よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

第2回東京ベイサイドツーデーマーチ2日目10km

2023-10-31 15:21:37 | ウォーキング

10/22(日)東京ベイサイド2DM2日目。登録は20kmでしたが、今日15時のANAで帰るので10kmに変更。

10kmコースは9:15からですが、フライングスタートします。

10kmは、潮風公園スタートして辰美の森~有明~潮風公園ゴールの約13km。

8:35スタート

昨日と同じふくおかウォーキング協会Nさんと歩きます。会場からお台場海浜公園の方に向かいます。

 

今日もスカイツリーが見えています。何と、お台場に「自由の女神像」が・・・・・

  

これは、「あうん」でしょうか?

 

有明テニスの森の信号が10k、20kの分岐点。

 

また、今日も「謎解き」。

  

水素バス

 

辰巳桜橋を渡ります。

 

今日もまた、「謎解き」。4問はわからないです。

  

 

  

 

このあたりは、昨日通った道かな?

 

 

夢の大橋を通る。橋のインターロッキングには、江戸の文化が描かれています。

  

  

船の科学館を通り潮風橋を渡る。いよいよゴールです。

 

12:00  ゴールしました。10KMは、13KMありました。

2日目の10Kコースは、あまり見どころが少なく、また、昨日通った所が多く、歩いていてあまり感激するところがありませんでした。

このあと、ニッコウお台場ホテルまで行き、空港への直行バスで羽田まで行きました。

2日間で参加者は約2000人弱かな?やはり参加料が3500円と高価の為皆さん参加を見送ったのではないかな?


第2回東京ベイサイドツーデーマーチ1日目20kmコース

2023-10-28 14:41:35 | ウォーキング

10/21~22に行われた「第2回東京ベイサイトツーデーマーチ」に参加しました。

今回は、ホテルと飛行機がセットになったプランで参加。飛行機に乗るのは、5年前(2018年)12月、長崎街道~山陽道~西国道~東海道を歩いたとき日本橋にゴールした時以来です。

大井町のホテルから会場の台場・潮風公園までバスで約20分。

   

9:00 スタート。20kは、お台場~豊洲~築地~皇居~増上寺~レインボーブリッジ~潮風公園を通るコース。

  

コース上では、東大謎解き制作集団による「謎」を解きながら歩きます。立ち止まりしばらく考えますが、全然わかりません。

 

 

 

ダイバーシティでは、ガンダム像がお迎えしてくれました。高さ約20m。これで福岡・横浜と3つのガンダムに会いました。

 

夢の大橋は、全長360m、道路幅60mの自転車・歩行者専用道です。橋の照明は、江戸火消しの纏や燈篭をデザインされています。鬼太郎の目玉おやじにも似ていますね。

  

東京ビックサイトは国際展示場です。名前は聞いたことがありますが、名の通り大きな施設です。

 

  

有明コロシアム・豊洲市場を過ぎ豊洲大橋に向かいます。向かい側にはレインボーブリッジが見えます。

  

ビルの隙間からスカイツリーが・・・

オリンピック選手村は、現在、分譲住宅・賃貸住宅として整備中です。「はるみフラッグ」という新しい街になるそうです。

  

勝鬨橋は昭和15年に国家的イベントとして計画された万国博覧会のメインゲートとして計画されました。

東京市(当時)、錢高組を主体とし、石川島造船所(現IHI)、横河橋梁製作所(現横河ブリッジ)、川崎車両(現川崎重工業)で工事を行いました。

当時は、隅田川を航行する船舶が多く、陸運よりも水運を優先させる可動橋として設計され、大型船舶の通航を可能としました。 午前9時、午前12時、午後3時の1日3回、1回につき

20分程度開いていました。さらに昭和22年12月24日には都電が開通しています。しかし、東京オリンピックが開催された昭和39年以降は、跳開回数は年間100回を

下まわるようになり、昭和45年11月29日を最後に跳開されることはなくなりました。(錢高組HP)

  

勝鬨橋開通前は、「かちどきの渡し」がありました。

 

勝鬨橋を渡ると「築地」です。このあたりでランチをと思っていましたが、どこの店も大行列です。外国人の方が多いですね。

  

人が多く、ゆっくり歩きます。

築地本願寺は、京都の本願寺(西本願寺)を本山とする浄土真宗本願寺派の寺院。1617年(元和3年)に、浅草近くに創建されたが、1657年(明暦3年)の「明暦の大火」で焼失してしまったそう。

そこで再建の地として幕府から現在の土地が与えられたが、なんとその土地は海中だった…。そのため、海を埋め立てて土地を築き上げ、本堂を建立したことが“築地”の由来になったという。

さらに、1923年(大正12年)には、関東大震災に伴う火災により、再度本堂を焼失。10年以上の歳月を経て、1934年(昭和9年)に、帝国大学(現、東京大学)名誉教授で建築家の伊東忠太博士の

設計により、古代仏教建築などを模した現在の本堂が落成した。建物内部は浄土真宗寺院の伝統的な造りと、パイプオルガンやシャンデリア、正面扉上部にあるステンドグラスなどの

西洋文化が調和した、心安らぐ空間になっている。2014年に、本堂、三門門柱、大谷石塀が国の重要文化財に指定された。(walkerpulusより)

 

弾正橋(現八幡橋)は、初代の木製の橋が架橋された江戸時代初期に、東詰に2代目南町奉行を務めた島田弾正の邸宅があったため、弾正橋と名付けられました。

 

京橋:5年前東海道を完歩したとき歩きました。ここから日本橋までは、あと少しです。

   

  

東京ベイサイトツーデーマーチは、チェックポイントもQRコードですのでマップには、休憩の場所も書いてません。

歩き始めてまだ1回も休んでませんので日比谷公園で休憩します。

  

休憩後再スタート。

  

増上寺から左折します。

 

JR浜松町駅を過ぎ、旧芝離宮へ。

  

竹芝桟橋を通りダイヤモンドブリッジへ。

  

レインボーブリッジを歩いて渡ります。

レインボーブリッジは、お台場と東京都心を結ぶ全長798m、幅49mの橋梁です。上が首都高、下が一般道そして真ん中にゆりかもめが通っています。

歩いて渡る場合、ノースルート、サウスルートのどちらかを選択しなければなりません。

また、自転車は、走行禁止ですので自転車を押し、しかも後輪に台車を付けなければなりません。

橋から下を見ると、クルーズ船、貨物船、水陸両用バスなどが航行しています。

  

 

 

約20分かけて渡ってきました。

お台場は、幕末(1853)アメリカのペリー艦隊が黒船を率いて浦賀に来航、幕府に開港を迫った時、江戸防衛の為砲台を備えた島を「台場」といいます。

現在、第三台場と第六台場の二つが残って史跡に指定されています。第三台場は、開放されていますが、第六台場は,海の中の孤島で自然のまま保存されています。

 

お台場海浜公園では、木製のラケットを使ってゲームを楽しんでいる人がいました。これは、「フレスコボール」というそうです。

フレスコボール - Wikipedia

 

14:25 ゴールしました。約5時間半かかってしまいました。

 

 

 


楽しいウォーク「唐津街道今宿宿~(周船寺コスモス広場)~前原宿」(福岡市西区~福岡県糸島市)

2023-10-24 18:56:01 | ふくおかウォーキング協会

10/18(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、コスモスシリーズ第2弾として「唐津街道今宿宿~(周船寺コスモス広場)~前原宿」でした。

周船寺コスモス広場は、地元のJAが平成13年から始めており、今年が20年目。今後、宅地開発などが予定されているので今年が最後のコスモス広場です。

集合場所は、JR今宿駅。参加者は、30名。

9:30今宿駅スタート。旧道の角には、桜井神社への道標があります。

桜井神社と福岡藩・・・・慶長15年(1610年)、6月1日から2日にかけて大雷雨が起こり、突如雷がピカッと光ったかと思うと、岩戸神窟が開けて、ご神霊が現れました。

次々と霊験あらたか(人々の祈りに応えて神様が姿を現すこと、ご利益を与えること)な事が起こったため、洞窟には多くの民衆が集まりました。

そのあまりの騒ぎの大きさを耳にした福岡藩2代目藩主:黒田忠之公は2度現地に遣いを送りました。

その際、寸分も違わず御験(みしるし/神仏の不思議で測り知れない力のあらわれ)があったので、ご神威に感謝され、寛永9年(1632年)に現在のご社殿を創建されたといわれています。

   

唐津街道の宿場町今宿は、姪浜宿と前原宿の中継ぎの宿場として作られました。今宿の「今」は新しいという意味であり、この街道沿いには種々の史跡があります。

その名残が、門際(搆口)にある「馬つなぎ石」。ここには人馬の継立を行う「問屋場」があったとされています。

横町の信号から左折。このあたりは、国道から離れているため旧家が残っています。

  

今宿宿:旧糸島郡は、大まかにいうと、現在の国道202号線を境に山側が怡土郡と海側が志摩郡に分かれていました。のちに合併して「糸島郡」になりました。

今宿には、志摩郡の郡役所が置かれていました。昭和16年(1941)福岡市に合併。今宿は瓦の産地としても有名でした。大正時代の女性活動家「伊藤野枝」は、今宿で生まれ、

父親は、瓦職人でした。今年9月伊藤野枝は没後100年を迎えました。

 

筑肥線の高架を渡るとこのあたりの景色が一変します。福岡市が平成9年(1997)から23年間かけて「伊都土地区画整備事業」が行われ、従来の田んぼがマンション等に建ち替わりました。

さいとぴあ(西区西部出張所)で休憩。

 

さいとぴあの隣は、「イオン伊都ショッピングセンター」です。

 

イオンから旧道へ。ここにある「湯溜池」は、人口増加により中学校が不足したので半分を埋立て新設の中学校が建設されます。

 

このあたりは、「周船寺(すせんじ)」です。旧怡土(いと)郡に属し、昭和36年(1961)福岡市に合併しました。

地名は、太宰府の船修理を担当する役所「主船司」があり、その主船司が地名の由来です。

丸隈山古墳は、伊覩縣主尊が祀られているといわれています。福岡市内最大の前方後円墳。

  

 

伊覩(いと)神社・・・・この神社の「覩(と)」は、視線を一点に集めて見るという意味です。

伊覩神社は、伊覩縣主尊、ニギニギノ尊、木花開邪姫が祀られています。毎月18日がお祭りで今日がこの日、幟が立てられていました。

 

周船寺駅横からコスモス広場に向かいます。下見の時は、まだ2分咲きでしたが、今日は、満開です。

 

 

ホント、見事なコスモスです。21,22日はこの会場でコスモス祭りが行われるそうです。

このコスモス広場、農地の休耕田に約30万本のコスモスが植えられています。秋の風物詩になっていましたが、このコスモスも宅地開発が行われるそうで今年が最後だそうです。

記念にみんなで写真を撮りました。

 

 

マックスバリューでトイレ休憩後再スタート。このマックスバリューあたりが福岡市と糸島市の境界になります。

 

国道202号(唐津街道)を西へ進みます。糸島高校前駅のサニーで最後のトイレ休憩。

 

前原宿・・・戦国時代の前原村は、現在の前原駅の南側付近で、ほんの10軒ほどの村だったそうです。前原の地名の由来が、村の前が原っぱだったので「前原」としたそうです。

その後、1638年の島原の乱後、治安維持のため関番所が設けられ、更に1685年頃、御茶屋・人馬継所ができ、前原村の人たちを強制的に移し、宿場としての形が整いました。

唐津藩主や福岡藩主が宿泊する御茶屋は、法林寺周辺にあったといわれています。町民などが宿泊する町茶屋は、辰美商店にありました。

辰美商店の店の前にあるタヌキの置物は、戦時中、酔っ払いがタヌキと相撲を取って腕が取れてしまったそうです。

前原駅の先の美咲が丘から西は、旧中津領、旧対馬領と分かれています。

 

  

 

  

12:20 筑前前原駅にゴールしました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


サタデーウォーク「遠賀川沿い(コスモス)散策」(福岡県遠賀郡水巻町~遠賀町)

2023-10-23 18:26:49 | ふくおかウォーキング協会

10/14(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは、「遠賀川沿い(コスモス)散策」でした。

水巻町の西を流れる遠賀川の河川敷にあるコスモス園。約500万本を超えるコスモスは、毎年10月中旬~下旬になるとピンクや白の色鮮やかな美しい花を咲かせます。川沿いに続く約6kmのコスモスロードは圧巻の美しさ。河川敷はきちんと整備されており、散歩やランニングなどのトレーニング、サイクリングロードとしても地元の方々に愛されています。
隣接する「みどりんぱぁーく」で例年10月に開催される「コスモスまつり」は、子ども向けのイベントや屋台などが出店されるので家族連れにおすすめです。

我が家から水巻町までは、電車で1時間半、運賃も往復、約3000円とかなりかかります。おまけに家内と二人ですので夫婦合わせて6000円。

従って車で行くことにしました。自宅を6:30に出発。今日は土曜日でそんなに混雑してなく、8時前には集合場所の9:30水巻駅に到着しました。

9:30 水巻駅スタート。参加者25名。(ちょっと遠いからか参加者が少ない)

 

伊豆神社

元亀二年(1571)頃末地区の開拓に伴い古賀鎮座の伊豆大明神(今の久我神社)より御分霊を受け、山頂に神殿を建立。依ってこの山を明神ヶ岳という。

大正三年(1914)此の地に遷座、現在に至っている。

彦火々出見命は、高千穂降臨の神邇邇芸命の御子であり初代神武天皇の祖父に当られる。この大神は山を好み給い、高千穂の宮より当地に御臨幸されたと言い伝えられている。

合祀神社貴船神社は「雨」の神様として広く各地に祀られており、幸神社は「咳」の神様として、又唐熊神社は、安政四年(1857)悪病流行しその消除の為建立されたが、

大正三年、三社同時に伊豆神社に合祀された。(神社由緒)

伊豆神社の近くには、珍しい町名「杁(えぶり)」という地名があります。「杁」を調べてみると、農具の一種。穀物の実などを掻き寄せ、また水田の土をならすのに使う。

 

空を見ると、芦屋基地から飛び立ったブルーインパルス。

明日(10/15)は、芦屋航空祭があるそうでその練習飛行をしているそうです。

 

みどりんぱーくで休憩。

 

ここには、コスモス畑があります。

 

休憩後再スタート。

遠賀川河川敷に入ります。遠賀川河川敷のコスモスは約6kmの区間に約500万本のコスモスが植えられています。

今月の21,22日にはコスモス祭りが行われるそうです。

 

上空では、ブルーインパルスは、隊列をつくり訓練中です。

  

 

 

河川敷にパラシュートみたいなものがあります。これは、ターゲットバードゴルフというそうです。

バトミントンのシャトルみたいなものを打ってパラシュートの中に入れるそうです。

  

御牧大橋を通り遠賀町へ。橋の真ん中が町の境界です。

  

 

遠くには、芦屋ボートが見えます。

 

島津・丸山歴史自然公園  農耕文化発祥の地のひとつに挙げられている遠賀川下流域は豊かな水の恩恵を受けて、約二万年前の旧石器時代以降の遺跡が数多く集中する地域として

知られています。その中でも島津・丸山古墳群は著名で、遠賀川下流域で最古の前方後円墳と考えられている丸山古墳を中心として、4世紀から5世紀にかけて造られた5基の古墳で

構成されています。これらの古墳には遠賀川下流域を支配していた有力豪族が葬られていると考えられています。(遠賀町HPより)

 

 

 

 

八剱(やつるぎ)神社の大イチョウは雄株の古木で、神社の由緒には、日本武尊(やまとたけるのみこと)が熊襲征伐(くまそせいばつ)の時に立屋敷に立ち寄り、讒言(ざんげん)により

都からこの地に逃れてきた砧姫という娘と結ばれて、その証として植えられたものとして記されています。(福岡県町村会HPより)

 

ブルーインパルスは、ハートの形、ひし形などの軌跡を残しています。

12:40 遠賀川駅にゴールしました。遠賀川駅は、2017年(平成29)駅構内のたい焼き店から出火し全焼しました。その後2021年(令和3)新駅舎が完成しました。

駅構内には、おんがみらいハウスがありここのレストランでランチをしました。お値段も手ごろで美味しかったです。

 

 

 

 

 

 

 


楽しいウォーク「長谷ダムふれあいロードを歩く」(福岡市東区)

2023-10-18 05:39:11 | ふくおかウォーキング協会

10/11(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「長谷(ながたに)ダムふれあいロードを歩く」でした。

集合場所は、香椎線「土井駅」。この土井駅、新幹線と交差していて駅の横を新幹線が通り過ぎています。参加者37人。

 

9:30  ウォーキング開始

   

 

私、この土井周辺は、車で通り過ぎるだけで歩いたことがありません。それだけに新鮮な気分です。

長谷ダムに向かいます。

 

  

多々良川につくられた長谷ダムは、下流の水をくみ上げて貯水する全国でも珍しいタイプのダム。1993年建造の豊かな自然に囲まれたダム。堤の高さは53.8m、総貯水量は、

492万立方メートル。立花山・三日月山を借景とした水と緑の色が鮮やかで、長谷ダム記念公園と三日月湖(みかづきうみ)からなる自然公園「長谷ダムふれあいロード」は、

週末には、家族連れで賑わいます。

 

 

ふれあいロードを進んでいきます。

 

見ると、派手な毛虫?が・・・・・名前を調べましたが、わかりませんでした。

 

 

長谷ダム記念公園に到着。ここで休憩。

 

休憩後再スタート。

 

12:00 香椎駅にゴールしました。

 

 

 


10月例会「能古島散策」(福岡市西区)

2023-10-14 19:24:17 | ふくおかウォーキング協会

今週は、10/2が下見、10/4が楽しいウォーク、10/5優しいウォーク、10/7例会、10/8平戸ウォークと忙しいウィークです。

10/7(土)ふくおかウォーキング協会9月度例会「能古島散策」

この日は、平戸ツーデーウォークと重なり、ふくおかウォーキング協会からも数名参加しましたので参加者が少ないのでは?と思ってましたが、新聞の掲示板の効果か、

会員外一般の参加者が12名来られ合わせて33人の参加です。

集合場所は、地下鉄姪浜駅。ここから渡船場まで約1,5k歩き、渡船場からフェリーで能古島に渡ります。

能古島は、西区姪浜港からフェリーで10分の周囲12kmの島です。1300年前には、国を守る防人がいたことが明らかになっています。

 

能古島といえば、なんといっても井上陽水さんの能古島の片思いですね。

まだまだ全国的には無名だった陽水さんが、能古島のキャンプ場でコンサートを開いたとき、その時のスタッフさんに一目ぼれして作った歌だそうです。(定かではありません)

この歌を聴きながらブログを書いています。能古島の片思い→ → Bing 動画 

また、江戸時代、博多湾内の西側にある「能古」「浜崎」「今津」「宮浦」「唐泊」の5つの浦の船乗りたちは、巨大な弁才船(千石船)に乗り込んで福岡藩の年貢米を

大坂や江戸と日本全国を舞台に活躍していたことがあります。→→「No.098 筑前五ケ浦廻船展 | アーカイブズ | 福岡市博物館 (city.fukuoka.jp)

9:30 姪浜駅スタート

 

 

約30分で姪浜渡船場に到着。今日は土曜日で能古島へ渡る人が多いです。

 

10:15のフェリーで能古島へ。

 

 

トイレを済ませ、能古島のウォーキング開始です。

 

 

ルート図では、ここからキャンプ場を通って也良岬の方に行く予定でしたが、アップダウンが多いので少しショートカットしました。

  

下船して約45分で「のこのしまアイランドパーク」に到着。

 

アイランドパークは、この時期コスモスが一面に咲くのですが、まだ3分咲きぐらいです。ここでは、トイレだけお借りしました。

 

休憩後再スタート。思索の道に向かいます。

 

思索の道には、「火宅の人」「りつこその愛」などで知られる作家檀一雄さんの文学碑があります。檀一雄 - Wikipedia

檀一雄さんは、晩年この能古島に家を構えました。

「モガリ笛 幾夜もがらせ 花二逢はん」これは、檀さんが亡くなる5日前につくられたそうです。

女優「檀ふみ」さんは、檀一雄の長女になります。

  

  

展望台へ。ここが能古島で一番高い所です。(195m)

 

鹿垣

 

能古小・中学校を通り、海岸線に出てきました。

 

12:45能古島渡船場にゴールしました。

全員ゴールを見届け、13:00のフェリーで帰りました。

 

 

 

 

 


楽しいウォーク「春日市の水城跡巡り」(福岡県春日市)

2023-10-11 06:16:54 | ふくおかウォーキング協会

10/4(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは「春日市の水城跡巡り」でした。

先月の楽しいウォークでは、大野城市の水城跡を歩きましたが、ここ春日市でも水城跡があります。

集合場所は、JR春日駅。参加者44名。久しぶりの40名超えです。

 

9:30 スタート

 

ふれあい文化センターで休憩。

  

休憩後再スタート。

大土居水城跡。水城は、7世紀に唐(とう)・新羅(しらぎ)の侵攻に対する大宰府防衛線として築造された土塁です。太宰府市から大野城市にかかる大水城(おおみずき)と、

大水城西方の低い丘陵の、いくつかの谷あいに、大水城よりも比較的小規模な小水城(しょうみずき)が築かれました。春日市内にも小水城があり、昇町に所在する「大土居水城跡」と、

天神山に所在する「天神山水城跡」が国指定特別史跡に指定されています。その他にも市域では、春日と若葉台西に小水城跡の存在が推定されています。

   

   

白水(しろうず)大池  福岡県粕屋町(かすや)の駕与丁池(かよいちょう-)および同県直方市(のうがた-)の感田池(かんだ-)とともに『筑前三大大池』とも呼ばれるがごとくに、

この白水大池は並み居る溜池のうちでも特異な規模を有する溜池です。

寛文4年(1664)当時の須玖(すぐ)村の庄屋をしていた武末新兵衛は、須玖村、上白水村、下白水村の農民と協力して溜池の水かさを増やす改修工事を行いました。

春日周辺は、福岡平野を流れ博多湾にそそぐ那珂川と御笠川との間にある丘陵地に多くはなっており、小さな丘陵と谷間が複雑に入り込んでいます。このため、米作りなどに用いる水を

確保するため谷間の入口を堰き止める人工の土手を築いて多くのため池をつくりました。

 

白水大池の所にも「小水城跡」があります。

 

現在、白水大池は、一周約2kmの白水大池公園となっており、休日などには家族連れでにぎわっています。

 

 

 

地下道を通り「春日神社」へ。春日市の地名の由来は、この春日神社です。

 

 

 

 

牛頸川沿いを歩きます。

 

春日公園

 

春日公園野球場がゴール。12:10

 

 

 

 

 


第21回しまなみ海道スリーデーマーチ2日目「国宝とロマンの島大三島宮浦コース」20km

2023-10-06 12:14:25 | ウォーキング

10/1(日)しまなみ海道スリーデーマーチ2日目は「国宝とロマンの大三島宮浦コース」20km(実際は、23km)でした。

前日マップを確認すると、今治港を8:20の船に乗り、宮浦港着9:50。それから歩きだして帰りのフェリーが12:00、13:00。(フェリーは所要時間1時間半)

高速船が13:00,15:50 (高速船は、所要時間50分)

今日は、自宅に帰るので遅くとも15:00には、今治に戻りたいのですが、9:50に出発してもとても13:00の船には間に合いません。

下記写真参照。一番早い12:00のフェリーに乗るには、時速12km/hで歩かなければいけません。おまけに急坂が何か所もあり、高速ウォーカーの方も無理だと思います。

結論としては、宮浦港をスタートして伯方塩業の先から大山祇神社に向かうショートカットを選択しました。

ところが、当日になって、バスの便が用意できたそうです。行きは、今治港発 8:15 で宮浦港着9:00。

帰りは、宮浦港発 13:30,14:00,15:30です。

これも口頭で聞いたのですから、スタート地点でバスの便を案内する看板、プラカードなど一切ありません。私の知人は、知らないので他のコースを選択したそうです。

9:10大三島の宮浦港に到着。

 

 

宮浦港で、帰りのバス、フェリーの時間を確認。14:00のバスに乗りたいので逆算すると時速5km/h強のスピードで歩かなければいけません。

トイレを済ませ9:20スタート。

 

 

 

今日から10月、大三島では、秋祭りが行われていました。浦戸峠に来ました。大三島は坂道が多いです。

ここまで時速6km/hで来ました。

  

ところミュージアム大三島は、平成16年春に開館した現代アートの美術館です。アメリカで活動するノエ・カッツやマリソール、トム・ウェッセルマンを始め、サン・ピエトロ寺院大聖堂の

門扉を14年かけて制作したことで世界的に知られるジャコモ・マンズー、日本の林範親、深井隆の立体作品など約30点を展示しています。(ところミュージアムHPより)

 

伊東豊雄建築ミュージアムは、ところミュージアムを寄贈した所敦夫が伊東豊雄に設置を提案したことをきっかけに設置が計画され、2011年7月30日にオープンした。施設建設費には

市の他、伊東豊雄や所敦夫などの寄付金が活用されている。

施設は伊東豊雄の作品を展示しているスティールハットと旧邸宅を再現したシルバーハットの2棟の建物で構成されている。伊東豊雄が設計した図面や建築物が展示されている他、建築物の

模型などを展示している他シルバーハットにはワークショップスペースが設けられている。両施設とも伊東豊雄が設計しており、施設自体が展示物となっている。(wikipediaより)

 

伯方(はかた)に宗方(むながた)と聞くと、福岡みたいですね。 

  

大三島憩いの家 が休憩所

大三島憩いの家は、旧宗方小学校をリノベーションし、2018年4月に宿泊施設として「大三島ふるさと憩いの家」がオープンしました。

宿泊施設にリノベーションするにあたり、かつての面影を活かし、外観は小学校の雰囲気を残し、さらに雨漏り屋根を改修し、また耐震補強も実施されました。

「ふるさと憩いの家」大きなポイントは「ながーい板張り廊下」です。昭和の学校に合った、懐かしい廊下です。

リニューアルの際、昔の面影を残すのに、最も苦労した場所なのだそうです。オープンデッキとしても使えますし、さらに2階にはイベントやワークショップなども開催できるサロンを

設けたことで、宿泊施設としてだけでなく、地元の人々が集まる場所にもなり、島の人と旅行者の新たなコミュニティの形成にもつながっています。(しまなみ海道の魅力を再発見より)

昭和が舞台の映画の撮影にもいい光景です。ここでは、酒まんじゅうが振舞われました。

岩田健母と子のミュージアムは、円筒状のコンクリート壁に覆われた、半屋外スペースに母と子をテーマにした岩田健氏の彫刻を展示しています。緑の芝生の中にはいくつものベンチが

置かれ、瀬戸内の陽光と潮風を感じながら作品と触れ合ってください。建築家・伊東豊雄氏による建築も見どころです。(せとうち美術ネットワークより)

 

 

少し休憩し、再スタート。

 

急坂に差し掛かりました。この坂、2kmぐらい続くのかな?・・・・・ 

  

トンネルを抜けると海岸線が広がります。然しそれも一瞬だけ。誘導員さんの指示に従い左折するとまたまた坂道です。

 

保健センターがチェックポイント。ここでは、神島(みしま)まんじゅうが振舞われました。神島まんじゅうは、大山祇神社の神紋入りです。

  

少しだけ休憩し再スタート。今、12:30 ゴールまであと5,5km。今の調子で歩けば14:00のバスに間に合いそうです。

チェックポイントからしばらく歩くと往路の所に合流します。来るときは感じませんでしたが、ここも坂道です。

  

 

宮浦港と大山祇神社との分岐点に来ました。ここからまっすぐ行くと約700mで宮浦港に行けますが、大山祇神社経由で宮浦港に向かうとあと2km弱です。

少し考えましたが、せっかくですので「大山祇神社」に向かいました。

 

大山祇(おおやまずみ)神社は、愛媛県の最北端、瀬戸内海のほぼ中央、大小の島々に囲まれた瀬戸内海国立公園の中心、さらには愛媛県今治市と広島県尾道市を結ぶしまなみ海道の中心、

芸予諸島最大の島である大三島に大山祇神社は鎮座しています。御祭神は大山積大神一座。天照大神の兄神に当たらせられます。古事記・日本書紀には「山の神」とあり、

伊予国風土記には「御島に坐す。神の名は大山積・・・一名を和多志の大神」とあって、山の神であると同時に、大海原の神、渡航の神とされています。
神武天皇の御東征に先駆けて四国に渡った大山積大神の子孫である小千命がこの大三島に勧請鎮祭したと云われております。天孫瓊瓊杵尊の皇妃として迎えられた木花開耶姫命の父に

当たる大山積大神は、皇室第一の外戚として、また我が国建国の大神として、全国津々浦々にその御分社が奉斎されています。(大山祇神社HPより)

他に大山祇神をお祀りしているのは、静岡県三島市の「三嶋大社」です。

 

 

今日はお祭りがあったのでしょうか?、山車が片付けられていました。

 

 

大山祇神社から参道を通り宮浦港へ。

現在13:20 。ひょっとすると13:30のバスに間に合うかもしれません!

 

13:30 宮浦港に到着。まだバスは発車してなく、何とか無事乗車することができました。

14:15 今治桟橋「はーばり」にゴール!

 

GPSを見てみると平均して時速5,5km/hで歩いています。それにしてもきつかった・・・・・・(スタート直後GPSの不調でスタート地点がずれています)

 

今治桟橋から15:00の福山行の高速バスに乗って福山駅へ。福山駅から17:08の新幹線「のぞみ」で博多へ。博多着18:30でした。

今回で5回目のしまなみスリーデーマーチでしたけど、やはり尾道コースが無くなって少し物足らなかったです。

感想を少し述べさせていただきますと、2日間の日程で10コースというのは、多すぎます。(3日間コースでしたらわかりますが)

コース上(今治市街地ですが)、矢羽根、案内看板が一つもなく、誘導員が指示していました。その誘導員にここから曲がってどこに行くかと聞いても「しらない」とのこと。

歩かせていただいているので文句は言えませんが、自分の持ち場の周辺は知ってほしかったです。

会場への交通手段が変わると(バスが増設されたとか)看板等で案内してほしかった。

会場では、案内板もプラカードもなく、どのコースがどこで受付しているのかまた、バスや船はどこで待てばいいか係の方に聞かないとわかりませんでした。

このコースはここですよと看板などで指示してほしかった。

また、コースごとに、ワッペン、名札等を用意してほしかった。そうしないと人数制限のコースに予約していない方が参加される可能性があります。

来島海峡大橋コース15kmは、1日目、2日目と2回ありますが、これは1日だけでいいのでは?

このブログの先頭で申しましたが、船で10時ごろ着いてそれから23km歩く・・・1番の船は12:00発なんて競歩の選手だったらわかりますが、一般の人では時速12km/hは、

無理です。

来年は、ツーデーになるか、スリーデーになるかわかりませんが、いずれにしてももう少し配慮があればというのが感想です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


第21回しまなみ海道スリーデーマーチ1日目来島海峡大橋コース15km(愛媛県今治市)

2023-10-03 16:18:05 | ウォーキング

9/30~10/1まで愛媛県今治市で行われた「第21回しまなみ海道スリーデーマーチ」に参加しました。

今年から毎回楽しみにしていた今治~尾道コースが無くなり、コースすべて愛媛県内で行われることになってます。また、スリーデーの名称ですが、名称はそのままで2日間コースです。

 

 

9/30(土)スリーデーマーチ1日目、私が参加したのは、来島海峡大橋コース15km。

9:25の船で今治水港へ。今治水港からウォーキング開始。

 

今治市街と向かいの大島を結ぶ来島海峡大橋は、大島側から第一大橋・第二大橋・第三大橋の3つの吊り橋が連なっています。
世界初の3連吊り橋で、全長は約4000m。

   

 

 

船を下りて約70分で来島海峡大橋を渡りました。

今治は造船の町。

このコース「矢羽根」がありません。道路には、白線で表示され、交差点の角には、誘導員が配置されています。

 

  

 

大濱接待所がチェックポイント。チェックポイントの表示がないため、通過するところでしたが、誘導員の方に呼びかけられUターンしてチェックポイントを受けました。

 

大濱八幡神社は、「越智氏」発祥の地だそうです。

『 乎致命 ( おちのみこと ) 顕彰文
 史に曰く 乎致命は饒速日命の十代目に当たり 七歳の時に応神天皇より伊予国 小市の国造に任ぜられ、ここ大濱の地に館を構え南海に武威を示し 東予地方を開拓し徳を施し 

内外に皇威を輝かされた
 命は 日本六十余州 越智氏族の祖であり その氏神として 此こ大濱の地に鎮座され 人々の崇敬を集めている 以来壱千七百余年の間に氏族は全国に広がり繁栄している
 この度 命の御姿を建てるのは 命の御神徳を称えると共に 氏族又産土の方々に神恩無窮と敬神崇祖の美風を呼び起こし報恩の日々を送って頂きたい為である。
 撰文 宮司 桧垣壮次  』

  

大浜から急坂を上り、国道317号線に向かいます。途中の池には、ホテイアオイの花が満開でした。

 

国道317号線。この道に沿って歩けばゴールにたどり着けます。地図を見ると「CVS」という記号があります。何の意味だろうと思ってましたが、コンビニの略ですね。

私みたいな年寄りには、「CVS」というよりも「コンビニ」の方が判りやすいんですが・・・・・

 

別宮大山祇神社の横には、四国霊場の「南光院」があります。

 

今治市役所あたりでマップを見ますが、この辺の地図は省略され、まして矢羽根もないのでわからないまま歩いているとガードマンの誘導員がおられ、ここから右に行くよう指示され、

右折してどういう風に行くのか聞きますが、「知らない」との一言。前には誰も歩いていないのでとにかく港を目指して歩きます。

然し、この大会、矢羽根の代わりにたくさんの誘導員が動員されています。せめて自分の持ち場周辺ぐらいは地図を把握してほしかった・・・

12:37 迷いながらどうにかゴールの今治桟橋に到着しました。距離は約13kmでした。

今治市は、23年人口10万人~20万人未満のまちランキングで第1位を獲得したそうです。2位は、同じ愛媛の西条市。

 

 

 

 

 


楽しいウォーク「大野城市の牛頸(うしくび)川を歩く」(福岡県大野城市)

2023-10-02 05:11:01 | ふくおかウォーキング協会

9/27(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「大野城市の牛頸(うしくび)川を歩く」でした。

集合場所は、JR水城駅。参加者は、33人でした。

 

9:30スタート。NHK朝ドラ「らんまん」のせいでしょうか、すぐお花に目が行きます。

 

歩いていると「水城」の案内板があります。

水城跡」は、歴史でも習ったと思いますが、太宰府市国分から大野城市の下大利5丁目までの全長1,2km、高さ14m、最大幅80m以上の土塁と博多側に幅60m、深さ4mの溝から

なる大遺跡です。水城が造られた7世紀後半の朝鮮半島には、高句麗・百済・新羅の三国があり、互いに勢力をきそいあっていました。新羅が中国大陸の唐と連携し百済へ侵攻したため

百済と仲の良かった日本(倭)は援軍を送りますが、西暦663年朝鮮半島の白村江の戦いで大敗します。唐と新羅の侵攻を恐れた大和政権は、太宰府防衛の為、水城を造りました。

 

 

水城跡詳しい説明はこちら→水城跡|大野城市 (city.onojo.fukuoka.jp)

 

 

ゆめ広場から県道31号線に向かいます。通りには、懐かしい車が展示されています。ブルーバードSSS、カローラ・・・・

あのころは、免許を取ったばかりですのでどれも欲しかった車です。(親に言うと自分で稼いで買えと言われました)

 

下大利(しもおおり)小水城跡  大野城市から春日市に連なる丘陵の谷部をふさぐように小形の防塁が点在しています。水城から近い順に、上大利小水城跡、春日市の春日小水城跡、小倉小水城跡、大土居水城跡、天神山小水城跡が確認されていて、水城跡を迂回して大宰府に攻め込む敵を防ぐ役割があったと考えられています。

牛頸小学校跡地にやってきました。

牛頸(うしくび)」の地名の由来は、平野神社の西に位置する古野山の形が、牛が首を伸ばした形に見えることからその名が付いたと「筑前国続風土記」に記述されています。 

また、縄文時代、牛頸付近は海岸線になっていたことから、アイヌ語の「海の入り江」を表す「うし」から来たとも言われます。 その他に6~8世紀、須恵器の窯業技術をもたらした集団が朝鮮の牛頭山(ソシモリ山)から渡ってきて、故郷の地名「牛頭」を村の名前にし、それが変化して牛頸になったという説もあります。(牛頸公民館HPより)

  

 

彼岸花が綺麗です。

 

 

不動城跡・・・大野城市の「まどかのふもと」によれば、「市の南部牛頸三丁目、通称「城(じょう)の山(やま)」に残る戦国時代(15~16世紀)の山城です。
主要部分は保存されて山頂に遺構が見られます。
『筑前国続風土記』や牛頸区にある奈良原兵庫助高政(ならはらひょうごのすけたかまさ)の墓碑銘に記録があります。

その記録によれば、秋月氏の旗下(きか)の奈良原刑部少輔(ぎょうぶしょうゆう)が城を築き、その子孫の奈良原兵庫助(ひょうごのすけ)は豊臣秀吉の九州攻めの時に討ち死にしたことなどが記されています。しかし、『筑紫家文書』などの近年の調査研究により、築城は奈良原氏によるが、秀吉の九州攻め当時はすでに秋月氏方にかわって筑紫氏の端城(はしろ)に

なっていたことが判明しました。」

 

平野神社に着きました。

 

平野神社は牛頸にある大野城市内で最も古い神社です。伝承では正暦(しょうりゃく)年中(990から994)に創建されたと伝えられています。

大野城市に所在する平野神社は京都にある平野神社から勧請(かんじょう)されたものです。京都にある平野神社には、今木神(いまきのかみ)、久度神(くどのかみ)、古開神(ふるあきのかみ)、比売神(ひめがみ)が祀られています。

今木は古くから住んでいる人に対する新しく来た人、すなわち渡来系の神の意であり、久度は窯(かまど)の神(大野城市でもかまどのことをくどと言う)、古開は使い古した使用済みの窯の神であり、比売神はあとから合祀された桓武天皇の生母高野新笠と言われています。

牛頸の平野神社には比売神が合祀されていないので、御神座は今木神、久度神、古開神の三座です。(大野城市HPより)

 

平野神社で休憩後再スタート。牛頸川沿いに歩きます。

 

途中、民家の方が芋ほりをされていました。安納芋だそうです。

位瀬公園で休憩。

 

位瀬公園から九州大学春日キャンパスに入ります。

 

12:00 JR大野城駅にゴールしました。