よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

「福岡市都心の三庭園を廻る」下見ウォーキング

2018-11-30 19:37:37 | ウォーキング

11/30(金) 今日は、ふくおかウォーキング協会1月の例会「福岡市都心の三庭園を廻る」の下見に行ってきました。

【楽水園】 博多駅から徒歩10分ぐらいで住吉神社の近くにあります。

明治39年に博多商人、下澤 善右衛門 親正(しもざわ ぜんえもん ちかまさ)が住吉別荘を建てた跡地。親正は、父尚正(なおまさ)と親子二代にわたり、家業と並んで福博の発展に貢献した人物で

「楽水」とは、親正の雅号です。戦後は、旅館「楽水荘」として使用され、平成7年に福岡市が池泉回遊式(ちせんかいゆうしき)の日本庭園として整備、開園しました。

その際に、本園の名称もその由来を受け継ぎ「楽水園」と名付けられました。(楽水園HPより)

博多塀」は、戦国時代、たて続けの戦乱で廃墟となりつつあった博多の町を豊臣秀吉が復興するとき、焼け石や焼け瓦などをつかった土塀をつくりました。これが博多塀です。

  

  

 

  

  

【松風園】 松風園は、都心から南の浄水通りの高級住宅地に位置しています。

 昭和20年代に建設された茶室と日本庭園を有する公園です。かつて福岡を代表する百貨店として人気を博した「福岡玉屋」の創業者・田中丸善八翁の邸宅「松風荘」の跡地を新しく整備し、

平成19年に「松風園」として開園しました。

  

 

 

松風園の近くには、勤王思想をもち、高杉晋作・平野国臣・西郷隆盛らと交遊があった「野村望東尼(のむらもとに)」の山荘があります。

このあたりは、望東尼の山荘から「山荘通り」と呼ばれています。

  

【友泉亭(ゆうせんてい)公園】 最後は、城南区にある「友泉亭」。 

友泉亭公園は、もと筑前黒田家六代藩主継高公が江戸中期の宝暦4年(1754)に別館(別荘)として設けた由緒ある「友泉亭」を福岡市で初めて池泉廻遊式日本庭園として整備したものです。

平成十年には、福岡市指定名勝となり、奥ゆかしき日本の美を漂わせる歴史公園として今日親しまれています。

「友泉亭」とは、久世三位源通夏卿が「世に堪えぬ暑さも知らず湧き出づる泉を友とむすぶ庵は」と詠じた歌の意をとって名付けられたものです。(友泉亭公園パンフより)

 

 

 

  

 

 

  

  

紅葉も幾分盛りは過ぎたかもしれませんが、充分楽しませてくれました。

1月の例会の時は、どんな花が咲いているでしょうね。楽しみです。

六本松駅がゴールですが、お昼になりましたので、最近移転してきた「裁判所」の食堂でお昼を戴きたいと思い、中に入りました。

入口を入ると手荷物や身体検査など空港で行われているボディチェックを受け、地下の食堂に行きました。

今日の日替わり定食です。@680です。

  

 


瀬高町「清水寺(きよみずでら)の紅葉(福岡県みやま市)

2018-11-28 15:33:51 | ウォーキング

11/25は、JR九州ウォーキングで「清水寺」の紅葉を見に行ってきました。

スタートは、JR瀬高駅。田園風景を見ながら、清水山へ。今日は、朝方放射冷却で冷え込み田畑には、まだ霜が残っていました。日陰に入るとちょっと寒さを感じます。

  

約45分ぐらいで眼鏡橋に到着。

  

清水寺本坊に着きました。本坊前では、イチョウ、もみじなどが紅葉しています。

清水寺は、天台宗の開祖、伝教大師によって開かれた古刹。開山以来、一千二百余年の間、清水寺は多くの人々の厚い信仰を集めてきました。 

寺の言い伝えによると伝教大師は、唐から帰朝の折り、有明海の東方山中に美しく輝く光を発見されました。その光を求めて、一羽の雉を道案内にこの山に分け入ったところ、

苔むした合歓(むね)の霊木に出会われたのでした。このうえなく喜ばれた大師は、大地から生えたままのこの樹に一丈六尺(約5メートル)の千手観音像を刻まれました。

そして大同元年(西暦806年)にお堂を建立し、その観音様をお祀されました。(清水寺HPより)

 

 

 

 

   

    

300円を支払い、庭園内へ。清水寺本坊庭園は、室町時代に雪舟が造ったといわれています。国指定名勝。

この庭園は、「心」でみることと寺の方の説明を聞きながらしばし庭園内を見渡します。

 

  

本坊を後に、清水寺本院に向かいます。長い階段を登ります。

  

 

三重塔です。

 

茶店では、伝統玩具「きじ車」がありました。清水山には、行基や伝教大師が山中で迷った折、雉子に道案内をされて霊木を見つけたという伝説があり、雉子は霊的な鳥の象徴として、

早くから雉子を模した玩具が造られていました。 開運や縁結び、家庭円満への道案内をすると伝えられています。

 

 

今年最初の紅葉見学しっかり楽しみました。

 


第20回城下町おだわらツーデーマーチ2日目「真鶴・湯河原コース」20km(神奈川県真鶴町・湯河原町)

2018-11-25 07:16:46 | ウォーキング

城下町おだわらツーデーマーチ2日目(11/18)は、「真鶴・湯河原コース20km」に参加しました。

集合場所は、真鶴駅裏の真鶴中学校。コースは、真鶴駅から真鶴半島を一周し、ミカン畑を通り、湯河原梅林~幕山公園~湯河原駅迄。湯河原駅から電車で小田原駅に戻り小田原城迄20km。

  

8:45から出発式。式には、湯河原のゆるキャラ「ふうた」「たんぺい」が来てくれました。

 

9時スタート。真鶴駅から5分ぐらいの所に荒井城址があります。後三年の役(1083年)に源義家に従って活躍した荒井実継の居城といわれ、現在は緑地公園となっており、遊具も設置されています。

春にはしだれ桜22本が咲き誇り、桜の名所としても名高い。

  

上り坂を進んでいくと左手に真鶴港が見えてきます。皇帝ダリアも咲き誇っています。

約30分ぐらいで「中川一政美術館」に到着。中川一政は、東京の本郷で生まれ、文芸誌「白樺」により日本に紹介されたゴッホやセザンヌの作品に触発され、絵を描き始ました。

1914(大正3)年、21歳で描いた処女作「酒倉」が第14回巽画会において入選、翌年にも最高賞の二等賞を得たことで、画家として生きていくことを決意いたしました。

岸田劉生が組織した草土社を経て春陽会の会員となり、その後は会の中心メンバーとして、戦後日本洋画壇を引っ張っていく存在となりました。

1949(昭和24)年に当真鶴町にも画室を構え、やがてここを拠点として創作活動を行い、また画家としての業績が称えられ1975(昭和50)年には文化勲章を授賞しました。(中川一政美術館HPより)

今日は、ウォーキング参加者には、入場料無料です。私達も中に入りました。

 

  

1時間ぐらいで1回目のチェックポイント「ケープ真鶴」に到着。ケープ真鶴は、真鶴半島の先端部に属しています。

 

名勝「三ツ石」、幕末の台場遺跡もあります。

  

  

ケープ真鶴から下り坂を進むと、真鶴港にやってきました。ここでは、干物、ホップコーン、ミカン、パン、つみれ汁などの接待がありました。

 

お酒がほしくなりますね。

 

 

 

お腹いっぱいになり、再び出発します。

貴船神社は、今からおよそ千二百年ほど昔の夏、真鶴岬の笠島(現在の三ツ石)の沖合に、夜ごと不思議な光が現れ、海面を煌々と照らしていました。ある日「平井の翁」という人が磯辺に出て

遥か沖を見渡したところ、光を背にした一隻の楼船が波間に浮かび海岸に近づいてくるので、船内を調べてみると、そこには木像十体余りと、口伝によれば、「この神をお祀りすれば村の発展がある」と

記された書状があったとされます。その夜、神は翁の夢に現れ、自らが大国主神である事を告げました。そこで翁は村人と力を合わせて社を建て、村の鎮守の神としてお祀りしたのが、

現在の貴船神社の起源と伝えられています。貴船まつりの起源は古く、神社の創建当初より、漁船や運送船の大漁や安全を祈って行われていた「船祈祷」が始まりとされます。これは、

寛平元年(889年)夏、神霊が御船に召されて真鶴岬の突端・笠島に流れ着かれたのを、郷民がお迎えして奉斎した故事に因んで行われました。山上の社殿より、神輿が海上を渡御し町内に

お出ましになるという形式は、貴船まつりの特色です。(貴船神社HPより)貴船祭りは、日本三船祭りの一つです。

 

 しばらく歩くと左側に「品川台場礎石之碑」が」あります。品川の台場の基礎には、真鶴から切り出された石が使われたそうです。

品川台場礎石之碑  江戸末期の嘉永6年、海防のため砲台を築造せし品川台場の遺跡が、埋立工事により空しく失われることを思い、真鶴町株式会社鈴木組社長鈴木亀蔵及び

横浜市松浦企業株式会社社長松浦信太郎の両氏が、浄財を投じてその礎石の一部をここに移し碑を建つ。建立者がこの地を以ってしたるは、礎石の大石が当地産出の名石で

あることを世に残さんとし、且つ採石に當りし当時の労苦を偲びてその冥福と当地の石材関係者の発展を祈願するにありと云う。

これにより品川台場の遺跡が、この地に於て保存せられるのみならず、当時に於ける郷土の石材開発の状況の一端をも知ることを得、将来貴重なる文化財となり名所地とならん。

ここに建建の由来を記し、両氏の功績と愛郷心に敬意を表す。 昭和40年11月3日 真鶴町長 尾森東次 (説明文より)

その横には、「しとどの窟」があります。治承4年(1180)、源頼朝は平家討滅、源氏再興の兵を挙げましたが石橋山の合戦にて敗れ、土肥実平に導かれて隠潜した巌窟が、

この「しとどの窟(しとどのいわや)」です。 流れ落ちる湧水、苔むす岩石。 「土肥椙山観音像群」と呼ばれる多くの観音や石塔が立ち並ぶ、夏でも涼しい仙境です。(湯河原温泉観光協会HPより)

 

真鶴港を歩きます。海の匂いが漂い、海の近くで生まれた私には、懐かしい匂いです。

  

真鶴駅に戻り、ここから湯河原のミカン畑に向かいます。急な坂が待ち構えています。

    

上り坂が続きます。途中で小さな女の子が、ミカンを持ってウォーカーたちに配っています。ちょっと休んでミカンをいただきました。甘くて美味しい!

この地点で12,7km、ゴールまであと7k余りです。

  

湯河原梅園に着きました。ここが2回目のチェックポイント。

  

ここには、「幕山」があります。幕山という名前は、南麓斜面に露出した岩壁が遠くから眺めるとまるで部隊の幕のように見えることからつけられました。

パワースポット「幕山の幕岩」は、源頼朝主従に次々に危機がおそってきた山中では、土肥の大杉・小道地蔵、しとどの窟、自鑑小、立石、兜石などで危機を乗り切り「鎌倉幕府開運街道」と

呼ばれています。その奇跡を起こしたのが、街道を支える幕山の岩壁「幕岩」です。柱状節理で大地のエネルギーを直接受けられるスピリチュアルスポットです。

  

湯河原梅園からは、下り道です。

 

歩いていると珍しい犬に出会いました。「オーストラリアキャトルドック?」という種類です。シェパードより小さいが力強いような感じがしました。

新幹線のガードの手前を右折。ここからは、アップダウンが続きます。

 

急な下り坂を越えると「湯河原駅」が見えてきました。コースは、湯河原駅から電車で小田原駅に移動し、そこから歩いて小田原城址に戻ります。

マップには、電車の時刻表が載っていました。現在13時丁度です。時刻表を見ると、13:18があります。(このあとは、特急ですので何としてもこの電車に乗りたい)

13:06 湯河原駅に到着。

 

湯河原駅前には、「土肥実平」の銅像が建っています。土肥実平(どひさねひら)は、鎌倉時代の武士。相模国土肥郷を本拠とする鎌倉御家人。もと平氏。

源頼朝の挙兵に応じ石橋山の戦いには頼朝の危機を救い,以後源平合戦,奥州征伐に功を立て,備前,美作,備中,備後,播磨などの守護に任じられた。

『吾妻鏡』建久2 (1191) 年7月 18日の記事にみえるのが最後。その子孫は小早川氏を称し,安芸国に下向し勢力を伸長した。 (コトバンクより)

何と、中国地方「小早川氏」の先祖だそうです

   

小田原駅からは、歩いて小田原城址へ。13:48ゴールしました。

 

今日の記録です。GPSは、湯河原駅までです。

  

今日は、18時の飛行機で福岡に帰りますので、ゴール受付後すぐ小田原駅に戻りました。

 


第20回城下町おだわらツーデーマーチ1日目「川の風感じる富士見散策コース」20km(神奈川県小田原市)

2018-11-22 14:47:32 | ウォーキング

11/17~18は、「城下町おだわらツーデーマーチ」に参加しました。

この大会6年前(2012年)に参加したのですが、その時は雨で富士山も見れなくがっかりして帰った記憶があります。

今回は、20回という記念大会ですので久しぶりに参加しました。

   

私達が参加したのは、「川の風を感じる富士見散策コース20km」です。天気予報では、この2日間は、あまりよくなく、雨も降るということでしたが、朝から快晴の天気です。

小田原城址銅門広場をスタートし、小田原宿なりわい交流館→酒匂橋→マロニエ→延清公民館→富士見大橋→飯泉観音→小田原大橋→小田原城址銅門広場ゴールです。

この小田原は、2か月前個人的に歩いている「旧東海道」で歩いた所です。会場に行く前、昼食用にと駅前の守谷パンでアンパンを買ってきました。

加藤小田原市長の挨拶のあと、手造り北条隊の方の鉄砲でスタート。この鉄砲撃つと、銃口からテープが出ていました。

  

小田原のゆるキャラ「えっさほいファミリー」も見送りしてくれました。

  

お城を出て、旧東海道を歩きます。ここは、2か月前旧東海道小田原宿を歩いた時に通りました。

 

小田原なりわい交流館、小田原宿清水本陣跡を通り、かまぼこ通りへ。小田原の蒲鉾の歴史は、今から220年くらい前(天明年間)、小田原城主“大久保忠信”の時代(北条早雲時代(1432〜1519年)

という説もあります)。だといわれています。現在小田原蒲鉾組合に加入されている業者は13社。

小田原蒲鉾は参勤交代で箱根路を通る大名にも賞味されたため、職人たちはより一層技術の向上、鍛錬に励みました。今日も賞賛され続ける小田原蒲鉾の味、高級な風格はこうしてつくり上げられ、

その美味しさは多くの人々の口伝えで全国へ広まっていったのです。

  

旧東海道を通り、酒匂川(さかおがわ)に来ました。橋の上からは、雪を被った富士山が見えます。 富士山はホント素晴らしいですね。九州に住んでいますがいつも憧れています。

  

歩いていると、ケーキ屋さんの方でしょうか、手造りチョコをいただきました。

  

コース上には富士山がずっとついてきてくれます。何と幸せなことか!。

 

川東タウンセンターマロニエが1回目のチェックポイントです。ウォーキングでの救護の方がここから自転車でスタートされました。ダイナシティを通ります。

  

 ここからは、関口川沿いの田園地帯に入ります。遮るものがなく、富士山が綺麗に見えます。しばらくは、富士山を見ながらのウォーキングです。

  

  

     

富士道橋を渡ります。渡るとすぐ左折します。この先の小田原アリーナが2回目のチェックポイント。ゴールまであと8,7km。

  

少し休憩し再びスタート。富士見大橋を渡ります。すぐ」左折して、橋の下のトンネルを潜ります。

 

しばらく歩くと、勝福寺(飯泉(いいいずみ)観音)です。飯泉山勝福寺は、京都東寺真言宗の名刹(由緒ある古寺)で、十一面観音が本尊です。寺伝によれば、弓削道鏡が東に下った際、

北千代台(小田原)に創建した千葉山弓削寺の東院堂ともいわれています。今の飯泉に移された後、小田原城の鬼門鎮守の道場としてあがめられ、通称「飯泉観音」と呼ばれ、

坂東三十三観音の第五番札所として有名です。(小田原市HPより)また、ここの大イチョウは、神奈川県の天然記念物に指定されています。

  

小田原大橋を渡り、小田原市街地に向かいます。

  

小田原市街地にやってきました。ゴールの小田原城址銅門広場まではあと少しです。

13時15分ゴールしました。IVVでは、距離が22kmでした。

  

ゴール後、前回東海道歩きで気になっていた「だるま料理店」に行ってきました。このだるま料理店は、明治26年創業、唐破風入母屋造りの建物は、国の有形文化財に登録されています。

    

注文したのは、私が天丼セット、家内が刺身定食です。老舗の味をいただきました。

  

 

 


うきは道の駅と山国町の案山子を訪ねて(福岡県うきは市、大分県中津市)

2018-11-12 20:07:42 | ウォーキング

11/12は、私の〇〇回目の誕生日です。つい先日誕生日を迎えたかと思うと、もう今年の誕生日が来てしまいました。この歳になると一年が早いです。

【道の駅うきは】

今年からタレントのタモリさんがうきは市の「ふるさと大使」に命じられタモリさんの案山子が多かった。

うきは市とタモリさんの関係は、タモリさんの奥様がうきは市の出身だそうでその縁でふるさと大使に決まったそうです。

 

 

  

保育園、幼稚園の子たちは、ちびまる子、どらえもん、などの作品が多かったです。

  

スポーツ界では、大坂なおみさん、テレビで話題になったスーパーボランティアの尾畑さん、トランプ大統領の作品もありました。

  

  

【山国町かかしワールド】 つや姫

ここの案山子は、昔の田舎の暮らしが描かれています。

  

 

 

  

  

 【山国町かかしワールド】 なかよし村

ここは、平成、昭和の時代を懐かしむ案山子が展示されています。

 

  

  

  

  

  

 


第14回別府・大分かぼすツーデーウォーク1日目別府コース10km(大分県別府市)

2018-11-02 20:52:16 | ウォーキング

10/27(土)は、第14回別府・大分かぼすツーデーウォークに参加しました。

この日は、夕方から地元の小学校の同窓会があるので、コースは、10kmを歩きました。(自分としては、物足らない感じですが・・・・)

会場は、大分市と別府市の中間にある田ノ浦ビーチ。出発の準備をしていると、札幌のSさんと会いました。Sさんは、足を骨折されて久しぶりの大会参加だそうです。

午前8:00、30kmコースと一緒にフライングスタートします。

昨年は、この別府コース、悪天候で中止になりましたのが、今日は秋晴れのいい天気です。

   

国道10号線沿いの海岸を歩きます。遠くには、大阪~別府間のフェリー「さんふらわー」が停泊しています。

 

正面には、鶴見岳と由布岳。

北浜の海岸にやってきました。

  

北浜公園が10kmのチェックポイントです。温泉卵が振る舞われました。

  

「波止場神社」があります。名前も面白いし、ちょっと調べました。

波止場神社(はとばじんじゃ)は、大分県別府市元町に鎮座する神社。旧社格は無格。祭神は、大物主命、気長足姫命、倉稲魂命、菅原神、市杵島姫命、三筒男命、事代主命。

明治の初め、廃藩置県の政治改革で幕府領別府が日田県となり、初代県知事松方正義は将来、鄙びたこの出湯の里が繁栄することを予測した。そのために早速取りかかったのが

海上交通の整備としての波止場づくりだった。その時、築港工事や内海航行の安全を祈願して勧請したのがこの波止場神社である。

 境内にある大正2年に建てられた築港建設の記念碑には総工費20000両、東西100間、南北80間の防波堤を築き、明治6年初めて汽船「益丸」が就航したとある。

それだけに祭神はすべて海に縁のある商売繁昌の神々である。八幡神をはじめ、住吉三神から宗像三神、金比羅さん、お稲荷さん、恵比須大黒にいたるまでこの狭い境内に祀ったものである。

 明治3年鎮座祭に配られた記念の扇面には当時の新波止場や流川、松林に家並などの漁村風景が描かれている。扇の裏面には”港の左右の干潟に出湯があり、海内稀なる潮湯泉にて

もろもろの病を治す。と記されている。  拝殿は入母屋造桟瓦葺妻入りの建物である。梁間3間、桁行2間の吹放しで正面には「波止場神社」と松方正義の書になる木彫りの額が掲げられている。

向拝の木鼻や手挟みには波の紋様が刻まれ、格天井には明治4年駐春園主人嶋石生の手になる花鳥、十二支が描かれている。

尚、往年の西鉄ライオンズの名投手稲尾和久さんの生家に近いことから「稲尾神社」とも呼ばれているそうです。

波止場神社の横には、「竹瓦温泉」があります。ここには、普通浴と砂湯があります。

明治12年(1879)創設で、当初建築されたものは竹屋根葺きの浴場でその後改築されたものが瓦葺きであったため、竹瓦温泉の名称がついたと伝えられています。

現在の建物は昭和13年(1938)に建設されたもので正面は唐破風造(からはふづくり)の豪華な屋根をもつ温泉となっており、その外観は別府温泉のシンボル的な存在となっています。

天井の高いロビーは昭和初期のイメージを残しており、湯上りにくつろげるスペースとなっています。 名物の砂湯は浴衣を着て砂の上に横たわると砂かけさんが温泉で暖められた砂をかけてくれます。

  

コースは、商店街に入ります。このあたりに創業大正5年のパン屋さんがあったのですが・・・・・

ありました。「友永パン屋さん」です。この店は、中に入ると整理券を受け取り、オーダー表に注文するパンを書いて渡します。

お客さんは多いのですが、店員さんが機敏に動かれ、そんなに待たなくてもいいです。また、パンの値段も安いです。(小倉アンパン@100)

   

六盛は、別府でも有名な冷麺屋さんです。お昼時には、行列ができます。

コースは、国道10号線(小倉街道)に戻ってきました。

 

 

10:50  ゴールしました。フライングスタートしたので僕らが最初にゴールしたみたいです。ゴール後、抽選会では、新米3合が当たりました。

 

このあと、同窓会に参加するため、別府から高速で帰りました。