しております、下のバナーをクリックしてね。

にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歩いて今治市内観光をするバカ

2020年09月27日 00時15分04秒 | 旅ラン
9月21日 月曜日 歩いて今治市内観光をするバカ

ゴールしてから30分ほどは、皆さんの応援に回り手を振ってました。でもさすがに体の臭いが気になって来たので、エイドの皆さんに荷物を預かっていただき、目の前の「喜助の湯」に飛び込んだ。
いやあああああ最高!
特に歯を磨きたくって仕方が無かったので、歯ぐきから血が出るくらい磨きました。
お風呂から出てゴールエイドに戻り、荷物を受け取って皆さんとお別れ。お世話になりました!他の大会にも出させていただきます!その時お会いしませう!

と別れたのは良いが、朝の10時である。ホテルのチェックインまでどうすれば良いのだ?
1、 公園やベンチで寝る(昨年今治城でやった)
2、 マンガ喫茶で寝る
3、 市内観光する
昨年と違い足にマメは無いので、歩くのには支障は無い。疲れてるだけだ。という訳で市内観光をすることにした。要はこの男は貧乏性なのだ。
駅で市内の観光マップを頂いたが、一番行きたいと思ったタオル美術館は、14キロも先にあるので、簡単に行けない。直通バスが無い、タクを使うしかない。一瞬「歩いて行こうかな?」と思ったが、余りにもバカな発想に自分自身に呆れた。
仕方が無い。昨年と同じく今治城でも見るかあ。と歩き始めた。

まずは造船の街今治のシンボル「巨大スクリュー」を見る。ここまで2キロ歩いた。しんどい。

道に迷いながら、港にあるナマズみたいな建物を見に行った。こりゃあ何じゃあ?
名前を見たら「みなと交流センター」とありました。なーんだ公民館か。「なまず公民館」と名付けよう(笑)。
そこから今治のアーケードをうろうろする。大半の店が閉店してゴーストタウンになっております。そうこうしてるうちに今治城に到着。

ここでグルグル回りながら写真撮影。観光客に混じってあちこちをうろうろ。今治城を見学した後は、国際ホテルを見て駅前に戻った。
あかん、俺って何してるんだ。
徹夜のウォーキング大会で80キロ(正確には77キロ)歩いた後、また歩いてるやん(後で計ったら、観光で7キロ歩いておった)。
俺ってバカかもしんない。

今治駅前のサイクリングターミナルには、大きなテーブルとベンチがあるので、そこでうっぷしてホテルのチェックインまで休憩。私の隣には、部活帰りの高校生達が、「明日試験だあー!」と叫びながら皆で勉強してました(笑)。
大道塾のOYJ@60様に、「今治は焼き鳥が名物ですよ」と聞いてましたので、チェックインの際フロントに、お勧めのお店を聞いたところ、近くにあるとの事。
よし、一休みしたら行ってみよう。と思ったが、つい寝入ってしまい起きたら夜の11時半(驚)。結局コンビニへ行って弁当と酒で済ませた(泣)。しくしく。

いかんいかん、こんなんでは今治を体感した事にはならん。全然ダメではないか。
という訳で、翌朝5時に起きて、5時15分から昨日とほぼ同じコースをランニングしてみました。上の写真は早朝の今治駅です。誰もいません。

夜明けのプロペラです。昨日とは顔が違う(笑)・・・なんて言ってますが同じですよ同じ。

夜明けのナマズ公民館です(笑)。ここも昨日とは雰囲気が違う・・・同じだ(笑)。
この男、要は汗をかきたいだけではないか。

夜明けの今治港です。昨日この海を渡って来たと思うと感慨深い。これは本当の感情(笑)。

夜明けの今治城です(笑)。ここは3回目なので見飽きた(笑)。
うーむ同じコースでも徒歩とランニングの違いはあるものの、あまり新鮮味が無い。違うコースにすればよかったかもしれん。
旅ランが好きで記事によく書いておりますが、昨日歩いたコースをもう一度走るのって、やはり記事的に面白くない。「今治旅ラン」は失敗だったと思う。何か書く気が起こらん。
やはり「初めての街・初めての路」という新鮮さが無いと、ワクワク感が無いので筆も進みません。記事の写真も同じのを2回載せるしかないのだ。今治は素晴らしい街なのですが、街を体験しようとする私が安易に考えてました。
やはり無理してでも、昨日観光ランをしておけばよかった。

とはいえ、昨日来島海峡大橋で空手の練習をした際、今まで味わった事の無い満足感があった事を思い出しました。
そうだ、旅先の名所でも景色のいい場所でもいいから、自分の気に行った所で、いつものルーティンワーク(格闘技のです)をするのは新鮮じゃん。

海上保安庁の巡視船近くの芝生広場で、空手のシャドーです。2分を3セット。わははは気持ちいい!

柔道を休んでしまったので、エア打ち込み100本です(笑)。これも気持ちいい!
やりたいことをやれば良い、って事に気がついた。
よし、ホテルに帰って一寝入りしてから、福山に行こう!

今治の早朝ラン7キロ、シャドー・エア打ち込み稽古30分ほどでした。今回の記事は中途半端です。ごめんなさい。
「これを書こう!」「このテーマで書きたい!」というものが無いので、自分でも面白くありませんでした。ずびばぜん。

次号予告、福山で体力の限界を味わうオジサン

柔道のブログランキングに参加しております、下のバナーをクリックしてね。
にほんブログ村
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分の田舎を走るのは何年ぶりだろう?

2019年12月31日 21時23分39秒 | 旅ラン
12月29日 日曜日 自分の田舎を走るのは何年ぶりだろう?

昔お世話になった親戚が亡くなった。葬式には間に合わなかったが、土曜の昼から実家の三重県志摩市に帰り、仏壇に手を合わせに行ってきました。
亡くなったのは叔父ですが、秋に会ったのが最後です。寿命を全うしたので、悲しいという気持ちはあまりありません。が、私を実の子のように可愛がってくれた叔父さんなので、「この人の親戚で良かったなあ」という感慨はあります。
田舎の親戚も段々皆亡くなっていきます。うちのオヤジが死んだのは59歳の時で、私は当時まだ学生でした。あと3年で死んだオヤジと同じ年齢になると思うと、
「俺もジジイになったなあ」
ええい、まだ老けるのは早いわ。まだまだやりたい事が沢山あるので、当分はガンガン動き回るぜい!
実家に帰って久しぶりにランニングをした。朝の日差しを浴びながら実家のある志摩市大王町波切の集落を出て、隣の船越集落まで走る。上の写真は船越の浜です。風も無く波も無く、暖かくて走りやすい。
私の住んでる愛知県西尾市も田舎ですが、この志摩市は「30年後には自治体消滅」が噂される地方都市です。特に市の中心部から離れると、限界集落だらけ。空き家ばかりです。
西尾市ならこんな天気の良い日なら、時々ランナーや家族連れと出会うのですが、出会うのは車か乳母車を引いたお婆さんばかりでした。
足を延ばして志摩町片田の浜まで足を延ばす。いい天気だなあ。
私が走ってると、地元民の年寄りが、奇異な目で見てくるのには参った。ランナー自体がほとんどいない位の田舎なので、珍しいのかもしれん。
ここで片田稲荷にお参りした。賽銭箱に100円玉入れるという、私にしては大判振る舞い(笑)。ここで折り返して帰りましたが約1時間8キロのLSDでした。

帰りの車で、「どうやったら老けずに済むか」という事を延々と考えておった。くだらないとはいえ、オジサンは若作りに必死です(笑)。
会社でも同年代の50歳代は、「動けない・反応が遅い・頑固で融通が利かない」人が多い。俺もその中に入ってるんだろうなあ(笑)。
気を若く保つには、やはり美しい女性の目を気にしないと、格好までだらしなくなってしまうのだ(注:嫁を除く)。まずは姿かたちを整えるべし!
とりあえず家に帰ったら白髪染を(笑)。

柔道のブログランキングに参加しております、下のバナーをクリックしてね。
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大阪出張 大阪城と中之島を走る

2019年09月14日 05時15分41秒 | 旅ラン
9月9日 月曜日 大阪出張 大阪城と中之島を走る

仕事で大阪に来ております。かつて大阪に住んでいた人間ですが、仕事で行くのは東京が多く、西に来た事がありません。
「せっかく来たんだから走ろう!」
と考えるのは、ランナーの性かもしれん。

夜の9時に長堀橋のホテルを出発。そのまま松屋町(まっちゃまち)を駆け上がって本町通に出てから。大阪城を目指します。
あかん、土地勘鈍ってもうた。
松屋町は玩具の問屋街なので、大学時代にサークルの合宿用に、大量に花火を買い付けに来た思い出があります。
しかし何だな、やたら外国人が多い。夜中でも旅行鞄持ってうろついてる外人さんがいっぱい。昔の汚い大阪はどこ行ったんやあ?
あちこちにいた浮浪者は、ちょっとしかおらんやないかー。
と考えつつ走って、NHK大阪を通り過ぎて大阪城の南のお堀に到着。思ったほどランナーが多くない。たまにすれ違うくらい。
うーむ、もっと多いのかと思ってた。これではうちの近くの安城公園の夜のランニングコースの方が、人数は多いのではないか、と思うくらい。
ランニングに適した内堀通りです。全然ランナーがおらん。
皇居の周りのランニングコースを、ユーチューブで見た事がありますが、あの狭さに比べたら、むっちゃ走りやすいです。もったいない!
ライトアップされた大阪城です。でかくて素晴らしい!
岡崎城と比べると、インドのタタ自動車とぐホンダNSXぐらい差がある(←比べるなよ)
西尾城と比べると、西尾市佐久島連絡船と護衛艦ひゅうがぐらい差がある。
東条城(うちの近所にある、戦国時代の砦跡)に比べると、うちの嫁さん(身長148センチ)と、人間山脈アンドレ・ザ・ジャイアントぐらい差がある(笑)。
内堀から見た大阪ビジネスパークの高層ビル群である。私が25歳の時に、ゴジラにぶっ壊された(笑)。

ランナーは少なかったけど、ウォーキングの人や、御堀で夜釣りの人が多かった・・・って、看板に「釣り禁止」とデカデカと出てるやないかあー!
大阪人のモラルの低さは、そりゃあもう低い事は昔から分かっております。今回のランでも、車が来ていないと赤信号を無視していく人がいっぱい。ほぼ全員が無視してた。律儀に守っていたのは私ぐらい。うーむ。

天満橋の大阪マーチャンダイズマートビル(略称OMMビル)の横を通り、中之島に入る。
OMMビルは、私が小学生の頃は大阪で一番高く、よくオヤジに連れて行ってもらったなあ。あれから50年経つのか。
中之島は夜の散歩の方々がチラホラおられました。ビジネス街なので平日の夜はこんなもんなのかな?
暑いけどとにかく気持ちが良い。昨日のマラソン大会での熱中症が嘘みたいです(笑)。
新潟在住の仮装ランナーYOU様は、仕事柄日本のあちこちを出張で飛び回っておられ、出先で「旅ラン」を良くされております。出張は大変だと思いますが、ちと羨ましいです。
知らない道・知らない町・知らない地方を走るのって、わくわくするじゃないですか。きっかけがあれば、どんどんあちこちを走ろうと思う。
「東海道ラン」「伊勢湾一周ラン」「矢作川ラン」「豊川ラン」ってのは、そのきっかけ作りです。
有名な中之島公会堂です。ここの交差点のベンチで休憩。休憩している私を、女性ランナーが追い抜いていきました。
淀屋橋から御堂筋を北上して梅田に向かって走りました。梅田に近づくにつれて人が多くなり、ついでに酔っ払いも多くなってきました(笑)。皆キタ新地や東梅田界隈の雑居ビルで飲んでるのかな?わははは。
人が多いので走るのはやめて歩いてます。
曽根崎警察を過ぎてから、東梅田駅の地下街に入り、そこからUターンして地下道を南下していきます。梅田第二~四ビルの地下道は、全く人がいない状態でしたので、思いっきり走りました。
地下街を全力疾走する経験なんて、滅多に出来ません。気持ちいい~。

地下街を出て御堂筋を南下し、本町筋からホテルに戻りました。約1時間50分12キロの観光ランでした。
都会を走るのは、やはり夜が一番気持ちええですなあ。夜景を見ながら走るのは最高に良いです。昼間の都会は排気ガス等で嫌いだけど、東海道ランも都会部分は夜ランにすればよかったのかもしれません。
旅ランは最高!

中年の頑張ってる方は、下のバナーをクリックしてね。
にほんブログ村 格闘技ブログ 柔道へ
にほんブログ村
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猫になりたい

2018年08月14日 08時26分44秒 | 旅ラン
8月12日 日曜日 実家の漁師町は猫の天国であった

お盆休みです。昨日の空手の練習後は、高校生の息子を連れて実家に帰りました。
渋滞で7時間かかった。愛知県の飛島付近から、三重県の鈴鹿近くまで延々と続く渋滞。
実家に帰るのも一苦労です。
さて翌日息子を叩き起こし、実家近くの港町をジョギングした。風があり海は結構荒れてました。子供の頃はこの海岸で泳いでたのですが、今は地元の小学生でも学校のプールでしか泳ぎません。確かにこんな波では素人は死ぬ。
集落を駆け上がっていくと、いるわいるわ。猫がわんさか。
野良猫です。野良といっても漁港なので食べる魚はごまんとあります。地域で飼ってるようなものです。
私と息子を見ても、全然逃げません。細い道で車も通らないので、道の真ん中で寝てる豪の猫もいる。
部活と学校のカリキュラムで、寝る時間も削ってる息子は、
「羨ましい!俺も猫になりたい」
格闘技と会社の仕事で、寝る時間も削っている私は、
「羨ましい!俺も猫になりたい」
このくそ暑い中、猫を見ながらジョギングしてたお盆休みであった。
ああ、猫になりたや。

柔道のランキングに参加しております、下のバナーをクリックしてね。
にほんブログ村 格闘技ブログ 柔道へにほんブログ村
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

箱根で火がついたおっさん

2016年03月30日 20時22分37秒 | 旅ラン
3月27日 もっと走りたかった箱根

夜中に花粉症で起きる事は全然ありませんでした。ホテルリカーブの空調設備は完璧です。久しぶりにぐっすり寝れました。
5時半に起きて、早々に着替えてホテル近くを走ってきました。7時15分から朝食の時間なので、6時半までには戻って温泉で汗だけでも流したいので。大慌てで出発。
こんなコース。最初はホテル裏側の別荘地を走ってたのですが、ちょっと物足らないので、昨日行ったポーラ美術館への坂道にチャレンジ!
この坂道、マジできついです。
ほぼ前傾姿勢で、景色は見る余裕がありませんでした。峠にある美術館に到着した時は息も絶え絶え。
この2週間の花粉症の打撃で、ほとんど走っていない且つ体が弱ってるので、目に見えて体力が落ちてるのがわかります。
鈍ってるなあ。

さて本日の旅ランは、45分6キロだけであった。朝食後は時間があまり無いので、もう一度風呂に入ってからチェックアウト。
箱根を出て東富士五湖道路から富士パノラマラインを通って、裏富士を見ながらぐるっと富士山を一周しようという計画。もちろん途中でも観光します。
観光の記事を書いても受けないので、普通の記事はスルーしますのでご容赦のほどを。
裏富士である西湖辺りのドライブインで撮った写真である。ここからは鳴沢氷穴に向かいました。
江戸時代の夏の将軍様に献上する氷を保管していた穴ですが、頭をゴチンとぶつけて、目から火花が飛び散った。
近くの富岳風穴である。ここは氷柱のライトアップが綺麗でした。写真上手く撮れません。観光客でいっぱいでした。中国語も飛び交ってました。英語も飛び交ってました。
大阪弁も飛び交ってました(笑)。
おまけです(笑)。青木ヶ原樹海で、杉の大木に正拳突きをする、お約束のオッサンです。
この格闘技バカは、いつもいつもこんな事ばっかりしとる。写真を頼んだ息子は、嫌そうな顔をしてました。
精進湖辺りの道で撮った富士山です。この辺りまで来るとより一層はっきりと見えてきました。私たち以外も路肩スペースに車を停めて、写真撮影してる旅行客がいました。
朝霧高原の道の駅で撮った富士山です。こっちも綺麗だったのですが、反対側の山が凄かった!
うーむ、もしかしてこの山を、ウルトラトレイルMt.FUJIの選手は走るのか。
ウルトラトレイルMt.FUJI(以下UTMFと略す)は、国内最高峰のトレイルマラソンでして、超エリートランナー2400名が、富士山の周りの山160キロを2昼夜かけてはしるという、とんでもない大会です。
仕事関係で知り合った人が、このレースに参加しております。鉄人達のレース。ユーチューブで検索すると動画が見る事が出来ます。
世界は広いです。凄い人はいっぱいいます。
白糸の滝を見学し、ここも外国人観光客が沢山いた。白人が多かったですねえ。ロシア人グループがソフトクリーム食ってたな(笑)。
白糸の滝から見た富士山です。ここらへんから高原地帯を出て人家が多くなってきます。
でもこんな所を自転車でツーリングしたら気持ちいいだろうなあ。
今年から子供が進学し、あまり私達夫婦の相手をしてくれなくなります。土日も遊んでくれないでしょう。親たる私も子離れして、一人でツーリングをしてみようかなと。
テント積み込んで、野宿しながら富士山一周かあ。やってみたいなあ。
最後は三保の松原で富士山を見ようと思ってたら、全然見えず(笑)。中国人観光客のパワーに圧倒されてから、家路につきました。

帰りの高速で運転しながら考えていたのですが・・・火が着きました。
箱根でランニングされていた多くのランナーさん達を見てますと、今の私の停滞状況ではいかんなと。
昨年秋からのマラソン大会は、子供が受験という事もあって、参加数を大幅に減らしておりました。しかも今年は毎年出てる知多のウルトラが開催されない事もあって、何かこう欲求不満が溜まっております。
ああ暴れたい(笑)。汗をかきたい、ひいひい言いたい(←変態か?)。
UTMFの選手に比べたら私なんぞ鼻くそランナーなのですが、それでももうちょっと出てみようと考えております。

実は6月の「乗鞍天空マラソン」ですが、仕事の忙しい時期とも重なってるので、参加を躊躇しておりました。でも火が着いてしまったので(笑)、帰って早々に参加の申し込みをしました。
ダメだったら辞表を書いて・・・ってのは嘘(笑)。仕事は・・・まあ何とかなるわい(笑)。
それまで体重を4キロぐらい減らそうと思います。これが一番しんどい!

中年の頑張ってる皆さん!下の柔道バナーをクリックしてね。
にほんブログ村 格闘技ブログ 柔道へ
にほんブログ村
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

箱根仙石原を走る52歳のおっさん

2016年03月29日 19時38分57秒 | 旅ラン
3月26日その2  箱根仙石原を走って、中国人母娘に道案内をした

私の趣味に「旅先でジョギングをする」という旅ランがあるのですが、きっかけは10年近く前に韓国に旅行に行った時、興味本位でソウルの街中と漢江を走ってみた事です。
夜にアメリカ軍基地の横を走ってみたり、漢江にかかる全長2キロの橋をいくつも走ってみたりと、刺激的で面白かったのがきっかけ。
普段とは全く違う景色の中を走るのは、そりゃあもうとてつもなく気持ちが良い。
仕事が中々休めないので、旅行自体が少ないのですが、行った先は必ず走っております。外国はまだ2回しか行った事が無いのですが、仕事の出張とか用事で地方に行った際は、毎回ワクワクして走ってます。
多くのランナーさんも、「旅ラン」を趣味にしてる方がおられるんですね。リンクさせていただいております方も何人かおられますし、「旅ラン ブログ」で検索すると出るわ出るわ(笑)。
今回も家族の冷たい視線を浴びながら、箱根の仙石原を走ってみました・・・というのが、家族も誘ってみたのですが、私以上に花粉症がひどい嫁と子供は、
「絶対にやだ!」
・・・やっぱりそうなるかあ。

リカーブ箱根というホテルを3時半ごろ出て、5キロ先の芦ノ湖畔の桃源台に行って帰ってくる計画でした。途中のススキの広大な野原を見て走ってみたい・・・
野焼きされてました(笑)。ススキが全然無し。後ほど調べた所、3月中旬に野焼きが行事としてあるそうです。まあ何とタイミングが悪い(笑)。
野焼き後の景色も中々でんな~。
テロテロと走って、林の中の坂を上ったり下がったりしております。ここいらへんは保養所や別荘などが点在してる地域。昼以降陽射しが出てきましたので、汗も結構吹き出しました。
細い歩道を走っておると、前方のバス停に観光客2名がおりまして、すれ違う時に、
「スイマセン、道をオシエテください」
と片言の日本語で尋ねられました。外国の女性2名です。見た目は日本人と変わらないので、多分中国系の人だと思います。お年寄りと30代くらいの女性。
「この旅館にイキタイデス。場所がワカラナイです」
プリントアウトしたらしい案内には、バス停近くのプリントアウトした大きな案内が書いてあって、バス停徒歩4分と書いてある。
「ごめんね。私も旅行者なので、全然わかんない」
と言うとがっかりした模様でした。
うーんうーんうーん、探してみるかあ。
「その用紙ちょっと貸して」
プリントアウトされた用紙の端に、旅館の連絡先と思われる番号が2つあったので、自分の携帯で電話してみる。・・・・・ダメだ、つながらん。
「徒歩4分という事は、多分近くだと思う。ちょっと探してくるから、ここで待ってて」
申し訳なさそうに二人は謝ってくる来る。
まあ仕方が無い。時間もあるし見つけてみよう。
バス停から数百メートル南下して、大きなホテルを見たが名前が違う。枝道もあったがこちら方面はその旅館はなさそうだ。北上して戻り、
「こっちには無さそうです。反対側に行ってみましょう」
と北側に行くと100メートル先で地域地図を見つけた。
「もしかしてここじゃない?」
「ソウデス。この名前です」
長寿湯と書いてある旅館だ。よっしゃあ!大体の位置が分かった。
お年寄りの女性がゆっくり足を引き摺りながら歩いてきた。
「お母さん足がワルイの。でも助かりました。アリガトウゴザイマス」
うーんうーんうーん・・・・・・・・・わかったー!旅館まで送り届けてやるわあ!
お母さんの手を引っ張りながら道を行くと、分岐点から先は舗装路ではなく遊歩道で、しかも傾斜が無茶無茶きつい。ほとんど登山道だ。
「ちょっと待ってて、見てくる」
登山道を駆け上がると、そこに建物がありどんぴしゃ!
足の悪い年寄りには無理だ。大きく回る道は・・・見た所数百メートル大回りである。
戻って娘さんにその事を伝える。娘さん困ってしまった。
うーんうーんうーん・・・・・・よっしゃあー!俺が担いでったるわあ!
遊歩道の階段を、年寄りを肩に担いで登るのはしんどい。たった50メートルの距離なのだが、汗が噴き出してきた。もう限界という所で登り切り、そこが建物の入口であった。
「ちょっと待ってて、娘さん引っ張って来るから!」
中国語でしきりに恐縮するお母さんをガードレールにもたせ掛けてから、坂道を下る。娘さんは大きなキャリーバックを持っていて、登山道の途中で大奮闘である。
「荷物ちょうだい!」
とキャリーバッグを引ったくって駆け上がりお母さんの所に運ぶ。娘さんもようやく追いついた。
「ココデス。名前がアリマス。とてもとてもアリガトウゴザイマス」
何度も頭を下げる母と娘に照れくさくなったので、逃げるように離れてしまったのだが、今考えたら娘さんは結構美人だったので、写真ぐらい撮っておけばよかったなと後悔する(笑)。決して若い女性だから助けたのではない、という事をはっきりと言っておく。
桃源台に向かう県道を走りながら、あの娘さんは日本語話せたから出稼ぎかも。溜めたお金で親孝行で温泉旅行かもしれんなあ、などと考えてしまった。人それぞれ人生有りですなあ。
さて山を駆けていくと30分後に桃源台のロープウェー駅と遊覧船折り場の建物に出た。
ここで夕陽を見ながら休憩。
ここで白髪の夫婦のジョギングを見ました。凄いなあ、お年寄りで旅ランかあ。いやはや50の若造の私は脱帽です。
折り返して北側を見ますと、噴煙が上がっておるのを見ました。あの方向に火口があるのか。本日は噴煙のせいだと思いますが、ロープウェーの一部が休止しております。
さて帰り道は同じ道では面白くないので、別荘地の中の道をくねくねと行きました。静謐な森の中で気持ち良かったです。
が途中道に迷って10分ほどうろうろして、ようやくホテルの建物を見つけて帰ったのは2時間15分後でした。
12キロぐらいしか走ってないのですが、中国親子の道案内と、自分が迷路のような別荘地で迷ってしまったので、思いのほか時間を食ってしまった。
その晩はバイキング・・・このホテル(リカーブ)の飯は美味かった!結構食通の嫁さんが絶賛しておりました。確かに美味い。建物は古いけど飯は3つ星です。
疲れてたのでお爺ちゃん・嫁さん・私・息の4名は10時を待たずして轟沈した。
明日は、「ぐるっと富士山一周、青木ヶ原樹海で正拳突きをするオヤジ

中年の頑張ってる皆さん!下の柔道バナーをクリックしてね。
にほんブログ村 格闘技ブログ 柔道へ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

箱根5区に大興奮するT岡一族

2016年03月28日 19時38分39秒 | 旅ラン
3月26日 箱根5区に大興奮する家族

連休3連休などが中々取れないので、今まで一家揃って旅行をした事はあまり無い。息子の卒業and入学祝に、箱根に一泊旅行をしてきました。
一泊って・・・三連休は取れない(笑)。しくしく。
普通の旅行記なんぞ書いても全然面白くないので、そこらへんは適当に流します(笑)。
朝6時過ぎに出て新東名を東京方面に向かいます。途中の静岡SAでガンダムのショーウィンドーがあったので、パチリ!
反対側の下りSAにはガンダムショップがあります。聞いてはいましたが見るのは初めて。ガンダム世代としては嬉しいですな。
車窓から富士山が見えて、家族一同満足満足。

最初は御殿場から直接箱根に入る予定だったのですが、陸上競技部で駅伝やってた息子(ただし補欠)が、
「箱根駅伝のルートを見たい」
と希望を出したので、箱根をぐるりと回り込んで一旦小田原に出て、国道一号線から箱根に向かいます。
箱根湯本駅近くの小田急ロマンスカーである。もうこの時点で、
「5区かあ!ここから登りだー!」
「湯本駅前だあ!」
「ロマンスカーが並走しとるぞー!」
と家族は大興奮である。
ちなみに私・嫁・子供の3人はランナーなので当然大興奮。爺ちゃんもマラソン観戦は大好きなので興奮しております。
">「函嶺洞門だあああああー!」
「写真撮れえ!」
知らない人が聞いたら、「だから何?」ってなもんですが、駅伝の中継でいつも見ている私達にとっては、重要なポイントです
80年前に造られた落石防止洞門で重要文化財になっており、現在は迂回路が作られたので、今や通る事は出来ません。当然5区のルートも・・・いやもうやめておこう(笑)。ランナーなら知ってる事なので説明はパス。
「踏切だあ!」
「小涌谷踏切?」
踏切一つで興奮状態である。昔ここの線路で足をくじいたランナーが・・・やめておこう。ランナーは知ってるうんちくだ。
これはすれ違う猛スピードの車を撮ったものである。
まずほとんどの所で歩道が無い。路肩が全然無い。しかもテレビで見るより遥かに凄い急斜面である。
「こりゃあ、普段は走れんコースだわ」
気をつけないとバンバン飛ばす車に引っ掛けられてもおかしくは無いのだ。それほどすごいコース。
漫画家の喜国昌彦さんがこの5区のコースをジョギングして、その事を作品に書いておられたが、普通の人は危なくて出来ないと思います。
斜面のきつさはハンパではありません。大平台の急カーブは車のエンジンも悲鳴を上げてました。家族で一致した意見は・・・
「この傾斜を走る駅伝の選手は凄い!」
と思ったらランナーの集団を追い越しました。何?この人達?下から走って来たのか?
凄い!
どこかのランニングクラブさんでしょう。やっぱり真似して走ってる人はいました。脱帽です!
さて5区のゴール近くの駅伝博物館はパスしました。ユニフォームと各大学の幟を見ても面白くないので、箱根の関所を見学する事にしました。
関署で写真を撮ってると明らかに異様な服装の一団が・・・ランニングクラブさん達である。Tシャツ半パンで歩いとる(笑)。
観光地を見ているという事はマラニックですね。この人達以外も沢山のランニング集団マラニック集団を20組近く見ました。土日を利用してクラブで泊りで走りに来たのでしょう。
ランニングのブームは凄いですね。ちょっと車で走っただけで沢山おられました。首都圏の人って桁が違います。
さてホテルは仙石原にあるので、芦ノ湖畔を見ながら移動。チェックインまで時間があったので、嫁がかねてから行きたかったというポーラ美術館に行ってきました。
凄い豪華な建物で、あまりの上品さに私はびっくり。
退屈なのでお茶でも飲もうと併設のカフェに行き、コーヒーを頼んだら700円もしたのでびっくり!
しょんべんしたくてトイレに入ったら、便器のデザインにびっくり!
「ああ堪能した。どの美術品が良かった?」
と聞く嫁に、
まさか「便器のデザインが素晴らしい」とは言えず、黙って車に乗り込みホテルに向かったオヤジであった。

次回、「オヤジ、花粉症にもめげず箱根仙石原を走る!」

中年の頑張ってる皆さん!下の柔道バナーをクリックしてね。
にほんブログ村 格闘技ブログ 柔道へ
にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うちの先祖は海賊(和寇)だったらしい

2016年01月08日 20時14分41秒 | 旅ラン
1月4日 実家の近くを走る

1月3日の新春矢作川マラソンを終わったその日、夕方から三重県志摩市の実家に帰りました。混雑を予想してたのですが、伊勢湾岸・東名阪自動車道・伊勢自動車道を避けて、節約も兼ねて伊勢湾をぐるりと囲む23号線で帰りました。休憩しながらだったのですが、4時間半で帰れました。
途中で四日市のコンビナートを通過するのですが、工場地帯は物凄い灯りでして、映画「ブレードランナー」の世界。このコンビナートはいづれは旅ランしてみたいなと思ってます。

さて翌日8時から、近くの海岸を走ってきました。いつもなら絶景ポイントがいくつもある熊野灘に面した太平洋側を走るのですが、今日は愛知県の渥美半島知多半島を眺める、伊良子水道側を走りました。

実家から国道を北上し、島茶屋(しまじゃや)という、昔から続いてる丘の上の茶屋から海岸を目指していきます。ちょうどここらへんが、旧阿児町と旧大王町との境になります。
現在ではお茶屋さんではなく、小さな駄菓子屋さんが有り、アイスとジュースを販売してます。夏場は結構皆さん足を止めておりますね。古くて風情があるので、近くのコンビニよりアイスは売れてるかもしれません。
畔名(あぜな)から海岸に向かう。ここは死んだ親父の在所です。ホントに小さな漁村。いつもなら北側に渥美半島が見えるのですが、本日は霞みがかって見えませんでした。
昨日以上にポカポカ陽気です。春みたいな気温なので、汗がダラダラです。
さて志摩の海岸線には、「近畿自然歩道」という自然路があるのですが、場所によっては表示が不確かで、土地勘の無い方は道に迷う事必定です。畔名から次の名田(なた)までは、小山の中を通るトレイルがあるのですが、表示が不確かなので行けませんでした。私も昔何度か通った事のがあるのですが、思い出せませんでした。

場所によっては手すりや階段が崩壊してる箇所もあります。作りっぱなしで手入れをあまりされてないようですね。もちろん使う人間もほとんどいません。だから文句も出ない(笑)。
えっ?私が言えばいいって?
元々自然路なんて「余程の所で無い限り、手すりなんぞいらん。階段なんぞいらん!」と普段から言ってる人間ですから(笑)。夏場に草刈りだけしてくれればよろしい。

隣の名田です。ここもホントに小さな集落。
浜まで出て漁師小屋から写真を撮ってると、おばちゃんに話しかけられた。
「観光のひとかえ?」
「波切から走って来たんやわ」
「なんや地元の人かいな。波切からって遠いやろう。よく走ってこれたなあ」
「正月は食い過ぎたんで、痩せんといかんやわ」
方言丸出しの会話である。基本的に三重県の南勢・伊勢志摩・中勢地方は、イントネーションは関西弁に近いです。単語がかなり独特なものがあります。
「あんたもテレビでやってる箱根みたいな走る選手かいなー」
・・・いえ(汗)・・・まあマラソンなんて知らん年寄からしたら、箱根の選手もマラソン大会でバカやってる人間も同じようなもんだろうなあ。
「テレビに映るようなのは知らんけど、田舎の小さなのには時々出とる。ほれ、春にスペイン村でマラソンやっとるやろう。昔出た事があるんやわ」
「ほおー、お兄さんも選手なんかあ。凄いわなあ」
この年寄りの頭の中は、「目の前にいるT岡=箱根のランナーと同じ」という図式に違いない。向うは日本でも上から数えて500人千人の人達。私は全国1千万をこえるランナーの下から数えた方が早い人間です。箱根のランナーとの間には、999万人がおります(笑)。
年寄の夢を壊すといけないので(説明するのがめんどくさいので)黙っておりました。
断崖絶壁の上に建つ大きな建物は、バブル期に建てられたリゾートマンションです。多分ガラガラだと思う。
再び海岸線から離れて丘を走り、最終の目的地・波切漁港を目指します。適度なアップダウンがあるので、汗が止まりません。正月なのでほとんど人もいません。
波切漁港をぐるりと回ってから、地元のお地蔵さんを参って来ました。有名な汗かき地蔵です。
江戸時代に漁師が海で網を引き揚げると、何とお地蔵さまが引き上がったそうです。
このお地蔵さんが白い汗をかくとめでたい事が起こり、黒い汗をかくと悪い事が起こるという言い伝えがあります。
波切に小学生時代に住んでおったのですが、毎年2月の終りに「地蔵祭り」が開催されて、街のメイン通りには出店がわんさか出ていたのを覚えております。
その隣の思案地蔵さまが祀られております。思案地蔵は江戸時代末に起きた「波切騒動」で亡くなった人々を供養するため,当時の仙遊寺の住職によって発意されたものです。
天保元年(1830)幕府直轄地の代官所への納入米を積んだ船が大王島沖で難破した。沖を漂流中の難破船を漁民が発見、船中の大量の「濡れ米」を持ち帰る。
翌年、役人が夜更けに覆面をして波切に取り調べに出張。里人は強盗と間違え役人一人を殺してしまいました。庄屋以下14人が江戸送りとなり、牢死し、475名の村民が罰せられた・・・。

というのが「波切騒動」という事件です。これは表向き。
「えー!難破船の米を持ちかえっただけで、14名の死罪って!」
と思いますが、これには裏がありまして・・・。
・・・・・・
漂到物を拾う習慣が古くから見られていたが、天保元年(1830)大きな問題を起こしたことがあった。
その年の10月、中国の御城米300石を1300石積の船に積み込み江戸へ下る途中、波切の村人達が、その米を奪い取り、船には石を積んで沈め、難破船の如く見せかけたのである。
鳥羽の郡奉行も印形をおして書類を大阪の奉行へ回し、船頭はさらに大阪で取調べをうけたのだが、はしなくも船頭の口から偽装難船であることが暴露された。それまで波切では毎年5、60艘の難破船があるのだが、本当の難破船というのはほんの5、6艘に過ぎず、後は船頭と馴れ合いの上の擬装難船であった。もしこれを船頭が承知しないときは残らず殺してしまったということである。
ところがそれまでの擬装難船は民間の荷を積んでいるものに限られていたので、荷主のほうもそういう不正をかぎわけることは難しかった。それが今度は御城米を取ろうというのである。庄屋の久右衛門は今まで公儀のものをとった例が無い。したがって危険も多い。もし露見でもすると命を失うような事になるから、今回は思いとどまった方がよかろうと村人を制止した。
しかし年寄りをはじめ村一統の者はこういうことをするのに公儀だからといって恐れるところはないではないかとて、久右衛門の制止を押し切ってことを決行したのである。ところが、村の中がよく結束していてこそ悪事も外へもれないが、村が二つに割れては、秘蜜がいつまで秘密のままでおれるはずは無い。伊勢の悪党どもがこれを聞いて10人ほどで党を作り、武士に化けて波切へ乗り込み吟味を始めた。島中の者はいろいろ陳弁したが許さず、江戸表へ召し捕ってゆこうとおどした。それをやっと100両ほど出して内密に許してもらったが、この役人は偽役人であり、事件は納まったわけではない。
悪党どもはこれに味を占めて、今度は顔ぶれを変えて乗り込み、住民達が、すでに吟味もあってことは住んでいるというのを『この方より外に公儀から役人を使わした事は無い。それはきっと偽者であろう。きっと吟味を遂げて、そのものどもを召し取るであろう』とまことしやかにだまして、又金を取って立ち去った。
こうたびたび金を取られてはさすがに村中も困り、骨折りも空しくなって何の益も無い事になるから、この後はたとえ公儀の役人でも、ことごとく打ち殺して海へ投げ込もうではないか、と申し合わせた。
そういうこととは知らず、代官所多羅尾の手代村上は足軽2人と2人を連れて波切へ乗り込んできたのであるが、ちょうど夜に入ってのことで、土地の様子のわからぬままに、民家の戸をたたいて庄屋の家へ案内を請うたが、知らぬと答えてろくに返事もしない。2、3軒をたずねたが皆同様なので、手代はおこってに家の男を叩かせると、家の男は『人殺しだ、助けてくれ』と大声で怒鳴った。すると村中は申し合わせのしてある事とて、太鼓鉦をならして集まってきて、足軽とを1人ずつたたき殺してしまった。手代は刀を抜いて大勢を相手に切り結んでいたが、力尽きて頭に2箇所、股に2箇所、その他にも傷を受けて、ほうほうの態で逃れて浜にうち倒れていた。そこへ村人がまた押しかけてきて海へ投げ入れようとしたが、手代は気丈の者で『お前達を城米を盗み、狼藉をしつつなお身をまっとうしようと思うのか。私は公儀から吟味に来たもので、元来米を盗み取ったのだから、米が別状なければ命にかかわる事はあるまい。頭取の者2、3人は罪はのがれがたいから遠島くらいにはなるだろう。しかし今私を殺してしまえば、皆死罪になってしまうであろう。私はいまさらいのちを惜しいとは思わないが、よくよく考えてみよ』といった。しかしいきり立っている者にはその言葉も耳に入らず、撃ち殺して海へ入れようとわめきたてるところを、年寄りのものが『露見したうえは頭取の流罪はやむを得まい、命にはかえられぬから助けてやれ』といって差し止めた。今一人生き残った足軽も村人に取り巻かれて命が危うくなったが、『罪を重ねて命を失うような事をするのは自業自得だ。はやく私を殺して罪を重くするがいい』と大声で叫んだので、皆ひるんで手を加える事ができなかった。
このことが鳥羽へ注進され、さらに藤堂家にも出陣を促し、3000人の武士が波切村を取り巻き、住民700人を召し取って取り調べのうえ関係のうすい300人は許し、残り400人は一応牢屋へつながれたのである。
こうしてそれぞれ罪名も決まり、多くの犠牲者を出して事件は落着するのであるが、これが偶然の出来事ではなく、慣習化された略奪のほんの露頭の一部に過ぎなかったことは、事件の進行の途中におけるいろいろの出来事でも察せられる。
「日本残酷物語第1部 貧しき人々のむれ」(平凡社)より
・・・・・・
とこれが真相(笑)。村全体で強奪と殺人を犯しておったらしい。うちの先祖様は略奪強盗犯だったのかあー!
元々が九鬼義隆という戦国時代の和寇(海賊)をしていた地域なので、江戸時代になっても同じような事を繰り返してらしい。うちの先祖様は人間のクズだったんだー。
200年前の事です。

ここから延々と続く緩い坂道を登り、実家に帰りました。ひいい、暑かったあ!
と約10キロ、1時間半の歴史の旅であった。

午後は別の所を旅ランしましたので、それは別記事で(笑)。

中年の頑張ってる皆さん!下の柔道バナーをクリックしてね。
にほんブログ村 格闘技ブログ 柔道へにほんブログ村
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする