よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

氷見キトキトウオーキング2016「2日目10km氷見海岸とまんがロード」富山県氷見市

2016-10-30 09:18:20 | オールジャパンウオーキングカップ

10/23 氷見キトキトウオーク2日目。今日は、旅館でゆっくり朝食を食べ「氷見海岸とまんがロード10km」コースにしました。

午前9時スタート。敦賀の車さんご夫妻と一緒に歩きます。

 

南部中学の信号を左折すると国道160号線氷見バイパスです。氷見トンネルを通り、ここから海峰小学校交差点まで歩きます。

海峰小学校から右折すると、「阿尾城跡」です。

  

阿尾城址は、大伴家持の歌に「東風が強く吹くところ」と詠まれた景勝地。海に突き出す断崖の城跡です。阿尾城跡は県指定史跡であり、16世紀中頃に越中と能登の交通の要であるこの地に

肥後の菊池武勝の居城として戦国時代末に築城されたといわれています。山を負い海に臨み、築城に適した地形であり、戦術上、「越中の府」といわれていた慶次郎ゆかりの地です。

現在は公園として整備され、伝本丸には3mくらいの展望台が設置されています。展望台からは氷見ならではの素晴らしい眺望を楽しむことができます。(富山観光ナビより)

現在は、榊葉乎布(さかきばおふ)神社が鎮座しています。

   

榊葉乎布神社は、榊葉乎布神社の創建年は不詳ですが越中国守大伴家持が勧請したのが始まりと伝えられています。阿尾菊池家初代武勝が当地に下向する際、

伊勢神宮の榊樹を持ち帰り阿尾城に植樹したところから榊葉神明宮を呼ばれるようになったとされ、以降、阿尾城の守護神として庇護されました。

明治12年(1879)に榊葉乎布神社に社号を改称し村社に列しています。(富山、歴史・観光見所より)

氷見の海岸にやってきました。ふと、横を見ると小さな祠があります。「魚取(なとり)社」と書いてあります。漁港の町「氷見」ならではの神社ですね。

「魚取社」は、漁猟に従事する人や漁を生業として海に生きる漁民等に大漁をもたらしたり、海上安全の守り神として崇拝されていました。

  

比美乃浜公園です。

  

右側には、「氷見番屋街」、氷見温泉「総湯」があります。車さんからいいお湯だったと聞きましたのでゴールしてから行ってみようと思います。

  

「ブリンス館」(ぷりんすではなく、ぶりんすです)がチェックポイント。6kmコースの人と合流し、チェックを受けるため長い行列ができています。

ブリンス館の横には、氷見海岸から見る立山連峰の写真があります。一度でいいからこういう景色を自分の目で見たいものです。

 

氷見商店街の「まんがロード」です。日曜日だからか、それとも休業されているお店が多いのか、シャッターが下りているお店が目につきます。

  

湊川に架かる「なかのばし」では、大伴家持の歌碑が建っています。

   

この後は、昨日通った「上日寺」を通ってゴールの「ふれあいスポーツセンター」へ。

 

     

11:55 ゴール これでオールジャパン42県目達成です。

ゴールでは、豚汁が振る舞われました。参加料は1000円でしたが、それ以上のおもてなしを受け、機会があればまた参加したくなりました。2日間の参加人数は、約1000人だそうです。

  

2日目10km氷見海岸と漫画ロードのGPSです。

ゴール後、車さんに教えていただいた氷見番屋街の温泉「総湯」に行ってきました。

この温泉、炭酸泉です。歩いた後の疲れも一遍でとれるようでした。

 

   

この後、今夜の宿「富山市」に向かいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


氷見キトキトウオーキング2016「1日目30km万葉の史跡めぐり」富山県氷見市

2016-10-29 05:58:43 | オールジャパンウオーキングカップ

朝起きて立山連峰の方向を見ると綺麗な朝焼けです。6時ごろには、立山連峰から朝日が昇ってきました。

今日の氷見キトキト30kmウオーキングは、7時15分迄に会場の氷見市ふれあいスポーツセンター集合。  ※注)キトキトとは、富山の方言で「新鮮」という意味。

旅館の朝食は7時からですので間に合わないのでフロントに言ったら「ます寿司」を用意してくれました。

  

旅館から会場まで車で約10分。会場では、平戸で一緒に歩いた車さんご夫妻、それと福岡のAさん、東京のMさんご夫妻とお会いしました。

7時半より出発式。式では本川氷見市長が挨拶をされました。本川市長は、まだ50歳前、若くてエネルギッシュな市長だと感じました。

  

出発式の後、バスでスタート地点の高岡市「二上山」に移動します。

   

二上山は、二上山(東峰)と城山(西峰)を2柱の神に見立て二神山と呼んだのが語源です。274m。晴れた日には、立山連峰、能登半島までの景観が見れるそうですが、

今日は霞がかかっており、見ることができません。

万葉歌人の大伴家持は、越中国司として高岡に赴任した時、二上山を題材に歌を詠んでいます。

二上山山頂付近は、南北朝時代に築城された「守山城址」があります。また、山頂には、世界平和を願って昭和45年に建立された「平和観音像」もあります。

8:20ウオーキング開始。参加人数は、ざっと目勘定で約150人ぐらいでしょうか?

  

二上山からの下りは、膝痛を持っている私には、つらいです。ゆっくり下りていきますが、どんどん追い越されていきます。

  

右側には、平和の鐘「大梵鐘」があります。この梵鐘、口径1,82m、重量11,25t、総高3,33mです。

高岡市の某企業は、梵鐘の国内シュア70%を占めています。約1時間で万葉歴史館まで下りてきました。

  

  

気多(けた)神社」は、養老2年(718)僧行基が創建したと言われています。また天平年間(757~764)に越中一ノ宮として能登一ノ宮の気多大社から勧請しました。

更に先に進むと昨日行きました「雨晴海岸」です。昨日は気付かなかったのですが、雨晴海岸には、JR氷見線が通っています。JR車内からの眺めも絶景だそうです。

   

氷見市に入りました。しばらくはコースに沿って歩きます。写真ばかり撮っていると家内はもう先の方を歩いています。

少しスピードアップします。島尾交差点から左折。

田子「藤波神社」は、746年、越中国守大伴家持に従ってきた橘正長が家持から授けられた太刀を祭ったのが藤波神社のはじまりと伝えられています。毎年4月中旬から年5月中頃、

鳥居の上まで美しく淡い紫色の藤が咲き誇ります。大伴家持は好んで藤の美しい情景を歌に詠み、その歌碑が拝殿の裏に建てられています。

また、佐阿弥安清(さあみやすきよ)によって作られたといわれる、幻想的な謡曲「藤」の舞台になったことでも有名です。(富山観光ナビより)

  

石武雄神社(いわたけおじんじゃ)を過ぎると少し上りにさしかかります。このあたりで家内に追いつきました。

11:50 チェックポイントのB&G海洋センターに到着。19km地点です。ここでは豚汁の振る舞いを受け、頼んでいたお弁当を食べました。

  

40分ぐらい休憩して再びスタート。

柳田布尾山古墳が22km地点。柳田布尾山古墳は、地元研究者の踏査によって1998年(平成10年)に発見されました。

全長107,5mの規模を有し、前方後方墳としては全国9番目、日本海側に面する前方後方墳としては最大の規模です。

2回目のチェックポイントは、海浜植物園。

  

この海浜植物園あたりは、万葉集で「松田江の長浜」と呼ばれた所。越中国守大伴家持は、5年に渡る越中国守在任中(746~751)、布勢の水海遊覧や能登巡行の道すがら

波穏やかな有磯海(ありそうみ :高岡市の雨晴海岸から氷見市の海岸あたり。富山湾の一部)の彼方に遠く、立山や能登を望む松田江の長浜の景観は、万葉人の心に強く印象づけられたことでしょう。

  

  

氷見市の中心部に入りました。

  

朝日山公園に行く途中、「上日寺」。ここには、銀杏の大木があります。樹高36m、幹周り12m。白鳳10年(671)創建の際観音菩薩を安置した時の霊木として植えられたということですので

樹齢約1345年でしょうか?1000リットルもの実を結ぶそうです。境内には多数の銀杏が落ちていました。

 

   

氷見高校の横を通るとゴールのふれあいスポーツセンターが見えてきました。

14:00 30kmゴール久しぶりの30kmです。疲れました。 

  

氷見キトキトウオーク1日目万葉の史跡めぐり30kmGPS

ゴール後宿舎に帰り、温泉に入り一眠りしていましたら、歩友さんからメール。

6時前の富山のローカルニュースで氷見キトキトウオークが紹介され、私が映っていたとのこと。残念です。見れなかった・・・・・・・

今夜の宿舎の夕食です。

  

  

【追記】

氷見は、寒ブリで有名ですが、このブリ、出世魚です。ところが地域によって名前が違います。

九州北部:  ワカナゴ →  ヤズ →  ハマチ  →  ブリ

富山 :    コツクラ →  フクラギ → ガンドウ  →  ブリ

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


富山県氷見市へ

2016-10-27 12:45:31 | 旅行

10/21(金)

10/22から始まる「氷見キトキトツーデーウオーク」に参加するため富山県氷見市に行きました。

博多から新幹線さくらで新大阪へ。新大阪から特急サンダーバードで金沢。金沢からはレンタカーで氷見に向かいました。

氷見市は、能登半島の付け根部分に位置し、富山湾の新鮮なお魚が美味しい所です。中でも「寒ブリ」「白エビ」「ホタルイカ」などが有名です。

氷見市はもちろん富山県に行くのは初めてですので楽しみです。金沢からは約1時間で到着しました。

 先ず、高岡市の「雨晴(あまはらし)海岸」へ

ここは、晴れた日には富山湾越しに3000m級の立山連峰が見ることができますが、今日は少し雲がかかっていて、連峰がぼんやり霞んでいます。

  

文治年間(1187年)に、源義経と弁慶が、山伏姿に身をかわし奥州へ落ち延びる途中、にわか雨の晴れるのを待ったという岩。地名「雨晴」の由来ともなっています。

伝説では、弁慶が持上げたと言われるこの岩石は、上代の古墳の石槨であろうという説もある。昔、辺りが海となっていなかったころの貴人を埋葬した古墳だが、

波が上の部分をさらってしまい、石槨だけが残ったものと言われている。(雨晴観光協会HPより)

この海岸は、明日のツーデーウオークのコースにもなっています。

    

雨晴海岸から氷見市内に入ります。

氷見は、藤子A不二雄(我孫子素雄)さんの出身地。市内には「怪物君」の漫画ロードがあります。

      

   

   

  

午後4時近くになりました。商店街の湊川公園では、「忍者ハットリ君のからくり時計」があります。

  

商店街を少し入った所に「光禅寺」があります。ここが藤子不二雄A(我孫子素雄)さんの生家です。安孫子さんは、1934年光禅寺の長男として生まれました。

10歳の時高岡市に転居し、そこでパートナーとなる「藤本 弘氏」と会い、17歳で二人の合作「藤子不二雄」というペンネームで漫画家デビューしました。

私も子供の頃よく藤子不二雄さんの漫画を読んでいました。てっきり一人で書かれているのだろうと思っていましたが、二人の合作だったのですね。

  

  

光禅寺の隣には。「日宮神社」があります。天長5年(828年)勧請。以前は比美の浜(富山湾)に面していました。日の出の名所として日見の宮から日宮と称しました。

祭神は、天照大御神。

    

今夜の宿は、氷見漁港に面した所です。寒ブリは、12月からですので今の時期はありませんが、白エビや地元漁港で採れたお魚を出してくれました。

    

  

明日は、30kmのウオーキングです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 


宮地嶽神社光の道(福岡県福津市)

2016-10-20 12:52:11 | お祭り

嵐のCMで有名になった「宮地嶽神社」の光の道

ここは、年に2回(2月と10月)海から参道にかけて夕日が一直線になり「光の道」と呼ばれています。

10/18 この光の道を見学に宮地嶽神社に行ってきました。

宮地嶽神社は、約1600年前創建。当社のご祭神「息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)」別名「神功皇后(じんぐうこうごう)」は第14代仲哀天皇の后で応神天皇の母君にあたられます。

古事記、日本書紀等では渡韓の折、この地に滞在され、宮地嶽山頂より大海原を臨みて祭壇を設け、天神地祇(てんしんちぎ)を祀り「天命をほう奉じてかの地に渡らん。

希(ねがわ)くば開運をた垂れ給え」と祈願され船出したとあります。その後、神功皇后のご功績をたたえ主祭神として奉斎し、随従の勝村・勝頼大神を併せ、

「宮地嶽三柱大神(みやじだけみはしらおおかみ)」としてお祀りしました。 以来、宮地嶽三柱大神のご加護のもとで事に当たれば、どのような願いもかなうとして

「何事にも打ち勝つ開運の神」として多くの方に信仰されるようになりました。 当社は、全国に鎮座する宮地嶽神社の総本宮です。(宮地嶽神社HPより)

  

   

16:00~階段席が開放されました。早い方は9時から待っておられたそうです。今日は日没は17:40分。

   

      

     

17:30日没時間が近づいてきました。

然し、海の方に雲があり夕日は雲に隠れてしまいました。  

    

今週いっぱい「光の道」が見えるそうですが、予報ではお天気はあまりよくなく、来年2月に期待したいですね。

 

 

 

 

 


会津飯盛山とさざえ堂(福島県会津若松市)

2016-10-19 04:23:55 | 旅行

10/14 今回の旅行最終日。8時にホテルをチェックアウトし、すぐ白虎隊の飯盛山に向かいました。飯盛山までは、動く坂道(@250)に乗って登れば楽ちんです。

NHK大河ドラマ「八重の桜」で有名になりました「ならぬことは ならぬものです

   

戊辰戦争のおり、16~17歳の少年たちで編成された白虎士中二番隊20人が戸の口原合戦場から退却し、滝沢峠の間道を通り、戸の口堰の洞門をくぐり飯盛山に辿り着くと、

鶴ヶ城の天守閣は黒煙の中に見え隠れして、「城は陥落したか、今は主君のために殉じよう」と、全員が自決しました。

20名のなかで1人だけ生き残った 飯沼貞吉 によって、白虎隊の忠義と悲運の物語は広く人々に知られるところとなりました。

※戊辰戦争:1868年(慶応4)戊辰の年に始まった維新政府軍と旧幕府軍との間に十六か月にわたって戦われた内戦。

  

  

   

戦死者の墓標を見てみると、ソニー創立者井深 大氏や元自民党政調会長伊東正義氏の縁者の方も殉死されています。

  

飯盛山を左に行った所に「さざえ堂」があります。

このさざえ堂は、9月に放映されたNHKテレビ「ブラタモリ」で紹介されました。

会津さざえ堂は寛政8年(1796)福島県会津若松市の飯盛山に建立された、高さ16.5m、六角三層のお堂です。

正式名称は「円通三匝堂(えんつうさんそうどう)」といいます。

当時飯盛山には正宗寺(しょうそうじ)というお寺があり、その住職であった僧郁堂(いくどう)の考案した建物です。

かつてはその独特な2重螺旋のスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂をお参りすることで三十三観音参りができるといわれていました。   

また、上りと下りが全く別の通路になっている一方通行の構造により、たくさんの参拝者がすれ違うこと無く安全にお参りできるという世界にも珍しい建築様式を採用したことで、

建築史上その特異な存在が認められ、平成8年に国重要文化財に指定されました。 (福島観光ナビより)

  

内部に入るとらせん階段みたいになっており、下りの人とはすれ違いません。一番上で上りと下りが入れ替わります。

2百数十年前の建物ですが、よく考えられています。また、お賽銭も1階で集中して集められることができるそうで同行のKさんの奥様が一番上からお賽銭を入れました。

  

   

Mさんご夫妻は、郡山発12時ぐらいの新幹線で帰られるそうで、さざえ堂をあとに帰路に着きました。

帰りの磐梯山P・Aにて。

  

郡山駅には11時過ぎに到着。Mさんご夫妻を見送り車を返却しました。3日間の走行距離は360kmぐらいでした。

また、来年も行きたいですね。

 


裏磐梯の紅葉2016(その3)浄土平~会津春日八郎おもいで館

2016-10-18 05:04:44 | 旅行

グランデコのゴンドラから浄土平までは国道115号線を走行し磐梯吾妻スカイラインを通ります。約50kmのドライブです。

この磐梯吾妻スカイラインは、有料道路でしたが2013年から無料開放されました。3年前の5月ごろ初めてこの道を通りましたが、両側に雪の回廊がありました。

   

浄土平に向かって走っていると、途中に紅葉が始まっている所がありました。

  

約1時間で浄土平に到着。この浄土平は、磐梯朝日国立公園に属しています。

磐梯朝日国立公園は、昭和25年(1950年)9月5日に指定された面積186,389ヘクタールの国立公園です。山形、福島、新潟の3県にまたがっており、

「出羽三山・朝日地域」「飯豊(いいで)地域」「磐梯・吾妻地域」「猪苗代地域」からなっています。

ここ浄土平は「磐梯・吾妻地域」に属し、磐梯吾妻スカイラインの中間地点の標高1,600メートルに位置しています。一切経山、吾妻小富士、桶沼に囲まれたこの一帯は、

一切経山の火山噴火により生成された火山荒原と、オオシラビソを主とする針葉樹林の原生林となっています。

また、高山植物群落や亜高山帯の針葉樹林湿原なども点在し、ビジターセンター、休憩所、自然探勝路が設置・整備されていますので、手軽に亜高山の自然を楽しむことができます。

吾妻山は古くから信仰の山として栄え、中吾妻山の西側にある吾妻山神社(吾妻山大権現)には山伏修行のため、ふもとからの駆け道(登山道)が通じていました。

駆け道沿いには、修験に関連した地名が残されています。浄土平」は、吾妻小富士や一切経山に囲まれた鮮やかな花々に満ちた平坦地が、厳しい山道を歩んできた登拝者にとって

極楽浄土のように思えたことから名付けられたと考えられます。(浄土平ビジターセンターHPより引用)

レストハウス前にある「吾妻小富士」に登ってみます。吾妻小富士は1707mで早春のころになると山肌に残る雪がうさぎのような形に見えることから、この残雪は「雪うさぎ(吾妻の雪うさぎ)」と呼ばれ、

福島市民に春の訪れを知らせる風物詩となっています。昔から雪うさぎが見えるようになると、農家の人々が苗代に種をまき始めたところから、「種まきうさぎ」とも呼ばれます。

レストハウス駐車場から階段を登って約10分、火口に着きました。この火口は、直径500m、火口底まで70mです。

2年前九州鹿児島の高千穂峰に登りましたが高千穂にもこのような火口(御鉢)がありました。火口を覗くと吸い込まれそうで怖いです。

吾妻小富士は、火口を1周できるようになっていますが、今回時間があまりありませんのでここまでとします。

火口周辺には、あの世に近いという意味でしょうか、石が積み重ねられていました。

    

会津のKさんとは、会津坂下町(ばんげちょう)「春日八郎おもいで館」で待ち合わせしています。車のナビをそこに合わせると約1時間半かかります。

現在12時40分を過ぎましたのでKさんに電話で待ち合わせ時間を2時半と連絡しました。(ちょっと余裕を持ちました)

高速を使い、会津坂下町の「春日八郎おもいで館」には、1時45分到着。我々が到着したのと同時にKさんも来られました。

春日八郎は、大正13年(1924)会津坂下町塔寺で生まれました。近くには立木観音があります。

子供の頃、よくこの「おもいで館」近くに遊びに来ていたそうです。その場所には「一本杉」がありました。その話を作詞家の高野公男に話し、栃木出身の舩村徹が曲をつけました。

そこで生まれた歌が「別れの一本杉」です。おもいで館の前には別れの一本杉の歌碑が建っています。近づくと歌が流れてきます。

春日八郎というと他に「お富さん」「長崎の人」「あんときゃどしゃ降り」「赤いランプの終列車」「山の吊り橋」「ロザリオの島」・・・・・・・・・・・・

どれも私が子供の頃よくラジオで聞いていました。

  

            別れの一本杉    作詞 高野公男   作曲 船村 徹   昭和30年(1955)発売

                   泣けた 泣けた

                        堪えきれずに 泣けたっけ

                        あの娘と別れた哀しさに

                        山のかけすも啼いていた

                        一本杉の石の地蔵さんのヨ

                        村はずれ   

 

 

  

   

春日八郎は、会津坂下町八幡小学校にピアノを寄贈したり、第二中学校の校歌や応援歌を作曲し、会津坂下町に貢献されたということで名誉町民の称号が贈られました。

また、作曲家猪股公章さんは、3歳までこの会津坂下町に住んでおられたそうです。古くは、戊辰戦争の時の「中野竹子」も会津坂下町出身です。

  

おもいで館を出て次に向かうのは「蔵とラーメンの町喜多方」です。

蔵のまち喜多方」として多くの旅人たちが集う喜多方。はじめて訪れた人にも、懐かしい郷愁を感じさせずにはおかない、素朴な趣のあるまちです。

それは、喜多方の蔵が観光のためにつくられたものではなく、現在も人が住み、使い、暮らしのうつわとしての役割を果たしているからなのでしょう。表通りはもちろんのこと、

路地裏や郊外の集落にまで蔵があり、その数は四千棟余といわれています。なぜ、このまちに、こんなに多くの蔵が建てられたのか。それには、いくつかの理由があります。

まず、いまでも、酒蔵、味噌蔵として使われていることからもわかるように、良質の水と米に恵まれた土地ならではの醸造業を営む場として、蔵が最適な建物であったことがあげられます。

また、蔵は、男たちの夢の結晶として、「四十代で蔵を建てられないのは、男の恥」とまでいわれ、喜多方の男たちにとって、自分の蔵を建てることは、情熱をかけた誇りの対象でもあったのです。

喜多方の蔵が、画一的なものでなく、白壁、黒漆喰、粗壁、レンガなどの種類や扉の技巧にいたるまでバラエティーに富んでいるのは、そうした男たち一人一人のロマンの表現だったのでしょう。

そして、もう一つの大きなきっかけとなったのが、明治十三年に起きた大火でした。この火事は、市の中心部から瞬く間に燃え広がり、約三百棟の家々を焼き尽くしました。が、

そのとき、くすぶる焼け野原に、厳然と残ったのがまぎれもない蔵の姿だったのです。こうして喜多方の人々は、蔵を誇りとして、蔵とともに今日まで暮らして来たのです。(喜多方市観光協会HPより抜粋)

今回は、大和川酒蔵の蔵を見学しました。

大和川酒蔵は、江戸中期寛政2年(1790)の創業です。

  

 

車の為試飲はできませんでしたが、丁度秋の庫出し頒布が行われており、それに申し込みました。10月末、11月末、12月末と3回にわたり送ってくれるそうです。

喜多方ラーメンは、昭和初期に作られ、スープはしょうゆ味の透明な豚骨スープです。喜多方市の人口約37000人に対し120軒ものラーメン屋さんがあるそうです。

今回は食べませんでしたが、今夜の宿でもビッフェに出るそうで今晩の楽しみにしておきます。

  

今夜の宿は、NHKブラタモリで放映された「御宿東鳳」です。テレビで20階からの展望がいいと放映されましたので20階に行ってみましたが、閉まっていました。

  

夕ご飯は、会津のKさんも一緒にいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


裏磐梯の紅葉2016(その2)

2016-10-17 05:06:10 | 旅行

10/13  裏磐梯の朝は、寒いです。0度~1℃ぐらいしかありません。今日は天気も良くホテルから磐梯山が良く見えます。

朝食前にホテルの近くを散歩します。

 

  

   

  

約1kmの散歩でしたが、セーター1枚多く着ていますが、寒くて手がかじかみます。ホテルでは、会津の郷土玩具「赤べこ」「起き上がり法師」が展示されていました。

  

そうそうNHKブラタモリで紹介された磐梯山の宝「山塩」もありました。このホテルの北塩原村もこの山塩と関係あるのでしょうか?

マンホールは、大山桜、水芭蕉、シジュウガラです。

  

朝食後、昨日行った「グランデコ」のパノラマゴンドラに乗るため出発しました。パンフには真っ赤な紅葉の上をゴンドラで空中散歩するような写真が掲載されています。

期待を持っていざゴンドラへ。

     

約15分でパノラマゴンドラ頂上駅に到着。西吾妻山登山はここから登ります。

 

 

  

    

紅葉にはまだ早かったのか、パンフみたいな光景は見れませんでしたが、磐梯山、西吾妻山の大自然を満喫しました。心が洗われたような気分です。

ゴンドラを下り、今日のメインの浄土平に向かいます。

115号線を走行中車が沢山停まっている所を発見。ちょっと見てみます。

ここは、中野沢の八百屋といって八百屋さんが10軒ほど並んでいます。

高原野菜がメインで大根が1本100~150円、キャベツ1玉150円・・・・・・・と凄く安い野菜が並んでいます。

あと、松茸もありました。1パック1万数千円・・・・・・・ちょっと手が出ません。

珍しいものとしては、香茸(いの花)も売っていました。乾燥して炊き込みご飯などに入れると香りがいいそうです。

  

  

(その3)に続く

 

 

 

 

 


裏磐梯の紅葉2016(その1)

2016-10-16 07:29:40 | 旅行

裏磐梯の紅葉が見たくなり10/12から2泊の予定で裏磐梯に行ってきました。

昨年は10/20頃ここに紅葉見学に行きましたが、残念ながらピークが過ぎており、今年は1週間前に行くことにしました。

7:00に福岡を出て福島県郡山に着いたのが11時少し前。郡山駅でレンタカーを借り、同行する下関のMさんご夫妻を待ちます。

12時Mさんご夫妻と共に裏磐梯へ。途中小野川湖で観光客の方からグランデコ東急の紅葉がきれいという情報を得て一路グランデコへ。

裏磐梯に近づくにつれだんだん天気が悪くなってきて、ついには霧雨が降ってきました。福岡を出た頃は、20数度あった気温も9~10度になってきました。

  

 

  

このグランデコ東急ホテルの隣接したところに「パノラマゴンドラ」があり上から紅葉を見ることができるそうですが、今日はあいにく霧雨が降っていて見通しも悪く明日早朝行くことにしました。

然し、今年の紅葉は、9月に台風などで雨が多かったせいか、あまり期待できません。

次は、裏磐梯高原ホテルへ。ここのティルームから弥六沼の紅葉も素晴らしいです。

  

 

   

昨年と比べてちょっと早かったかな???このあと五色沼「柳沼」に向かいました。

 

   

五色沼は、天気が良ければ湖面に紅葉が反射して綺麗な紅葉が楽しめるのですが、やはり天気が悪いとどうしようもありません。

時間も5時近くになってきましたので今夜の宿「休暇村・裏磐梯」に向かいました。

 

食事は、ビュッフェですが、別に福島牛のステーキ、福島牛香葉焼きをオーダーしました。もちろんお酒は会津の地酒です。

   

今日から始まったプロ野球CS第2ステージの日ハムVSソフトバンクホークスの試合も気になって仕方なかったですが、ホークス劣勢の為すぐ就寝しました。

 

 

 

 

 

 


ひらどツーデーウオーク2日目16kmコース(長崎県平戸市)

2016-10-11 11:46:57 | オールジャパンウオーキングカップ

10月8~9日は「ひらどツーデーウオーク」でした。

当初は、2日間とも参加予定でしたが、8日は、プロ野球パリーグクライマックスシリーズソフトバンクホークスVSロッテマリーンズの観戦の為ヤフオクドームに行っていました。

試合は、ハラハラドキドキの展開でどうにか我がソフトバンクが4-3で逃げ切りました。(翌日の試合も勝って12日からのファイナルステージへ進出)

  

翌日9日、福岡の自宅を午前5時に出発。一路平戸へ。会場の平戸文化センターには7時15分に到着。

会場では、茨城のKさん、敦賀の車さんご夫妻と会いました。会場からは平戸城が見えます。

平戸城は、松浦家26代鎮信は、慶長4年亀岡に「日の岳城」を築きました。しかし徳川家康は、豊臣秀吉と親交が深かった松浦家に疑いのまなざしを向けた。

鎮信は、その疑いを払うため「日の岳城」を焼却、平戸6万1,700石と民を守りました。以来約90年間を「御館」で過ごしますが、30代棟となって1704年「平戸城」の再築を開始、1718年に完成しました。

明治6年廃城となり、昭和37年平戸市により復元されました。

   

8:30 30kと16k同時スタート。今日は、敦賀の車さん、佐賀・Dさんといっしょに歩きます。

16kmコースは、文化センターをスタートし、白浜→平戸大橋→平戸瀬戸市場→田平支所→昆虫自然園→田平天主堂→田平公園→平戸大橋公園→市役所前→文化センターゴールのコースです。

30分ぐらい歩くと平戸大橋です。今日は風が強くちょっと肌寒い感じがします。特に橋の上では突風が吹き、私のトレードマークの「風車」が飛んでいきそうです。

  

  

橋を渡ると田平(たびら)町です。

左折しると「平戸瀬戸市場」ふが見えてきます。平戸大橋が完成するまでは、ここから平戸行のフェリーが発着していました。

ここでは、給水の他に丸天が振る舞われました。

 

少しコースを外れて、松浦鉄道「たびら平戸口駅」に寄り道です。松浦鉄道は、1988年JR九州松浦線を受け継ぎ第三セクターとしてスタートしました。

この駅は、日本最西端の駅として知られています。

田平町は、昆虫の町でもあり、駅には、カマキリと貨車のモニュメントがありました。

     

里田原支石墓の所から右折します。ここから緩やかなアップダウンが続きます。

田平昆虫園です。田平昆虫園は、全国でも珍しい昆虫園です。1992年(平成4年)7月に当時の田平町の町営にて開園しました。施設面積は約4.1ヘクタールで、

敷地内は林地、池・水際、花壇・畑地、草地・裸地の4つのゾーンに分かれており、あらかじめ昆虫が住みつきやすい環境を整備して周辺から園内に集まり棲息している昆虫を観察するという形態をとっています。

付属施設として昆虫館が設けられており、昆虫に関する展示のほか、ビデオ・図書などの閲覧ができます。(Wikipediaより)

  

田平天主堂が最初のチェックポイントです。

  

 田平(たびら)教会は、1886年以降、黒島と出津(外海)から移住して来た信者が造り上げた。両地域とも潜伏キリシタンが多かったが、明治になってカトリックに復帰し、

フランス人神父が常駐して教会も建てられた。その後、人口が増えると、神父が田平に土地を購入して数家族が移り、次第に移住者が増えていった。

最初は民家を仮聖堂としていたが、本格的な教会の建設を計画する。信者の積立金に県内各地での募金やフランス人篤志家の大口寄付を加えて資金を調達し、信者の献身的な労働奉仕により、

1918年に念願の教会ができた。設計施工は鉄川与助で、多彩なレンガ積み手法、ススを塗った黒レンガによる装飾など、与助のレンガ造教会の最高峰とも言われる。

正面には八角形のドームを頂く鐘塔がそびえ、内部のリブ・ヴォールト天井も本格的である。教会は、平戸瀬戸を見下ろす高台に立地する。司祭館や門柱、石段、石垣などが残り、

周囲には墓地や畑が広がるなど、歴史的環境がよく保存されており、2003年に国の重要文化財に指定された。(長崎県の教会群インフォメーションより)

 

  

教会の中に入りたかったのですが、今日は日曜日でミサが行われていましたので外からステンドグラスを撮影しました。

       

全快参加した時は、北松農業高校で梨のお接待がありましたが、ちょうどこの日は高校の運動会です。梨は、ナシ。(笑)

  

コースは、田平公園へ。ここからの平戸大橋の眺めは、最高です。昨日は悪天候だったそうですが、今日は天気も良く素晴らしい光景に出合いました。

再び平戸大橋を渡ります。向かい風が強く歩くのも苦労します。橋の途中で30kmコースのトップの方が追い越して行かれました。時速8kぐらいのペースでしょうか、速いです。

平戸大橋を渡り大橋公園が2回目のチェックポイントです。ここが昼食会場。車さんたちは、お弁当を予約されており、ここで車さんたちと別れ、ゴールを目指します。

12:30 無事16kmゴールしました。受付時にいただいた金券で平戸のアゴを買い家路を急ぎました。

途中でカーラジオをつけるとパリーグCSホークスが勝利していました。あと4勝で日本シリーズです。頑張れホークス!