よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

宮崎こばやし絶景ウオーク2017 1日目30km(宮崎県小林市)

2017-02-28 18:30:55 | オールジャパンウオーキングカップ

2/25(土)小林市の朝7時の気温は1℃です。放射冷却のせいか、冷えています。  

ホテルで簡単な朝食を済ませ、会場の小林総合公園中央広場に車を走らせました。

今年も第19回宮崎こばやし霧島連山絶景ウオークが始まりました。初日の今日は、30kmコースにチャレンジします。

   

7:40から出発式。今日も準備体操は、ラジオ体操都城弁です。皆さん笑いながら体操をしていました。都城ラジオ体操のYouTubeは下記です。

https://www.youtube.com/watch?v=wpa_gGmEUPU

コスモスレディに見送られ8:00スタート。

朝の気温は、1℃。ちょっと寒いです。天気は快晴。霧島連山も綺麗に見えています。

   

2,2kmの窪田集落入口が20kと30kの分岐点。20kは、左折、30kは直進します。今日は、北九州Nさんご夫妻、福井Fさんご夫妻、佐賀・Mさん、長崎・Sさんと一緒に歩いています。

  

5,4km地点が最初の給水所「大牟田商店」。最初のチェックポイントです。地域の方が柚子茶、ぜんざい、お漬物などを振る舞っていただきました。

  

  

大出水湧水:直線で約300m上流から湧き出る湧水で、良質の米、野菜が収穫されています。 

田の神様:田の神の石像が九州地方南部の薩摩、大隅、日向の一部(都城周辺)に限って分布しています。ここでは、集落ごとに杓子やすりこぎを持ったタノカンサァ(田の神さま)と称する

石像を田の岸にまつる風習がみられます。

  

歩いていると、「琴熊添」という力士のポスターがありました。小林出身の力士だそうで現在怪我治療中、5月場所から復帰するそうです。将来が楽しみですね。

  

生駒高原に入りました。生駒高原には、河津桜が満開でメタセコイアと桜のコラボが綺麗です。

  

メタセコイアと夷守(ひなもり)岳の光景もビュースポットです。

  

生駒高原では、ふかしイモ、キャンディのサービス。店内に入ると、あまおうのソフトが売っていましたので思わず買ってしまいました。福岡のいちご「あまおう」愛でしょうか?(笑)

  

しばらく歩くと、大きな石像が建っています。今まで熊襲王が日本武尊と思っていましたが、日本武尊は、女装して熊襲王に酒を飲ませ、その隙に征伐したそうです。

  

 

宮崎道小林IC近くに来ました。ここの四季彩館が給水スポットです。ここでは、米で作ったパンが振る舞われました。

  

出の山名水ホタル館では、小林西高の生徒さんが作った「煮込みそば」が振る舞われました。

ここは、30k、20k、11kのコースが交わる所で、館内には、家族連れのウオーカーの方も多数見られました。30kコースは、15.8km地点でゴールまであと半分です。

  

30kmコースのチェックポイントは、出の山淡水魚水族館です。

  

歩いていると高千穂嶺が見えてきました。この高千穂嶺は、坂本龍馬が新婚旅行でお龍さんと一緒に登った山です。私も3年前、家内と一緒に登りました。勿論新婚旅行ではありません。(笑)

この光景も絶景ですね。

  

20,6km地点消防団訓練広場が給水スポット。地域の皆さんが、自家製のお菓子、お漬物を接待してくれました。また、ヤブツバキの花もいただきました。

ツバキの花言葉は「控えめな愛」。このウオーキング大会を陰で支えていただいているボランティアの皆様のようです。有難うございます。お陰様で楽しく歩けています。

  

  

細野地区に入りました。ここに「霧島峯神社」があります。

霧島岑神社由来略記往古、霧島岑神社は高千穂峰の中腹、瀬戸尾の高地に鎮座され、祭神は瓊々杵尊・木花咲耶姫命・彦穂々出見尊・豊玉姫命・鵜葺草葺不合尊・玉依姫命の六柱の神々である。

承和4年(837)、日向国諸県郡霧島岑神は官社に預りのち従五位上を授けらる「続日本後紀」。天安2年(858)従四位下に叙せらる「三代実録」。とあり、

「延喜式神名帳」には日向の国式内四座の一であると記されている。天慶・天暦(10世紀)の頃、性空上人が霧島岑神社に参籠の折り、山麓四方に夷守神社他四社を創建し、

本社である霧島岑神社(別名、霧島中央権現)を合せて霧島六社権現と称した。天永3年(1112)韓国岳噴火、仁安二年(1167)大幡山噴火と相次いで神殿を焼失したが、その都度元の地に再建された。

文暦元年(1234)には至近の火常峯(御鉢)が噴火し社殿は焼失、この高地に湧いていた「天の井」も涸れたので末社の霧辺王子神社の辺に遷座され、その地を新瀬戸尾と称した。

その地に座すこと480余年、享保元年(1716年)新燃岳噴火、社殿は焼失 御神体は今坊権現に奉遷、次いで細野村岡原に遷座されたが新瀬戸尾の地は全く荒廃したので享保14年(1729)、

夷守岳中腹に社殿を再建、明治初頭まで鎮座された。その地を今に築地と言う。

明治5年(1872)県社に列せられ、翌6年細野村に合祀の世論起り夷守神社を先ず本社の岑神社に合祀した上で、改めて旧夷守神社の跡地(現在地)に霧島岑神社を奉遷して今日に至っている。
    昭和56年3月 小林市教育委員会

 

   

   

この霧島峯神社が最後のチェックポイントです。神社のお守りを頂きました。

  

現在13:26.マップを見ると、ゴールの制限時間が15:00丁度。ここからゴールまであと約6km。ちょっとスピードアップします。

ゴールまでの最後の坂がきついです。(涙)

14:47 ようやくゴールしました。ゴール後汗を流す為、「神の郷温泉」に行きました。気持ちのいい温泉でした。

   

   

1日目30kmのGPSです。

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 


宮崎こばやし絶景ウオーク2017「せっかくウオーク」(宮崎県小林市須木村)

2017-02-27 10:52:42 | ウォーキング

2/25から始まる「こばやし霧島連山絶景ウオーク」に参加しました。

この大会は5年ぐらい前まで宮崎市内で開催されていましたが、2013年JR吉都線が開通100周年を迎えることになり、会場を宮崎県小林市に移しました。

私は、小林会場になって最初の年、次の年、そして今年と3回目の参加になります。

今年は、24日から出発して「すきむらんどのせっかくウオーク」にも参加しました。須木(すき)村は、小林ICから車で約40分。熊本県側の山あいの集落です。

11:00受付開始。弁当と豚汁、それと地元の小学生が栽培したもち米を使った「おこわ」を頂きました。

  

  

  

12:30出発式。今日は須木小学校の全校生徒も参加しています。

出発前の準備体操では、都城弁を使った「ラジオ体操」が披露されました。体操の後半の部分の「飛ぶ」所は、都城弁で「ぴんこ ぴんこ」と言います。これには、参加者も一斉に笑い出しました。

そういえば、小林市を始め、旧「西諸県(にしもろかた)郡」の方言を使った小林市のPR動画「諸県弁がフランス語に似ている」がネットの再生回数が200万回を達したとのことです。

フランス人が、西諸弁を使って話しているのですが、どう聞いてもフランス語にしか聞こえません。皆さんはどう聞こえますか?YOUTUBEのアドレスはこちらです。https://youtu.be/jrAS3MDxCeA

 

大吊り橋を渡ります。この吊り橋は、歩道橋としては、日本一の吊り橋だそうです。高さは、30,5m長さ155m。

  

   

アップダウンが続きますが、周りの景色を見ると、「きつさ」も忘れそうです。

 

15分ぐらい歩くと「かるかや」の看板があります。ここを右折。

  

しばらく歩くと、「萱葺きの家」が見えてきます。

  

集落の中心に「萱葺きの宿 かるかや」があります。

ここは、宿泊設備もあり、地元でとれた食材を使った料理が有名です。須木萱葺きの宿かるかやのHPは、こちらです。http://www.sukimuland.jp/taberu/karukaya.html

ここでのんびり一日を過ごすと、きっと命の洗濯ができそうです。最近では、外国の方の利用も増えているそうです。

   

せっかくウオークのコースは、ここで折り返します。

   

しばらく歩くと、スタートした吊り橋が見えてきました。ここから見る吊り橋も絵になります。

  

コースは、ままこ滝(須木の滝)の展望台に向かいます。このままこ滝、正式には「須木の滝」です。この滝には下記のような伝説が残っています。

その昔、須木村の山深い滝の近くに若いきこりの夫婦が住んでいた。彼らには1人のかわいい女の子がいた。山の中の一軒家でも、親子水入らずの生活はとても楽しいものであった。
四季に移り変わる周囲の景色を眺め、日ごとに成長していくわが子の将来を思い浮かべながら、元気に働けることは夫婦にとって何よりの幸せと思われた。
しかし、その幸せは長くは続かなかった。妻がふとした病がもとで、幼い娘を残して帰らぬ人となってしまったのである。平和で楽しかった生活は一瞬にして壊れてしまった。幼い娘を連れての深山での仕事はあまりにも無理があった。毎日の生活さえ男一人の手では思うままにならない。そこで、やむなく後添いを迎えることになった。
娘はやがて6歳となったが、後入りの母は娘が邪魔で仕方がない。何かにつけてはきつく当たっていた。娘にとって頼りの父は朝早く家を出て、夕方遅く帰るので、継母と終日暮らすよりほかになかった。
「ああ、お母さんが生きてくれていたら・・・」。子ども心に今は帰らぬ母親を慕って何度泣いたことであろうか。
ある昼下がりのことであった。野良仕事を終えた継母と娘は、滝の上の岩に並んで滝を見下ろしていた。いつもは娘を憎む継母も、その日だけはやさしく、「しらみでもとってやろうかね」と言いながら、娘をひざに引き寄せ、髪をとかし始めた。
すぐ真下の断崖(だんがい)を落ちる滝の水は、白竜が踊り狂うように地響きをたてていた。この継母に恐ろしいたくらみがあろうなどとは、つゆほども知らない娘は、うれしさで無心になって自分の帯と継母の帯の端とをしっかりと結んでいた。
そのときであった。ころを見計らっていた継母は、自分のひざに寄り添う娘をこん身の力で滝つぼに突き落とした。しかし、千尋の滝つぼに落ちていったのは、いたいけな娘とその子を憎んでいた継母の2つの塊であった。それ以降、人々はこの滝を「まま子滝」と呼ぶようになった。この話を聞いた村人たちは、2人の供養のために観音像を祭った。それで「観音滝」とも呼ばれている。
正式な名称は「須木の滝」。綾南ダム建設で湖の水位が上がったが、豊かに水をたたえる湖面に、滝音を響かせて落下する景観は雄大で、美しい。(みやざき神話と伝承101より引用)

 

   

  

14:18出発地のすきむらんどにゴールしました。ゴール後、食堂の横にある「かじかの湯」に立ち寄りました。

このかじかの湯、今日は、ベテランズデーということで65歳以上の入湯料は、半額の200円です。証明書が必要なのかな?と受付の方に聞きましたが、証明書はいらないとのこと。

自分では若いと思っていても他の人からみれば、それ相当の年齢に見えるのでしょうね。(涙)

7kmのウオーキングでしたがアップダウンがあったせいか、しっかり汗をかいていました。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


国指定重要文化財「竪坑櫓」へウオーキング(福岡県粕屋郡志免町)

2017-02-21 16:35:08 | JR九州ウオーキング

 2/18(土)は、JR九州ウオーキング「国指定重要文化財『竪坑櫓』」のウオーキングに参加しました。

博多駅から篠栗線に乗り、長者原駅で香椎線に乗り換え須惠駅に到着。この日、JRウオーキングはこのコースしかなく、スタート場所の須惠駅には、たくさんの方が降りてこられました。

 

受付を済ませ、9:30スタート。

   

須惠町の地名の由来は、古代、須惠焼の窯があったことからその名がついたそうです。

私が社会人になって2年目ごろ、会社の工場が須惠町新原(旧産炭地)に移転することになり、その頃、連絡の為、博多駅の事務所⇔新工場間を一日に何回も往復していました。

当時は道路も狭く新工場に行く距離が長く長く感じていました。今回久しぶりに須惠町を歩きましたが、あのころからずいぶん変わりましたね。

旅石(たびし)八幡宮」は、今回パスしましたが、神功皇后が宇美八幡宮でお産される途中に立ち寄られ「あな わびし」と言われ、それが旅石という地名になりました。

西原の交差点を過ぎると「志免町」に入ります。

志免町の町名の由来は、かつて宇美八幡宮祭礼の際の第一の注連縄を引いた地であるから、また、神功皇后が宇美の地で応神天皇を出産した際に、注連縄を張ったという伝説に由来するともいわれています。

  

歩いていると前方に旧志免鉱業所の「竪坑櫓」が見えてきます。

志免鉱業所(しめこうぎょうしょ)は、糟屋炭田(かすやたんでん)の炭鉱の一つ。志免炭鉱とも呼ばれていました。採掘開始から閉山にいたるまで終始国営(戦前は海軍、戦後は国鉄)であった

日本国内唯一の炭鉱として知られています。1964年(昭和39年)閉山。志免鉱業所竪坑櫓、斜坑口などの遺構が現在も残されています。2009年(平成21)12月8日、竪坑櫓が国の重要文化財に指定されました。

   

     

 

志免町のランドマーク「竪坑櫓」です。高さ47,6m、長辺15,3m、短辺12,3mで、1943年(昭和18年)5月竣工。

志免町のHPを見ると、

竪坑櫓」は、ケージと呼ばれる籠を昇降させるために造られた巨大なビルディングです。この櫓の真下にまっすぐ掘られた深さ430mの「竪坑」という穴を使い、地下から石炭を上げたり、

坑員を地下の石炭層まで移動させていました。まるで金づちを立てたような形の櫓に、巻き上げる機械が組み込まれた、エレベーターのような仕組みとなっています。

さまざまな形の竪坑櫓の中で最も発達した形式で、地上8階、地下1階のうち、地上1階から5階までを柱のみで構成し、6階以上には壁をつけています。8階部分には吹き抜けの大空間があり、

ケージの巻き上げに使われた1000馬力のモーターが、休みなく稼動していました。

 志免と類似する形式で、終戦(1945年)の前に建設された竪坑櫓は、これまで九州で造られたおよそ100の竪坑のなかでも、四山第一竪坑(三井三池炭鉱、荒尾市)にあっただけです。

また世界中をみても、現在まで残っているものは、志免のほかにベルギーのブレニーと中国撫順の2か所だけだといわれています。その姿は、機能的で無駄のない造形美をもつ近代建造物であり、

世界の産業技術史を語る上でも大切な遺産であるといえるでしょう。

 1957(昭和32)年には、21万トン以上も出炭していた竪坑も、1964年の閉山とともに稼動を停止します。現在、日本に現存する最大規模の竪坑櫓は、日本で唯一、

開坑から閉山まで国営でありつづけた志免鉱業所の歴史を物語っています。 

 日本の近代化を支えた竪坑櫓が、志免町のランドマーク、そして歴史と文化のシンボルタワーとして、広く親しまれることを願っています。(志免町HPより引用)

この竪坑櫓は、平成21年(2009年)国の指定重要文化財に指定されました。

  

竪坑櫓の横には、志免町複合福祉施設「シーメイト」があります。館内には、竪坑櫓や炭鉱施設、博多山笠舁き山などが展示されていました。

  

志免町産業遺産収蔵庫では、換気用に使われた「飛行機の木製プロペラ」が展示されていました。

  

大正町商店街来ました。

歌手の郷ひろみさんは、福岡県須惠町出身です。ひろみさんのお母さんは、ここ志免町に実家があります。

昔、この地で郷ひろみさんの親戚の方が「ひろみ饅頭」を売っていました。酒まんじゅうみたいなもので饅頭に「ひろみ」という刻印が押されていました。

その頃勤めていた会社の女子社員にひろみさんの大ファンと言う方がおられ、私は、営業でこのあたりを通るとその子に、このひろみ饅頭を買ってきたりしました。

あれから40年・・・・・・・・もうひろみ饅頭は無く、跡地には新しい家が建っていました。新しい方は、ひろみさんとは全く関係のない方でした。

  

  

鉄道記念公園です。

志免町には、1985(昭和60)年まで石炭輸送のために作られた鉄道がありました。香椎線の引き込み線と、勝田線です。

香椎線は、1909(明治42)年から開通した博多湾鉄道旅石線(後に博多湾鉄道汽船から西日本鉄道、日本国有鉄道へ変わった香椎線引き込み線・1984(昭和59)年12月31日廃線)のことです。

勝田線は、1919(大正8)年に開通した筑前参宮鉄道(後に西日本鉄道から日本国有鉄道へ変わった勝田線・1985(昭和60)年3月31日廃線)のことです。

石炭景気の需要による開通で、当時の一日乗客数は300名、石炭は750トンと、石炭輸送が主でした。現在、勝田線は緑道として公園整備され、志免駅は志免鉄道公園となり、レリーフが当時を偲ばせています。

  

  

   

  

現在志免町の人口は、約4万人。この勝田線を残し、宇美八幡宮から太宰府天満宮まで延伸してたら、もう少し需要があったのではないかと素人ながら考える次第です。

コースは、志免町役場付近から「岩崎神社」に向かいます。

岩崎神社には、福岡市出身の元総理「広田弘毅」の書による「興風会之碑」があります。広田弘毅が外務大臣時代(昭和8~12年)の書ですが、「興風会」というのは、調べましたがわかりませんでした。

  

 

  

岩崎神社の絵馬堂が今日JRウオーキングの為に特別に開放されています。

この中には、志免町指定文化財の「黒田二十四騎図」(安政3年(1856))が奉納されています。他には、下関の講和条約、西郷隆盛征韓論の「西海揚波起源図」などもありました。

    

岩崎神社から引返し、ゴールの須惠駅を目指します。7kmを1時間40分のウオーキングでした。

  

YAMAPの軌跡です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


多々良川河畔ウオーク(福岡市東区)

2017-02-17 12:37:31 | ウォーキング

2/15(水)は、ふくおかウオーキング協会の「多々良川河畔ウオーク」に参加しました。

集合は、JR千早駅。  9:30 参加人数55人でスタート。

  

多々良川(たたらがわ)は、福岡県糟屋郡および福岡市を流れ博多湾に注ぐ河川。二級水系多々良川の本流です。全長17,4km。

神功皇后の三韓征伐の際、大陸渡来の鋳物工が住み着き、多々良川の川砂で鋳物を造りました。多々良(鑪)の地名もここから付けられたのではないでしょうか?

この近くの香椎宮は、神功皇后の夫、仲哀天皇が祀られています。

  

また、多々良では、昔2つの戦があった所です。

1336年の南北朝時代、南朝の熊本菊池氏と足利尊氏が戦った多々良浜の戦い。

1569年、戦国時代、大友宗麟と毛利元就の多々良浜の戦い。

どちらも多々良川浜の戦いとされています。

河畔には、歩道が設けられ、時にはサイクリングやウオーキングまた、このあたりにも絶滅危惧種「クロツラヘラサギ」が飛来してきますので野鳥の観察にもいい所です。

歩道の桜は、まだのようです。(福岡市開花予報日3/24)

 

河畔道には、細川幽斉の歌碑がありました。細川幽斉は、安土桃山時代の歌人です。

   いにしへは ここに鋳物師の跡とめて 今もふみみる たたら潟かな

  

松崎橋から左折し八田、土井の方に行きます。

  

九州道の高架を過ぎると粕屋町に入ります。

  

粕屋東中学、伊賀公園を通り長者原へ。

  

ゴールのJR長者原駅には、11:50に到着。

 

YAMAPからの軌跡

ゴール後、長者原駅より博多駅へ。

先週のテレビ「ケンミンショー」で紹介された「大地のうどん」博多駅店に行きました。大地のうどんの本店には何回も行ったことがありますが、博多駅店は初めてでした。

ちょうどお昼時間で店の前には行列ができていました。

名物のごぼ天うどんです。

  

 

 

 

 


城島の酒蔵開きウオーキング(福岡県久留米市)

2017-02-13 12:06:14 | JR九州ウオーキング

2/12(日)は、JR九州ウオーキングで福岡の酒どころ「城島」の酒蔵開きウオーキングに参加しました。

城島は兵庫の灘・京都の伏見・広島の西条とならぶ酒どころとして有名で、筑後川の豊かな水、美しい大粒の筑後米、芳香を放つ日田杉、愛情こまやかな三潴杜氏の技量、水運の便利さなどの利点に恵まれ、

古くから酒造りが盛んでした。現在も9つに蔵元が個性あふれるお酒を醸し続けています。

集合場所は、JR荒木駅。

  

受付番号は、210番。9:00荒木駅をスタート。背振の山々には、金曜日から降った雪がまだ残っています。

  

歩いていると、電車の線路を模した歩道があります。これは、西日本鉄道(西鉄)の旧大川線の跡です。

旧大川線は、1912年(大正元年)に開業し、乗客の他に主に旧三潴郡(城島含む)のお酒や、お米、い草などを運搬していましたが、1961年(昭和36年)廃止されました。

三潴小学校の所には、当時走っていた汽車(ポッポ汽車)が展示されています。

  

先ず、「萬年亀」へ。萬年亀は、明治25年(1892年)創業。

試飲をしたかったのですが、今日は、途中まで車で来ており、残念ながら雰囲気を味わうだけになりました。

 

池亀酒造   明治8年(1875)創業。

 

  

花の露   江戸中期延享2年(1745)創業。

  

  

ウオーキングは、花の露がゴールでしたが、その足でメイン会場の町民の森に行きました。

  

酒蔵祭りでは、チケット12枚綴りが600円で販売され、Aクラス(本醸造酒クラス)が1枚で1杯、Bクラス(純米酒クラス)が2枚で1杯、Cクラス(大吟醸酒クラス)が3枚で1杯というように

お酒の飲み比べが出来ます。

   

飲みたいのを我慢し、自分用のお土産に純米酒を買って帰りました。

   

2日間の来場者数は、11万人だそうです。

 

 

 

 


毘沙門山一周ウオーク (福岡市西区)

2017-02-05 07:13:53 | ウォーキング

 2/4(土) 現在YAMAPを習得しようと近くの山や海にウオーキングに出かけています

今日は、毘沙門山の一周ウオークに出かけました。ここは、私が小学生時代には、一周廻れる道があったのですが、波に浸食され、しばらく通行が困難となりました。

4~5年前、まちづくりの団体が、整備をして、ようやく通れるようになりました。

 

  

この毘沙門山は、僕等が子供のころは、採石場があり、現在はもうありませんが、所々に採石場の遺産が残っています。

    

しばらくは、海の景色を眺めてのウオーキングです。

  

  

道がだんだん険しくなってきました。

  

やっと海岸沿いの自然道に出ました。ここからは、ヤフオクドームや福岡タワーが見ることができます。

 

 

この海岸は、3月になるとたくさんの人が潮干狩りを楽しみます。アサリも年々減少傾向にありますが、今年はどうでしょうか?

県の水産海洋技術センターから山間の道に出ます。山を見るともう杉の木に花粉がいっぱいついています。花粉症の私には、嫌な季節が来ます。  

   

1時間20分ほどで一周してきました。YAMAPの軌跡は、下記です。