よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

楽しいウォーク「糸島歴史探訪(平原遺跡を訪ねて)」(福岡県糸島市前原)

2023-09-25 05:46:25 | ふくおかウォーキング協会

9/20(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「糸島歴史探訪」でした。

集合場所は、JR筑前前原駅。参加者29名。

コースは、筑前前原駅スタート~あごら~平原遺跡~伊都菜彩(仮ゴール)~波多江駅

9:30 スタート

 

 

ここで、次の休憩場所「あごら」にトイレ使用の許可をもらうため、皆より先に歩きます。かなり速いペースで。

「あごら」(糸島市社会福祉協議会)でトイレ休憩。「あごら」とは、都市の広場という意味だそうです・

 

休憩後再スタート。

 

 

平原(平原)遺跡へ

 

 

平原遺跡 - Wikipedia

 

平原遺跡の周辺には、コスモスが植えられていますが、開花はまだまだ先のようです。

 

平原遺跡から今日の仮ゴール「伊都菜彩(いとさいさい)」に向かいます。

 

11:18 伊都菜彩に仮ゴール。参加者の皆さんは、ここで買物をされていました。

伊都菜彩は、JA糸島の直売所。今年創立16年を迎えました。平日は約3000人、週末は約5000人、年間約2000万人が訪れます。

全国のJAファーマーズマーケットの中では、全国一です。昨年度は約40億円の売り上げを記録しました。

JA糸島産直市場 伊都菜彩|糸島の食|JA糸島 糸島農業協同組合 (ja-itoshima.or.jp)

 

※伊都菜彩から波多江駅まで約1,5km。今日のコース約9kmでした。

 

 

 


9月例会「赤米田んぼアート」観賞ウォークin福吉(福岡県糸島市二丈町)

2023-09-22 05:00:01 | ふくおかウォーキング協会

ふくおかウォーキング協会9月の例会は、【「赤米田んぼアート」観賞ウォークin福吉】でした。

本来、例会は月の第一週の土曜日に行いますが、稲の生育の為、2週間遅らせました。

福岡地区では、昨年まで西区今宿で「田んぼアート」が行われていましたが、諸々の事情で廃止になり、残っているのは、ここ「赤米の田んぼアート」だけになりました。

この日は、13時から「第33回二丈赤米観賞会」が行われるそうです。もう33年も続いているのですね。

 

集合場所は、JR福吉駅。10日ほど前に地元新聞の掲示板にこのウォークを載せましたら、14人の方が参加してくれました。

 

9:30スタート

 

白山宮の前を通過

 

まむしの湯

 

 

田んぼアートに着きました。展望台から見ますが、広くてとても1枚の写真に収めきれません。ドローンが要りますね。

 

 

 

米もイチ推し ブランド糸島」  ※下の写真は、ネットニュースから拝借しました。

 

田んぼアートから下りてきます。民家の前には、いろんなお花が咲いています。

 

 

福吉コミュニティセンターで休憩。休憩後山手に向かって歩きます。

 

 

白山神社へ。

 

福ふくの里で休憩後、福吉漁港に向かいます。

 

漁港も今、静かですが、10月末ごろからカキ小屋がオープンし、賑わいを見せます。

 

 

12:20 JR福吉駅にゴールしました。今日も暑かった・・・・・

今日のGPSです。

 

 

 


楽しいウォーク「新宮海岸と松林を歩く」(福岡県新宮町)

2023-09-20 05:43:28 | ふくおかウォーキング協会

9/13(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「新宮海岸と松林を歩く」でした。

この日は、地元新宮町から「「新宮町おもてなし協会」のメンバーが4名参加されました。

いただいた名刺には、「観光協会の業務である外に向けての活動と共に新宮町内の地域価値向上や新旧住民の交流促進なども目的とするため、新宮町観光協会ではなく

「新宮町おもてなし協会」と致しました。」と書かれています。名刺の最後には、「海あり・山あり・歴史ありの新宮町をお楽しみください」

特にウォーカーには、「九州オルレ新宮コース」でお世話になっています。

集合場所は、JR福工大前駅。参加者は40名。

 

9:30スタート。今日も暑く最高気温が34度と予想されています。

 

太閤水:天正15年(1587)九州を平定した豊臣秀吉が、大坂への帰路、ここで馬を休め、自ら清水を汲んで飲んだところです。

この水で顔を洗うと気持ちがいいです。秀吉もここで顔を洗ったのでしょうか?

 

新宮おもてなし協会の方は、皆さんお揃いのTシャツで参加です。

 

ここは、オルレ新宮コースの一部です。

 

新宮中央駅の中を通り海岸側の出入り口に出ます。

 

役場の横を通り、松林へ。

 

 

新宮神社:もともとは、上府(かみのふ)村、下府(しものふ)村の産土神でした。神社の運営などで意見が分かれたため、明治15年9月に分社し、現在の場所に移転し、

以来下府の氏神として信仰を集めています。

 

11:50 西鉄新宮駅にゴールしました。

 

今日は、理事会があるのでここからコミュニティバスに乗り、福工大前駅に戻りました。

 

 


サタデーウォーク「昔懐かしSL探索と遠賀川沿いを歩く」(福岡県直方市)

2023-09-17 14:39:20 | ふくおかウォーキング協会

9/9(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは、「昔懐かしSL探索と遠賀川沿いを歩く」でした。

集合場所は、JR直方駅。直方駅には、直方市出身の元大関「魁皇」(現浅香山親方)の銅像が建てられています。参加者は、32名。

 

直方市は、福岡県北部に位置する市で飯塚市・田川市と並んで筑豊三都に挙げられます。古くは、真言宗「東蓮寺」があったので東蓮寺とも呼ばれましたが、室町期に兵火で、寺は

焼失しました。懐良親王が城を築いて少弐氏と戦ったため、「皇方(のうがた)」と呼ばれるようになりました。

江戸期、筑前国に属し、長崎街道沿いに城下町が形成されました(東蓮寺藩)。明治に入り石炭産業で栄えました。直方は、筑豊地方の石炭の集積地と問屋的な機能の役割を

果たしていました。現在人口は、約55、000人。(wikipediaより抜粋)

 

今日のコースは、直方駅スタート~アグリ福智の郷~汽車倶楽部~もち吉~勘六橋~商店街~直方駅ゴールの約10kmです。

9:30スタート。この日は、子供さん連れの方も参加されていました。

 

 

商店街を通り、日ノ出橋へ。

 

youmeマートでトイレ休憩。

 

休憩後再スタート。

 

アグリー福智の郷に立ち寄り、汽車倶楽部へ。

汽車倶楽部は、石炭などを運んだSLを産業遺産と位置づけ修復や保存に取り組んでいます。

格納庫には、SL9600形59647号機が保存されています。残念ながら、非公開です。

 

  

汽車倶楽部から再スタート

 

もち吉で休憩。

  

もち吉から遠賀川にかかる「勘六橋」を渡ります。この橋、三代目だそうです。

 

市街地に入ります。直方市は、旧長崎街道にありましたのでまだ古い建物が残っています。

 

 

  

12:08 直方駅にゴールしました。直方といえば、「成金饅頭」です。成金饅頭とは、どら焼きに似たモチモチとした生地に、白いうずら餡を挟んだ福岡県直方市 (のおがた)の銘菓。

日露戦争のさなか、石炭景気に沸く直方で大量のうずら豆を買い付けた青年がいざ豆を売る前に戦争が終わってしまい、切羽詰まって作った饅頭が大ヒットしたことが成金饅頭のはじまりと

言われています。最盛期(1950年代)に10軒ほどの店で作られていたが、炭鉱の衰退とともに4軒まで減少しました。

私が子供の頃は、直径が30cmぐらいありましたが、現在は9cmの饅頭が主力だそうです。

 

今日のGPSです。

 

 

 

 

 


優しいウォーク「木陰と潮風の“松の小径”を歩く(福岡県古賀市~福津市)

2023-09-15 16:17:54 | ふくおかウォーキング協会

9/7(木)ふくおかウォーキング協会やさしいウォークは、「木陰と潮風の“松の小径”を歩く」でした。

集合場所はJR千鳥駅、参加者は23名でした。

9月に入って福岡地方は、朝夕幾分か過ごしやすくなりましたが、日中は連日30度越で暑いです。

こんな時のウォーキングは、松の木陰を歩くのが最高ですね。

今日のコースは、千鳥駅スタート~松の小径~花見海岸~福間海浜公園~西郷川沿い~福間駅ゴールの約7kmです。(優しいウォークは、ウォーキング初心者向けのウォーキングです)

 

9:30 千鳥駅スタート。10分ほど歩くと松の小径に入ります。

 

木漏れ日を浴びながらのウォーキングです。途中、松林の中に福津市・古賀市の境界があります。

 

一度海岸線に出ます。

 

再び松林へ

 

福間海浜公園から餡子専門店を通ります。

 

 

11:00 福間駅にゴールしました。

 

 

 


楽しいウォーク「博多港ウォーターフロント」(福岡市博多区)

2023-09-11 08:01:01 | ふくおかウォーキング協会

はじめに

私のブログの訪問者が、8月末で300万人突破しました。思い返せば、14年前、日記代わりに「ブログ」というものを初めて書きました。

こんな私の拙いブログに300万人の方がお越し下さり有難うございました。厚くお礼申し上げます。

 

9/6(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「博多港ウォーターフロント」でした。

このコース、来年2月、福岡県ウォーキング協会主催の「元気!スマイルウォーク」のコースになっています。

この日は、下見の下見ということで歩いてみました。

集合場所は、冷泉公園。参加者35名。

 

9:30スタート

 

博多座の前を通過。博多座では、市川團十郎親子の公演が行われています。

 

博多リバレインから博多港に向かいます。

 

 

博多ふ頭には、大型のクルーズ船が停泊していました。中国からの観光客かな? このクルーズ船、翌日朝には出港していました。

 

櫛田神社浜宮は、現在工事中でした。博多祇園山笠の「棒あらい」の神事には、ここ浜宮で行われます。

博多タワー(正式には博多ポートタワー)は、東京タワー、名古屋テレビ塔、2代目通天閣などを手掛けた「内藤多仲」がタワー六兄弟の一つで最後に完成したため(1964年)

タワー六兄弟の末っ子と呼ばれています。開所当時は「博多パラダイス」という娯楽施設でした。

 

 

博多ふ頭から蔵本町、呉服町に向かいます。

 

浜口公園で休憩。

 

浜口公園の隣には、「万四郎神社」があります。

江戸初期の貿易家・伊藤小左衛門の子である小四郎と万之助の霊を祀ると伝えられ、子供の息災の神として崇敬されています。小左衛門は朝鮮への武器輸出が発覚し、寛文7年(1667)

長崎西坂で処刑され、その家族も連座して処刑されました。人々は幼い子供の死を悼み祀ったという。しかしながら、藩主の信任の厚かった伊藤家への配慮か、母子3人は助命されたという

言い伝えもあります。

 

11:00 冷泉公園にゴール。今日のコースは、短いコースでしたが、本番には、もう少し枝葉をつけての大会になります。

 

 

 

 


大阿蘇元気ウォーク1日目20kmコース(熊本県阿蘇市)

2023-09-06 19:27:17 | ウォーキング

9/2(土)は、熊本県阿蘇市で行われる「第11回大阿蘇元気ウォーク」に参加しました。

この大会コロナで中止になっており、4年ぶりの再開です。

朝4時に福岡の自宅を車で出発し、途中何回か休憩し会場の阿蘇神社駐車場に着いたのは、7時半でした。

 

今年5月から地元の協会の役員をしていて慣れるまで遠征ができない状態が続きましたが、やっと遠征ができるようになりました。

ただ、ほとんど10km程度のウォーキングでしたので20kmを歩けるかどうか不安です。

佐藤阿蘇市長の歓迎の“歌”で出発式が始まり、8:30 20kmコーススタート。

今日は、曇り空で気温も30度を切っているのか、歩きやすいコンディションです。

 

八代ウォーキング協会のMさんは、今日、20kコースのアンカーを務めるそうです。

 

 

 

 

 

振り返ると阿蘇五岳が見えています。ここから見ると「涅槃像」に似ていますね。

「阿蘇山」という山は存在せず、阿蘇五岳(杵島岳、烏帽子岳、中岳、高岳、根子岳)と外輪山を総称した名前となります。

 

 

国造神社に到着。国造神社は、熊本で古い神社の一つで、阿蘇神社の北に位置する為 「北宮」とも呼ばれる。 祭神は阿蘇の開拓神健磐龍命の第1子である速瓶玉命のほか、

雨宮媛命、高橋神、火宮神の 4神である。 速瓶玉命は父の健磐龍命とともに阿蘇の開拓につくしたといわれ、牛馬を育て、田畑に水を引き農業を起こしたと伝えられている。

このような理由から農業の神様、 五穀豊穣の神様としての信仰が厚い。境内にはこの他、大鯰の霊を祀った 「鯰宮」、「手野の大杉」、「白蛇の桧」 などがある。

 

国造神社の所が1回目のチェックポイント。ここでは、きゅうりの塩漬けや、冷やしトマトなどが振舞われました。

トマトを丸かじりするのは何年ぶりだろう? このトマト、形は悪いが、本当においしいです。

 

手野の大杉は、ここ国造神社の主祭神 速瓶玉命のお手植えの神杉として伝えられ、県下でも最大級の巨木であった。昔は「手野の神杉」「手野の二本杉(夫婦杉)」といい、2本あったというが、男杉は文政年間(1818~30)に雷火により伐採され、この女杉だけが残っていた。現在、男杉の株痕横に天保2年(1831)に植えられたという杉がある。これは男杉の古株から生じたヒコバエを植えたものといわれ。「神杉 天保二年 御郡御目附中村荘右衛門 植之」と刻んである植杉碑が建てられている。また、伐採された男杉は香りが高く、その一部を御笏の材料として仁考天皇に献上したところ、おほめの言葉を頂いたとも伝えられている。
平成3年の台風19号により地上約11m付近から主幹が折損した。そのため保存を第一として土壌改良など懸命な養生作業を行ったがやむなく枯死してしまった。残念ながら国の指定は解除となったが、地元にて「手野の大杉 保存事業期成会」を立ち上げ、折れ残った地上2.5mから7mを切断し、上屋をかけ平成14年に現在の姿となった。元国指定にふさわしく堂々とした貫禄の杉で、神の鎮まる神域を感じさせる。

国造り神社の方には、幹の部分が置かれてある。

 

下御倉古墳   国造神社南西、上御倉古墳の南東20mほどにある墳丘直径30m・高さ4.5mの円墳です。隣にある上御倉古墳と同様の複室構造で、奥行8.7mの横穴式石室を持ちますが、残念ながら石室は土砂に埋もれてしまっています。被葬者は速瓶玉命(はやみかたまのみこと)の妃、雨宮媛命(あまみやひめのみこと)との伝承があります。

 

 

草泊り  昔の人たちは、離れた場所の農作業や放牧をする期間、この草泊りを作り寝泊りしていたそうです。

 

 

 

田園地帯を歩く。春牧中学校跡は、昭和23年(1948)発足、昭和47年(1971)人口減少により廃校となりました。

  

JA小野田選果場がエイドステーション。横には湧水があり、手を入れると冷たく気持ちがいいです。

 

町の至る所に湧水があります。

 

 

約15km地点の「道の駅阿蘇」が2回目のチェックポイント。

 

阿蘇の牛乳が出されたが、牛乳が苦手の私は、道の駅に行ってソフトクリームを買ってきました。

 

阿蘇駅前の信号を直進します。

 

民家の庭には、珍しい花が咲いていました。

 

萩の花ももう咲いています。

 

旧黒川村には、詩人蔵原伸二郎の生誕地がありました。(現在も蔵原さんがお住まいでした)伸二郎の母親は、医学者北里柴三郎の妹さんです。

蔵原伸二郎は、本名を惟賢と言い、明治32年旧黒川村西町に生まれた。7歳の時熊本市へ移り、大正7年上京、美術を志したが、父の反対で慶応大学に入学した。在学中から詩や小説を書き同人誌などで活躍しました。
 詩集「東洋の満月」や「暦日の鬼」などがあるが、昭和39年に出版した「岩魚」で読売文学賞を受賞しました。
 40年3月埼玉県飯能市で死去、65歳だった。飯能市には市の観光協会の手で大きな詩碑が建てられています。
 西町の生家跡に残っている詩碑は、昭和59年7七月、阿蘇郷土の会(会長永田珠一)によって建てられました。

故郷の山
わが故郷は荒涼たるかな累々として火山岩のみ黒く光り高原の陽は肌寒くして山間の小駅に人影もなし祖先の墓に参らんとひとり風はやき荒野をゆくこれぞこれわが誕生の黒川村か重なり重なり波うち怒れる丘陵ああ黒一點鳥の低く飛び去るあたり噴煙たかく大阿蘇山は神さびにけり

 

阿蘇神社の鳥居が見えてきました。阿蘇神社の楼門も地震で被害を受けていましたが、工事も終盤に入っているようです。

 

13:00 阿蘇神社駐車場にゴールしました。

  

ゴールすると冷やしトマト、かき氷のサービスがありました。曇り空でしたけどしっかり汗をかきました。

今日のGPSです。

 

 

 


楽しいウォーク「今津地区を巡り九大新町(いとLab+)へ

2023-09-01 15:07:43 | ふくおかウォーキング協会

8/30(水)ふくおかウォーキング協会の8月最後の楽しいウォークは、「今津地区を巡り九大新町(いとLab+)へ」でした。

今日も気温が35度越えの予想ですので参加予定者が何人かキャンセルされています。

集合場所は、JR筑肥線今宿駅。参加者は23名。

今日のコースは、今宿駅スタート~今津元寇防塁~今津運動公園~九大新町(いとLab+)ゴールの約10km。

いとLab+」は、九州大学伊都キャンパス近くに今年4月にオープンした研究施設と商業施設、住宅施設のコラボタウンです。

九大伊都キャンパスに近い立地を活かし、九州大学を中心とした周辺の各研究開発施設と産学連携により新産業・新事業の創出を目指して作られた新しい街です。

「蔦屋書店」を始めとする商業施設や飲食店が入った商業・店舗棟、それに住戸施設が研究開発棟を中心にグランドデザインされました。

9:30 今宿駅スタート

 

今津橋の手前からが「今津」です。

 

 

玄海自転車道休憩所で休憩。

このあたりは「今津干潟」といって「カブトガニ」の生息所です。

  

休憩後再スタート。民家の庭には、大きなハイビスカス(和名仏桑華)が咲いていました。直径15cmぐらいです。

 

元寇防塁へ

 

元寇防塁は、文永11年(1274)蒙古の襲来を受けた鎌倉幕府は、建治2年(1276)博多湾の海岸線に石築地を築いて再度の来襲に備えることにした。これを元寇防塁と呼ぶ。

今津地区の元寇防塁は、西の柑子岳(こうしだけ)山麓から毘沙門山山麓までの海岸砂丘上に、約3km続きます。大正2年(1913)にこのうちの2か所が、昭和43年(1968)に

本格的な発掘調査が行われました。防塁は、砂丘の海に向かった傾斜面に、高さ3m、上の幅2m、下の幅3mの台形状に石を積み、内部の隙間には砂を入れた構造でした。

構築に際しては、粘土は一切使用されていません。防塁の石材は、西側が柑子岳に産する花崗岩、東側が毘沙門山に産する玄武岩が多く、中央部は玄武岩と花崗岩が交互に連続して

続いています。今津地区の防塁築造を担当した日向国、大隅国の違い、また二つの国内での所領(領地の広さ)に応じて築いた工事区間の長さを反映しています。

現在、松林の中に約200mが復元整備されています。

尚、元寇の「寇」とは、国外から侵攻してくる敵、群れをなしている盗賊という意味です。

 

 

元寇防塁から今津運動公園へ向かいます。今津運動公園で約15分の休憩をとります。

 

休憩後、今津運動公園から田んぼの中の道を通りいとLAB+に向かいます。

 

  

12:00 いとLab+にゴールしました。

 

 

今日は、暑くて熱中症が心配されましたが、何事もなく無事ゴールできました。

然し、この暑さ、いつまで続くのでしょうか???