よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

宇美川河畔・志免町を歩く(福岡県粕屋郡志免町)

2022-01-28 09:16:12 | ふくおかウォーキング協会

1/26(水)ふくおかウォーキング協会の楽しいウォークは、「宇美川河畔・志免町を歩く」でした。

出発前のミーティングで、事務局長より明日(1/27)から福岡県がまん延防止重点措置に入るため、まん延防止の終了時(2/20)まで例会を休止すると発表されました。

昨年夏の第5次には、まん延防止措置の場合、例会は続行、緊急事態宣言の場合は、休止すると言ってましたが、最近の福岡県内の感染者を見ると、3000人を超え、毎日過去最多の感染者数

更新しています。このような状態であれば、2月上旬には一日の感染者数が1万人を超えるという予想も出ています。

当協会員は、ほとんどが65歳以上の方ばかりです。若し感染すると重症になりかねないし、この決定は正解だと思います。

 

集合場所は、福岡空港から少し歩いた「下臼井公園」 参加者36人です。

コースは、下臼井公園から宇美川河畔(刈谷公園)~水車橋公園~博多の森テニス場~福岡空港までの約10kmです。

 

スタートして約10分で志免町に入ります。志免町は、福岡市に隣接しているため、最近人口が急増しています。2021年12月時点で約46000人。

全国の町、村で人口密度が一番高い町です。

 

 

宇美川河畔を歩きます。ここには、約500mの桜並木があります。桜が満開の時はきれいでしょうね。(参考:福岡県の桜開花予想3/20ごろ)

満開時の写真を福岡県美しいまちづくり協議会から引用しました。(写真右側)

川沿いに桜並木が多いのは、江戸時代大雨が降ると川が氾濫しやすく土手が決壊することもたびたびありました。どうしたら土手が決壊しないか考えて、土手に桜を植えれば

毎年花見に訪れて、土手を踏み固めてくれるに違いない。そうした先人の知恵から川沿いに桜が多く植えられたそうです。(ウェザーニュースより)

 

コースは、水車橋公園に入ります。ここで休憩します。

 

水車橋公園は、以前、ごみ焼却場及びし尿処理場があった所を整備して平成27年(2015年)に開園しました。

園内には、桜並木、ジョギングコースなどが整備されています。

 

 

水車橋公園から再スタート。博多の森へ向かいます。

 

博多の森競技場は、平成2年(1990年)の国体の主会場として整備されました。現在は、陸上競技場、テニス場、球技場(サッカー、ラグビーなど)などがあります。

 

 

博多の森で休憩後再スタート。空港前の青木公園がゴールです。

 

ゴール後、地下鉄福岡空港まで歩いていきます。

空港の工事中の仮囲いには、アートが描かれていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


指宿菜の花マーチ勝手にウォーク(鹿児島県指宿市)

2022-01-26 05:29:46 | ウォーキング

参加者の皆様へ

現在の新型コロナウイルス感染症拡大に伴い開催について協議した結果、誠に申し訳ございませんが、第30回大会中止と致します
ご迷惑をおかけして大変申し訳ございません
1月14日、葉書でもご通知させて頂きました
【自主参加コースを設営いたします】
受付、弁当配布、給水ポイント、仮設トイレ、会場並びにコース上のスタッフ等、すべて中止といたしますが、いぶすき菜の花マーチ参加を楽しみにされている参加者に感謝を込めて、自由に歩いて頂けるように自主参加コースを設定いたします。
【設定コース】
1月22日(土)22kmコース/10kmコース
1月23日(日)25kmコース/5kmコース
◆受付、弁当配布、エイドステーション、仮設トイレ、コース内及び会場内スタッフ等はございません。
◆フラワーパークかごしま内に、大会中止対応ブースを設置いたします。また、実際に来られた方には記念品交換、弁当代返金等を対応させていただきます。

【対応スタンプ】
*日本マーチングリーグ
*九州マーチングリーグ
*JVA/IVV
*オールジャパンウオーキングカップ
*歩きたくなる道500選

◆大会対応バスはございません
(路線バスをご利用ください)
◆手荷物預所は設置いたしません
(自己管理のもとに荷物置き場で保管ください)
◆参加申込をされた方へは順次、大会記念品をお送りいたします。また、お弁当を頼まれた方には、小為替にてご返金させていただきます。
​◆1月24日(月)~1月30日(日)までの間は、事務局(指宿市観光協会内)にて、記念品等の引換を行います

1/22 (土)

第30回指宿菜の花マーチは、中止になりましたが、22日~23日は、勝手に歩けるということで参加しました。

 

 

豊留指宿市長のあいさつの後、勝手にウォーキング開始します。

フラワーセンター鹿児島の園内へ。

 

早咲き桜の「伊豆の踊子」がもう咲いていました。

 

 

開聞岳を望むところには、毎年その年の干支の花壇があります。今年は「寅」です。

 

 

  

展望台から

 

  

 

  

園内を歩くだけでも約3kmありました。

このあと、22kmコースに行こうかと思いましたが、お天気が怪しくなりましたので、竹山の近くにある「たまて箱温泉」に向かいました。

 

近くの砂蒸し温泉の「砂湯里」は、昨年11月末施設横の法面が崩れたため休業していました。

たまて箱温泉内は、写真撮影が禁止されていますので、いぶすき観光ネットより写真を引用させていただきました。

 

目の前が鹿児島湾、右手には長崎鼻、左手は竹山そして大隅半島と開聞岳の間には、竹島、薩摩硫黄島が見えます。この日は見えませんでしたが、竹島の左側には、屋久島です。

 

 

 


九州オルレ「指宿・開聞コース」(鹿児島県指宿市)

2022-01-24 05:00:24 | 九州オルレ

1/21(金) 「九州オルレ指宿・開聞コース」を歩いてきました。

このコース、今年(2022年)1月末で廃止されるそうで、菜の花マーチ(中止になりました)参加のついでに歩いてみようと計画しました。

朝、5時に車で福岡を出発し、オルレスタート地点の「西大山駅」に着いたのが、10時15分。車を西大山駅に置きオルレスタートです。

   

10:30 西大山駅をスタート。開聞岳を間近に見てのウォーキングです。

  

畑には、広いのどかな畑道です。何が植えられているのか見てみると、キャベツ、サニーレタス、それとスナップエンドウなどです。

ハウスの中では、キンギョソウも植えられていました。

 

3kmぐらい歩くと松林に入ります。ここの海岸線も絶景です。

 

 

 

「レジャーセンターかいもん」です。玄関の所には、明日行われる菜の花マーチの矢旗がありました。

 

レジャーセンターから再び海岸線に出ます。

「上原覚市氏」の銅像があります。上原氏は、川尻尋常高等小学校首席訓導として郷土教育に全力を尽くした・・・と書かれています。

ここまでが、5,6km。

 

 

川尻漁港を折り返します。このオルレコースは、あまり高低差がありませんが、ここからは少し上り坂です。

 

ゴルフ場から開聞山麓香料園を通過します。

  

 

東開聞駅の踏切を渡ります。東開聞駅の所にもオルレの石像が置いてます。

  

 

鏡池:広さ8haの丸い鏡のような形をした火口湖。条件がよければ、逆さ富士と称賛される湖面に映った開聞岳を見ることができます。

この日は、頂上の方だけが映っていました。

  

 

枚聞神社(ひらききじんじゃ)は、860年従四位に位された大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)ほか8柱を祀っています。古くから交通・航海の安全や、漁業守護の神として人々の厚い信仰を

集めてきました。薩摩一の宮といわれるように島津藩主の崇敬も厚く、本殿は県の重要文化財にも指定されています。優雅なたたずまいの朱塗りの社殿は、周囲の木々の緑に映えて見事です。

玉手筥あるいはあけずの箱と呼ばれる「松梅蒔絵櫛笥」も収蔵されています。

 

枚聞神社にお詣りし、先を進みます。もうゴールまであと少しです。

 

指宿市役所開聞庁舎で休憩します。庁舎内では、開聞岳の説明版が飾られています。開聞岳は標高924メートルで、コニーデの上にトロイデをのせた二重式火山で活火山です。整った山頂と

なだらかな稜線が美しく、秀麗「薩摩富士」の異名をとり、「日本百名山」にも数えられています。全山樹木で開聞さつきも咲きます。周囲に山がないため、南薩のほとんどの地域から

その円錐形の姿を見ることができ、まさにこの地のシンボルです。
頂上から望む大パノラマは圧巻で、北の霧島、桜島、池田湖、南の屋久島、三島と、鹿児島の観光名所を一度に味わうことができます。片道が約5キロの道のりを3時間程度で麓から頂上まで登れ、

年中を問わず登山客でにぎわっています。(鹿児島県観光ガイドより)

 

  

  

13:40 開聞駅にゴールしました。時刻表を見てみると、14:04発の臨時電車があります(線路工事のため臨時列車)。これに乗り遅れると2時間半待たなければいけません。

  

ベンチでパンをかじりながら待っていると、列車が入ってきました。2両編成ですが、乗っているのは我々2人きりです。貸し切り状態です。

 

約10分で西大山駅に到着。ホームには、観光客の方でいっぱいでした。(乗る人はいなく、皆さん写真を撮っていました)

 

この日のGPSです。

今まで九州オルレを歩いた中で高低差もあまりなく、歩きやすいコースでした。この指宿・開聞コースは1月末で廃止になりますが、3月末には、霧島コースも廃止になるそうです。

オルレは、韓国済州島発祥ですが、コロナで韓国の方が来れないから廃止の理由の一つでもあるのではないでしょうか?

私も2年前、済州島のオルレを歩こうと計画しましたが、コロナで断念しました。早く収まってほしいです。

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ホテルに戻る途中、菜の花マーチの会場でもあった「なのはな館」前の菜の花です。きれいに咲いていました。

 

 

 

 


「とこてく糸島」ウォーク【史跡とパワースポット地】(福岡県糸島市)

2022-01-20 09:18:28 | ふくおかウォーキング協会

1/19(水)ふくおかウォーキング協会の楽しいウォークは、「とこてく糸島」でした。

「とこてく糸島」とは、糸島の特色のある地域を”歩いて“めぐるウォーキングコースです。いろいろなコースがありますが、今回は、「史跡とパワースポット地」を歩くコースです。

史跡とパワースポットコースは、4,4kmですのでこれに補足したコースを作りました。

集合場所は、JR一貴山(いきさん)駅。参加者32名。

一貴山という地名の由来は、一貴山集落にあった古代寺院「夷魏寺(いきじ)」が転化したものと言われています。夷魏寺は、駅から南側の山手の方にありました。

  

今朝は寒く、朝の気温は-2度でした。蛇口にはツララ、畑は霜が降りていました。

  

今日のコースは、JR一貴山駅~銚子塚古墳~神在神社~神石~ラポール~浜の園公園~マルキョウ~JR筑前前原駅 の約10km。

9:30ウォーキングスタート

 

銚子塚古墳は、JR一貴山駅の北100メートル、二丈田中字大塚に位置する一貴山銚子塚古墳(いきさんちょうしづかこふん)は、墳丘(ふんきゅう)の全長が103メートルで、糸島地方最大の

前方後円墳です。4世紀後半に築かれたものと推定されており、国の史跡にも指定されています。発掘調査が、昭和25年(1950年)に福岡県教育委員会と日本考古学協会を中心に行われ、

糸島高校の生徒も多数調査に参加しました。
後円部墳頂(こうえんぶふんちょう)のほぼ中央からは、全長3.4メートル、幅1.4メートル、深さ0.8メートルの竪穴式石室(たてあなしきせきしつ)が発見されました。

石室(せきしつ)の中央には木棺(もっかん)が納められており、多くの副葬品(ふくそうひん)が埋葬当時の配列を保ったまま、ほぼ完全な状態で出土しました。

その中でも特に注目を浴びたのは、10枚の青銅製(せいどうせい)の鏡でした。鏡は、棺(ひつぎ)のふちに鏡面を内に向けて立てかけられており、方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)と内行花文鏡(ないこうかもんきょう)が1面(中国製)ずつ頭部付近に置かれ、8枚の三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)(日本製)が左右の側縁(そくえん)に各4枚ずつ

置かれていました。方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)には鍍金(ときん)(金メッキ)が施されており、国内でも数面にしか見られない珍しいものです。

現在、銅鏡など出土品の大半は、京都大学総合博物館に収められていますが、木棺材片、棺内から出土した水銀朱(すいぎんしゅ)の一部など資料の一部が糸島高校附属郷土博物館にも収蔵されています。(糸島市HPより)

 

銚子塚古墳の横には、国登録有形文化財の「椛島家住宅」があります。椛島家住宅は、元々は二丈田中の大地主であった「満生(みついき)家」の住宅でした。

現在のJR一貴山駅(当時は北九州鉄道)は、満生家の所有地から収穫された米を博多へ運び出す為に満生家の寄付により作られたものと言われていますので、満生家が如何に財力があったかが

想像されるでしょう。また、糸島地方最大の前方後円墳「国史跡・一貴山銚子塚古墳」とは敷地を接しており、満生家の方々はこの古墳を先祖の墓という意識をもち、

庭の一部として管理してきました。

 登録された建造物は、明治30年頃に建てられた主屋や、蔵、門、塀などです。南門に入ると正面に主屋と庭門及び塀、左手に古墳、右手に庫院(旧納屋)があり、納屋の東壁に連続して

東門・北門及び塀があります。区画された中で主屋、庭門及び塀、庫院を見ることができ、南門及び塀とともに上質な景観を創り出しています。主屋は2階建で間口が広く、

玄関がなく農家のニワと共通する前庭など、江戸時代の民家の特徴を残しています。主屋の随所には、当時の建具職人、左官職人、絵師の技術の高さが伺える細工が施されるなど、

当時の地主層の民家における前近代と近代の上質な特徴を併せもち、糸島地方における民家建築の流れを汲んだ近代的な和風建築の好例として、高く評価されています。(糸島市HPより)

現在は、僧侶の椛島氏が所有し、納屋を臨済宗富貴寺として使用されています。

  

 

見学後再スタート。神在(かみあり)神社へ向かいます。

  

神在(かみあり)神社は、神功皇后がこの地に紫雲がたなびくのを見て、「此処には、神が在られる」と言われたことから「神在」の地名が起こったという。

神社には、天と地を守る神が祀られており、拝殿横の埴安社には、大きな足形石がお祀りされています。

当初は、牧の天神山にあって優れた神徳により人々が集まり、村が出来盛んに信仰されていましたが、戦国時代、激しい戦乱の中で祭りは途絶え、社殿は荒廃しました。

戦乱が終わり、世の中が落ち着いた寛文4年(1664)村の有力者が小さい社を今の宮所神社に建立しました。更に、宝永4年(1707)社殿などを再建し相殿左に菅原社、右座に六社天神を

祀りました。更に天神山に祀られていた、埴安命(はにやすのみこと)を合祀して現在の神在神社になりました。

※福岡地区のうどんの名店「牧のうどん」は、この「牧」という地区にあるうどん屋 ⇒ 「牧のうどん」になりました。

 

埴安社の「足形石」。大きさは、50cmぐらいあるでしょうか?私の足のサイズの倍です。

  

神在神社脇道から「神石(しんせき)」に向かいます。

 

これが「神石(しんせき)」です。宇宙から降ってきたような巨石がポッカリ開いた竹林の中で竹の一本一本に光を放っている気がします。まるで竹林の中にヒヨコが「ど~ん」と

座っているかのような「神石」の名に相応しい巨大なパワーを感じることができます。(とこてく糸島より引用)

巨石は、外回り16m、高さ4m。かつては、土の中に埋まったいたそうでミカン畑にするため掘り返したところ巨石が出てきたそうです。

巨石の周りには、勾玉も出たといわれています。また、「鬼滅の刃」の聖地としても有名になっています。

  

神石から下りてきます。

  

  

浜の園公園で休憩後、西宮神社に向かいます。岩本西宮神社は、元和6年(1620)唐津初代藩主寺沢志摩守広高が創建。蛭子命、大国主命、事代主命、市杵島姫命を祀っています。

境内には、紅梅が咲いていました。

 

 

マルキョウで休憩

 

休憩後再スタート。この辺りは、唐津街道です。郡境石は、福岡藩と志摩郡荻浦との境です。当時荻浦は大分・中津藩の飛び地でした。

荻浦神社は、御祭神は、天照皇大神、国常立尊、豊受姫神、菅原大神
昔は老松神社と言った。一説には十六天神、また豊満神、山王神の相殿であるとも言う。明治5年11月3日村社に定められる。

  

美咲が丘から筑前前原駅に向かいます。駅近くの笹山公園は、糸島市の桜の名所です。3月末の楽しいウォーキングのコースに入っています。

11:33 JR筑前前原駅にゴールしました。

 

 

 


「城山(じょうやま)峠を越えて赤間へ」(福岡県遠賀郡岡垣町~福岡県宗像市)

2022-01-17 14:19:30 | ウォーキング

1/15(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは、「城山(じょうやま)峠を越えて赤間へ」でした。集合場所は、遠賀郡岡垣町のJR海老津駅。

この海老津駅、12年前の2010年1月、唐津街道を歩き始めた最初のゴール地(若松~海老津)でした。

何せ、初めての街道歩きでしたので地図を睨みながら(道を間違えながら)疲れ果てて夕方遅く海老津駅にゴールしました。そんな記憶が思い出されます。

あれから、長崎街道~山陽道~西国街道~東海道を歩いて、2018年、日本橋にゴールしました。いわば、この唐津街道が私の街道歩きの原点です。

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岡垣町は、明治40年(1907年)岡県村と矢矧(やはぎ)村が合併して発足しました。町名の「岡垣」は、砂の「岡」、防風林の「垣」をとって名付けられたそうです。

「小高い砂丘に松を植えた人々が住む町」というのがキャッチフレーズだったそうです。

駅の近くの壁面には、岡垣八景が展示されていました。

  

  

コースは、海老津駅~城山峠~MrMax~熊越池~釣川堤防~JR赤間駅の約10km。

9:30 スタート。

  

 

右側には、敷嶋稲荷大明神の「赤鳥居」があります。バス停も「赤鳥居」です。

敷嶋稲荷大明神は、ここから城山の方に上っていく所の岡垣町上畑にあるそうです。赤鳥居からは離れたところにあります。

コースは、城山峠に入ります。

  

下は、JR鹿児島本線城山トンネルです。

 

城山峠の頂上付近が、宗像市と岡垣町の境界です。

  

城山(じょうやま)は、陵厳寺にある山です。標高は369m。金山、孔大寺山、湯川山と並ぶ宗像四塚(よつづか)の一つで、宗像地方で1、2を争う知名度を誇ります。古くは赤馬山、

蔦ヶ嶽などと呼ばれていましたが、かつては山頂に宗像大宮司の城があり、今日でも「赤馬山古城跡」となって残っていますがそれが「城山」と呼ばれるようになったゆえんだとか。

山頂まで木の階段と急な坂道が続きますが山頂から見える玄界灘側の景色はとても素晴らしいものがあります。それに加えて、良く整備されている山道、随所に掲げてある指導標などといった

登山者への細かい配慮がなされていることから、山頂にある記帳簿には毎月3000以上もの書き込みがあるほどの人気の山です。宗像市民だけでなく近隣の市町村から訪れる登山者からも多く、

大変親しまれています。(宗像観光ガイドより)

 

 

MrMaxでトイレ休憩。休憩後再スタート。

この日、福岡教育大学では、大学入学共通テストが行われていました。

   

JR教育大前から唐津街道赤間宿です。

  

 

七社宮から釣川に向かいます。

 

釣川沿いは、ウォーキングコースで両側には桜が植えてます。

また、釣川には、まんが日本昔話にも放映された「まんが日本昔ばなし〜データベース〜 - 釣川の長太郎河童 (syoukoukai.com)」という昔話があります。

 

  

11:35 赤間駅南口にゴールしました。

 

 

 


「立花山裾野ウォーク」(福岡県粕屋郡新宮町~福岡市東区香椎)

2022-01-14 08:46:04 | ウォーキング

1/12(水)のふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「立花山裾野ウォーク」でした。

福岡地方、今日は朝から風が強く、寒いです。集合場所は、JR福工大前駅。参加者37人。

コースは、福工大前駅~トライアル~立花小学校~六所神社~西光寺~下原小学校~JR香椎駅ゴールの約10kmです。

 

9:30スタート。福工大前駅の構内を通り南口に出ます。

 

JR福工大前駅周辺は、福岡市東区と粕屋郡新宮町の境界に位置しています。

 

トライアルでトイレ休憩。

3号線ガードを潜り立花山に向かいます。

  

独鈷寺(とっこじ)は、立華山明鏡院独鈷寺と称し、天台宗比叡山に属します。 延暦24年(805)、伝教大師(最澄)が建立した天台宗開祖の寺として伝えられており、 最盛期には36坊を数える

大寺院でした。しかし、立花城攻防戦などの戦乱 でほとんどが消失し、現在では独鈷寺が残るのみとなっています。唐から帰朝 した最澄は、古賀の花鶴ヶ浜に上陸されました。

霊地を求めるため、持参した 独鈷と鑑を空高く放り投げたところ、二神山(立花山)のほうに輝きながら 飛び去っていきました。それを追って最澄は山に分け入り、落ちていた場所に

草庵を建てた、という独鈷寺建立の伝説が残っています。

寺の境内には、清水が湧き出る「独鈷水」と、修行のための座禅されたといわれる 「座禅石」があります。また、寺宝として、独鈷と鏡の他に鎌倉時代から江戸時代初期に かけての仏像、

徳川二代将軍秀忠が奉納したとされる掛仏が安置されています。     平成17年 新宮町教育委員会  (案内板より)

独鈷(とっこ)とは、密教で用いる法具、金剛杵(こんごうしょ)の一種。鉄製または銅製で、両端がとがった短い棒状のもの。独鈷杵 (とっこしょ) 。とこ。

 

六所神社 立花口バス停横に鎮座する産土神です。 わが国土は、神の産み給いしもので、国土の開発は 専らその神の恩恵による、と考えた昔の人々は、 その開拓地に神を祭り五穀の豊作を祈ったものです。
由来は、筑前風土記等によると、太古伊邪那岐命の禊はらいによるもので、 神代の昔から天照大神が御鎮座されたとあります。 その後、春日大神、熱田大神、賀茂大神、宇賀大神、貴船大神等近くの産土神をあわせ祀り、 六所大権現と称し神徳あまねく崇拝され、 昔は社殿の祭祀も厳粛であったと言われています。 また垣武天皇の時代、伝教大師が唐から帰国し、当地に初めて独鈷寺を創立になり、 属坊36院まで繁栄しました。立花道雪は六所権現の崇拝厚く、出陣に際しては戦勝祈願をしたと伝えられています。

六所神社からは立花山(367m)の登山口になっています。

 

境内横に九州で3番目の大きな「カゴ(鹿木)の木」があるそうで見に行ってきました。

  

六所神社を折り返し、西光寺(さいこうじ)に向かいます。

 

西光寺で休憩。西光寺には、ステンドグラスがあります。 

 

境内には、蝋梅、木瓜の花が咲いていました。

 

この立花地区は、立花ミカンと言ってミカンの産地です。直売所がありました。

 

旧道から国道3号線に合流します。

 

 

九州高校の先から高架橋を渡ります。

12:05 JR香椎駅にゴールしました。

  

今日のGPSです。

 

 

 

 

 


1月度例会「新春初不動尊詣りと淡紅梅」(福岡県宗像市)

2022-01-11 06:53:54 | ウォーキング

1/8(土)ふくおかウォーキング協会の1月度例会は、「新春初不動尊詣りと淡紅梅」でした。

集合場所は、JR東郷駅。参加者44人。コースは、東郷駅~いせきんぐ宗像~マルキョウ~鎮国寺~宗像大社ゴールの約10km。

 

9:30スタート。しばらく歩くと右側に「いせきんぐ宗像」があります。

いせきんぐ宗像(田熊石畑遺跡)は、宗像市内を流れる釣川の中流域に面する微高地上(標高12m)にいとなまれた弥生時代中期前半(紀元前2世紀)頃を中心とする集落遺跡です。
平成20年(2008)、宗像市教育委員会による発掘調査が行われた結果、日本の国の成り立ちを知るために重要な遺跡として平成22年2月22日に国史跡の指定を受け、平成27年4月に

宗像市田熊石畑遺跡歴史公園、愛称「いせきんぐ宗像」としてオープンしました。※いせきんぐとは、遺跡をもじった造成語ではないでしょうか?

宗像市内を流れる釣川沿いは、縄文時代(約6500年前)には、入海でした。やがて海は引き、釣川と姿を変えてきます。古代の宗像人はこの入海や河川を通じて玄界灘を行き来し、

朝鮮半島や列島各地と密接な交流を行い独自の地域文化を作り上げてきました。遺跡からは、弥生時代中期(紀元前2世紀)の有力者の集団墓である区画墓(墳丘墓)や貯蔵穴(地下式の穴倉)、

それを守る環濠、倉庫と考えられる堀立柱建物、竪穴住居などがあり人々が暮らす集落と死者の眠る墳墓の両方が確認されています。

建物群の規模やその整った配置から古代豪族「宗像氏」との関連性も注目されています。

 

 

いせきんぐ宗像の少し先には、「摩利支神社」があります。今回はパスしましたが、摩利支天というと、仏教の神様では?

神社の由緒を調べると、古い縁起によりますと、御創建は朱鳥五年(690年)、時の宗像大領の秋恵氏が、郡の中央の地の東江郷(現在の東郷)に天地創造の神『天之御中主大神』 

葛城一言主神』を奉齊し、後に勝運、勇武の神(摩利支明神)『摩利支神社』と称しするようになったのが始まりとされております。

天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ) 造化三神の一柱、古事記に登場する最初の神様。 葛城一言主神(かつらぎひとことぬしのかみ) 古事記では一言主と表記される神様、

凶事も吉事も一言で言い放つ託宣の神。

 

釣川を渡り、釣川沿いに歩きます。途中マルキョウでトイレ休憩。

 

 

 

 

上釣橋を過ぎます。

 

鎮国寺の長い階段を上ります。

 

鎮国寺は、弘法大師(空海)は、第16次遣唐使船で入唐の砌、大暴風雨に遭遇されました。この時危難を救わんが為、海の守護神宗像大神をはじめ諸仏菩薩に祈誓を込められたところ、

浪間に不動明王が示現されました。右手に持たれる利剣で波を左右に切り払われると、荒れ狂う風波は瞬く間に静まり、無事唐土に着くことが出来たのです。
首都長安(西安)において、青龍寺の恵果阿闍梨から真言の秘法を授かり、大同元年(806)に帰朝された弘法大師は、まず宗像大社に礼参されました。その時、屏風山に瑞雲が

棚引くのを観られ、奥の院岩窟において修法を始められたところ、「この地こそは鎮護国家の根本道場たるべき霊地」とのお告げをこうむり、一宇を建立し、屏風山鎮國寺と号されました。
「真言秘密の大法を伝え得たるは、危難をお救い下さった不動明王のお蔭に他ならず」と謹刻し祀られたのが、現在護摩堂に安置されている秘仏身代り不動明王立像です。

国の重要文化財に指定されており、毎年4月28日に御開扉して柴灯護摩供(火渡り)を営みます。
また、宗像三柱の御本地仏として、大日如来、釈迦如来、薬師如来の三尊を刻み、本尊と定められました。(鎮国寺HPより)

 

鎮国寺は、淡紅梅、熱海桜が綺麗なスポットとして有名です。

 

 

まだ蕾の状態でしたが、来月上旬には開花すると思われます。下の写真は昨年2月初旬の鎮国寺の淡紅梅と熱海桜です。(左が熱海桜、右が淡紅梅です)

 

メジロもおいしそうに蜜を吸っていました。

 

鎮国寺を下り、ゴール地の宗像大社に向かいます。

途中の川端橋は、まだ工事中でした。橋には、地元の小学生が描いた川端橋二十二景がありました。

 

11:45 宗像大社へゴール。バスの時間があれば宗像大社にお詣りに行こうかと思いましたが、東郷駅行きのバスの時間は、11:58

これを逃すと1時間後ですのでバス停へ向かいました。

 

今日のGPSです。

 

 

 

 

 

 


「三社詣りウォーク」(福岡市東区~博多区)

2022-01-07 10:53:04 | ウォーキング

1/5(水)今年最初のふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「三社詣りウォーク」でした。

香椎宮~筥崎宮~十日恵比寿神社を廻るコースです。例年ですと、これが終わって新年会をするのですが、昨年からコロナの影響で新年会は中止になりました。

三社参りとは、3つの神社を参拝することです。福岡県を中心に初詣の風習・行事として根付いています。(氏神様、産土神様、鎮守様)

集合場所は、西鉄香椎宮前駅。参加者は43人。

 

9:35 ウォーキング開始。JRの踏切を渡り、香椎宮勅使道(参道)を歩きます。

  

約1kmで香椎宮に到着。

 

香椎宮は、祭神は仲哀天皇・神功皇后、また応神天皇・住吉大神も共に祭る。西征中この地で没した仲哀天皇の霊を、神功皇后が祀ったのが宮の起源とされる。

香椎は鴻臚館貿易の衰退した12世紀から博多津に代わって栄えた貿易港で、元寇の際は豊後・大友氏が香椎、多々良地区を警固してから、大友氏の支配を受けるようになった。

香椎造りで著名な本殿は、国指定の重要文化財。周辺には武内宿禰ゆかりの不老水や、神功皇后ゆかりの綾杉の大木などがある。毎年秋の大祭には流鏑馬が行なわれ、6月頃には

香椎宮楼門前の菖蒲池に約5千本の花が咲く。(よかナビより)

香椎の地名:神功皇后は、仲哀天皇が亡くなり、お棺を椎の木に立てかけたところ、良い香りが漂ったのでこの地を「香椎」と名付けた。

香椎宮のご神木は、「綾杉」です。神功皇后が三韓よりご帰還され、剣・鉾・杖の三種の宝を埋め、そこに鎧の袖に挿していた杉枝を「とこしへに本朝を鎮めるべし」と祈りこめられて

お植えになった杉で紀元860年(西暦200年)のことです。葉が綾の様に交互に生えているので「綾杉」と言われました。

新古今和歌集にも「ちはやふる香椎の宮のあや杉は、神のみそきにたてる成けり」と書かれています。※「ちはやふる」とは、神という言葉を導き出す枕詞です。

 

お神木「綾杉」の前で記念写真。

 

神功皇后は、仲哀天皇崩御のあと、懐妊中でありながら天皇の遺志を継いで男装し、三韓征伐に出かけました。そして勝利を治めました。

北部九州にある神功皇后伝説は、この香椎宮が発祥といっても過言ではないと思います。

今回は行きませんでしたが、本殿から少し離れたところに、「不老水」があります。仲哀天皇、神功皇后の家臣「武内宿禰」がこの泉の水を汲み食事と酒を調えて、三百歳まで生きたそうです。

  

香椎宮弁財天社を出て千早方面に向かいます。

 

現在、千早四・五丁目には多くの高層マンションが立ち並んでいます。ここには以前、旧国鉄の「香椎操車場」がありました。

操車場とは、主に車両の入れ替えなどを行う停車場のことです。また、同操車場を横断する形で「千早陸橋」が架かっていました。

香椎操車場は昭和17(1942)年に、博多臨港線の分岐点として、香椎駅西部待避線の名称で開設し、昭和34年に香椎操車場に改称されました。

博多・吉塚地区の貨物取り扱い設備が集約されるなど、福博のまちの産業発展に大きな役割を果たしたといわれています。

しかし、時代とともに役割を終え、昭和59年には香椎操車場の使用は停止されました。

その後、香椎副都心土地区画整理事業により、操車場跡地の中心部には、平成15(2003)年にJR千早駅が、翌年に西鉄千早駅(以前は、西鉄名香野駅だった)が開業しました。

昭和35年に完成した千早陸橋は、三角形の橋桁が特徴的な約500メートルの陸橋でした。千早と若宮方面を結ぶ生活に欠かせない陸橋でしたが、同区画整理事業に伴い、平成16年に撤去されました。

現在は、千早中央公園(千早四丁目)に、陸橋の一部を活用したモニュメントが残っています。(市政だより歴史歩・歩・歩より)

私が若いころは、国道3号線から多々良中学に向かうときよくこの陸橋を利用していました。橋幅が狭くまた、まだ運転が未熟だったのでこの陸橋を走るときは、神経を集中していました。

ところが、自営のためこの辺りは通らなくなり、12~3年前、唐津街道を歩いたとき、この千早一帯の変貌ぶりに唖然としました。あの陸橋も撤去され、線路も高架になっていました。

千早陸橋のモニュメントが、千早中央公園に残っていました。

 

コースは、西鉄名島駅から名島橋に向かいます。名島には、福岡初代藩主黒田長政が入城した「名島城址」があります。(その後長政は、現在の福岡市城内に福岡城を築城しています)

 

福岡国際マラソン(昨年2021年12月をもって廃止されます)の35km地点の名島橋は、ここで数々の名勝負を繰り広げました。

多々良川に架かる名島橋は、昭和8年(1933)北部九州地域と福岡市都市部を結ぶ国道3号線の道路橋として完成しました。7連のアーチと長さ204m、全幅24mと当時としては

破格の規模の道路橋でした。その4年前に完成した新潟・萬代橋と橋の形が似ていることから兄弟橋ともいわれています。

多々良川には、JR博多臨港線(貨物専用)、西鉄新宮線、JR鹿児島本線の鉄橋もあります。

  

博多臨港線のガードを潜り、次の休憩地「貝塚公園」に向かいます。

 

以前福岡競輪場がこの貝塚公園内にあり、19万坪、15000人収容のスタンドがあったそうです。福岡競艇場ができたり、周辺の人口が増加してきたので昭和37年(1962)廃止されました。

その跡地が貝塚公園となりました。

 

貝塚公園から九州大学跡地を通り筥崎宮に向かいます。九州大学跡地は、工事が行われており、どんな街になるか楽しみです。

途中、若者が並んでいるお店があります。聞いてみるととんかつのおいしい店だそうです。店の名前は「箱崎井のかわず」というそうです。

 

筥崎宮の参道には、お店も帰ってきました。

 

筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。 御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた神功皇后のお子様

応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。創建の時期については諸説あり断定することは困難ですが、古録によれば、平安時代の中頃である

延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)

筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座したことになっております。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。

鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはありませんでした。明治以降は近代国家を目指す日本とともに有り、同18年には官幣中社に、大正3年には官幣大社に社格を進められ、近年では全国より崇敬を集めるとともに、玉取祭や放生会大祭などの福博の四季を彩る杜(もり)として広く親しまれています。(筥崎宮HPより)

 

毎年お正月の3日に行われる筥崎宮の神事「玉せせり」は、今年もコロナの影響で本殿での神事のみ執り行われました。

  

今日は、新年最初のウォーキングで、距離もここまで8,2kmですので、一応ここで仮ゴールにします。

折角ですので、私たちは(〇東さん、〇武さん)三つ目の十日恵比寿神社まで行くことにします。

十日恵比寿神社は、事代主大神(恵比寿様)と大国主命(大黒様)をお祀りしています。社伝によれば、香椎宮大宮司家の武内五右衛門(平十郎)は分家して「神屋」と号して博多で

商売を営んでいたが、天正19年(1591)1月3日、香椎宮・筥崎宮を参拝したとき、香椎浜に流れついた恵比須神の神像2体を得た。それを自宅に持ち帰って祀ったところ家運が隆盛。

翌年の文禄元年(1592))1月10日、平十郎が神像を拾い上げた場所に社殿を設けた。そののち元和元年(1681)11月15日、四代目平十郎が創建90年にあたって千代の崇福寺境内に

社殿を再建する。(案内板より)

  

十日恵比寿神社の大祭は、8日~11日までですが、今年はコロナの影響で、福引、開運御座、かち詣り(芸妓)は、中止になっています。

  

十日恵比寿神社のあと、博多駅まで歩いていきます。

お昼は、食べたかった「ナイルのカレー」です。創業昭和36年(1961)。私が青春時代、天神や博多駅にあったカレー屋さんです。高校時代は、間食はうどんでしたが、

お小遣いが少したまるとこのナイルのカレーを食べるのが一番の贅沢でした。2009年に閉店になり、あのカレーが味わえなくなり寂しくなりましたが、数年前に博多阪急地下にオープン

しました。ホント、青春の味です。

 

 

 


丸餅と角餅

2022-01-02 18:28:31 | ウォーキング

お正月というと、お餅の入ったお雑煮ですね。若いころは10個ぐらい食べていましたが、歳をとった今では、3~4個と減ってきました。

私が小学生の頃は、年末に親戚が集まり餅つきをしていました。私にもつかせてもらいましたが、体力がなく杵をもつだけでフラフラしていました。

現在は、スーパーや産直店で杵つき餅が売られていますので皆さんそれを買われているみたいです。

今でも我が家の親戚では、下記の写真のごとく年末に餅つきをしていました。(杵が馬みたいな形です)

 

 

その餅についてですが、子供の頃は、全国どこでも餅は丸餅と思っていましたが、それが違うのですね。

関ケ原を起点に東日本が角餅、西日本が丸餅です。(現在では、転勤などの移動で一概には言えませんが)

  

関ケ原に接している岐阜、三重、和歌山などは、丸餅地区と角餅地区が交差しています。

西日本の方に丸餅が多いのは、丸餅は、昔から円満を意味しているからだそうです。

武家の支配が長かった東日本では、平たく伸ばした餅を切り分けることで一度に多く作れました。また、戦を前に「敵をのす」の縁起担ぎからのし餅(角餅)を四角く切って焼いたお雑煮が

食べられるようになりました。

皆さんの所は、どの餅を食べられていますか?


2022年新年あけましておめでとうございます。

2022-01-01 09:24:04 | ウォーキング

  2022年(寅歳)明けましておめでとうございます。

                        

今朝は、早起きして博多湾の日の出の名所に初日の出を見に行きました。

福岡地方の日の出時間は、7:23。

 

 

   

 

漁港に立ち寄ってみると、新年のお祝いの国旗をつけた漁船がありました。

 

今年も宜しくお願いします。