よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

吉塚駅周辺を歩く(福岡市博多区)

2012-10-28 20:14:08 | ウォーキング
10/20(土)にJRウオーキングで吉塚駅に行ってきました。
吉塚というと私が子供の頃叔母が吉塚の近くの「馬出(まいだし)」に住んでいましたので
学校の休みには姉とよく行っていました。
また学生の頃、吉塚駅近くの工場でアルバイトして自動車の免許を取りました。
社会人になると草野球でこのあたりの球場を利用しました。
その後はめったに通ることがありませんでしたので懐かしいウオーキングになりそうです。

「吉塚」という地名は
今から約400年前薩摩の島津家に忠義を尽くし勇敢に戦って散った二人の兄弟武将を敵の武将が
「あっぱれなり」といって塚に葬り祀りました。
兄弟の名は星野吉実、吉兼。吉塚の地名は吉実(よしざね)を祀った塚ということで「吉実塚」と
呼ばれていましたが、いつしか「吉塚」になりました。(駅長おすすめのJR九州秋編より)

ウオーキングは吉塚駅からスタート。
この駅も県庁がこの地に建てられ新しくなりました。

「妙見通り」ここは昔、一車線の道路で混雑がひどかったのですが、今では2車線の道路に
なっていました。
ここは福岡空港に近く5分おきぐらいに飛行機が離発着しています。




※福岡にも道頓堀があるのですよ。

二股瀬の交差点から宇美川沿いに歩きます。
この川綺麗で鯉とかボラの子(イナ)などが泳いでいます。




※川の右側には「社領南球場」があります。よく早朝野球で利用しました。

馬出(まいだし)に入ると博多女子高で文化祭が行われていました。
模擬店を見ると私の好きな「一銭焼き」が売られていました。
他のブーツでは、女子高の制服を着ての記念写真も行われていました。
ウオーキング仲間の方がこれに挑戦されて写真を拝見しましたが、全然違和感がなく
今でも高校生で通用します。(但し後姿だけですが・・・・)

  

女子高の先を左に行くと「東公園」があります。
ここにも球場がありましたが、県庁舎建設にあたり取り壊されました。
東公園というと「日蓮聖人の像」があります。



日蓮聖人は、文応元年(1260)「立正安国論」を記し当時の鎌倉幕府北条時宗に「元」(モンゴル)の襲来を
警告しました。
この銅像の台座には日蓮の一代記と立正安国のレリーフがあります。
明治37年の製作で製作者は岡倉天心をリーダーとしたグループです。





日蓮聖人像の横には「元寇記念館」があります。
ここには元の衣装や武器、日本の竹崎季長の元寇絵巻などが展示されています。

更に先に進むと「亀山上皇像」があります。
元寇の際、上皇自ら伊勢神宮に「わが身を持って国難に代わらん」といって敵国降伏を
祈願されました。像にはその「敵国降伏」書かれています。
  
「十日恵比須神社」

正月の10日頃は大変賑わいますが平日はこの通り

コースは再び吉塚に向かいます。
ここには今日私が一番楽しみにしていた天ぷらの「だるま食堂」があります。
私が社会人になった最初の勤務地が博多駅近くでした。
お昼にはよく先輩からここの天ぷらに誘われました。
目の前で揚げてくれるし、また無料の「イカの塩辛」が美味しかったと覚えています。
その天ぷらと40年ぶりの再会です。
自販機でミックス天ぷらご飯大盛(@810)を注文。
カウンターに座るとありました!あの「塩辛」が・・・・・
早速小皿にとり食べてみると・・・・40年前と同じ味です。

天ぷらもお肉、お魚、野菜など、サクサクと揚がって美味しいです。
これも40年ぶりの味です。
大食漢の私はもう至極のひと時です。

「牡蠣」の天ぷらもありましたのでこの塩辛と牡蠣をテイクアウトしました。

お腹もいっぱいになりました。
コースは終盤にかかりました。

西林寺を左折すると「吉塚商店街」に入ります。
何か、昭和の時代に戻ったようです。
惣菜屋さん、お魚屋さん、お肉屋さん、蒲鉾屋さん、八百屋さん・・・・・・・
今日はJRウオーキングに協賛しセールが行われています。
見ているとみんな欲しくなりますが私のお腹は先ほどの天ぷらでいっぱいです。
    
吉塚商店街をあとにゴールの吉塚駅へ。
今日は秋晴れの気持ちのいいウオーキングでした。












海の中道海浜公園のコスモス(福岡市東区)

2012-10-23 09:30:03 | お花
21日の日曜日は国営海の中道海浜公園へコスモスを見にいきました。
この日は「うみなかはなまつり」で入園料が無料の日でした。
  
海の中道駅口から入ると「パークトレイン」が待っています。
これに乗ると園内を一周できます。然し今日はピーカンの晴れ 私もウオーカーの端くれ歩いていきます。

「潮見台」では玄界灘が一望できます。
生憎少し霞が出ていましたので遠くの島は見えませんでしたが素晴らしい眺望です。
ここは飛行機の航路になっていますので飛行機が頻繁に飛んでいきます。
この光景をパノラマにしてみました。

「動物の森」では黒豚、リスざる、亀などと触れ合うことが出来ます。
何かこのブタちゃん誰かに似ていますね。
  
「花の丘」では今、200万本のコスモスが満開です。
今日はこのコスモスを撮るためデジイチ、コンデジの2台のカメラを持ってきました。
先ずはパノラマで。









「フラワーミュージアム」ではダリアの新種が展示されていました。




秋晴れの今日、きれいなコスモスを見て穏やかな気持ちになりました。
途中、下関のブログ友達Mさんと一年ぶりに偶然会うことが出来ました。








太宰府政庁跡(福岡県太宰府市)

2012-10-17 19:44:38 | ウォーキング
先週の日曜日JRウオーキングで大宰府を散策しました。

    

【太宰府】といえば、大宰府天満宮ですね。
都を追われ九州大宰府に流されそこで詠んだ歌が
「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」
一夜にして飛んで来たという「飛梅」は天満宮本殿の横にあります。

  

太宰府天満宮は学問の神様で受験シーズンになるとたくさんの受験生が
参拝に来られます。
今日は韓国からのツワー客が来られていました。

太宰府天満宮に通じる池は「心字池」と呼ばれそこにある太鼓橋は
過去、現在、未来を指しているそうです。

参道にはお土産屋さんがたくさん並んでいます。
ここの名物は「梅が枝餅」
私の同級生もここで梅が枝餅店を開いていますのでそこに立ち寄り
餅を買ってきました。同級生は外出中で会えませんでした。

天満宮の横の方には「光明禅寺」があり九州の紅葉のスポットです。
紅葉は?とみると少し紅くなりかけています。
  
天満宮から約2kmぐらい行くと「大宰府政庁跡」があります。
奈良時代から平城京の出先として韓国、中国、などとの政治交流の場であり
九州全土を管轄していました。
  
ここには先ほどの菅原道真の他、山上憶良、大伴旅人などが高官として
都からやってきました。

「青丹よし寧楽(なら)の都は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」
これは教科書で習いましたね。「あおによし」が枕詞で「奈良」にかかっている・・・
試験にも出ましたね。

この歌は作者の小野 老(つゆ)が大宰府に赴任した時に都を思って詠んだ歌です。
意味はおわかりですね。
「奈良の都は、におうように花が美しく咲き、今真っ盛りである」

奈良、平安時代この都から遠く離れた大宰府に都の出先があり人材の交流も
激しく行われたそうです。今でこそ新幹線でしたら4時間弱ですが昔は相当の時間が
かかったのでしょうね。
唐招提寺を建てた「鑑真和上」も薩摩~佐賀を通りこの地のお寺に滞在しています。
ここから瀬戸内を通り平城京に行かれました。

昨年奈良のウオーキング大会に参加して平城京あたりを歩きましたが
奈良には土佐町」というのがあって平城京を建てるときに土佐からたくさんの人が
奈良に入ったそうです。
今でこそ通信手段はメール、携帯、FAXなどいろんな種類がありますが
この時代どうやって通信したのでしょうか?
いろいろ考えて見ますと歴史って面白いですね。






尾道ラーメン

2012-10-15 10:47:18 | 旅行
尾道には過去3回ほど行っていますが、
まだ尾道ラーメンは食べたことがありません。
行った時にラーメン屋さんの前を通るのですが
いつも行列でした。(尤も行く日は日曜日が主でしたが)
今回しまなみ海道ウオークの前日に尾道に泊まりましたので
また行ってきました。
夕方6時ぐらいでしたが店の前は行列もなくすぐ座れました。


尾道ラーメンを注文しようと思ったのですがメニューには
尾道ラーメンとは書いてありません。「中華ソバ」です。
でもこの中華ソバ・・・・名前が何かいいですね。

餃子もありましたので餃子も注文しました。

5分ほど待つと来ました。「中華ソバ」が・・・・・
醤油味なんですね。

日頃とんこつラーメンを食べなれているせいか、何か新鮮な味が
しました。

そのあと夕暮れの尾道市内を散策。
寝る前のビールのお供に「桂馬」の天ぷらを。
モミジ模様の天ぷらもあるんですね。

   


桂馬をあとにホテルまで歩き出すと「出雲街道標石」というのが
ありました。
石見銀山の銀を瀬戸内海を通って運ぶ為の道だったそうです。
島根の温泉津まで続いているそうです。

駅前には林芙美子の碑が。

短時間ですが夕暮れの尾道の町を散策しました。

第12回瀬戸内しまなみ海道3DM(二日目)「多々羅しまなみ公園~今治城」

2012-10-13 19:41:26 | ウォーキング
昨夜(10/06)はホテルのお風呂でしっかり足をマッサージしましたから
足の状態は幾分かよくなっています。
一応念のためカットバンとテーピングをしました。

今日(10/07)は前日ゴールした多々羅しまなみ公園へバスで行きそこから
今治に戻ってくるコースです。
バスの中でホテルが用意してくれたお弁当を食べ終わると
多々羅しまなみ公園に着きました。

今日は昨日と打って変わっていい天気です。
瀬戸内の島から朝日が昇ってきます。

パノラマにしてみました。



そこで島根松江のYさんとばったり。
Yさんとは北九州無法松で一緒でしたので2週間ぶりの対面です。
今回はこの大会のスタッフとして参加されているそうです。

午前7時スタート。


7kmぐらい歩くと「大三島橋」が見えてきました。
この橋はしまなみ海道唯一のアーチ橋です。



橋を渡る前に水分補給します。









大三島橋を渡ると「伯方(はかた)島」に入ります。



伯方島に入るとすぐ目に入るのが大きな造船所。
大きな船が建造されていました。



8時半、あと30km地点通過。
快調に歩いています。



前方に伯方・大島大橋が見えていますが、ここ伯方SCパークで少し休憩します。



伯方というと伯方の塩で有名ですがその塩を使った塩羊羹が出されました。
接待係の人に私も「ハカタ」から来ましたというと一瞬きょとんとされましたので
「九州の博多」というと納得されました。
伯方の塩がまだメジャーではない時、他の県の方に「ハカタの塩」を売り込みに
行ったら九州の博多と勘違いされたことなどお話されました。

  

「伯方・大島大橋」は伯方島・見近島までの伯方橋と大島大橋の2つの橋から構成
されています。全長1,2km。

    

この瀬戸内しまなみ海道3DMのキャッチコピーは「君とゆく 海の碧 空の青」
ですが今日は天気も良くまさしくその通りです。そして私の横には家内が一緒に歩いています。

   

伯方大島大橋を渡ると左側が海になります。
左手に小さい島があります。
これが「能島」。地図を見ると能島城跡と書いてあります。
村上水軍のお城だったのでしょうか?



宮窪観光案内所で休憩し大島を縦断します。



今日は3連休の真ん中になります。この島に入ると秋祭りなんでしょうか、どこからともなく
笛や太鼓の音が聞こえてきます。
歩いていると御輿に出会いました。

よしうみバラ公園で休憩し、いよいよ来島海峡大橋まであと5kmの地点になりました。
 

来島海峡大橋まであと1kmの地点になりました。



よしうみいきいき館がチェックポイントと昼食会場です。ここで11時40分。
パンをかじっていると、隣にじゃこ天を揚げています。
匂い?につられてついつい買っちゃいました。
アツアツでとても美味しかったです。





ここから来島海峡の急流観光船が出ています。
お迎え大師様もこちらにあります。



いよいよ来島海峡大橋に入ります。
来島海峡大橋は世界初の三連吊橋です。
来島第一大橋、第二大橋、第三大橋となっており全長4045mです。
さあ、この橋何分で渡れるのでしょうか?







約50分で渡り終えました。

今治に入ると大きな造船所がありました。


ここからゴールまであと7km
ゴール到着時間が3時から3時半になりそうです。



あと5k





3時半ゴール!
   

ゴールのあと今夜の宿「松山」へ。
松山に着いたらやはりここですね。
2日間80kmを歩いた疲れをとりました。





【追伸】
今写真を見ながらブログを書いていますが、足が痛くてリタイアしようかななど考えましたが
天気もよくあの素晴らしい光景をみているとまた歩いてみたくなります。 
                                 


       













第12回瀬戸内しまなみ海道3DM初日「尾道~多々羅大橋」その2

2012-10-11 20:34:23 | ウォーキング
因島フラワーセンターを11時50分にスタート。
あと25kmを5時までにゴールしなければなりません。

因島は、「白滝山と五百羅漢」また、室町、南北朝にかけて活躍した「村上水軍城」が
あります。江戸時代の棋士「本因坊秀策」もこの地の出身です。


1時15分このコース2番目の橋「生口(いぐち)橋」に到着。



こちらの橋は両側に自歩道がついており車は中央を走ります。
海からの気持ちのいい風が吹き私の風車が音をたてて廻っています。

     

   



しばらく生口島を歩きます。


    

1時間で5kmを歩いています。この調子なら5時までにゴールできそうです。

休憩所の瀬戸田市民会館をスルーすると「平山郁夫美術館」があります。
平山画伯はこの生口島・瀬戸田の出身です。
平山美術館の裏手には西の日光と呼ばれる「耕三寺」があります。
コースをはずれそっと見に行きますが中に入ると結構な時間がかかりそうなので
門の入口にて拝まさせていただきました。





コースは「サンセットビーチ」といって夕陽の綺麗な海岸線に出ます。
こちらには島をまるごと美術館にしようと野外彫刻が並んでいます。


また私の足が痛くなってきました。
あとゴールまで5kmぐらいなんですが、痛くて堪らず休憩して靴、靴下を
脱ぎます。どうも右足の小指を痛めているみたいでそこにカットバンを貼って
急場をしのぎます。

また再び歩き出します。
前方には「多々羅大橋」が見えてきます。
ゴールまであと5km。時間は4時少し前。
何とか制限時間内にゴールできそうです。



多々羅大橋に入ってきました。
多々羅大橋は1,5kmでこのしまなみ海道で2番目に長い橋です。
橋の真ん中は広島、愛媛の県境になっています。
       
鳴き龍といって手を叩くと響きます。

4時45分初日ゴールの多々羅しまなみ公園へ。
無事5時までにゴールすることが出来ました。




これから福山に行かれるNさんご夫妻とここで別れ私たちは今夜の宿の今治に行きました。

ホテルに帰るといの一番にこれです

今日は本当に疲れました。

















第12回瀬戸内しまなみ海道3DM(初日)尾道~多々羅大橋(その1)

2012-10-11 04:59:16 | ウォーキング


10/6~10/7「瀬戸内しまなみ海道3DM」に参加しました。
本来は3日間の大会ですが、金曜日は仕事の関係で参加できず2日間で
尾道~今治間のコース(80km)にエントリーしました。
   

集合場所は尾道駅前広場 
出発式のあと8:00スタート。
このコースは尾道から6つの橋を渡り今治城まで2日間で約80kmです。
    

このコースには北九州からブログ仲間のNさんご夫妻も参加されていますので
Nさんご夫妻と一緒に歩きます。
最初はフェリーで対岸の向島に渡ります。
5分後向島に到着。
    
向島の街中を抜け海岸に出てきます。
この辺りは暖かい気候なのでしょうか、山の斜面にはみかんなどの柑橘類が植えられています。
右側には瀬戸の海
このしまなみ海道はサイクリング道路にもなっており、若い方が自転車を颯爽と
漕いでいかれます。
   
この大会の為に私のDバックには瀬戸の風を感じようと風車をつけています。
その風車が気持ちよく廻っています。
遠くに因島大橋が見えてきます。






10:15この大会最初の橋「因島大橋」に入ってきました。

この因島大橋は、橋が2階建て方式になっており、上が車、下が自転車、歩行者専用に
なっています。全長1.3km。



ここでハプニング!橋を渡り終えたあと私の足が痛み出してきました。
コースはまだ30kmもあるのに・・・・
ちょっとコースをはずれ近くの大浜PAで足の治療をしているとこの大会の
スタッフの方でしょうか、私の靴を見て「靴が大きすぎるから痛むのだ」といわれました。
少し大きめの靴で靴下を2枚履きしていたのですが、それでも大きすぎたみたいです。
そのスタッフの方から足が痛くならないような靴紐の結び方を教えてもらい即実行しました。
そのせいか、足があまり痛くなくまたコースに戻って行きます。

コースは因島に入りました。
因島というと女優の「東ちずるさん」の出身地ですね。
     

11時半昼食会場の「因島フラワーセンター」に到着。
ここがチェックポイントになっています。
先に到着されたHさんが私達のためにお弁当を買っていただきました。

  

腹ごしらえをし、また歩き出します。
多々羅大橋まであと25km。今、時間は11時50分
この日のゴール締切り制限時間が午後5時。
果たして制限時間にゴールできるのだろうか?


                                   
                                     (続く)


















久留米市内を歩く(福岡県久留米市)

2012-10-02 17:03:44 | ウォーキング
先週の北九州無法松ウオークで痛めた足もだいぶん回復し、今日は回復状態を確認しようと
JRウオーキングに参加しました。

午前10時JR久留米駅をスタート。


すぐ梅林寺に入ります。
この梅林寺は梅の名所でもありますが、久留米藩主有馬氏の墓所にもなっています。
墓所には歴代藩主のお墓が並んでいます。




梅林寺を出ると筑後川に差し掛かります。
筑後川は「筑紫次郎」という別名があり、九州で一番大きな川です。
この長門石橋の横には九州新幹線が通っています。
しばらく待つと「つばめ」が通り過ぎていきました。





長門石の町を通りすぎるとラーメン屋さんにこんな看板が・・・・・・



何か懐かしいですね。

みやき町の千栗八幡宮を折り返しまた久留米市に入ります。


筑後川の河川敷を歩いていると右側に水天宮が見えてきます。
社伝によれば
 寿永4年(1185年)、高倉平中宮に仕え壇ノ浦の戦いで生き延びた按察使の局伊勢が千歳 川(現 筑後川)のほとりの鷺野ヶ 原に逃れて来て、建 久年間(1190年 - 1199年)に安徳天皇と平家一門 の霊を祀る祠を建てたのに始まる。伊勢は剃髪して名を千代と改め、里々に請われて加 持祈祷を行ったこと から、当初は尼御前神社と呼ばれた。そのころ、中納言平知盛の孫の平右忠が肥後国から千代を訪れ、その後 嗣とした。これが現在まで 続く社家・真木家の祖先 である。幕末の志士・真木保臣は第22代宮司であり、 境内社・真木神社に祀られている。

 慶長年間(1311年 - 1312年)に久留米市新町に遷り、慶安3年(1650年)、久留米藩第2代藩主有馬忠頼によっ て現在地に社殿が整えられ遷座したのが現在総本 宮である久留米水天宮である。 その後も歴代藩主により崇 敬されたが、特に第9代藩主頼徳は、文政元年(1818年)に久留米藩江戸屋敷に分霊を勧請し、その 後明治4 年に現在の東京水天宮にご遷座された。 明治元年(1868年)には元神明宮に分霊され相殿に祀られる。


水天宮は安産の神様でちょうど私たちがお詣りしていたころ宮参りの家族連れの方が参拝に来られていました。
お許しを得て写真を

また河川敷に入りしばらく歩くと久留米藩篠山城跡が見えてきます。




昔々のことで申し訳ございませんが、私が学生のころここで映画の撮影をしていた時面白いエピソードがあります。
撮影していたシーンは、ちょうど刑務所から脱走しこの城跡に逃げ込んだという設定。
撮影はスムーズに行われて、あと何カットかの撮影でその日の終了という時でした。
その時消防車のサイレンが・・・・・
近くで放火があり犯人がこの近くに逃げ込んだそうです。
警察が近くを山狩りしているとの情報。
すぐ私達のクルーズに警察の方が捜索に来られました。
主人公は刑務所を脱走しているから囚人服です。怪しまれない方がおかしいですね。
どこの学校か、責任者は誰だとか、いろいろ聞かれます。
30分ぐらい経ったでしょうか、警察の方に「犯人逮捕」の無線が入り私たちは無事釈放?されました。
警察の方から事情聴取されるのはみんな初めての経験で緊張しっぱなしでした。

話がとんだ方に進みましたが、篠山城址を降りるとそこはブリジストンの工場です。
道路もブリジストン通りとなっています。


時計も12時近くなりましたのでお腹もすいてきました。
以前久留米に在住の方に美味しいラーメン屋さんがこのあたりにあるということで
ちょっとルートを外れそのラーメン屋さんを探すことにします。
明善高校の近くと聞いていましたのでそこを探すと・・・・・ありました。
店にはもう10人ぐらい待たれています。
15分ぐらい待ったでしょうか、やっと注文のラーメンと焼き飯が運ばれてきました。
やはり噂通り美味しいです。
店のメニューを見ますとうどん、牛丼もあります。
然し店の中を見渡すと誰もうどん、牛丼など注文していません。


お腹もいっぱいになりまたコースに戻ります。
この辺りは荘島町になります。
そうそう荘島町といえば、ウオーキングシューズのムーンスターの本社があります。
ムーンスターには昨年までSNSがあり私も参加していました。
こちらではたくさんのウオーキングフレンドを紹介していただき今でもこのほとんどの方と
交流しています。
「つきほし歴史館」では月星(現ムーンスター)の歴史を見ることができます。

このあと久留米出身の画家「青木 繁」「坂本繁二郎」の旧宅を見て回りました。







私の足の具合はちょっと痛いぐらいですが、歩くのには差し支えなく、これで今週の
ウオーキング大会も何とか歩ける気がしました。