よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

第5回きのくに海南歩っとウオーク2日目(歴史と文化を歩くコース)18km「和歌山県海南市」

2016-05-31 16:32:34 | オールジャパンウオーキングカップ

5/22(日)は、パワースポットコース18km 「総合体育館~杉尾神社~中野上公民館~野上八幡宮~南野上公民館~亀池公園~千種神社~とれたて広場~総合体育館」

参加しました。いつものように30kmと一緒にフライングスタート。

 

海南市のマンホールは、ホオジロ、ヤマモモ、サツキがデザインされています。

  

約2km行った所が30kと18kの分岐点。30kは、宇賀部神社の方に向かいます。

18kmコースを歩くと、とある会社に六文銭の幟が立っています。真田一族は、関ヶ原のあと、和歌山九度山に幽門されました。

先を行くと、「杉尾神社」があります。ここは、別名「お腹の守り神」「おはらさん」と呼ばれています。シャモジを供えて無病息災を祈願するそうです。

  

  

中野上公民館が最初のおもてなしポイントです。

お味噌汁のふるまいや手作りの風車をいただきました。私のリュックの後ろにつけましたが、自分の風車と喧嘩しないか心配です。

  

紀美野町に入りました。「君の町」という素晴らしいネーミングですね。平成18年(2006)野上町、美里町が合併して出来た町です。

紀州の「紀」、美里町の「美」、野上町の「野」をとって名づけられたそうです。

野上八幡宮の長い階段があります。見ただけでパスしようかと思いましたが、海南高校大成校舎の生徒さんが一生懸命呼びかけていましたので行ってみることにしました。

  

野上八幡宮は、創建は欽明天皇時代にさかのぼるといわれ、あの石清水八幡宮の別宮として、何百年も多くの人が信仰を寄せてきた由緒ある神社です。

この神社の絵馬は、海南高校大成校舎の生徒さんによる手作りです。神社内では、生徒さんによるお茶のおもてなしが行われていました。

   

コースは野上八幡宮を折り返してきます。途中の道の両側には、夏みかんでしょうか、その甘い匂いが漂ってきます。

南野上公民館が今日2回目のおもてなし。かき氷、手作りの柏餅、ひまわりの種がプレゼントされました。

かき氷のシロップは、ヤマモモを使った手作りです。暑かったのですぐ無くなりましたが、お代わりOKでした。ヤマモモも1個いただきました。

このぐらい大きなヤマモモでしたら、ヤマモモ酒をつくれば美味しいだろうなと思うには、私だけでしょうか?(笑)

ひまわりの種は、宮城県石巻からの絆リレーだそうです。このひまわり、ひょっとして神戸の「はるかのひまわり」かな?

 

  

南野上公民館を出て、亀池の方に向かいます。緩やかな登りです。

  

 

亀池は江戸時代(1710)溝ノ口村(現在の海南市野上新)出身の井沢弥惣兵衛 によって灌漑用池として造られた県下最大級の池です。 

満水面積約13万m2、 貯水量約54万m3、堤の長さ98m、高さ16m、周囲約4kmもあるこの池を、延べ55,000人で、約3ヶ月の短間に完成させています。

当時、この池のおかげで、付近の十か村(約300ha)の田畑がうるおい、米300kl(約7,000人分)ができるようになりました。

池の中島には、紀州徳川家の別邸・双青閣が昭和43年に移築され多目的広場も整備されました。(海南観光ナビより)

  

ここでは、巽まちづくり協議会の皆さんによる冷たいおしぼり、コーヒー、飴玉のおもてなしがありました。

  

「千種(ちぐさ)神社」があります。古くは、百草神社と言われ、現在でも「ももくささん」の通称で知られています。

足の神様として信仰を集め、履物を供え、足腰の無病を祈る風習があります。(歩っとウオークパンフより)

 

旧野上鉄道跡地に来ました。跡地は、健康ロードとしてウオーキングやジョギングに楽しまれています。

  

「とれたて広場」に来ました。ここから30k、18k、10k、5kのコースが合流します。

とれたて広場では、大会のゼッケンを見せるとミカンジュースが1杯50円でいただけます。暑くて喉も渇きましたので家内と2人分いただきました。

   

コースも終盤になってきました。5k、10kは、子供さん連れの方が多く、私のリュックの後ろに付けている「風車」をじっと見て行かれます。

どうもこの風車、子供さんに人気があるようです。(笑)

13:27 ゴール!

  

参加者向けの抽選では、ふきんが当たりました。大事に使わせていただきます。

初めての和歌山海南ウオーク。接待がいいとは聞いていましたが、こんなに凄い接待とは思いもしませんでした。

地元の皆様本当にお世話になりました。また、来年も参加しようと思っています。

5/22  18kmGPS

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


第5回きのくに海南歩っとウオーク1日目(熊野古道コース)24km「和歌山県海南市」

2016-05-27 16:51:28 | オールジャパンウオーキングカップ

5/21から和歌山県海南市で行われた「第5回きのくに歩っとウオーク」に参加しました。

  

会場は、海南駅から車で約5~10分の所にある海南総合体育館。会場内には、痛車(いたしゃ)の展示やおまつりウオーカーと称したコスプレが受付中でした。

  

私が参加したのは、24kmコースで、海南総合体育館→JR海南駅→熊野古道→地蔵峰寺→善福院→塩津→大崎港→ゴールが下津市民交流センターです。

この大会は、お接待が素晴らしいと聞いていましたので楽しみです。9:15中学生の太鼓の伴奏と共にスタート。

海南駅に向けて歩いていると、どうも昔の線路跡を歩いているようです。

それもそのはず、ここは、「日方~登山口」間を野上電気鉄道が走っていた所です。1916年(大正5年)に開業し1994年(平成6年)廃止になるまで約70年間走っていました。

跡地は、遊歩道になっていました。

  

  

スタートして4,6km地点が「藤白神社」です。藤白神社は、藤白王子としても知られ、熊野参拝道の途中に設けられた九十九王子社の中でも特に格式が高いとされる、

五躰王子社の一つです。藤白神社には、「全国の鈴木さんいらっしゃい」と書かれています。

  

鈴木姓」は、日本で2番目に多い姓です。全国で約200万人いらっしゃいます。

日本に200万人を超すといわれる鈴木さん。そのルーツを遡ると世界遺産である熊野に繋がる。

「鈴木」は熊野地方において神官を受け継ぐ家系であり、神武東征の折り天皇より賜った「穂積(ほずみ)」家の後裔だと伝わる。穂積とは稲の穂を積む「稲むら」のことを示し、

その中心に立てる一本の棒を熊野では「聖木(すすき)」と呼び、転じて「鈴木」となったといわれている。

熊野古道に点在する九十九王子の中でも格式高い五体王子のひとつ、海南市にある藤白神社。ここは法皇や上皇の熊野参詣の折、安全祈願などを行う重要な拠点であったため、

熊野から鈴木氏が神官として遣わされていた。「境内に残されている“鈴木屋敷”は、鈴木家25代・重秀が住み始めた邸宅で、その後、

122代昭和17年まで鈴木家が住んでいたといわれています」と藤白神社の吉田宮司は語る。

また鈴木姓が全国に広まった理由も、熊野神社と深い関係がある。それを裏付けるように、「熊野神社」が多く勧進されている東日本に「鈴木」姓が多い。

鈴木を名乗る神官たちは全国に渡り、熊野信仰とともに各地に根付いた。そして、信頼を集めた鈴木氏にあやかり、また熊野への憧れを込めて、

多くの人々が鈴木姓を名乗るようになったといわれている。現在、鈴木姓ゆかりの人たちが藤白鈴木会を結成し、ルーツの研究を深めている。

連綿と続く「鈴木姓」。そのふるさとが和歌山にある。 (和歌山県HPより)

因みに発祥の地和歌山には、約5300人の鈴木姓があるとのことです。

ここでは、今日最初の接待でお茶、種なし梅、しらすの試食がありました。

  

藤白神社を出るとここから「熊野古道」藤白峠に入ります。道はほぼ平坦ですので「ああ、これが熊野古道か?楽勝、楽勝・・・」と思っていたら、

  

   

このあたりから急坂になってきます。

   

 

   

   

藤白神社から約50分で地蔵峰寺に到着。ここまでは、きつくかなりハードな山道でした。

  

ここでは、オレンジジュースの接待がありました。汗を掻き掻き登ってきましたのでこのジュースは格別です。このジュース100%のオレンジです。

藤代塔下王子跡

  

地蔵寺の裏手には、「御所の芝」があります。ここからは和歌山市和歌の浦が見渡せます。

   

やっと平坦な道に出たと思いましたが、すぐ、急な下り坂が待っています。昨年、新潟山古志で膝を痛めましたので、ここはゆっくりゆっくり下りてきます。

  

  

「善福院」が最初のチェックポイントです。

  

ここでは、夏みかんのシロップ漬けです。夏みかんをシャーベット状にしていますので食べるとシャキシャキと音がします。

喉が渇いていますので美味しくいただきました。

 

   

  

狭い道路を歩いて行きます。

  

12:40  塩津港に到着。ここでは、待望のミニしらす丼が振る舞われました。

海苔とネギ、しらすの単純な組み合わせですが、これが非常においしいです。あっという間に食べ終わりました。この日、4回目のお接待です。

少し休憩して再び出発。

   

戸板を過ぎると、左側に「金鳥」の工場が見えてきます。ここ海南では、100年以上前から除虫菊を使った蚊取り線香の製造が行われています。

この「金鳥」もそうですが、地元の「紀州除虫菊」という会社も蚊取り線香の製造をここ下津で行っています。

  

更に先へ歩くと、「かき氷」の看板があります。今日は、非常に暑く、水分を摂っても摂っても喉が渇き、かき氷は、ほんと、生き返ります。

  

また、ここからのロケーションは、最高です。万葉歌碑もありました。

 

先へ行くと道路の両面に棕櫚並木があります。海南は、家庭用品の町でもあり、この棕櫚を使った箒などが造られているそうです。

  

大崎の町に入りました。キャッチフレーズが「げんき大崎 かざまち」です。

大崎港は、万葉の時代から風待ち港として栄えていました。ここで2回目のチェックポイント。

お接待は、寒天、かざまち揚げ(魚のミンチの天ぷら)です。

  

  

大崎を過ぎてから、少し上り坂になっていますが、ほぼ平坦なコースです。今までの遅れを取り戻そうと少しペースアップしていきます。

歩いていると右側に「紀伊国屋文左衛門船出の地」の碑がありました。

  

下津の橋を越え、駅前を通り、ようやくゴールの市民交流センターに着きました。時間は、15:30です。

予定では14:30でしたので1時間もオーバーしてしまいました。

  

然し、この大会、序盤は峠でアップダウンが多くかなり疲れましたが、地元の皆さんの心あるお接待にホント感謝・感謝です。

今まで歩いた大会の中でも№1のお接待でした。ホントにお世話になりました。明日は18kmを歩きます。

グーグルアース

 

 

 

 

 

 

 


「和歌山ブルース」を訪ねて

2016-05-24 19:42:11 | 旅行

5/21から始まる「きのくに海南歩っとウオーク」に参加の為、5/20昼からの新幹線で和歌山へ向かいました。

博多から和歌山まで約5時間。和歌山に着く頃は、もう5時を廻っていました。

  

和歌山は初めて行く所、ガイドブックなどを見ながら主だった所を訪ねることにしました。

和歌山というとすぐ浮かぶのが、古都清乃さんが昭和43年に発表した「和歌山ブルース」です。

  

私が若いころ、よくカラオケで歌っていた曲です。この曲に合わせて和歌山市内を探索していきます。

先ず「和歌山城」へ。

和歌山城は、天正13年(1585)、紀州を平定した羽柴秀吉は、弟の秀長に命じて紀ノ川河口部の「岡山」(現在の虎伏山)に城を築かせた。これが和歌山城の始まりである。

その後、秀長は郡山城(奈良県大和郡山市)に移り、家臣の桑山重晴が和歌山城代となる。

慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いの後、浅野幸長が37万6千石で紀伊に入国し、和歌山城主となる。浅野氏は連立式天守を建て、現在の本丸・二の丸・西の丸に屋敷を造営。

大手門を岡口門から一の橋の方面に移し、本町通りを大手筋として城下町を整備した。

元和5年(1619)、徳川家康の10男頼宣が55万5千石を拝領し、紀州藩が成立する。頼宣は二の丸を西に広げ、砂の丸・南の丸を新たに造成した。

紀州徳川家は、尾張・水戸とともに「御三家」と呼ばれ、8代将軍吉宗、14代将軍家茂を輩出した。 (和歌山城HPより)

今年は、吉宗が将軍になって300年経つそうです。

 

和歌山城は、江戸時代、別名「虎伏山竹垣城」と呼ばれていました。和歌山城の建つ山が海上から見ると猛虎が伏している姿に似ています。

 

 

石垣にもそれぞれの時代によって石材や積み方の技法が違います。築城当初は、結晶片岩を使った「野面積み石垣」、浅野幸長の時代には、砂岩を使い、

細工して接ぎ合わせて積む「打ち込みハギ石垣」、徳川期には、花崗斑岩を精密に加工して積んだ「切り込みハギ石垣」と変化しています。

  

また、和歌山城の石垣には、2110個の「刻印」が見られます。デザインは、約40種類、家紋やその省略文字、方位、日付、人名と考えられています。

  

   

「七福の庭」とは、七個の巨石を七福神に見立てて配置した庭です。七福神が宝船に乗っている様子を表しています。何とも粋ですね。

  

「鞠と殿さま」歌碑

私達が子供の頃、女の子は、この歌を歌って鞠遊びをしていましたね。 ♪ てんてんてんまり てんてまり・・・・・・♪

昭和4年に作詞「西条八十」、作曲「中山晋平」で作られました。歌碑には5番の歌詞が書かれています。(西条八十氏直筆)

そういえば、和歌山市のマンホールは、この手毬がデザインされています。

  

天守閣に着きました。残念ながら5時を廻っており、中に入ることはできませんでした。

  

 

お城の中は、50年物の南高梅の木があります。南高梅の梅干は柔らかく本当においしいですね。

 

西の丸には、面白い形をした橋(廊下)があります。「御橋廊下」といって、かつて西の丸と二の丸を結ぶ橋としてつくられ、藩主とその付き人のみだけが渡ることができたと言われています。その姿が見えないように屋根を付けている珍しい橋です。

  

和歌山城の廻りは、ワンちゃんの散歩コースなんでしょうか、この時間ワンちゃんを連れた方が何人もおられました。

お城の石垣には、「猫ちゃん」もいました。

  

お城から市街地に戻ります。歩いていると、「京橋と京橋御門」の案内板がありました。

この橋が架かっている市堀川は、かつては和歌山城の外堀であり、京橋は城内と城外の境界でもあった。そのため、京橋には京橋御門が存在し、

厳重に警備されていました。紀州藩主が参勤交代で江戸へ向かう際は京橋御門を通ったとされています。

橋には、お駕籠のモニュメントがあり、時間になると「鞠と殿さま」の童謡が流れるようになっているそうです。

   

和歌山ブルースには、ぶらくり丁の恋灯り という歌詞があります

ぶらくり丁は昔から続く市内の主要商店街。本町2丁目あたりから和歌川を越した築地の周辺まで、本町通、ぶらくり丁、中ぶらくり丁、東ぶらくり丁、

ぶらくり大通り、北ぶらくり丁などのっ商店街が1.5kmほどアーケード街が続くきます。

観光客向けの店は少なく、洋装、洋品、和服などの衣料品店が多い。それもそのはず、昔、このあたりでは衣料品をぶらくって(ぶらさげて)売っていたという。

ぶらくり丁の名もそれに因んでいます。私は、ブラブラ歩いているからこのブラクリと思っていましたが違っていたのですね。

  

 

中ぶらくり丁と東ぶらくり丁の間の大門川にかかる雑賀橋のほとりには、「和歌山ブルース」の歌碑が建てられています。

  

和歌山ブルースの歌碑は、近づくと歌が流れます。 あいたいみたいすがりたい・・・・・・ 

 

 真田堀ならネオン川・・・・・ 

真田堀通りには、歓楽街になっており、飲食店などが集中しています。

真田堀というと、NHK大河ドラマの真田幸村が建設したのでしょうか?調べてみてもそれらしきことが書いてません。

然し、真田幸村は、関ヶ原の後、ここ和歌山・九度山に幽門されています。

  

真田堀通りに和歌山の中華そばのお店がありましたので、入ってみます。

和歌山では、ラーメンのことを「中華そば」と呼んでいます。然し、コンビニのご当地ラーメンには、和歌山ラーメンと表示されることもあります。

和歌山中華そばは、豚骨と鶏がらをじっくり煮込み秘伝の醤油タレをブレンドしています。そういえば、和歌山は醤油の発祥地ですね。

中華そばが出来上がるまでテーブルに置いてある「早寿司」をいただきました。早寿司とは、紀州名物の腐り鮨「なれずし」を

十分に発酵させていない状態の鯖寿司である「早なれ」のことです。

和歌山中華そばは、味は濃厚で麺は細麺。あまりにもおいしかったのでスープも全部いただきました。

明日は、海南でのウオーキング大会。しっかりスタミナをつけました。

   

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 


北海道フェアーin福岡

2016-05-15 06:15:04 | グルメ

5/14(土) 夕方から会合があるので久しぶりに福岡・天神に行きました。

会合の時間があったので福岡・天神中央公園で行われている「北海道フェアー」を見てきました。

  

実は、私、昨年6月に札幌、旭川に旅をし、北海道のうまいものを満喫してきました。今回、知っている店はないか、探しましたが

北海道グルメってたくさんあるのですね。

 

スイーツからラーメンまで約50店の出店です。

どれも美味しそうなものばかりです。注文した食べ物を広い公園内で食べています。

  

 

  

札幌ラーメンは、弟子屈ラーメン、麺屋、ラーメン石黒、武蔵、トマトラーメンなど5店が出店していました。

 

こうして北海道のグルメを見ているとまた北海道に行きたくなりました。

家で留守番している家内にも「北海道」を味わってもらうため1品お土産に買って帰りました。