よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

今年(2022年)ウォーキングを振り返って

2022-12-31 09:56:19 | ウォーキング

今年もあと1日となりました。

今年のウォーキングを振り返ってみます。

【1月】

ふくおかウォーキング協会例会参加6回

1月末の指宿菜の花マーチに参加予定でしたが、コロナまん延防止の為中止。

【2月】

コロナまん延防止の為、ふくおかウォーキング協会の例会等すべて中止。

従ってオルレコースなど自主トレウォーキングをする。

【3月】

中旬にまん延防止が解除され、ふくおかウォーキング協会例会が再開、3回参加。

3月末から奥州街道「宇都宮(栃木県)~白河(福島県」約90kmを4日間かけて完歩。

 

【4月】

ふくしま吾妻・花見山ウォークに参加。

ふくおかウォーキング協会例会2回参加。

 

【5月】

ふくおかウォーキング協会例会5回参加。

若狭・三方五湖ツーデーウォークに参加。

京街道(東海道57次)「山科~枚方」まで歩く。

 

【6月】

ふくおかウォーキング協会例会4回参加。

SUNIN未来ウォークに参加。

【7月】

暑いので遠征は避け、ふくおかウォーキング協会例会5回参加。

【8月】

ふくおかウォー協会例会参加4回。

【9月】

ふくおかウォーキング協会例会6回参加。

月末から10月初めまで瀬戸内しまなみスリーデーマーチに参加。

【10月】

ふくおかウォーキング協会例会4回参加。

みなと横浜ツーデーマーチに参加。

 

【11月】

ふくおかウォーキング協会例会5回。

京街道(東海道57次)「枚方~大阪・高麗橋」まで歩き京街道完歩。

久留米ツツジマーチに参加。ここでJML30回を達成。初参加は、2017年(平成29)瀬戸内倉敷ツーデーマーチで5年で30回でした。金メダルをいただきました。

 

【12月】

ふくおかウォーキング協会例会参加6回。

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IVV 84回、距離 1,000km  街道歩き 約150km、自主トレ分(オルレ等) 約2000km  合計3,150km

 

 


楽しいウォーク「師走の平尾霊園を訪ねて」(福岡市中央区)

2022-12-22 14:29:36 | ふくおかウォーキング協会

12/21(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「師走の平尾霊園を訪ねて」でした。

今日は、朝から雨、ポンチョ、シューズカバーなどを持ってのウォーキングです。

集合場所は、西鉄平尾駅。平尾駅では、地元のテレビ局が「近くで硫黄臭がするけどインタビューさせてくれないか」と言われましたが、ウォーキングの受付をしなければならないため

お断りしました。確かに微妙ではありますが、硫黄臭がしました。12/22の地元紙の記事です。

参加者は、30人。近くの公園に移り、9:30スタート。※雨の為、写真があまり撮れなかったので下見の時の写真も掲載しています。

雨がだんだん強まるという予報ですのでコースを少し変更します。

本来は、平尾駅スタートして平尾霊園~小笹中央公園~梅光園緑道~六本松公園~赤坂西緑地公園~西鉄薬院駅ゴールですが、六本松公園から城南線に入り薬院駅ゴールに変更しました。

 

筑肥新道を通り、平尾霊園へ。

 

福岡市中央部の緑地帯、鴻巣山の山裾に位置する福岡市立平尾霊園は、昭和30年(1955)開園の伝統に培われた風格を感じさせる墓所です。

広い敷地に大小さまざまな墓碑が並んでおり、都心からも近く、墓参りに便利な立地です。

 

霊園の頂上に行くには、急坂があります。

 

 

平尾霊園から鴻巣山遊歩道が続いています。

 

 

 

管理事務所から小笹小、平尾中に向かいます。ここも急坂です。

 

小笹のスーパーでトイレ休憩。

 

休憩後再スタート。梅光園緑地を通り、六本松へ。

 

 

店舗にはクリスマスの飾りが・・・

 

六本松からコース変更して城南線へ

 

雨も中々やまないため、薬院センタービルで仮ゴールしました。

 

今日のGPSです。

今日で今年のウォーキング教室は終了。年明けは、1/4(水)新春初詣ウォークから開始します。

今年もコロナで何か月か活動を中止しました。来年こそコロナを気にせず歩きたいですね。

 

 


楽しいウォーク「古賀グリーンパークから唐津街道を往く」(福岡県古賀市)

2022-12-16 11:01:46 | ふくおかウォーキング協会

12/14(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「古賀グリーンパークから唐津街道を往く」でした。

この日、福岡地方は、寒波が襲来し、夜半から強風が吹き荒れ寒いです。電車も強風の影響で遅れが出ていました。

集合場所は、JR古賀駅。参加者32名。

コースは、古賀駅スタート~グリーンパーク~旧唐津街道~太閤水~トライアル~福工大前駅ゴールの約10km。

9:30スタート

 

 

唐津街道「青柳宿」

慶長10年(1605)に御茶屋を中心として作られ、以後3期40年かかって広げられていました。その後元禄時代初期(17世紀末)に街並みが完成し、総延長444m、100軒前後の

家々が軒を連ね明治時代まで裏粕屋郡の中心として栄えました。

 

青柳宿から古賀グリーンパークに向かいます。

 

古賀グリーンパークには、まだ紅葉が楽しめました。

 

 

古賀グリーンパークで休憩。古賀グリーンパークは、自然と健康がテーマとなっている市内最大規模の公園で、面積は約23.7ヘクタール。園内には大型の遊具がある「遊びの丘」や

夏季は水遊びもできる「せせらぎ水路」、ナイター設備を備えた「多目的広場」をはじめとして、スケートパークの「ライブ・スケーツ古賀」、物産館の「コスモス館」、

健康増進施設の「クロスパル古賀」などの多様な施設があります。

休んでいると、女性会員の方から手作りのスイーツの差し入れがありました。美味しかったです。 

 

 

休憩後再スタート。

北部新四国八十八ヶ所は、古賀にある長勝寺・堀田徳靖上人の発起により、粕屋郡に存在していた七つの村に石仏を安置して四国八十八ヶ所霊場から歓請したのが始まりです。

 

小竹という地区に入りました。ここは、昔ながらの家が存在しています。

小竹の古民家には、クリスマスイルミネーションが飾られています。

  

  

五所八幡宮 旧唐津街道にある、五所八幡宮は、境内にある案内によりますと、神社建立の年代は不詳ですが、今から約1700年前に神功皇后が三韓征伐の際に、龍輿(みこし)を

休められた所と伝えられています。

応神天皇・神功皇后・王依姫命・保食神・墨江三前神の五柱を祀っているいることから五所八幡宮と名前がつけられた古い神社です。古より粕屋・宗像三郡の総社であり祈願所と定められ

広く崇拝を集め、沢山の人々が五所の大神様に祈りを捧げてきたそうです。歴代の黒田藩主も参勤交代の時には必ず安全祈願をして江戸に向かったといわれています。

 

五所八幡宮には、樹齢1000年以上の楠や樫の木が多く、「あおやぎ珍樹の森」として木にはそれぞれユニークな名前がついています。なかでも「ムーミンの木」は、高さ40m、

幹回り10mの楠にムーミンが抱き着いている姿に見えます。

 

 

五所八幡宮から唐津街道沿いに歩きます。コースは古賀市から新宮町へ。

太閤水・・・天正15年(1587)九州を平定した豊臣秀吉が大坂への帰路ここで馬を休め自ら清水を汲んで飲んだところです。

 

このコースは、九州オルレ新宮コースの一部です。

 

トライアウトで2回目の休憩。空を見ると小雪が降ってきました。今季初めての雪です。

 

12:10 福工大前駅にゴールしました。

 

この日のGPS

今年のふくおかウォーキング協会のウォーキング教室も来週21日が年内最終日になりました。

 

 


サタデーウォーク「穴観音探索」(福岡市南区)

2022-12-12 18:30:46 | ふくおかウォーキング協会

12/10(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは、「穴観音探索」でした。

福岡県福岡市南区にある曹洞宗の寺、穴観音(興宗寺)。正式名は興宗禅寺(こうそうぜんじ)で、福岡城築城の際、黒田長政が石垣に古墳の石を使ってしまったので、

古墳の霊を供養するために拝殿を建てたのが寺の始まり。拝殿の後ろにある石窟に観音像が刻まれることから穴観音と通称されています。

穴観音が刻まれるのは、古墳時代後期(6世紀)の円墳(推定直径20m)の寺塚穴観音古墳。
横穴式石室に阿弥陀如来を中央に、観自在菩薩、勢至菩薩の阿弥陀三尊と仁王が浮彫で刻まれていることから「穴観音」と通称されています。
江戸時代の本草学者・儒学者、貝原益軒(かいばらえきけん=福岡藩医官貝原寛斎の四男)編纂の『筑前国続風土記』によると、穴観音には中心に阿弥陀如来、左右に観音、勢至菩薩が刻まれ、国中には石窟は多いがこれほど大きなものはないので俗に穴観音と呼ぶようになったと解説されています。

福岡藩士で勤皇家、明治維新後は自由民権運動家(政治結社「矯志社」を結成)になった武部小四郎(たけべこしろう)は、明治10年3月19日、この穴の中で西南戦争への加担を謀議、慎重派でしたが西郷呼応軍福岡党を編成して福岡城を攻撃(福岡の変)、捕縛されて処刑されています。

穴観音(興宗寺)のある寺塚一帯にはかつて数多くの古墳と石室があったとされていますが、福岡城築城の際、石を運び出すために壊されたと伝えられています。
そうした歴史を背景に、石室の奥は、福岡城に通じ、福岡城の抜け穴だという伝承があります。

また、赤穂四十七義士は東京高輪泉岳寺に祭られ供養されていますが、昭和10年(西暦1935年)篤志家木原善太郎氏(当時六本松在住)が私財を投じ、泉岳寺と同宗である興宗寺境内に

赤穂義士の墳墓を模して、配列はおろか地形から玉垣まで泉岳寺のものと同形式の墓を建立されました。12/14泉岳寺で行われる「義士祭」がここ興宗寺でも行われています。

残念ながら今年はコロナの影響で中止になります。

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集合場所は、西鉄高宮駅。参加者は、33人。

コースは、高宮駅~高宮八幡宮~野間大池~穴観音(興宗寺)~鴻巣山登山口~西鉄平尾駅ゴールの約10km。

 

9:30 スタート。 高宮駅では、来週の餅つき大会が告示されていました。福岡の餅は、「丸餅」です。

先ずは。高宮八幡宮へ。

高宮八幡宮は、天智天皇(西暦655~661)の御代に磐瀬(いわせ)の行宮(あんぐう・天皇の行幸の時の仮のお住まい)に居られた時に、神功皇后の縁の地として此処に神様を

お祀りになったのが始まりとされています。
建久年間(1190年ごろ)原田氏 (糸島郡の高祖城主) の時、当神社を高宮の宮の尾に移し、高宮、平尾、野間の三村の氏神、那珂郡の惣鎮守神としたとされています。
本殿は藩主黒田忠之公が、一の鳥居は黒田長政公がそれぞれ寄進されたもので、拝殿は家老の加藤司書の寄進とのことです。(福岡のかみさまより引用)

 

古くより高神様(位の高い神様)が降りてこられた地として、高貴な神社という意味の「高宮」を社と呼ぶようになりました。

のちに村名となって、現在まで「高宮」という地名が残っています。今では、福岡市内の高級住宅地として知られています。

 

高宮八幡宮辺りは、高台になっており、頂上付近では市内が見渡せます。

 

 

野間大池公園に着きました。野間大池は、レンコン堀りと大雨時の洪水で有名でしたが、数年を掛けた整備により、桜をはじめ、四季折々の草花を楽しめる美しい公園として生まれ

変わっています。ツクシオオガヤツリや、カモ、サギなどの水鳥、コイなどを見ることもできます。

 

  

グラウンドでは、少年のサッカー大会が行われていました。何年か後にこの中から日本代表が生まれるかな?

 

今日のメインの「穴観音」(興宗禅寺)です。

  

12/14の義士祭も近いので、境内にある義士四十七士のお墓見学かな?と思いましたが、スルーしました。

 

興宗寺から鴻巣山に向かいます。鴻巣山登山口で休憩。

鴻巣山は、中央区と南区の境界付近にあたる標高100mの丘陵地です。まだ私は登ったことがありませんのでいつか登ってみたいと思います。100mでしたら物足らないかな???

  

コースは、小笹、平和を通り、ゴールの西鉄平尾駅へ。

11:52 平尾駅にゴール。

 

追伸:帰りに姪浜駅近くのうどん屋さんに立ち寄りました。

うどん屋さんにしては、珍しい「水餃子」をいただきました。

 

 

 

 

 

 


楽しいウォーク「博多阪急イヤーラウンド10kmコースを歩く」

2022-12-09 15:02:53 | ふくおかウォーキング協会

12/7(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「博多阪急イヤーラウンド10kmコースを歩く」でした。

私はこのコース過去4回ぐらい歩いていています。

集合場所は、博多駅近くの明治公園。参加者36人。

現在、福岡市では、市内中心部のビルの建て替え工事が行われています。天神地区では、「天神ビックバン」、博多駅では、地下鉄七隈線博多駅延伸に合わせ「博多コネクティッド」という

開発が行われています。集合場所の明治公園の前では、西日本シティ銀行本店の建て替え工事が行われています。

 

コースは、明治公園をスタートし、住吉神社~清流公園~上川端商店街~櫛田神社~聖福寺~濡れ衣塚~崇福寺~東公園~博多百年蔵~博多千年門~博多駅ゴールの約10km。

いつもとは逆の西からのコースです。

 

住吉神社

 

 

キャナルシティの横が「清流公園

清流公園では、樹木にクリスマスのイルミネーションの飾りつけが行われていました。

   

 

清流公園から九州一の繁華街「中州」へ。「一蘭」の横のビルは、その昔、ホテルがあり、あのマリリンモンローが新婚旅行で泊まりました。ホテルの向かい側には、レストランがあり、

モンロー夫妻が食事をしました。そこで使ったテーブルとイスは現在大濠公園のレストランに移設されています。

 

 

 

上川端商店街に入ります。商店街もクリスマスモードです。

  

博多の総鎮守「櫛田神社

 

博多の祝い唄「祝いめでた」の歌詞に出てくる「櫛田の銀杏」です。

 さても見事な~櫛田のぎなん 櫛田のぎなん 枝も栄ゆりゃ葉もしゅげる・・・・ この祝いめでたは、もともとは、「伊勢音頭」が原型です。

 

 

日本で最初の禅寺「聖福寺

聖福寺しょうふくじ建久けんきゅう6年(1195年)に鎌倉幕府初代将軍源頼朝みなもとよりとも公よりこの地を賜り、栄西禅師ようさいぜんじ開山かいさんとして創建された日本最初の禅寺ぜんてらです。山号を安国山あんこくざん、寺号を聖福至仁禅寺しょうふくしぜんじといいます。元久元年(1204年)後鳥羽天皇ごとばてんのう(後上皇じょうこう)より、日本で最初の禅寺である「扶桑最初禅窟ふそうさいしょぜんくつ」の勅額を賜りました。又、栄西禅師は中国(南宋)よりお茶の種子を請来し、茶樹の栽培、喫茶の方法を伝え、その普及に大いに貢献し、後に茶祖と称されました。栄西禅師が京、栂尾高山寺の明恵上人に茶の種を分けてあげた話は有名な事です。(聖福寺HPより)

 

濡衣塚」継母に無実の罪をきせられて死んだ筑前国司の娘を供養した墓

  

 

崇福寺 臨済宗大徳寺派で、山号は横岳山。仁治元年(1240)、湛慧が大宰府横岳に創建した。翌年、宋から帰国した聖一国師(円爾弁円)が招かれ、開堂説法を行なった。文永9年(1272)に大応国師(南浦紹明)が入寺し開山。その後多くの高僧を輩出し、慶長5年(1600)、初代福岡藩主・黒田長政により現在地に移転され、黒田家の菩提寺として庇護を受けた。墓所には嶋井宗室などの墓もある。(YOKANABIより)

山門は、福岡城表門を移設しました。

 

九州大学病院から東公園へ

 

 

福岡高校から石蔵酒造

 

 

 

出来町公園で仮ゴール

この日のGPS

 

 

 


12月例会「師走 百道(ももち)浜を歩く」(福岡市西区~中央区)

2022-12-08 10:09:35 | ふくおかウォーキング協会

12/3(土)ふくおかウォーキング協会12月の例会は、「師走 百道(ももち)浜を歩く」でした。

集合場所は、JR姪浜駅。参加者39名。

コースは、姪浜駅スタート~小戸公園~マリノアシティ~海浜公園~愛宕大橋~百道中央公園~マークイズ福岡ゴールの約10km。

9:30ウォーキング開始

 

コースは、小戸公園へ

 

小戸公園は、博多湾に面し、春は桜が満開で花見でにぎわい、夏はバーベキューを楽しむ人も多く、秋や冬も季節の風景を、一年を通じ人々の憩いの場となっています。

また、多目的球戯場や広大な芝生公園も充実。ウォーキングスペースや大型遊戯具も備えていますので、大人から子供まで、一日を通じ楽しめます。

近くには、ヨットハーバーがあります。

  

公園の中には、「小戸大明神」があります。

海中から引き揚げられた銅矛2本が神宝とされ,享保10年(1725年)福岡藩六代藩主黒田継高が社殿を建立しました。小戸大神宮は神代の昔,伊邪那岐命が御禊祓の神事を行われた

尊い地であり,皇祖天照皇大神を始め住吉三神,他神々が御降誕され,神功皇后の御出師及び凱旋上陸された実に由緒深い神社であります。全国の神社で奏上されております祓詞の中に

(筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原にて)小戸の地名が入っております。そのことで天照大神の産んだ地という説もあります。

  

 

 

 

能古渡船場で休憩

 

休憩後再スタート

 

愛宕大橋を渡ります。渡ると早良区です。

 

 

 

樋井川に架かる「ふれあい橋」を渡ると中央区。目の前に福岡ソフトバンクホークスフランチャイズの「福岡ペイペイドーム」が現れます。

 

ペイペイドーム横のマークイズ福岡の所の地行浜中央公園が今日のゴール。

 

この日のGPS

 

 

 

 


楽しいウォーク「柿色の耳納北麓・里山ウォーク」(福岡県久留米市田主丸~うきは市吉井)

2022-12-07 06:05:47 | ふくおかウォーキング協会

11/30(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「柿色の耳納(みのう)北麓・里山ウォーク」でした。

集合場所は、JR田主丸駅。

JR九州の田主丸(たぬしまる)駅は、実に愛らしいカッパのデザインの駅舎で知られています。駅舎をよく見てみると、カッパの顔の左横には、水掻きのついた右手らしき建物のパーツも

見えます。田主丸では、カッパは妖怪でなく、水の神様とされています。町内には「屁こぎ河童」、「宇宙河童」、「鉄河童」など様々なカッパの石像や石碑が24もあるとか。

福岡県久留米市にある田主丸(たぬしまる)の地域には、古くから伝わるカッパ伝説があります。それは、「安土桃山から江戸前期に活躍した加藤清正は、熊本城を築いた戦国大名。

そんな清正に仕える美しい小姓に、カッパの総大将が恋をしました。そしてその小姓の尻子玉を抜いて腑抜けにしてしまったんですね。怒り狂った清正にカッパの一族は追放されました。

久留米を経て、巨瀬川があって人情豊かな田主丸にやってきたというのがカッパ伝説です。」

 

 

参加者は、23人。今日のコースは、田主丸駅スタート~大塚古墳歴史公園~石垣神社~JAにじ耳納の里~延寿寺ハゼ並木~筑後吉井駅ゴールの約10kmです。

9:30ウォーキング開始

 

 

 

コースは、山苞(やまづと)の道へ。

この山苞の道は、耳納連山の麓、豊かな自然の中を5.7Kmにわたって続く「みち」。平成7年、333通の応募の中から選ばれました。「苞」は、ワラに包まれたみやげものという意味があり、源氏物語の中にも「山苞にもたせ給へり紅葉」という句があります。山苞の道とは、山に包まれた道、そしておみやげの多い道という意味で名付けられました。

 

田主丸町の耳納山麓には、古墳時代後期に爆発的に群集墳が造られています。田主丸町で現在まで確認された古墳は消滅部分も含めて350基を数え、江戸時代に書かれた「寛延記」に

よれば、現在の町の範囲で1053基ぼ古墳が存在していたとされ、まさに山麓一帯が墓域でした。現在町内には、15の古墳群が存在しています。

その中で「田主丸大塚古墳」は、嘉永6年(1853)に久留米藩士の矢野一貞が残した「筑後将士軍談」に「山辺街道の南側にあり、当国一の大塚なり」と記されている田主丸大塚古墳。
平成4年からの調査で高度に組まれた葺石や石室の入り口などが確認され、南側斜面上に前方部をのばす大型前方後円墳であることがわかりました。後円部の直径が60メートル、

全長103メートルで六世紀の後半に築かれたと推定され、その時期では九州最大の規模を誇ります。しかし、その規模にも関わらず、文献も地名にまつわる氏族の伝承もない謎に

つつまれた古墳です。

 

 

現在、大塚古墳の所は、「大塚古墳歴史公園」となっていて遊戯施設などもあります。

 

石垣神社は、竹野郡(旧浮羽郡)の総鎮守で高良玉垂宮、住吉大神、八幡大神を祀っています。創建年代は、和銅2年(709)と伝わっています。

境内の大イチョウの黄葉が境内に落ちており、まるで黄色のじゅうたんみたいです。

 

 

コースは、田主丸町からうきは市吉井に入ります。

 

歩いていると右側に装飾古墳の「珍敷塚(めずらしき)古墳」があります。古墳時代後期(6世紀)に造られた円墳。昭和25年、採土工事中に発見されたものですが、現在奥と右側の壁のみが

残されています。珍敷塚古墳の最大の特徴は、奥の壁に描かれた壁画で、古代人の信仰思想の一端をうかがい知ることができる貴重な資料です。
奥壁の壁画、左上には大きな同心円文が、その下にはゴンドラ形の船があります。その船の舳先(へさき)には鳥が止まっており、櫂を持つ人物が船を操る姿が見えます。

中央には、死者を守るためなのか、弓矢が入った靭※が3個並んでおり、大きな蕨手文※が左の靭の間から描かれています。右端の靭の隣には弓と盾を持った人物がおり、その下には

古代中国で月に住むと言われたヒキガエルが2匹描かれ、上のヒキガエルの横には小円文があります。
このように、珍敷塚古墳の壁画には、ここに葬られた人物が、太陽の輝く陽の世界から、月の支配する陰の世界へ、鳥の導く船で現世から来世へと旅立とうとする姿が表されていると

いわれています。(うきは市HPより)※珍敷塚古墳の装飾は、うきは市のHPより引用しました。

  

 

産直店「JAにじ耳納の里」で休憩。ここには、今が旬の富有柿が売られており、参加者の方も買われていました。

 

耳納の里から「延寿寺曽根のハゼ並木」に向かいます。先日の久留米ツツジマーチで久留米柳坂のハゼ並木を見てきました。

説明版が色あせていますので、改めて説明します。

「耳納山麓から幾筋もの曽根が北へ伸びる。これらの川沿いに数多くの櫨が植えられ、この櫨の実から木蝋の生産が江戸中期から昭和の初期ごろまで行われていました。

吉井は櫨の国であった筑後の名声を担い、その中心地でした。櫨や木蝋生産等で蓄積された富は吉井銀となり白壁土蔵を形成することになる。現在は櫨に生産上の利益がなくなり

伐採されて、延寿寺曽根の櫨並木がかろうじて残っています。
この曽根の櫨並木は春の若葉の頃もよいが、深秋の紅葉の鮮やかさはすばらしいものです。」

 

 

久大本線の踏切を渡りゴールのJR筑後吉井駅へ。

11:53 ゴールしました。

 

この日のGPSです。

最後にこの辺りの山は「耳納(みのう)連山」と呼びます。どうして「耳納」と呼ぶか、調べました。こちらです。→ → 264 耳納山の牛鬼 田主丸町 (biglobe.ne.jp)

 

 


第25回久留米つつじマーチ(ワンデー)(福岡県久留米市)

2022-12-06 06:01:43 | オールジャパンウオーキングカップ

11/26(土)昨日大阪遠征から帰宅し、今日は、「久留米つつじマーチ」参加の為、7:00車で久留米に向けて出発。

久留米ツツジマーチは、例年4月に開催されますが、コロナ禍で2020年から中止になり、今回3年ぶりの開催です。

それも春ではなく秋の開催で26日のみのワンデーで、すべて事前申し込みで当日受付はありません。

コースは、20kと10kのみの開催です。私は、20kにエントリーしました。

 

9:00 20㎞コースのスタート

 

 

コースは、いつもの久留米ツツジマーチと変わらず、高良川沿いに進みます。

 

 

この辺りから山道です。

 

 

 

例年ですと山の斜面にツツジがたくさん咲いているのですが・・・「あっ、何輪か咲いている!」

 

久留米つつじ森林公園が1回目のチェックポイント。

 

森林公園からの眺め

森林公園から下りていきます。

  

 

 

しばらく歩くと「柳坂曽根櫨並木」です。

18世紀後半から九州各地で櫨が栽培されるようになり、久留米藩でもこれを大いに奨励し、竹野郡亀王村(現田主丸町)の庄屋竹下武兵衛が享保15年(1730)頃に、藩内で

初めて栽培し、寛保2年(1742)には、国分村や西久留米村に植えられました。その時「松山櫨」「伊吉櫨」といった改良櫨が筑後一円に広がり、櫨は米に次ぐ主要産物として

藩の財政を潤すようになりました。

 

 

下記は、地元の山本小学校の児童がまとめたハゼの研究発表です。

 

ここに富有柿の直売所がありました。一盛1000円でしたが、多いので半分にして売ってくれました。ですが、何個かサービスしていただき、私のリュックは重くなりました。

 

歩いていると、JR九州の観光列車「或る列車」と遭遇しました。

 

道の駅くるめが2回目のチェックポイントです。ここでしばし休憩します。

 

休憩後再スタート 「太郎原一本杉之跡」の看板があります。南北朝時代、懐良親王と菊池武光の南軍と足利尊氏の北軍が戦った大保原合戦で亡くなられた死者を太郎丸の人達が

大事に弔い、ここに1本杉を植えました。この杉は、昭和31年(1956)の台風で倒木しました。

  

神代橋の近くに神代浮橋之跡の石碑があります。文永11(1274)年の元寇の際、この地域の有力者だった神代良忠が九州一の難所、筑後川神代に舟を並べて浮橋を作り、戦いに向かう肥後・薩摩勢などの大軍を渡したといわれています。
この浮橋が筑後川で初めて架けられた橋でした。ちなみに、江戸時代には「神代の渡し」として舟が運行。参勤交代路として当時の交通の要衝でした。

コースは、ここから筑後川の堤防沿いを歩きます。

  

河川道では、乳牛のセリが行われていました。

 

 

コースは、百年公園へ。

 

13:53 ゴールしました。参加者は、10k、20kコース含めて約1200人だそうです。

朝日新聞の記事 久留米でつつじマーチ:朝日新聞デジタル (asahi.com)

 

この日のGPS

この大会で日本マーチングリーグ30回達成の金メダルをいただきました。1回目から7年かかりました。

副賞は、久留米産の富有柿でした。

 

 

 

 

 


錦秋の「京都紅葉巡りベスト」ウォーク(京都市)

2022-12-03 17:31:15 | ウォーキング

11/25(金)大阪遠征3日目。

ネットを見ると、この日、奈良・大和ウォーキング協会の「錦秋の京都紅葉めぐり」ウォークの例会があり、それに参加しました。

集合場所は、JR京都駅。集合場所に来ると既にたくさんの参加者が集まっていました。目勘定で200人ぐらいかな??

あとでスタッフの方に聞きますと240人の参加だそうです。

 

出発式の後、10:00ウォーキング開始。

 

塩小路橋から鴨川河川の遊歩道を歩きます。

 

 

五条大橋から五条通に。

 

六波羅密寺でトイレ休憩

 

休憩後再スタート

 

高台寺では、結婚式の前撮りが行われていました。今日は天気も良くいい写真が撮れたでしょうね。

  

 

コースは、円山公園へ。円山公園は桜の名所と聞いていましたが、紅葉もきれいです。

 

 

  

 

 

円山公園から知恩院へ

知恩院の大鐘楼は、高さ3,3m、直径2,8m、重さ70tで寛永13年(1636)第32世雄誉霊厳上人の鋳造です。

 

 

 

 

 

知恩院から平安神宮に向かいます。

 

平安神宮は、平安遷都1100年記念として明治28年に平安遷都の立役者である第50代桓武天皇を祭神として創建されました。

 

平安神宮の隣の岡崎公園で昼食。

ここまでのGPS

30分の昼食休憩後再スタート。

 

 

 

永観堂へ。ここの紅葉もきれいです。

  

  

永観堂から南禅寺へ

 

 

 

 

 

 

南禅寺からゴールの地下鉄蹴上駅に向かいます。

 

 

13:42 地下鉄「蹴上駅」にゴールしました。

 

3時間40分のウォーキングでしたが、参加人数が多いためスタッフの皆さんの苦労は大変だったと思います。有難うございます。

お陰様で楽しいウォーキングをさせていただきました。また、機会があれば参加したいです。

この日の平安神宮から蹴上駅までのGPSです。

 

 


京街道(東海道57次)「守口宿~大阪・高麗橋へゴール!」後編(大阪府守口市~大阪市中央区)

2022-12-02 04:48:29 | 京街道(東海道57次)

(前編からの続き)  

 京街道(京都・山科~大坂・高麗橋)ゴールしました!

本町橋から先に進みます。

 

京街道は、京阪東通り商店街の中を通っています。

 

太子橋から大阪市旭区に入ります。

京街道は、文禄年間(1592~1597)淀川左岸の堤防を改修し堤防上に陸路を開いたのに始まります。当初は大阪城京橋口が起点でしたが、江戸時代になって高麗橋東詰に移りました。

 

   

木犀(もくせい)の陣屋跡・・・古市村大字森小路字森の淺田邸の庭園に、みごとな木犀が三本あり、花の季節には蒲生や関目まで香りを漂わせ、それを愛でた十四代将軍徳川家茂が

淺田家に宿泊、多くの大名も守口宿を淺田家に替え宿泊したと言われています。当時、淺田家は森小路の庄屋で、木犀の陣屋、木犀の庄屋として江戸時代まで有名だったと言いますが、

陣屋の建物は現存していません。跡には小さいですが、木犀の木が3本立っています。

 

千林商店街を通ります。

 

古市橋

 

関目交差点 この辺りは、京街道七曲りと言って街道が複雑になっています。

 

秀吉が大阪に都をおいた際、鬼門の治めとして置いたのが関目神社(須佐之男尊神社)です。

大阪城築城の際に、現在の古市森小路からこの関目の地にかけての道路(1kmあまり)を特に屈折させて、敵が攻めてきた時に進軍を防ぎ、敵軍兵数を察知するのに便利なようにしました。

これは俗に「七曲り」といわれています。これと同時に大阪の北の護りとして武神である須佐之男尊を祀り、大阪の鬼門に当るので、鬼門鎮護の神として毘沙門天王を勧請して小さな社を

建立しました。これがこの神社の由緒だと伝えられています。「関目神社」というのは通称で、由緒からもわかるように正式名称は、「須佐之男尊神社」です。

社殿は生徳年間(1712~13年)の台風による被災や明治十八年の大水害により流出するなどしましたが、明治二十一年に復興しました。現在の本殿は、昭和五十二年に再建されたもの。

また毘沙門天王社は昭和六十年に再建されたものです。

この神社の境内には、「関目発祥之地」の石碑があります。現在の野江・関目を中心とした一帯は、平安時代以降は榎並荘と呼ばれていましたが、そのころからこの地は「関目」と

呼ばれていました。この地に見張り所(目で見る関所)があったことから生まれた名だといわれています。

 

阪急オアシスで休憩。

  

休憩後再スタート。

 

榎並地蔵・・・いつから祀られてたかは、不詳ですが古くから野江村の方々により大切にお祀りされていました。石に二体の人物像が彫られ、榎並地蔵として後に発見された

道標と一体の石仏と考えられています。

この辺りの地名が「榎並(えなみ)」です。多分榎の並木があったからだと思いますが、大阪・城東区のHPに由来が載っていました。

野江・関目を中心とした周辺一帯をいい、平安時代以降は榎並荘として史上によく知られていたのは、この地が近衛家の荘園であったからです。

言い伝えによると、この地一帯は大榎の繁茂した地であり、その森には鬼女が住んでいて、往来の人々を苦しめていたのを北面の武士の橘氏をはじめ36人が勅命によってこれを

討ち取りました。この功によりこの地を与えられ、榎を伐採して開懇したことにより榎並の名が起こったといわれています。

また、当地は河内の入江と大川の間に形成された干拓地で、茨田堤の構築により陸地化が進み、平安時代には農地になりますが、この地が大川の南、つまり「江南」に「榎並」の字を

あてたともいわれています。明治22年4月、野江村・関目村・内代村の3村が合併して榎並村となり、大正3年(1914年)10月に榎並町になりました。(大阪・城東区HPより)

 

 

京橋中央商店街に入ります。商店街の中が京街道です。

 

 

京阪の高架沿いに歩きます。

 

寝屋川橋東詰から京橋へ。

京橋の所には、「京橋川魚魚市場跡」の碑があります。江戸時代の川魚市場の跡で、明治時代の末期に中之島に移転するまで、この地で賑わっていたようです

  

京橋(橋梁)は京街道の起点(のち高麗橋に変更)、また東海道五十七次の終点(江戸日本橋から137里4町1間)であり、大坂では数少ない公儀橋でした。江戸時代の擬宝珠には

「元和九年造立」(1623)の銘があった現在と異なり、最長時には100メートルを超える長さを誇っていました。

北詰には京街道沿いに相生西町・相生東町・野田町といった町並が形成され、川魚市場もあり、大坂の玄関口の一つとして賑わいました。南詰は大阪城の虎口の一つである京橋口となります。

 

京橋からは、大坂城が見えます。

 

先へ進みます。

 

 

下記の地図を見ると大阪には、橋が多いですね。

天満橋は、大川に架かる天満橋筋(府道30号線)の橋です。難波橋、天神橋と共に浪華三大橋と称され、最も東(上流)に位置します。

京阪天満橋のガーデンテラスで休憩します。大川(旧淀川)には、屋形船、水陸両用バスなどの観光船が運行しています。

大川沿いには、桜の木がありますので桜の季節には水上からのお花見が楽しめそうです。

 

平安時代、八軒家浜は渡辺の津と呼ばれ、京都からの人々が船を下り、熊野古道へ発つ起点として、大阪の水運と陸路を繋ぐ交通の要所でした。江戸時代には、京都と大阪を結ぶ舟運の要衝

として賑わいました。八軒の船宿があったことから八軒家浜と呼ばれるようになりました。

十返舎一九の「東海道中膝栗毛」や司馬遼太郎「竜馬がゆく」、浪花節「森の石松三十石船」にも八軒家が出てきます。

 従来も、緑道や駐車場として利用されていましたが、平成18年度に京阪電鉄中之島線の建設事業に合わせ、水辺のにぎわい創出、舟運活性化のための水辺空間整備が行われました。

歴史的価値のある八軒家浜を再生するため、地域の住民や企業などと協議を行い、平成20年に雁木・遊歩道・船着場が、平成21年にはにぎわい施設「川の駅 はちけんや」が整備されました。

 

八軒家浜の常夜灯・・・安政7年(1860)、夜の乗下船時の安全の為、地元の町人が燈籠を建てました。その燈籠は、明治時代ごろに生国魂神社へ移され、北門に現存しています。

この燈籠は、残されていた図面を元に復活させたものです。

  

平安時代の後期(11~15世紀)ごろ、現在の天神橋付近は、渡辺津(わたなべのつ)と呼ばれ、港として熊野参詣に利用されていたため、熊野古道の起点として有名になりました。

熊野古道にはいくつものルートがあって、特に紀伊路、中辺路には、渡辺津から熊野三山までの間に百ヶ所近くの熊野権現を祭祀した九十九王子がありました。

一の王子(窪津王子)があった場所は、現在の坐摩(いかすり)神社行宮とされています。

  

今橋から高麗橋へ。

 

14:15   「高麗橋」に到着しました。

ゴールの高麗橋には、私の街道歩きの師匠「ランドセルさん」がお出迎えに来ていただきました。

ランドセル師匠とは、5年ぶりぐらいの再会です。

 

   

高麗橋は、豊臣秀吉の時代に大坂城の外堀として開削された東横堀川に架かる橋で、江戸時代になると、交通の要所であるこの橋は、幕府が直接管理する公儀橋として重視されました。

現在の橋は、昭和4年(1929)に架けられた鉄筋コンクリート製のアーチ橋として今も現役として使用されています。

明治時代には、高麗橋東詰に里程元標が置かれ西日本主要道路の距離計算は、ここを起点として行われました。

それにしても高麗橋は、江戸の日本橋に似ていますね。

 

本日のGPSです。

このあと、師匠が、緒方洪庵の旧宅、福沢諭吉生誕地を案内していただきました。

緒方洪庵旧宅(適塾)・・・・ 洪庵(1810~1863)は岡山の人で17歳で来阪、中天游に学んだ。天保9年(1838)洋学を志す者のために、自宅に塾を開いた。

1階の奥が洪庵の家族の住居で、2階は塾生が起居していた。そのなかから、大村益次郎(ますじろう)・橋本左内(さない)・福沢諭吉・長与専斎(ながよせんさい)らを輩出し、

また洪庵は、大坂で最初の種痘を実施するなど医学者としても活躍した。

 

  

福沢諭吉生誕地・・・・私は、福沢諭吉は大分・中津で生まれたと思っていましたが、ここ大阪の蔵屋敷で生まれていました。

  

淀屋橋で師匠と別れ、歩いて今日のホテルに向かいます。

 

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今年は、奥羽街道(江戸・日本橋~福島・白河)、京街道(京都・山科~大阪高麗橋)を完歩しました。

来年は、どこかの街道に挑戦したいですね。