知的成長戦略論-クールに生きる

かっこよく生きるためのメモ。
知的に成長し、どんな状況でも平静を保てる力を身につける。

国家再生論 6 国民が頑張れる環境の整備

2010年01月29日 | 国家論
国家は、
 国民が幸せのために存続する
というのが僕の考えです。

そのため、
 国家というのは、手段にすぎない
わけです。

国民がみんな幸せになれるように、
 国家が手段として存在している
ということです。

何度も出てきていますが、
 手段と目的は、峻別しないとごちゃごちゃになる
ので、
いつのまにか、
 国家の存続が目的
となります。

その結果、戦争がおこり、
 国民の幸せ
は、遠のいてしまうことになるわけです。

戦争は、資源をめぐるものから(帝国主義)、
イデオロギーによるもの(東西冷戦)へと変容し、
現在はテロとの戦いという、宗教・民族闘争へと切り替わっています。

EUの試みが成功すれば、民族闘争が減り、
多くの人が幸せに暮らせる時代になるかもしれません。

そして、その世界には、
 国家という概念よりも地域共同体という概念
が重視されているはずです。

時間をかけて、国家に固執するという考え方を弱めていくべきであると思います。

ただ、個人的には、日本という国は素晴らしいと思っています。
最近、京都や滋賀のお寺や神社をめぐってみて、さらに実感しました。

豊かな自然に恵まれた美しい国であり、
 自然信仰(山岳信仰など)を中心とした神道の考え方や、
 仏教的世界観
は、世界に誇れる文化だと思います。

こうした文化や歴史を学ぶことは、
 個人のアイデンティティーを高める
上では大事なことだと思います。

しかし、いつの間にか、国家全体が
 「もう日本はだめなんじゃないのか」という自信喪失状態
に陥っています。
今年、中国にGDPで抜かれる際には、もっと悲観的な報道がされるはずです。

こんなに自然豊かな国であるのにです。
自然も資源です。


結局、
 国家再生のためには、国民の再生が一番重要である
というのが、今のところの回答です。

企業もトップを変えると再生することがありますが、
それは、トップ一人が再生させたのではありません。

トップは、
 従業員の意識を変えたり、眠っていた企業の能力を目覚めさせた
にすぎず、
 結局は、従業員によって再生した
のです。

今、政権交代により、
 トップが変わりました
が、国は変わらなさそうです。
 結局は、国民が変わらないと再生しない
からです。

ずっと前に、大阪府がモデルになると書いたことがあります。
施設などを売却したり、予算の削減を発表した際には、すごく批判されていましたが、
未だに知事の支持率は80パーセントを超えています。
 府民が、サービスの悪化は仕方がない
と受け入れたから、財政が健全化されつつあるわけです。


では、国家は何をすべきか。
国民が自由に自己実現ができるような土台を作るだけにすることです。

 国民が努力し、努力したものが報われるという自助努力の原則が機能する環境
の維持に努める。

地方の切り捨て、弱者の切り捨て、少子化対策をしていない、男女不平等・・・・
各団体は、正論を武器に、金を要求します。

でも、それが
 国民全体の利益につながる
かどうか。

女性のための施設が、本当に税金をつかって運営する必要があるのか。

自分は一度も使わない施設に、自分が稼いだお金が使われている。
何もやっていない天下り官僚の退職金に、自分が寝ないで頑張って稼いだお金が使われている。
なんとか団体の職員の給与に、補助金という名の自分の稼いだお金が使われている。

隣の家が新車を購入したと自慢してきたとします。あなたには、買い替える余裕などありません。
でも、あなたのお金は、お隣さんに渡っています。
子供手当も、あなたの税金。子沢山の一家はあなたの税金から年間100万円近くもらって、海外旅行へ。

何だか変な感じがしてきません?
源泉徴収で知らないうちにとられているから、気にならないかもしれませんが、
直接、「誰誰さんが車を買ったから、あなたから10万円渡してください。」と言われたら、何だか変だぞと思えてくるはずです。

国が介在しているから、見えなくなっていますが、お金の流れはそういうことです。


「最低限度の生活」が送れない人に渡すのは、その人を助けるためなので
 理解できる
と思います。
世の中助け合いが大切です。自分が助けられる立場になることもあるからです。

それが、セーフティーネット。

そのため、
 セーフティーネットは用意すべき
です。

ただ、セーフティーネットは、
 自助努力でこぼれてしまった人を救う者
であって、あくまでも例外であるべきです。

例外が原則を駆逐すると、
 だれも工夫したり、努力して、嫌なこともがまんして一生懸命やろう
などとは思わなくなります。


国は、
 こういったセーフティーネットの整備
 豊かになる機会を平等に与えるための教育の充実
 貨幣、軍事、司法制度といった国家基盤の確保
 最終的には、公益(みんなの利益)になるが、個人レベルでは行えない施策
をするにとどめ、一部の人や、団体や、協会などのためだけの施策は避けるべきです。

もし、なんとか協会や、なんとか団体が必要であるというのであれば、
 自分たちで支援者を募ったり、事業を展開したりして、存続のための努力をすべき
であるはずです。

 がんばっているけど、できないんです。
というのであれば、成果が出せない団体の長を変えるべきです。

価値あるものであれば、
 それがなくなると困る
という人がいるので、応援してくれるはずです。

だれも応援してくれないのであれば、自然淘汰されるべきものです。

お金に余裕があれば、支出してもよいかもしれないですが、
 お金に余裕がなければ、出せない
ことになります。

生活保障など、人命にかかわることを優先しなければならないからです。


いずれは、
 財政が底をつき、どうにもならない状態が来る
と思います。

その時に、国家も個人も
 知力
が試されることになると思います。

そのために、今から知的に成長し、
 どんな状況に陥っても対応できる能力を磨いておく
わけです。

実際に、すでに始めている人も多いと思います。

そういう人は、国家など頼りにならないと思っているはずです。
そう、頼りになるのは、自分の頭の中に入っている知識(スキル)のみ。

破綻間近になれば、国家が財布の中身を奪おうとしてくるはずです。
このときには、
 頭の中のものは奪えない
というユダヤの格言が参考になります。

ユダヤ人は、長年国家をもてなかったため、
 別の民族が統治する国家から、常に財産を取り上げられるおそれ
がありました。
そのため、知力を武器にしたわけです。
ユダヤ人で、会計士、銀行家や弁護士が多いのはそのためであるといわれています。

今、崩壊寸前の財政状態国家に生きる国民に求められているのは、
 この知的成長と自助努力を重視した考え方
だと思います。

そして、国民が自助努力を重視することによって、
 国家が再生することになる
はずです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国家再生論 5 収入の増加(企業家の育成)

2010年01月29日 | 国家論
ビルゲイツを一人つくれば、
 国家が再生できる。

これが、21世紀型の国家プロジェクトです。

ビルゲイツを一人作れば、
 産業が生まれ、
 それに関連する仕事が生まれ、
 従業員がそれにより、収入を得ることができる。

多くの人に仕事とお金が回るようになれば、
 モノやサービスの交換が盛んになり豊かになれる。

ただし、バブル期の日本を反省し、
 自然環境を大切にし、共存型の社会を企画し、実現する。


バブル期に国債の返済をしたり、無駄な財団や協会等と作りまくっていなければ、
支出がこれほど膨らむことも、収支のバランスがこんなに悪化することもなかったはずです。

近年の不況が原因であるといっていますが、1995年ころから
 すでに破綻のおそれ
が明確でした。
問題は、削減のために何もしてこなかったことです。

問題は、人は贅沢を覚えると生活レベルを下げるのは難しいということです。
公共サービスが充実した社会に住むうちに、
 してくれて当然、もらえて当然
という感覚が根付いてしまう。
それにより、
 努力しないと食べ物さえ手に入れられない
という当たり前の原則が忘れ去られてしまう。

猿にバナナを1本あげます。
当然猿は大喜び。
翌日、バナナを2本にしました。
またまた猿は大喜び。
次の日も、その次の日も、バナナを2本。
猿は、当然くれるものだという感じになって、催促しだすようになります。
その次の日、バナナを1本にしてみます。
猿は怒り出します。

なんで、2本ではないんだ。
猿は、バナナがもらえていなかった頃のことなんて、頭にありません。
もらえて当然というように、「想定」が変わってしまったからです。



本来、「種の起源」ダーウィン著のように、
 環境に適応できない生物は生き残れない
わけです。

ただ、人間には、人権があり、
 社会全体で、その人権を守っていく
ようになっています。

困った時は、お互い様という優しい気持ちです。
(最近は、振り込め詐欺のような輩もいますが)

 今は、困っているから世話になるけど、今度は僕が君のためになるよ。
というものです。

そして、人の場合、
 必ずその人がいてくれてよかった
と思ってくれている人がいるので、
 誰かのためになっています。

ここでいう誰かのためとは、
 経済的な利益のみならず、感情的な利益を含んでいます。

働くことができない子供も、
 その笑顔が親に大きなエネルギーを与えています。

誰でも、部活動や、チームごとのプレゼンなどで、
 自分だけだったら、こんなに頑張れなかっただろうな
という経験があると思います。
 人は誰かのためにというときにこそ、限界を超えられる
からです。

そして、国民全体が、自分のために、そして誰かのために
 創意工夫をしたり、努力をして、がんばれば、大きな可能性が生まれる
はずです。

まずは、自分のためにがんばる。
そうすると、お金を生み出す力が付いてくる。
その後、誰かのためにがんばる。
そうすると、さらにお金を生み出す力が付いてくる。
そして、社会貢献をする。

その結果、機会がなかった人に、がんばる機会が生まれる。
そうすると、その人に、お金を生み出す力が付いてくる。
その後、その人は誰かのためにがんばる。
そうすると、さらにお金を生み出す力が付いてくる。
そして、その人は、感謝の気持ちをこめて、自分が受けた恩を返すために社会貢献をする。

そういう国家は、豊かな人が増えてくるはずです。

努力により、サービスの質や技術力が高まり、国際競争力も付いてくる。
それにより、税収が増える。
失業者や生活保護受給者が減り、福祉予算を削減できる。

収支のバランスが改善できる。
その結果、国家が再生できる。

国家は、経営思考をもった企業家を育てていくことで、
 国家再生を果たすことができる
はずです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする