横文字、滅多に使わないのですが、「フェーズが変わる」という言い回しを近年、政治でも社会・経済でも、ときにスポーツでもよく聞くようになりました。
辞書によると「フェーズが変わる」…物事の段階や区切りが変化する様子を表わす。 例えばプロジェクトが一区切りついて、次の段階に進む際に「フェーズが変わる」と言うことができる。
土曜日に続いて、日曜日もみっきぃは完全休養で、僕も ニッカホーム株式会社 さんにいただいたたくさんの端材を届けにだけ行っただけの「たごっこパーク」。
子どもと一緒に参加したママたちから送られてきた記録画像をみっきぃと眺めながら、「フェーズが変わる」という言い回しが頭に浮かびました。
わが子も参加していた15年前と比べると、親子参加がとても増えました。
15年前も統計的には大人の数が同じくらいの日もあるのですが、5~10人の視察が含まれていたり、焚き火にあたる近所のじいちゃん・ばあちゃんの数が含まれていたり、迎えに来てひとしゃべりしただけの親御さんが含まれていたりでした。
今は一日、親も子も過ごしている姿が多くなりました。
子どもたちの年齢層がぐっと下がったということでもあります。
幼児と親御さんという組み合わせが焚き火回りでも増え、それに伴って、たごっこ育ちの若者たちが焚き火でたむろしている姿はなくなっていきました。
思春期の子どもたちもたくさん来ていましたが、今はほとんど来ていません。
小学生も、まだまだ遊びたい、だけど、親からは離れたいという高学年の子どもが多かったのですが、親御さんと来る低中学年が多く見られます。
従って、僕とみっきぃの役割は、ほぼ、駄菓子コーナーのおじちゃん・おばちゃん(いや、おじいちゃん・おばあちゃんか)になっています。
思春期の子どもたちがいなくなったので、思春期特有の悩みごとを聴いたり、進路の話に助言をしたりという場面がなくなりました。
高学年の子どもたちがいなくなったので、やりたい遊びのちょっとしたお手伝いを頼まれることもなくなりました。
基地作りたいからブルーシート出して~とか、薪割りするから鉈貸して~とか、遊具作るからロープ出して~といった頼まれごとです。
今の子どもたちにもそういう場面は生じるときがありますが、親に頼めば事足りるので、僕やみっきぃには滅多に声がかかりません。
あの頃は「子どもたちの居場所づくり」ということを強く意識していましたが、今は単純に野外の楽しい遊び場という雰囲気になっています。
ただ、親御さんたち、とくにママたちにとっては、もしかすると「居場所」という感覚があるのかなという気もします。
あの頃のお母ちゃんたちは、「たごっこパーク」というのは、わが子がお世話になっている場所という感覚だったのではないかと思うのです。
フェーズが変わる。
コロナ禍によって、そのことが生まれたようにも思います。
僕とみっきぃが不在でも、準備・片付けも含めて、「たごっこパーク」の運営が来ている親御さんたちで回せるようになりました。
この先の「たごっこパーク」は、僕とみっきぃの手を離れて、「令和版たごっこパーク」としての雰囲気づくりがされていくのではないかと思います。
幼児13人 小学生14人 青年3人 子ども30人 大人18人 合計48人
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