よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

島原の具雑煮(ぐぞうに)と噴火まんじゅう

2011-10-27 05:00:00 | 食いしん坊
島原に来ると食べたくなるのが「具雑煮」です。
それも元祖の店で。



この店は島原城のすぐ近くにあり、休日のお昼となるとお客さんで一杯に
なります。
この日は、時間をおいていきました。

「具雑煮」は、島原の乱のとき一揆軍の総大将であった「天草四郎」は
三万七千の信徒達と篭城の際、農民達に「もち」を食料として貯えさせ
山や海からいろんな材料を集めて
雑煮を炊き栄養をとりながら約3ヶ月も戦ったといわれています。
この雑煮が「具雑煮」です。
それからいろいろ工夫され今日の具雑煮が出来上がりました。


具雑煮は単品で(定食もあります)並と大があります。
並は980円、大は1180円。
家内が大で私が並・・・・・(笑)

待つこと5分
アツアツの雑煮が運ばれてきました。
フタをとるとお餅がいっぱいあります。
具もカシワ、しいたけ、うなぎ、牛蒡、春菊、湯葉・・・・・等たくさん入っています。
出汁もカツオをベースにイリコなど入っておりとても美味しいです。




さて、島原のお土産を探していると面白いのを見つけました。
噴火まんじゅう



箱を開けてみますと、おまんじゅうの下に何か紐があります。
これを引っ張ってみますと、
煙(湯気)が出てきました。




4~5分待つと温かいおまんじゅうになります。
皆様もどうぞお召し上がり下さい。



島原半島ツーデーマーチ2日目24kmに参加(長崎県島原市)

2011-10-26 10:15:59 | ウォーキング
10/23は島原半島2DMに参加しました。
昨年もこの大会に参加したのですが途中20km地点で大雨に会い、止む無く棄権しました。
いわばその雪辱戦です。

朝3時半福岡の自宅を出発。途中ファミレスで朝食をとり会場に着いたのが7時10分。
私の参加コースは、50名限定の「島原街道・鍋島邸から島原城下町コース」24km。
会場の復興アリーナから出発地の鍋島邸までバスで移動します。
今朝は朝3時に起きたためバスに乗るなりうつらうつらして気がつくと国見町の
鍋島藩邸に到着しました。(国見町は高校サッカーで有名な国見高校がある所です)


神代鍋島藩は、慶長13年(1618)神代西町、東町を含む四村が鍋島豊前守信房の所領となり、
明治の版籍奉還まで続いた。
その領主の邸宅がこの鍋島邸であり主屋、お座敷、隠居棟、土蔵、長屋門が国の
重要文化財に指定されています。


鍋島邸の前には大正時代に植えられた緋寒桜があり2月ごろには綺麗な花が咲きます。



9時15分ウオーキングスタート。
参加人数は58人。スタート直後は先頭位置にいたのですが、写真など撮っていると
見る見るうちに追い越され、離されまいと少しペースを速めます。

この道は島原街道になっておりあの龍馬も通った道でもあります。



多良見町を通って有明町へ
町並みを見ると古い大きな家が立ち並んでいます。
左側を見ると造り酒屋の大きな煙突が・・・・・
よく見ると「アサヒノボル」と書いてあります。縁起のいい名前なので
すぐ覚えられます。




10時30分チェックポイントの市役所有明支所に到着。
ここが昼食会場になっています。まだ10時半少し早いのではないでしょうか?

大三東小学校を通りコースは島鉄沿線沿いに出てきます。
この辺りは海苔の養殖をしているのでしょうかあちらこちらに海苔の支柱が立てられています。




今日は、曇っているのですがちょっと蒸暑いです。
持ってきたペットボトルの水も無くなってしまいました。
ふと見ると湧き水が・・・・
どうぞご自由に汲んでくださいとの表示。
有難い、早速ペットボトルに水を入れ再びスタートします。



コースは島原の武家屋敷にやってきました。




道も石畳になっていて藁葺き屋根の武家屋敷には柿が実っています。
何か絵になるなと思いカメラでパチリ。




島原城を通り白土湖(しらちこ)へ。
この白土湖は寛政4年(1792)普賢岳の火山活動による眉山の大崩壊とともに
できた湖です。(この年の噴火は「島原大変肥後迷惑」とも言われています。
この噴火で津波が対岸の熊本に押し寄せ多くの方が命を落としました)
このときの大地震でこの一帯には地割れが生じ地下水が噴出して南北10町(1km)、
東西4丁(3~400m)の池になりました。
その後排水のため人工河川の音無川が造られ現在は南北200m、東西70mの湖です。




チェックポイントの臨港公園を過ぎるとゴールまであと4kmです。
時計を見ると12:30。この調子なら4時間以内でゴールできるなと思いながら
少しピッチを上げます。



然し、よく出来たコースです。最後の方にきつい坂が待っています。
どこかのマラソンコースにも最後にきつい坂があったななど思いながら
最後の力を踏み絞って一,二、一、二・・・・・・

13時12分ようやくゴールです。
9時13分にスタートしましたから全行程4時間を1分だけ切りました。



昨年は屈辱の途中棄権。
何とか昨年の借りは返しました。
この日のGPSです。









青石畳通りを歩く(松江市美保関)

2011-10-22 18:40:13 | 旅行
美保関というとすぐ思い浮かべるのが「美保神社」です。


美保神社は、ご祭神が大国主神のお子さんの事代主神(ことしろぬしのみこと)と大国主神のお后様の三穂津姫命です。
事代主神はえびす様の名で全国のえびす様の総本社です。
漁業、商業など広く生業の守護神です。

この神社の横に青石畳通りというのがあります。
その昔、美保関は朝鮮との交易、江戸に入ると北前船の寄港地として栄えました。

北前船が寄港すると積荷を載せるため大八車がこの通りを走ります。
そのためには、固い道路が必要となってきます。
住民が結集し海から天然石を運びこの石畳を造りました。
雨の日にこの石畳が雨に濡れると青く光る為青石畳通りと呼ばれるようになりました。




通りを歩いてみますと、









何か昭和の時代にタイムスリップしたような感じです。
この日は雨が降っていませんでしたが、雨で青く光る石畳も見てみたいです。
通りの奥には魚屋さんがあり、美保関で獲れた魚の干物を売っていました。
この中に山陰名物の「のどくろの干物」がありましたので即座に購入しました。


通りの中央には「仏谷寺」があります。


この寺は、浄瑠璃で有名な江戸の「八百屋お七」の恋人「吉三」のお墓があります。
お七が江戸駒場で火刑に処せられたあと吉三は出家し、西運と称して江戸から西へ向かい
各地の名刹にお七のお地蔵を建て遺品を納めました。
元文2年(1737)10月このお寺に於いて70歳の生涯を閉じました。
これが吉三のお墓です。







関の五本松(松江市)

2011-10-19 17:03:37 | 旅行
島根県民謡に「関の五本松節」があります。
♪ハァー関の五本松 一本切りゃ四本
 あとは切られぬ夫婦松・・・・・♪

昔、漁師の方が漁で帰ってきたときこの五本松を目印にしたそうです。
藩主が美保神社の月に一度のお参りにこの松が景観を損なうということで
切らせたそうです。
当時は藩主に抵抗することはできませんでした。
ですからこのような歌にして残したそうです。


ここに着いたのが5時少し前。
ケーブルカーがあるということでそこまで急いで上っていきましたが
ケーブルカーは、現在運転中止です。

ケーブル跡地には関の五本松公園まで徒歩20分と書いてあります。
日頃ウオーキングで鍛えた私の足、公園まで10分で着きました。



公園は綺麗に整備されていますが、売店も休業中でした。

然し、ここからの眺め素晴らしいものがあります。



関の五本松の初代は松くい虫や台風の影響で倒壊し、現在は三代目の松が
植えられています。



また、ここは旧松江街道になっており昔、お殿様もこの道を通って
美保神社にお参りに行ったのでしょうね。


松江の朝市(松江市役所)

2011-10-18 08:00:00 | 日記
松江市役所の駐車場では毎週日曜日7時から朝市が開かれています。
私、朝市が大好きなんです。
福岡では用事がない限り日曜日の朝は早起きして朝市に行っています。
今、産直店などの道の駅が大流行ですが、朝市の魅力は何と言っても
対面販売。
売り手と買い手の駆け引きが好きです。

松江市役所の朝市は、お魚、野菜、漬物、お花、などが並びます。
私のお目当ては魚の干物。





値段を見てみると福岡よりも安いです。




7時の開店と同時にカレイの干物、アジの干物、大根の味噌漬け、沢庵・・・・
などを買いました。
山陰名産の「のどぐろ」の干物も欲しかったのですが売ってませんでした。

買った干物を車へ。
勿論車にはクーラーボックスを入れています。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
家に帰って干物、漬物を食べましたがとってもおいしかったです。
また、来年も行きたいな~。


松江「水燈路」

2011-10-17 11:41:16 | 日記
松江は松江城開城400年を迎え各地でイベントが行われています。
ブログ仲間のKさんが前、ブログアップされた「松江水燈路」私も行ってきました。
堀川通りには、沢山の水燈路が並べられています。
廻りの照明を落とし、あたりは幻想的な風景に変わります。










歴史館も無料開放されています。



その歴史館の中では、お菓子、和紙手まりなどが展示されていました。








水燈路を見た帰り、お腹がすいたので近くの居酒屋さんに立ち寄りました。
松江のおでん
お店に入るとすぐ目に付いたのがおでんです。



アツアツでおいしそうなおでんで日本酒を一杯と思って注文すると、
松江のおでんは、辛子でなく味噌ダレをつけて食べるのですね。
初めての食感ですが、これが実に美味しいのです。

あとで調べましたら松江は県庁所在地で人口当たりのおでんやさんの数が
全国一らしいです。
そういえば、10/1~10/2にかけてここ松江で「全国おでんサミット」が行われたそうです。

ほろ酔い加減でホテルに帰る途中、10/16に始まる「松江鼕(どう)行列」に向け
太鼓の練習をされていました。


福岡ソフトバンクホークス最終戦(10/15対ロッテ)

2011-10-17 09:24:42 | 日記
10/15(土)は、福岡ヤフードームへ福岡ソフトバンクホークス本拠地最終戦を
観戦にいきました。
既にパリーグ優勝を決めているホークス。
今日の相手はロッテ。
試合はホークス杉内、ロッテ唐川の投げ合いで始まりました。


杉内は復帰後2度目の登板ですが、コントロールがいまいちなのか
再三ランナーをためますが、要所を押さえています。
対するロッテ唐川は140k弱のスピードですが、低めのコントロールが
よく7回で投球数100球前後でおまけに無四球。




試合は0-0のまま延長戦へ。

延長10回ロッテが今江の2点タイムリーで勝ち越しその裏
ホークスの反撃も及ばず2-1でロッテが勝ちました。


試合後、ホークスのクライマックスシリーズ及び日本シリーズに向けての
壮行会が開かれました。


秋山監督の挨拶のあと2011年の優勝ペナントを持って場内を1周します。
今年のホークスは、パリーグでは断トツの強さでした。
然しここ数年C・Sで負け日本シリーズの切符を逃しています。
今年こそ日本一という夢を実現してもらいたいです。
勝つん




壮行会は勝利の花火で幕を閉じました。


第9回松江神在月だんだんウオーク(第2日目10/9)30km

2011-10-13 11:05:13 | ウォーキング


10/9第9回松江神在月だんだんウオーク2日目です。
朝起きて宍道湖の方を見るとうっすら靄がかかっています。



今日は30kmに挑戦。
このコースはもう4回目ですので大体の地図は頭の中に入っています。
お目当ては恵雲(えとも)の接待。

8時出発。
まず松江城から堀川沿いに歩きます。
この一帯は昨夜9時ぐらいまで水燈路があった所です。
その水燈路もきれいに片付いています。





堀川には遊覧船が通っています。
手を振ると応えてくれます。
昨日のことですが、ウオーキングの最中、地元の方に「こんにちは」と声をかけると
深々と挨拶してくれます。かえってこちらの方が恐縮してしまいます。
松江の方は気持ちのいい方が多いです。
こちらは歩かせていただいているのですが・・・・・





8時50分
下佐陀の小学校の所で最初の休憩。
接待で出された漬物が本当に美味しかった。



再びコースへ。
この辺りは田園地帯なのでしょう、稲穂が頭を垂れています。
所々では稲刈りも行われています。



市役所鹿島支所横を通り恵雲(えとも)の町に入ってきます。
恵雲は日本海沿いにある港町です。
古い家も多く昔から漁業が盛んな町だったのでしょう。





10時30分恵雲の古浦集会所に到着。
何と言ってもここの接待が魅力です。
キスの干物、イカの干物をその場で焼いてくれます。
またおにぎりや味噌汁もあります。
朝ごはんは食べてきたのですが別腹でしょうか、美味しくてついつい手が
出てしまいます。




食べているとSNSのEさんがやってこられました。
Eさん昨日は40kmコースを歩かれ感想を聞くと山道が多くゴールは
4時過ぎだったそうです。私達は20kmで5時間
Eさんは40kmで8時間・・・・   速いですね。

チェックポイントは佐太神社です。
ここが昼食会場です。


佐太神社は、出雲風土記に出てくる古い神社です。
出雲大社に次ぐ出雲二ノ宮と称されています。
大社造りの社殿が3つあります。、
真ん中が佐太大神、北殿が天照大神、南殿が素戔鳴尊(スサノオノミコト)です。

佐太神社を出て田園地帯を歩きます。
今日は(10/9)体育の日で学校では運動会が開かれています。
地域の運動会でしょうか、リレーで皆さん盛り上がっています。

次の休憩地は、古墳の丘公園です。
ここに来るとき、スズメバチの大群がいて係員の方から少し迂回の指示が
ありました。スズメバチ恐いですね。
2年前でしたか、北九州の大会でスズメバチに刺されたということがありました。
黒っぽい服がいけないらしいです。
今日の私の服は、還暦らしく真っ赤な服を着ています。
ショッキングピンクでなくショッキングレッドです。(笑)

コースは、イングリッシュガーデンを通り宍道湖沿いに続いています。
左には一畑電鉄の線路が・・・・・



先のほうにはゴールの千鳥公園が見えています。
ここにきて私の左のふくらはぎが傷み始めました。
やはり2日間連続で歩いたのが応えたのでしょうか?
着いたらまた温泉だな、今日はどこの温泉に行こうかな・・・・
などと家内と話しながら歩いています。

13時45分30kmをゴールしました。
2時までにゴールという目標が果たせました。  (続く)









第9回松江神在月だんだんウオーク(第1日目10/8)22km

2011-10-12 10:55:36 | ウォーキング
今年も第9回松江神在月だんだんウオークに参加しました。
今年で4年連続の参加です。
初めて参加してから松江の町が好きになり以後参加しています。

10/7夜9時ごろから福岡を出て一路松江へ。
車のナビは松江到着時間を10/8午前4時と表示しています。
途中何回か仮眠して松江に着いたのが午前5時半。
すぐコンビニに行き朝食用におにぎりを買います。

会場へは、7時に到着。

受付を済ませ8時出発。


出発すると後から私の名前を呼ぶ声が・・・・
振り返ると所属しているSNSのEさんだった。
Eさんとはブログでは何回かコメントをしていましたが、実際会うのは初めて。
そのEさんは、40kmコースで途中まで話しながら歩いた。

40kmとの分岐点は矢田の渡しです。
ここでEさんと別れ私たちは渡し船に乗って対岸へ。
渡し船に乗っていると「矢切の渡し」の歌が浮かんで口ずさみますが、
1番の歌詞を1小節歌うぐらいで渡し船は対岸に着いてしまいます。



山陰線を渡り田園地帯へ。
ちょうど稲刈りのシーズンで、田んぼでは稲の天日干しが行われています。
私は田舎の出身ですのでこの光景を見るだけでも落ち着きます。
民家の軒先には柿が干してあります。



しばらく歩くと出雲国庁跡があります。
出雲国庁は飛鳥時代の終わり頃から奈良・平安時代に至るまで
出雲国を治める中心的な官庁街と意宇(おう)郡の役所がおかれた所です。




国庁跡近くにはかなり古い神社があります。
神社の名前は「六所神社」
イザナギ、天照など六つの御祭神をお祀りしているから付けられた名前なのでしょうか?
そういえば私の住んでいる所にも四所神社、六所神社がありますが、これらは
その御祭神の数で付けられた神社名と聞いております。




チェックポイントは、八雲立つ風土記の丘にある出雲かんべの里です。

ここでは出雲地方の歴史や伝統工芸を学べる施設です。



神魂(かもす)神社に着きました。
ちょっと神社の中を覗いてみますと、かなり古い大社造りの神社です。
神紋には「有」とあり、神社の人に聞いてみると「有」は「じゅう」と呼ぶそうで
10月は全国の神様が出雲に集まりますので神無月も出雲では「神在月」になるそうです。




はにわロードを通り八重垣神社へ。


神社の入口には夫婦椿の木があります。


神社の中に入ってみるともう七五三の参拝でしょうか、きれいな着物を着たお子さんが
記念写真を撮っています。可愛いですね。


神社の中を廻っていると「鏡の池」というのがあります。


その前に神社には若い女性がたくさんいました。
この若い女性の方たちも「七五三」?と思っていましたら謎が解けました。
この鏡の池で願い事を書いてコインを浮かべて沈ませると早く沈んでいったら
早くいい人と結ばれる、遠くに投げて沈んでいったら遠距離恋愛が叶うそうです。
池にはたくさんの女性たちが願い事を書いて沈めていました。
願い事が叶うといいですね。


総合運動公園を通りコースは宍道湖の湖畔に出ます。

普通私たちは時速6kmぐらいで歩き、休憩や写真撮影などで時間を費やし
平均速度は5kmぐらいです。
時間は12時近くです。
普通ならもうゴールしてもいいのですが、今回は寄り道に時間を費やしたようです。
然し、折角来た松江の町、見どころがたくさんあります。
この宍道湖の湖畔も素敵な場所です。

この大会に初めて参加したとき、宍道湖の夕日を見ました。
嫁ヶ島に落ちていく夕日がきれいでとても感激しました。
湖畔にはカップルの方が何組かいらっしゃいます。
私も若ければ・・・・・
いえいえ、もちろん家内とですよ。(汗)




そうこう思いながら13時15分千鳥公園にゴール。
今日は暑かったのでたくさん汗をかきました。
会場近くのしんじ湖温泉で汗を流しに行ってきます。(続く)


10/8(土)22kmのGPS
途中からスタートボタンを押しました。赤い線が歩いた足跡です。







長崎街道を歩いています№13「田代宿~原田宿」

2011-10-04 19:20:34 | 長崎街道歩き
10/02長崎街道を歩いてきました。
鳥栖駅に8時20分に着き駅構内のうどん屋さんで朝食を食べスタートです。

ここで前回に戻りますが、驫木宿の番所川を過ぎると肥前国対州領田代宿に入ります。
川を渡ると姿見の池があります。

これは、菅原道真が養子に預けたわが子に会うためにこの地を訪れた。
そしてわが子に与える為水に映した自分の姿を描いたというのが
「姿見の池」伝説です。(鳥栖の長崎街道より)

姿見の池を出ると鳥栖秋葉の町に出てきます。
町並みを見てみると古い家がたくさんあります。
この辺りは、昔は瓜生野今町と呼ばれていたそうです。



ここまでが前回書けなかった分です。

駅構内で腹ごしらえをして8時50分前回ゴール地の本町の信号に行きます。
民家には今盛りとばかり金木犀の香りが漂ってきます。

「田代宿」は対馬藩田代領の代官所が置かれていた町でした。
町は昌元寺町、新町、上町、下町、外町の五町でなりたっていました。
江戸時代の記録によれば「人家500軒計、茶屋・宿場多し」とあり
賑わっていたようです。(とすの長崎街道より)

また、現代では交通の要所でありJRでは鹿児島本線と長崎本線のクロスする所、
高速道では九州道、大分道、長崎道と交差しています。

駅から本町交差点に行きそれから右に行きます。
八坂神社、水影神社を通ると田代外町に入ります。


(八坂神社)
ここに追分石が立っています。田代宿西構口にあたります。
「右さが 左くるめ」
追分石は、道路の端にあるため保護用にガードが施しています。


更に進むと高札場跡があります。ここには幕府からのお達しなどが告げられていました。

サロンパスの工場角には人足、馬などを乗り継ぐ問屋場跡があります。

さて、このあたりはサロンパスの工場ですが田代宿とお薬は切っても切れない関係です。
鳥栖から基山にわたる一帯は慶長4年(1599)に対馬藩田代領となり江戸中期「田代売薬」が
興った所です。対馬藩は朝鮮との交易で藩が輸入した漢方薬、朝鮮人参を元に薬の生産が
盛んでした。これらの薬は行商人の手によって九州一円に売り捌かれました。
言い換えれば「置き薬商法」です。今でも置き薬がありますが、私が子供の頃は、置き薬屋さんが
家に来られ子供たちにお土産として紙風船など配られました。
その紙風船をもらうのが楽しみでした。今考えればよく考えた商法だと思います。

田代八坂神社に来ました。ここでも八坂神社です。
八坂神社を調べると全国で2300社あるということです。

ここで田代宿を廻っているグループと出会いました。そのリーダーの方でしょうか、私達に
話しかけてきました。ガイドさんみたいです。簡単に田代宿のことを教えてくれガイドブックを
いただきました。

(田代宿は寺院も多い)


代官所跡を通り東の構え口に到着。
ここにも追分石があります。
正面に「左こくら・はかた道」側面に「右ひこさん道」と書かれています。

さてここからどう行くのか前方の細い斜め道それとも真っ直ぐ?地図とにらめっこしていると
ウオーキングされている女性の方がこちらですよと斜めの道の方をおしえてくれました。
何にも言っていないのにこの女性の方僕らが街道歩きをしていると解ったなと思いました。
尤もDバックを背負って地図を見ているからすぐわかりますよね。(笑)
その女性は、高速道の下まで案内してくれた。
八坂神社のガイドさんといい、このウオーキング女性といい親切にされるととても気持ちがいい。
この親切を私もいつか機会があれば他の方にお返ししたいと思います。


街道は一本道になります。
この辺りは新しいマンションが立ち並びニュータウンになっています。
地図には載ってませんが弥生が丘という駅もあります。



高島橋を通り基山の町へ。基山の名は五十猛命(イソタケル)が日本で初めて植樹をしたから
その名がついたとも言われています。
基山は、新羅、唐連合軍に敗れた日本が天智4年(655)太宰府防衛の為基山(きざん)に
日本最古の朝鮮式山城である基肄(きい)城が築かれました。この基肄城の麓には太宰府から
南下する古代宮道の城の山道がありました。その古代宮道が肥前国府と筑後国府に分岐する
基肄駅にはよその駅の2倍の馬が置かれて当時から交通の要所でした。


先ず目に付くのが、清酒「基峰鶴」の基山商店の店舗。
街道の通りにあり迫力があります。


基山駅近くに来ました。
ここでも古い家が残っています。
ふと、表札をみると聞いたことのある名前。
確か彼は基山駅の近くに住んでいると言ってたなと思いながら呼び鈴を押してみます。
「間違ったらどうしよう」などと思いながら・・・・
呼び鈴を押してもなかなか家の人は出てこない。お留守かなと思って諦め歩き出すと
中から年配の方が出てこられた。慌てて戻り「私○○と申しまして○○さんとは学生時代の
同級生です。いらっしゃいますか?」と聞くと中から彼が出てきました。
学生時代は、ただ知っているぐらいでしたが、社会人になり得意先に彼がいました。
それからの付き合いになっています。今でも時々町で会っていました。
突然の訪問に彼はびっくりしていましたが彼とは久しぶりの再会でした。

鹿児島本線の線路を横切り国道3号線を横断します。
このあたりが関屋の土塁です。
太宰府防衛の為、水城とともに土塁が造られました。

街道は、3号線に沿っていきます。
遠くには○○ラーメンセンターが。
このラーメン屋さんは私が若い頃はよく食べに行っていました。
小さな店舗でしたが今や大店舗になっています。もう何十年も来ていません。
時間も12時近くです。お昼はここで食べることにします。

30分ぐらいお昼休憩をし、再び街道を歩き出します。
陣屋跡があります。その先には猿田彦があります。


けやき台駅があります。その歩道を渡りますが、街道はこの辺りはわからなくなっています。
仕方ないので3号線沿いに歩きます。

九州道のガードをくくると福岡県に入ってきました。
今年の1月から始めた長崎街道、あの時、日見峠は雪が残っていました。
昔の人は一日に10里(約40km)歩いたといわれています。
ですから長崎街道は約5~6日で踏破しています。
それに比べ私達はのんびりムードの街道歩きです。13日目でようやく福岡県です。

筑紫野温泉の所に国境石があります。
「従是東筑前国」もう一つには「従是西肥前対州国」です。
元々はこれより東へ15mの所にあったそうですが、国道拡幅工事のため現在地に移転されました。


街道が不明の為3号線沿いに歩き出します。
原田駅前の信号から入ると原田宿(はるだ)に入ります。
宿場町は、綺麗にカラー舗装されています。



原田宿は、筑前六宿(ちくぜんむしゅく)と呼ばれ、いつからできたかは正確には
わかりませんが黒田家譜には寛永15年(1638)1月、島原の乱を鎮圧する為
やってきた松平信綱の一行50騎1300人が宿泊したことが記録されていますので
このころには宿場が出来ていたそうです。

宿場の要所には市の案内板が立てられていますが、文面が薄くなっており読むことが
できません。

宿場の奥には筑紫神社があります。
この神社の沿革には「筑前国と筑後国の境に荒ぶる神いて往来の者の命を奪うので
困り果て筑紫の神として祀ってこれを鎮めました。
ここから「筑紫の国」となったそうです。


時間も2時近くなりました。
JR原田駅も近いので今日はここまでとします。
次回は長崎街道の難所「冷水峠」(ひやみずとうげ)に挑戦します。