よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

梅干しを漬けるの巻

2014-06-27 17:21:02 | 日記

我が家の梅の木にまた今年もたくさんの梅の実がなり、5kgぐらいをブログ友達のBちゃんへ送りました。

Bちゃんは、3年前から梅干しを漬けているそうです。

あと3kgぐらいありましたので家内に梅干しを漬けようよと言いますが、返事がありません。

それだったら、自分で漬けてみようと思い、Bちゃんに漬け方のイロハを教えてもらい漬けてみました。

     

       ◎ 梅の実3kg                                        ◎ 梅をよく洗う                                             ◎水切り

    

  ◎ 塩をまぶしながら漬けていく                              ◎ 別の日、赤紫蘇をよく洗う                                 ◎ 塩をまぶしよく手もみする

     

       ◎ アクが出たら捨てる                                 ◎ また、塩で手もみ                                  ◎ 何回かして梅酢の中に入れる

最初つけるときに梅の倍の重しをしていたのを半分ぐらいにします。

これであとは、7月のお天気が続いた日に、三日三晩の土用干しになります。

………………………………………・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ラッキョウは、皮をむいてきれいに洗っているのを買ってきました。(1kg@600) 。

これにラッキョウ酢、昆布、鷹の爪(種を抜いたもの)を入れ出来上がりです。秋口には食べられそうです。

(最初にお湯をかけましたので出来上がりは、サクサク状態になると思います。)

            

 


結納を持っていくの巻

2014-06-24 04:34:42 | 日記

6月22日(日)は、大安吉日。        

甥が結婚するということで結納を持って嫁さんになる人の実家へ行ってきました。

私達夫婦には、子供がなく、甥っ子を自分の子供のように可愛がっていました。その甥っ子が嫁さんをもらうようになったのです。

自分も歳をとったものだと改めて感じます。

大分道日田ICで下り、山国川上流に嫁さんの実家がありました。

御座敷に通され飾りつけをします。お酒も金と銀があります。

               

           

完成しました。

                     

結納式を終えると、おめでたい「桜湯」と「紅白の和菓子」が出てきました。

                  

そのあと、近所の料亭で食事会です。

                   

食事会では、地元のお酒も出され。久しぶりに酔ってしまいました。

結婚式は、10月です。          

 

             

 

 


若松・高塔山のアジサイ2014(北九州市若松区)

2014-06-21 18:14:35 | JR九州ウオーキング

6/15はJR九州ウオーキング初夏編の最終日。この最終日は、「若松・高塔山のアジサイ」だけしかありません。

8:25若松駅をスタート。276番。本来ならJRウオーキングと合わせて「高塔山アジサイ祭り」が開催されるのですが、アジサイ祭りは、今月末に延期されていました。

   

港沿いに歩いていると、道路の側道にアジサイが咲いています。ここからの若戸大橋とアジサイも絵になります。

若戸渡船場には、「洲口番所跡」があります。これは、福岡藩が正徳年間(1711~1716)人や品物の出入りを監視管理するために置かれたものです。

それよりも私にとって、もっと印象深いのは、私の初めての街道歩き「唐津街道」の出発点です。ここから唐津まで歩きだしました。ここに来ると歩き始めたころが懐かしく感じます。

恵比寿神社を通り、高塔山へ向かいます。途中民家の庭先に赤い綺麗な花が咲いていました。

これは「アメリカデイゴ(梯梧)」といって、THE BOOMの「島唄」に出てくるデイゴの花が咲く・・・・・のデイゴです。初めて見ましたが一目見ただけで南国の花という印象が強いですね。

    

高塔山登山口に差し掛かりました。まっすぐ行くと「白山神社」に行きます。いつもパスしている神社ですが、今回登ってお参りしてきました。

階段は結構な段数がありますが、途中踊り場があり休み休みして登りました。

霊峰白山を御神体とする加賀国白山比神社の御分社で霊亀2年(716年)創始されました。

神社でお参りして再び登山道に入ります。登山道の中腹からは、若戸大橋を見るスポットがありますが、今日は煙っていてはっきり見えません。

  

高塔山頂上に着きました。アジサイ祭りが行われていた時は、いろんな出店があり食欲を駆り立てていたのですが、今年は何かさみしい感じがします。

高塔山のアジサイ

   

   

今年のアジサイは開花が早かったかも知れませんが、見事に咲いています。

しばらく見学して下りていきます。下りていくと花がたくさん咲いている家庭がありました。

家の方にお断りを入れ花を撮影させていただきました。

    

ゆっくり歩いて10:45若松駅にゴール。これで初夏編は40ポイント獲得しました。

秋編は9月ごろから始まります。それまで自主トレをしようかな?と思っています。

 

<追伸>

 今日、6/21は母親の命日です。母親が亡くなってもう46年も経ちます。いつの間にか、母親の歳も追い越してしまいました。

 

 

 

 

 

 


宝珠山(ほうしゅやま)へホタル見学(福岡県東峰村)

2014-06-14 05:11:16 | JR九州ウオーキング

6/7 行橋を歩いた後、次のウオーキング地「宝珠山(ほうしゅやま)」へ車で向かいました。

ナビを設定しその通りに行くと川崎町あたりから山道に向かいました。山の中では、霧が発生し、また道幅も狭くこれが夜だったら谷底に転落かな?などと思いながら走らせました。

どうにかこうにかして15:15筑前岩屋駅に着きました。ここから列車で宝珠山駅に向かいます。時刻表を見ると列車が行ってしまったばかりで次の列車まで約2時間ほどあります。

車の中で仮眠し、17:00の列車で宝珠山駅に行きました。

宝珠山のホタル見学は2年ぶりです。

     

宝珠山の人は、今、田植えの準備で忙しそうです。村には、棚田があり水もきれいだし、ここのお米はおいしいでしょうね。

     

さて、現在NHK朝ドラ「アンと花子」が放映されていますが、ここ宝珠山には、伊藤伝右衛門の炭鉱跡があります。ドラマの中では、嘉納伝助という名前になっています。

いぶき館で左側の写真が、伊藤伝右衛門です。

    

   

また、高倉健さんのお父さんもここで勤務されていました。

さて、JR日田英彦山線には、宝珠山から岩屋へ向かう途中に「眼鏡橋の橋梁」があります。宝珠山橋梁は、夜ライトアップされます。

   

歩いていると、子供の頃このような風景の所で遊んでいたような光景が浮かびます。日本の原風景というんでしょうか?何か落ち着きますね。

あのころは、子供でも田植えに駆り出されていましたね。

  

   

棚田親水公園に着きました。ここが「ホタル祭り」の会場になっています。会場では、JR九州ウオーキング友達が既に来られていてうまそうにビールを飲んでおられます。

飲みたい衝動に駆られましたが、車で来ていますのでここはじっと我慢します。

   

   

かき氷を食べ、先へ進みます。竹燈籠も点火され、蛍鑑賞のスポットへ急ぎます。

  

栗木野橋梁の眼鏡橋周辺が、蛍撮影のスポットです。もうすでに人がいっぱいです。

19:30、日も暮れだんだん暗くなってきました。周りの田んぼでは、蛙の合唱が聞こえてきます。

ホタルが飛んできました!

これからホタルの撮影を開始するのですが、蛍の撮影は難しいですね。お見せできる写真は、これだけでした。

それと、今年はホタルが少し少ないな・・・・・・とも感じました。

 

 

 

 

 

 

 


ラブアースクリーン(海岸清掃)に参加しました。

2014-06-12 19:43:35 | 日記

6/08は、ラブアースクリーンアップと言って近くの海岸へ清掃に行きました。

ラブアース・クリーンアップは,「地球環境と地域行動」の実践活動として,市民・企業・行政が協力し,力を合わせて始めた地域環境美化活動です。
福岡市から始まったラブアース・クリーンアップは,九州・沖縄・山口各県を始め、石川県や北海道,更には韓国釜山広域市まで広がっており,

福岡市内で約4万人,九州全体で約60万人の方々が参加されています。(福岡市HPより)

   

ゴミは、ペットボトル、飲料水の瓶、木くずなどが多く、中には韓国から流れてきた食器洗剤などがありました。

   

浜防風(はまぼうふう)も花が咲いています。(この浜防風は、若葉の所は、刺身のつまとして出されます。食べられます。)

約一時間の作業でゴミ袋いっぱいになりました。

 

 

 


「新田原~行橋」花を求めて(福岡県行橋市)

2014-06-11 22:14:00 | JR九州ウオーキング

6/07(土)JR九州ウオーキングのパンフに「官兵衛、九州最初の居城〈馬ヶ岳城〉」とあり、興味津々で集合場所の「新田原(しんでんばる)駅」へ。

 

   

歩いていると民家のお花が綺麗に咲いています。ウオーキングをしているといろんな花に出会えて楽しいですね。そういう私もウオーキングする前は、花の名前なんかまったくの無知でした。

今では、少しぐらいは花の名前がわかります。これもウオーキング効果なんでしょうか?

このコースは、民家にいろんなお花が咲いていてそれを楽しみながら歩きました。

この木は何という木なんでしょうか、「なんじゃもんじゃ」みたいに白い花が咲いています。

    

豊津物産直売所「国府の郷」に来ました。ここではウオーキング参加者に地元産のお米が(1合)サービスで配られました。

  

この「国府の郷」がある所は、京都郡(みやこぐん)みやこ町になります。福岡にあって「京都郡(みやこぐん)」というのが不思議でしたが、景行天皇の時代、熊襲が背いたため征伐すべく、天皇自ら

西に下り、筑紫(この時代、九州は筑紫と呼ばれていた)に入り、豊前国長峡県に行宮(かりみや)を設けたところから、京(みやこ)と呼ばれるようになったそうです。

直売所では、「官兵衛弁当」がありましたので、即購入しました。おにぎりの部分が、官兵衛の兜になっていました。

   

国府の郷の横には、豊津国府跡があります。

国府とは、奈良時代の日本は、中央集権的な国家体制が整えられました。九州では、豊前、豊後、筑前、筑後、肥前、肥後、日向、薩摩、大隅の9国(注:現在九州と呼んでいるのは、この9国から起因する)と

壱岐、対馬、多褹(たね)の3島で構成され、これらの国、島を統括する機関として「大宰府」が設置されました。

豊前国は、現在の北九州市から大分・宇佐までの地域で、これらの地域における政治、行政の中心としての役割を果たしました。

中央政府から国司が派遣され、国司は、租・庸・調などの税の徴収をはじめとする国内政治にあたる他、軍団を統括する権限も与えられました。

  

    

国府跡を過ぎると、民家の庭先に「泰山木(たいざんぼく)」が咲いています。花が大きく盃に似ている所から、大盃木=泰山木になったとも言われています。

スモークツリー(けむりの木)は、綿菓子みたいですね。

   

   

 豊前国分寺は、奈良時代聖武天皇勅願(741)により、全国60余国に設置された国立寺院です。国家の平安を祈る道場であったが、同時に又、豊前国の学問や文化の中心としての重要な役割を果たしていました。

天正年間(1573~92)、大友氏の兵火で焼失しましたが、江戸時代の元禄年間にほぼ復興。三重塔は明治29年に建立されたものです。
塔の高さは23.5m、九州に3箇所しかない塔です。

   

国分寺には、赤い蓮の花、もみじに実がついていました。

   

みやこ町花菖蒲園にやってきました。この花菖蒲園には、3000株1万本の花菖蒲が咲いています。6/7は、夜会で人形浄瑠璃などの公演も予定されています。

   

   

アジサイも満開です。このアジサイを見ているとキリギリスでしょうか、カメラを近づけると触角が動きました。

   

豊津街道から行橋(ゆくはし)市に入ります。この行橋市、明治22年(1889)行事村、大橋村、宮市村の3村が合併して出来ました。名前の由来は、行事村の「行」、大橋村の「橋」をとってつけられたそうです。

しばらく歩くと「正(しょう)八幡宮」が」あります。この神社の祭神は、応神天皇、神功皇后、比売大神です。宇佐八幡宮と同じですね。

また、行橋~別府間100kmウオークの出発点でもあります。正八幡宮でも花菖蒲が満開でした。

 

  

行橋市歴史資料館では、「官兵衛展」が開かれていました。

行橋と官兵衛というのは、あまり結びつきがないのでは?と思っていましたら、

天正十四(1586)年七月、秀吉は九州攻めを始めます。官兵衛は秀吉に先立って九州に入り活躍します。

天正十五(1587)年に秀吉も自ら遠征軍を率いて九州へ上陸し、同年三月二十九日には馬ヶ岳城に入り二泊します。

天正十五年五月には島津氏が降伏し九州攻めが終わります。

同年七月、官兵衛は秀吉から豊前六郡(京都郡、仲津郡、築城郡、上毛郡、下毛郡、宇佐郡の一部)を与えられました。

官兵衛は中津城に移るまで、馬ヶ岳城を居城とし領内の統治を行いました。

また、官兵衛の家臣「後藤又兵衛」は、黒田長政が筑前福岡の藩主となってから、益富城の城主に任命されますが、事情があって福岡藩を出て浪人となります。

 

浪人となった又兵衛は小倉藩に身を寄せ、現在の行橋市の今井に一時期滞在しています。当時又兵衛が食事に使った膳が今井の西福寺に残っています。

 

又兵衛は小倉藩を離れる際、地元(現在の行橋市沓尾)の有力な庄屋であった守田家に自分の槍を残していきました。官兵衛の息子「長政」とは、あまり仲が良くなかったみたいですね。

  

官兵衛展を出て、行橋の商店街を通りゴールの行橋駅には、13:20にゴールしました。

   

このあと次のウオーキングの為、JR筑前岩屋駅に移動しました。

 

 

 

 

 

   

 

 

 


伊勢お蔭参りに行ってきました。その2(伊勢神宮外宮~内宮)

2014-06-01 20:19:43 | 旅行

  伊勢はな~、津で持つ  津は、伊勢で持つ  尾張名古屋は、城で持つ・・・・・・・

これは、伊勢音頭の歌いだしの部分です。

3番ぐらいの歌詞に  目出度な~ めでたの若松様よ 枝も栄えて ヤンレ 葉も茂る ヤートコセーノ ヨイヤナ アララ コレワイセ コノヨイトコイセ~ 

私の住んでいる「博多」には、「博多祝いめでた」という歌があります。これは、博多山笠やお祝いの席で歌われています。

 祝いめでたの~ 若松様よ  若松様よ 鶴と亀とが舞い 遊ぶ エーイショウエ エーイショウエ ショウエイ ショウエイ ションガネ アレワイサソ エサソエー ションガネ~ 

歌詞も合いの手も似てますね。この博多祝いめでたの元曲が、この「伊勢音頭」です。

江戸時代、伊勢神宮のお蔭参りは、年間、春だけで500万人の方がお参りに訪れていました。「一生に一度はお伊勢参りに」というのが口癖だったそうです。

然し、伊勢までの旅費は、莫大なものですので、当時集落ごとに「伊勢講」という参宮目的の信仰集団を結成し、くじ引きで代表者を送っていました。

現代ですと博多から伊勢までは、新幹線と近鉄特急を使えば、約5時間で行けます。電車の運賃も片道13000~14000円ほどです。日帰りも可能ですね。(笑)

伊勢参りに来た方は、帰りに遊女屋で遊ぶ方もいたということです。そこで覚えた歌がこの「伊勢音頭」。

伊勢音頭は、荷物にならない伊勢土産といわれ、伝えられた各地でアレンジされ、普及していきました。「博多祝いめでた」もその一つです。

もともと、この伊勢音頭は、伊勢神宮遷宮の用材を運ぶ御木曳(おきひき)の「木遣唄」だったそうです。

◎ 『伊勢神宮外宮』(豊受大神宮)

前置きはこのくらいにして、二見浦夫婦岩からJR二見浦駅に戻りました。快速「みえ号」は、1時間に1本です。駅に着くとちょうど13:15の名古屋行に間に合いました。  

   

書くのを忘れていましたが、大坂鶴橋からの近鉄電車には、「伊勢神宮参拝きっぷ」を購入しました。関西発ですと、6600円で連続3日間使えます。

特典として、近鉄線、松坂~賢島間は、フリー区間、三重交通の松坂、伊勢、鳥羽、志摩エリアのバスが乗り放題、参宮の木札や赤福のお召し上がり「盆」3粒などが付いています。

伊勢市駅から参道を歩いていると、レトロな木造3階建ての旅館が目に入ります。「山田屋旅館」で大正初期の建物です。

  

伊勢神宮外宮は、「豊受大御神」をお祀りされています。

第21代雄略天皇は、夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、豊受大御神を丹波の国から内宮にほど近い山田の原にお迎えされました。今から1500年前のことです。

豊受大御神は、御饌都神(みけつかみ)と呼ばれ、御饌つまり、神々にたてまつる食物をつかさどられています。このことから衣食住、ひろく産業の守護神としてあがめられています。

  

手水舎で清め、第一の鳥居に礼をして入ります。

   

  

神楽殿を過ぎると「ご正宮」です。伊勢神宮は、昨年20年ぶりに「遷宮」しました。新しい「ご正宮」が古い「ご正宮」の横に建っています。

  

残念ながら、写真撮影は、入口までです。そのあと、「風宮」「土宮」「多賀宮」と外宮の別宮をお参りしました。

   

参拝を終え、「せんぐう休憩所」で休憩します。こちらには、「まがたま池」があります。池には花ショウブの花が咲いていました。

   

外宮を出て、まだお昼を食べていないことに気づきました。見えてきたのが「赤福」です。

早速、「赤福」と「冷やしぜんざい」「赤福氷」を注文。

いや~、やはり本場で食べる「赤福」は格別です。

  

 

◎ 「伊勢神宮内宮」(皇大神宮)

外宮から内宮への移動は、近鉄電車や三重交通のバスがあります。電車ですと「五十鈴川駅」で下り、徒歩20分ぐらいかかります。

バスですと、内宮の入口まで行けます。また、この参拝きっぷを提示するとバス代は無料です。勿論バスで移動しました。

   

皇大神宮(内宮)は、皇室の御祖先である天照大御神がお祀りされています。垂仁天皇の26年(紀元前4年)に神路山、島路山を源とする五十鈴川の川上に鎮座されました。

日本人の総氏神様です。

五十鈴川にかかる「宇治橋」を渡り、神宮内へ。ここ宇治橋では、右側通行です。外宮では、左側通行でしたが・・・・・・

    

玉砂利の参道を進むと、手水舎があります。その先の右側の五十鈴川御手洗場に手をひたして心身を清めた後、お正宮へ向かいます。

  

    

   

残念ながら、この「お正宮」も写真撮影は、この階段までです。

参拝の後、内宮の別宮もお参りしました。

  

御参りを終えて、参集殿の方に行くと、何やら「鶏」が・・・・・・・・近寄っても逃げません。

この鶏、「神鶏(しんけい)」といって、天照大御神の神使です。

伊勢神宮の放し飼いの鶏は神の遣いとされ、遷宮行事の際、「鶏鳴三声(ケイメイサンセイ)」という遷宮を象徴する大切な儀式があるそうです。

日本神話の天の岩戸の場面、天照大神がお隠れになり真っ暗になりました。何とか大神を天の岩戸から出そうと、鶏が鳴き声を上げて、大神を迎えだし、闇を払い、再び光(太陽)を取り戻す役割を担ったことに由来するそうです。

この神鶏、よく見ると尻尾が長いように感じます。

  

内宮で「お守り」を買って、「おはらい町」「おかげ横丁」へ。

歩いていると、何か江戸時代にタイムスリップしたみたいです。コンビニも銀行もよく見ないとわかりません。

  

  

  

  

こういう町並みが私好きなんです。ゆっくり廻っていたら時間も5時近くになりました。バスで宇治山田駅まで戻り、近鉄特急で今夜の宿「賢島」に向かいました。