知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
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日本の政治的無関心の根源:芸能記者レベルの記者が政治を扱っている。

2024年08月22日 | スキルアップ
 日本は、家族で政策論争をすることはあまりない
と思います。

アメリカだと、
 民主党と共和党
で、
 家族内で支持政党がもめて議論する
なんてことはよくあります。

違いを生んでいる理由の一つが、
 メディアの質
です。

日本のメディアは、
 政策を論じる
ことと、
 政治家の裏金疑惑を論じること
と、
 芸能人の不倫疑惑を論じること
は、
 同列で扱っている。

そのため、
 政治の重要性が理解できず、特に関心が無くなる。

日本の場合、芸能記者、政治記者、経済記者で、
 レベルに差がある
かどうかも微妙だし、
 テレビの場合は、素人でさえコメントできる。

そのため、
 議論が深まらないし、知識も体系だったもの
にはなりえない。

結果、
 政策よりも、政治家個人に重きが置かれる
ことになる。

素人のコメンテーターが
 この政治家は、政策がない
と批判していますが、
 そもそも、数分で政策を語ったところで、素人には理解などできない。
政治家の多くは、 
 書籍や、過去の言動などで、政策をきちんと語っていることは多い。

アメリカの場合、
少なくとも、
 民主党だと大きな政治、福祉、LGBTQ、中絶認容
 共和党だと小さな政治、減税、キリスト教的思想観、中絶反対
など、
 大きな政策の枠組みがある
ので、
 これに付随した形での議論となりやすい。

日本の場合、
 自民党の岸田と立憲民主党の枝野
では、
 思想的な差はたいしてない(リベラル寄り)。

自民党の左派から右派の幅は、
 維新から、立憲の左まで包含する
ので、
 政策論争にはなりにくい
という特殊性がある。
そのため、
 報道する側としては、深く政治家個人の思想信条をリサーチし、
 過去の言動や書籍などから、政策の勉強をする必要があるわけです。

ただ、
 そんな時間は無いので、3分ですべての政策を教えて
という無茶ぶりをして、
 自分が納得できないと、政策がない、政策を語っていない
とわめき散らすという、
 クレーマーみたいなもの
です。


政治学において、政策を論じる上で、
 「正義論」の理解
は、欠かせないと思います。

何をもって、正義と見なすか。
人によっては、福祉重視、
人によっては、自由重視。

政治学を勉強すると、
 ロールズは必ず出てきます。

サンデル教授がロールズの正義論で講義をし、書籍もヒットしたことで、
 正義論は有名になりました。

社会は、
 いろんな人がいる
ので、
 その人達が、幸せに暮らせるようにする
には、
 どうしたらよいか。

これが、
 政治です。

ロールズは、
 どちらかというと、内容よりも、手続きの正しさ
を重視しました。

まず、
 自分自身の利益を願っている自由で合理的な人々
が、そこそこ平和に暮らしている(原初状態)。
そして、
 社会のあり方を規定するものとして、
 出発点としてみんなが受け入れるであろう諸原理
が存在しているとします。
これが、正義の諸原理。

例えば、話合いで解決するとか、
多数決では、一人一票で平等だとかいう原理は、
 みんなが出発点として受け入れる諸原理
といえます。

その上で、
 誰も社会の中で自分の境遇や階級上の地位、社会的身分を知らない。
 資産や生まれつきの能力、治世、体力なども知らない。
という「無知のヴェール」のもと、
 自分の生活条件の改善だけを、冷静かつ合理的に追及する
というスタンスに立って、
 個々の政策について決議する。

そこで決議された内容は、
 社会正義に適ったものである
としました。

富の分配なども、こんな感じで決められたのであれば、
 正義に適ったもの
というわけです。

無知のヴェールのもとだと、
 自分は、ひょっとしたら、貧乏で、知能も低い存在かもしれない
と考えることになります。
その場合、そういう立場でも、
 何とか幸せに暮らせるようなルールにしておこう
と考えるようになります。

みんなが多数決で合意に至った場合、
 少なくとも、最悪の場合でも、何とか幸せに暮らせるようなもの
になっているわけです。

これが、
 マキシミアンルール。
最悪の見通しにおいて、最もましなものを選択するというルールです。

マキシミアンルールが機能する前提として、
 自分の生活条件の改善だけを、冷静かつ合理的に追及する
という経済学でいう合理的経済人のような設定が必要となります。

自分のことより、相手のことを考える天使のような人ばかりだと、
 最悪の見通しにおいても、他の人のためになるなら、私は喜んで甘受いたしましょう
となってしまい、
 社会正義の実現とは、ほど遠い内容でも決議されてしまいかねない
からです。

政治学において、日本が異質だと思うのは、
 日本人は控えめだったり、相手のことを考えたりする
ので、
 合理的社会人のような設定がうまくいかない
ことがあるためです。
 論理でなく、優しさだとか、感情だとかで動くタイプの人が多い社会。

ただ、
 学問は、論理の世界なので、合理的経済人のような設定をする
ことになります。

無知のヴェールは、イメージしやすいので、
 決定における正当性
を基礎づけるための論理として多くの人に支持されました。


結局、政治は、
 富の分配のためのもの
です。

 税金を徴収し、何に使うか。
これが、全てと言っても過言でない。

国民は、
 税金と取られる存在である
とともに、
 国からの恩恵を受ける存在である。

政治家は、
 どのように税金を徴収し、
 何に使うのか
を明確にする必要があります。
これが、
 政策の核となる部分
だからです。

その結果として、
 どんな社会・国にしたいのか
という社会像、国家像に結びつくことになります。

話すのが下手、テレビ慣れしていない、
いつ公表するか、誰が応援し、誰と誰がつぶし合って、、、、
 ぶっちゃけ、どーでもよい話。
メディアはそんなことにばかり、リソースを注ぎ込んでいるわけです。
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