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敬愛する児童精神科医・佐々木正美先生主宰のお教室での講義ノートより
遊びは感動的でした。
毎日、毎日、暗くなるまで遊んで、やむを得ず帰っていました。
「明日もまたね」と。
遊びなんて誰でもできると大人も子ども自身も思っていました。
実は社会的な人間になるために遊びが必要だったのです。
でも、そのことをわかって、遊びを奨励している人はいませんでした。
結局、それを奪ってきてしまいました。
かつては、「なぜ遊びが大切か?」なんて考えもしなかった。
でも子どもが自然と遊んできたので、それで良かったのです。
今はそうじゃなくなりました。
寝ること、食べることは、みなさん考えずにやっています。
それらは生きるためにやっていることですが、実は子どもの遊びも同じなのです。
寝たいから寝る、食べたいから食べる、同じ意味で、遊びたいから遊ぶのです。
理由など無く、ただ本能で遊んでいました。
だから、こういうことには価値を置きませんでした。
しかし、実は「そうしたいから、そうする」ことに大きな価値があるのです。
大人たちは近年、「そうすべきだから、そうする」ということに価値があると思い込むようになりました。
勉強しなければいけないから勉強する、働かなければいけないから働く。
実はそうではないのです。
「寝なければいけないから」ではなく、「寝たいから」寝てるだけです。
だけどそれは、生きていく上で不可欠なものです。
それと同様に、遊びも「遊びたいから遊ぶ」のが大切なのです。
以上
子どもたちから奪ってしまった遊びを返す。
冒険遊び場づくりとは、そういう市民運動でもあります。
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