よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

近くの山へ桜鑑賞

2020-03-29 18:44:39 | ウォーキング

3/29(日)今日、本来は福岡市内の桜の名所を歩く「さくらウォーク」の日でしたが、昨晩福岡県知事が記者会見で29日は、不要不急の外出を自粛するようにと要請があり、

さくらウォークは急遽中止になりました。

本日(3/28 21:15)の福岡県知事の記者会見におきまして、28、29日両日の不要不急の外出の自粛が要請されました。 つきましては、3月29日(日)に開催を予定しておりました

「第11回さくらウォーク」は誠に残念ではありますが、急遽中止とさせて頂きます。 急なご案内となりご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご理解・ご協力を賜りますようお願い申し上げます。

事態の沈静化と皆さまのご安全を心よりお祈り申し上げます。

   

デジイチなど用意していたのですが、急だったのでがっかりです。仕方ないので近くの山へ桜を見に行きました。

ここの桜は山の頂上にあり、隠れ桜の名所です。

ここの桜はまだ4分咲きぐらい、あと3~4日ぐらいで満開になるでしょう。

 

 

  

 

 

 

 

 

 


九州オルレ宗像・大島コース(福岡県宗像市)

2020-03-22 16:51:22 | 九州オルレ

4月開催全国のウォーキング大会も新型コロナウィルスの影響で中止になってしまいました。

全国の大会、ウォーキング協会例会参加で予定表はびっしり埋まっていましたが、今は予定表が白紙になってしまいました。

これだったら個人で歩かないといけないなと思い歩友Nさんの紹介で「九州オルレ」にチャレンジすることにしました。

「オルレ」は韓国・済州島から始まったもので、もともとは済州島の方言で「通りから家に通じる狭い路地」という意味です。
九州オルレは、済州オルレの姉妹版。済州島と同じように九州には四季の美しい風景があり、トレッキングに適した山岳を五感で感じ九州の魅力を再発見できます。
オルレの魅力は、海岸や山など感じながら、自分のペースでゆっくりとコースを楽しむところにあります。

 

神湊(こうのみなと)発9:25のフェリーで大島へ。約25分の船旅です。

   

大島港に着きました。大島へは、若いころ仕事で1回行ったきりで45年ぶりの訪問です。神湊でもらったオルレの地図を片手にスタートします。今日は、天気も良く絶好のウォーキング日和です。

 

中津宮です。

宗像三女神の次女神・湍津姫神(たぎつひめ)が祀られています。境内を流れる「天の川」を挟むように牽牛神社と織姫神社があり七夕伝説発祥の地ともいわれています。(パンフより)

中津宮では、朱印をいただきました。

  

中津宮の裏側を通り、御嶽山に向かいます。

  

ここから急勾配の上りが続きます。階段の段差が大きく休み休み登っていきます。

  

やっとのことで御嶽山展望台に来ました。

 

展望台からの眺めです。

しばし休憩し再びスタート。

  

再び山の方に向かいます。途中地元の方から甘夏の差し入れがありました。大島は甘夏の産地でもあります。

  

  

風車の所に来ました。時間もお昼になりましたのでここで持ってきたおにぎりをいただきます。

  

案内板によれば、大島~沖ノ島~釜山まで直線でつながっています。大島~沖ノ島が49km、沖ノ島~釜山が145kmです。

沖ノ島は、「神の島」と呼ばれ、島全体が宗像大社沖津宮の御神体で、今でも女人禁制の伝統を守っている。また、男性でも一般人は毎年5月27日の現地大祭以外は上陸を基本的に認められず

その数も200人程度に制限されてきた。世界遺産登録に際して、島への接近・上陸対策の強化をユネスコから要請されたため、2018年からは研究者らを除く一般人の上陸は全面禁止とすることを宗像大社が2017年7月に決定した]。山の中腹には宗像大社沖津宮社殿があり、宗像三女神の田心姫神(たごりひめのかみ)をまつっている。島は時の大和朝廷と朝鮮半島を結んだ海の道「海北道中」の中間地点に位置し、韓国の釜山までも145キロメートルしかなく、遣隋使や遣唐使も島を目印として大陸に渡海した記録が残る。元寇後の1297年(永仁4年)に編まれた『夫木和歌抄』に「うつ波に 鼓の音をうち添えて 唐人よせぬ 沖ノ島守り」と詠まれており、沖ノ島が神国思想の拠り所として最前線の防波堤の役割を担っていたことがうかがえる。1855年(安政2年)に作成された『皇国総海岸図』には「御号島」と記載される。無人島であるが、現在は沖津宮の神職が10日交代で派遣され、常時滞在している。(wikipediaより)

 

  

風車展望所には、日露戦争慰霊碑があります。日本海海戦では、ロシア側4830名、日本側117名の英霊が眠っています。

 

この展望台からは下りになります。

 

宗像大社沖津宮遥拝所(ようはいしょ)

神職以外の渡島が制限されている「沖ノ島」の「宗像大社沖津宮」を遥に参拝(遥拝)するために建てられた拝所です。

  

大島オルレコースも終盤になってきました。

  

海岸の方にやってきました。

夢の小夜島・・・・夢の小夜島は、連歌師宗祇の筑紫道中記に歌われた島です。昔の詩情そのままで、海中に立つ朱色の鳥居と島を覆う松の緑が美しいコントラストを見せています。(パンフより)

海の道・・・・潮が引いた時にだけ現れる道。カップルで歩くと二人の仲を更に深めてくれる恋愛パワースポットです。(パンフより)

 

14:06 九州オルレ宗像・大島コースゴールしました。ゴール後、ターミナル近くの漁港直売所で「魚ぎょろっけ」をいただきました。お酒のおつまみにもよく合うと思います。

  

14:40のフェリーで神湊に戻りました。まだ2回目のオルレですが、結構病みつきになりそうです。

 

ヤマップにも投稿しています。   

https://yamap.com/activities/5873795

 


「山上憶良」ゆかりの地を巡るウォーク(福岡県嘉麻市)

2020-03-13 10:40:23 | ウォーキング

2/24は、JR九州ウォークで万葉集の歌人「山上憶良」ゆかりの地嘉麻市を歩きました。

山上憶良は、神亀3年(726年)筑前国主として都より赴任しました。当時の筑前国には、15郡(862村、633434石余り)があり、

ここ嘉麻郡には、神亀5年(728年)7月、視察のため訪れています。

スタートは、JR後藤寺線 下鴨生駅。駅では、嘉麻市のゆるキャラ「かまししちゃん」が来ていました。

  

昔は、下鴨生駅から漆生線が下山田駅までの路線がありました。主に三井山野炭鉱、漆生炭鉱の石炭を運ぶ路線でしたが、石炭事業衰退により、1986年(昭和61年)4月廃止されました。

下鴨生駅の次の駅「鴨生駅跡」です。当時は駅の向かい側に山野炭鉱がありました。

 

歯医者さんです。大きなシーサーが置いてました。何か人懐っこいシーサーですね。

 

嘉麻郡役所跡 郡役所跡の近くの金丸邸内には、鴨生憶良苑があります。苑の名前は、万葉学者「犬養孝先生」が名付けました。

 

山上憶良がここ嘉麻郡役所で詠んだ歌三首(嘉麻三部作)「銀も金も玉も何せむに勝れる宝 子にしかめやも

現代風に解釈すれば、「銀も金も玉も子供の愛情に比べれば何になろうか、どんなに秀れた宝物も子供には及ばない」

ひさかたの天路は遠し 家に帰りて業を為まさに」

(空へ昇る道は遠い。素直に家に帰って仕事をしなさい)

常盤なす斯くしもかもと念へども 世の事なれば留みかねつも

(岩のように不変でありたいと思うけれど 老いや死は人の世の定めであるから食い止めることはできない)

  

秋の野の花を詠める歌二首

秋の野に咲きたる花を指折りかき数ふれば七種の花」「萩の花尾花菊花なでしこの花をみなえしまた藤袴、朝顔の花

そのほかにも

我が主の御霊賜ひて春さらば奈良の都に召上げた給はね」「牽牛の嬬迎へ船こぎ出らし天の川原に霧の立てるは」「世の中を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば

 

このあと稲築公園に行きました。当時の大宰府師の大伴旅人は、神亀5年(西暦728年)に大宰府に赴任し、赴任した先で山上憶良などと歌を通じて交流。

旅人自身も「歌人」として後世に名を残すことになります。

  

大伴旅人は、大宰府で妻を亡くしています。筑前守だった憶良は、旅人の妻の死を悼み旅人の身になって詠んだ歌がこれです。

妹が見し楝(あぶち)の花は散りぬべし わが泣く涙いまだ千なくに

(妻の見たあぶち(センダン)の花はきっと散ってしまうことだろう 妻をしのんで泣く私の涙はまだ乾かないのに)

  

このあと、五百羅漢の山野の石像群を通り下鴨生駅にゴールしました。

 


黄金のじゅうたん「筵内の菜の花畑」(福岡県古賀市)

2020-03-04 14:33:12 | ウォーキング

コロナウィルスの影響で3月のJWA(日本ウォーキング協会)の大会がすべて中止になりました。

それだったらJR九州のウォーキングでもと思っていましたら、これも3月までの早春編がすべて中止になりました。

その中で行きたかったコース「筵内の菜の花畑」に家内と一緒に出掛けました。このコース今までに何回も歩いていますので地図は把握しています。

10:00 JR古賀駅スタート。

先ずは「古賀神社」

 

ここには、ハート形の手水鉢があります。天明の大飢饉の翌年の天明9年(1789)、二度と飢饉が起こらないよう祈って作られました。

神聖な植物とされる葵の葉を形にしたとされ、周りには、子宝に恵まれることを願う盃状穴おと呼ばれる小さな穴が120か所彫られています

 

古賀市にある公立竟成館高校では、今日入試が行われていました。(福岡県立高校の入試は3/10)

 

大根川の所には、薬師如来像板碑があります。案内文では、「言い伝えによれば、昔、筵内に疫病が大流行し、これを封じるために三像を三個の平石に刻んで大根川の岸に建てた。

これが洪水に流され後に現在地に移された薬師如来像板碑、熊野神社に現存する阿弥陀如来像板碑、摩耗して不明の像(千手観音像)がその三基と思われる。

年紀の銘がはっきりしている熊野神社の阿弥陀如来像板碑と同時期とすれば、建長7年(1255年鎌倉時代)ころの作となる。」

今年は全世界的にコロナウィルスが流行しています。この薬師如来像板碑にコロナウィルスが収まるようお願いしました。

 

この先には、弘法大師の像があります。

地元の伝説では、弘法大師が諸国行脚の途中に筵内に寄った時に「南無阿弥陀仏」と唱えながら金剛杖をついた空海が大根川の上流に差し掛かり、空腹になったので橋の上から水面を眺めていたら、1人の老婆が大根を洗っていたので、分けて欲しいと頼んだが老婆は空海が偉い僧侶と知らず、またみすぼらしい格好だったので、怒って川の水を掛けた。空海は吃驚したが、もう1度頼んだ。

しかし、老婆は顔を真っ赤にして石を投げ、その石が空海の顔に当たって血が流れた。空海は静かに「人面如夜叉」と唱え、杖を3度地面についた。空海は見た目だけで相手を判断して応対する

態度に激怒し、戒めのために大根川の水を干上がらせてた。この逸話から「大根川」という名前がついた。それからの毎年大根を洗う季節になると筵内では老婆の戒めのために

水が表面を流れなくなるという。

   

民家の庭には、花桃、白木蓮の花が綺麗でした。

  

筵内の菜の花畑です。6haの畑に約600万本の菜の花が植えられています。

 

  

  

  

今度の日曜日には、毎年恒例の「菜の花祭り」が開催予定でしたが、コロナウィルスの影響で中止になりました。

帰り道あぜ道で見つけた「土筆」。例年ですとたくさんの土筆が立っているのですが、今年は土筆も早かったのか大部分はスギナになっていました。