よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

やっと富士山に会えました。

2017-10-31 06:30:04 | ウォーキング

10/23(月)台風21号は、午前3時ごろ静岡県御前崎に上陸し、ここ甲府も暴風雨になりました。

ただ、速度が速かったせいか、午前6時ごろには、晴れ間も見えるようになりました。

今日は、昼前の電車で山形に移動する予定でしたが、中央本線、山形新幹線などが運転を見合わせています。この日中に山形に着けるかどうかわかりません。

従って、甲府に延泊し、明日の朝の電車で山形に行くことにしました。

天気もだんだん回復してきましたので、レンタカーを借り、再度富士山を見るため、河口湖、山中湖に行ってきました。

甲府から河口湖の方に走ると、富士山はまだ雲の中です。

忍野(おしの)村に来ると、やっと富士山が顔を出してくれました。富士山は、今日の早朝初冠雪を記録しました。写真には、頂上付近に少しですが、白いものがあります。

  

忍野八海にも行ってみました。

その昔、忍野湖は富士山の噴火活動を何度も経て、徐々に富士 裾野と御坂山系との狭間を水触、掘削排水され長い期間の後、ついに湖は涸れました。

しかし、富士山の伏流水に水源を発する湧水池がいくつか残りました。その代表的な湧水池が「忍野八海」です。

富士山に降り積もる雪解け水が、地下の不透水層という溶岩の間で数十年の歳月をかけてろ過され、澄み切った水となりました。美しく神秘的であり、

移り変わる四季に彩られた富士を水面に映しこんだ姿は訪れた人々に水本来の姿と護るべき美しさをそっと訴えているようにも感じられます。

忍野八海は「形状、水質、水量、保全状況、景観、仏教思想(富士信仰)など」の観点から、昭和9年(1934年)に国の天然記念物に指定され、昭和60年(1985年)に、

環境庁から全国名水百選に選定されました。また、平成6年(1993年)には、県富岳百景選定地にも指定されました。(おしのナビより)

水の色が違いますね。やはり、晴れていると色が違うのでしょうか?

  

 

榛ノ木林資料館

   

 お釜池

   

このあと足を延ばし「山中湖」に行ってきました。山中湖は、富士五湖の中でも一番大きな湖で、湖面に映る「逆さ富士」でも有名です。

   

この際、土曜日に入った「紅富士の湯」にももう一度行ってみました。 土曜日は、お風呂が人で混雑していましたが、今日は平日。ゆったりと入ることができました。

この湯の見どころは、露天風呂から見る富士山です。写真が撮れないのでパンフより抜粋しました。

富士山を見ながらのお風呂は、癒されます。昔、銭湯で富士山の姿が描かれていましたが、ここは、本物の富士山です。

   

西湖

西湖は、河口湖もみじマーチ2日目のコースに入っていました。

西湖は、864~866年(貞観6~8年)に起きた貞観噴火によって、溶岩流が本栖湖及びセの海に流れ込み、分断してできた堰止湖です。フジマリモの群生地。

南側には、青木ヶ原樹海が広がっています。

西湖いやしの里紺場は、かつては美しい富士を背に茅葺き屋根が並んでいた西湖畔の根場地区。

しかし、今はほとんどその姿を見ることができなくなってしまいました。富士河口湖町では、そんな日本の原風景である茅葺き屋根の集落を甦らせようと、

「西湖いやしの里根場」に約20棟の茅葺き屋根の家屋を復元しています。

  

 

 

 

精進湖

精進湖も西湖と同様に 貞観噴火によって溶岩流が本栖湖及びセの海に流れ込み、分断して出来た堰止湖です。

以上駆け足で富士五湖周辺を見て回りましたが、富士山は、日本一の山、心を和ませてくれます。

来月は、旧東海道(島田~府内)を歩きますので静岡県側からの富士山も見てみたいと思っております。


河口湖もみじマーチ2日目中止のため甲府昇仙峡に行きました。

2017-10-30 14:31:37 | ウォーキング

10/22(日) 台風21号が接近し、今夜あたりに本州上陸?ということで「富士河口湖もみじマーチ2日目」は、中止になりました。

この雨、これから強くなるそうですので「中止」は、やむを得なかったのではないかと思います。

昨日からレンタカーを借りていましたので、今夜の宿泊地「甲府」に向かいます。

     

甲府には、紅葉の名所「昇仙峡(しょうせんきょう)」があります。

日本一の渓谷美、昇仙峡の主峰『覚円峰』はその昔、澤庵禅師の弟子僧侶覚円が畳が数畳敷ける広さの頂上で修行したことが、その名に由来します。

全国観光地百選 渓谷の部第1位、平成百景 第2位を受賞した名勝です。※『覚円峰』は花崗岩が風化水食を受けてできたもので、急峻で直立約180mあります。(昇仙峡HPより抜粋)

  

残念ながら、昇仙峡は、ガスがかかっていてその景色を見ることができませんでした。駐車場から滝上までが散歩コースになっていますが、この雨で足元が悪いため行くのを断念しました。

  

今の時期でしたら、こんな紅葉風景が見られるのですが・・・・・・・※写真は昇仙峡HPより抜粋

  

昇仙峡から武田神社に行きました。

武田神社は、甲斐武田氏3代、信虎公・信玄公・勝頼公が60年余りに亘って国政を執った、「躑躅ケ崎館跡(武田氏館跡)」に、大正8年(1919年)に御創建されました。

境内には当時からの堀、土塁、石垣、古井戸等が残り、信玄公を始め一族の遺香を現在まで伝えると共に、神社創建の折、県内各地の崇敬者より寄進された数百種類の樹木が、

四季折々の風情を呈しております。宝物殿には、武田氏ゆかりの鎧・甲冑・刀剣などを展示致しております。(やまなし観光ネットより)

 

  

武田神社の朱印もいただきました。

  

甲府駅の駅前にある甲府城跡(舞鶴公園)は、武田氏滅亡後、豊臣秀吉の命により築城されました。関東の徳川家康に対抗するための重要な戦略拠点として築かれたといわれ、

徳川体制になってからは西側への備えとしての重要性を保ち続けたといわれています。かつては20haほどの広大な城郭でした。(やまなし観光ネットより)

3時前にホテルに着き、レンタカーを返却しました。

プロ野球パリーグCSシリーズソフトバンク対楽天は、7-0でソフトバンクが勝利し、日本シリーズへ進出しました。

ソフトバンク日本シリーズ決定のお祝いをホテル前の居酒屋さんで行い、ビールで乾杯しました。そのあとは、甲州名物の「ほうとう」です。

ほうとうは、山梨県の山間部では米作りがむずかしく、蚕(かいこ)を飼って絹糸をとることで暮らしていました。蚕のえさとなる桑(くわ)を作り、桑の収穫が終わったあとは、麦を栽培しました。

収穫した麦をめんにして、季節の野菜といっしょにみそで煮こんで食べたのがほうとうです。戦国時代(せんごくじだい)の武将(ぶしょう)、武田信玄(たけだしんげん)が

自分の刀で食材を切ったことから「宝刀(ほうとう)」と名付けられたという説もあります。

雨が降って寒かったので、温かいほうとうは、かぼちゃも入ってとてもおいしくいただきました。

  

 さあ、台風ですが、明日の早朝関東地方に近づくそうです。


第26回富士河口湖もみじマーチ1日目20km(山梨県富士河口湖町)

2017-10-29 08:00:25 | オールジャパンウオーキングカップ

10/20  3年ぶりに「富士河口湖もみじマーチ」に参加しました。3年前は、雨で富士山が見れずリベンジのコースでしたが、天気予報では、台風21号が接近し、雨の予報。

福岡空港から7:00の飛行機で羽田に行き、羽田から高速バスで河口湖駅に向かいました。河口湖駅に着いたのが午後1時。

河口湖駅からレンタカーを借り、事前受付をするため会場の富士河口湖町役場へ。

   

     

10/21(土)第26回富士河口湖もみじマーチ1日目 20kmコース

台風21号のせいか、朝から雨が降っていて時々強く降る最悪のコンディション。7:30 30k、20k同時スタート。

天気のいい日には、会場から富士山が見えるのですが、今日は、顔を出してくれません。本当は、30kmコースにエントリーしていましたが、この雨で20kmに変更しました。

 

 

 

 

 

 

河口湖フィールドセンターに着きました。ここには、船津胎内樹型があります。

河口湖フィールドセンターの敷地内にある船津胎内神社の中に入口があります。洞穴の側壁は肋骨状、天井は鍾乳石状になっていたり、

流れ込んだ溶岩がうねったり奇妙なしわ模様をつくったりしていて、まるで人の胎内のようです。全長約70m、長いもので約20mの樹型が複数本組み合わさり、

一帯で最大大規模の溶岩樹型です。1617年に富士講の開祖長谷川角行が富士登山拝をした際、北鹿に洞穴を発見し、浅間大神を祀りました。富士講信者によって

1673年には、現在の船津胎内樹型が発見されました。洞穴には木花開邪姫命が祀られています。富士講信者は富士山の登山前後に身を清めるために胎内くぐりを行ったそうです。

胎内の中に入ってみたかったのですが、この雨です。先を急ぎました。

   

雨は、容赦なく降り続けます。道路には、水たまりもできました。そこを車がスピードを上げ通り過ぎ、私の所に水しぶきがかかってしまいました。

もう少しゆっくり走ってくれたらいいのに・・・・・・  

   

 

大塚丘(おおつかやま)は、西暦110年日本武尊(やまとたけるのみこと)東征の折に、途中で立ち寄ったとされており「北方に美しく広がる裾野をもつ富士は、この地より拝すべし」と

言葉を残したとされています。 大塚丘に浅間大神と日本武尊をお祀りし、北口本宮冨士浅間神社の創建となりました。 (富士吉田観光案内より)

  

北口本宮富士浅間神社です。この神社は1900年の由緒があり、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東方への遠征の折にこの地にて富士山の神霊を遥拝し「富士の神山は北方から拝せよ」と

仰せになり、祠を建てて祀ったのが始まりです。

富士山の女神である木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)、彦火瓊々杵命、(ひこほのににぎのみこと)、大山祗神(おおやまづみのかみ)がお祀りされています。

古くから富士山の遥拝地として信仰を集めていましたが、江戸時代に富士講が広まると多くの人がここより登拝し、富士山の北口(吉田口)登山道の起点として栄え、

17世紀初期に富士講の寄進により整備された境内は壮観で、富士山信仰の中心であることが感じられます。(富士の国やまなし観光ナビより)

  

北口本宮浅間神社を下りた所が、20k、30kの分岐点です。30kは、道の駅富士吉田~忍野八海を経由します。

20kは、金鳥居市民公園へ向かいます。20kのチェックポイントが金鳥居市民公園です。

  

 

 

チェックポイントを過ぎると、富士急ハイランドが見えてきます。今日は雨ですので遊戯施設は、見た所動いていません。台風だからお客さんも少ないのかな?

  

富士急河口湖駅です。昨日は、外国の方が多かったみたいですが、今日はどうかな?

11:44 ゴールの富士河口湖役場に到着。カッパを着てのウォーキングでしたが、シャツに水がしみ込んでいます。

その足で「紅富士の湯」に直行しました。この温泉も晴れていたら露天風呂から富士山が見れます。今日は・・・・・・・・

 

ホテルへ戻る途中、「道の駅富士吉田」に立ち寄りました。店先には、甲州のブドウが販売されていました。おいしそうなので一房買ってしまいました。

また、道の駅には、「吉田うどん」のお店があります。お腹も減ったので食べることにします。

吉田うどんの特徴は、太くてこしが強く、硬い麺です。キャベツや油揚げを入れます。

食べてみると、さすがこしが強く、硬いです。太さは、伊勢うどんみたいに太いです。

うどんは、博多も名物ですが、博多のうどんは、こしの弱い麺(柔らかい麺)です。博多のうどんばかり食べていますので、食いしん坊の私でもちょっと残してしまいました。

  

台風21号は、本州に近づいています。明日のウォーキングはどうなるでしょうか?

 


能古島(のこのしま)ウォーキング(福岡市西区)

2017-10-19 05:04:53 | ウォーキング

10/18(水)は、ふくおかウォーキング協会の例会「能古島ウォーキング」に参加しました。

集合場所は、JR姪浜駅。ストレッチの後、ウォーキングスタート。今日は、姪浜駅から能古渡船場まで歩き、フェリーで能古島に渡り、アイランドパークまで折り返します。

 

約25分で渡船場に到着。10:15のフェリーに乗船します。

  

出航まで時間があったので、渡船場周辺を歩いてみると、福岡よしもとの「寿 一美さん」を見かけました。寿さんもロケで能古島に行くのかな?

  

約10分で能古島へ到着。

能古島は、博多湾に浮かぶ周囲12km、人口約700人の島です。美しい自然と防人がおかれ、万葉集にも詠われた豊かな歴史に彩られています。

1972年には、福岡出身の歌手の井上陽水さんが「能古島の片思い」という歌を出されています。

つきせぬ波のざわめく声に 今夜は眠れそうにない 浜辺に下りて裸足になれば 届かぬ波のもどかしさ 僕の声が君に届いたらステキなのに 

五ヶ浦廻船とは、能古島、浜崎、今津、唐泊、宮浦の五つの廻船のことです。福岡検定の試験問題にも出題されました。

  

 

能古渡船場には、「えび」が売られていました。この時期にしか獲れないそうです。10尾入って1000円です。今夜の晩酌のお供にいいですね。(笑)

また、のこバーガーもおいしいです。

  

寿さんのクルーも能古島に渡ってこられました。TVQの撮影でしょうか?ウォーキング協会の仲間の方にも話しかけられました。

  

向こう側には、ヤフオクドームが見えます。今日(18日)からパリーグCSファイナルステージがここで行われます。ソフトバンクが勝って日本シリーズに出れるようそっと

お願いしました。

  

  

アイランドパークまでの道は、上り坂が続きますが、景色は最高です。 

  

約40分でアイランドパークに到着。今日のウォーキングは一応ここで解散です。この時期ここの「コスモス」は綺麗です。

入園料は1200円、入ってみようかと思いましたが、天気予報では昼から雨とのこと。入るのだったら天気のいい日に来たいです。

ここから渡船場まで帰ることにしました。帰りは少し違う道を歩きます。

  

 

作家檀一雄さんは、福岡市西区小田(こた)を舞台にした「リツ子その愛・その死」を書きました。ここから小田方向が見えます。

 

展望台からバス道路に下りてきました。

 

「鹿垣(しかがき)」 江戸時代、島は黒田藩の鹿の猟場で最盛期には600頭の鹿がいました。鹿垣は、鹿が田畑を荒らさないよう東西2kmにわたって築かれた石垣です。

  

 

11:55能古渡船場に到着。12:00のフェリーに間に合うことができました。フェリー内では、撮影を終わられた寿さんも乗船されていました。

    

姪浜渡船場からはバスでJR姪浜駅へ。

先ほどからポツリポツリと落ちていた雨も本降りになってしまいました。

今日のランチは、姪浜駅前の食堂の日替わり定食です。イワシの刺身定食。(@680)

 

 

 

 

 

 


ひらどツーデーウォーク2017 2日目16km(長崎県平戸市)

2017-10-10 19:24:25 | オールジャパンウオーキングカップ

10/08(日)は、ひらどツーデーウォーク2日目に参加しました。昨年に続き2年連続4回目の参加です。

  

8:30 30k、16k同時スタート。今日は、北九州市のNさんご夫妻、東京のとほ娘さん、札幌のSさん、広島のIさんと一緒に歩きます。

  

平戸城の横を通り、猶興館高校校門前を過ぎて平戸大橋へ。

猶興館高校は、現在じゃぱネットたかたの会長高田明氏の母校です。

  

カタクチイワシは、「いりこ」として出汁に使われます。このままですと、お酒のおつまみにもいいですね。

 

平戸大橋は、全長665m、昭和52年(1977)開通しました。昨年は風が強く私の相棒の「風車」の骨が折れたりしましたが、今年は風もなくその心配も無用でした。

  

橋を渡ると田平(平戸市)の町です。平戸大橋が完成する前までは、田平港からフェリーで平戸に渡っていました。

私が社会人になってすぐのころ、平戸港ターミナルの建設が行われていましたので、材料納入のため何回もこのフェリーを利用したことがあります。

当時、1日に30往復ぐらい便があったのではなかったでしょうか?フェリー代も高かったと記憶しています。

そのフェリーも平戸大橋完成後何年かは、営業していましたが、昭和59年(1984)廃止になりました。

  

松浦鉄道「たびら平戸口駅」は、日本最西端の駅です。

まだJRが国鉄の頃は、博多から筑肥線~松浦線を通って急行がこの「平戸口」まで走っていました。50年前の古い話です。

  

   

ナフコの踏切を渡ります。ここから昆虫館までは、このコースの最大の上り坂です。

  

最初のチェックポイントが「田平天主堂」。

  

北松(ほくしょう)農業高校は、今年も運動会でした。※北松は、以前この一帯が北松浦郡でしたので北松と呼んでいます。

  

田平公園です。ここからは平戸大橋のビュースポットです。

  

田平公園から平戸大橋に戻ってきます。ここからゴールまでは、約3km。

  

大橋を渡った平戸大橋公園が2回目のチェックポイント。

 

公園から国道に出ます。

  

  

歩いていると30kmのトップの方が追い抜いて行きました。東京のMさん、兵庫のIさんです。

  

12:06 16kmをゴールしました。ゴール後の楽しみは、ぜんざいです。お腹も減っていましたのでおいしかったです。

  

 


アフターウォーク(玉川温泉~八幡平~盛岡)

2017-10-09 07:07:51 | 日記

10/01(日) 田沢湖ツーデーマーチのあとは、温泉です。

先ず、前から気になっていた、日本一の強酸性を誇る「玉川温泉」です。

田沢湖から玉川温泉までは、約40km。約1時間で到着。

    

 

  

玉川温泉は、湯治客が多く、敷地の中に自炊部、旅館部などがあります。また、岩盤浴があり、湯治の方は、ゴザを持って入られていました。

  

入湯料600円を払い、大浴場へ。大浴場は、源泉50%の浴槽、100%の浴槽、あつ湯、ぬる湯、蒸気湯、打たせ湯などがあります。

入ると、何かピリピリする感じです。なんだろう?と思って体を見てみると、切り傷の所がピリピリしていました。また、飲泉では、温泉水を5倍から8倍に薄めて飲めますが、

一口飲んでみると、酸が強く、とてもとても飲めるものではありません。

約30分間の入浴でしたが、上がった後は、ポカポカして汗が止まりませんでした。

このあと国道341号線に戻り、盛岡に向かいます。

東北の山々は、もう紅く染まってきています。

  

ふけの湯

   

八幡平大深沢展望台

  

 

 

  

パノラマで撮ってみました。

車で走っていると、突然山の方から1頭のキツネが出てきました。このキツネ、人に慣れているのか道路中央の所に座り動きません。

多分、何か食べ物を強請っているのでしょうか?

東北自動車道を通り、盛岡市内に入ってきました。レンタカーを返却し、家内とささやかながらオールジャパン達成の打ち上げ会を行いました。

  

 

 

翌日はもう一つの盛岡のグルメ「じゃじゃ麺」をいただきました。

初めての味ですが、おいしかったです。

  

11:50盛岡駅から新幹線「はやぶさ」で東京へ、羽田より飛行機で福岡に戻りました。

  

 

 

 

 

 


瑠璃色ロマン神秘第19回田沢湖ツーデーマーチ2日目12km(秋田県仙北市)

2017-10-07 17:26:24 | オールジャパンウオーキングカップ

10/01(日) 第19回田沢湖ツーデーマーチ2日目。今日は昨日と比べて快晴です。

会場は、レストハウスよりバスで約20分のアルパこまくさ。2日目のコースは、①33km、②22km、③12km、④6km。

私たちは、帰る時間もありますので12kmコースを選択しました。

今日の田沢湖です。2日目のコースは、アルパこまくさから田沢湖レストハウスのゴールに向かうコースでほとんど下りばかりです。

アルパこまくさには、秋田駒ヶ岳へ向かう人がバスを待っていました。(今日、秋田駒ヶ岳は日曜日ですのでマイカー規制になっていて、バス以外は通れません)

 

出発式を終え9:15スタート!昨日までは、見れなかった駒ヶ岳が今日は綺麗に見えます。

  

  

 

お天気も良くそんなに暑くもなく絶好のウォーキング日和です。

 

田沢湖周辺には、乳頭温泉、水沢温泉、田沢高原温泉などの温泉があります。仙北市では、3か所の温泉が楽しめる温泉パスポート(1500円)を発行しています。

  

秋田駒ヶ岳をアップしてみました。所々紅くなってきていますね。

  

  

  

   

山のはちみつ屋です。赤いロンドンバスが目印です。

  

田沢湖湖畔にやってきました。もうゴールはすぐそこです。

11:20 ゴールしました。

  

 祝! オールジャパンウォーキングカップ完歩  

       

  

宿菜の花マーチから約10年、やっとオールジャパン完歩しました。始めたころは、まさか、達成するとは思いもしていませんでした。

家内と二人での達成です。

  

このあと、レンタカーで玉川温泉を経由して今日の宿「盛岡」へ向かいました。(続く)

 

 

 

 

 

 


瑠璃色ロマン神秘第19回田沢湖ツーデーマーチ1日目23km(秋田県仙北市)

2017-10-06 04:44:48 | オールジャパンウオーキングカップ

9/30(土)瑠璃色ロマン神秘第19回田沢湖ツーデーマーチ1日目に参加しました。

この大会2日間を歩き終えると念願の「オールジャパンウォーキングカップ」(47都道府県の大会に参加完歩)達成となります。

会場は、田沢湖レストハウス。昨日からの雨は出発式には、小雨になっています。

1日目のコースは、①レストハウスからバスで移動してあきた芸術村からスタートする40km、②レストハウスからスタートして田沢湖一周する23km、③レストハウスからバスで移動して

むらっこ物産からスタートする12km、④レストハウスからバスで移動して御座石神社からスタートする6km・・・・・・・いずれもゴールは、レストハウスです。

私たちは、田沢湖を一周する23kmコースを歩きました。

  

ところが、ストレッチ、スタートの「激」の後、雨が本降りになってきました。あわててリュックからポンチョ、傘を出し、スタートしたのは、一番最後尾でした。

  

県民の森には、都道府県の木が日本地図のように植栽されています。

 

 

  

田沢湖のある仙北市は、今年7月23日の豪雨のためがけ崩れなどの被害が出ています。

   

スタートから約7km「クニマス未来館」があります。ここには、山梨県西湖から貸与された「クニマス」5尾が展示されています。

かつて、秋田県の田沢湖に生息したサケ目サケ科の淡水魚。ベニザケの陸封変種で、北海道の阿寒湖(あかんこ)などに生息するヒメマスの亜種または近縁種と考えられている。

体長30cm程度に成長し、黒色の婚姻色を呈する。田沢湖へ酸性河川の玉川の水を導入したことにより、1940年代の初めに絶滅したと考えられていたが、

2010年、山梨県の西湖に生息していることが確認された。かつて、西湖などにクニマスの受精卵が送られた記録があり、この子孫ではないかと考えられている。

クニマスは、田沢湖にのみ生息した固有種で、古くから漁労の対象とされていた。別名「木ノ尻鱒(ます)」とも呼ばれ、田沢湖の辰子(たつこ)姫伝説では、

湖に投じた松明(たいまつ)がクニマスに変じたとされる。「お国の鱒」ということから、江戸時代にはクニマスの名で秋田藩主佐竹義和に献ぜられ、江戸にも移送されたと伝えられる。

明治期末から、田沢湖でクニマスの孵化(ふか)放流事業も試みられていた。1920年代に新種として認められ、学名は紹介者である京都大学の川村多實二教授(当時)の名にちなんで、

Oncorhyncus nerka kawamuraeという。もともと田沢湖は流入河川がほとんどない湖だったが、日中戦争開戦(37年)に伴い、40年に国策として、電源開発と農業用水の確保を目的とした

玉川の強酸性河川水の田沢湖への導水が開始された。以降、田沢湖は酸性化が進み、クニマスを始め、湖に生息する魚類がほぼ死滅するに至った。

このため、環境省のレッドデータブックでもクニマスは絶滅とされていた。95~98年には、田沢湖町(当時)の観光協会が「深湖魚国鱒を探しています」というキャンペーンを

多額の懸賞金を懸けて実施した。今回、西湖で再発見されたクニマスは、地元では「クロマス」と呼ばれ、かねてよりよく知られた魚であり、西湖漁業協同組合もクニマスではないかと、

地元の水産技術センターに持ち込んだことがある。ただ当時の判定ではクニマスと認められず、そのまま長く存在が忘れられていた。

再発見のきっかけは、お魚タレントのさかなクンとして知られる東京海洋大の宮澤正之客員准教授が、京都大の中坊徹次教授の依頼でクニマスの絵を描くための参考に取り寄せたヒメマスのなかに

西湖の「クロマス」があったこと。その特徴などから中坊教授らが精査。遺伝子解析などの結果、ヒメマスとは異なることが明らかになり、クニマスであると確認された(知恵蔵より)

   

 

 

  

約半分の「むらっこ物産館」がハーフ地点。ここで40kmコースと合流します。40kmコースのトップは、歩友「東京のMさん」です。

 

ここでは、お味噌汁の接待を受けました。雨で濡れていましたので温まります。

   

むらっこ物産館で折り返し、「たつこ像」に向かいます。

  

田沢湖のシンボル「たつこ像」です。

たつこ姫伝説

田沢湖が田沢潟と呼ばれていた頃、院内にまれにみる美しい娘、辰子がいた。辰子はその美しさと若さを永久に保ちたいものと、密かに大蔵観音に百日百夜の願いをかけた。

満願の夜に「北に湧く泉の水を飲めば願いがかなうであろう」とお告げがあった。

辰子は、わらびを摘むと言ってひとりで家を出て、院内岳を越え、深い森の道をたどって行くと、苔蒸す岩の間に清い泉があった。喜び、手にすくい飲むと何故かますます喉が渇き、

ついに腹ばいになり泉が枯れるほど飲み続けた。

時が過ぎ、気がつくと辰子は大きな龍になっていた。龍になった辰子は、田沢潟の主となって湖底深くに沈んでいった。 

一方、辰子の母は娘の帰りを案じ、田沢潟のほとりに着き、娘が龍になったのを知って悲しみ、松明にした木の尻(薪)を投げ捨てると、それが魚になって泳いでいった。

後に国鱒と呼ばれ、田沢湖にしか生息しなかった木の尻鱒という(田澤鳩留尊佛菩薩縁起より)

 

  

田沢湖を含む秋田県は、韓国ドラマ「IRIS]のロケ地でした。このたつこ像にも韓国、中国からの観光客が来られていました。

  

瑠璃色の田沢湖です。光の関係で瑠璃色に見えるのでしょうか?

御座石(ござのいし)神社に着きました。ここまで17.5km。雨はまた強くなってきました。

  

御座石神社(ござのいしじんじゃ)という社名は、慶安3年(1650年)に秋田藩主佐竹義隆公が田沢湖を遊覧した際、腰をかけて休んだことに由来します。

朱塗りの鳥居のそばには、1本の木から7種類の木が生えた「七色木(なないろぎ)」や、たつこが飲んで龍となった「潟頭の霊泉」、たつこが姿を映した「鏡石」などの名所もあります。

雨が強いため、遠くから御参りしました。

 

  

あと3km地点になりました。雨は一向にやむ気配がありません。道路には、水たまりができ、通り過ぎる車が水しぶきを上げて走っていきます。

 

  

田沢湖レストハウス近くに戻ってきました。

   

 13:40 ゴールしました。この雨でシューズの中も濡れていました。早くホテルに帰り乾かさねば・・・・

  

今日の歩いたコースです。

 

 

 

 

 


田沢湖へ(秋田県仙北市)

2017-10-04 18:14:19 | 旅行

9/29(金)

9/30~10/1に行われる「瑠璃色ロマン神秘第19回田沢湖ツーデーマーチ」に参加するため、秋田県仙北市に行ってきました。

福岡から秋田へは飛行機の直行便がなく、福岡から羽田まで飛行機、東京駅から秋田新幹線で田沢湖に入りました。

朝、福岡は、快晴でしたが、田沢湖は小雨が降っていました。この雨、明日も続くそうです。日本列島も長いですね。

田沢湖駅前にある田沢湖市の中を見学すると「月の輪熊の缶詰」が売られていました。

  

  

田沢湖駅でレンタカーを借り、事前受付が行われている「田沢湖レストハウス」に向かいました。

田沢湖では、もう木々が紅くなりかけています。

 

 田沢湖は、秋田県の中東部に位置する。直径は約6kmの円形、最大深度は423.4mで日本第1位(第二位は支笏湖、第三位は十和田湖)、世界では17番目に深い湖である

(世界で最も深い湖はバイカル湖)。湖面標高は249mであるため、最深部の湖底は海面下174.4mということになる。この深さゆえに、真冬でも湖面が凍り付くことはない。

そして、深い湖水に差し込んだ太陽光は水深に応じて湖水を明るい翡翠色から濃い藍色にまで彩るといわれており、そのためか日本のバイカル湖と呼ばれている。(ウィキペディアより)

  

今日は、雨のためか、瑠璃色の田沢湖が見れませんでした。

田沢湖レストハウスには、秋田犬、比内鶏がいます。

   

また、田沢湖のシンボル「辰子姫」を祀っ「辰子姫明神」もあります。

 

雨も止みましたので、このあとレンタカーで「秋田駒ヶ岳」の方に向かいます。

秋田駒ヶ岳は、十和田八幡平国立公園の南端にある秋田県第一の高峰である(最高地点は鳥海山山腹)。山頂部には北東-南西方向に2つのカルデラが並び、

本峰の男岳(おだけ、1,623m)や火口丘の女岳(めだけ、1,512m)、寄生火山の男女岳(おなめだけ、女目岳とも書く、1,637m)からなる。

各地の駒ヶ岳と区別するために秋田駒ヶ岳と呼ばれ、地元では「秋田駒(あきたこま)」とも呼ばれる。昔は女人禁制の信仰の山であった。(ウィキペディアより)

秋田駒ヶ岳は、土曜、日曜、祭日には、マイカー規制が行われており、(バスが運行)この日には、マイカーで行くことはできません。今日は、金曜日ですので車で行けます。

 

狭い登山道を登っていくと廻りの木立が色づき始めています。

  

秋田駒ヶ岳8合目に着きました。周りは、ガスが出て何にも見えません。散策道を歩きたかったけどこれでは無理ですね。天気のいい日でしたら鳥海山も見えるのですが・・・・・

   

今回、田沢湖ツーデーマーチの宿舎は、休暇村乳頭温泉です。ここの横のブナの森がきれいでしたので夕食までの間、散歩してみることにしました。

 

ブナの森は、上の方が少し黄色くなりかけています。10月半ばになるとこのようになるそうです。(休暇村HPより抜粋)

   

歩いていると温泉の硫黄の匂いがしてきました。

  

  

途中、「熊出没注意」の看板が立っていましたので休暇村周辺の散策だけにしました。

乳頭温泉のお湯は、乳色で硫黄の香りが漂っていました。(写真は、休暇村HPより抜粋)

気持ちのいいお湯でした。