よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

清水山ボタン園(福岡県みやま市瀬高町)

2015-04-30 22:22:32 | JR九州ウオーキング

4/26は、JRウオーキングで「清水山ボタン園」に行ってきました。集合場所は、JR瀬高駅。

受付で羊羹とおせんべいをいただきました。

  

このコース、秋の紅葉コースでは、何回か訪れていますので、大体のコースは、わかっています。

清水山に入りました。ここから登りになります。山道の傍には、「シャガ」が群生しています。

  

清勝院に行く途中、眼鏡橋がかかっています。説明文によれば、

この橋は、大塚地区を流れる返済川に掛けられた石造りの独特な構造を持った眼鏡橋です。

文久4年(1864)大塚地区民が中心となり、女山、草葉の人々によって造られたもので、出資者は、女山の梅野六之平氏、設計は大塚の西田氏(のちに学習院長になる)、施工は、湯谷村(現在の大牟田市四箇)の石工、

儀平氏と中原村(現在の山川町中原)の宗右衛門氏によるものと伝えられています。石材は、飯江山(飯盛山)より切り出されたもので、石質は、女山の神龍石と同質のものです。

この度、返済川の改修に伴い、この地に永く伝えるため移転したものです。  平成元年5月

 

清水山ボタン園です。入園料は、300円ですが、JRウオーキングに付、本日だけ200円です。

園内には、80種約2500株のボタンが咲き誇っています。ただ、全般的に見てちょっとピークを過ぎたかな?という感がします。

以前5月の連休に唐津・肥前町のボタン園に行ったことがありますが、その時は、ピークでした。今年は、全般にお花の咲くのが早いような気がします。

 「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は、百合の花」。これは、芍薬のように風情があり、牡丹のように華麗で、百合のように清楚という女性の美しさを形容する言葉です。

牡丹は、花の王(花王)、百花の王とも呼ばれています。唐獅子牡丹、緋牡丹・・・・・あれあれ、何か昔の東映映画、高倉健さんの「唐獅子牡丹」、藤純子(現、富司純子)さん「緋牡丹博徒」が思い出されますね。(笑)

そうそう、「白牡丹」というのもありましたね。あれは、広島のお酒の名前です。

ボタン園から清水寺(きよみずでら)へ向かいます。山門までの急な階段を上るとまた階段です。ふうふう言いながら登ってきました。

 

   

寺の言い伝えによると伝教大師は、唐から帰朝の折り、有明海の東方山中に美しく輝く光を発見されました。
その光を求めて、一羽の雉を道案内にこの山に分け入ったと ころ、苔むした合歓(ねむ)の霊木に出会われたのでした。
このうえなく喜ばれた大師は、大地から生えたままのこの樹に一丈六尺(約5メートル) の 千手観音像を刻まれました。
そして大同元年(西暦806年)にお堂を建立し、その観音様を お祀されました。

このお堂が現在の本堂です。本の木で刻まれたお観音さま ですから、清水寺の山号を本吉山と言います。 (清水寺HPより)

お寺では、御朱印をいただきました。(最近、御朱印を集めるのも趣味になりつつあります)

 

  

清水寺本堂を更に上った所に「三重塔」があります。

総高約26.5メートル、本瓦葺の三重塔。大阪・四天王寺の五重塔を模して1836年(天保7年)に建立され、1984年(昭和59年)に修復されてました。

1955年(昭和30年)3月5日、福岡県有形文化財に指定されています。

   

三重塔の上にある食堂「竹屋」には、藤棚があって今が一番の見ごろです。藤棚に見とれていると、鳥籠の中に見慣れない綺麗な鳥がいます。鳴き声は、鶯と小綬鶏の鳴き方を2で割ったようなもの。

聞いてみますと「朝鮮ウグイス」だそうです。

帰って調べてみると、「相思鳥(そうしちょう)」でした。インド北部、中国南部、ベトナム北部、ミャンマー北部に自然分布。日本、ハワイ等に移入したそうです。

     

展望台には、野生?のウサギが2頭いました。近づいてもそんなに逃げません。人間に慣れているのかな?

特産品の販売所では、郷土玩具の「キジ車」がありました。キジ車っていうと、人吉の郷土玩具と思ってましたが、伝説で 「伝教大師(最澄)が道に迷った時一羽の雌雉が現れ光明輝く合歓の霊木に案内した」

とある雉にちなんだ郷土玩具雉子車(きじぐるま)です。

  

駅に向かって歩いていると清水公民館にてお接待がありました。お茶とお芋の蒸かしたもの。ちょうどお腹も減っており美味しくいただきました。

駅に向かっていると民家のお花が綺麗でしたのでカメラで撮りました。

  

11:25瀬高駅にゴール。鹿児島本線瀬高駅発11:31で帰途につきました。

 

 

 

 

 

 

 


道の駅「たちばな」~船小屋温泉「恋ほたる」

2015-04-29 00:01:00 | 日記

福岡県八女市立花町にある、道の駅「たちばな」に行ってきました。

国道3号線を南下、熊本県との県境にあるのが、道の駅「たちばな」です。

 

この道の駅「たちばな」は、2011年、全国直売所甲子園で第一位の農林水産大臣賞を受賞しました。

山に囲まれ、「山藤」が満開です。

 

立花町は、日本有数の竹の産地で、タケノコの生産量は、日本一だそうです。

今、ここの名物が「たけのこ大釜ゆがき」。直売所で買った「タケノコ」を大釜で湯がいてくれます。

  

 大きな釜で湯がいたタケノコは、美味しいだろうな・・・・などと思いますが、2~3時間は、一寸待てません。直売所で湯がいたタケノコを買ってきました。

直売所横には、立花町のおいしい井戸水を竹炭でろ過したお水を汲むところがあります。勿論無料ですので、私が行ったときも3人ぐらい待たれていました。

また、竹炭を使った足湯ならぬ「足水」コーナーもあります。

  

この直売所のもう一つの名物は、「兜饅頭」。饅頭の上に「兜」の刻印が押されています。もうすぐ、端午の節句ですね。記念に買いました。

  

さて、今日のお目当て。船小屋温泉です。道の駅「たちばな」から3号線を筑後方面に戻ります。

 船小屋では昔からわき水が吹き出ており、この上を飛ぶスズメがよく落ちていたため、『雀地獄』と呼ばれていました。文化年間(1804~1818)、難病 で苦しんでいた老人が病の苦しさから

いっそのこと死んでしまいたいと『雀地獄』の水を飲み、その中に浸りました。ところが、死ぬどころか気分がよくなり長 年の病気が楽になり、一ヶ月もすると治ってしまいました。この噂が広がり、

近くの村々から湯治客がやってくるようになったため村の大庄屋が井戸を掘ること を決め、有馬藩の殿様に願い出て井戸を掘ったのが船小屋温泉の始まりとされています。浴場が完成すると、

鉱泉の評判が広まり、多くの人が集まるようになり ました。明治19年の分析の結果、この泉は含有量日本一の含鉄炭酸泉で、飲用して胃腸病・貧血症・浴して婦人病・神経痛などに効果があることが分かりまし た。
その後、船小屋温泉は戦傷軍人の湯地場に指定され、多くの文化人にも愛され夏目漱石も浴しました。鉱泉場の北側には漱石が読んだ句『ひやひやと雲が来るな り温泉の二階』の碑があります。

 

   

船小屋温泉の日帰り温泉は、筑後広域公園内にある「恋ボタル」です。

炭酸水素塩温泉は、美肌作用が高く、「美人の湯」と呼ばれています。(※温泉の写真は、恋ボタルHPから引用)

温泉の温度は、35℃~40℃。ゆっくり入っていると体の芯まで暖かくなってきます。  あったかいんだから・・・・・・

約1時間ほど入っていました。さて、美肌効果はどうかな・・・・・・・・

  

 


「中山大藤まつり」(福岡県柳川市三橋町)

2015-04-28 05:51:52 | JR九州ウオーキング

4/25 JR九州ウオーキングで柳川市三橋町の「中山の大藤」を見に行きました。

  

筑後船小屋駅を出発。筑後船小屋駅周辺には、ソフトバンクホークスの2軍練習場が建設されています。

来年春完成予定ですので来年は、駅周辺も変貌するのではないでしょうか。

  

筑後広域公園内では、紅空木(卯の花)が咲いています。毎年5月ぐらいに咲きますので今年は、少し早い開花です。

   

途中、目野酒造に立ち寄りました。

目野酒造は、明治23年(1890)創業。現在の当主は、6代目だそうです。店内では、試飲コーナーがありました。

私、どちらかと言えば、日本酒は苦手の方で一口だけ試飲しましたが、とてもおいしかったです。

  

中山の大藤(昭和52年4月 福岡県の天然記念物に指定)の発祥は、江戸時代の享保年間(1716~1735)に遡ると伝えられています。伝承によれば、当地で酒屋を営む通称「万」さんという人が、上方見物をし、

河内野田の藤のあまりの見事さに心を奪われ、藤の実を持ち帰り、自宅に植えたと伝えられています。 数十年後、四尺程度(約120cm)の見事な花を咲かせられるようになり多くの見物客で賑わったと伝えられています。

 その後、現在の熊野神社境内に移植され、地元保存会の方が念入りに手入れをされてあります。 

   

  

  

 

 

藤といえば、日本古来の花木。万葉集にも詠まれています。藤のトンネル、藤のカーテン・・・・・・そして、甘い香りが漂ってきます。

見ているだけで気持ちがよくなります。花の廻りには、大きな蜂が飛んでいますが、この蜂は、何にもしませんが、大きさゆえにちょっと怖い気さえします。

10:50 ゴールの筑後船小屋駅に到着。

今日は、朝早かったのでお腹も減ってきました。お昼にはまだ早いですが、駅の横に九州芸文館があり、その中に「ななつ星」というレストランがあります。ここに入りました。

ちょうどランチタイムだったので私は、カレーセット、家内は、チキンの南蛮を注文しました。

  

 

 

このお店、筑後に本店がある「麦の石橋工業」が経営していて、ご飯は、雑穀米、食材は、地元産を使用しています。とてもヘルシーで美味しかったです。

食後のコーヒーは、デミコーヒーでなく、普通サイズのコーヒーでした。

ですが、このお店、来月(5/10)で閉店するそうです。

  

閉店まであと2週間あまり・・・・・・また食べに行きたいな~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


久留米ツツジマーチ2015 2日目20km(福岡県久留米市)

2015-04-21 19:34:42 | オールジャパンウオーキングカップ

4/19 久留米ツツジマーチには、「2日間のうち、どちらか1日は、雨」というジンクスがあります。できれば青空の元、歩きたいのですが、今年もそのジンクスが当たりました。

昨晩(4/18)遅くから降り始めた雨は、そんなに強くなく、小雨模様。レインコートを着て会場に向かいました。

会場に向かっている途中、40kmコースがスタートしていて、JRウオーキングで顔なじみのKさん、Nさん、Yさんたちが元気よく出発されていました。

2日目の20kmは、「日本三大火祭り 鬼夜大善寺コース」です。昨年は、皿山コースでしたが、今回は、コースが変わっています。

出発前には、福井・車さん夫妻とお会いしました。車さんとは、今月初めの名古屋ウオークでご一緒しました。

8:30  雨の中、20kmコース中央公園をスタート。コースは、これから、筑後川ツツジ公園→ブリジストン通り→JR久留米駅→水天宮→大善寺玉垂宮→久留米商業高校→中央公園に戻ります。

  

2,1km地点の筑後川ツツジ園が最初の給水ポイント。久留米大学医学部を通り、ブリジストン通りへ。

   

JR久留米駅前には、世界最大直径約4mのタイヤが展示されています。

   

久留米駅の構内を抜け、坂本繁二郎生家を通り、給水ポイントの「水天宮」。ここが5,3kmです。久留米水天宮は、全国水天宮の総本宮。河童伝説もあります。

この河童から久留米のゆるキャラ「くるっぱ」が生まれたそうです。

  

   

上鶴橋を渡り、筑邦西中学を過ぎると、拡声器から大きな声が聞こえてきます。運動会にしては、まだ早いかな?などと思っていると、市議選の選挙でした。今日告示されたのですね。

  

  

10:34 チェックポイントの大善寺玉垂宮に到着。

 

 

国の重要無形民俗文化財で、日本三大火祭りの一つである鬼夜が行われる玉垂宮は玉垂命、八幡大神、住吉大神が祀られています。
神功皇后の三韓出兵に大功のあった藤大臣(高良大明神・玉垂命とも称す)が、ここで没したと言われ、天武天皇のころ、672年(白鳳元)三池長者師直が、玉垂宮の古跡に法相宗の僧安泰をして祭神を祀らせ、

そばに1宇の精舎を開基して御廟院高法寺と号したのに始まるといわれます。
後に天台宗となり、814年(弘仁5)、殿堂、楼門、回廊など新たに建立し、善美を尽くしたので大善寺に改められました。
境内約1万5000平方メートル。
本殿、弊殿、拝殿、楼門、惣門、回廊、神輿殿、石鳥居、社務所のほか、鐘楼、阿弥陀堂があります。
社宝に「絹本著色玉垂宮縁起」2幅(重要文化財)があります。

大善寺玉垂宮の鬼夜」は、大晦日の夜から正月7日まで行われる「鬼会(オニエ)」の最終日に行われる行事で、1600年余りの伝統があり、日本三大火祭りの一つに数えられるとともに、国の重要無形民俗文化財に指定されています。

仁徳天皇56年(368)1月7日、勅命により藤大臣が、当地を荒し人民を苦しめていた賊徒・肥前国水上の桜桃沈輪を、闇夜に松明を照らして探し出し、首を討ち取って焼却したのが始まりだと言われています。

玉垂宮の入口には、「城島鬼面瓦」が展示されています。城島というと、福岡の酒蔵として有名ですが、城島瓦は、江戸時代に有馬公が丹波の国(現在の京都府、兵庫県)より瓦工を連れてきたことから始まったとされ、

約400年もの伝統があります。

鬼瓦(鬼面)は、室町時代にお寺の屋根の飾りとして、その後民家の魔よけとして威厳ある日本の瓦の代表として盛んに製造されてきました。

13世紀後半ごろから獅子や怪獣の顔から二本角で虎の牙で怒涛の鬼の顔に変わりました。

  

大善寺から20k、40kの分岐点になります。40kは、これから福岡の酒蔵「城島」へ向かいます。

20kは、ここから田園地帯に入って行きます。田んぼのあぜ道を通りますが、雨の為所々に泥濘が出来ています。

  

11:44 最後のチェックポイント「久留米商業高校」に到着しました。久留米商の生徒さんがボランティアでお手伝いされています。

あのブリジストン創設者「石橋正二郎氏」は、この学校のOBです。ゴールまであと4km。

12:28 ゴールしました。今日は、小雨が降ったりやんだりで歩きにくいコンディションでしたが、4時間以内でゴールできました。

ゴールの後のご褒美は、地元、丸永製菓の「白くま」です。

  

また、九州マーチングリーグ(九ML)ファーストをクリアしましたので表彰していただきました。景品は、キャップ、ワッペン、それと九州マーチングリーグ1回分のパス券です。

  

本日のGPSです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


久留米ツツジマーチ2015に参加しました。1日目20km(福岡県久留米市)

2015-04-20 22:37:20 | オールジャパンウオーキングカップ

4/18~19に行われた「第18回久留米ツツジマーチ」に参加しました。今年で7年連続の参加です。朝6時に自宅を出発。会場には、7:15に到着しました。

ちょうど40kmコースの出発式が行われ、40kmを見送って受付をしました。

   

1日目は、「大パノラマ・森林つつじ公園コース」20kmにエントリーしました。

3月から、鳴門、名古屋と参加者が少ない大会に参加しましたが、この大会、人気のコースとあって、1000~1200人ぐらいの参加者です。

やはり人が多いと活気がありますね。また、この大会「久留米つつじマーチ」、韓国・済州島「西帰浦菜の花ウオーキング大会」、中国大連市「国際アカシアウオーク」と共に「東亜フラワーウオーキングリーグ」となっています。

隣国、韓国からのウオーカーも参加されていました。

 

8:30スタート。昨年は、久留米大学から高良大社に行くコースでしたが、今年は、一昨年のコースに変更されていました。昨年の高良大社に行くルートは、階段が多く、まるで心臓破りの階段みたいでした。

今年のこのコースも上り坂が多く、きついですが、階段に比べればまだマシです。

   

   

9:30 高良内コミュニティセンター給水所を通過。ここで5,3km地点。これから上り坂が続きますので水分を補給します。

 

上り坂にさしかかります。今日、私、いつも履いているシューズを修理に出そうと思い、別のシューズを履いてきました。いつものシューズより少し大きめですので足の踵にマメができたみたいで痛くなりました。

この坂道を登り切ったらチェックポイントですのでそこで治療しようと思います。

  

  

  

  

10:20 久留米森林ツツジ公園チェックポイントに到着。ここで9,1km地点。綺麗に咲いたツツジを見ながら両足のマメの手入れを行います。見てみるとマメは破裂寸前です。

救急絆創膏を貼り、その上からテーピングをしました。ゴールまで持ってくれればいいのですが・・・・・

  

森林ツツジ公園からは、長い下り坂です。側道には、野の花が咲いています。この花を見るのも私の好きな光景です。

  

下った所が、20k、40kの分岐点です。40kは、ここから善導寺、草野を廻ってこの付近に帰ってきます。私達20kは、直進します。

 

このあたりは、民家のお花を楽しむことができます。

  

  

11:40第二のチェックポイント、山川小学校に到着。15km地点です。ここでは、さくら味噌の「味噌汁」、「白玉ぜんざい」が振る舞われました。ゴールまであと6km。

       

   

山川小学校を出てから少しスピードを上げます。御井小学校の所で10kmと合流。良山中学、南筑高校前を過ぎ、国道の信号を渡った時、後ろから来た方が、何かにつまずき、私の方に倒れてきました。

そのはずみで私の右足の踵にぶつかりました。「痛い」という衝撃が走りました。多分マメがつぶれたのでしょう。もうゴールも近いので我慢してそのまま歩き続けます。

転ばれた方は、幸いけがもされてなく、大事にいたらなくてよかったです。

 

 

久留米ツツジ公園に入りました。ゴールまであと少し。この大会、久留米の幼稚園や小中学校の子供さんも参加されています。

小学生は、歓迎遠足を兼ねているのでしょうか、引率の先生と歩いています。

  

  

12:55  ゴールしました。

  

さて、昨年は、ゴールの後の抽選会で「ウオーキングシューズ」が当たりました。今年も当たらないかな・・・・・・と密かな望みをもって抽選番号を見ると、

1番違いでシューズを逃しました。(私は、862番、当たりは、863番) 宝くじだったら前後賞があるのに・・・・・・・

2年連続で当たるなんてそんなにうまくいくはずはありませんよね。アハハ

   

ゴールして足のマメの具合を見ましたら、やはりつぶれていました。応急処置をして明日に備えます。

本日のGPSです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


潮干狩りへ(福岡市西区今津浜崎海岸)

2015-04-17 20:28:44 | 日記

今日から大潮に入りました。無性にアサリ貝が食べたくなり、熊手を持って潮干狩りに行きました。

今日の干潮は、14:42. 潮位は、14cmですのであまり潮が引かないかもしれません。

13:30  500円の入漁料を払い、潮干狩り開始です。空からは、テレビ局の取材でしょうか、ヘリが飛んでいます。

  

潮が引くまで浅瀬で掘っていましたが、あまりアサリがいません。掘って出てくるのは、小さい貝ばかり。

14:42  干潮時刻になりましたが、潮はあまり引きません。引くというよりもむしろ潮が満ちてきています。

  

結局、2時間ぐらい掘って1kgぐらい。

私が、子供のころは、バケツ一杯ぐらい掘っていましたが、アサリ貝も少なくなってきたのかな?・・・・・・・・・・・

 

 

 

 


門司港から下関を歩く

2015-04-14 18:50:50 | JR九州ウオーキング

 

4/12 JR九州ウオーキングで門司港~下関を歩きました。

     

8:21門司港駅に到着。すでに受付が始まっており、コース地図をいただきスタートします。レトロ地区では、御衣黄(ぎょいこう)が咲いていました。

       

プラタナスの葉も新芽が出てきています。レトロ地区今日は、どうもワンちゃんの数が多いなあと思っていましたら、ドックフェスティバルが行われていました。

和布刈神事で有名な「和布刈神社」にお参りし、関門人道トンネルで下関にわたります。途中、街路樹の桜は、まだ花弁がついていますが、風が吹くとそれが花吹雪みたいに舞っています。

    

   

  

関門人道トンネル下関側から火の山に向けて歩きます。山陽道の時は、もっと遠回りしていたような気がしますが・・・・・

  

ロープウェイで展望台へ。ここから見る関門海峡は、ビューポイントです。

  

展望台から降りてきます。丘の斜面には、トルコチューリップがいっぱい咲いています。

4年前、福島のKさんが下関に来られた時に見に行き、感動してデジブックを作りました。

今回は、関門橋を模した花壇もありました。

  

  

火の山を下りてくると、壇ノ浦があります。そこでは、紙芝居が行われていました。亀山宮では、世界一の「ふく」の像があります。

  

さて、お腹もすきましたので、下関のHさんお薦めの「英国館」に行きました。ここは、1906年に建設された旧英国領事館です。

今は、食事や喫茶が出来るようになっています。

カレーセットを注文しましたが、このセット前菜、食後のデザートもついています。カレーもおいしく、とてもハッピーな気分になりました。

英国館では、ピーターラビット展が行われていました。

   

  

お腹も一杯になり、ゴールへ向かいます。ゴールは、門司港駅横の九州鉄道記念館。唐戸から渡船に乗りましたが、この日、風が強くすごく揺れました。

   

※4年前に行ったときの火の山公園、トルコチューリップのデジブックです。 ↓ ↓ ↓

デジブック 『トルコチューリップ』


第12回名古屋ツーデーウオークに参加しました。(2日目20km)

2015-04-08 20:31:52 | オールジャパンウオーキングカップ

4/5 昨夜からの雨が今朝も続いており、今日は雨の中のウオーキングになりそうです。

6:00ホテルをチェックアウトし、朝食を食べに名古屋駅前へ。

6:56の地下鉄で会場の熱田神宮公園へ。雨の為、隣接の球場の軒下での出発式です。

7:45スタート。参加者は、昨日と同じぐらいでしょうか?

  

最初は、熱田神宮の中を通ります。皆さんの後をついていきましたら、本殿にお参りするのを忘れてしまいました。

熱田神宮は、「あつたさん」と呼ばれ伊勢神宮に次ぐ由緒あるお宮です。御神体は、三種の神器の一つ「草薙剣」です。

歩いていると、歩道のインターロッキングに「東海道」のイラストが描かれています。街道歩きは、昨年11月に山陽道、西国道を歩き、京都まで来ました。いつかは、この東海道を歩いて「お江戸」まで行ってみたいです。

 

歩いていると、右側に「都々逸発祥の地」の碑があります。

寛政12年(1800)ごろ、今の熱田区伝馬町の東方付近で歌い出され大流行しました。江戸時代、この辺りは東海道五十三次の1つ宮の宿と呼ばれ、旅篭が約250軒もあったそうです。

その中の“鶏飯屋”で働くお手伝いさんが大変な美声で『神戸節』『潮来節』などを歌い、終わりに「どどいつどいどい」などという囃子を入れたのが始まりで飲食関係の女性から名古屋全域に広まっていきました。

やがて七・七・七・五の字数に合わせ、土地の情景や人情ものを歌い込む人が現れ、名古屋の名物となった。歌碑は縦1.8m、横30cmほどの御影石で、裁断橋跡の西側のたもとにあります。

裁断橋」は、大正時代まで熱田区内には精進川が流れ、東海道には裁断橋が架けられていました。また、精進川を三途の川と見立て、橋のたもとには死者の衣服を奪い取る奪衣婆(だつえば)をまつる姥堂がありました。

橋の名の由来には、死者を閻魔大王が裁断する場という説もあります。

1926年に川が埋め立てられ橋は撤去されましたが、1953年に近くの姥堂境内に縮小して復元されました。元の橋の欄干の擬宝珠(ぎぼし)は名古屋市の文化財に指定され、名古屋市博物館に所蔵されています。

そして、この擬宝珠の一つには、私財を投じて橋の架け替えを行った堀尾金助の母が、亡き子をしのんで書いたとされる和文の銘が刻まれています。

1590年、18歳の堀尾金助は小田原の戦いに出発しましたが、病に倒れ帰らぬ人となりました。裁断橋まで出征を見送った母は、翌年、供養のために裁断橋を架け替えました。

その後、33回忌にも再度架け替えを行い、擬宝珠に刻まれたわが子に対する母の想いが人々に語り継がれました。

なお、愛知県大口町に堀尾一族の屋敷があったことから、同町の五条川にも裁断橋と擬宝珠が復元され堀尾跡公園となっています。(熱田区HPより)

  

国道1号線に入ります。このあたりは、日本を代表する会社の本社が並んでいます。ブラザー工業、パロマ工業、トヨトミ工業・・・・・・・・

  

桜の名所「山崎川さくら並木」にやってきました。

新瑞橋から石川橋までの2,8kmの山崎川両岸に約700本のソメイヨシノが植えられ、日本さくら名所100選にも選定されています。

昭和3年(1928)、石川耕地整理組合が、石川橋から左右田橋までの山崎川両岸に約500本の桜を植えたのが始まりだそうです。

  

 

 ホント、素晴らしい桜並木です。天気がよかったらお花見の方がたくさん来られてにぎやかだったでしょう。

雨は、否応なしに降り続きます。

石川橋が10k、20k、30kの分岐点です。30kは、ここから東山動物園、ナゴヤドーム、徳川園を通りますが、この雨です。20kmにコースを変更しました。

   

覚王山から右折します。歩いていると前方から名古屋市議選の候補者でしょうか、雨の中傘も差さずに歩かれています。

私、名古屋市民ではありませんが、候補者に「頑張って下さい!」と声を掛け、握手してきました。

  

20kのチェックポイントは、「日泰寺」。

日泰寺は、タイ国王から寄贈された釈迦の舎利を祀るため、明治37年(1904)建立されました。我が国惟一の超宗派の国際的寺院です。

寺院の名前も日本とタイということで「日泰寺」とネーミングされたのでしょうか?

   

日泰寺を過ぎると「すいどう道緑道」といって、桜並木のきれいな道路に入ります。今日は、地域の方のお花見でしょうか、屋台も出ています。

雨の中のお花見、盛り上がりも今一つでしょうね。

   

名古屋市街地に入りました。昔の流行歌に「盛り場ブルース」というのがありますが、名古屋編では、 栄  今池  広小路   と歌っています。

その今池、栄がここです。

 

 

 

 

名古屋テレビ、西高蔵交差点を過ぎるとゴールは、もうすぐそこです。

12:20 20kmゴールしました。実際は22kmあったそうです。

  

ゴールのあと、御参りできなかった熱田神宮に行ってきました。

熱田神宮に、無事にゴールできたこと、またこれからも安全に歩けるようお参りしました。

  

さて、「名古屋めし」ですが、

鉄板ナポリタンとあんかけスパゲティです。鉄板ナポリタンは、下に溶き卵が敷いてあり、それをスパゲティに絡めて食べます。僕らが子供の頃、スパゲティといえば、ナポリタンとミートソースでした。

何か、子供のころに食べた味がしました。

あんかけスパゲティは、あらかじめゆで置きしておいた太いスパゲッティを、焼きそばのように、ラードや植物油で炒め、中華料理の餡のような粘性とコクのある辛味の効いたソースがかかった料理です。

この辛味は胡椒をたっぷりと使うためであるが、味のベースはトマト味です。ミートソースを名古屋人好みの味に仕立てようとしてできたと言われています。

  

名古屋めしは、あと名古屋コーチンを使った、鳥料理、うなぎのひつまぶしなどがありますが、鳥料理は私、ちょっと苦手ですので、次回は、ひつまぶしに挑戦しようと思っています。

新幹線で帰るため、名古屋駅に行くと、長い行列ができています。最後尾は、待ち時間3時間と表示されています。何のお店だろうと覗くと、ポップコーンのお店で、今月4/1に日本で4番目のお店として

オープンしたそうです。3時間というと、博多まで新幹線で3時間半ですので、結構長いですね。

  

3日間の名古屋旅行でしたが、名古屋はいろいろ見る所が多く、またいつか、旅行で行きたいと思っています。今度は、雨が降らないよう祈っています。

今日のGPSです。スタートのボタンを押すのを忘れ、熱田神宮がスタートになっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


第12回名古屋ツーデーウオークに参加しました。(1日目30km)

2015-04-07 20:20:48 | オールジャパンウオーキングカップ

4/4 名古屋ツーデーウオーク1日目に参加しました。

私、名古屋市内を歩くのは、初めてですので、楽しみです。

   

参加したのは、会場の熱田神宮公園をスタートし、荒子観音~中村公園~萱津神社~清州城~美濃路~問屋記念館~名古屋城~那古野神社~白川公園~大須観音~熱田神宮公園ゴールの30kmコース。

私のDバックには、先月までの風車に代わり、「鯉のぼり」が立っています。

今日は、天気予報では、時々雨。然し、朝から太陽が顔を出しています。

会場内を見渡すと、知った方がいらっしゃいます。福岡ウオーキング協会の方々、埼玉・kiyoさん、福井・車さん・・・・・その中で岐阜の花火さんが声を掛けていただきました。

何度かお会いしていると思いますが、実際お話するのは、初めて。花火さんは、福岡のぼくちゃん&相棒さんや車さん、神戸のちゅうさんともお知り合い。ウオーキングをしているといろんな「輪」が広がっていきますね。

そうそう、福岡ウオーキング協会のTさんは、この大会でオールジャパン47都道府県完歩だそうです。おめでとうございます。

7:45 スタート。30kmは、120~130人ぐらいの参加者です。

 

西高蔵から左折すると堀川沿いに桜並木があります。その横には、名古屋国際会議場。

 

南荒子駅から左折すると「荒子観音」です。

荒子観音(浄海山円龍院観音寺) 尾張四観音の一つで、寺号は観音寺といい天台宗のお寺です。また、1200 余体の円空仏でも有名です。
荒子観音は、天平元年 (729年) の創建と伝えられ、加賀藩主前田利家が天正4年(1576) に修造しました。
多宝塔は天文5年 (1536) に再建され、市内最古の木造建築物で国の重要文化財に指定されています。

そういえば、荒子観音の先には、前田利家生誕地がありました。前田利家というと加賀城主のイメージがありますが、利家は、荒子城主前田利春の四男として尾張国海東郡荒子村(現中川区荒子)で生まれたそうです。

  

信号が変わり、横断していると何とも派手な格好の方が歩いてこられた。その格好には、私の鯉のぼりもはっきり言って負けています。ウオーカーかな?と思いましたが、路上芸人「えぐれ☆笹島」さんでした。

「ちゃぶ台ミーティング」と称してウクレレ片手にライブ活動を行っているそうです。

  

JR八田駅を過ぎると前方に大きな鳥居が見えてきます。豊国(とよくに)神社の大鳥居です。この鳥居日本一と言われています。

全国に豊国神社がありますが、大阪では、豊国(ほうこく)神社と呼んでいます。

名古屋の豊国神社は、豊臣秀吉の誕生を記念して明治18年(1885)に創建されました。

  

中村公園は、この神社を中心に広がっています。公園内の桜は、今、満開です。

   

  

中村公園を過ぎ、庄内川、新川を渡ります。前方には、まだ雪を被った山が見えます。あれが、滋賀、岐阜県境の伊吹山でしょうか?

  

コースは、あま市に入ってきました。「萱津(かやつ)神社」があります。ここは、全国でも珍しい「漬物の神様」です。

言い伝えによると、この土地の人々が神前にウリ、ダイコン、ナス等の野菜を供えていたが、海(当時、この地が海岸線であった)からとれた塩も供えるようになりました。

やがて、野菜と塩を甕に入れて供えるようにしたところ、野菜が塩漬けとなり、偶然にも漬物になったそうです。

五条川を更に上ると、清須市に入りました。この五条川の堤防には、沢山の桜が植えられそれを見ながら歩いていると、なんだか気持ちがよくなりますね。

今日、名古屋は、雨の予想でしたが、予想が外れ、暑くなってきました。スマホで気温を見ると23度に達しています。

  

名鉄名古屋本線の踏切を渡ります。名古屋本線は、豊橋から岐阜、一宮につながっています。

  

  

清州城が見えてきました。清須は、お城が「州」、市名は「須」と「す」が違います。清須公園の桜は、今、満開です。花見をされている方がたくさんおられます。

また、今日は、この名古屋ツーデーウオークの他に「清州ウオーキング」といってJR主催のウオーキング大会も行われています。

  

清州城入口が30kmのチェックポイントです。暑くて手持ちのペットボトルも底をつきましたので、係りの方に「お水などの飲み物はありますか?」と聞くと、「飲み物は各自で用意してください。」と言われました。

各地の大会を歩いていますが、こんなこと言われたのは、初めてでした。幸い、対岸の「清須ふるさとのやかた」に自販機がありましたので、そこでペットボトルを買いましたが、もし、コースが山の中で

自販機もコンビニもない所でしたらどうしたでしょうか?

清州城は、織田信長の天下取りの出発点です。21歳で那古野(なごや)城から清州城に入城した信長は、桶狭間の戦いで今川義元を破り天下統一に邁進していきます。

信長が小牧、岐阜、安土へと移った後も尾張の中心地として栄えました。在りし日の清州城は、三重の濠をめぐらした大城郭でした。

それが、東海道本線、東海道新幹線、高速道などが作られ城郭は、分断されました。現在の城は、平成元年に築城されました。

  

清州城で折り返し、再び歩き始めます。町を歩いていると旧家が建ち並んでいます。街道好きな私は、こういう旧家を見るのが好きです。

ここは、「美濃路」といって、東海道「宮宿」と中山道「垂井宿」を結んだ脇街道です。宿場は、宮宿→名古屋宿→清須宿→稲葉宿→萩原宿→起宿→墨俣宿→大垣宿→垂井宿の9宿です。

 

歩いていると旧家の1階と2階の間に祠みたいなものがあります。これは、「屋根神様」といって名古屋を中心に尾張に広まった信仰です。戦後は、次第に取り壊され今では数えるほどしか残っていないそうです。

  

問屋記念館」下小田井の市の創始者の一人といわれる山田九左衛門家の住居を、平成4年(1992年)に、移築復元したものです。山田家は、野口家とともに、日本三大市場の一つである「下小田井の市」を

支えた中心的な存在でした。明治の初期に建てられ、美濃路を形成してきた町家のなかでも江戸時代の青物問屋の様式を伝える建物です。

記念館の内部には、当時扱っていた青果などが展示されています。

   

時刻は、12時15分を過ぎました。歩いているとコンビニがありましたのでここで給水を兼ね休憩することにしました。

先月の鳴門ウオークで右足ふくらはぎを痛めましたので、長距離を歩くと途中で休憩したくなります。

15分ぐらい休憩の後、再びウオーキング開始です。

庄内川を渡ると名古屋市に入ってきました。

    

浅間町が30kと20kの合流点です。名古屋城はもうすぐそこです。

  

名古屋城は、関ヶ原の戦い後、徳川家康が東海道の要塞として、また大阪方への備えとして清州からの遷府を決め、加藤清正、福島正則、前田利光など北国、西国大名に普請を命じ造らせました。

  

今日は、天気も持ち直しお城の廻りではお花見も行われています。

白川公園にやってきました。この公園は、昭和42年に約9ヘクタールという広い敷地に開園しました。

巨大なプラネタリウムや名古屋市美術館があります。

  

  

 大須観音は、愛知県名古屋市中区大須にある真言宗智山派の別格本山。本尊は聖観音。寺号は詳しくは「北野山真福寺宝生院」と称し、宗教法人としての公称は「宝生院」ですが、一般には大須観音の名で知られています。

日本三大観音の1つとも言われる観音霊場です。境内には、「大正琴発祥地」の碑があります。

明治45年 大須の住人 森田五郎氏が 八雲琴をもとにして 小型で手軽な二弦琴を作り上げた。 時に重陽の節句であったことから 菊琴と名付けられた。 この菊琴をさらに弾き易く改良されたものが

現在の 大正琴 の原形といわれております。 大正時代大流行したこの琴も 時代の変遷により その音色もいつしか消え去りました。

昭和2年 一人の少年がこの楽器のとりことなり 以来58年間 改良に改良を加えながら, 大衆芸能と云われるまでに 育て上げてきました。(案内板より)

観音の横には、派手な看板の商店街があります。面白そうですので立ち寄ってみたかったのですが、時間の関係でスルーしました。

 

 

    

14:55ようやくゴールしました。6時間10分もかかりました。30kでしたが、実際は、33kmありました。

  

さて、今日の「名古屋めし」です。

味噌おでん、天むす、台湾ラーメン。台湾ラーメンは、名古屋が発祥だそうです。

今日のGPS

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


名古屋に行ってきました。

2015-04-06 16:54:58 | 旅行

4/4~4/5に名古屋で行われる「第12回名古屋ツーデーウオーク」に参加するため、前日の4/3から名古屋に行ってきました。

朝一番の新幹線でしたので名古屋に着いたのは、9:35。この時間だったら、喫茶店のモーニングがあるなと思い、駅の地下の喫茶店へ直行。

名古屋は、モーニングサービスでも有名な所ですね。お店によっては、一日中モーニングがあるそうです。夕方になったら「イブニング」ともいうのかな?(笑)

  

追加メニューで名古屋名物「小倉サンド」もいただきました。トーストに小倉餡なんて邪道だろうと思っていましたが、食べてみるとバターの塩味とマッチしていけます。はまりそうです。(笑)

  

歴史としては、1950年頃繊維業が盛んであった愛知県一宮市で、商談などで朝から集まった人のために店がピーナツやゆで卵を付けたのが、当地のモーニングサービスの始まり、との説がある。

また、同県豊橋市を発祥地とする説もある。東三河モーニング街道研究会によると、豊橋駅前にあった「仔馬」という喫茶店において、従業員のまかないとして出していたパンを客に対しても提供するようになったのが発祥であり、

一宮とは同時期の出来事であるという。愛知県では喫茶店利用客と喫茶店の数の多さが地域内部での商業競争を呼び、これらのサービスを生んだとされている。(wikipediaより)

現在、福岡でも名古屋のコーヒー屋「コメダ」が出店してきており、いずれ福岡にも名古屋スタイルのモーニングが定着するのでしょうか?

 

モーニングの後、ホテルへ荷物を預けるため駅前に出ると、凄い高層ビルが建っています。

  

小生、名古屋へは、何回か来ていますが、電車の乗継などがほとんどで主に駅の構内ばかりでした。名古屋の街は、歩いたことがありません。

初めて街歩きをします。地下鉄に乗り、名古屋城へ。

 

昨年は、姫路城の桜、一昨年は、岩国錦帯橋の桜を観賞しました。今年は、名古屋城の桜。

ツーデーウオークのコースにも名古屋城は入っていますが、ウオーキング中だとあまり、じっくり見ることができません。ゆっくり見たいと思いやってきました。

名古屋城の桜は、広大な敷地に、ソメイヨシノや枝垂れ桜など約10種類、1000本の桜があります。

  

今日の雨で少し散りかけていますが、それにしても素晴らしい桜です。

お城見学のついでに「清州城」にも行ってきました。名古屋駅に戻り、名鉄で新清州駅で降り、約15分ぐらい歩くと清州城に着きます。

清州城は、清須市にあります。お城の「州」と市名の「須」が違います。

  

 

清州城の対岸にある「清州公園」も桜の名所です。今日は、細かい雨が降っていますが、天気の良い日には、花見のスポットです。

 

公園内には、信長と濃姫の像が建っていました。

  

このあと、名古屋に戻り、名古屋城のライトアップを見に行こうしましたが、20:00になると照明が落とされ、見えませんでした。仕方なく栄の方に行きます。

栄のテレビ塔の所に行きましたら、何か、UFOみたいな建物が建っています。これは、バスセンターです。

このUFOみたいな建物の上に人が集まっていますのでなんだろうと私達も上がって行きました。

上は、水槽になっていました。残念ながらお魚はいませんでした。

  

さて、今夜の晩御飯です。

名古屋名物というと、きしめん、味噌カツ、ひつまぶし、あんかけスパゲティ、味噌おでん、味噌煮込みうどん、手羽先、どて煮、台湾ラーメン・・・・・・・これらのものが「名古屋めし」と言われています。

ひつまぶしは、お値段がちょっと張りますので、きしめんと味噌カツを注文しました。

きしめんは、福岡・筑後でいう、団子(だご)みたいでした。味噌カツは、辛いかな?と思いましたがそんなに辛くなくいただけました。

  

この名古屋城の桜は、後日「デジブック」にて公開しようと思っています。

こうして名古屋の初日が終わりました。