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よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

台湾旅行(その5)台南市

2011-12-15 15:14:25 | 旅行
日月潬をあとにしてバスは台南市へ向かいます。

台南市は、台湾では早くから世界に開かれた街でした。
17世紀初頭オランダがこの地を統治し、ゼーランディア城やブロビデンシャ城を築きました。
そのビロビデンシャ城跡が赤崁楼(せきかんろう)です。


中には鄭成功(ていせいこう)がオランダとの交渉している像が建ててある。


亀の上に碑が乗ってる。何か意味があるのかな?

石馬は、足がとれており、あとでセメントで補修してあります。

石馬には、こんな伝説があります。

もとは鄭成功の墓前を守っていたのですが、鄭成功の墓が福建省に移された後、この場所は荒廃し、民兵の首長が鄭成功の墓穴だった場所に埋葬されました。石馬は、その墓を守ることを拒み、夜になると付近の田んぼを踏み潰すという災いを起こすようになり、怒った農民に脚を鋸で切られてしまい今の姿になったのです。



別の建物の文昌閣にいきますと
学問の神様「魁星爺」の像が建っています。

右手に筆、左手ペン、右足で伝説の魚を踏み、左足で星を蹴っています。

台湾では、入試の前には受験生がお参りにきて希望の学校の名前を書きお祈りします。
福岡で言えば、太宰府天満宮みたいなところでしょうか?
また、神様の前においてある鉛筆は神様の許可が得られれば持ってかえることができます。
これで試験を受ければ合格間違いなしですね。




バスは次に延平郡王祠に向かいます。


台湾を占領していたオランダ人を駆逐した鄭成功の功績を賛え、鄭が死去した1662年に
彼を慕う人々によって創建され、開山王廟と名づけられた。
1875年には、清朝の大臣・沈葆禎によって福州式建築の新しい祠が建てられた。

日本統治下に入った後の1896年(明治29年)、開山王廟は鄭成功を祭神とする神社となって開山神社(かいざんじんじゃ)と改称され、翌1897年(明治30年)には県社に列格した。日本式の拝殿は作られたが、中国風の祠はそのまま残され、本殿とされた。第二次世界大戦終戦後、中華民国政府によって社殿が全て取り壊され、中国北方式建築を模した鉄筋コンクリート製の廟に建て替えられた。建物が全て新しいものであることから、延平郡王祠は古蹟に認定されておらず、史跡のみである。

中央には鄭成功の座像が祀られ、後殿には彼の母「翁太妃」(田川松)の位牌が安置されている。


鄭成功は、中国人の父と日本長崎平戸の田川松との間に生まれ7歳まで平戸で過ごしました。


参拝の後、ツアーの同行者からここのマンゴアイスが美味しいと聞き、神社の前のベンチで
食べました。マンゴの香りがしてとても美味しかったです。100元だったかな?


途中、お土産屋さんに立ち寄るとカラスミが売られていました。
カラスミは、日本では長崎の名物ですが台湾ではこの台南の名物なんです。
台湾では、「鳥魚子」と呼ばれています。値段は900元(日本円約2500円)、安いですね。

バスは今日の宿泊地「高雄」に向かいました。   (続く)