よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

紫陽花で菖蒲第2弾 佐賀「見返りの滝紫陽花」2012 

2012-06-25 10:37:26 | お花
紫陽花で菖蒲」第2弾。

今回は佐賀県唐津市「見返りの滝」です。




先週行こうと計画していましたが、大雨警報が出されていましたので止む無く中止しました。
よって先週の雪辱戦です。
この見返りの滝の紫陽花も今が一番の盛りなのでしょうか朝から人、人、人です。

今回は散策ルートを代えアジサイ橋の手前にある沢渡り石から向こう側に渡ります。
いつもとは違った光景に思わずカメラを向けてしまいます。

これをフォトチャンネルにしました。
こちらです。


佐賀「見返りの滝紫陽花」2012 

紫陽花で菖蒲「高塔山のあじさい」(北九州市若松区)

2012-06-19 17:00:01 | お花
「菖蒲で勝負」の第2弾【紫陽花で菖蒲】です。
6月16日は佐賀・唐津「見返りの滝の紫陽花」をアップするつもりでしたが当日大雨の為
中止になりました。

今回は北九州の紫陽花の名所「高塔山の紫陽花」です。
JR若松駅をスタート。
洞海湾沿いに歩きますと沿道には若戸大橋と満開の紫陽花が・・・・・

この若戸大橋は今年9月、50歳の誕生日を迎えます。
私の子供の頃はここが遠足の場所でした。
当時は東洋一の吊橋ということでしたが50年も経つとその地位を他の吊橋に奪われてしまいました。
「若戸博」というのもあったっけ。
この洞海湾には今年トンネルも開通予定です。

若戸大橋を通り抜けると「若松恵比須神社」に差し掛かります。
この神社は仲哀天皇、神功皇后が熊襲征伐の為筑紫の国へ行幸啓されたとき洞の海へと向かう
皇后の船が進まず武将武内宿禰が漁夫に海中を調べさせたところ「海底に光る石」が見つかり
「是は海童神(えびす)の心なり」という天皇の仰せによって神祠に祀ったことに由来します。
武内宿禰はその後再び当社近くの美しい海浜を訪れ若々しい松が連なる姿を愛でたことから
この地を「若松」と呼ぶようになった。(神社由来文より)

ウオーキングの安全を祈願しいよいよ高塔山に向かいます。
高塔山は若戸大橋完成の頃はロープウエーがありました。
ふもとの佐藤公園から高塔山展望台までのルートでしたが1970年ごろ廃止になりました。
今では登山道も整備され車で登って来れますが今回は歩いて124mの頂上を目指します。

登山道にはたくさんの紫陽花が植えられています。
きつい坂道もきれいな紫陽花を見ると疲れも吹っ飛んでいくみたいです。









※クリックしますと大きくなります。

山頂では「紫陽花祭り」が行われていました。
珍しい紫陽花も展示してあります。















会場では紫陽花の挿し木教室も開催されています。
我が家は家内が代表で参加です。
青い紫陽花と「クレナイ」を挿し木しました。

また会場では紫陽花の展示即売も行われていました。
どれも欲しい物ばかりですが、車だったらともかく歩いてきていますので持って帰るのに
重たくなりますので止む無く写真だけ収めました。




梅雨の晴れ間のアジサイウオーキングしっかり満喫いたしました。


宮地嶽の菖蒲と津屋崎千軒

2012-06-14 05:03:43 | ウォーキング
菖蒲も今が盛りなのでしょうか?
あちこちで咲いています。
昨年までは、あるSNSで「菖蒲で勝負」などと言って東西に分かれそれぞれの菖蒲の名所を
紹介しました。そのSNSが閉鎖になり今年はこの対決がないかな?と思ってましたら
東軍の方から「菖蒲で勝負」の挑戦状がきました。
勿論西軍としては受けてたちます。

さて、こちらの菖蒲は、福岡福間・宮地嶽神社の菖蒲です。
西軍として申し訳ありませんがこちらの菖蒲は「江戸系」です。
菖蒲は江戸系、肥後系、伊勢系などがありどう違うか私にはわかりません。




宮地嶽神社の創建は約1600年前にさかのぼるといわれる。
息長足比売命(神功皇后)が、三韓征伐の前にこの地に滞在し、宮地岳の頂に祭壇を設け祈願して船出したのが始まりといわれる。(神社説明文より)
今では商売繁盛の神様としてお正月の初もうでにはたくさんの方がお参りにこられます。
また、この神社の注連縄は日本一だといわれています。


宮地嶽神社の横の方には「民家村」があります。
合掌造りの家や藁ぶきの家もあります。
こちらでも菖蒲が咲いていました。




宮地嶽神社から出て右折します。
30分ぐらい歩きますと「津屋崎」に出てきます。
この津屋崎は平成の大合併で福間町と一緒になり「福津市」になりました。
津屋崎は江戸期~明治にかけては海上交通の要所や塩田で栄えました。
ただ、鉄道の駅が福間に出来ると陸上交通が主流になり福間がここの中心部になってきました。
この津屋崎は今の国民健康保険の基礎となった制度「定札制度」というのがありました。
宗像医師会のHPを見ると
 「この宗像地方を中心に、200年ほど前より「定礼(又は常令)」と言う医師と患者の組織が出来ました。
この制度は、「患者と医師の信頼関係で、お互いに助け合って行こう」と言う独特の医療互助組織でございます。すなわち住民は、日々の所得に応じて、医師に金品を提出する代わり、医師は、患者が出ると必ず診察しなければならないというものでした。」
国民健康保険が出来るときには視察団がこの地に来たそうです。

そういえば2年前唐津街道を歩いた時「畦町」あたりでこの制度を作った方の銅像があったなと
今思い出しました。高村翁だったかな?

「津屋崎千軒」は芦屋千軒、関(下関)千軒などと同じく商家が千軒もあったといわれています。
残念ながら大火事でその家屋が残っていませんが町を歩く。造り酒屋さん、藍物屋さんなど
当時の面影を残しています。





津屋崎千軒を過ぎると海に出てきます。

今日は天気がよくヨットや釣り人、サーファーの方などが海を楽しんでいます。
お昼もまだでしたので「夕陽館」で休憩します。
館内でお弁当も販売されていましたのでこれを買いしばし昼食休憩です。
休憩していると何か眠くなってきますね。

ゴールの福間駅まであと4km
汗を搔き搔き1時35分ゴールしました。









宝珠山蛍鑑賞ウオーク(福岡県東峰村)

2012-06-03 16:56:00 | ウォーキング
昨日(6/2)は、宝珠山(ほうしゅやま)へJRの蛍鑑賞ウオークに行きました。
今年で3回目です。
昨年は蛍撮影何とか1枚だけは成功したのですが今年もまたチャレンジです。

午後3時過ぎに宝珠山駅に着きそれからゴール地点の筑前岩屋駅まで歩きます。
途中民家の前で「さつき展示中」という看板をみつけちょっと拝見します。
庭先にはたくさんのサツキが・・・・・
何でも苗木のころから栽培されたそうで見事なサツキになっていました。

宝珠山は、日本の棚田百選にも選ばれています。
今日も田植えが行われていました。
今月の9日からこの棚田に棚田の火祭りと言って棚田に1000本の竹灯篭を点すそうです。
きれいでしょうね。
       

JR日田彦山線の宝珠山管内には3つのめがね橋があります。
このめがね橋を列車が通るのを待っていたのですが最後の金剛野橋で撮る事ができました。


さて蛍のスポットはどこがいいかそのポイントも探さなくてはいけません。
昨年は棚田親水公園で撮影しましたから今年は別な所と思いこの金剛野めがね橋近くで
行うことにしました。

ゴールの筑前岩屋駅には午後5時ごろ到着。
この岩屋駅には標高844mの釈迦岳トンネル内の中央から湧き出る水を汲むことができます。
そのために家からペットボトル20㍑分の容器をもってきました。
この水でご飯を炊いたり焼酎、コーヒー、お茶を飲むと大変美味しいです。




さて、日暮れまでまだ時間があります。
それまで車の中でちょっと昼寝を。

午後7時ごろ起床
さあ、宝珠山の蛍鑑賞です。
宝珠山の蛍は昭和55年ごろから河川の清浄活動を始め蛍の保護活動を行ってきました。
長年の活動が実り県下でも有数の蛍スポットになっています。(村の案内板より)

蛍は日が暮れた午後7時半ぐらいから光ってきます。
乱舞を始めるのは8時ごろからです。
20数枚一眼で撮りましたが、そのうち4~5枚は撮影に成功いたしました。
約1分間の開放で撮りました。
それがこれです。

蛍が出てきました。



蛍の乱舞の始まりです。




蛍撮影に夢中になっていると9時近くなってきます。
名残惜しいけどここで帰ることにします。
岩屋駅から我が家まで高速を使わずに約2時間かかりました。
我が家に着いたのが11時過ぎでした。
今日は朝から晩までウオーキングで疲れました。