よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2017年10月オールジャパンカップ達成。





第19回いわて花巻イーハートーブの里ツーデーマーチ2日目20km花巻温泉郷コース

2016-08-29 05:43:08 | オールジャパンウオーキングカップ

イーハートーブの里ツーデーマーチ2日目は、30km 「光太郎と賢治出会いのコース」、20km 「花巻温泉郷コース」、11km 「イーハートーブの里・賢治の道コース」、5km 「日居城野運動公園コース」です。

私達は、20kmの「花巻温泉郷コース」に参加しました。

20kmコースは、最初「釜淵の滝」がコースに組まれていましたが、熊が出没したとの連絡があり、急きょ他のコースが組み入れられました。

7:40 30kと20kの合同出発式の後、30kに続いてスタートします。

  

今日も花巻駅東口地下道を通ります。

  

花巻市内には、たくさんのお花が咲いています。市民の皆様がお花を愛されているからでしょうね。歩いていて和みます。有難うございます。

コースは、田園地帯を歩きます。田んぼでは稲穂が頭を垂れています。もうすぐ収穫ですね。

  

花巻市体育館に来ました。体育館には、今年の国体のポスターが貼られていました。今年の海上は、「岩手県」です。

     

ここから「北上・花巻温泉自転車道」を通ります。

この自転車道は、大正14年に創業した「花巻電鉄」という軽便鉄道の花巻温泉線跡地です。

駅は、花巻温泉 → 松山寺 → 北金谷 → 瀬川 → 花巻グランド → 花巻駅 の6つでした。

昭和47年(1972)の廃線により自転車道として生まれ変わりました。

  

かつての駅「松山寺前」は、このあたりでしょうか?

この駅があった所に昔の駅名をいれた看板でも建てられたらどうでしょうか?

  

花巻温泉郷が見えてきました。

   

「花巻温泉」は、大正11年(1922)、台温泉からお湯を引いて造られた温泉街には、桜並木や松並木、バラ園などがあり、東北随一の温泉リゾートとして全国に名を馳せています。(大会誌より)

本当は、ここから「釜淵の滝」に行くコースでしたが、先日クマ出没情報があり、コースが変更になりました。

釜淵の滝の写真を花巻観光協会のHPから引用させてもらいました。

花巻温泉を流れる台川にある滝です。高さ8.5m、幅30mの大きな岩の上を清流が幾筋にも分かれ、滝壺に落ちていくさまは爽快です。

名前の由来は、滝つぼから釜の形をしているから等さまざまです。

釜淵の滝周辺の森林は1周20分ほどの遊歩道になっており、木漏れ日のなかを歩ける手ごろな散策コースです。 次回は是非コースに入れてほしいな~

コースは、花巻温泉から折り返して花巻広域公園の方に向かいます。

  

今日は、雨の心配はしなくていいですが、台風9号の影響か、かなり蒸し暑いです。水分を補給するのですが、すぐ汗に変わりますので、また補給するという循環を繰り返しています。

コンビニもないし・・・・・・・・ 歩いていたら老人施設に自販機がありましたので、清涼飲料水を買い一気飲みします。

12,2km地点の花巻広域公園が最初のチェックポイントです。

花巻広域公園は、広々とした敷地の中に9ホールあるゴルフ場を始め、テニスコート、円形広場、池、展望台等が整備されています。(大会誌より)

  

少し休憩して歩き出すと、公園の関係者のかたでしょうか、手作りのおもちゃをお孫さんにどうぞとくれました。

イヤイヤ、こんなに面白い物だったら私の手遊びにしますと言ってお礼を言って別れました。

  

また田園地帯を歩きます。遠くには、山が見えますが、あれを越えたら秋田県だそうです。

自転車道に咲いていた大きな花弁の芙蓉の花は、地元の人が改良してあの大きな芙蓉になったそうです。芙蓉もハイビスカスの仲間、朝開いたら夕方には萎みます。

 

 

18,8km地点の日居城野(ひじょうの)公園が2回目のチェックポイントです。

市内西北の端に位置した野球場、陸上競技場、テニス場などがある運動公園。中央を花巻温泉~北上・展勝地までのサイクリイングロードが通っています。

元々ゴルフ場だった場所なので芝生広場、多目的球場などもありました。

ここでは、豚汁の接待がありました。

  

先を歩くと、「花巻東高校」が見えてきました。ご存じのとおり、西武・菊池雄星投手、二刀流の日本ハム大谷翔平選手の母校です。

菊池投手は、盛岡市の出身、大谷選手は、奥州市の出身です。大谷選手は、指を怪我して現在、投手の方は、休養中ですが、DHとして打者専任中です。

彼がDHとしてスタメンに入ってから日ハムは凄い勢いで我がホークスを追いかけています。

ホークスは、この大谷選手に相性が悪いのか、どの投手も彼を苦手にしています。ホークス戦にはホントよく打ちます。

投手も打者としても非凡な所を持っているのですね。ホークス愛に燃える私は、校門に向かって「どうか、ホークス戦にだけは、打たないで!」と祈りました。

学校の神様、どうか願いを聞いてくださいね。

  

花巻東高校を出ると、あと2kmの標示がありました。

  

12:45 2日目20kmコースゴールです!

  

これでオールジャパン40県目クリアしました。達成まであと7県。

来月は、日光、10月は、氷見、12月名護を予定していますので来年度には達成しそうです。

今日20km花巻温泉コースのGPS

 

ゴールしてから花巻温泉に向かいました。この時間でしたら、お風呂は貸切みたいです。疲れがとれました。

  

 

 

 

 

 

 

 

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イーハートーブ花火大会(花巻市)

2016-08-28 11:57:44 | 日記

 イーハートーブの里ツーデーウオーク1日目ゴールの後、16:00から行われる「ウオーカーの集い」に参加しました。

 

  

各リーグの表彰の後、お楽しみ抽選会がありました。

私達夫婦は、抽選に弱いので当たるのを諦めていましたが、2番目に私が「花巻のお菓子」が当たりました。 

抽選会も最後の方になると、今度は、家内が手作りの「ブリキの塵取り」が当たりました。

当たったのは、嬉しいのですが、さて、これをどうやって九州・博多まで持って帰るか悩みます。

結局、花巻の地酒が当たった方が交換してくれるということで悩みが解消しました。 

 

  

18:00からバスで北上川の花火会場へ移動します。私達ウオーカーの為に観覧席も設けてもらっています。

「イーハトーブフォーラム」の中で開催される花火大会「光と音のページェント」は、北上川から打ち上げられた花火が夜空を彩り、音楽とレーザービームが混ざり合い幻想的な夜を演出します。

音楽と共演するスターマインは、宮沢賢治が夢見た理想郷「イーハートーブ」の世界を作り上げます。

童話の中で語られている優しい世界を描く花火大会は、宮沢賢治が好きな方には一見の価値ありです。

    

19:30 花火大会の開始です。レーザー光線、音楽、花火のコラボです。今日は7000発の花火が打ち上げられるそうです。

  

ここからは、携帯で撮りました。最近の携帯は進化しています。花火もきれいに撮れるようになっています。

  

 

  

20:45に終了しましたが、光と音と花火のコラボは初めての経験でした。大満足です。スタッフの皆様有難うございました。

スタッフの方にお話を伺いますと、約3万人の方が見学に来られたそうです。

 

 尚、この花火大会のプロローグの部分を下記「YOUTUBU」に投稿しました。コピーして貼り付けてご覧ください。

 https://youtu.be/3ukrduxqLrY

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第19回いわて花巻イーハートーブの里ツーデーマーチ1日目20km賢治文学散歩の道コース

2016-08-27 15:06:11 | オールジャパンウオーキングカップ

8/20(土)岩手県花巻市で行われた「第19回いわて花巻イーハートーブの里ツーデーマーチ」に参加しました。

「イーハートーブ」というのは、一説によると、「岩手県」をエスペラント語で発音すると、イーハートーブになります。

宮澤賢治の造語で、賢治の心象世界中にある理想郷を指す言葉です。賢治は、岩手県を理想郷としたものと考えられます。

……………………………………………………………………………………………………………・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1日目のコースは、40km「東和・大迫・石鳥谷ぐるっとコース」、20km「賢治文学散歩の道コース」、10km「花巻の水辺と新渡戸ロードを歩こうコース」、5km「イギリス海岸を歩こうコース」です。

私達夫婦は、20kmの賢治文学散歩の道コースをエントリーしました。

「花巻」という地名の由来は、いわての文化情報大事典によると、

中世は「鳥谷ヶ崎(とりやがさき)と呼ばれていた。

1、「花の牧」という名馬を産する牧場があったことから

2、北上川が水深く渦を成し、春には花弁が水上に浮かんで美しい風景を見せたことから

3、アイヌ語「バナ」で川下に開けた土地

4、「端(ハナ)牧」の意味で、川が合流する三角州の牧のこと          以上のことがあげられるそうです。

会場は、花巻駅そばの「なはんプラザ」。宿泊したホテルの横ですので会場まで徒歩1分の距離です。

天気予報は、曇りで一時にわか雨で台風のせいでしょうか、非常に蒸し暑いです。

  

午前9時、小学生の「激」でスタートしました。

  

スタートしてから花巻駅を過ぎ地下道を通って駅の東口に行きます。ここには、大正4年に創業した「花巻軽便鉄道」の電車が展示されています。

  

しばらく行くと、左側に「賢治ゆかりの梨の木」があります。賢治が農学校教師時代に植えられたもので現在2本残っています。

10月の中旬には、収穫祭が行われるそうです。

花巻は、地名のごとく市内の道路脇にたくさんの花が植えられています。因みに市の花は、ハヤチネウスユキソウ、市の木は、コブシです。

  

文化会館の前には、賢治が教師を務めた「花巻農学校跡」があります。

 

  

賢治の菩提寺は「身照寺」です。寺の裏手に賢治のお墓があるそうです。

「鼬弊(いたちべい)稲荷神社」があります。鼬幣とは、何かと調べましたら地名だそうです。難しい地名ですね。

  

歩いていると「賢治母イチの実家」の看板を目にしました。賢治はこの母親の実家で生まれていました。

その時産湯に使った井戸が今でも残っています。賢治の両親は、宮沢家同士で結婚しています。

  

上町商店街に入りました。この商店街には、賢治の絵が歩道のインターロッキングに埋められています。

 

商店街の中心地には「賢治の広場」がありました。

  

賢治の生家です。現在人が住んでおられますので外から写真を撮らせていただきました。

  

同心家屋」という所に来ました。ここでは、給水、お漬物のサービスがありました。

「同心家屋」とは、天正19年(1591)九戸の乱の時、鳥谷ヶ崎城の守護にあたった一族の浅野重吉は配下の一隊30人を残して引き揚げ、花巻同心組となり、城内二の丸馬場口御門の下馬場に

住居を与えられて住みました。延宝8年(1680)御同心三十人は、向小路の延長100間の東側に15軒、西側に15軒に移り住み、これが現在保存されている同心家屋です。

今の所在地は、保存の為昭和55年3月に移築したものです。(大会誌より)

  

このあたりには、賢治の詩碑がたくさん建っています。

  

  

有名な「下ノ畑」の詩碑です。

  

北上川を歩く頃から、雨が降ってきました。あわてて傘を出しさして歩きます。

河川敷では、今晩行われる「イーハートーブ花火大会」の準備が行われていました。このウオーキング大会参加者には、桟敷席が用意されていますので今から楽しみです。

雨が早く上がらないかな~

  

北上川」というと、私が小学生の頃流行った「北上夜曲」があります。歌っていたのは、マヒナスターズと多摩幸子さんという綺麗な方でした。

                                匂い優しい 白百合の

                                         濡れているよな あの瞳

                                         想いだすのは 想いだすのは

                                         北上河原の 月の夜

この「北上夜曲」の歌碑は、北上市に建っているそうです。

  

又、雨が降ってきました。今度は大降りです。すぐ、ディスカウントショップの店の前に行き、雨宿りします。

  

花巻新渡戸記念館というのがあります。

「願はくはわれ太平洋の橋とならん」の信念のもと、国際人として活躍した新渡戸稲造。(5千円札の肖像)。彼は盛岡が生誕地ですが、彼の先祖は1598年(慶長3年)から約230年間、

花巻の地に居住し、花巻城士の文武両道にわたる指導にあたるとともに、新田開発に情熱を傾けた一族でした。

新渡戸稲造の祖父、傳(つとう)は、1855年(安政2年)、不毛の地だった三本木原への上水開削に着手し、父(十次郎)、兄(七郎)と三代にわたって、現在の十和田市発展の基礎を築きました。

雨はすっかり上がりましたが、非常に蒸し暑くなりました。もうシャツはビショビショです。

イーハートーブ館にやってきました。ここが2回目のチェックポイントです。豚汁のおもてなしがあります。

  

ここから宮沢賢治記念館にいけますが、「熊目撃情報」の看板を見ると足が竦みます。

  

  

釜石線新花巻駅の踏切を渡った所にもコンビニがありました。暑いのでここでガリガリ君を買いました。

  

ここから田園地帯を歩きます。田んぼの稲は頭を垂れ始めています。来月には稲刈りが始まるのかな?

詩の森公園が最後の給水所です。ゴールまであと3kmぐらい。近くには「イギリス海岸」があります。

イギリス海岸は、瀬川と北上川が合流する地点の西岸にあります。白い泥岩層が川に沿って露出しているこのエリアを、宮沢賢治はドーバー海峡の白亜の壁を連想して

「イギリスあたりの白亜の海岸を歩いているような気がする」といって「イギリス海岸」と名付けました。平成18年7月28日付で、国指定名勝「イーハトーブ風景地」の一つに指定されています。

ここ十数年は、河川管理が進んだために、川の水位が下がった時にしか泥岩層が見られなくなりました。

  

あと2kmになりました。

  

コースは花巻城跡、イトーヨーカ堂を通り、新渡戸稲造父祖の菩提寺「雄山寺」へ。

  

雄山寺は、慶長3年(1598)に花巻郡代(花巻城の城代)であった北松斎が四男愛邦の死を悼み建立した寺院です。慶長18年(1613)に北松斎が92歳で死去すると雄山寺の境内に葬られ菩提寺となり、

法名「萬猷院殿節叟忠公大居士」が与えられています。享保3年(1718)には後裔である北可継によって石堂が建立され供養が行われ、さらに、宝暦12年(1762)の松斎150回忌には

北筋継により寺領15石が寄進され、文化9年(1812)の200回忌には堂宇の修復が行われ松斎の墓碑が建立されています。その為、様々な北家縁の遺品が寺宝として伝えられ、

特に甲冑(岩手県指定文化財)は北松斎の愛用のものとされ、華美に飾った戦国武将のものとは異なり質実剛健の実用的なものとされ「三社の甲冑」と呼ばれ、天照皇大神宮、八幡大菩薩、

春日大明神の文字が象嵌されています。三つ葵の紋付の羽織は北松斎が2代将軍徳川秀忠から拝領したと伝わるもので、北松斎が74歳の時書写した「太平記」や古文書類も

花巻市指定文化財に指定されています。又、新渡戸稲造を輩出した新渡戸家の菩提寺でもあり、祖父で花巻地方兵学の塾祖として知られる新渡戸維民の墓碑が建立されています。

「雷神」と呼ばれて獣のミイラがある事でも知られ、猫の姿をしているものの、手足が偉容に長く信仰の対象となっています。(花巻市観光・歴史・見所より)

  

花巻駅に戻ってきました。ゴールはすぐそこです。

14:02 ゴール!「雨ニモマケズ、夏ノアツサニモマケズ」無事ゴールしました。

  

今日の20kmのGPSです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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世界遺産「毛越寺(もうつうじ)」(岩手県平泉町)~ 盛岡冷麺

2016-08-26 11:31:08 | 旅行

中尊寺からバスで約10分で平泉駅。ここから徒歩で10分で「毛越寺(もうつうじ)」に着きました。

この毛越寺も世界遺産「平泉ー仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺産群ー」の中に含まれています。

  

毛越寺は慈覚大師円仁が開山し、藤原氏二代基衡(もとひら)から三代秀衡(ひでひら)の時代に多くの伽藍が造営されました。往時には堂塔40僧坊500を数え、

中尊寺をしのぐほどの規模と華麗さであったといわれています。奥州藤原氏滅亡後、度重なる災禍に遭いすべての建物が焼失したが、現在大泉が池を中心とする浄土庭園と平安時代の伽藍遺構が

ほぼ完全な状態で保存されており、国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けています。平成元年、平安様式の新本堂が建立されました。

2011年6月、「平泉ー仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺産群ー」として世界遺産に登録されました。

拝観料(500円)を払い、境内へ。

広大な境内には、かつて金堂円隆寺を始め、嘉祥寺・講堂・常行堂・経楼・南大門などの堂舎が並び、その前庭には大泉が池を中心とする浄土庭園が配されていました。

  

  

本堂で御参りし、浄土庭園の廻りを歩いてみます。

【築山】

洲浜と出島の対応の位置にあり、海岸に迫る岩山を表現しています。

【開山堂】

毛越寺開山慈覚大師をお祀りするお堂で他に両界大日如来像、藤原三代の画像を安置しています。

   

【嘉祥寺跡】

二代基衡公が工を始め、三代秀衡公が完成させた御堂で、本尊は、薬師如来でした。基壇は亀腹式の土壇です。嘉勝寺ともいいます。

【講堂跡】

仏法を説き仏法を聞く堂舎。内陣の仏壇の下部は厚い粘土層で造られています。

 

【金堂円隆寺跡】

二代基衡が万宝を尽くして建立した勅願寺で、本尊は、雲慶作の丈六の薬師如来であった。毛越寺の中心的伽藍で、東西に廊が出て南に折れ、その先端には、鐘楼、経楼があった。

基壇は石造り壇上積です。

 

【鑓水】

山水を池に取り入れるための水路ですが、谷川を流れ下り更に蛇行しながらゆったりと平野を流れる川の姿を表現しています。水底には玉石を敷き詰め、流れに水切り、水越し、横石などの石を

配していて、「作庭記」に記されているこれらの技法を目のあたりにできる貴重な遺産です。

ここで曲水(ごくすい)の宴が行われます。九州の太宰府天満宮でも曲水の宴が行われますが、これは、曲水(きょくすい)の宴と呼んでいます。同じ宴でも呼び方が少し違うのですね。

  

池の畔では、「萩の花」が咲き始めていました。9月中旬には、毛越寺で「萩祭り」が行われるそうです。まだまだ暑い日が続いていますが、季節は刻々と秋に向かっているのですね。

   

【常行堂】

現常行堂は、享保17年(1732)に再建された建物で、本尊は、宝冠阿弥陀如来、脇士は、四菩薩、奥殿に摩多羅神をまつる。祭礼は正月二十日で古式の法要の後「延年の舞」が神仏に奉納されます。

  

  

【常行堂・法華堂跡】

常行三昧・法華三昧という天台宗の修行の道場です。平安時代創建の建物は、慶長2年(1597)に焼失しました。

  

  

【洲浜】

海岸の砂洲を表現しており、柔らかい曲線で入江を形作っている。荒々しい出島・池中立石と対照させた景趣です。

  

時刻は、5時に近づきました。この毛越寺の拝観時間は5時までですので少し急ぎ足で廻ります。

毛越寺には、「白鹿伝説」があります。寺伝によると嘉祥3年(850)慈覚大師(じかくだいし)が東北巡遊の折、この地にさしかかると一面霧に覆われ、一歩も前に進めなくなりました。

ふと足元を見ると地面に白鹿の毛が点々と落ちているので、大師は不思議に思いその毛を辿ってゆくと、前方に白鹿がうずくまっていました。大師が近づくと白鹿の姿は霧のなかへ消え、

やがてどこからともなく一人の白髪の老人が現れ、「この地は霊地であるから堂宇を建立するなら仏法が広まるであろう」と告げました。

大師は、この老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立し嘉祥寺(かしょうじ)と名付けました。これは毛越寺の開山にまつわる話です。

毛越寺事務所で御朱印を受け取り、盛岡駅に行くためJR平泉駅に向かいました。

  

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【盛岡冷麺】

歩友東京のMさんから教えていただいた「盛岡冷麺」。

食べたなり、平泉から東北本線に乗って「盛岡」に行ってきました。平泉から盛岡までは、約80分かかり、着くと、もう暗くなっていました。

  

お目当ての「ぴょんぴょん舎」は、駅から歩いて5分ぐらいの所にありました。大きなお店で4階位までがお店になっています。

冷麺だけでよかったのですが、明日(20日)から花巻イーハートーブ2DMに参加しますので体力をつけておこうと、焼肉セットを注文。

  

  

お酒は、岩手の地酒「浜千鳥」。キムチも別に注文。

   

焼肉が終ると待望の「盛岡冷麺」が出てきました。

 私自身、韓国釜山には、過去何度も旅しており、その都度、韓国の冷麺を食べていました。

この盛岡冷麺は、韓国冷麺とまったく変わらない味でどんどんお腹の中に入って行きます。何か、韓国で食べているみたいです。

今、夏だから果物はスイカでしょうが、秋になると韓国同様「梨」になるのでしょうね。

以前、福岡のラジオで盛岡冷麺を紹介していたとき、韓国と岩手は緯度が同じということを放送されていましたが、調べてみると、北朝鮮・平壌と岩手・八幡平は、同じ北緯40度です。

この「盛岡冷麺」を作られた青木氏も平壌の出身だそうです。繋がっているのですね。

因みに覚えやすい「ぴょんぴょん舎」の店名は、オーナー「邉 (ピョン)」さんのお名前から付けられたそうです。平壌とも関係があるのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

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みちのく「岩手」へ【世界遺産中尊寺】

2016-08-24 19:00:51 | 旅行

8/19(金)

8/20からの「いわて花巻イーハートーブの里ツーデーマーチ」参加の為、福岡空港より飛行機でみちのく岩手へ飛び立ちました。

福岡から岩手には、JALの一日一便の直行便がありますが、人気があるのか、すぐ満席になってしまいますので、比較的本数の多い仙台空港経由して東北新幹線で岩手に入りました。

福島、岩手、宮城、青森は、「みちのく」という言葉で表現されますが、この「みちのく」とは、

古代には,〈みちのく(道の奥)〉と呼ばれ,政治や文化の中心からは僻遠の地であった。大化改新以後,日本海側に出羽国,太平洋側に陸奥国がつくられ,東山道に属した。

この〈道奥国〉は676年(天武5)以前の某時点で〈陸奥国〉と表記法が変わり,その後変わることなく現在に至っているが,読み方の方には若干の変化を生じた。

8,9世紀を通じて正式の呼称〈みちのおくのくに〉とならんで,その約称〈みちのくのくに〉も行われたが,9世紀における漢詩文の盛行に伴って中国風に〈陸州(ろくしゆう)〉と表記し,

さらに〈六州〉とも表記した。前者から〈みちのくに〉,後者から〈むつのくに〉の読み方が発生したと推定されている。(コトバンクより)

蛇足ですが、家内とつきあっている時、スナックでプロポーズ代わりに、山本譲二さんの「みちのく一人旅」を歌って一緒になりました。(笑)

  

さて、岩手に行って先ず行ってみたい所は、世界遺産に登録されている平泉・中尊寺です。

JR一ノ関駅からバスで約30分(360円)で中尊寺に着きます。先ず見えてくるのが「弁慶の墓」。

月見坂の入り口にあるのが、あの武蔵坊弁慶の墓です。

義経の家臣として活躍したと言われた弁慶ですが、その人物像や実態については諸説あり、全国各地で様々なエピソードが語り継がれています。

平泉で有名な逸話としては、義経一行が藤原氏を頼り奥州に、その後秀衡の死後、子の藤原泰衡が義経一行を襲ったというもの。

その時に武蔵坊弁慶は大量の矢を受けながら、立ったまま息を引き取ったというエピソードが残されています。

弁慶の立往生という言葉はここから出たものです。(平泉観光案内より)

  

    

中尊寺は、小学校や中学校の歴史の時間で習いましたが、この歳になるともうほとんど忘れかけていますが、確か、奥州藤原三代のミイラがあることだけは覚えています。

この際、中尊寺のおさらいをしてみたいと思います。

中尊寺は、は天台宗の東北大本山です。創建は嘉祥3年(850)に慈覚大師円仁によって開山されたとされ、その後奥州藤原氏初代の清衡が長治2年(1105)から中尊寺の再建に着手し、

天治元年(1124)に金色堂が竣工、基本的な伽藍が完成したのは21年後の大治元年(1126)の時です。吾妻鏡によると中尊寺の規模は「寺塔四十余宇、禅坊三百余宇」とされ、

平泉では毛越寺(もうつうじ)に次ぐ大きさでした。当時の平泉は奥州の中心地だけでなく日本の主要都市の1つでもあり、集められたの金銀だけでなく、技術や文化も積極的に取り入れられ、

蝦夷の潜在的な土壌もあり独自な文化が花開きました。藤原四代の泰衡が当主となると、義経を匿った事で幕府と軋轢が生じ、文治5年(1189)に義経が高館で自刃させられると

同年の9月には泰衡が家臣に殺害され藤原氏が滅亡します。中尊寺は幕府に庇護され、金色堂(国宝)に鞘堂などが築かれますが、徐々衰退し、建武4年(1337)の火災によって多くの堂宇が焼失します。

近世に入ると伊達藩の庇護により、金色堂の改修や白山神社能舞台兼神楽殿などが再建され、東叡山寛永寺の末寺となりました。

中尊寺は現在でも様々な寺宝があり国宝を始め多くの文化財を所有しています。 (岩手県観光・旅行見所ナビより)

中尊寺、毛越寺、観自在王院跡、無量光院跡、金鶏山は、「平泉ー仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群ー」として2011年6月「世界遺産」に登録されました。

 

月見坂の両側には、樹齢300~400年の杉並木が続きます。月見坂を登ると一遍で大粒の汗が出てきました。このところ暑いからあまり歩いていないからか、すぐ息が上がります。

それにしても中尊寺の敷地は、広いです。やはり拝観時間が2時間というのは、わかりますね。

  

【弁慶堂】

    

【地蔵堂・薬師堂・観音堂】

  

【中尊寺本堂】

本堂は中尊寺の中心となる施設でその規模も最大です。奥州藤原氏が亡ぶと次第に勢いも無くなり、建武4年(1337)には火災により多くの堂宇と共に本堂も焼失しました。

近世に入ると伊達藩の庇護の元、多くの建物が再建され、本堂前にある山門も元々一関藩主であった伊達兵部宗勝の居館であった一関城より万治2年(1659)に移築されました。

山門は薬医門形式で左側に脇門があるなど城郭建築の一端を見る事が出来ます。現在の本堂は明治42年(1909)に再建されたものですが比叡山延暦寺より分火された「不滅の法燈」や

様々な儀式などが執り行われています。

   

   

【不動堂・峯薬師堂】

  

【大日堂・梵鐘】

  

【阿弥陀堂】

  

【讃衝蔵(さんこうぞう)】

「讃衡蔵」は、中尊寺に伝わる、歴史ある文化財や宝物をきちんと残し、後世に伝えるために、平成12年、2000年に新たに建設された建物です。

讃衡蔵という名称は、「奥州藤原三代(清衡・基衡・秀衡の衡)の偉業を讃る宝蔵」というところからつけられたものです。

現在残されている3000点以上の国宝や重要文化財が、宝物館「讃衡蔵」に収められています。ここで金色堂と共通の入場券(800円)を買って中に入ります。

ただ、蔵内は、撮影禁止です。(金色堂も撮影禁止)

  

【宮澤賢治詩碑】

金色堂の前には、宮沢賢治の詩碑があります。

  

【金色堂】

世界遺産中尊寺の金色堂はおよそ800年前に造られ、その後一度も焼失することなく当時の姿を今に伝える国宝建造物第一号です。

建物は漆の上から金箔を張った阿弥陀堂で金銀・螺鈿(らでん)・蒔絵で装飾された堂内部の須弥壇の下には初代の清衡公、二代の基衡公、三代の秀衡公の棺と四代泰衡の首級が安置されています。

金色堂の装飾品の中には夜光貝の螺鈿細工など日本国内では手に入らないものも多数有り、平泉は中国や朝鮮などとも交易をしていた国際都市だったことが裏付けられています。(岩手県観光ナビ)

この覆堂は、昭和38年(1963)建築されました。

  

【金色堂旧覆堂】

   

【芭蕉句碑】

奥州藤原家滅亡500年に当たる元禄2年(1689)、芭蕉は、門人の曾良と二人で奥の細道の旅に出ます。江戸を発って44日後の5月13日平泉を訪れました。

「五月雨の 降り残してや 光堂」   意味は、あたりの建物が、雨風で朽ちていく中で、光堂だけが昔のままに輝いている。まるで、光堂にだけは、五月雨も降り残しているようなことではないか。

  

【経蔵・白山神社・弁天堂】

  

中尊寺見学を1時間ぐらいで切り上げようと思いましたが、やはり見るべきものがたくさんあり、とうとう2時間かかってしましました。

このあと、同じく世界遺産の「毛越寺(もうつうじ)」に行ってきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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青森ねぶた祭り前夜祭(青森市)

2016-08-09 21:40:37 | ウォーキング

青森の最終日8/1、ねぶた祭り前夜祭に行ってきました。本当はねぶたの本番も見たかったのですが、ホテルが一杯で宿泊する所がありませんでした

  

  

青森ねぶた祭は、七夕祭りの灯籠流しの変形であろうといわれていますが、その起源は定かではありません。

奈良時代(710年~794年)に中国から渡来した「七夕祭」と、古来から津軽にあった習俗と精霊送り、人形、虫送り等の行事が一体化して、紙と竹、ローソクが普及されると灯籠となり、

それが変化して人形、扇ねぶたになったと考えられています。

初期のねぶたの形態は「七夕祭」であったのでしょう。そこに登場する練り物の中心が「ねぶた」と呼ばれる「灯籠」であり、七夕祭は7月7日の夜に穢れ(けがれ)を川や海に流す、禊(みぞぎ)の行事として

灯籠を流して無病息災を祈りました。これが「ねぶた流し」と呼ばれ、現在の青森ねぶたの海上運行に表れています。

「ねぶた(ねぷた・ねふた)」という名称は、東北地方を始め、信越地方「ネンブリ流し」、関東地方「ネブチ流し・ネボケ流し・ネムッタ流し」等の民族語彙分布と方言学から「ねむりながし」の眠りが

「ねぶた」に転訛したものと考えられています。(お祭りパンフより)

18:00より前夜祭開催。

先ず最初は、今年度のミスねぶたの方が紹介されました。

  

18:25からは、いくつものねぶたの団体によるお囃子と鉦を使ったハネコの競演です。

あのねぶたのお囃子が長く続き、見ているこちらも踊り出したくなります。

  

ねぶたに灯が入りました。

初めて見る「ねぶた」。

題材は、武家物が多く、迫力満点です。

  

  

  

  

  

  

  

70年賞というのがありますが、これは70年連続で出品しているということです。

他にも下記のねぶたも運行します。

  

  

  

一通り楽しんだ後、最後に青森・深浦(日本海側)のマグロを味わいました。やはり、青森のマグロは、美味しいです。

   

翌日、新青森駅発10:39はやぶさで東京に戻りました。

4日間の青森旅行、最高でした。また来てみたいです。

  

 

 

 

 

 

 

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のっけ丼

2016-08-08 05:15:13 | 食いしん坊

8/1のウオーキング終了後、汗を流すために青森駅から近い古川にある「青森まちなか温泉」に入りました。

歩いた後の温泉は、気持ちいいですね。

町では、8/2から始まる「ねぶた祭り」に合わせ、観覧席が設置されていました。

   

さて、青森の名物に「のっけ丼」があります。

のっけ丼は青森魚菜センターで、市場に並んでいるものをちょっとずつ買って食べる丼です。

自分の好きな具材を好きな量だけ買うことができるので、おひとりでも、仲間、カップル、家族でも楽しんでいただけます。「どんぶりご飯」を購入したら、あとは市場内の各店舗を廻り、

お刺身の切り身など、いろいろな具材を丼にのせるだけ。地元でしか流通しない珍しい食材もあるかもしれません。 市場の元気な「トッチャ」「カッチャ」と津軽弁を交えた会話も「のっけ丼」の楽しいスパイスです!

先ず食券を買います。食券は、1080円と540円の2種類です

  

このあと、市場の中の各店舗を廻ります。

  

あんまり、高級なものばかり買いましたのでチケットがすぐなくなり、540円のチケットを追加で買いました。

お腹いっぱいになり、これから「ねぶた祭り前夜祭」を見に行きます。

 

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第14回「縄文の杜あおもりツーデーマーチ」2日目縄文満喫コース20km

2016-08-06 21:39:28 | オールジャパンウオーキングカップ

8/1(月)縄文の杜あおもりツーデーマーチ2日目。この日も4コースがあり、私達が参加したのは、「縄文満喫コース」20km。

このコースには、江戸時代から知られている縄文時代の遺跡「三内丸山遺跡」があります。文献では知っていましたので、興味津々です。

今日は、天気も回復し、紫外線も強くなりそうですので、私も紫外線対策をしました。昨日痛めた膝は、だいぶん回復しました。

  

出発式の後、7:00バスで小牧野遺跡まで移動します。小牧野遺跡を見学し、コースは、ここから三内丸山遺跡を通り、八甲田丸メモリアルシップまで戻る20kmです。

 

小牧野遺跡は、土地造成と特異な配石で構築された縄文後期前半(約4000年前)の大規模な環状列石(ストーンサークル)を主体とする遺跡です。

  

国の史跡小牧野遺跡のストーンサークルは、細長い石を縦横に並べる独特な石の組み方をしており、これは「小牧野式」と言われています。直径2.5メートルの中央帯、直径29メートルの内帯、

直径35.5メートルの外帯の三重の輪のほか、さらに外側に、一部四重となる弧状列石や、直線状列石、直径4メートルの環状列石などがあり、直径は55メートルにおよびます。

小牧野遺跡では人が死ぬと最初に土葬をして、次に肉が腐ると骨だけを甕棺土器に入れて再葬した跡が残っています。土葬用の穴が50基に対し再葬用の穴が3基しかないことから、

再葬は有力者のみが行ったと思われています。

縄文時代の大規模なストーンサークルは、北海道、東北、などに多くみられるそうです。残念ながら私が住んでいる北部九州には、あまりみられません。

やはり、縄文文化を創った民族の違いでしょうか?

この小牧野遺跡は、1989年(平成元年)に地元の高校生たちによって発見されたそうです・

 

  

  

午前8時コースの説明を受け、小牧野遺跡どんぐりの家を出発します。

  

1,5kmほど下りて行った所に「縄文の里小牧館」があります。入ってみようかと思いましたが、開館時間が9時からなのでパスしました。

  

4,6km地点の高田小学校が給水所。今日は、昨日と比べて蒸し暑くなく、そんなに喉もかわいていないのでパスしました。

家内は、このころから、青森の女性の方と一緒に歩いています。私も話の中に入ろうかと思いましたが、やはり女は女同士ですね。(笑)入る余地がありません。

  

高田と細越の間に「旧大橋村跡」の碑がありました。江戸時代天明の飢饉で廃村になったそうです。

東北地方は、1770年代から悪天候や冷害により農作物の収穫が激減しており、すでに農村部を中心に疲弊していた状況にあった。こうした中、天明3年3月12日(1783年4月13日)には岩木山が、

7月6日(8月3日)には浅間山が噴火し、各地に火山灰を降らせた。火山の噴火は、それによる直接的な被害にとどまらず、日射量低下による更なる冷害をももたらすこととなり、農作物には壊滅的な被害が生じた。

このため、翌年から深刻な飢饉状態となった。天明2年(1782年)から3年にかけての冬には異様に暖かい日が続いた。道も田畑も乾き、時折強く吹く南風により地面はほこりが立つ有様だった。

空は隅々まで青く晴れて、冬とは思えない暖気が続き、人々は不安げに空を見上げることが多くなった。約30年前の宝暦年間(1751年-1763年)の4年、5年、13年の凶作があったときの天気と酷似していた。

被害は東北地方の農村を中心に、全国で数万人(推定約2万人)が餓死したと杉田玄白は『後見草』で伝えている。(ウイキペディアより)

現在では、新幹線や高速道の間に田園地帯が広がっていますが、こんな悲しい出来事があったとは、信じられません。

 

   

昔からの「村」があったからでしょうか、民家には、古い「蔵」が残っています。

細越神社の由来 :     慶長年間、この地域には、大橋村、枝村、中村、細越村、漆新田村、長沢村の六つの集落があった。往時、相次ぐ凶作や災害により、大橋村、長沢村の住人は困窮し、

やがて離散し、今は住家も住人もいない。明治の頃、枝村に深山神社、漆新田村に三輪神社があり、それぞれ異なる慣習、祭事があり、それが互いの対立意識を煽り、すべての事に争い事が絶えなかった。

事を憂いた若者達は、再三、両神社の合併に依る和平をはかった。遂に、大正五年、地域のほぼ中央の位置に大字名、細越を入れ、細越神社として、両神社の祭神の鎮座を仰ぐにいたった。 (細越村郷土誌より)

神々を尊び、地域の融和を願い、力を尽くされた先達を偲び、我々も又、その偉業に追従する事を誓い、過ぎし事、ここに記し、建立する。

   

青森自動車道の所の信号から左折。コースは、青森道と並行します。家内と一緒に歩いているK・Mさんは、野草に詳しく野草の名前を教えてくれます。

葛の花は、初めて見ました。

  

10:20 チェックポイントの「三内(さんない)丸山遺跡」に到着。ここで11,2km。ゴールまであと8kmです。

  

三内丸山遺跡は、江戸時代から知られている有名な遺跡です。県営野球場建設の為、平成4年(1992)から始まった発掘調査では、縄文時代前期~中期(約5500年~4000年前)の大規模な

集落跡が見つかりました。そういえば、佐賀県吉野ヶ里遺跡(弥生遺跡)も大型工場用地造成の際に発見されたそうですので何か、似ていますね。

出土品には、沢山の竪穴住居跡、堀立柱建物跡、盛土、大人や子供の墓などの他、多量の土器や石器、貴重な木製品、骨角製品などが出土しました。

縄文時遊館の2階から遺跡現場に向かいます。

  

三内丸山遺跡の広さは24haに及び、竪穴建物跡、掘立柱建物跡、列状に並んだ土坑墓、埋設土器、盛土、貯蔵穴、道路、大型建物跡などが計画的に配置されています。

また、膨大な量の土器や石器などが出土しており、日本で最多となる土偶約2,000点の出土に加え、低地からの食生活や環境を示す動植物遺存体、木製品、骨角器、編籠、漆製品などの有機質遺物、

さらに、ヒスイや遠隔地産の黒曜石、アスファルトなどの交易品も多数出土しています。

縄文時代、ここに大きな「ムラ」が存在していたのでしょう。

 

  

遺跡群を見て、時遊館の展示品を見に行こうかと思って、時遊館の方に向かうと、ウオーキング大会のアンカーの方が待っておられました。

もう時間だからということで止む無く展示品は見らずにウオーキングを再開することにしました。(もう少し時間があればいいのですが・・・・・・)

ここからは、アンカーさんと一緒に歩きます。沖館市民センターが最後の給水所です。

  

  

青森駅の横を通ります。駅には、特急「つがる」が停車しています。

  

連絡橋を通り、ゴールの八甲田メモリアルシップへ。  12:20 20kmコースゴールしました。

  

真夏の中のウオーキング大会でしたが、2日間無事完歩できました。

このあおもりツーデーマーチは、8コースあり、どれも歩きたいコースばかりです。いつかは、あおもり湾や津軽海峡のコースも歩きたいと思っています。

(青森県に地図を逆さまにすれば、鹿児島県の地図に似ていますね)

8/1 縄文満喫コース20kmのGPSです。

 

 

 

 

 

 

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第14回「縄文の杜あおもりツーデーマーチ」1日目八甲田山麓高原コース32km

2016-08-05 07:27:32 | オールジャパンウオーキングカップ

この時期、青森の朝は、4時過ぎにはもう明るくなります。福岡は、5時半ぐらいにならないと明るくなりませんので約1時間半ぐらい違います。

7/31~8/1 青森市で行われた「第14回縄文の杜あおもりツーデーマーチ」に参加しました。

1日目は、A,八甲田山麓高原コース32km、B,あおもり湾涼風コース20km、C,岩木山眺望コース13km、D,むつ湾眺望コース12km、E,青森ベイサイトコース8kmの5コースがあり、

私達が参加したのは、A八甲田山麓高原コース32kmです。会場は、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸広場。

このコースは、出発式の後、バスで八甲田ロープウェイ山麓駅まで行き、そこから降りてくるコースです。出発が7:30ですので早めにホテルを出ないと間に合いません。

     

   

  

  

約1時間でロープウェイ山麓駅に到着。昨年参加された熊本の鉄卓さんのブログを見てみると、ここからロープウェイに乗って山頂まで往復したと書かれていますが、今年は、乗らずにここから歩き出します。

八甲田山は、青森市の南側にそびえる複数火山の総称で日本百名山の一つ。「八甲田山」と名がついた単独峰は存在せず、18の成層火山や溶岩円頂丘で構成される火山群である。

青森県のほぼ中央に位置し、東北日本の脊梁奥羽山脈の北端である。命名の由来について「新撰陸奥国志」によれば、八の(たくさんの)甲(たて)状の峰と山上に多くの田代(湿原)があるからという。

現在の火山活動は穏やか。周辺は世界でも有数の豪雪地帯である。明治35年に青森の歩兵第五連隊が雪中行軍の演習中に記録的な寒波に由来する吹雪に遭遇し、

210名中199名が遭難した事件(八甲田雪中行軍遭難事件)が発生、それを基に新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」が書かれている。なお、陸上自衛隊青森駐屯地に駐屯する第5普通科連隊も、

毎年厳冬期に八甲田山系での冬季雪中戦技演習を行なっている。(ウィキペディアより)

高倉健さん主演の映画もありましたね。

山の方を見ると、雲がかかっており、時々雷の音が聞こえ、いつ降り出すかわからない状況です。一応、レインコート、傘などは、準備しています。

8:30 ウオーキングスタート。バス2台でしたので参加者は約100人ぐらいでしょうか?今日は、雨が降った後でしょうか、蒸し暑いです。

  

コースは、緩やかな下りですが、昨年膝を痛めた私には、かなりきつい下りです。

道の脇には、見知らぬ野の花が咲いています。ある程度は調べましたがわからないものばかりです。

  

 

  

11:38 チェックポイントの「いこいの牧場」に到着。蒸し暑いせいか、今日は、喉が渇き、水分を補給しているのですが、全部汗になっているみたいです。

ここで弁当と引き換えになっていますが、なんと、弁当の代わりに「まきばレストラン」でカレーが出されました。これは、初めての経験です。

 

味気ない弁当よりもこれの方がいいかな????ジェラードも美味しそうでしたのでいただきました。

  

腹ごしらえも済み、さあ、スタートしようかな?と思ったらもうアンカーさんが私たちの後ろを歩いています。ウオーカーの方は、休憩もあまりなくどんどん先に行かれます。

折角見知らぬ町を歩くのですからゆっくり歩きたいのですが・・・・・・・・

いこいの牧場では、ポニー、山羊、黒いヒツジ(サフォーク)もいます。呼んでみるとすぐ近づいてきました。人懐っこいです。

    

ここで私の膝にアクシデント下り坂が多かったのか、膝が痛くなりました。あと半分歩けるかな  

膝を庇いながらマイペースで歩くことにします。

青森と言えば、「リンゴ」ですね。リンゴの木を発見!

   

神社の前を通ると、鳥居にかなり派手な注連縄が飾られています。こんな注連縄見たことがありません。

このスダレみたいなものがついた注連縄を「じゃんばら」というそうです。

横内市民センターが20,2km。ここにも給水所がありました。マップに「青森市の水道水は、全国一美味しい」と書かれています。

昭和59年、厚生省(現厚生労働省)の「おいしい水研究会(座長、鈴木武夫国立公衆衛生院長)」は、全国各ブロックの都市12地区の水道水を集めて利き水会を開催しました。

その結果、青森市の横内浄水場の水道水を「おいしい」と答えた人が16人中10人と最も多く、「日本一おいしい水」と称されました。また、全国各地30ヶ所の水道水を化学的に分析した結果においても、

青森市の水道水はおいしい水の要件をみたし、特においしい水とお墨付きをもらいました。(青森市水道局より)

やはり八甲田山からの伏流水からでしょうか、本当においしいです。あの青森が誇る銘酒「田酒」もこの八甲田山近くで造られているそうです。

     

横内郵便局の所から左折。川沿いに歩きます。右側には、スポーツ広場でしょうか、スポーツしている人たちの声が聞こえます。

青森の方は、お花を愛されているのでしょうか、民家の庭先や川の側道にもたくさんの花が咲いています。どれも九州にはあまり見たことのない花で名前がわかりません。君の名は???

  

 

  

青い森鉄道(旧東北本線)のガードを潜ると、青森市街地に入ります。

  

このあと、コースは、青森港の方に。堤川緑地公園が最後の給水所です。あと3km。ここで水分補給して再びスタートします。

青森は、今日大型クルーズ船が入港するのか、岸壁に大型バスが何台も待機しています。しばらく歩くとゴールの八甲田丸が見えてきました。

   

倉庫群を抜け聖徳公園に入ります。ここには、「海の記念日発祥の地」の記念碑が建っています。

1876年、明治天皇が青森から「明治丸」に乗り込み、函館を経由して横浜に帰還されました。その日を記念し、「海の記念日」が1941年に制定。1996年、この記念日は国民の祝日「海の日」になりました。

  

また、園内には、大町桂月の文学碑や吉田松陰「青森歴史街道の碑」も建っています。

吉田松陰は、長州藩の武士であり、幕末の維新志士を多く育てた思想家です。松陰は、若かりし時分、ロシア船の北方出没を知りその防備を確かめるため、嘉永4年 (1851年)12月14日 (陰暦)に、

脱藩覚悟で宮部鼎蔵と共に江戸から140日間に及ぶ東北遊学の旅に立ちました。江戸出発から嘉永5年(1852年)4月5日江戸へ帰るまでの視察状況を記録したのが『東北遊日記』です。

その中には、津軽半島(三厩、今別、平舘、青森)をたどったという記録があり、上磯地域(東津軽郡)も通行しました。

  

遠くには、津軽海峡フェリーが航行しています。このフェリーだと青森~函館間を3時間40分で航海します。

  

15:25 膝の痛みを抱えながらどうにか無事にゴール!スタッフの方からの暖かい声援を受けました。

   

16:00から八甲田丸船内で「ウオーカーの集い」が開催されました。お楽しみ抽選会もあるということで喜んで参加しました。

会費1000円ですが、飲み物も食べ物もたくさんありもうお腹いっぱいになります。

  

  

お楽しみ抽選会では、家内が青森のゴマ煎餅、私が韓国のり。(青森なのに韓国のりです。(笑))

   

今日の八甲田山麓コースのGPSです。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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東北新幹線に乗って青森へ

2016-08-03 16:19:23 | 旅行

7/30(土)

31日からの「あおもり縄文の杜ツーデーマーチ」に参加の為、青森に行ってきました。

福岡から青森までは、飛行機の直行便がありませんので、折角ですので東京から東北新幹線に乗って青森に行くことにしました。

  

東京発11:20はやぶさは、秋田新幹線のこまちを連結し、盛岡駅で切り離し、そのあと新青森に向かいます。

14:49新青森駅到着。新青森駅から奥羽本線で青森駅へ。

東北地方は、前日の29日に梅雨明け宣言されたのに青森は、雨でした。

  

2DMは、事前受付が行われており、そのまま会場の八甲田丸メモリアルシップへ。

 1964年8月12日就航した八甲田丸は歴代の青函連絡船55隻のなかで23年7か月と現役期間が1番長かった船です。また青函連絡船の最終航行船の大役も務めました。

その明るい黄色の船体は多くの市民に親しまれ、現在は青函連絡船メモリアルシップとして当時の桟橋付近に係留展示されています。

   

受付も済んで、青森で行ってみたかった「棟方志功記念館」に行こうと思います。

棟方志功記念館は、青森が生んだ世界に誇る板画家・棟方志功の文化勲章受章を称え、その芸業を永く伝えるため、昭和50年11月に開館しました。

校倉造りを模した建物は池泉回遊式日本庭園とよく調和し、落ち着いた佇まいは季節の移ろいとともに四季折々の風情を感じさせてくれます。平成24年7月には

鎌倉市の棟方板画館と合併したことにより、板画のみならず倭画、油絵、書など幅広い棟方作品をほぼ網羅し、その収蔵作品数は国内最大のコレクションとなりました。

展示室は「作品を一点ずつじっくり見て欲しい。」という棟方志功の意向により、限られた広さではありますが、年間4回の展示替えにより、これら作品と併せ板木や使用した道具などの

関連資料も展示しています。

【棟方志功について】
明治36年(1903年)9月5日生
没年 昭和50年9月13日東京にて 享年72歳  (青森市観光情報サイトより)

館内は、撮影禁止ですので写真は、ありませんが、子供の頃、ゴッホの作品を見て、自分もゴッホになりたいと思ったそうです。彼は絵描きのことを「ゴッホ」と思っていたそうです。

極度の近視の上、眼鏡を板に突きつけて描く姿は、正に天才です。

 

  

  

記念館の閉館時間が近くなりましたので退館しましたが、時間があればもっと見てみたい所でした。

さて、初めての青森ですので、魚介類を食べたいと前から思っていましたので、事前にネットで検索し、青森の美味しいお店に行きました。

先ず、お刺身です。ホタテ、マグロ・・・・・・・・。ビールはキリンの青森づくりです。

    

青森で有名なお酒「田酒(でんしゅ)」もいただきました。私、日本酒党ではありませんが、このお酒飲んでいると飲みやすくどんどん盃が進んでいきます。

空になった所で、田酒の大吟醸もいただきました。このお酒も素晴らしく、ついつい飲みすぎてしまうくらいです。

あと、「ホヤ(海鞘)の刺身」もいただきました。ホヤは、九州ではあまり食べられませんが、東北の方はよく食べられるそうです。

ちょっとグロテスクな格好ですが、私もチャレンジしてみることにしました。独特な匂いもあることでしたが、ちょっとショッパイ感じはしましたが、全部食べることが出来ました。

  

〆には、ホタテが入った青森ラーメン、ホタテ入りのあんかけ焼きそばをいただきました。どれも初めて食べるもので、美味しかった・・・・・・

  

明日は、32kmのウオーキングに挑戦します。

青森のねぶたも8/2から始まりますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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