よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

第6回北九州無法松2DMその2(東コース)40km?

2012-09-25 09:02:39 | ウォーキング
無法松2DM2日目は東コースで小倉城をスタートして妙見神社~門司港~関門トンネル~下関みもすそ公園を
折り返すコースです。
私の足の具合は昨日家に帰ってマッサージしましたが、まだ本調子ではありません。
何とか行ける所まで行ってみようとスタートしました。

参加者の中には目の悪い方が伴走者と一緒に、また81歳の方が元気良く歩かれています。
私も頑張ってゴールしたいと思います。

5km地点の妙見神社が最初のチェックポイントです。
この神社は、狛犬が猪になっています。




神社の由来を見てみますと
称徳天皇の神護景雲三年(西暦769年)太政大臣法王弓削氏道鏡が皇位につくのが相応しいというお告げが出た。
それに疑問をもった朝廷が和気清麻呂公(以下、公)に勅命をだし、神のお告げが本当であるかを確かめる為、宇佐神宮へ行くよう命じた。
その結果、「道鏡は、皇位に相応しくない」というお告げが出た事を朝廷に報告すると、それに怒った道鏡は、公を鹿児島に追放しようとした。
その途中、豊前のすわえ田村に漂着した公は、道鏡の追っ手から足の筋を切られるが、数百頭の猪が公を助け、再度、宇佐神宮に詣り神告を受けた。
その神告に従い公は、現在の小倉北区湯川にあった霊泉につかると、たちどころに足の傷が治った。
そこで、公は、近くの足立山に登り、造化神北辰尊星妙見に天皇の安泰と反逆者がいなくなることを祈った。
すると、造化の天神が現れ『汝の願い聴きいる』という神託をうけた。


今年3月霧島龍馬ハネムーンウオークで行った霧島にも「和気神社」がありましたが和気清麻呂が流されたのが
霧島だったのですね。

妙見神社を出ると足立山の「こもれびの小径」に入ります。
木々が生い茂りとても気持ちのいいコースです。
これを降りると「富野」に出てきます。
このあたりから私の足が痛み出しました。やはり坂の下りがいけないのでしょうね。
近くのコンビニで休み患部にエアーサロンパスを施します。

またコースに合流
コースは門司に向かっています。
このコースは参勤交代門司往還と言って大名が門司から船に乗るために通りました。

2回目のチェックポイントは「手向山(たむけやま)公園」です。
宮本武蔵の養子伊織が武蔵と小次郎の碑を立てたことで知られています。
ここからの階段がきつく手摺を伝ってやっとのことで登っていきます。
ここからは関門海峡が見渡せます。

手向山を降りると門司区に入ってきます。
私のペースはだんだん落ちていき、後続の方に次々追い越されていきます。

10時半40kと22kの分岐点に差し掛かりました。
この辺りが12kmの地点ぐらいでしょうか?
私の足の状態は最悪です。
このまま40kmを歩き続けるのは無理と判断し22kmの方にコースを変更しました。


鹿児島本線のガードを潜ると「柳の御所」というのがあります。
これは
 寿永2年(1183)木曾(源)義仲に都を追われた平家一門は安徳天皇奉じて西に逃れ
 太宰府に落ちていった。然しここでも豊後の豪族緒方三郎惟義が攻めてくると聞いて
 更に遠賀郡山鹿(現芦屋町)の城を経て豊前国柳ヶ浦にたどり着いた。
 この柳ヶ浦が現在の大里(だいり)のことで古い記録によると「内裏」と書かれて
 しばらくの間「仮の御所」があったからである。
 現在の戸上神社のお旅所となっているこの地が昔の仮御所であっただろうと伝えられ
「柳の御所」と呼ばれている。


この2年後あの壇ノ浦の戦いが始まるのです。


門司の赤レンガプレイスで休憩し、しばし関門海峡を眺めます。
魚を釣っている人、子供に自転車の乗り方を教えている人、そして関門海峡を通り過ぎる大型船を
眺めながらゆっくりゆっくりの歩行です。




赤坂海岸、貴船神社を通ると小倉の市街地に出てきます。

魚町商店街を通るとお菓子屋さんの「湖月堂」があります。
北九州のブログ友達が言っていたここの「栗ぜんざい」が食べたくなりちょっと中へ。
ウオーキングの時は甘いものも摂らなくてはと自分に言い聞かせながらその栗ぜんざいを注文
しました。
これです。

さすが老舗の味です。

商店街の終点にある常磐橋を渡り小倉城に入ってきます。
小倉城を抜けゴール地点の勝山公園へ



13時丁度ゴールしました。
今日は足の具合がよくなく一時は棄権も考えましたが22kmでも何とかゴールしました。
来年は雪辱の為東コースの40kmに再度挑戦したいと思っています。













第6回北九州無法松2DMその1(西コース40km)

2012-09-24 11:06:53 | ウォーキング
9月もお彼岸を過ぎ気候もよくなってきました。
ウオーキングシーズン到来ですね。
そんな中、私の鈍った体を引き締める為北九州無法松2DMに参加しました。
初日は長崎街道(皿倉山山麓コース)40kmコースにエントリーしました。

長崎街道(長崎~小倉間)は昨年から今年の1月まで14日間かけて歩きましたので懐かしいです。

7時半会場の小倉城勝山公園を出発。

参加者の方を見ていると若い方が多く見受けられます。
ゼッケンには「100kmウオークの練習」と書いてあります。
これは、10/6行橋~別府までの100kmを歩き続けるという企画です。
これには、26時間以内にゴールするという過酷な?ルールがあります。
然し速い方は13時間~14時間でゴールされるというから凄いです。
昨年は私のブログ友達も参加され見事制限時間内にゴールされたそうです。

話を本題に戻します。
コースは小倉城から水かけ地蔵、九州鉄道茶屋町橋梁跡、三条の国境石を通り一回目のチェックポイントの
東田高炉までの8,3kmは快調なペースです。



休憩を利用して足の豆防止のため靴下を脱いでスプレーを施します。こうすると豆が出来にくくなります。
(靴下は2枚履いています)

足をリフレッシュして再び出発。
八幡の国境石、黒崎の春日神社を通り黒崎宿へ。


ここから長崎街道「曲里松並木」に入ります。
江戸時代幕府が全国の街道に松や杉を植樹した名残です。
今ではこの松も枯れたりして少なくなっています。
(そういえば、長崎街道日見峠では松の植樹が行われていました。)
然し、中には江戸からの松が残っておりそれがパワースポットになっています。
私もこの松に触ってパワーをもらいます。

コースは、黒崎宿から木屋瀬(こやのせ)宿に向かいます。
江戸時代福岡には「筑前六宿」と言って長崎側から「原田(はるだ)」「山家(やまえ)」、「内野」
「飯塚」「木屋瀬」「黒崎」がありました。
長崎から砂糖が入ってこの街道を通って江戸に送られました。
街道沿いの長崎ではカステラ、佐賀・丸ボーロ、飯塚・千鳥饅頭、ひよこ・・・・・といった
九州を代表するお菓子が作られました。

また、ベトナムから輸入された「象」がこの街道を通って当時の将軍吉宗に献上されたそうです。

中間点が上石坂公園です。
隣には「立場茶屋銀杏屋」があります。昔は大名などが休憩したそうです。
時間も12時ぐらいになりここでパンで簡単な腹ごしらえをします。


 ※急坂に挟まれた難所に位置しており諸大名をはじめ長崎奉行、などが休憩した所です。
  庭先に大きな銀杏の木があるため「銀杏屋」と呼ばれた。

黒崎宿過ぎたあたりから私の右足がどうも調子がよくありません。
靴を脱いでみると片方の靴下がありません。2枚目の靴下は厚めのものを履いていましたが
それがないのです。どこに忘れてきたのかな・・・・・・・
靴は少し大き目を履き靴下2枚で調整していたのですが、靴下一枚では遊びが多すぎて足に負担が
かかります。お店があればそこで買ってくればいいのですがここではそういったお店が見当たりません。
考えた挙句、足にシップ薬とテーピングで応急処置をしました。

帰りのコースは山道を通りますのでアップダウンが激しいです。
やっとの思いで登ると先の方にはまた上り坂が待っています。
私の足も最初の頃はシップ薬が効いてきたかもしれませんが、だんだんシップが外れて土踏まずの所に
当たって痛いです。
それまで快調に歩いていましたがここで大幅にペースダウンしてしまいました。
今年この大会北九州市が市制50周年を迎えることからこの40kmコースは制限時間以内であれば途中で
50kmにも挑戦することが出来ます。
制限時間は午後2時。この調子ではとても2時までにチェックポイントに行くことは無理です。
何とか完歩だけはと思い痛い足を引きづりながら歩いていきます。
こんな時に限ってこのコースアップダウンが多いです。
上りはいいのですが、下りになると足に響いてきます。


最終のチェックポイントが八幡の高見神社。ここが34km地点。あと6km。
時間は3時半。ゴールは5時前ぐらいかな?などと予想を立てますがここからが長い。


板櫃川の側道を歩き、もうゴールの小倉城は見えているのに一向に足が進みません。
先にゴールしたブログ友達が電話で激励してくれます。

大門を通り常磐橋を通り17時半閉門ギリギリにゴール。
かえってGPSを見ますと距離40,8km。平均速度3,8km/hでした。
明日も40kmをエントリーしていますがこの足の状態ではどうでしょう?
とにかく明日になってみなければ・・・・・・     
                                       (続く)









同年会

2012-09-17 13:23:11 | 日記
8月のお盆ぐらいから部活のOB会やゼミの仲間の親睦会など飲み会が続いています。
15日(土)も小学校の同級生と親睦会を開きました。
この親睦会は同級生で近くに住んでいる人で一年に一回会って飲み会をしようと還暦を
過ぎた年から行うようにしました。

今回は女性も含めて18人の参加です。
会場は糸島・芥屋(けや)の料亭。
ここは天気がいいと夕陽のきれいな場所で遠くに壱岐島が見えるのですが
今日は残念ながら生憎の雨模様。

酒が進むとやはり話は小学校のこと。
もう50年も経っているのですが、皆、少年少女の顔になってくるのですね。
初恋や運動会、遠足、修学旅行・・・・・・もう話がつきません。
あっという間にお開きの時間になってしまいました。








又、来年の再会を約束してお開きになりました。





※写真はボカシで加工をしています。


開通前の若戸トンネルを歩く(北九州市戸畑区)

2012-09-09 19:24:28 | ウォーキング
北九州の若戸大橋は今年50年を迎えます。
出来上がった当初は東洋一の吊橋ということでした。
私が中学生の時だったかな?
若戸博というのも行われていました。
写真は開通間もないころ遠足で行った若戸大橋です。


その若戸大橋の洞海湾側に「若戸トンネル」が出来ました。
これは自動車専用道路で開通後は歩行者の通行はできませんが、
9/15の開通を前にこのトンネルを通るウオーキング大会がありました。

集合の戸畑駅にはたくさんの人が参加し係りの方がプラカードをもって
整列されていました。

このトンネルは「沈埋工法」です。沈埋工法とは、
「沈埋トンネル(ちんまいトンネル)は、あらかじめ海底に溝を掘っておき、そこにケーソン(沈埋函)を沈めて土をかぶせる、沈埋工法で作られたトンネル。海底にトンネルを作る際開削・シールドトンネルよりも浅く、短距離にトンネルを作ることができる」
2年ほど前、韓国・釜山~巨済島間に作られた巨加大橋にもこの工法が使われています。


戸畑駅を出発しますと若戸大橋が見えてきます。
私、戸畑側から見る大橋は初めてですが、とてもきれいな橋ですね。


しばらく海沿いに歩くとトンネルの入口になります。
来週の9/15に開通しますのでここを歩くのはこれが最後になります。


道路は2車線で舗装もアスファルトでなくカラー舗装されています。






若戸トンネルは、全長1181m。
若松に入ると若松のマスコットが迎えてくれました。


しばらく若松の街を歩きます。
今日は雨は降っていませんが蒸し暑く汗が噴き出てきます。
こんな時はやはりこれですね。

船を見ながらのソフトクリームは格別ですね。

帰りは若松から戸畑までまたトンネルを歩きながら帰りました。
通行料は普通車は100円だそうです。






田んぼアート 2012

2012-09-08 18:15:21 | 日記
9月に入り田んぼの稲穂も色づき始めました。
この時期、私の近くの田んぼでは「田んぼアート」があります。
昨年は東北大震災からか東北を応援するメッセージが多かったのですが
今年はどんなアートが出来上がっているでしょうか、
楽しみです。

二丈町田んぼアート
先ず行きましたのが糸島市二丈町の赤米田。
今年のアートはこれです。



「糸島まるごと日本一!」です。
横には赤米の花が咲いていました。





今宿の田んぼアート
次に行きましたのが福岡市西区今宿の田んぼアート。
ここは9/22にJRウオーキングのコースにもなっています。
今年の田んぼアートは・・・・・


ちょっと読みづらいですが、
「祝!50 今宿 手をつなGO!」でしょうか?

田んぼには「案山子」そしてもう「彼岸花」も咲いていました。