よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

7月例会「博多山笠飾り山ウォーク2024」(福岡市内)

2024-07-15 18:03:26 | ふくおかウォーキング協会

博多では、7月1日より「博多山笠」が始まりました。

1日からは、市内各地で13本の「飾り山」が立ちます。

そして10日からは、「舁き山」が博多の街を走りだします。フィナーレは、15日早朝の「追い山」。

およそ1トンの舁き山が櫛田神社に奉納し、廻り止めまで約5kmを舁きます。

この山笠が終わると博多の街に本格的な「夏」が訪れます。

 

ふくおかウォーキング協会の7月の例会は、恒例の「博多山笠飾り山ウォーク」です。

コロナ前には、70名ほどの参加者でしたが、コロナで参加者が減り、コロナ禍の影響がほとんど無くなった今年は、55名の参加でした。

スタート前には、山笠グッズの抽選会も行いました。

集合場所は、天神の警固公園。マップの裏には、山笠の事が一目でわかる上記の「博多山笠一口メモ」も印刷しました。

山笠グッズ抽選会後、スタート。

 

先ずは、隣のビルの14番山笠ソラリアへ

 

次に15番山笠新天町

 

次の山笠に向かいます。

 

 

17番山笠天神一丁目

 

九番山笠渡辺通り一丁目

 

十二番山笠キャナルシティ博多

 

キャナルシティから櫛田神社へ向かいます。途中、博多うどんの名店「かろのうどん」は、行列ができています。

山笠の「清道」は、櫛田神社・東長寺・承天寺の3か所あります。

清道(せいどう)」とは、「天子の行幸の道を祓い、清める」「先払い役」などの意味です。

櫛田神社は、山笠を祇園様に奉納するために廻ります。東長寺は、神仏混淆時代に櫛田神社のお寺で櫛田神社に神官はおらず、寺の住職が祝詞をあげていた頃もあり、その恩に

山笠を奉納しています。承天寺は、山笠発祥之地と伝えられているところ。この二つのお寺は、住職が姿を現し、山笠の表敬を受けます。台上がりも目一本(会釈)をします。

 

 

 

櫛田神社の境内にも山笠があります。

番外櫛田神社

 

櫛田神社から川端通に向かいます。川端ぜんざいもこの日は行列ができています。

 

八番山笠「上川端通」 この山笠は、追い山の時、これを舁いて走ります。重さ2トンです。見送りには、「ガンダム」の人形です。

 

十三番山笠「川端中央街」

 

十六番山笠「博多リバレイン」

 

三番山笠中洲流  見送りには、能登震災をモチーフに能登の絵師「長谷川等伯」が描かれています。

 

博多の街を駆け抜けるのが「舁き山」、豪華絢爛なのが「飾り山」です。舁き山が「動の山笠」なら飾り山は「静の山笠」です。

 

二番山笠東流

 

東流から御供所町に入ります

 

最後は、十一番山笠「博多駅商店連合会」です。12:30博多駅にゴールしました。

 

今日のGPSです。

※ふくおかウォーキング協会は、7/14から8/23まで猛暑の為、この期間夏休みにします。

次回は、8/24(土)の8月例会からスタートします。

 

 

 


サタデーウォーク「福間海岸の松林を散策」(福岡県福津市~古賀市)

2024-07-14 07:26:14 | ふくおかウォーキング協会

7/6(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは、「福間海岸の松林を散策」でした。

集合場所は、JR福間駅、参加者は25人。予報では今日も36度近くなりそうです。

今日のコースは、暑さを避け松林を通るルートです。

9:30 スタート

 

福間海岸に到着

 

日差しを避け松林の中を歩きます。

  

宮司浜。ここからは、玄界灘が眼下に広がります。

 

夕陽風景時計  これによると宮地嶽神社から宮司浜まで一直線で夕日が沈むのは、2/22,10/22です。JALのCMで有名になりました。

 

ぶどうの木(福間)

  

 

福間海岸で休憩

 

 

休憩後再スタート。花見海岸へ

 

西鉄宮地岳線跡地を通りゴールのJR千鳥駅へ

 

11:40 千鳥駅にゴールしました。

この日のGPSです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


やさしいウォーク「今宿・今山からの眺望」(福岡市西区)

2024-07-06 05:33:30 | ふくおかウォーキング協会

7/4(木)ふくおかウォーキング協会やさしいウォークは、「今宿・今山からの眺望」でした。

集合場所は、JR今宿駅の駐輪場横の公園。参加者は26名でした。

福岡地方今日は朝のうち曇っていますが、気温はどんどん上昇し最高気温の予報は、35度。ただ、風がありいくらかは過ごせそうです。

9:30 スタート。

先ずは、長垂海浜公園へ

 

 

長垂海浜公園

昨年までは、8月にこの海岸で花火大会が行われていましたが、昨年(2023)を持って中止になりました。39年間続いたそうです。残念ですが、このご時世仕方ないかな?

 

昔は、このあたり「長垂(長垂)海水浴場」でした。海の家が10数軒建ち並び警察の臨時交番もありました。

私の親戚が海岸の近くでしたので中学生のころまでは、ここで泳いでいました。水質の悪化などでいつ閉鎖されたかは覚えていませんが、隣の生の松原海水浴場も閉鎖されています。

現在、近郊では、「大原海水浴場」が営業されているのかな?

 

玄洋公民館で休憩、隣の保育園では園児たちが「かけっこ」の練習をしていました。

 

休憩後再スタート

 

今山登山口に到着

今山は、昔は「夷魔山」と言って彦火火出見命(山幸彦)がこの山から弓で夷魔を射倒したという伝説があります。また、2週間前に歩いた「志登神社」では、夏至の時、今山から

朝日が昇り加布里湾に沈んでいきます。志登神社の祭神は、豊玉姫、山幸彦とは、夫婦です。伝説にしては何か感じるものがありますね。

今山は、昔は、二つの山が重なる山でしたが、戦前砕石掘削の為片方の山が崩れてしまいました。

今山には、「今山遺跡」「熊野神社」があります。

今山遺跡は、今山の山中にある、弥生時代の石斧製作所の跡です。石斧は、山頂に堆積した豊富な玄武岩を原材料につくられ、弥生時代の初期から中期(約2400~2000年前) にかけて、

伊都国の交易品として北部九州一帯に広く流通しました。
また、海側では古墳時代、製塩が行われ、平安時代には港湾施設があったといわれています。(西区の宝より)

220段の階段の上ります。

 

暑いしゆっくり上ったつもりでしたが、途中息切れし休み休みで登りました。

登った所には、「熊野神社」があります。

ここにも神功皇后の伝説が・・・・

神功皇后が三韓から帰朝の後、紀州熊野から勧請されたそうです。

 

熊野神社の横には、今山遺跡の説明板があります。

 

熊野神社の裏から展望台に向かいます。草木が生い茂り見えにくくなっていました。右の写真は10年前登った時の写真です。

 

この写真も10年前のものです。

今山の現在の頂上は、白髭大明神の所です。(今回はパスしました)

下り口は中学校側です。

 

尚、今山は、桜の名所です。桜の時期に撮影しました。

 

下りたところが私の母校の中学校です。60年前の私がここで勉強???していました。

 

11:25 九大学研都市駅にゴールしました。

 

 

 

 


楽しいウォーク「神功皇后ゆかりの小戸大神宮を訪ねて」(福岡市西区)

2024-07-05 06:51:49 | ふくおかウォーキング協会

7/3(水)今日は、新札の発行日。今回は、5000円札に津田梅子さんが登場しました。女性が紙幣に登場するのは、3人目。

最初に女性が登場するのは、明治14年(1881年)1円札に「神功皇后(じんぐうこうごう)」です。

 

九州北部地方には、神功皇后伝承地が3000ヶ所以上あるといわれています。

第14代天皇「仲哀天皇」の皇后として知られるのが「神功皇后」。仲哀天皇と共に熊襲(くまそ)討伐の為に筑紫(現在の福岡県東部を除いたほぼ全域)へ赴き、橿日宮(かしいのみや)へと

入ります。そしてそこで住吉神から、熊襲よりも新羅を攻めよとの神託を受けますが、然し、仲哀天皇は熊襲の征伐に向かってしまい、敗北して撤退、翌年には、香椎宮で亡くなって

しまいます。あとに残された神功皇后は、住吉神の神託に従って三韓征伐の軍を起こし、新羅を攻めます。新羅は戦わずして降服し、高句麗・百済をも従わせてしまいます。

そして神功皇后は帰途、筑紫の宇美「宇美八幡宮」で応神天皇を生んだといわれています。

今日(7/3)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「神功皇后ゆかりの小戸大神宮を訪ねて」です。

集合場所は、JR下山門駅から5分の「壱岐神社」です。参加者は37人でした。

マップの裏には、今日の見どころの説明を付けています。

壱岐神社は、日本書紀に登場する「壱岐値真根子(いきのあたいまねこ)を祀る神社です。武内宿禰(たけのうちのすくね)は、都を留守にしている間に反乱の罪を着せられましたが、

応神天皇の刺客に殺されようとした時、その身代わりになったのが、壱岐値真根子でした。やがて無実であることが判り、壱岐値真根子が自分の命を犠牲にしたまで武内宿禰に尽くした

ことから、ここに祭神として祀られました。武内宿禰と壱岐値真根子は、似ていたそうです。武内宿禰は神功皇后の側近で300歳まで生きたそうです。

  

今日福岡地方は最低気温が28度、日中は35度になるとの予報。こまめに休憩し、水分補給を心がけます。

9:30壱岐神社をスタート。生(いき)の松原に入ります。松の木々が木陰を作り少しは暑さが凌げます。

ここ「生の松原」は、神功皇后が、三韓征伐の折、松の小枝を逆さに挿して戦勝を祈った時、その松が不思議なことに生きて栄えたことから名付けられたと伝えられています。

 

 

トイレ休憩の後、今津湾に向かいます。

 

元寇防塁の築造は、鎌倉幕府より九州各地の御家人に所領に応じて割り当てられており、生の松原校区の防塁は、肥後国の御家人によってつくられています。

国宝「蒙古襲来絵詞」は、肥後国の竹崎季長が絵師に書かせたもので舞台は、ここ生の松原です。

 

 

 

小戸公園に向かいます。

 

 

小戸大神宮に来ました。

小戸大神宮は、伝説では、伊邪那岐(いざなぎ)の神が御禊(みそぎ)をした所で天照大神・志賀三神・住吉三神が出現したという由緒の地とされています。

また、付近に神功皇后の三韓征伐(朝鮮出兵)に因む「御膳立(おんぜんた)」の磯があり、海中に配膳の形をした岩盤24個があります。

 

神宮の入口には、「みそぎ」の案内板が掲げてあります。

 

神社の神主さんが神事を行う前に唱える「祝詞(のりと)」があります。

掛けまくも 畏き 伊邪那岐大神 筑紫の 日向の 橘の 小戸の 阿波岐原に禊ぎ 祓へ 給ひし時に 生り坐せる 祓戸の大神たち

諸々の 禍事 罪穢れ あらむをば 祓へ給ひ 清め給へと 白すことを 聞こし召せと 恐み恐みも 白す

※筑紫=福岡、日向(ひなた)=糸島市と福岡市の境界の所、日向峠、小戸=海の狭い所(現在地)、阿波岐原=小戸の海岸

通説では、禊を行った所は、「宮崎」ですが、これを考えると福岡の小戸も満更でもないですね。

階段を上って「社」に行きます。

 

社の横には、「安産石」「願掛け石」があります。子授・安産にご利益があるそうです。この歳で子授はないですよね(笑)

  

小戸大神宮から海岸線を歩きます。今日は気温はどんどん上昇していますが、海からの風が気持ちいいです。

大きなクルーズ船が博多港に向かっています。中国からのクルーズ船かな?

 

 

コースは、マリノアシティへ。

マリノアシティは、建て替えのため来月の18日で閉店します。今後は、三井不動産主導で新しいマリノアシティに生まれ変わるそうです。

マリノアシティは2000年(平成12)10月にオープンしました。もう24年も経つのですね。

 

コースは、旧唐津街道へ

 

姪浜住吉神社は、神功皇后が応神天皇を胎内に宿したまま、新羅に遠征された折、住吉三神は「和魂は王身の命を守り、荒魂は、先鋒として軍船を導くであろう」と申され、

その霊験あらたか新羅軍を破り、無事帰国されました。その時、神功皇后は、当地の小戸付近の浜に上陸し、濡れた衵(あこめ)の※(公家の男女の装束の内着、上の衣と下の単につける)

御衣を乾かされたので衵ヶ浜(あこめはま)といい、(後、転じて姪浜)宇美において応神天皇を出産されたと伝えられています。

また、伊邪那岐の大神が「みそぎ祓い」をされるとき、河童が現れ道案内をのお手伝いをしたことにより、除災招福の神の使いになったという伝承があります。

姪浜住吉神社は、この河童をお祀りしています。

 

  

姪浜住吉神社からゴールの姪浜駅に向かいます。

11:58 姪浜駅にゴールしました。今日は気温が35度近くになり熱中症の心配がありましたが、無事ゴールすることができました。

この時期のウォーキングは、小まめな休憩と水分補給が大事です。

 

今日のGPSです。距離は暑さのため、少しショートカットしました。8,5kmでした。

 

 

 

 


楽しいウォーク「新幹線の見える丘を目指して」(福岡県春日市・那珂川市)

2024-06-29 18:52:18 | ふくおかウォーキング協会

6/26(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「新幹線の見える丘を目指して」でした。

集合場所は、JR西日本博多南駅。参加者は、31名。

今日は、朝から雨の予報でしたので雨具の用意をしてきましたが、雨はまだ降っていませんでした。

博多南駅は、JR西日本管轄の新幹線博多南線の駅です。(博多駅から330円です)駅舎は、春日市ですが、駅前の道路からすぐ那珂川市になります。

 

今日のコースマップです。

9:30 スタート 

那珂川にかかる日佐江(おさえ)橋を渡ります。

 

45分ほどで「現人(あらひと)神社」へ。

現人(あらひと)神社は、底筒男命(そこつつをのみこと)・中筒男命(なかつつをのみこと)・表筒男命(うわつつをのみこと)の住吉三神をお祀りする神社です。

住吉三神を祀る神社の中では最も歴史が古いといわれています。また約1800年前に神功皇后が三韓遠征をされた際には、住吉三神が荒れ狂う玄海の波風を鎮め、禊ぎの神として皇后の身を

護られたといわれています。神功皇后は帰国後、住吉三神を現世に姿を現した「現人神(あらひとがみ)」としてお祀りし、それが現在の現人神社の起源として伝わっています。

同神社は、神功皇后の逸話に登場する裂田溝(さくたのうなで)との関係も深く、周辺には裂田溝を水路として利用した神田が広がっていました。現在の神社の境内には、高さ5.15m、

柱間4.2mを誇る花崗岩製の堂々とした造りの鳥居があり、町の文化財に指定されています。また、毎年10月第3日曜日に行われる宮日(おくんち)は盛大で、子どもたちの奉納相撲や

流鏑馬(やぶさめ)など目当てに多くの見物客が訪れます。(クロスロードふくおかより)

 

 

境内には、たくさんの風鈴が付けられています。

 

 

現人神社から「ミリカローデン那珂川」に向かいます。

 

ミリカローデンとは、那珂川市の木「やまもも」(ミリカ)、那珂川市の花「シャクナゲ」(ロウダデンドウシ)、広場(ガーデン)を合わせた造語です。

ミリカローデンの広場には、大きなヤマモモの木が植えられています。

  

園内には、「柴田徳三郎先生の碑」というのがあります。柴田徳三郎先生は、国士舘大学の創立者です。出身は、那珂川市別所です。

 

この一帯、「仲(ちゅう)遺跡」といって縄文時代~古墳時代の遺跡があります。

 

休憩後再スタート。 30分後、春日市の白水(しろうず)大池公園に到着。このころから雨が降ってきました。

白水大池公園は、筑前三大池の一つに数えられています。周囲2,1kmを歩きます。

 

 

一周を廻り「新幹線の見える丘」に向かいます。

 

昨年10月、国内最大級の新幹線の車両基地「JR西日本博多総合車両所」の新幹線が見渡せる春日西多目的広場公園(春日市白水ケ丘)が園内の「新幹線の見える丘」がオープンしました。

 

ここからは、新幹線が見渡せます。

 

もともと、春日市は、魏志倭人伝に登場する「奴国」があった場所といわれていますので、新幹線の見える丘には、「原(はる)遺跡」があります。

 

 

新幹線車両基地からゴールの博多南駅に向かいます。

12:20 博多南駅にゴールしました。

今日のGPSです。

 

 


楽しいウォーク「伊都の郷歩き」(福岡県糸島市~福岡市西区)

2024-06-21 19:14:52 | ふくおかウォーキング協会

6/19(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「伊都の郷歩き」でした。

集合場所は、JR波多江駅から徒歩5分の「産宮神社」、参加者は31人でした。

天気予報は、今日福岡地方は、最高気温32度になるそうです。出発前コースリーダーより熱中症予防のため、こまめに休憩しますのでしっかり水分を補給するようにとの指示がありました。

産宮神社」の御祭神は、奈留多姫命。奈留多姫命とは、あまり聞かない神様ですが、調べてみると神武天皇の奥様だそうです。

名のごとくお産の神様です。

 

9:30スタート  民家の庭には赤の夾竹桃が咲いていました。赤の夾竹桃は珍しいですね。

 

 

約30分で「志登(しと)神社」に到着。

 

御祭神は海神である大綿津見神の娘、豊玉姫命です。龍宮で身籠った豊玉姫命が彦火々出見命(山幸彦)を慕って陸に上がったのが当地とされ、昔は浮島となっており、海上から参拝するようになっていました。対馬の和多都美神社より当地に降臨したとも伝えられ、水と海運、富と権力、縁を結び、子孫繁栄を保証する女神、福を招き、出世を約束する女神とされています。古は志摩郡・怡土郡の総社として、この地方に於ける最も有力な神社として中央にも認められ、郡民一体の崇敬を集めていました大社であったと伝えられています。(神社HPより)

志登神社は、伊都国時代にこの地で銅鏡を使い祈祷をしていたのが始まりと言われています。「志登(しと)」とは、太陽が昇る所という意味です

志登神社を中心に高祖山や雷山、可也山などの山々が東西南北に位置し、夏至や冬至、春分秋分の日の出、日の入りの方角と重なっていることや、境内に祈祷師が用いたとされる太陽観測石が残っていることから、天体観測が行われていた場所だったと伝えらえています。冬至には鳥居から社殿へと一直線に夕日が差し込む光景を見ることができます。(つなぐいとしまより引用)

 

   

右下の図のように、古代は糸島は、半島ではなく志登付近の糸島水道で志摩と怡土(いと)に分かれていました。

この糸島水道を通り渡来人が渡ってきました。糸島に韓国読みの地名が多数残っています。(例 加布里・加布羅・・・韓国語で大きな港という意味、可也山・・・韓国の伽耶から)

夏至の時には、太陽が今山(昔は夷魔山と呼んだ)から昇り加布里湾に沈んでいきます。横道にそれますが、今山は、昔、夷魔を彦火火出見尊(山幸彦)が夷魔を頂から射ったから

夷魔山になりました。その彦火火出見尊(山幸彦)は、志登神社の御祭神「豊玉姫命」の夫です。※山々は7月のやさしいWで歩きます。

 

 

 

話は変わりますが、コロナ前、淡路島に行きました。そこには「伊弉諾神宮」があります。国生み伝承で油脂のように漂っている大地を天沼矛でかき混ぜ2番目に出来たのが淡路島です。

この伊弉諾神宮には、「ひのわかみやと陽の道しるべ」がありました。これによると、(右下図)

伊弉諾神宮を中心に東は伊勢神宮内宮、西は対馬の海神神社が同緯度に並ぶことが分かりました。それだけではなく夏至には諏訪大社(長野県諏訪市など)の方角から日が昇り、伊弉諾神宮を通過して出雲大社(島根県出雲市)の方角に日が沈み、冬至には熊野那智大社(和歌山県那智勝浦町)から日が昇り、高千穂神社、天岩戸神社(いずれも宮崎県高千穂町)に日没することがかわかったそうです。

前述の志登神社やこの伊弉諾神宮のように昔は携帯電話もパソコンもない時代よくこれだけのことがわかったということにただただ感服です。古代人は侮れませんね。

 

休憩後再スタート

 

真行寺で再び休憩

 

倶会一處(くえいっしょ)とは、阿弥陀様のお浄土で仏になるという意味です。

 

 

 

泉公園で休憩

泉公園には、福岡海軍航空隊跡記念碑があります。当時福岡には、雁ノ巣飛行場がありましたが、雁の巣飛行場には大日本青年航空団や海軍予備航空団が学生の訓練を行っていましたが 

国際空港として、しだいに重要な飛行場になり、便数が増えて 飛行訓練に支障がでてきたので 訓練用地を他に 求めることになりました。
雁の巣の対岸で市内から近いことから 元岡に訓練用地を決め、用地の買収にはいりました。昭和16年1月から工事を始め12月に開所しました。

  

 

伊覩(いと)神社へ。江戸時代、ここに主船司という船役所がありました。周船寺の地名の由来はこの主船司からです。

 

 

丸隈山古墳  伊覩神社の祭神の伊覩県主命の墓と言われています。

 

古墳は階段を上がらなくてはいけませんが、私は膝痛のため上がりませんでした。

丸隈山古墳から5分ぐらい歩くとイオン伊都店が見えてきました。九大学研都市駅は、このイオンの所です。

11:45 九大学研都市駅にゴールしました。

 

今日のGPSです。

 

 

 


楽しいウォーク「宗像田園風景と唐津街道を歩く」(福岡県宗像市)

2024-06-15 15:28:52 | ふくおかウォーキング協会

先週は、月曜日が下見、水曜日楽しいウォーク、木曜日やさしいウォーク、土曜日サタデーウォーク、日曜日スマイルウォーク北九州と5日間のウォークでした。

過密なウォークのせいか、日曜日のスマイルウォークの時は、膝痛が再発し、やむなくリタイアしました。自分では若いつもりでいてもやはり歳は誤魔化せませんね。

月曜日にお医者に行き、痛み止めの注射と痛み止めのお薬をもらい、痛みも少しは薄れてきました。少しは休足日も設けなくては・・・・

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6/12(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「宗像の田園風景と唐津街道を歩く」でした。

集合場所は、JR東郷駅、参加者32名。

9:30スタート

 

王丸のアンダーパスを通ります。

 

今日の目的地は、宗生寺

 

許斐山登山口で休憩

休憩後大穂に向かいます。大穂から宗生寺へ

ここから上り坂になりますが、私は、膝痛のため合流場所の「かのこの里」へ行きます。

 

宗生寺    

禅宗の名刹、宗生寺は3,00本のツツジの庭園で有名。許斐城主小早川隆景の墓所や名島城搦手門を移築した山門があり、その裏山には奈良時代の僧行基作といわれる馬頭観音を安置した

観音堂がある。33年のうち2回しか開帳されない秘仏とされている。栴檀葉菩提樹、ヒトツバタゴ(なんじゃもんじゃ)が珍しいと人気。(写真と文章は宗生寺HPより引用)

 

 

もうアガパンサスの花が咲き始めました。

 

宗像市の花は、鹿子百合(かのこゆり)。

鹿子百合ではありませんが、民家の庭には、百合の花が咲いています。

 

原町宿は、赤間宿と畔町宿の中間にあたります。昔は、南郷村という地名でしたが、1954年(昭和29)東郷・赤間・南郷・河東・吉武・神興が合併し「宗像町」になりました。

  

  

 

 

 

 

 

旧南郷村役場の横が産直店「かのこの里」ここで宗生寺に行ったメンバーと合流します。

 

合流後再スタート

 

宗像ユリックスの横を通ります。

 

12:34 東郷駅に到着しました。

膝痛でしたので途中でリタイアかな?とおもいましたがゆっくりゆっくり歩きましたのでなんとかゴールできました。今後も無理をしないようにします。

 

 

 

 


サタデーウォーク「博多を知ろう!旧西鉄市内線「城南線」を歩く」(福岡市博多区~早良区)

2024-06-12 20:42:23 | ふくおかウォーキング協会

6/8(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは、「博多を知ろう!旧西鉄市内電車「城南線」を歩く」でした。

西鉄市内電車は、1927年(昭和2年)に開業し、6路線で営業していましたが、地下鉄工事が始まるとともに、昭和50年(1975)4路線が廃止になり、残りの2路線も昭和54年(1979)に廃止になりました。

この西鉄市内電車は、私が子供の頃は、平和台に野球を見に行ったり、叔母が馬出に住んでいましたので夏休みに遊びに行ったりして大変懐かしい電車です。

19歳ごろ車の免許を取り、それからは電車を利用しなくなりましたが、今、こうやって振り返ってみると懐かしさがこみ上げてきます。

小学校2年生の頃、親父の会社の上司が古小烏(ふるこがらす)のアパート(峯花台アパート)に住んでいました。(当時、アパートというとセレブの世界でした)

あるとき、その上司の所に遊びに行くということで姉と一緒に行きました。姪浜から城南線に乗り古小烏で下車、確か進行方向の左側にこのアパートはあったと記憶しています。

父の上司は、私が西鉄ライオンズきちがい(熱烈なファンの事)ということを知っており、その団地に西鉄の関口選手が住んでいることを知らされもう私は天に上るような気持でした。

残念ながら関口選手とは会えませんでしたが、何か初めてスター選手と知り合いになれたような気分でした。

その西鉄市内電車「城南線」を歩いてみようとこのウォークを企画しました。

城南線の電停名をマップの裏側に書きました。

集合場所は、博多駅の音羽公園、参加者は38名でした。9:30ウォーキング開始します。(電車の写真は西鉄アーカイブより引用させてもらってます)

 

  

那珂川を渡ると「柳橋」  三光園は、1926年(昭和元年)創業の老舗料亭でしたが、コロナの為、2020年(令和2年)閉館しました。

 

  

渡辺通りは、循環線と城南線の交差点。ホテルオークラの所には、電車の操車場がありました。電気ビルで休憩

   

休憩後再スタート

西鉄薬院駅の所は、「城東橋」電停でした。薬院新川にかかる城東橋が電停の名前でした。ここは、西鉄大牟田線の踏切になっていました。

   

薬院大通り  ここは高宮通と大正通が交差します。

 

南薬院(動物園前)  ここは、昔の電停名は、「古小烏(ふるこがらす)」でした。近くに「小烏神社」があり、この神社の祭神は、八咫烏(やたがらす)です。

           父の会社の上司のアパートは、薬院に向かって左側にありました。(峯花台アパート)

練塀町(ねりべいちょう)  現在の町名は、「桜坂」 近くに桜ヶ峯神社がありその「桜」とこの一帯坂道になっているのでその「坂」をとって「桜坂」になりました。

              昔、黒田長政が造った土塀から練塀町になったといわれています。

   

城南線はここから緩やかな坂を上り、六本松に向かいます。

  

六本松の福岡市科学館で休憩

 

休憩後再スタート

草香江  平安時代平清盛が博多に「袖の湊」を開いた当時の博多津を描いた住吉神社蔵「博多古図」には、現在の博多湾に当たる部分に東の「冷泉津」と西の「草香江」、博多中心部と

そこから橋で繋がれた「沖の浜」と言う出島があったと記されています。後年、筑前福岡藩初代藩主となった黒田長政により入り江の一部が埋め立てられ、天神を通り那珂川へ掘られた肥前堀と共に福岡城の外堀となり、さらに時代が下り、1929年(昭和4年)に大濠公園となりました。

 

大濠  

  

鳥飼 ~ 城西車庫 

城西車庫の跡地にには、現在西鉄系のスーパーが入居しています。

   

西新町  貫線との交差点

  

西新町で仮ゴールしここから高取焼窯元までは、希望者だけのウォークです。

 

福岡市早良区にある高取焼味楽窯は、江戸時代に窯が開かれて今年で300年を迎えた伝統ある窯元です。現在は第15代の亀井味楽さんが、第16代を継ぐ予定の息子さんと一緒に焼き物を

作り続けています。高取焼は福岡藩の御用窯として知られていますが、現在も市内にあって作陶しているのは味楽窯だけになりました。

  

 

    

 

 

 

 


やさしいウォーク「戒壇院の菩提樹と天満宮の菖蒲観賞」(福岡県太宰府市)

2024-06-10 18:27:27 | ふくおかウォーキング協会

6/6(木)ふくおかウォーキング協会やさしいウォークは、「戒壇院の菩提樹と天満宮の菖蒲観賞」でした。

集合場所は、西鉄都府楼前駅、参加者は28名でした。

都府楼がある大宰府は、和名では(おほみこともちのつかさ)といい、太宰帥(だざいそち)が司る所です。また、「大宰府」と「太宰府」は、一般に言って古代の役所を「大宰府」

中世以降は「太宰府」と呼んでいます。

9:30スタート   関屋へ、ここは、日田街道。コロナの時にこの道を通って日田まで歩きました。

 

 

 

筑前国分寺跡

聖武天皇は741年、日本全国に国分寺・国分尼寺を建て、七重塔に経典を収めると詔しました。こうして造られたのが、国分寺です。国分寺の総本山は、奈良の東大寺です。筑前国分寺は、

大宰府が管轄した西海道(九州)の中では最も早く、756年までに完成したとみられています。これまで金堂、講堂、七重塔、回廊など堂塔跡の遺跡調査が行われ、その成果に基づき整備されています。また、寺を囲む塀が残るところがあり、寺の範囲は192m四方とみられています。

 

  

太宰府文化ふれあい館で休憩。ここには、国分寺の七重塔の模型があります。

 

休憩後再スタート。

 

坂本八幡宮   もとは戦国時代の勧進と伝えられている神社で、祭神は応神天皇。坂本地区の守り神として、地元の方々によって大切に祀られてきました。 

また、新元号「令和」の起源となった「梅花の宴」が行われた大伴旅人邸跡の候補地の1つとしても注目を集めています。

 

令和になったころは、参拝客が多かったのですが、最近は参拝者も少なく落ち着きを見せています。

 

お詣りして次へ進みます。

 

 

都府楼跡

 

戒壇院  奈良時代、観世音寺に戒壇院が置かれました。戒壇とは僧侶として守るべき戒律を授けるところで、ここで戒を受けなければ正式の僧侶とは認められませんでした。

戒壇はここ大宰府の他に、奈良の東大寺、下野(栃木県)の薬師寺に置かれ、天下三戒壇と言われました。本尊の廬舎那仏は平安時代の作で、重要文化財に指定されています。

江戸時代に観世音寺を離れ、現在は禅寺となっています。(ふらっと大宰府より)

 

戒壇院の横に植樹されているのは中国原産のシナノキ科シナノキ属の落葉高木菩提樹(ボダイジュ)です。 この菩提樹は例年6月の上旬より香りの良い綺麗な花を咲かせます。

戒壇院にある菩提樹は奈良時代中期に来日した高僧鑑真和上が唐より請い受けて持ってきたといわれており、大宰府市指定の文化財となっています。

 

戒壇院から次へ進もうとしたら、木の上に「フクロウ」がいました。

 

 

 

白川橋の先の方に山上憶良が詠んだ「日本挽歌」があります。太宰の帥として赴任した大伴旅人の奥方が亡くなり、その心情を詠んだ歌です。

「妹が見し棟の花は散りぬべし わが泣く涙いまだ干なくに」(妻が生前に見たセンダンの花はもうすぐ散ろうとしている 私の泣く涙はいまだ乾かないというのに)

 

連歌屋とは、太宰府天満宮の連歌会所「連歌屋」があったことから地名としています。

 

今日のゴール太宰府天満宮へ

 

太宰府天満宮では、御祭神 菅原道真公(天神さま)に御縁の深い25という数に因み、25年毎に式年大祭を執り行い、御神威の甦りと天神信仰のさらなる発揚を繰り返してきました。
令和9年(2027)に、道真公が薨去(こうきょ)なされてから1,125年という大きな節目を迎えます。この節目となる式年大祭を前に、令和5年5月より約3年をかけ、124年ぶりに

重要文化財「御本殿」の大改修が行われています。

  

参拝を終え菖蒲園へ 

 

 

園児が菖蒲の絵を書いていました。

 

 

今日のGPSです。

 

 


楽しいウォーク「小郡のあじさい寺と城山公園を歩く」(福岡県小郡市)

2024-06-09 04:47:57 | ふくおかウォーキング協会

6/5(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「小郡のあじさい寺と城山公園を歩く」でした。

集合場所は、西鉄三国ヶ丘駅。参加者35人。

小郡のあじさい寺とは、如意輪寺のことで別名カエル寺・あじさい寺と呼ばれています。

集合場所は、西鉄三国ヶ丘駅。参加者35人。9:30スタート。

 

15分ぐらいで「如意輪寺(カエル寺)に到着。

 

すぐカエルがお出迎えです。

 

 

 

 

カエル寺の紫陽花です。

 

 

また、この時期風鈴も楽しめます。

 

 

 

カエル寺から城山公園に向かいます。

 

 

干潟の信号の所に昔の取引先がありました。

 

城山公園で休憩。城山公園は、兜の形をしたなだらかな山、花立山(城山)のふもとに広がる公園。4月は桜、5月はツツジ・藤、6月は菖蒲、夏の蓮、秋の銀杏と四季を通じて自然を

楽しむことができます。休憩後再スタート。

 

立石小学校の所に来ました。ここは、旧薩摩街道です。コロナで自粛中個人で歩いたことがあります。

 

 

 

 

12:10 西鉄大保駅にゴールしました。