よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

ビワイチ徒歩の旅(3日目)「堅田駅~近江舞子駅」(滋賀県大津市)

2023-01-26 10:38:21 | 琵琶湖一周徒歩の旅

 1/18(水)ビワイチ徒歩の旅3日目。

京都駅から湖西線で昨日ゴールのJR堅田駅へ。堅田駅から歩いて琵琶湖大橋へ。ここからスタートします。

 

琵琶湖大橋の手前から左折、道の駅の方に向かいます。道の駅びわ湖米プラザでは、小学生の遠足でしょうか、観光船に乗るためのミーティングが行われていました。

 

道の駅から真野川沿いに歩きます。真野川は、桜の名所です。

 

琵琶湖大橋病院から県道558号線に入ります。

「小野」には、小野神社があります。小野神社のHPを見ると、

祭神

天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)

米餅搗大使主命(たがねつきおほおみのみこと)

御由緒

小野神社は小野一族の祖であると共に餅及菓子の匠・司の始祖である第五代孝昭天皇の第一皇太子天足彦国押人命と同命から数えて七代目の米餅搗大使主命の二神を祀る。

今から1100年前の延喜式の神名帳に滋賀郡第三座の内小野神社二座、名神大社(官幣大社の意)とある古社である。

古事記によれば天足彦国押人命は孝昭天皇と尾張国の連(むらじ)の娘余曽多木比売との間にお生まれになった第一子皇子で春日、大宅、粟田、小野、柿本、大坂、安濃、多岐、羽栗、

都怒山、伊勢、飯高、一志、近江の国造の祖であると記されている。

また日本書紀には大和朝廷成立以前にこの地において、今の大阪府、京都府、奈良県、三重県、愛知県、滋賀県の広い地域を統治されていた名族であり、諸国に多い小野の地名、

氏族の発祥地、祖神でもある。

米餅搗大使主命は、餅の原形となるしとぎ粢(しとぎ)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)を最初に作った人物であり、これを応神天皇に献上したことがもとで米餅搗大使主命の

氏姓を賜ったとされる。

小野一族には、遣隋使の小野妹子、歌人小野 篁(おの の たかむら)、能書家の小野道風、歌人の小野小町、小野毛人(おのの みえし)などの方がいます。

 

隣の駅「和邇(わに)」は、米餅搗大使主命の末裔、大和の豪族和邇氏の部民が設定されていたことによる地名とされ,隣接する小野の和邇大塚山古墳の被葬者は和邇氏系の有力者と

推定されています。北陸道の和邇駅が置かれ,駅馬7疋・伝馬5疋を備えていました。

 

和邇は、大津市に合併する前は、志賀町でした。旧志賀町のマンホールは、比良山系、ヨット、町の花シャクナゲです。

 

和邇浦でなく和邇浜でした。和邇浜は、水泳場として知られています。

 

比良山系は、雲がかかっています。 ガイドブックに載っていた「わがしやさんのアンパン」入ってみましたが、本日定休日でした。食べたかったです。(涙)

 

  

何か、比良山系の方に黒い雲が現れました。雨が降るのかな?

  

このあたり、会社の保養地や別荘が多いです。

 

 

びわ湖バレイロープウェイは、約5分で頂上に行けます。ロープウェイ - びわ湖バレイ スキー場/びわ湖テラス (biwako-valley.com)

  

 

近江八景」というのがあります。約500年前の室町時代に、中国湖南省にある洞庭湖の八景にちなんで、関白近衛政家が選んだと伝えられています。浮世絵師の安藤広重の風景画により

広く知られるようになりました。

石山秋月(石山寺)、勢多の夕照、粟津晴嵐、矢橋帰帆、三井晩鐘(三井寺)、唐崎夜雨、堅田落雁、比良暮雪

比良の暮雪」は比良山系に降る雪の景色のことで、「暮雪」は夕暮れ時に降る雪を指します。

また、昭和25年(1950)琵琶湖が国定公園に指定されたのを機に「琵琶湖八景」というのも選定されました。

・月明彦根のの古城(彦根市)、・涼風雄松崎の白汀(近江舞子)、・新雪賤ケ岳の大観、・煙雨比叡の樹林、・深緑竹生島の沈影、・夕陽瀬田・石山の清流、・暁霧海津大崎の岩礁、

・春色安土・八幡の水郷

先を進みます。

 

比良駅の先に「駅長の店」というのがあります。興味津々で店に行くと、「おはぎ屋」さんです。

店の由来を聞くと、びわ湖バレイロープウェイの駅長さんだったとのこと。せっかくですので頂きました。おいしかったです。

  

駅長さんの店を過ぎるころから、雨が降ってきました。今日の天気予報は、曇り時々晴れでしたので傘しか用意していません。

今日のゴール近江舞子までは、約2km。ちょっと急ぎます。

14:00 湖西線近江舞子駅に到着。近江舞子の名は、近代以降の観光化の中で白汀として名高い兵庫県の舞子浜になぞらえて呼ばれるようになったとか。

 

電車が来る迄時間があったので駅の案内板をみると、近くに琵琶湖八景の「涼風雄松崎の白汀」がありました。雨が降って急いでいたので見逃しました。

雄松崎の白汀は、「琵琶湖周航の歌」二番の歌詞に出てくる“松は緑に砂白き 雄松崎が里の乙女子は 赤い椿の森蔭にはかない恋に泣くとかや”の所だったんです。

今回のビワイチ徒歩の旅は、ここまで。次回は必ず雄松原に行ってみようと思います。

1/16~1/18までの歩行マップ。まだまだ1/3ぐらいしか歩いていません。

 

 


ビワイチ徒歩の旅(その2)「イオン草津~琵琶湖大橋~堅田駅」(草津市~守山市~大津市)

2023-01-24 12:26:22 | 琵琶湖一周徒歩の旅

1/17(火)京都駅から電車で瀬田駅へ。瀬田駅からバスで昨日ゴールのイオン草津へ。

バスを待っていると、龍谷大学、滋賀医科大学行のバスが分単位で発車しています。ここ瀬田駅は、学生の町です。

9:00 イオン草津スタート。すぐ帰帆(きはん)南橋を渡ります。

 

帰帆南橋からは、矢橋帰帆島です。矢橋帰帆島は、人工島で1978年(昭和53年)着工、1982年(昭和57年)下水道浄化センターとして運用開始しました。

島内には、公園施設があります。比良山系は、昨晩雪が降ったのでしょうか、雪を被っています。

 

琵琶湖湖畔を走る湖周道路は、大津市から長浜市まで「なぎさ街道」と呼ばれています。

 

島内には、芭蕉の句碑が立っています。「かくれけり 師走の湖の かいつぶり

意味は、世間の人々が慌ただしく働いている師走に、世間を離れた自分は、師走の湖に浮かんでいるかいつぶりを眺めている。そのかいつぶりは、急に水の中に潜って隠れてしまった。

かいつぶりも師走のことで何かといそがしいのかな。

 

伊吹山は(1377m)は、滋賀県最高峰。岐阜県との県境をなしています。

 

平湖では、淡水真珠の養殖がおこなわれています。ここで休憩します。

 

三上山(432m)は、別名「近江富士」と呼ばれています。藤原秀郷による大ムカデ退治伝説があります。

 

平湖の休憩所からの眺めも素晴らしいです。

 

 

烏丸半島にある「琵琶湖博物館」へ。

 

入園料800円を払い、「樹冠トレイル」という琵琶湖が一望できる所へ。

烏丸半島を一周します。

 

湖面では、淡水真珠の養殖かな?

 

先へ進みます。

 

 

佐川美術館を過ぎると「琵琶湖大橋」が見えてきます。

 

琵琶湖大橋入口を通り過ぎ、寄り道します。歩友大津市のO様紹介の第一なぎさ公園の「菜の花畑」へ向かいます。

第一なぎさ公園は、カンザキハナナ(寒咲花菜)という名前の早咲きの菜の花が、面積約4,000㎡に約12,000本咲き、わずかですが、雪の残る比良山系とのコントラストが素晴らしいです。

比良山も草津をスタートする頃は、一面雪でしたが、気温が上がり解けてしまったのかな???

夏には、キッズスマイルという小さめのひまわりが植えられるそうです。

 

第一なぎさ公園から琵琶湖大橋に戻ります。

琵琶湖大橋は、琵琶湖を初めて横断し、湖の東と西を直結させた有料橋です。昭和39年(1964)9月に開通しました。 琵琶湖でもっとも狭い部分である大津市の堅田(かたた)と

守山市の今浜を結び、この橋を境に琵琶湖は北湖と南湖に分かれます。長さ1350m・最大の高さ26.3mの鋼鉄製です。湖東や湖南を走る国道1号・8号・名神高速道路と、湖西の国道161号・

湖西道路を最短距離で結びます。また、橋の両側には自転車・歩行者専用道路が設けられています。 橋は、下を行きかう大型観光船のために大津寄りが少し高く、緩やかなアーチ型に

なっています。そのために、琵琶湖大橋はなだらかな曲線を描き、比良山を背景に湖面に美しく映えます。(琵琶湖観光情報より)

車両は、有料ですが、自転車、歩行者は無料です。

東行きの追い越し車線の一部に約60k/hで走行するとタイヤの振動音で「琵琶湖周航の歌」が流れる仕組みのメロディロードが約600mにわたり設置されています。

 

自歩道が設けられていますが、この歩道狭く、大型車が来ると飛ばされそうになります。また、自転車が来ると狭いので立ち止まって自転車が通り過ぎるのを待たなければなりません。

橋の一番高い所から湖面迄の高さが約26m、風が強い日なんかこわいでしょうね。

※後日、歩友から、反対側の車線の歩道は、広いですよと教えていただきました。また、通る機会がありますのでその時は、反対側の歩道を通ります。

 

橋の中央部が守山市・大津市の市境です。

15:52 JR堅田駅にゴールしました。約27km歩きました。

 

 

 

 


「ビワイチ徒歩の旅」その1(大津駅~イオン草津)

2023-01-20 06:55:30 | 琵琶湖一周徒歩の旅

1/16(月)大津駅に車を返却後、「ビワイチ徒歩の旅」スタート。

このビワイチ徒歩の旅に際して、大津市のO様、敦賀市のF様から資料を頂きました。この場を借りて厚くお礼申し上げます。

大津駅前には、「山吹地蔵」があります。

 

 

大津駅から商店街を進みます。朝日生命保険の所に「大津城石垣」があります。この一帯が大津城だったそうです。

  

大津城は、安土・桃山時代に、豊臣秀吉が、坂本城にかわり、新たに大津城を築城しました。
 現在、城跡碑が立っているあたりが本丸の跡で、広大な面積を持っていたと考えられています。城跡碑のほかには、ほとんど痕跡が残っていませんが、昭和55年(1980)に城郭の石垣と

思われる遺構が発掘されました。現在、大津祭曳山展示館横の駐車場に外堀の石垣と思われる遺構もあります。
関ケ原の戦で、東軍(徳川家康側)に味方した城主の京極高次(きょうごくたかつぐ)(1563-1609)が、関ヶ原に向かう毛利元康(もうりもとやす)の大軍を食い止めて時間稼ぎをしたと

いう「大津籠城(おおつろうじょう)」は、勝敗を決める大きな要素となったことで有名です。また、徳川家康(1541-1616)が大津城で戦後処理を行ったこともよく知られています。

この後廃城となり城は解体されましたが、天守閣の資材の一部は、彦根城に移されたといわれています。(びわ湖観光ナビより)

 

浜大津に来ました。ここから琵琶湖一周します。琵琶湖は、日本一の湖です。琵琶湖の面積は約670km2。琵琶湖岸の延長は約235km。ただし、道路沿いに進めば約200kmで、

自転車ではおおよそ1泊2日で一周できます。琵琶湖で一番深いところの深さは約104m。南北の長さは約60km、東西の最大幅は約20kmです。

水の量はおよそ275億トン。これは琵琶湖の水を利用する淀川流域の1450万人が1日に使う水の量の約11年分に相当します。

琵琶湖は世界でも有数の古い歴史をもつ湖です。約400万年前に現在の三重県伊賀市付近に浅くて狭い湖ができ(大山田湖)、その後、断層運動によって地盤が陥没する影響と土砂が窪地を

埋める影響を受けながら、形状を変えて移動し現在に至っています。現在の琵琶湖は、少なくとも約40万年間この場所に定まっています。

一般的な湖は土砂の堆積の影響を受けて1万年程度で消失してしまいますが、琵琶湖のように10万年以上の歴史をもつ湖はまれです。世界でも10万年以上の歴史をもち、

固有種がいる湖(古代湖)は、約20しかなく、日本では琵琶湖だけです。(滋賀県HPより)

 

歌手丘みどりさんが「鳰(にお)の湖(うみ)」という歌を歌っていますが、琵琶湖のことを「鳰(にお)の湖」とも呼びます。

この鳰が、カンムリカイツブリです。

 

対岸には、比叡山です。少し雪を被っています。

天気も景色も良く実に気持ちのいいウォーキングです。

 

「明智左馬之助湖上渡りのところ」という石碑があります。明智光秀の弟、明智左馬之助が湖上を馬で越えたという伝説にちなんだ石碑です。

 

  

プリンスホテルから近江大橋の方に向かいます。 

 

 

膳所城址・・・・膳所(ぜぜ)城は、徳川家康が関ヶ原の合戦の後、築城の名手といわれた藤堂高虎に最初に造らせた城でした。城構えは、湖水を利用して西側に天然の堀を巡らせた典型的な

水城で、白亜の天守閣や石垣、白壁の塀・櫓(やぐら)が美しく湖面に浮かぶ姿は、実に素晴らしかったといいます。この美観は、「瀬田(せた)の唐橋(からはし)

唐金擬宝珠(からかねぎぼし)、水に映るは膳所の城」と里謡(さとうた)にも謡(うた)われています。
戸田(とだ)・本多(ほんだ)・菅沼(すがぬま)・石川と城主が変わった後、本多6万石代々の居城として長く偉容を誇りましたが、明治維新で廃城になり楼閣(ろうかく)は

取り壊されました。城門は重要文化財で、膳所神社や篠津(しのづ)神社に移築されて残っています。
現在、本丸跡は、膳所城跡公園として整備され、春には桜の名所として花見客を多く集めています。(滋賀県観光ナビ)

昨年のプロ野球ドラフトで我がソフトバンクホークスに京都大学から育成で入団した水口投手の出身高校は、膳所高校です。京阪膳所駅近くにあるそうです。

 

 

近江八景「粟津の晴嵐」・・・東海道の膳所から瀬田までの松並木を描いた「粟津の晴嵐」は強風に枝葉がざわめく様子から晴嵐と言われたとか。「粟津の晴嵐」の風景を復元した、

松の並木が連なる静かな遊歩道を歩き、湖岸沿いに広がるなぎさ公園でひとときを楽しめます。(滋賀県びわ湖ナビより)

晴嵐とは、晴れた日に立ち上る霞のことです。

  

近江八景「瀬田の唐橋」・・・日本三名橋の一つで近江八景「瀬田の夕照」で名高い名橋。古くは、瀬田橋・瀬田の長橋とも呼ばれ、日本書紀にも登場する。現在の状態は、織田信長により

現在の状況(大橋・小橋)に整備された。「唐橋を制するものは天下を制す」とまでいわれるほど、京都へ通じる軍事・交通の要衝であることから幾度となく戦乱の舞台となった。

現在の橋は昭和54年に架け替えられたが、緩やかな反りや旧橋の擬宝珠など往時の姿をとどめている。
「いそがばまわれ」の語源となったエピソードでも有名。(滋賀びわ湖ナビより)

いそがばまわれ・・・急がば回れの語源は、宗長(室町時代の連歌師)の歌「もののふの矢橋の船は速けれど急がば回れ瀬田の長橋」である。「もののふ」とは武士、

「矢橋の船」とは矢橋の渡し船を意味する。「矢橋の渡し」とは、東海道五十三次草津宿(滋賀県草津市矢橋港)~大津宿(大津市石場港)を結んだ湖上水運で、「瀬田の長橋」とは、

日本三大名橋のひとつ「瀬田の唐橋」である。当時、京都へ向かうには、矢橋から琵琶湖を横断する海路の方が、瀬田の唐橋経由の陸路よりも近くて速いのだが、比叡山から吹き下ろされる

突風(比叡おろし)により危険な航路だったため、このような歌が歌われた。

瀬田の唐橋と三上山の伝説 俵藤太のムカデ退治 (jisyameguri.com)

 

 

瀬田の唐橋を渡ってすぐ左折します。この道は「夕照(せきしょう)の道」と呼ばれています。瀬田の夕照は名前の通り夕日の美しいところです。

この風景はこの土地に住んでいる人々の誇りです。夕照の道は瀬田の唐橋を中心に北(萱野浦~瀬田1丁目)と南(瀬田2丁目~瀬田6丁目)に分かれます。

 

 

 

草津市に入りました。今日のゴールは、イオン草津迄です。16:47イオン草津にゴール!距離は11,3kmでした。

イオン草津からバスで大津駅に戻りました。

 

 

 

 


母方のルーツを訪ねて「ビワイチ徒歩の旅」プロローグ

2023-01-19 11:33:23 | 琵琶湖一周徒歩の旅

5~6年前、母の50回忌の法要を前に母の遺品を調べていましたら、50数年前に取り寄せたの母方の戸籍謄本が出てきました。

それによると、母の母(わたしの祖母)は、滋賀県愛知郡東押立村(現在の東近江市小八木町)で生まれ、結婚して滋賀県高島郡大溝村勝野(現在の高島市勝野)に移り住みました。

その後、京都市内に住居を構えていましたが、母の弟が亡くなり、その京都の家も売却したようです。

若いころは、自分のルーツなんか全然興味がなかったのですが、NHKの「ファミリーヒストリー」ではありませんが、歩いて琵琶湖一周しながら母方のルーツを訪ねてみたいと企画しました。

尚、父方のルーツは、父の実家も近いし、親戚もほとんど近くにいますのでだいたい把握しています。

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1/16(月)博多発始発の新幹線で京都で乗り換え大津駅へ。大津駅でレンタカーを借り、ナビを頼りに東近江市小八木へ。

私の祖母は、明治31年(1898)この正連寺で生まれました。

挨拶に行こうとしましたが、呼鈴を押しても応答なし。近くの人に聞くともう何年も誰もいないそうです。(廃寺かな?)

 

  

この東近江市には、父方の従兄(父の兄の子供)が住んでいました。福岡にいましたが、結婚して東近江市に移りました。

福岡にいたときは、同い年の従兄でしたのでよく映画など見に行っていました。(まだ未成年でしたので一緒にお酒を飲んだことはありません)

ところが、約10年前、この従兄が亡くなったという知らせがあり、お葬式に参列しました。

場所は、近江鉄道八日市線市辺(いちのべ)駅前。ナビをそちらに合わせ小八木町から市辺町に移動。

家は、すぐわかりましたが、10年前に比べて新しくなっています。

奥様と娘さんとお会いし、従兄がしていた事業を娘さんが引き継いでいるそうです。

 

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今回の旅のホテルは、京都駅八条口の所。

叔父(母の弟)は、京都市南区東九条・・・・・・に住んでいました。ちょうど八条口に近い所です。

夜、東九条・・・・・あたりを探しましたが、50年前とはすっかり変わっています。新幹線側の角地にはパチンコ屋があり、烏丸には、スーパージャスコがありました。

いまは、新しいホテルが立ち並んでいます。叔父が亡くなり売ったのでしょうね。・・・・

  

 

 

 


サタデーウォーク「旧筑肥線跡路を歩く」(福岡市城南区~博多区)

2023-01-15 07:55:50 | ふくおかウォーキング協会

1/14(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは、「旧筑肥線跡路を歩く」でした。

筑肥線は、私営の北九州鉄道が博多~伊万里間を開通させたのが、昭和10年(1935)、全線開通後、わずか2年で国有化され、昭和12年(1937)筑肥線となりました。

当時は、蒸気機関車も走っていました。

1983年(昭和58年)3月、旧筑肥線(姪浜~博多駅)間は、福岡市地下鉄とJR筑肥線(姪浜~唐津)の相互乗り入れで、旧筑肥線姪浜~博多駅間は、廃線となりました。

あれから40年、旧筑肥線跡地は目覚ましく発展を続け、果たしてどこを走っていたか調べるのに難儀しました。それでもわずかではありますが、筑肥線の面影が残っている所があります。

今回は、その跡地を訪ねるウォークです。(写真は、下見に行った時に撮った分も掲載しています)

集合場所は、地下鉄別府駅近くの城南区役所。ここが「鳥飼駅」があった所です。

参加者は、35名。今日は朝から小雨が降り続いていますが、スタート時点では、霧雨になっていました。

9:30スタート。

 

樋井川にかかる鉄橋は、「樋井川筑肥新橋」として車も歩行者も通れる橋になっていました。

  

樋井川筑肥新橋から梅光園緑地を通ります。ここは、旧筑肥線跡地970mを緑の散歩道として整備されました。

 

 

 

小笹中央公園で休憩。この近くに「小笹駅」がありました。

 

筑肥線跡地は、「筑肥新道」という道路になりました。

 

参加者の方から「平尾大池公園あたりにトンネルがあった」と言われましたが、私、覚えていませんでした。

西鉄平尾駅を過ぎ、スーパー「サニー」の所が「旧筑前高宮駅」です。

筑前高宮駅は、開業当初、「新柳町駅」でしたが、その後「筑前高宮駅」に変わりました。

 

サニーから日赤通りに向かいます。筑肥線は、ここを横断していましたが、廃線後、中央分離帯が設けられ迂回します。

九州を代表する「一蘭ラーメン」は、ここ那の川店が発祥地だそうです。

 

那珂川筑肥新橋を通り「旧筑前蓑島駅」へ。

 

 

筑前蓑島駅は、開業当初「福岡蓑島駅」でしたが、昭和12年(1937)筑前蓑島駅に改められました。元々日本足袋(現アサヒシューズ)の工場に隣接、アサヒシューズが

九州松下電器(現パナソニックコネクト)に工場用地を売却した後も九州松下電器の玄関口として栄えました。

 

今、住居の地名は、「美野島」ですが、古地図を見てみると、博多の大部分は、「冷泉の津」という海で塩原まで達していました。その時、住吉神社は、海に突き出た岬にあり、

美野島(蓑島)は、名前の通り「蓑島」という島でした。それが、年月とともに陸続きになり、現在の形になったようです。

昭和44年(1969)住所表示も「美野島」になりました。

美野島公園を通り、博多駅へ。

博多駅は、1番ホームが筑肥線でした。

 

11:35 博多駅の音羽公園へゴールしました。距離は、7,5kmでした。

 

 

 

 


楽しいウォーク「宮地嶽神社へ初詣」(福岡県福津市)

2023-01-13 10:17:22 | ふくおかウォーキング協会

1/11(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「宮地嶽神社へ初詣」でした。

集合場所は、福間駅、参加者34人。

コースは、福間駅スタート~宮地嶽神社~奥の院~光の道~宮地浜~福間海岸~ピーチハウス~西郷川~福間駅ゴールの約10km。

9:30スタート。

 

 

 

約40分で宮地嶽神社奥の院に到着。

 

宮地嶽神社には、神功皇后を主祭神とし、勝村大神・勝頼大神を配祀する御本殿の他に「奥之宮八社」と呼ばれる社が祀られています。「一社一社をお参りすれば大願がかなう」とう信仰が

あり、昔から多くの人が訪れています。奧の宮八社巡りの信仰は日本最大級の石室古墳発掘を機に不動神社(史跡)が奉祀されたことから盛んになりました。

 

  

  

  

奥の院から宮地嶽神社本殿に向かいます。

ご創建は、約1700年前。当社のご祭神「息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)」別名「神功皇后(じんぐうこうごう)」は第14代仲哀天皇の后で応神天皇の母君にあたられます。

古事記、日本書紀等では渡韓の折、この地に滞在され、宮地嶽山頂より大海原を臨みて祭壇を設け、天神地祇(てんしんちぎ)を祀り「天命をほう奉じてかの地に渡らん。

希(ねがわ)くば開運をた垂れ給え」と祈願され船出したとあります。その後、神功皇后のご功績をたたえ主祭神として奉斎し、随従の勝村・勝頼大神を併せ、

「宮地嶽三柱大神(みやじだけみはしらおおかみ)」としてお祀りしました。 以来、宮地嶽三柱大神のご加護のもとで事に当たれば、どのような願いもかなうとして

「何事にも打ち勝つ開運の神」として多くの方に信仰されるようになりました。 当社は、全国に鎮座する宮地嶽神社の総本宮です。(宮地嶽神社HPより)

本殿にある大しめ縄は、直径2,6m、長さ11m、重さ3tで日本一です。

 

宮地嶽神社の参道は、神社正面から西向きの玄界灘に向かって一直線に伸びています。アイドルグループ「嵐」のJALのCMで話題になりました。
2月下旬と10月下旬、夕陽が宮地嶽神社から直線上に位置する沖合いの相ノ島に沈んでいく時に、夕陽が参道を照らし黄金に輝かせるのです。これが「光の道」と呼ばれる現象です。

今年は、2月23日ごろ(日の入り時刻18:10ごろ)、と10月18日ごろ(日の入り時刻17:42ごろ)です。

参道には、商売繁盛・開運祈願で知られる宮地獄神社門前で昔から名物として「松ヶ枝餅」が売られ、参拝者のお土産として多くの支持を得ています。

白餅とよもぎ餅があります。(@150)

 

 

ピーチハウスを通り福間海岸へ。

 

福間海岸から細い路地を通ると「あんや」という看板が・・・・・

広渡製餡所というのが正式名称ですが、「餡」の専門業者です。餡は、こしあん、粒あん、白あんがあり、500g単位で販売してくれます。

 

12:00福間駅にゴールしました。

今日のGPSです。

 

 


1月度例会「筥崎宮・十日恵比寿神社を訪ねて」(福岡市東区~博多区)

2023-01-09 06:52:42 | ふくおかウォーキング協会

ふくおかウォーキング協会の1月度例会は、「筥崎宮・十日恵比寿神社を訪ねて」でした。

集合場所は、JR千早駅。

「千早」という地名は、近くに香椎宮があるので、一説によると、新古今和歌集におさめられている「ちはやふる 香椎の宮の綾杉は 神の禊に たてるなりけり」からか?

参加者は、41名。コースは、千早駅スタート~多々良川緑地~松崎公園~筥崎宮~崇福寺~十日恵比寿神社~JR吉塚駅ゴールの約10km。

 

9:30スタート

 

千早陸橋のモニュメント・・・・昭和35年に完成した千早陸橋は、三角形の橋桁が特徴的な約500メートルの陸橋でした。

千早と若宮方面を結ぶ生活に欠かせない陸橋でしたが、同区画整理事業に伴い、平成16年に撤去されました。

現在は、千早中央公園(千早四丁目)に、陸橋の一部を活用したモニュメントが残っています。

 

西鉄名島駅から名島橋踏切を渡ります。

 

名島橋踏切から多々良川緑道に向かいます。

 

途中、細川幽斎(忠孝)(1534~1610)の歌碑があります。「いにしへは ここに鋳物師の跡とめて 今もふるみる たたら潟かな

たたら潟は、広漠たる入江で、川砂から砂鉄が採取され古くから大陸渡来の鋳物工が住みつき、鋳物を造っていたと伝えられています。

また、多々良浜の戦いがあった所です。延元1=建武3 (1336) 年3月2日の足利尊氏と菊池武敏との筑前多々良浜での合戦。同年1月京都で敗れた尊氏は九州に入り,少弐頼尚ら守護層に

迎えられ,九州最大の後醍醐党で優勢な菊池氏を破った。ここで尊氏は再挙し,一色範氏を鎮西大将軍 (九州探題の前身) として残し,東上した。 (→南北朝時代 )

現在多々良浜の戦いの碑は、流通センター入口にあります。

 

松崎公園で休憩

 

休憩後再スタート。流通センター入口には、「多々良浜の戦い」の碑があります。

 

箱崎駅から筥崎宮へ

 

 

宇佐神宮、石清水八幡宮とともに日本三大八幡宮のひとつに数えられる福岡市に鎮座する古社が筥崎宮(はこざきぐう)。平安時代初期の延喜21年(921年)、醍醐天皇が神託により

大陸・玄海灘に面した地に、国家鎮護のため壮麗な社殿を建立。延長元年(923年)に現社地に遷座しています。延喜式神名帳にも名神大社と記載され、筑前国一之宮になっています。

また、勝負の神様ということで境内には、プロ野球福岡ソフトバンクホークスやJ1アビスパ福岡などの絵馬が置かれています。

 

 

馬出(まいだし)小学校の所に、「旧市立動物園の門」があります。

昭和8年(1933)に開園し、この門は当時の正門として使われていました。園内には、象、ライオン、熊、オットセイなどの獣類65種、鳥類124種、植物100種あまりが収容、

展示され、福岡市の名所として子供たちに親しまれていました。太平洋戦争の激化とともに入園者は減少し、飼料も入手困難になり、更に空襲による獣舎の破壊も予想され、

昭和19年(1944)5月ついに閉園になりました。

 

黒田家の菩提寺「崇福寺」で仮ゴール。

 

会員さんと別れ、個人で十日恵比寿神社に向かいます。

十日恵比寿神社は、祭神が事代主命(恵比寿神)・大国主命(大黒様)をお祀りし縁結び、商売繁盛にご利益があるとされています。

社伝によれば、「香椎宮大宮司家の武内五右衛門(平十郎)は分家して「神屋」と号して博多で商売を営んでいたが、天正19年(1591年)1月3日、香椎宮・筥崎宮を参拝したとき、

香椎浜に流れついた恵比須神の神像2体を得た。それを自宅に持ち帰って祀ったところ家運が隆盛。翌年の文禄元年(1592年)1月10日、平十郎が神像を拾い上げた場所に社殿を設けた。

そののち元和元年(1681年)11月15日、四代目平十郎が創建90年にあたって千代の崇福寺境内に社殿を再建する。」

正月大祭は、1/8~1/11まででこの日(1/7)は、明日からの大祭に備え露店の準備が行われていました。

 

この日のGPSです。

 

 


楽しいウォーク「新春三社詣りウォーク」(福岡市博多区他)

2023-01-06 06:26:17 | ふくおかウォーキング協会

1/4(水) 明けましておめでとうございます。

今年最初のふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、例年のごとく「新春三社詣りウォーク」でした。

九州には「三社参り」と呼ばれる文化があります。朝廷の文化を一般の人々が真似た、この文化は今も九州地方に息づいています。特に福岡では、三社参りはメジャーな風習です。

福岡の三社詣りの定番コースは、宮地嶽神社(福津市)、筥崎宮(博多区)、太宰府天満宮(太宰府市)です。

この三つの神社は、距離が離れていますので、行くとすれば、車でないといけませんので、ふくおかウォーキング協会のコースは、毎年近場の神社を三つ廻るコースを作成しています。

2021年は、大宰府近郊の神社、昨年は、香椎宮近郊の神社でした。

今年は、住吉神社、護国神社、櫛田神社の三つの神社を歩くコースです。

集合場所は、博多駅前の明治公園、参加者は、33人でした。

コースは、博多駅(明治公園)スタート~住吉神社~けやき通り~護国神社~大濠公園~櫛田神社ゴールの約10km。

9:30明治公園を出発

 

博多駅から住吉神社までは、徒歩約10分。

 

今日は、会社関係の仕事始め。境内には、会社関係の方や高校の部活の方などが長い行列を作っていました。

人が多すぎるので遠くからお詣りしました。

 

住吉神社から柳橋~薬院駅~けやき通りを通り二つ目の神社「護国神社」へ。

 

 

幼稚園児も先生と一緒にお詣りに。

 

この神社には、境内が広いのでここで皆と一緒に記念写真を撮ります。

露店も帰ってきました。

 

護国神社から大濠公園、舞鶴公園を通ります。

 

 

福岡市の中心部「天神」は、現在ビルの建て替え工事が進んでいます。

これは、「天神ビッグバン - Wikipedia」といって、天神地区の老巧化しているビルの建て替えを促す再開発プロジェクト。2015年に始動したプロジェクトは、10年間で30棟の民間ビルの

建て替えを誘導するため、2024年末竣工を期限とし、容積率緩和等の優遇施策を実施しています。

 

那珂川を通り、博多区へ。

 

川端通商店街から「櫛田神社」へ。

 

櫛田神社も混雑しており遠くから参拝しました。

 

この日のGPSです。

1/7(土)の例会では、筥崎宮、十日恵比寿神社を廻ります。

 

 

 


令和5年お正月 明けましておめでとうございます!

2023-01-01 06:17:48 | 日記

明けましておめでとうございます。

私の今年の目標は、歩いて琵琶湖一周をすること。

私の母方の祖母が、滋賀県愛知郡(現在東近江市)平柳の生まれ、結婚して高島市に移り住みました。その後京都二条駅の方に住んでいたようです。

そのルーツも訪ねてみたいと思い計画しました。

琵琶湖一周は、約200kmですので今年一年かけて完歩したいと思っています。

琵琶湖一周のウォーキングマップはありませんが、サイクリングマップを使って歩こうと思います。

歩友の敦賀のFさんに相談すると、たくさんの資料を送っていただきました。

 

琵琶湖は、10年ぐらい前に長浜ツーデーマーチで余呉湖から長浜まで歩いただけです。

どんな景色がまっているやら・・・・今から楽しみです。

早速今月中旬から開始します。

今年も宜しくお願いします。

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初日の出(近くの干潟より)