よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

「駕与丁公園を訪ねて」(福岡県粕屋町~福岡空港)

2020-10-31 15:20:29 | ウォーキング

10/28(水)のふくおかウォーキング協会の楽しいウォークは、「駕与丁公園を訪ねて」でした。

集合場所は、JR長者原駅。参加者48名。

  

粕屋町の町の花は、バラです。町中にもバラの花が咲いています。

駕与丁(かよいちょう)公園にやってきました。駕与丁というのは、日本の朝廷に属し、高貴な人物の乗る駕与を担ぐことを主たる任務とした下級職員です。

昔、このあたりに駕与丁座があったことに由来します。

  

 

駕与丁公園は、一周4,219km。これを10周廻ればマラソンコースと同じになります。

駕与丁バラ園には、1300㎡の中に180種2400株のバラが栽培されています。5月には、バラ祭が開催され、JR九州のウォーキングコースにも取り入れられています。

 

  

秋のバラを見ましたが、やはり春の方が華やかですね。

 

駕与丁公園から志免町に向かいます。

 

志免町、須恵町、宇美町などは、昔は「粕屋炭田」と呼ばれていました。糟屋炭田は軍港に近かった関係から、艦船の燃料確保のため海軍が開発したという特色があり、

それらは海軍直属の海軍採炭所、通称で海軍炭鉱と呼ばれた。1889年、須恵町に最初の海軍炭鉱である新原採炭所を設けた。その後、同組織は海軍燃料廠採炭部と名を変え、

良質の無煙炭を多く産出したため国の奨励もあり専属的に燃料開発に当たった。後に、糟屋炭田の主力となる第五坑の志免鉱業所を開発。ピーク時の1929年(昭和3年)には

年産38万トンを産出する(全国19位)規模にまで発展した。戦後になって軍部組織は解散したことで国鉄が事業を引き継ぐことになり、主として蒸気機関車の燃料確保のため採炭が

続けられたが、エネルギー革命の影響によって1964年、国有志免炭鉱を最後に大小50を数えた炭田は、糟屋郡からすべて姿を消した。なお、この志免に設けられた竪坑櫓は後の1995年、

国の登録有形文化財に登録され、2009年には国の重要文化財に指定されている。(Wikipediaより)

 

志免町に入りました。志免町には鉄道公園があります。志免町には、1985(昭和60)年まで石炭輸送のために作られた鉄道がありました。
香椎線の引き込み線と、勝田線です。
香椎線は、1909(明治42)年から開通した博多湾鉄道旅石線(後に博多湾鉄道汽船から西日本鉄道、日本国有鉄道へ変わった香椎線引き込み線・1984(昭和59)年12月31日廃線)のことです。
勝田線は、1919(大正8)年に開通した筑前参宮鉄道(後に西日本鉄道から日本国有鉄道へ変わった勝田線・1985(昭和60)年3月31日廃線)のことです。
石炭景気の需要による開通で、当時の一日乗客数は300名、石炭は750トンと、石炭輸送が主でした。
現在、勝田線は緑道として公園整備され、志免駅は志免鉄道記念公園となり、レリーフが当時を偲ばせています。(志免町HPより)

炭鉱が廃坑になってから志免町の人口は、減少しましたが、現在志免町は福岡市のベッドタウンとして発展し続けています。

若し、個人的な意見ですが、勝田線が廃止にならなかったら、志免町~福岡空港~博多駅のルートができたのではないでしょうか?

 

志免町から博多の森球技場を経て、ゴールの福岡空港に向かいます。

 

11:30福岡空港へゴール!

 

今日のGPSです。

 

 


秋の吉野ヶ里~弥生の遺跡と赤いそばの花(佐賀県吉野ヶ里町)

2020-10-27 15:20:26 | JR九州ウオーキング

10/24(土)は、JR九州ウォーキングで佐賀県吉野ヶ里へ行ってきました。スタートは、JR吉野ヶ里駅。吉野ヶ里駅には8:20到着。

てっきり、8:30受付開始と思っていたら、今日は、吉野ケ里歴史公園の開園時間に従って、9:30受付。

開始まで待っていると二百数十人が列を作っていました。

 

駅南口から歩き始めます。役場を通っていくと、見慣れた光景です。ここは、長崎街道に面しており、このあたりが「田手宿」です。

平成23年(2011年)9月に長崎街道田手宿を歩いた時には、追分石がなかったのですが、(道路拡張工事でなくなっていた)また設置されていました。 

 

追分石の先には、田手川沿いに「田手神社」があります。

この神社は1300年前天智天皇が創建され天照皇大神を祀っています。
また、この一帯は1530年(享禄3)北九州の覇権をめぐり、周防・大内氏と肥前・少弐氏との間で戦があった所です。(田手畷の戦い)

  

田手神社から田手川沿いに歩きます。長崎本線のガードを潜り、吉野ケ里歴史公園に向かいます。本日、吉野ケ里歴史公園は、無料開放日です。

  

 

吉野ケ里歴史公園に入るのは何年ぶりでしょうか?8年?ぐらいきてないなぁ~。

現在、吉野ケ里歴史公園では、赤のそばの花が満開だそうです。

  

  

 

 

鳥居の上には、鳥が止まっています。この鳥は何か係りの人に聞くと水鳥だそうです。私の薄学の知識では、鳥居の起源については、天照大御神あまてらすおおみかみが天の岩屋にお隠れになった際に、

八百万の神々が鶏を鳴せましたが、このとき鶏が止まった木を鳥居の起源であると信じていました。ところが吉野ヶ里の鳥居と門の説明では、穀霊信仰は穀物の霊に対する信仰であり、

精霊信仰の一種です。稲作が開始された弥生時代に、縄文時代以来の精霊信仰の上に穀霊に対する信仰、観念が独自に発達していったことは当然推定されます。
それとともに穀霊を運ぶ生物としての鳥を崇拝する観念が生まれたことが大阪府池上遺跡や山口県宮ヶ久保遺跡など、各地の弥生時代の遺跡から鳥形木製品や鳥装のシャーマンと

おぼしき人物の描かれた土器などにより推察できます。
鳥への信仰は現在でも穀霊観念が明確な東南アジアの稲作民族に秘匿認められるものであり、ここから逆に弥生時代に穀霊信仰が存在したことを推定することができます。
鳥に対する独自の観念は『古語拾遺』や『古事記』、『日本書紀』などの古代文献でも認めることが出来、そうした観念は弥生時代に遡ると言えます。
天空に近い場所をより神聖な場所とする観念の表れでもあることが、東南アジア民族事例や古代中国の文献などから窺ことが出来、弥生時代の建物が描かれた絵画土器などに高床建物、

重層建物が多く描かれ、吉野ヶ里遺跡の祭殿、物見櫓などが出現してくる背景には稲作とともにもたらされたアジアの稲作地帯にみられる穀霊を運ぶ生物として鳥を神聖視する観念が

存在したことが窺われます。(吉野ケ里歴史公園資料より)

 

赤いそばの花です。

私、白いそばの花は見たことがありますが、赤いそばは、初めてです。

  

 

事務所では、ミス吉野ヶ里?が迎えてくれました。お土産もいただきました。

  

吉野ケ里歴史公園を出て、吉野麦米に立ち寄ります。

 

11:10吉野ヶ里駅へゴール!コース地図では、8kmでしたけど、実際は、6,6kmでした。

 

 

 

 

 


能古島のコスモス(福岡市西区能古島)

2020-10-20 18:50:31 | ウォーキング

10/20(火)今朝の新聞に能古島のコスモスが見ごろという記事が載っていましたので早速行ってきました。

姪浜発10:15のフェリーで能古島へ。船内では、やはり記事を見たからか、能古島へ出かける人が多かったです。

能古島からコスモスのある能古島アイランドパークまでは、路線バスが運行していますが、私もウォーカーの端くれ、歩いていきます。

 

  

お客さんが多かったのか、バスは臨時便を3台出していました。

 

途中の道で見つけた花。

 

11:10 能古島アイランドパークに到着。

 

お花畑は海側ですのでそこまでお花を楽しみながら歩きます。

  

  

 

 

 

何と、つつじが咲いています。狂い咲きでしょうか???

 

コスモス畑に着きました。

 

  

  

山側の方もコスモス畑があるということでそちらに移動します。

 

 

 

 

帰りの船は、13時です。ここから渡船場まで約3km。現在12時半。急いで帰りました。

 

 


室見川散策(福岡市早良区)

2020-10-17 18:15:20 | ウォーキング

10/14(水)のふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「室見川散策」でした。

集合場所は、地下鉄賀茂駅近くのヤマダ電機裏、賀茂中央公園。参加者は49名でした。

    

9:30 スタート。

 

賀茂橋の所には、賀茂の地名にもなった「賀茂神社」があります。(私が若いころは、このあたり「免」と呼んでいました)

賀茂神社の御祭神は、玉依姫、別雷命、天児尾根命の三神です。免(旧地名)の賀茂神社の建立年次は境内から出土した瓦から約1200年以前に建立されていたことがわかります。

荘園時代の承和11年(844)頃から現在の社がある一帯の旧地名である免の年貢は、京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)に納められていました。その後、貞観2年(860)頃、賀茂御祖神社から

年貢の見返りに使者を通じて有難くも御分霊を授かりました。地区の者は大変喜んで旧大字免深町に社を建てて座石を祀り、免村の氏神様として崇めてきました。

寛文10年(1670)に社の付近が耕地整理されたため、止む無く現在地(早良区賀茂1丁目)に新たに社を建てて移転し免村の産土神としてお祀りし現在に至ります。

 

賀茂神社は、なまず神社として知られています。享保17~18年頃(1732~1733)西日本一帯を大飢饉が襲いました。当時、福岡、博多と近郊の郡部を含めて、約11万人の人が餓死したそうです。

人々は「髪の祟りじゃ、天の罰じゃ」と恐々としていました。村々に祀っている氏神様の親神様に災難防止の祈願に行こうと相談が彼方此方で始まりました。

免の賀茂神社も親神様である京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)に祈願に行きました。神主さんは、「神社の使いは、ナマズです。神社の近くに川があるでしょう、ナマズさんナマズさんと

呼び出しお尋ねするがいい」とのことでした。それから2~3日したあと、代表の一人の夢枕にナマズが現れ「願いの義、之に応ずる。己を信じ精を出し努めよ。ナマズは神が使いなり、

殺生、捕食まかりならぬ、川をきれいにして安住を願え」とお告げがありました。賀茂神社の使いは、ナマズです。ナマズの神様として崇められてきました。

今では、橋の欄干などにナマズのイラストがあります。現にこの神社の前の金屑川には、ナマズが生息しています。

  

コースは、有田交差点です。戦国時代には、講倫館高校の迎には、小田部城址があったそうです。今でも「小田部」という地名が有田の近くにあります。

 

室住団地で休憩。室住団地は、昭和45年(1970)建てられました。当時は、人気のある団地でしたが、もう50年経っています。

   

団地内では、保育園児が散歩していました。我々高齢者は、保育園児とみると孫のようでついつい近づきたがります。

今日の私の姿は、マスクにサングラス。子供さんに声をかけると泣かれてしまいました。 

 

室住団地から室見川に入ります。この室見川が早良区と西区の区界になります。

 

 

室見橋のマンションでは、ゴリラがいます???

 

11:09 ゴールしました。GPSでは、距離が6,6kmでした。

 

 

 


第15回皿倉山健康ウォーク(福岡県北九州市八幡東区)

2020-10-13 16:40:55 | ウォーキング

10/11(日)は、北九州市八幡東区で行われた「皿倉山健康ウォーク」に参加しました。以前、北九州の歩友から一回は皿倉山に登ってみたらといわれ、今回それが実現しました。

この皿倉山健康ウォークは、例年5月に開催されていましたが、今年はコロナの影響で10月に延期されました。

会場は、スペースワールド駅の近く「東田大通公園」。

皿倉山は、標高622m。権現山、帆柱山、花尾山などと共に帆柱連山を形成し、北九州国定公園の一部です。

皿倉山の名前は、神功皇后の伝説に由来します。この山に登った神功皇后が、下山するときには、日が暮れていて「更に暮れたり」といったことからこの一帯が更暮山、更暗山と呼ばれ、

それが更倉山、皿倉山に転じたといわれています。

皿倉山健康ウォークは、4コースに分かれていて 1、皿倉八景満喫コース(21km)、2、地域発見やまさか枝光うまかもんコース(8km)、3、地域発見中央町ぶらり町歩きコース(4km)、

4、ミュージアムウォークラリー(1,5km)、勿論私達は皿倉八景満喫コース21kmにエントリーしました。

     

コロナ対策として、検温、手指の消毒、マスクの着用それと参加者へのソーシャルディスタンスで2mの間隔が設けられていました。

 

 

9:00 約400名の参加者で皿倉八景満喫コーススタート。長崎街道、旧東田高炉跡、旧百三十銀行跡などを通過。ここは、8/26ふくおかウォーキング協会楽しいウォークで歩きました。

   

 

歩き始めてから20分後ぐらいから上り坂になります。ケーブルカー山麓駅からは、皿倉山登山道です。

 

  

 

帆柱十五景と皿倉八景  1937年(昭和12)に表登山道の完成を記念して、地元の子供たちに皿倉山の素晴らしい景色を募集し、さまざまな史跡や風景の中から選びだされたのが

「帆柱十五景」です。その十五景も時代と共に当時とはすっかり変わってしまい、2017年(平成29)旧八幡市制100周年を記念して皿倉山頂に到るまでの現在の素晴らしい景色の中から

8箇所を厳選したのが「皿倉八景」です。

   

大扇望(帆柱十五景) ここからの眺めは黒崎地区を中心に若松、芦屋を経て響灘が開けます。

  

四合目からけやきの森に進みます。今まで舗装面でしたが、やっと山道らしくなりました。

 

 

  

皿倉八景:巨樹老木・皇后杉  権現山北面の標高450~500mにかけ約4haにわたり、杉が林立しています。中でも巨樹老木は、樹齢400年という長い歴史を生き抜いてきた神秘的な

重々しさを感じます。神功皇后伝説に因んで、皇后杉と呼ばれています。

皿倉平にやってきました。このあたりが八合目です。

  

皿倉平から皿倉八景の「ねむの木の展望台」に向かいます。

 

 

ねむの木の展望台からは、河内貯水池や貫山、福知山、香春岳などが見渡せます。今日は、曇りで少し視界が煙っています。天気のいい日などは絶景でしょうね。

ねむの木の展望台から折り返します。

 

ここから皿倉山ビジターセンターに向かいます。この階段が年寄りにはこたえます。一気に登っていこうかとも思いましたが、歳を考え、ゆっくりゆっくり登っていきました。

この大会、スタートして歩きながらゴミ拾いをするようになっています。集めたごみ袋をここで回収されます。ゴミ袋と引き換えに北九州市のおいしい水がいただけます。 

  

ビジターセンターからの眺め

  

ビジターセンターに昇る階段はどうにかこうにか登ってこれましたが、ここから急階段です。手すりが設けられていますのでそれを伝って登ります。

途中、詩人の野口雨情詩碑があります。雨情は、昭和7年(1932)帆柱山に登られてこの歌を作ったそうです。

「くきの海辺の船もよい 船も帆がなきゃ行かれない お供についたくまわにが 山で帆柱きりました その時きった帆柱は 帆柱山の杉でした」

  

11:30 やっと皿倉山頂上に到着。東田大通公園をスタートして2時間半です。

皿倉山頂には、福岡のテレビ局のテレビ塔が建っています。

  

 

 

皿倉山からの夜景は、新日本三大夜景に選ばれています。(他は、奈良市若草山、山梨市笛吹川フルーツ公園)

 

スロープカー  ケーブルカー山上駅からスロープカーで皿倉山頂に来れます。皿倉山は、パラグライダーのメッカでもあります。

 

少し休憩して、山を下ります。

  

約1時間で山麓駅。

 

 

八幡駅前では、けやきマルシェが開催中。

  

製鐵病院の所があと1km。

 

中央町商店街では、100円商店街が開催中。

 

製鐵病院の所があと1km地点。

 

 

13:40 ゴールしました。久しぶりの20kmでしたが、何とか無事ゴールすることができました。所要時間4時間50分でした。

今日のGPSです。GPSでは、18,5kmになっていますが、ヤマップでは、20,3kmでした。どちらが正しいのだろう?

 


南公園界隈散策(福岡市中央区)

2020-10-09 18:15:22 | ウォーキング

10/7(水)のふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「南公園界隈散策」でした。

集合場所は、中央区天神警固公園。参加者51名。久しぶりに福岡市内中心部の開催です。

 

警固公園の隣には、警固神社があります。警固神社は、祭神は神直日命・大直日命・八十枉津日命。警固の地名は鴻臚館近くに置かれた大宰府の防衛施設警固所にちなんだもの。

その地名は『万葉集』や藤原純友の乱、刀伊の入寇の時にも見ることができる。福岡城鎮守の神、福岡藩二代藩主・黒田忠之の産神として、歴代藩主の崇敬が厚かった神社でもある。

アクセス良好な天神市街にあり、隣接する警固公園は市民憩いの場となっている。(YOKAナビより)

 

 

国体道路沿いには、「若宮神社」がありました。いつもこの道は車で通るので気が付きませんでした。

  

国体道路を西に進み赤坂2丁目から左折します。左折すると、正面に高校女子駅伝の強豪校「筑紫女学園」があります。この学校の卒業生は、歌手の小柳ルミ子さん、松坂投手の奥方さんなどです。

筑紫女学園は、浄土真宗西本願寺派の学校です。

 

歩いていると保育園から園児たちが私たちに手を振ってくれました。子供たちの笑顔が可愛いですね。

ウォーキング協会の会員さんも殆ど(いや全員かな?)高齢者の方です。皆さん自分のお孫さんとダブらせているみたいでした。

コースは、桜坂に入りました。桜坂は、その昔、黒田藩の家老クラスの屋敷がありました。今でもこの一帯、福岡市内でも高級住宅地です。

ここから、動物園入口までは、坂が続きます。

  

  

南公園西展望台に着きました。ここで休憩。

  

休憩時間を利用して展望台に上ってみました。今日は快晴で遠くまでよく見えます。

西展望台から小笹団地の方に向かいます。

  

小笹団地は、1956年(昭和31)から建設が始まり、市内中心部から近く、約1000戸が造られました。ですが、建設から60年を経過し、建物や設備が老朽化し、空き家が目立つようになりました。

そこで2014年(平成26)から建て替え事業が行われています。

  

2回目の休憩は、小笹中央公園です。中央公園では、同年代の方がグラウンドゴルフを楽しまれていました。協会の会員さんもスカウトされたのではないでしょうか?(笑)

  

平尾大池公園の所には、スーパー銭湯があり、私も時々行っていましたが、3年前に辞められ、今は、葬儀場になっています。

 

11:22 西鉄平尾駅近くの市崎公園にゴールしました。

今日のGPSです。

ゴール後、ネットで餃子のおいしい店を探しましたので薬院駅まで歩きました。

  

名物の餃子定食を注文しました。博多は一口餃子というのも人気ですが、この店の餃子の大きさは半端ではありませんでした。

 

 

 


10月例会「北野路を歩く」(福岡県三井郡大刀洗町大堰~久留米市北野町)

2020-10-06 10:34:49 | ウォーキング

10/3(土)は、ふくおかウォーキング協会の10月例会「北野路を歩く」でした。北野町は、現在久留米市ですが、合併前は、三井(みい)郡北野町でした

集合場所は、西鉄甘木線大堰駅。大堰駅のすぐ近くには三井郡大刀洗町役場があります。現在三井郡は、大刀洗町だけになりました。

 

参加者は44人。9:30スタートします。

大刀洗町は、クリークが多いです。昔は、海運にも使っていたのでしょうか?

 

 

金島駅で休憩。ここから久留米市に入ります。

 

広い田園地帯です。

 

大城(おおき)駅。大城駅の近くには、酒造場があります。筑後の酒というと、久留米市城島町が有名ですが、旧三井郡にも創業200年近い酒造場があります。

 

大城小学校運動場の所に「益影の井」がありますが、今日学校は運動会です。中に入れませんでした。

「益影の井」を調べてみると、益影ノ井の水は、約1600年前、神功皇后がこの地で応神天皇を出産した時に産湯として献上されたほどの名水だったと伝えられています。

高良山の御手洗の井、朝妻の井と共に三泉の一つとして、三井郡の名称の由来になったといわれています。

  

 

  

コスモス街道にやってきました。コスモス街道というと、すぐ思い浮かべるのは、狩人が1977年(昭和52)に発売した「コスモス街道」です。この歌は、長野県軽井沢が舞台です。

ここ北野町の筑後川水系陣屋川沿いの「コスモス街道」は、色とりどりのコスモスが植えられています。この日は、10月初めということで花の開花は、まだ3分咲きぐらいでした。

コスモス街道が生まれたきっかけは、昭和47年(1972)川へのごみの投げ捨てに心を痛めていた一人の住民の方が自宅前の土手に10mほどコスモスを植えたことでした。

昭和53年には、600m、昭和59年には、2,7m、現在4kmほどになり、約50万本が植えられ、「コスモス街道」と呼ばれるようになりました。

平成7年(1995)10月、この住民の娘さんが満開に咲き乱れるコスモス街道を白無垢姿で嫁がれていきました。

このコスモス街道は、毎年街道沿いの人々により管理育成されています。

    

 

北野天満宮は、天喜2年(1054年)に創建されました。時の関白藤原道隆の孫、貞仙僧正が、京都の北野天満宮より菅原道真公の分霊をこの地に祀ったことが始まりです。

祭神、菅原道真公ゆかりの花といえば「梅」。御神橋を渡り、朱色に潤色された華麗な桜門をくぐると、玉垣の内に「神梅」が枝を伸ばしている。これは、太宰府の「飛び梅」に

なぞられたもの。境内には県の天然記念物に指定されている樹齢900年の大樟があります。 祭神、菅原道真公とカッパについての伝説もあり、その伝説を証明するかのように、

現在でも「カッパの手」が天満宮の宝物として大事に保管されています。 毎年、10月の第3日曜日には県の無形文化財に指定されている、秋祭り「おくんち」が行われます。

また、「光の道」といえば宮地嶽神社が有名ですが、北野天満宮でも光の道を見ることができます。

春分の日(3月21日)、秋分の日(9月23日)頃に、北野天満宮の参道から楼門を夕日がまっすぐ差し込む神秘的な光景が現れます。(久留米の観光スポットより)

  

ゴールの西鉄北野駅までは、あと5分ぐらいです。11:27北野駅にゴールしました。

  

今日のGPSです。

 

 


秋の草野路、山辺の道を散策(福岡県久留米市)

2020-10-01 14:47:22 | ウォーキング

9/23(水)は、ふくおかウォーキング協会 楽しいウォークで「秋の草野路、山辺の道を散策」コースを歩きました。

集合場所は、JR善導寺駅。善導寺駅は無人駅ですが、駅の待合室には、地元中学生が書いた善導寺周辺の見どころが描かれています。

 

9:30 スタート。このコースの一部は、くるめつつじマーチの40kmコースにもなっています。また、JRウォークでも時々歩いているコースです。

出発前、駅で降ろされたコンバインがこの田んぼに来ています。これから稲刈りでしょうか?

 

久大本線の踏切を渡ります。歩いていると彼岸花やススキを目にします。もう秋本番ですね。

  

久留米市と隣のうきは市はフルーツの産地です。

  

  

  

久留米つつじ園で休憩。

  

天満宮の横を通って「須佐能袁神社」へ。須佐能袁神社は、建久8年(1197)、筑後在国司草野太郎永平が建立したもので草野家代々の神社として大事にされてきました。

主神が素戔嗚尊(すさのうのみこと)、右の座に天照大御神(あまてらすおおみかみ)、左の座に菅原道真公の三座が祀られています。

現在の社殿、楼門は、明治19年(1886)に完成。本殿、拝殿、楼門が県文化財に指定されています。

また、社殿や楼門には、檜を用いた見事な彫刻が施されています。

 

  

 

草野の町は、江戸時代、久留米からの日田街道は山川町の追分で川辺道と耳納山麓へと向かう山辺道に別れ、草野はこの街道沿いの宿駅として栄えました。

この道沿いにある須佐能袁神社を中心に元禄八年(1695年)頃には長さ五丁、軒数百四十軒余りの様々な生業をもった民家が集まり、大変な賑わいでした。

草野の代表的な民家である「鹿毛家住宅」(県指定文化財)も江戸時代より醤油や櫨蝋製造(はぜろうせいぞう)、質屋などを営んでいました。

18世紀後半に建造された建物は町家としてはもっとも古いもので、かつては数十棟の蔵が屋敷内に建ち並んでいたといいます。

 

 

歩いていると、桜が咲いていました。これは、十月桜といって今頃から一月ごろまで咲きます。

 

下馬場(しもばば)古墳」は、6世紀後半に築造されたと推測され、直径は42m、高さは約5mの円墳です。現在は存在しない「薬師下北(やくししもきた)古墳」

「薬師下南(やくししもみなみ)古墳」などとともに、「吉木(よしき)古墳群」と呼ばれています。
内部には前室両側壁から玄室奥壁まで、ほぼ壁面全体に壁画が描かれており、奥壁には赤色の同心円文が数個、玄室左右両壁に同心円文や連続三角文、また玄室右壁中央部には舟と

思われる文様を見ることができます。使用された顔料(絵の具)は、赤色と青色が確認されています。
副葬品は不明ですが、墳丘からは円筒埴輪や顔に入れ墨をした男性埴輪、たすきをかけた女性埴輪などが出土しています。 (ご来福スポットより)

九州には、このような装飾古墳があります。筑豊の王塚古墳、菊池のチブサン古墳・・・・

先日この会で歩いた福岡県筑紫野市の五郎山古墳も装飾古墳でした。ここにも舟の形をした装飾があります。昔の人は、死者をこの舟に乗せて黄泉の国へつれていったのでしょうか?

素人の推理で申し訳ございません。

 

ふれあい農業公園に来ました。ここでは、貸農園があり、里芋の収穫が行われていました。

私も仕事をリタイア後は、農園を借りて野菜でも作ろうかと考えましたが、腰痛が再発するのではないかと思い、断念しました。

 

ゴールの善導寺駅が近づきました。スタート時のあのコンバインは、稲をすっかり刈り、次の田んぼに移っています。

このような高速のコンバインで刈ると早いでしょうね。私の父が農家の出だったので、私も子供の頃(確か小2~5ぐらいまで)稲刈りの手伝いに行きました。

鎌で稲を切ってまとめ、それを脱穀機にかける・・・この作業が2~3日かかっていたように覚えています。稲刈りにしても田植えにしても皆親戚が集まってしていましたね・・・・

コンバインの力は親戚何人分にあたるのでしょうかね・・・・・・

 

11:42 善導寺駅にゴールしました。今日のGPSです。