ここまで何度となく取り上げてきた「極東ブログ」。「2020年を振り返って」の最後の部分が大きく心に響いた。
以下引用
”私はこの点でまったく間違えていた。そして、上述のような見解は、ブログに書く分にはさほど読まれもしないこともあり無意味に近いし、同じように考える人もネットなどに散見するが、社会に伝わることはない。それはほぼ絶対と言っていいほど、ありえないことだったのだ。私はこの事態を想定できなかったし、そうした社会の新しいルールに異も唱えないようにこの間、なった。私は社会通念に負けた。ブログを書く気力が減衰していたのはそうした敗北感もある。
いずれにせよ、私は間違っていた。修辞でもなんでもない。私ができるのは、そもそもが私に可能な私の未来の選択でしかなく、私には社会を超えることはできないし、そうすべきでもないだろう。”
引用終り
特に大きなインパクトがあったのは「私ができるのは、そもそもが私に可能な私の未来の選択でしかない」の下り。ブログ主 finalvent は今年で63歳との事、私より3つ年上である。
彼の諦観の透明感にはいつも感心させられる。誰にとっても、コロナは人生に一度あるか無いかの大きな出来事であり、社会全体に影響を及ぼしたことで、自分の考えと社会の反応のズレを検証出来る稀有な出来事であった。私も当然の様に、社会を超える事は出来なかった。
年齢が若いからか、より健康だからなのか、私の方が残り火が強い気がする。彼の域には最後まで達しない気もするが、もう少し私に可能な私の未来を選択していこうと思う。
以下引用
”私はこの点でまったく間違えていた。そして、上述のような見解は、ブログに書く分にはさほど読まれもしないこともあり無意味に近いし、同じように考える人もネットなどに散見するが、社会に伝わることはない。それはほぼ絶対と言っていいほど、ありえないことだったのだ。私はこの事態を想定できなかったし、そうした社会の新しいルールに異も唱えないようにこの間、なった。私は社会通念に負けた。ブログを書く気力が減衰していたのはそうした敗北感もある。
いずれにせよ、私は間違っていた。修辞でもなんでもない。私ができるのは、そもそもが私に可能な私の未来の選択でしかなく、私には社会を超えることはできないし、そうすべきでもないだろう。”
引用終り
特に大きなインパクトがあったのは「私ができるのは、そもそもが私に可能な私の未来の選択でしかない」の下り。ブログ主 finalvent は今年で63歳との事、私より3つ年上である。
彼の諦観の透明感にはいつも感心させられる。誰にとっても、コロナは人生に一度あるか無いかの大きな出来事であり、社会全体に影響を及ぼしたことで、自分の考えと社会の反応のズレを検証出来る稀有な出来事であった。私も当然の様に、社会を超える事は出来なかった。
年齢が若いからか、より健康だからなのか、私の方が残り火が強い気がする。彼の域には最後まで達しない気もするが、もう少し私に可能な私の未来を選択していこうと思う。
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