巨樹、巨木巡礼

僕が訪ねた大きな樹を紹介していきます。

志多備神社(したびじんじゃ)のスダジイ

2009-02-06 | 島根県

 




島根、鳥取の旅で巨樹好きの僕がここに寄らないで帰ることは出来ない。


今は松江市西岩坂と言う地名になっているが合併までは八雲村西岩坂で、その名が示すように古代出雲文化発祥の地と言われた古い古い土地です。




小さな川沿いの、のどかな田園風景を走っていると道路わきに立派な駐車場があって、川向こうのかなたにこんもりとした鎮守の森が在り、この杜に鳥取県にある伯耆の大シイと並んで日本一だと言われるスダジイの巨木がある。


(実は最近になって京都府の舞鶴湾に浮かぶ小さな島でもっと大きなシイの樹が有ると言うことが公表されましたが公開はされていないということです。)





それが志多備神社のスダジイで、この志多備神社という神社名もなにやら妙に引っかかります。


詳しくはまだ調べてはいませんが、古代の『出雲国風土記』にも「志多備社」として掲載されているようです。




刈り取りのすんだ田んぼの小道を歩いて鳥居の正面まで行くと左手におおきな椎の木がそびえているのが見える。




しかしこれは、NETであこがれていたあのスダジイではないと一目でわかるがそれでもなかなかの大きさで幹周り6m、根元にはなにやら古めかしい石柱もたっていてなかなかの風格ですがまだまだ若々しく、ちょっと威厳には欠けています。



鳥居をくぐって境内に入り本殿脇の奥のほうに眼をやると異様なほどに巨大なスダジイの巨幹が見える。


荒々しい程にうねった主幹から雄叫びでもしているように巨大な支幹を何本も天空に突き出しているさまは見るものを圧倒する力強さにあふれています。




それはあたかも大昔、絵本で見た神話のヤマタノオロチを思い起こすような、すさましい様相にみえました。




根元には古くなって落ちてしまったのか?はたまた最初からこういう形なのか?勧請縄があって、この木がいかに神聖化された特別なものであるということがよく判ります。




毎年11月9日には、この地区の人々によって藁蛇を太い幹に巻き付ける荒神祭りが執り行われているとあるが是非とも立ち会って見たいものだと思いました。


胸高周囲11.92m、樹高は約17.8m、樹齢は不明ですが数百年といわれていて新日本名木百選に選定されています.


撮影2008.9.22


MAP



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8 コメント

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Unknown (Jun)
2009-02-06 22:12:15
シイですか? 実がなるのでしょうか。
勧進縄、最初草鞋に見えました。

田舎などで、こんもりとした森があると、聖域だな、と見当がつきますね。
それが1本の木だけだったりすると驚きです。
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Unknown (ぺん)
2009-02-08 17:56:54
シイの実は、細長いドングリ・・・。

僕等はカッチンと呼んで楢やクヌギの丸いドングリとは区別してましたが和歌山方面ではどんな呼び名でしたか??

勧進縄じゃなく勧請縄ですよ。

いつもありがとう。

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Unknown (幽黙)
2009-02-09 22:28:42
「志多備」についてなのですが
愚生はたまたま縁あって
長谷寺の縁起に関わる伝承に興味を持っています
奈良や鎌倉の有名な長谷寺ではありません(笑)
でも奈良の長谷寺に伝わる『長谷寺霊験記』の
下巻に日本各地の長谷寺の霊験について記した部分の
筆頭に登場する長谷寺なのです
というのはさておくとして
「長谷」という言葉です
「泊瀬」とも「初瀬」とも書きます
ものの流れの終わるところと始まるところという
二元性を秘めた言葉になっています
その「はせ」という言葉を導く枕詞に
「こもりくの」というものがあります
「隠国の」と漢字を充てることが多いようです
その「こもりくの」という枕詞が導く
もうひとつの言葉が「志多備」です
伊勢神宮が現在の地に鎮座されるまでの
遍歴をつづったとされる『倭姫命世紀』や
伊勢神宮のいわゆる内宮である皇太神宮での
式典手続きなどをつづった『皇太神宮儀式帳』
その中に
「許母理国志多備国」
という記述が出てきます
「許母理国(こもりく)」「志多備国(したびのくに)」
と単語が分かれますが
ここで「志多備国」というのは「黄泉の国」を意味しています
「志多備神社」がそれにゆかりがあるかどうか
ということはわからないのですが
祭神は伊弉諾尊と伊弉册尊の二柱ということで
黄泉の国に落ちた伊弉册尊と
それを訪ねて行ったものの結果的に
この世に再生した伊弉諾尊
そこにも「泊瀬」と「初瀬」の二元性が
垣間見えているので面白いなぁと
妄想が膨らむところです…
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感謝感激 (ぺん)
2009-02-10 20:07:20
幽黙さん、凄い。

長谷→初瀬→隠国、ここまではまあ知ってましたが・・・長谷→初瀬→隠国→志多備、これは目からウロコ。

初瀬の近くに吉隠(よなばり)と言うところが有って、これも匂う地名だと思っています。

あの志多備神社の有る地名は岩坂、これも臭いけど、もっと興味深い地名が隠れているかもですね??。

感謝感激です、有難うございます。

PS:>筆頭に登場する長谷寺なのです

因みにこれは何処の長谷寺でしょうか??



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Unknown (Jun)
2009-02-10 22:01:57
>勧進縄じゃなく勧請縄ですよ。

訂正ありがとうございます。
PCで「勧」を入れたら「勧進」が出ちゃって、そのまま思い込みで覚えてしまうみたいです。
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Unknown (幽黙)
2009-02-10 22:16:13
志多備神社が鎮座されているところは
「岩坂」というのですね
これはもう「磐境」そのものですね
先の伊弉諾尊と伊弉册尊の話の中で
伊弉諾が桃の実を投げつけて
伊弉册の追走を振り切った場所が
「黄泉比良坂(よもつひらさか)」で
まさに彼岸と此岸の「磐境」ですから
かなり意味のある地名かと思われますね

愚生が縁故を戴いている長谷寺さんは
信濃長谷寺です
実はこの長谷寺から眺めることのできる
冠着山というのが『大和物語』や
能の『姨捨』に登場する「姨捨山」です
ただ愚生はこの信濃長谷寺がある
「小長谷山(おはせやま)」というのが
実は「姨捨山」なのではないかと思っています
『万葉集』に

 事しあらば
 小泊瀬山(おはつせやま)の
 石城(いわき)にも
 隠(こも)らば共に
 な思ひそわが背

というよみびとしらずの歌があります
この「小泊瀬山」は奈良の長谷ですが
ここで登場する「岩城」というのは
もちろんお墓のことで
信濃長谷寺の小長谷山には実は
古墳群があってまさに「岩城」であって
「死」を連想させる場所なのですが
小長谷山にはもうひとつの顔があって
それは「お日待ち信仰」です
長谷寺は参道も一直線に真東を向いていて
真向いにある志賀高原からの日の出を待つ
という祭礼があるのです
「死」のイメージに対して
日の出というのはまさに「再生」のイメージ
この二元性に着目しているわけです

さらに面白いのは
長谷寺の鎮守である「長谷神社」があって
祭神は「神八井耳命(かむやいみみのみこと)」
といいましてこれが南方海洋民族である
「オオ」の一族とからんでくる
「はせ」を導く枕詞の「こもりくの」ですが
実は「はせ」を導く枕詞にはもうひとつ
「あまおぶね」というのがありまして
「蜑小舟」と書きます
「海人」とか「海女」ではなく「蜑」
この「蜑」というのが面白いことに
中国南部からベトナム近辺の
海洋系少数民族の名前なんですよね…

と妄想が膨らみっぱなしなのですよ(笑)
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Unknown (ぺん)
2009-02-11 20:56:10
幽黙さん、感服しています。

僕はひたすら追いかけるばかりで、興味は尽きませんがまったく深くは学べていません。

しかし、今はそれでもいいかと思っています。

こうして色々教えていただくと、僕の小さな頭でも激震が走ります。

>中国南部からベトナム近辺の
海洋系少数民族の名前なんですよね…

これ農耕民族、民俗のルーツですよね。

凄く良くわかる気がします。

長谷寺(奈良)の山奥に瀧倉と言う集落があって、ここの瀧倉神社は長谷寺の奥の院だと言われています。

お勧めです。

すでにご存知かもですね????。

参考までにhttp://www.7kamado.net/takikura.html

PS、僕の地域では今でもお日待ち講というのが有って、伊勢神宮の信仰と結びついています。
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Unknown (幽黙)
2009-02-11 21:32:09
ありがとうございます
瀧倉さんの権現桜を観に
出かけたことがあります
あの細い道路は
あまり何度も走りたくはないかも…ですが…
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