よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

さくらさくら公園巡りウォーク(福岡市)

2019-03-28 20:53:31 | ウォーキング
昨日(27日)は、ふくおかウォーキング協会「さくらさくら公園巡りウォークに参加しました。参加者は、約60名。
コースは、大濠公園能楽堂~舞鶴公園~警固公園~天神中央公園~山王公園~博多駅。
9:30スタート。福岡の桜は、先週開花宣言が出されましたが、今の所4分から5分咲きかな?
 
 
  
舞鶴公園では3/23~4/05迄 桜まつりが開催されています。約1000本の桜が夜ライトアップされます。
  
 
 
 
 
  
 
  
 
   
枝垂れ桜の前では、結婚式の前撮りが行われていました。
  
 
このあと、鴻臚館、平和台球場跡を通ります。
 
   
 
警固公園を通り、天神へ。福岡市役所では、ソフトバンクホークスの大きな垂れ幕がかかっていました。
 
 
 
天神中央公園の桜もまだ4分咲きぐらいです。
 
  
 
  
 
西中洲では、まだ11時前ですが、「めんたい重屋」さんの所には長い行列ができていました。
 
福岡市内の繁華街「中州」では、陽光桜が満開です。
 
  
 
中州から住吉公園を経由して山王公園へ。山王公園の桜は、もう7分ぐらい咲いていました。
 
  
 
12:20 博多駅にゴールしました。
 
1月~3月の福岡ウォーキングの担当も今日で終わりです。担当者6人で博多駅でランチしました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

第10回京都ツーデーウォーク2日目20km(京都市)

2019-03-11 20:12:34 | ウォーキング

3/3 京都ツーデーウォーク2日目

今日は、朝から曇り空で予報では朝から雨とのこと。傘、ポンチョを用意しての出発式です。

2日目のコースは、「北山・東山コース」で京都御苑や平安神宮、清水寺、三十三間堂などを通るコースです。

8:00 スタート

 

  

1時間ほどで京都御所です。京都御所は、2016年7月より無料公開され中に入ることができます。

折角ですので中に入ることにしました。

 

京都御所は、794年、桓武天皇が平安京へ遷都した当時の内裏(御所)は、この京都御苑から約2km西に位置していました。現在の京都御所は内裏の焼失等の際に、天皇の仮住まいとなった里内裏の

ひとつである東洞院土御門殿に由来するもので、1331年(元弘元年)、光厳天皇がここで即位されて以来、御所とされたものです。

1392年(明徳3年)の南北朝合一によって名実ともに皇居に定まり、明治に至るまでの 約500年の間、天皇の住まいでした。建物自体はその間も焼失を繰り返し、現在の建物は安政2年(1855年)に
 
平安時代の内裏の姿にならって再建されたものです。現在の京都御所は、南北約450m、東西250mの方形で面積は、約11万㎡です。
 
清所門から入ります。入るとすぐ手荷物検査があります。

 

     

御車寄・・・公卿をはじめとする高位の貴族などが、儀式や天皇との対面の為に使用した玄関です。諸大夫の間や清涼殿、小御所と廊下でつながっています。

   

紫宸殿(ししんでん)・・・京都御所において最も格式の高い正殿であり、即位礼などの重要な儀式がここで行われました。明治、大正、昭和の天皇の即位式はこの建物内で行われました。

清涼殿せいりょうでん)・・・平安時代中期以降、天皇の日常のお住まいとして定着した御殿であり、政事・神事などの重要な儀式もここで行われました。天正18年(1590)に御常御殿にお住まいが移ってからは、

       主に儀式の際に使用されました。

  

春興殿(しゅんこうでん)・・・京都御所で行われた大正天皇の即位礼に合わせて大正4年(1915)に造営されました。式の際,皇位とともに継承される三種の神器の一つ「御鏡」を皇居からお移しして奉安し,

            賢所大前の儀を行った建物です。

 

   

御学問所・・・慶長18年(1613)、清涼殿から独立した御殿で、御読書始や和歌の会などが行われました。慶応3年(1867)、ここで明治天皇が「王政復古の大号令」を発せられました。

  

御内庭(ごないてい)・・・・曲折した遣り水を流して,土橋や石橋を架けた趣向を凝らした庭で,奥に茶室を構えています。

   

御三間(おみま)・・・・御常御殿の南西に接する東西棟の小さな建物で、上段、中段、下段の3室からなり、涅槃会、茅輪、七夕、盂蘭盆などの行事がここで行われました。

  

約1時間滞在し、再びコースに戻ります。砂利道の長い築地壁を歩いていきます。

   

相国寺(しょうこくじ)・・・臨済宗相国寺派の本山。京都五山の一つ。万年山と号する。弘和2=永徳2 (1382) 年に足利義満が後小松天皇の勅願を奉じて創建した。開山は夢窓疎石。足利氏代々の尊崇を受けたが

応仁の乱以後衰微した。その後豊臣,徳川両氏の寄進により堂宇も補修され旧観を回復したが,いくたびか焼失し,その後再建された。塔頭 (たっちゅう) 鹿苑院があった。

  

相国寺の東門には、蛤御門の変、戊申戦争で亡くなった薩摩藩士の墓があります。

相国寺の先が20k、30kの分岐点です。ここまで約7km。京都御所見学で1時間ぐらい要しましたので20kコースの方へ行きます。

 

  

下鴨神社参道、御陰橋を通ります。

  

哲学の道にやってきました。このあたりから心配していた雨がポツリポツリと降ってきました。まだ小雨ですので傘をさしてのウォーキングです。

哲学の道は、哲学者西田幾太郎が散策、思索にふけったといい、この名がついたそうです。

ここで5歳児ウォーカー「S太君」に追いつきました。彼が幼稚園で習った歌(たきび、雪、など)を一緒に歌いながら歩きます。

この童謡をうたったのは何十年ぶりでしょうか、まだ歌詞は忘れていませんでした。今の子供さんも幼稚園で習っているのですね。

  

大豊神社が1回目のチェックポイント。

 

平安神宮に近づくと観光客の方が増えてきました。京都ツーデーウォークの第1回大会は、この平安神宮が会場でした。今の梅小路公園になって5年ぐらいなるのかな?

平安神宮・・・・、1895年(明治28)桓武天皇の平安遷都1100年祭を記念し桓武天皇を祭神として創建された神宮です。後に平安京最後の天皇である孝明天皇も合祀されました。

社殿は平安京の政庁の中心であった朝堂院の形式を約二分の一に縮少して復元したものです。二層の神門は応天門中央正面一層の入母屋造の拝殿は大極殿、拝殿左右の桜閣は東は蒼龍桜、

西は白虎桜と呼ばれています。桜の季節には、もっと多くの観光客が来られることでしょう。

  

知恩院・・・浄土宗総本山で法然上人を開基とする。国宝の三門は徳川二代将軍秀忠により建立されたもので、高さ24m、横幅50m、屋根瓦約7万枚とその構造・規模において我が国最大の門です。

 

八坂神社・・・全国にある八坂神社や素戔嗚尊(すさのをのみこと)を祀る約2,300の神社の総本社です。古くは祇園感神(かんじん)院、祇園社と呼ばれていたこともあり、花街として知られる祇園の名も、

        その門前街として栄えたことに由来します。

  

高台寺公園が2回目のチェックポイント。

    

  

コースは清水寺に入ってきます。清水寺は、北法相宗の本山で778年(宝亀9)に延鎮上人が開山。「清水の舞台」として知られる本堂は、寄棟造りの優美な建築です。1994年世界遺産に登録されました。

  

今日は三月三日、三十三間堂は、春桃祭で入場料が無料です。説法では瀬戸内寂聴さんがこられるそうです。説法は13時からですが、まだ時間がありますのでパスしました。

  

コースは京都駅前を通り、ゴール地の梅小路公園に近づきました。

  

13:40 20km(実際は、22k)ゴールしました。

  

心配された雨も小雨でそんなに濡れずにゴールできました。久しぶりの京都ツーデーウォークでしたが、楽しく歩くことができました。また来年も参加したいですね。

 


第10回京都ツーデーウォーク1日目30km(京都市)

2019-03-07 11:07:48 | ウォーキング

3/2~3/3に行われる「第10回京都ツーデーウォーク」に7年ぶりに参加しました。

7年前は、会場が平安神宮でしたが、何年か前から京都駅近くの「梅小路公園」に変更されていました。

1日目は、仁和寺・洛西コースです。

     

出発式では、京都市下京区のゆるキャラ「シモン」や関西ワールドマスターゲームズのゆるキャラ「スフラ」が見送りに来てくれました。

  

8:00 30kmコーススタート。

 

平安高校を右折すると「本願寺」です。

  

本願寺は、京都市下京区にある浄土真宗本願寺派の本山。山号は、竜谷山。通称、西本願寺。文永9年(1272)親鸞(しんらん)の娘覚信尼が、親鸞像を安置した御影堂を吉水(よしみず)に建てたのを起源とする。

北陸・京都山科(やましな)・大坂石山など各地を転々としたのち、天正19年(1591)豊臣秀吉から現寺地を寄進されて移転。慶長7年(1602)大谷派分立後は、本願寺派の本山として西国地方を主に

末寺1万余寺を擁する。現存の堂宇は、元和3年(1617)焼失後に再建されたもの。飛雲閣は聚楽第(じゅらくだい)からの移築、書院・唐門などは伏見城の遺構。建造物の多くが国宝や重要文化財。

寺宝に親鸞聖人影像・三十六人家集(以上国宝)など多数がある。平成6年(1994)「古都京都の文化財」の一つとして世界遺産(文化遺産)に登録された。

 

京都の町中は、碁盤目のようになっていて、道は直線なんですが、筋ごとに信号があり、すぐ信号に引っかかってしまい、先頭集団とどんどん離れてしまいます。

二条城は,慶長8年(1603年),徳川将軍家康が,京都御所の守護と将軍上洛のときの宿泊所として造営し,3代将軍家光により,伏見城の遺構を移すなどして,寛永3年(1626年)に完成したものです。

家康が建てた慶長年間の建築と家光がつくらせた絵画・彫刻などが総合されて,いわゆる桃山時代様式の全貌を垣間見ることができます。また、家康と秀頼の会見場所となった地で、幕末の慶応3年(1867)には、

15代将軍慶喜が大政奉還を行ったところでもありまうs。平成6年(1994)には、世界遺産に登録されました。

  

5,3km地点の京都アスニーが1回目のチェックポイント。

  

丸太町通りを進むと、「妙心寺」 です。

妙心寺は臨済宗妙心寺派大本山で、大徳寺と並ぶ禅宗の代表的寺院です。妙心寺は禅寺の中でも厳しい修行を重んじる「林下」の寺院です、しかし現在では山内の宿坊に一般観光客の宿泊も許され、

広く国民の平安を願うべく宗教活動を行われています。妙心寺のある場所は花園上皇の離宮・萩原殿があった場所で、上皇の発案でこの地に禅寺を建立されました。

山内は三門、仏殿、法堂(はっとう)などの伽藍を中心に47ヶ寺の塔頭があります。

  

妙心寺から約1kmぐらい歩いた所が「仁和寺」です。仁和寺の歴史は仁和2年(886年)第58代光孝天皇によって「西山御願寺」と称する一寺の建立を発願されたことに始まります。 しかし翌年、

光孝天皇は志半ばにして崩御されたため、第59代宇多天皇が先帝の遺志を継がれ、仁和4年(888年)に完成。寺号も元号から仁和寺となりました。

嵐電の駅には「御室(おむろ)仁和寺」となっています。御室とは、宇多天皇が仁和寺内に御室(住居)を営み、法務の御所としたので、御室御所と呼ばれ、仁和寺の別名になりました。

仁和寺というと、吉田兼好の徒然草ですね。仁和寺(にんなじ)にある法師、年寄るまで、石淸水を拝まざりければ、心うく覚えて、ある時思ひ立ちて、たゞひとり、徒歩(かち)よりまうでけり。・・・・・

確か、試験に出たのではないかな??

  

福王子神社の先が、20k、30kの分岐点です。

  

30kmコースは、ここより嵐山の方に向かいます。

 

  

大覚寺は、真言宗大覚寺派の本山で876年(貞観18)に開創された皇室ゆかりの門跡寺院。前身が嵯峨天皇の離宮で「嵯峨御所」とも呼ばれています。大沢池は、唐の洞庭湖を模して平安時代に造られた

林泉式庭園。観月の名所として知られています。

    

  

嵯峨野竹林の小径から観光客の方が増えてきました。特に外国の方が多いです。和服姿の方もいらっしゃいます。中には、花嫁衣装の白無垢を着ている方もいました。

   

   

天龍寺・・・何年か前、紅葉を見に行ったことがありますが、ここも観光客の方でいっぱいです。

  

嵐電嵐山駅は、嵐山と京都市街地を結ぶ電車として知られています。

 

嵐山は、日本有数の観光地で、渡月橋(とげつきょう)を渡ったところにそびえる峰を指し、愛宕山から吹き下ろす通称愛宕おろしに、峰々の桜や楓が散らされるところから、嵐山と呼ばれるようになりました。

  

阪急嵐山駅が2回目のチェックポイント。ここで持ってきたパンを食べ少し休憩します。

  

30分ぐらい休憩し、再び歩き出します。お酒の神様の松尾大社、梅宮大社を過ぎ、桂川の河川敷に着きました。

  

西京極球場を通り、3回目のチェックポイントが「京都アクアリーナ」です。

  

コースは九条通りに入ります。この通りは、4年半前、山陽道(西国街道)を完歩した時に歩いたコースです。

ここで福岡の5歳児ウォーカーS太君に会いました。S君今日も20kmを歩いています。

  

東寺が見えてきました。山陽道(西国街道)を歩いた時は、この東寺がゴールでした。

東寺の南大門を入り東寺の中へ。

  

14:10 30kmをゴールしました。久しぶりの30kmで持病の膝が痛くなってきました。

 今日のコース「YAMAP]で記録しています。こちらです。

https://yamap.com/activities/3199537

 


彦根城で「ひこにゃん」と出会う(滋賀県彦根市)

2019-03-05 11:49:43 | ウォーキング

3/2~3に行われる「第10回京都ツーデーウォーク」に参加の為、前日の1日より博多より京都へ向かいました

今回は、JR西日本の限定切符「おとなび」を利用しました。これですとJR西日本管内の特急、快速などが3日間乗り放題です。(普通席20000円、グリーン席24000円)

新大阪のホテルに荷物を預け、新大阪より新快速で彦根へ。彦根に着くと丁度お昼になっていました。

駅前に「近江ちゃんぽん」の店を発見。ちゃんぽんというと、すぐ長崎ちゃんぽんを連想しますが、ちょっと興味津々で店の中へ。

 

出汁が「黄金だし」「辛みそ」「柚子こしょう」の3つがあり、柚子こしょうを選択しました。味は、あっさりしていてしかも麺は細麺。けっこういけます。ただ、九州育ちの私にはチャンポンというと豚骨、鶏がら出汁が

体に浸み込んでおり、違った味でした。

  

昼食後、彦根城に向かいました。

 

彦根城は、姫路城などとともに天下の名城の一つに数えられる彦根城は、井伊直継(なおつぐ)・直孝(なおたか)によって約20年の歳月をかけて建設され、元和8年(1622)に完成しました。

犬山城、松本城、姫路城、松江城とともに「国宝5城」です。彦根藩は、35万石の大名でした。

佐和(さわ)山城・安土城・長浜城・大津城の石垣や用材が使われました。月明かりに浮かぶ彦根城は美しく、琵琶湖八景の1つに数えられています。明治時代の廃城令や戦火を免れた彦根城の勇壮な姿を、

城内散策で眺められます。また、彦根城の別名金亀城(こんきじょう)の名は、彦根城築城以前、彦根山上にあった寺院に金の亀に乗った観音像が安置されていたため、と言われています。(滋賀観光より)

  

城に向かって歩いていると、井伊大老の歌碑がありました。「あふみの海 磯うつ浪の いく度か 御世のこころを くだきぬるかな」

この歌は、琵琶湖の波が磯に打ち寄せるように、世の為幾度となく心を砕いてきたと幕府大老として国政に力を尽くしてきた心境を表しています。この2か月後、江戸城桜田門外で凶刃に倒れました。

   

  

拝観料800円を支払い城内へ。

  

  

太鼓門を潜ると天守です。

  

   

内堀沿いに歩いて「玄宮園」へ行きます。内堀には、白鳥、カモ、オオバンなどの鳥がいました。

   

  

玄宮園は、下屋敷である槻御殿(現楽々園)に伴う後園として、江戸時代前期に作庭された大規模な池泉回遊式庭園。中央に掘られた池泉には大小4つの中島が築かれ、様々な形式の橋が架けられて、自由な

回遊性を確保するとともに庭園の景観にもなっていました。回遊する園路は、当時園内に存在した4つの茶屋へ誘うように巡っており、玄宮園が茶会を中心とした大名の社交の場となっていたことを裏付けています。

現在工事中で池の水も抜いていました。

  

 

 

15時から彦根城博物館前でゆるキャラの「ひこにゃん」のショーがあるということで博物館の方へ移動します。

ひこにゃんは、江戸郊外武蔵国荏原郡世田ヶ谷村(現・東京都世田谷区豪徳寺)の豪徳寺で、彦根藩の2代目藩主・井伊直孝がにわか雨にあって大木の下で雨宿りをしていた際に、

手招きをする白猫を見て近寄ったところ、直後に大木に雷が落ちた。この白猫のおかげで難を逃れたと感じた直孝は感謝し、のちに豪徳寺を井伊家の菩提寺とした。この白猫の伝説

いわゆる「招き猫発祥伝説」のひとつを元に想起されました。この 招き猫と井伊軍団のシンボルとも言える赤備え(戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編成のこと)の兜(かぶと)を

合体させて生まれたキャラクターです。

 

  

ひこにゃんは、テレビなどで見てはいましたが、実際に実物を見るのは、初めてでした。ショーを見ていると、何だか引きつかれていきます。ホント可愛いですね。

帰りには、ひこちゃんのどら焼きを買って帰りました。