よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

博多阪急イヤーラウンド15km<後編>

2020-07-30 05:14:21 | ウォーキング

前編からの続きです。 西公園から大濠公園に戻ってきます。コースは大濠公園を通り舞鶴公園に向かいます。

 

舞鶴公園は、福岡市の都心に近く、福岡城址をシンボルにした公園。桜の名所としても有名な美しい公園です。

  

福岡城址は、福岡藩初代藩主黒田長政が慶長6年(1601年)から7年の歳月をかけて築いた城跡です。天守台を中心にして本丸、二の丸、東西の三の丸からなり、周囲を濠で囲む

構造です。多門櫓、祈念櫓、潮見櫓は現在でも見ることができます。藩主所縁の地備前国福岡(現在の岡山県瀬戸内市)に因んで「福岡城」と名付けられました。

別名舞鶴城とも呼ばれています。(案内文より)

 

以前は、福岡城址の所に西鉄ライオンズ(現西武ライオンズ)の本拠地、平和台球場がありました。

私が子供の頃、(S31~S33)巨人を破って3連覇した時のことは、今でもよく覚えています。豊田、中西、大下、関口、高倉、仰木、稲尾・・・・名選手ばかりでした。

当時は、交通機関の関係からか、ダブルヘッターの試合が多く、よく親父に連れられて観戦していました。また、サラリーマンになってからは、職場が球場のすぐ近くでしたので

会社帰りよく試合を見に行ってました。(当時はパリーグの弱小球団でした)

そのライオンズですが、1978年(昭和53年)10月に西武鉄道に買収され、これにより福岡に本拠地を置く球団が無くなりました。ショックでした。

西武球団は、年間10~20試合平和台で公式戦を開催していましたが、どうも西武ファンにはなれませんでした。

それからロッテ球団が稲尾さん監督に迎えて福岡に移転という話もありましたが、1988年(昭和63年)大阪の南海ホークスをスーパーのダイエーが買収して福岡に本拠地を置くという

ニュースが舞い込んできました。南海ホークスは、西鉄ライオンズにとって永遠のライバル球団です。然し、せっかく福岡に来てくれるのですから応援しなくてはいけませんね。

福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)誕生です。ダイエー球団による平和台球場の改修工事中に、古代アジアの玄関口とされる「鴻臚館(こうろかん)跡」が発見され、

市によると遺跡の発掘を進めるとともに今後歴史公園として活用していくという方針がなされました。ちょうどそのころ、福岡市は、百道浜(ももちはま)を埋め立てていましたので

埋立地にダイエー球団の新しい本拠地「福岡ドーム」の建築構想を明らかにしました。

その後、福岡地方を襲った「福岡西方沖地震」で被害を被り、平和台球場は取り壊されることになりました。

小生は、西鉄ライオンズが好きだったせいか、子供のころから野球が好きで社会人になってからは、草野球のチームに所属していました。

所属していたリーグは、パート優勝すると決勝大会を平和台球場で行います。子供のころからの憧れの球場でプレーできるのですから頑張って頑張って決勝大会の切符を手に入れました。

写真は、わがチームが二連覇した時の写真です。

  

 

鴻臚館(こうろかん)とは、平安時代に築かれた外交のための迎賓館。平安京(京都)、難波(大阪)、そして筑紫(福岡)の3ヵ所に設けられた。その中で唯一遺跡が確認されているのが

現福岡市中央区にある筑紫の「鴻臚館」なのだ。文献上には持統2年(688)、「筑紫館(つくしのむろつみ)」として初めて現れ、平安時代になって中国風の「鴻臚館」という名に変わった。

7世紀後半から11世紀まで約400年の間、遣唐使や新羅の使節団、商客らを迎え入れたとされる。(よかなびより)

鴻臚館展示場には、発掘された遺跡などが展示されています。

  

福岡城址から明治通りに入ります。旧大名小学校跡には、現在「天神ビックバン」といって2024天神未来創造というプロジェクトが行われています。

天神ビックバンとは、天神交差点を中心に半径500m圏内を対象としたエリアで行われている再開発です。2024年までに30棟の民間ビルの建て替えを目標に掲げています。

この大名地区には、「ザ・リッツ・カールトンホテル」など24階建てのオフィスやホテルの建設が行われます。

  

福岡市の中心部「天神」にやってきました。今日は日曜日、街にはたくさんの人がいます。この中の若い人の中には、マスクをしていない人も見かけました。

自分は若いからうつらないと思っているのでしょうか、街には私たちみたいな高齢者(自分では認めたくないですが)もいるんですよね。

  

天神中央公園は、元福岡県庁があったところです。1981年(昭和56)東公園に移転した旧福岡県庁跡地を整備し、1989年(平成元年)県営公園として生まれ変わりました。

公園には、旧福岡県公会堂貴賓室があります。明治43年(1910年)に造られていますのでもう110年の歴史を有しています。

貴賓室前を歩くと那珂川にかかる「福博出会い橋」があります。ここが城下町福岡の町と商人の町博多の町の境界です。

福岡を代表するお祭りに「博多祇園山笠」がありますが、これは博多部のお祭りですが、山笠期間中一度だけ那珂川を越えて福岡部に入ります。これを「集団山見せ」といいます。

  

福博出会い橋を通ると「中州」です。博多川と那珂川の間にできた中州で、九州一の歓楽街です。

  

昼間は、人が少なくガラ~んとしていますが、夜になると人通りも多くなりにぎやかさを増してきます。(現在は、コロナ騒動で人通りも少ない)

 

コースは、博多座から川端通商店街に入ります。川端通商店街には、博多弁番付が貼られています。とっとうと、す・す・す、は、代表格ですが、

しぇんしぇい=先生、なおす=片づける・・・他には、お金をこまめる=お金を両替する、えずか=怖い、かたせる=仲間に入れる、そ~つく=うろつく、いぼる=泥るみにはまる、

さっち=必ず、しぇからしか=やかましい、へっぱく=屁理屈、じょうもんさん=美人の娘さん、あたき=私・・・などがあるっちゃが・・・・

  

川端通の終点には、博多の総鎮守「櫛田神社」です。櫛田神社から国体道路に入ります。すぐ「かろのうどんや」さんが目につきます。角のうどんやさんが訛ってかろのうどんになったそうです。

創業は明治15年(1882年)。以前、永六輔さんがラジオ番組「誰かとどこかで」でこの店を紹介していました。

 

ここからは、町の名も「御供所町」。筥崎八幡宮の御供え物を調えたことからこの町名がつきました。

また、大きな寺院が集まっているところでもあります。

空海が唐から帰朝後初めて建立した東長寺には、国指定重要文化財の木造千手観音が収められているほか、木造坐像として日本最大の「福岡大仏」があります。

 

宋から帰朝した栄西禅師によって開かれた聖福寺。栄西が中国からお茶を持ち帰ったことでも有名です。

聖福寺には、博多塀があります。

  

博多山笠発祥の地として有名な承天寺は、聖一国師が開山しました。聖一国師は、うどん、蕎麦、羊羹、饅頭の製法を初めて日本に伝えました。

 

千年門から博多駅に向かいます。ゴールの博多駅には13:00ちょうどにゴールしました。4時間13分のウォーキングでした。15,5km。

雨も一回だけ遭遇しましたが、その後は降りませんでした。

  

今日のGPSです。

ゴール後、博多阪急のウォーキングステーションに行って今日の分の登録をしました。

 

 


博多阪急のイヤーラウンドコース15kmを歩く(福岡市博多区、中央区)<前編>

2020-07-28 14:19:19 | ウォーキング

ウォーキング協会の教室も8月お盆過ぎまでお休み。

そんな中、ネットで博多阪急のウォーキングステーションを見つけ、7/26(日)イヤーラウンド15kmを歩きました。

本来なら博多阪急に行ってマップをもらえばいいのですが、阪急の開店は10時、その時間まで待てませんのでネットでマップを印刷しそれを持って歩きました。

15kmのコースは、博多駅をスタートし、渡辺通~薬院~護国神社~大濠公園~西公園~舞鶴公園~天神中央公園~櫛田神社~東長寺~崇福寺~博多千年門~博多駅というコースです。

福岡市内博多区・中央区の中心部を歩きます。

  

全日空ホテルを過ぎると「日本ハムファイターズ」と書いたバスが停まっています。今日まで福岡ペイペイドームでソフトバンクとの試合があります。

この近くのホテルに泊まっているのでしょうか?

 

住吉神社は底筒男神(そこつつのをのかみ)、中筒男神(なかつつのをのかみ)、表筒男神(うわつつのをのかみ)の住吉三神を祭神としています。

御出現は、伊弉諾大神(いざなぎおおかみ)が筑紫の日向の橘の小戸の阿波伎原でミソギハラヘ(禊祓)をされたときにお生まれになったと「古事記」に記されています。

相殿(あいどの)には天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)、神功皇后(じんぐうこうごう)を配祀し、これを併せて住吉五所大神とも呼ばれています。(福岡住吉神社HPより)

大阪の住吉神社、下関の住吉神社とともに「三大住吉」の一つと言われています。古図では、中世ごろまでは、この近くまで海岸線だったそうです。勿論、天神、中州などは海の中でした。 

  

 

住吉橋を渡って清川・柳橋連合市場の方に行くと、面白い自販機がありました。「出汁」の自販機です。初めて見ました。

  

薬院駅に近づくと小雨が降ってきました。薬院駅でリュックから傘を取り出します。

 

薬院から警固を通りけやき通りに出ます。赤坂3丁目信号から護国神社に向かいます。雨は止んできました。

護国神社の鳥居は、木製で高さ13m、柱の直径160cmのヒノキ製で日本屈指の大きさです。

  

護国神社の横には、NHK福岡放送局です。NHKの前には、福岡市出身で第32代内閣総理大臣を務めた「廣田弘毅」の銅像があります。

城山三郎「落日燃ゆ」のモデルになりました。

 

コースはここから福岡市民のオアシス「大濠公園」に向かいます。

大濠公園がある場所はその昔、博多湾の入り海でした。日本最古の歌集「万葉集」には「草香江の入江」としてその名が挙がっています。その後、福岡藩初代藩主・黒田長政が福岡城を築く際、

この入り海を浚渫し、一部を埋め立て、福岡城の西側を守る「大堀」としました。
この福岡城の大堀の改良工事に福岡県が着工したのは、大正15年のことです。東京帝国大学の本多静六博士が「大堀を公園にすれば良い」と考えられ、中国・杭州の西湖を模した

公園の設計図を作りました。池の中に柳島、松島、菖蒲島の3つの島を造り、その間を北から順に観月橋、松月橋、茶村橋、皐月橋の4つの橋でつなぎました。

また、昭和2年には大堀の埋め立て部分を利用して「東亜勧業博覧会」が開催されました。

  

 

大濠公園は、周囲2kmのジョギングやウォーキングコースになっており、週末になるとたくさんの市民が楽しんでいます。

万葉歌碑「しろたへの 袖の別れを難みして 荒津の浜にやどりするかも」意味は、あなたとこのまま離れ離れになることが惜しいので荒津の浜で一夜の宿をとってしまった。

当時は、この周辺は大きな入り江になっていて荒津の浜や荒津の崎と呼ばれ、船が出入りしていた。この歌は、都に帰ろうとする、或いは唐や新羅へ派遣される宮人が送ってきた人と

この荒津の浜で別れを惜しんで詠んだもので、見送る人が「草枕旅行く君を 荒津までおくりぞ来める 飽きたらねこそ」という歌を詠んでいます。 

  

大濠公園の中には、ロイヤルのレストラン「花の木」があります。元々ロイヤルは、昭和28年(1953)中州に一号店をオープン、その翌年昭和29年2月には、新婚旅行で福岡を訪れていた

マリリンモンロー・ジョーディマジオ夫婦がこの店に来店しています。もう中州店はありませんが、その時モンローが使ったテーブルと椅子がこの「花の木」にあります。

 

大濠公園を出て西公園入口の信号の所に福岡で行列のできるパスタ屋「らるきい」があります。現在10:30、開店は11:00ですが、もう行列ができています。

私も旧店舗の時一度行ったことがあります。この時は約1時間待ちました。おいしかったです。

コースは、福岡の桜・モミジの名所「西公園」に来ました。

  

52段の階段を上っていると左側に「平野二郎國臣」の銅像があります。彼が詠んだ「我胸の燃ゆる思いにくらふれは 煙はうすし桜島山」は有名です。

  

階段の上には、福岡藩祖黒田如水、黒田長政を祀った「光雲(てるも)神社」です。光雲という名前は、両公の法名から一字ずつとってつけられました。

 

光雲神社には、福岡民謡「黒田節」で有名な母里太兵衛の銅像があります。

黒田節は、筑前今様と呼ばれた福岡藩の武士たちに歌われたものが全国に広まりました。雅楽の「越天楽」のメロディに様々な歌詞を当てはめて歌っていました。

中学生の時、音楽の時間で「越天楽」を聴きましたが、まさに黒田節です。

 

ここまでが約半分です。長くなりますので「その2」に続きます。

 

 


サタデーウォーク「水と炎と2000年蓮・みやき歴史巡り(佐賀県みやき町~福岡県久留米市)

2020-07-22 07:36:16 | ウォーキング

7/18(土)は、ふくおかウォーキング協会のサタデーウォーク「水と炎と2000年蓮・みやき歴史ウォーク」でした。

集合場所は、JR長崎本線中原(なかばる)駅。参加者は48人でした。

9:30 スタート。今回は、5歳児ウォークカー蒼汰君の妹3歳児「あおい」ちゃんも参加しました。

 

コースは国道34号線から旧長崎街道に向かいます。

  

長崎街道中原宿は、小生2011年9月に歩きました。中原宿は、神埼宿と轟木宿の間宿(あいのしゅく)です。

中原宿の説明文を見ると、
中原宿の始まりははっきりとしないが、正保3年(1646)に幕府に提出された「正保絵図」には宿を示す記号があることからこの頃には宿として成立していたと見られる。
また、元禄14年(1701)に幕府に提出された元禄絵図には中原宿の記述と宿を示す記号がある。中原宿は、鍋島藩親類筆頭家老「白石鍋島家」の知行地となっており、中原宿は長崎街道の
本宿(公的な宿)だったが鳥栖の轟宿と神埼宿の間の宿であったため規模は小さかった。中原宿には6軒の旅籠があり道の北側には東から泉屋、長崎屋、桜屋、南側には東から
松坂屋、大阪屋、岡崎屋があった。岡崎屋の2階の手摺には「中原駅岡崎屋御定宿」の透かし彫りの看板が残っている。
中原宿は、明治18(1885)8月14日の大火で大部分が焼失した。全80戸中74戸を飲み込んだ大火災だった。

  

祇園社の所が中原宿東木戸です。※木戸とは、江戸時代に、町の境や要所に警備のために設けられた門。夜間や非常時には閉鎖されました。

木戸の所にもエビスさんが祀られていました。

   

東木戸から右折して白石に向かいます。

  

 

コースは、白石焼に入りました。

みやき町皿山の周辺の窯元で焼成されるやきものを白石焼(しらいしやき)と呼びます。昔から、有田が「西目の皿山」なら、「東目の皿山」は白石とまでいわれていました。

白石焼(しらいしやき)は、文化3(1806)年白石鍋島家が本藩御用窯大川内(おおかわち)から陶工を呼び寄せ、白石で御用焼を命じ、この土地一帯にある「五穀さん」(ごこくさん)

という白い砂まじりの石と天草陶石を原料にした白磁に似たひび焼を作ったのがはじまりといわれています。このやきものは佐賀藩では「南京手」(なんきんて)と呼ばれ大変珍重されました。

江戸時代末期には臼井走波を招き、野菊・ザクロ・蘭などの花鳥画を中心に絵付し、京風の走波焼を作り上げ、現在の白石焼の基盤をつくります。窯元は、白石神社の近くに4軒あり、

民芸陶器を中心に個性的で独特の味わいを作り上げています。(あそぼーさがより引用)

   

    

白石神社の由来は、

佐賀藩は肥前国の佐嘉・神埼・小城・杵島・藤津・三根全域と養父・松浦、高来、彼杵の一部を合わせ持った(35万7千石を領有していた)外様大藩でした。この領地を3支藩(蓮池、小城、鹿島)と鍋島4庶流家(白石、川久保、村田、久保田)、龍造寺4家で守っていました。

この白石神社に祀られている鍋島直弘公は、初代佐賀藩主・鍋島勝茂の八男で、初代白石邑主(ゆうしゅ)です。
父、勝茂の信頼厚かった家臣の成富兵庫茂安は、直弘の教育係として見込まれ、直弘は幼少の頃に養子として成富家で育てられました。
寛永11年(1634)茂安が75歳で没すると翌年白石邑(現在の北茂安校区・白石地区)に居をかまえ、のちに鍋島姓に戻った直弘はこれよりのちを白石鍋島家と称しました。(ちなみに「白石」という地名は成富兵庫茂安がかつて杵島郡白石(現在の杵島郡白石町)に知行地をもっていた事に由来するそうです。)
文政6(1823)白石鍋島家6代目邑主、直章公はこの地に邑祖直弘公を祭神とした社殿を建立し、その後、筑後川の治水土木事業に功績を残した成富兵庫茂安公を合祀しました。(みやき町HPより)

  

このあたりは、毎年4月に行われる久留米つつじマーチの2日目のコースの一部です。

  

千栗土居公園です。県道整備工事に伴い、姿を消してしまう千栗堤を後世に伝えるため平成12年に佐賀県文化財の認定を受け、千栗堤の一部を町が公園化したものです。

千栗堤は、佐賀平野における土木・治水事業の偉人「成富兵庫茂安公」の行った水利事業の一部で、古くは千栗土居といい、現在のみやき町千栗地区~坂口地区迄12km位あったと

いわれています。

 

その千栗土居公園には、現在、古代ハス「大賀ハス」が咲いています。

大賀ハスは、昭和26年(1951)3月30日 千葉市内の東京帝大検見川厚生農場の泥炭層から 発見されました。発見者は植物学者・大賀一郎博士で、発見された3粒実のうち1粒の発芽に成功、
翌年7月18日に見事に大輪の花を咲かせました。ハスは博士の姓を採って「大賀ハス」と名づけられました。

このハスは多久市の聖光寺さんより苗を頂いたそうです。

  

 

千栗土居公園から筑後川へ向かいます。今月の初め九州豪雨で、この筑後川でも氾濫の事態が発生しました。

 

一見前と同じ筑後川に見えますが、川の淵には、草が倒れており、豪雨の凄さを物語っています。

 

筑後川を渡り、久留米市内へ。11;50ゴールのJR久留米駅に到着しました。約10kmのウォーキングでした。

 

今日のGPS

ふくおかウォーキング協会では、明日より夏休みに入ります。次回は、8/22の例会から再開します。

 


年に一度の楽しみ「富松うなぎ店荒木店」(福岡県久留米市)

2020-07-19 13:08:19 | 日記

7/18(土)は、久留米までのウォーキングでしたので、土用の丑の日も近いので久留米市にあるうなぎ専門店「富松うなぎ店」荒木店に行ってきました。

昨年は、5月に静岡県三島で鰻を食べましたから1年2か月ぶりの鰻です。

今日は土曜日なので多いと思い、お店に着くと同時に受付をします。

約30分で席に案内されました。

お店の中は、コロナ対策で消毒液が用意され、席と席の間には、仕切り版が設置されていました。

メニューです。

せっかくだからせいろ蒸し(特上)を注文しました。

あまりにも量が多いので必死に食べました。

一年に一度の楽しみ。これで夏が乗り越えられます。

 


南区ため池巡りウォーク(福岡市南区)

2020-07-17 14:09:05 | ウォーキング

7/15(水)のふくおかウォーキング協会の楽しいウォークは、「南区ため池巡りウォーク」でした。

9:00 西鉄大橋駅集合。参加者は50人。

南区には、大和時代に朝廷の出先機関「筑紫宮家」がありました。現在は、南区三宅という住宅地になっています。

那珂川と樋井川に囲まれたこの一帯は、昭和25年までは、水田が点在する集落でしたが、福岡市の人口増加により、急速に住宅地として発展しました。

水田が多かったせいか、今でもたくさんの「ため池」が多く残っています。南区では、ため池をモデルにした「ため蔵君」というイメージキャラクターもあります。

  

最初の休憩は、鷹取延命地蔵尊。ここには、樹齢200年高さ20mのクスノキがあります。その横には、萵苣(ちしゃ)の木です。

 

  

都市高速の下を通り、2回目の休憩は、野多目拈渡(うちわたし)遺跡がある野多目中央公園。

この遺跡は、那珂川にそった標高15mの段丘の上に位置しています。公園を建設する前の調査で、旧石器時代から古代までの生活の跡が重なりあった複合遺跡であることがわかりました。
今から約3,000年ほど前の縄文時代後期のころ、食料としていたイチイガシの貯蔵穴50基が発掘され、弥生時代になると前期末から中期(西暦前2世紀ころ)の竪穴住居跡や

貯蔵穴があり、古墳時代(西暦6世紀ころ)には63棟の竪穴住居跡が認められ、一段と大きな集落に発展しています。
さらに、古代(7~9世紀ころ)には1間×2間や2間×2間ほどの大きさの掘立柱の建物24棟や土坑39基・柵列・溝などが確認されています。このような遺跡は、盛土をして公園の下に

保存されています。(説明文より)

  

野多目大池は、市内で最大のため池です。江戸時代に造られた可能性が高く、灌漑用水として利用されてきました。

しかし、歩いていてもこのあたりに水田らしきものはありません。ほとんど住宅地に代わっています。

  

やよい坂の信号を左折し箱の池に向かいます。箱の池は、柏原地区と屋形原地区の農業用水であり、昔はこの水を巡り両地区で争いが絶えず、そのため昔は、池の水の所有面積が少ない

屋形原側が米一俵と酒五升を柏原側に贈る習わしがあったそうです。戦後はそれが金一万円に代わり、やがて水田の減少とともにこの風習も姿を消しました。

  

  

箱の池を過ぎ、柏原高校前あたりから細かい雨が降ってきました。本来なら花畑園芸公園で休憩する予定でしたがパスして先を急ぎます。

柏原小学校の所に「羽黒神社」があります。えっ、山形の羽黒神社がどうしてここに???説明文を見ると、

創建の時代は明らかではないが、「筑前国続風土記拾遺」に天正十四年(一五八六年)の当社に関する文書の存在を示す記載があり中世のころ出羽羽黒山の修験者によって勧請されたと

考えられる。江戸時代には福岡藩主の深い信仰を受け、その武運長久、家内繁栄、無病息災と五穀豊穣の祈祷所でもあった。社殿等の新改築はその寄進による。特に神殿は荘厳な桃山造りで

文化財に相当するものであった。また明治の初めまでは付近の集落の産土神であった。昭和二十年六月十九日福岡空襲によって社殿は焼失したが、昭和二十一年氏子によって再建され

現在の社殿は昭和五十五年に再建されたものである。現存する鳥居、燈籠等の石造は江戸時代に建造された物が大部分であり、当社の歴史を示す文化財である。
なを、文化、文政期における福岡藩主の信仰を示す文書も現存している。 (説明文より)

私は、2~3年前山形の羽黒神社を旅しましたが、約500年前、福岡から羽黒山迄はかなりの日数が要したでしょう。今でこそ飛行機と電車を使えば半日でいけるのですが・・・

 

桧原(ひばる)運動公園を過ぎ、ゴールの西鉄バス桧原(ひばる)営業所へ。

※福岡では、「原」を「ばる」と読む習慣があります。白木原(しらきばる)、前原(まえばる)、大原(おおばる)、春日原(かすがばる)等

 

距離は、9km、2時間30分のウォーキングでした。

今日のGPS

 

 


7月度例会「奈多塩浜海岸と潮風」(福岡市東区)

2020-07-14 13:11:06 | ウォーキング

7/11(土)ふくおかウォーキング協会の7月度例会は、「奈多塩浜海岸と潮風」でした。

JR和白駅横の和白公園9:00集合。9:30スタート。

   

和白公園からJRの踏切を横断します。

 

和白駅から塩浜海岸に向かいます。

 

和白から志賀島にかけての海岸線は、古くから製塩が行われていました。ここ塩浜も昔は塩田でした。

  

塩浜海岸は遊歩道になっており、ここからは人工島を見ることができます。人工島に沈む夕日がスポットになっています。

 

この一帯は和白干潟と呼ばれ野鳥の宝庫です。

  

奈多団地・・・・私が若い頃に建設された団地ですのでもう40数年経っていますね。

  

奈多の信号を通り奈多の町中に入ります。途中、野菜類が販売されていましたので、今晩のお酒のお供にと思い、ナスとトマトを買いました。

志式神社は、知りませんでしたので福岡市文化財のHPを見ると、JR奈多駅の北側の松林に囲まれた砂丘上に鎮座。祭神は火明神や豊玉姫神などで、農業と漁業の神として信仰されている。

一の鳥居をくぐった右手に建つ志式座(市指定文化財)は、間口16.3m、奥行5.27mの桟瓦葺切妻平入の建物で、舞台の下手には7.22mの花道が常設され、現在も神社の祭りで使用されている。

11月19日(旧暦10月19日)の秋大祭には、県指定無形民俗文化財の「早魚(はやま)行事」が奉納される。

 

民家の庭先に「木苺」の実がありました。子供の頃は、よくちぎって食べていました。

 

西鉄三苫駅からの長い坂道を通るとゴールのJR福工大前駅です。

11:34 無事ゴールしました。

  

今日のGPSです。距離は約8,5km、約2時間のウォーキングでした。

 


今年最初の野球観戦(7/12 ソフトバンクVS楽天)

2020-07-13 09:12:04 | 日記

今年のプロ野球は、コロナ感染で開幕が大幅に遅れ、6/19に無観客で開幕しました。

それから7/10から少しずつお客さんを入れ、10日は、1500人、11日は2500人、12日は5000人と徐々に増やしていきました。

このチケットは、年間指定席購入者、ファンクラブ会員の方に抽選で招待するというもの。

私は、12日のチケット引換券が当たりましたので観戦に行きました。(本来ならもう約10試合ぐらい観戦しているのですが、全部中止になっていました)

チケットを引き換え情報をスマホに登録します。

  

入場前には、検温をし、登録情報の確認をします。

  

観戦スタイルなどについてのお知らせとお願い

1)観戦時には以下の行為をお控えください

  • スタンドに入ったボールを自席から離れて拾う行為
    ※スタンドに入ったボールはすべて係員が回収いたします
  • 大声での声援、応援歌・球団歌の歌唱、指笛での応援
  • 応援バット、応援フラッグ、タオルを大きく振り回す応援
  • ジェット風船の使用
  • ハイタッチや握手などの接触がある応援
  • 立ち上がる、身体を揺らす、飛び跳ねる等の応援

2)場内売店など営業スタイルの変更についてのご案内

  • スタンドでの売り子販売(ドリンク、グッズ)は休止します
  • 飲食はコンコース内指定箇所、または、ご自身の座席でお願いします
  • 酒類は販売場所を集約し、時間も短縮して販売いたします
    (開場から6回裏終了または試合開始2時間後まで)
    ※PayPayドームのみ。販売場所は当日現地でご確認ください
  • コンコース内飲食店は、日により営業店舗が異なります
    (全店舗が営業しているわけではございません)

3)退館について

  • 密集防止の為、退館時は場内アナウンスによるブロックごとの規制退場を実施いたします。
    係員の誘導にしたがってご退場ください

4)そのほか注意事項

  • 喫煙所は入場人数の制限を実施いたします。また、指定場所以外での喫煙はできません
  • 入場ゲート外のビン・缶移し替え場所はございません

5)来場後の体調不良時について

  • ご来場中に体調が悪くなった場合は速やかにスタッフへお声掛けください
  • やむを得ず退館となった場合の払い戻し対応につきましては別途ご案内いたします

行動記録の保存と陽性判定時連絡のお願い

  • 観戦時から最低14日間、座席番号などのチケットデータを保存ください(アプリ、写真など)
  • PCR検査等にて陽性感染が判明し、発熱などの発症が観戦日から48時間前以降の場合、または、濃厚接触者と判定され、観戦日が濃厚接触時以降の場合、「お客様サポートセンター(092-844-1189)」までご連絡ください
  • 陽性感染者の方の観戦日、座席番号につきましては、保健所の指導によりホークス公式サイトおよび、公式Twitter等で公表し、注意喚起させていただく場合があります。

球場内に入ります。今日の先発は、ホークス石川投手、楽天石橋投手です。初回ホークス柳田のホームランで先制。2回には犠飛とタイムリーで2点追加。

ホークス石川投手4回まで10奪三振の好投。

 

ホークス6回にも追加点。6-1とリード。

  

試合は、6-1でホークス勝利。

  

石川投手がヒーローインタビュー

 

今日は大声で応援できず、ひたすら拍手で応援しましたので手が真っ赤になりました。

8月からは、観客を2万人に増やしていくそうです。野球が楽しみになってきました。

この日のチケットはコロナ対策で2週間保存しなくてはいけません。

 

 


大雨警報の中ウォーキング

2020-07-10 07:38:34 | ウォーキング

7/8(水)福岡地方は深夜大雨が降り、ふくおかウォーキング協会の例会も中止かな?と思い,リーダーに電話すると「開催する」とのこと。(午前7時ごろ大雨警報解除)

今月は私もスタッフの一員ですのでやるからにはいかなくてはいけません。今からだと電車に乗ってもスタッフの集合時間8:30に間に合いませんので車で集合場所(東福間駅)に向かいました。

東福間駅に着いたのが8:27。すでに十数名の方が来られていました。

9:30スタート。参加者は、26人。今日のコースは、「水がめの郷~なまずの郷を訪ねて」と題し、JR東福間駅をスタートし水がめの郷~なまずの郷公園~ふれあい広場~JR福間駅ゴールです。

雨は降ってませんが、雨の後で少し蒸し暑いです。

  

9:30 ウォーキングスタート。

 

本来のコースですと若木台より貯水池を通り久末ダムを経由して水がめの郷に行くのですが、昨日来の豪雨の為ショートカットします。

水がめの郷は、福津市の水がめである久末ダム周辺を公園として整備したもので、野球場、テニスコート、多目的広場があります。ダム周辺は散策の場として四季折々の自然と

ふれあうことができます。また、久末ダムは、バードウォッチングが楽しめ、冬場は鴨類などの水鳥も飛来します。(福津市HPより)

歩いていると小規模の法面崩壊がありました。

 

天満宮を通り畦町へ。

 

途中珍しいお花を発見しました。珍しいといっても私にとって初めて見る花です。

牛蒡の花です。アザミの花に似ていますね。

  

畦町には、西郷川が流れています。凄い雨だったのでしょうね、草が倒れています。川の中を見てみると、灯油缶、ペットフードの袋・・・意外だったのは、雪平鍋みたいなものも

流れてきていました。

   

 

コースは、なまずの郷公園へ。なまずの郷公園は、147,000平方メートルの広大な敷地を持つ公園です。幅広い年齢層の住民が気軽に余暇を楽しむことができるように、子ども広場、芝生広場、

和風庭園、ゲートボール場、テニスコート、野球場などの諸設備が整っています。なまずの郷の名前のとおり、和風庭園の池には、20匹以上のなまずがいるとか。でも、なまずは夜行性のため、

その姿はなかなか見ることができません。薄暗い曇りや雨の日は、チャンスだそうです。

この地域では古くからなまずを大切にしてきたので、このように市の施設の名前にも登場しているわけです。(福津市HPより)

ホークスのキッズやジュニアのベースボールスクールもあるのですね。楽しみです。

  

福津市の「なまず」というと、大森宮です。福津市と縁の深い生物といえば、なまず。「なまずの郷」など公園名としても親しまれている「なまず」を祭っている神社が、ここ大森宮です。
 その昔、西郷出身の社職兼務の武将、興光(おきみつ)が、大内氏の命により京都で合戦の際、深手を負って、倒れてしまい、死のふちに着こうとしたとき、突然巨大ななまずが現れて、

興光の命を救った。という伝説から来ています。命拾いをした興光は、西郷の氏神、大森の神様に違いないと感謝し、以来、西郷ではなまずを神の使いとして大森宮に祭ったのです。

また「なまず禁食令」を出して、大切にしたといわれています。(福津市HPより)

  

コースは、再び県道に出てきます。次の休憩所は、福津市生産者直売所です。店の中を覗くと福津市内の農産物が販売されていました。時間もお昼近いので野菜類も売り切れていました。

 

 

11:45 JR福間駅にゴールしました。雨が心配でしたが、ウォーキング中降りませんでした。

今日のGPSです。ショートコースをしたため、距離は、8,4kmでした。

 


「ふくおかウォーキング協会」例会再開

2020-07-02 12:38:22 | ウォーキング

3月よりコロナ感染拡大防止で休止していた「ふくおかウォーキング協会」の例会が4か月ぶり7月1日より再開されました。

再開後の第1弾は、地下鉄姪浜駅~JR下山門駅~生の松原~3Rステーション~野方公園~地下鉄橋本駅までの約10kmコースです。

受付時には、手首の消毒、検温をし、ウォーキング時には、できるだけマスク使用、密にならぬよう間隔をとるよう指示されました。

参加者は約40名。4か月ぶりに会う会員さん。話を聞いてみると、休止期間中、山登りやイヤーランド、オルレコースを歩いたりして自主トレしていたそうです。

しかし、私を含めて若干の方がコロナ太りされていたようです。  

 

 

JR下山門駅が最初の休憩です。休憩後生の松原の中を歩きます。今日は、風もあり気温も26度ぐらいであまり暑くはありませんが、やはり木陰に入ると気持ちがいいですね。

 

歩いているとパン屋さんの面白い看板を見つけました。あとで調べてみると人気のあるパン屋さんだそうで朝6時から開店しているそうです。。

あいにく今日水曜日と木曜日は休日でパンをゲットすることができませんでした。今度近くを通ることがありましたら寄ってみたいです。

 

2回目の休憩は西陵公園(草場古墳群跡)です。公園内に説明文がありました。

叶岳が長垂山にのびる標高20~28mの丘陵尾根上に位置する草場古墳群は、方墳2基、円墳10基からなる古墳群である。昭和47年と48年、平成元年に発掘調査が実施された。
6世紀から7世紀にかけての古墳時代後期に造られた古墳群である。1号墳は、一辺が17mの方墳で横穴式石室をもっている。円墳で最も残りのよい3号墳は径約14mで、内部主体は長さ4.5mの

横穴式石室である。石室内から須恵器の他に武器の鉄刀、鉄鏃、装身具の切子玉、金環などが発見された。現在、1~4号墳が市指定史跡として保存されている。 (説明文より)

私、ここは知りませんでしたが、この近くに弥生時代の遺跡「吉武高木遺跡」「野方遺跡」などがあり、この地も早良王国の一角を占めていたのでしょうか???

 

休憩後再スタート。

 

コースは、西陵高校前を通ります。西陵高校の近くの池には、睡蓮の花が咲いていました。睡蓮と蓮の花をよく間違えますが、睡蓮と蓮の最大の違いは花を咲かせる位置にあります。

睡蓮は水面に花を咲かせるのに対して、蓮は水面よりも高い位置に花を咲かせるのです。このような植物は抽水植物と呼ばれ、水の底の土や泥に根を張って生息しています。

また、レンコンになるのが、蓮です。

  

  

コースは、野方~橋本に向かいます。ゴールの橋本駅まではもう少しです。

11:55 地下鉄橋本駅にゴールしました。

  

GPSですが、スタートボタンを押すのを忘れていて途中からになりました。