6/5(木)ふくおかウォーキング協会やさしいウォークは、「お菓子の道を歩き、ひよこ工場を見学しよう!」でした。
長崎から北九州小倉までの旧長崎街道は、別名「シュガーロード」とも呼ばれています。
江戸時代「鎖国」がとられていた中でも長崎は、オランダ、唐との貿易を行っていました。長崎で輸入された「砂糖」は、長崎街道を通り大坂まで運ばれて行きました。
長崎街道道中の長崎は、「カステラ」、佐賀県小城は、「羊羹」、佐賀市「丸ボーロ」、飯塚「ひよこ」「千鳥饅頭」「南蛮往来」、小倉「栗饅頭」などのお菓子が生まれました。
これがシュガーロードです。(他に博多「鶏卵素麺」、諫早「諫早おこし」、大村「へこはずし」、嬉野「逸口香」など)
昭和に入り、炭鉱ブームで沸いた飯塚では、炭鉱で働く人の甘いお菓子またお土産として「ひよこ」「千鳥饅頭」が発売されました。
今日は、その「ひよこ」工場見学です。
「ひよこ」ですが、今や、飯塚いや福岡を代表するお菓子です。東京にも「東京ひよこ」という会社を作っており、昔、私がサラリーマンだったころ、東京からの出張で来られた方が
東京土産ということでこの「ひよこ」を持ってこられたことがあります。その時はみんな唖然としていました。
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集合場所は、JR飯塚駅 参加者22名。
飯塚駅に向かう途中、川にナマズが泳いでいました。

また、こんなスリムな建物もありました。ここにチャンポン屋さんがありましたが、昨日から休業されていました。

集合場所のJR飯塚駅

今日のマップです。

9:30スタート

さかえ屋南蛮往来店(旧さかえ屋本店)
長崎街道沿いに店舗がありますが、2015年からシャトレーゼ傘下に入りました。

穂波川沿いに歩きます。
ひよこ穂波工場が見えてきました。

直売所 電話が七四五とは・・・・飯塚名物も右から書いています。

二代目「石坂 茂さん」像

ひよこの「吉野堂」HPを見てみると、
「ひよ子」のふるさとは、筑豊飯塚。飯塚は昔からお菓子づくりが盛んに行われてきました。それは鎖国時代に長崎の出島に輸入された砂糖が小倉まで運ばれる長崎街道(シュガーロード)に
沿って、お菓子づくりの文化が育まれてきたからです。また筑豊といえば、明治初期から炭坑で栄えたところ。肉体労働が続く炭坑で働く人たちの、エネルギーとなる甘いものが好まれたことも、
お菓子づくりを支える結果となったのでしょう。その飯塚の地に初代店主・石坂直吉が菓子舗「吉野堂」を開業したのは明治30年。屋号である「吉野堂」は、福岡から飯塚に抜ける
八木山に咲く「染井吉野」に由来したものです。
時は大正元年、飯塚市で明治より続く菓子屋を営んでいた二代目店主・石坂茂は、カフェを営むほどチャレンジ精神が旺盛でした。菓子作りでも従来の丸い形ではない、もっと愛される饅頭を
といつも考えていました。そんなとき、夢の中に現れたひよこ。 その愛らしさにやっと探していたものと巡り合えたと感じた二代目は、その形づくりに没頭します。当時、丸や四角しか
なかったお菓子の世界で、立体的な、しかもひよこの形をしたお菓子は誰もが想像すらしなかったもの。試行錯誤の末、大正元年の冬、独特の木型とともに、愛らしい形の饅頭「ひよ子」は
やっと誕生しました。茂にとって、この菓子は苦労の末授かったわが子と同じ。だから「ひよ子」と名づけました。わが子「ひよ子」、という思いからです。
工場見学は、写真撮影禁止ですので工場内の写真はありません。

工場見学終了後、できたての「ひよこ」をいただきました。

できたての「ひよこ」は、温かく美味しくいただきました。
係の方に電子レンジで温めてもこの味がいただけるか聞きますと、出来立てに近い味が味わえるそうです。今度電子レンジで温めてみようかな~

帰りは、少し違った道を通ります。江深橋を渡り、長崎街道に面している「貴船宮」を通ります。

ゆめタウン飯塚が仮ゴールです。 12:05 ゆめタウンにゴールしました。
