よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

7月例会「博多山笠飾り山ウォーク2024」(福岡市内)

2024-07-15 18:03:26 | ふくおかウォーキング協会

博多では、7月1日より「博多山笠」が始まりました。

1日からは、市内各地で13本の「飾り山」が立ちます。

そして10日からは、「舁き山」が博多の街を走りだします。フィナーレは、15日早朝の「追い山」。

およそ1トンの舁き山が櫛田神社に奉納し、廻り止めまで約5kmを舁きます。

この山笠が終わると博多の街に本格的な「夏」が訪れます。

 

ふくおかウォーキング協会の7月の例会は、恒例の「博多山笠飾り山ウォーク」です。

コロナ前には、70名ほどの参加者でしたが、コロナで参加者が減り、コロナ禍の影響がほとんど無くなった今年は、55名の参加でした。

スタート前には、山笠グッズの抽選会も行いました。

集合場所は、天神の警固公園。マップの裏には、山笠の事が一目でわかる上記の「博多山笠一口メモ」も印刷しました。

山笠グッズ抽選会後、スタート。

 

先ずは、隣のビルの14番山笠ソラリアへ

 

次に15番山笠新天町

 

次の山笠に向かいます。

 

 

17番山笠天神一丁目

 

九番山笠渡辺通り一丁目

 

十二番山笠キャナルシティ博多

 

キャナルシティから櫛田神社へ向かいます。途中、博多うどんの名店「かろのうどん」は、行列ができています。

山笠の「清道」は、櫛田神社・東長寺・承天寺の3か所あります。

清道(せいどう)」とは、「天子の行幸の道を祓い、清める」「先払い役」などの意味です。

櫛田神社は、山笠を祇園様に奉納するために廻ります。東長寺は、神仏混淆時代に櫛田神社のお寺で櫛田神社に神官はおらず、寺の住職が祝詞をあげていた頃もあり、その恩に

山笠を奉納しています。承天寺は、山笠発祥之地と伝えられているところ。この二つのお寺は、住職が姿を現し、山笠の表敬を受けます。台上がりも目一本(会釈)をします。

 

 

 

櫛田神社の境内にも山笠があります。

番外櫛田神社

 

櫛田神社から川端通に向かいます。川端ぜんざいもこの日は行列ができています。

 

八番山笠「上川端通」 この山笠は、追い山の時、これを舁いて走ります。重さ2トンです。見送りには、「ガンダム」の人形です。

 

十三番山笠「川端中央街」

 

十六番山笠「博多リバレイン」

 

三番山笠中洲流  見送りには、能登震災をモチーフに能登の絵師「長谷川等伯」が描かれています。

 

博多の街を駆け抜けるのが「舁き山」、豪華絢爛なのが「飾り山」です。舁き山が「動の山笠」なら飾り山は「静の山笠」です。

 

二番山笠東流

 

東流から御供所町に入ります

 

最後は、十一番山笠「博多駅商店連合会」です。12:30博多駅にゴールしました。

 

今日のGPSです。

※ふくおかウォーキング協会は、7/14から8/23まで猛暑の為、この期間夏休みにします。

次回は、8/24(土)の8月例会からスタートします。

 

 

 


サタデーウォーク「福間海岸の松林を散策」(福岡県福津市~古賀市)

2024-07-14 07:26:14 | ふくおかウォーキング協会

7/6(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは、「福間海岸の松林を散策」でした。

集合場所は、JR福間駅、参加者は25人。予報では今日も36度近くなりそうです。

今日のコースは、暑さを避け松林を通るルートです。

9:30 スタート

 

福間海岸に到着

 

日差しを避け松林の中を歩きます。

  

宮司浜。ここからは、玄界灘が眼下に広がります。

 

夕陽風景時計  これによると宮地嶽神社から宮司浜まで一直線で夕日が沈むのは、2/22,10/22です。JALのCMで有名になりました。

 

ぶどうの木(福間)

  

 

福間海岸で休憩

 

 

休憩後再スタート。花見海岸へ

 

西鉄宮地岳線跡地を通りゴールのJR千鳥駅へ

 

11:40 千鳥駅にゴールしました。

この日のGPSです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


やさしいウォーク「今宿・今山からの眺望」(福岡市西区)

2024-07-06 05:33:30 | ふくおかウォーキング協会

7/4(木)ふくおかウォーキング協会やさしいウォークは、「今宿・今山からの眺望」でした。

集合場所は、JR今宿駅の駐輪場横の公園。参加者は26名でした。

福岡地方今日は朝のうち曇っていますが、気温はどんどん上昇し最高気温の予報は、35度。ただ、風がありいくらかは過ごせそうです。

9:30 スタート。

先ずは、長垂海浜公園へ

 

 

長垂海浜公園

昨年までは、8月にこの海岸で花火大会が行われていましたが、昨年(2023)を持って中止になりました。39年間続いたそうです。残念ですが、このご時世仕方ないかな?

 

昔は、このあたり「長垂(長垂)海水浴場」でした。海の家が10数軒建ち並び警察の臨時交番もありました。

私の親戚が海岸の近くでしたので中学生のころまでは、ここで泳いでいました。水質の悪化などでいつ閉鎖されたかは覚えていませんが、隣の生の松原海水浴場も閉鎖されています。

現在、近郊では、「大原海水浴場」が営業されているのかな?

 

玄洋公民館で休憩、隣の保育園では園児たちが「かけっこ」の練習をしていました。

 

休憩後再スタート

 

今山登山口に到着

今山は、昔は「夷魔山」と言って彦火火出見命(山幸彦)がこの山から弓で夷魔を射倒したという伝説があります。また、2週間前に歩いた「志登神社」では、夏至の時、今山から

朝日が昇り加布里湾に沈んでいきます。志登神社の祭神は、豊玉姫、山幸彦とは、夫婦です。伝説にしては何か感じるものがありますね。

今山は、昔は、二つの山が重なる山でしたが、戦前砕石掘削の為片方の山が崩れてしまいました。

今山には、「今山遺跡」「熊野神社」があります。

今山遺跡は、今山の山中にある、弥生時代の石斧製作所の跡です。石斧は、山頂に堆積した豊富な玄武岩を原材料につくられ、弥生時代の初期から中期(約2400~2000年前) にかけて、

伊都国の交易品として北部九州一帯に広く流通しました。
また、海側では古墳時代、製塩が行われ、平安時代には港湾施設があったといわれています。(西区の宝より)

220段の階段の上ります。

 

暑いしゆっくり上ったつもりでしたが、途中息切れし休み休みで登りました。

登った所には、「熊野神社」があります。

ここにも神功皇后の伝説が・・・・

神功皇后が三韓から帰朝の後、紀州熊野から勧請されたそうです。

 

熊野神社の横には、今山遺跡の説明板があります。

 

熊野神社の裏から展望台に向かいます。草木が生い茂り見えにくくなっていました。右の写真は10年前登った時の写真です。

 

この写真も10年前のものです。

今山の現在の頂上は、白髭大明神の所です。(今回はパスしました)

下り口は中学校側です。

 

尚、今山は、桜の名所です。桜の時期に撮影しました。

 

下りたところが私の母校の中学校です。60年前の私がここで勉強???していました。

 

11:25 九大学研都市駅にゴールしました。

 

 

 

 


楽しいウォーク「神功皇后ゆかりの小戸大神宮を訪ねて」(福岡市西区)

2024-07-05 06:51:49 | ふくおかウォーキング協会

7/3(水)今日は、新札の発行日。今回は、5000円札に津田梅子さんが登場しました。女性が紙幣に登場するのは、3人目。

最初に女性が登場するのは、明治14年(1881年)1円札に「神功皇后(じんぐうこうごう)」です。

 

九州北部地方には、神功皇后伝承地が3000ヶ所以上あるといわれています。

第14代天皇「仲哀天皇」の皇后として知られるのが「神功皇后」。仲哀天皇と共に熊襲(くまそ)討伐の為に筑紫(現在の福岡県東部を除いたほぼ全域)へ赴き、橿日宮(かしいのみや)へと

入ります。そしてそこで住吉神から、熊襲よりも新羅を攻めよとの神託を受けますが、然し、仲哀天皇は熊襲の征伐に向かってしまい、敗北して撤退、翌年には、香椎宮で亡くなって

しまいます。あとに残された神功皇后は、住吉神の神託に従って三韓征伐の軍を起こし、新羅を攻めます。新羅は戦わずして降服し、高句麗・百済をも従わせてしまいます。

そして神功皇后は帰途、筑紫の宇美「宇美八幡宮」で応神天皇を生んだといわれています。

今日(7/3)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「神功皇后ゆかりの小戸大神宮を訪ねて」です。

集合場所は、JR下山門駅から5分の「壱岐神社」です。参加者は37人でした。

マップの裏には、今日の見どころの説明を付けています。

壱岐神社は、日本書紀に登場する「壱岐値真根子(いきのあたいまねこ)を祀る神社です。武内宿禰(たけのうちのすくね)は、都を留守にしている間に反乱の罪を着せられましたが、

応神天皇の刺客に殺されようとした時、その身代わりになったのが、壱岐値真根子でした。やがて無実であることが判り、壱岐値真根子が自分の命を犠牲にしたまで武内宿禰に尽くした

ことから、ここに祭神として祀られました。武内宿禰と壱岐値真根子は、似ていたそうです。武内宿禰は神功皇后の側近で300歳まで生きたそうです。

  

今日福岡地方は最低気温が28度、日中は35度になるとの予報。こまめに休憩し、水分補給を心がけます。

9:30壱岐神社をスタート。生(いき)の松原に入ります。松の木々が木陰を作り少しは暑さが凌げます。

ここ「生の松原」は、神功皇后が、三韓征伐の折、松の小枝を逆さに挿して戦勝を祈った時、その松が不思議なことに生きて栄えたことから名付けられたと伝えられています。

 

 

トイレ休憩の後、今津湾に向かいます。

 

元寇防塁の築造は、鎌倉幕府より九州各地の御家人に所領に応じて割り当てられており、生の松原校区の防塁は、肥後国の御家人によってつくられています。

国宝「蒙古襲来絵詞」は、肥後国の竹崎季長が絵師に書かせたもので舞台は、ここ生の松原です。

 

 

 

小戸公園に向かいます。

 

 

小戸大神宮に来ました。

小戸大神宮は、伝説では、伊邪那岐(いざなぎ)の神が御禊(みそぎ)をした所で天照大神・志賀三神・住吉三神が出現したという由緒の地とされています。

また、付近に神功皇后の三韓征伐(朝鮮出兵)に因む「御膳立(おんぜんた)」の磯があり、海中に配膳の形をした岩盤24個があります。

 

神宮の入口には、「みそぎ」の案内板が掲げてあります。

 

神社の神主さんが神事を行う前に唱える「祝詞(のりと)」があります。

掛けまくも 畏き 伊邪那岐大神 筑紫の 日向の 橘の 小戸の 阿波岐原に禊ぎ 祓へ 給ひし時に 生り坐せる 祓戸の大神たち

諸々の 禍事 罪穢れ あらむをば 祓へ給ひ 清め給へと 白すことを 聞こし召せと 恐み恐みも 白す

※筑紫=福岡、日向(ひなた)=糸島市と福岡市の境界の所、日向峠、小戸=海の狭い所(現在地)、阿波岐原=小戸の海岸

通説では、禊を行った所は、「宮崎」ですが、これを考えると福岡の小戸も満更でもないですね。

階段を上って「社」に行きます。

 

社の横には、「安産石」「願掛け石」があります。子授・安産にご利益があるそうです。この歳で子授はないですよね(笑)

  

小戸大神宮から海岸線を歩きます。今日は気温はどんどん上昇していますが、海からの風が気持ちいいです。

大きなクルーズ船が博多港に向かっています。中国からのクルーズ船かな?

 

 

コースは、マリノアシティへ。

マリノアシティは、建て替えのため来月の18日で閉店します。今後は、三井不動産主導で新しいマリノアシティに生まれ変わるそうです。

マリノアシティは2000年(平成12)10月にオープンしました。もう24年も経つのですね。

 

コースは、旧唐津街道へ

 

姪浜住吉神社は、神功皇后が応神天皇を胎内に宿したまま、新羅に遠征された折、住吉三神は「和魂は王身の命を守り、荒魂は、先鋒として軍船を導くであろう」と申され、

その霊験あらたか新羅軍を破り、無事帰国されました。その時、神功皇后は、当地の小戸付近の浜に上陸し、濡れた衵(あこめ)の※(公家の男女の装束の内着、上の衣と下の単につける)

御衣を乾かされたので衵ヶ浜(あこめはま)といい、(後、転じて姪浜)宇美において応神天皇を出産されたと伝えられています。

また、伊邪那岐の大神が「みそぎ祓い」をされるとき、河童が現れ道案内をのお手伝いをしたことにより、除災招福の神の使いになったという伝承があります。

姪浜住吉神社は、この河童をお祀りしています。

 

  

姪浜住吉神社からゴールの姪浜駅に向かいます。

11:58 姪浜駅にゴールしました。今日は気温が35度近くになり熱中症の心配がありましたが、無事ゴールすることができました。

この時期のウォーキングは、小まめな休憩と水分補給が大事です。

 

今日のGPSです。距離は暑さのため、少しショートカットしました。8,5kmでした。