よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

やったバイ!ホークス日本一!

2014-10-31 12:44:26 | 日記

ホークス3勝1敗で迎えた第5戦  ゲーム開始前からテレビで観戦。

先発は、ホークス攝津、タイガースメッセンジャー。

攝津は、公式戦、CSとイマイチの成績でしたが、今日は気合が入っていたのか、ピンチでも動ぜづ快投を演じました。

一方のメッセンジャー、ピンチには、センター大和の好プレーがあり、無失点で7回を終えました。

ゲームが動いたのは、8回、2死1、3塁で松田の執念のヒット。これで逃げ切るかなと思いましたが、

9回守護神のサファティが大乱調。自らの四球で1死満塁。次のバッター西岡は3-1。

5球目を打ったががファ-ストゴロ、ボールは本塁、ファ-ストに転送されましたが、一塁は、スリーフットラインの中に入っていたため

守備妨害でアウト。あっけない幕切れでした。あの時西岡がもう1球待っていたら、次の球は、ボールになっていたかもしれません。。

いずれにしろ、勝は勝ちです。

私は、草野球の監督も経験しましたが、あの場面サファティが四球を連発したときは、すぐ投手を替えていたかもしれません。

その点秋山監督は冷静でした。結果あのような幕切れでした。

3年ぶりの優勝です。今年は、選手も補強し楽勝かな?と思いましたが、パリーグ優勝が決まったのが144試合目。

CSは、最終6戦まで戦いました。10月の試合は、本当にハラハラドキドキでした。

秋山監督は、今年でユニフォームを脱ぎますが、次期監督(工藤?)も常勝球団を作って欲しいですね。

        

      


2014 釜山花火大会

2014-10-30 05:39:34 | 韓国旅行

釜山の花火大会は、APECの総会が釜山で開催されたのを機会に始まり、今年で10年目を迎えます。

音楽やレザーに合わせ花火が打ち上がります。観客は、一番多い時で300万人。今年も約150万人の方が花火見学に来られるそうです。

      

今日は、この日のために、コンデジ2台、一眼1台それに三脚2台を持ってきました。コンデジの1台は、動画専用にしました。

 

 

 

 

 

 

8:00から8:47までの間、約8万発の花火が打ち上げられました。この花火の特徴は、いくつもの花火が同時に打ち上げられ、夜空に大輪の花を咲かせていました。

それはそれは、見事な花火でした。日本でしたら、多分「たま~や」「かぎ~や」の声が連発していたのでは、ないでしょうか。

この日の観客数は、約140万人でした。

 

尚、この花火大会をyoutubuにて公開しています。

こちらです。

http://youtu.be/htY_7_lTKck

釜山花火大会フィナーレ

http://youtu.be/MWQFFwBg8NY

 

カメリア号は、22時に釜山港に上陸。私たちがホテルに着いたのは、もう12時近くになっていました。

 

 

 

 

 

 

 


釜山花火大会観光  「カメリアで釜山へ」

2014-10-29 09:18:48 | 韓国旅行

10/25 釜山で「釜山花火大会」を見に行くため、フェリー「カメリア」で釜山へ行きました。

釜山には、もう20数回行っていますが、フェリー「カメリア」で行くのは、初めてです。本来は夕方の6時ごろ釜山港に入港するのですが、今日は、釜山の花火を船上から見学するツアーで花火大会が終了後、

22:00ごろ釜山港に入港する予定です。

12:30博多港を出航。今日は天気も良く絶好の船旅です。

  

乗船すると、船内を探索します。

  

  

船内には、今回は入りませんでしたが、展望浴室もあり、大海原を見ながら湯船に入るのは、たまらないでしょうね。

二等船室は、11人部屋でそれぞれ仕切りが設けられています。

福岡ヤフオクドームが見えてきました。今日から阪神との日本シリーズ。ヤフオクでは、第3戦は、このヤフオクドームからです。

  

  

玄界島を抜けると、玄界灘の大海原です。夕暮れには、まだ時間がありますのでここでちょっとお昼寝タイムにします。

5時近くになってきました。太陽も西の方に沈もうとしています。大坂からのフェリーでしょうか、私たちのフェリーに近づいてきました。

大坂からフェリーですと約18時間かかるそうです。このフェリーも普段は、午前10時に釜山港に入るのですが、今日は私たちのフェリーと同じく花火見学です。

 

花火大会は、20時から開催予定です。お腹もすきましたので、船内のレストランで豪華な??夕食をいただきます。

   

8時近くなってきました。会場の広安大橋近くには、観光船が集まり出しました。

  

  

いよいよ8万発の花火大会が始まります。      (つづく)

  

 


仏前結婚式

2014-10-23 05:24:10 | 日記

10/19は、親戚の仏前結婚式に参加しました。

「仏前結婚式」とは、一度結婚すると来世でも縁がむすばれるという仏教の教えに基づき、新郎新婦が仏の前で来世までの結びつきを誓います。

また、祖先に結婚の報告をし、二人のめぐり合わせを佛に感謝する儀式です。

本尊の前で夫婦の誓いをかわし、念珠を受けて焼香し、盃をかわします。このときの念珠は、新婦が白房、新婦が赤房です。

   

  

  

御本尊も結婚式用に華やかに飾られています。

10:00 仏前結婚式が始まりました。住職は、結婚式では「司婚者」となります。司婚者の袈裟も華やかになります。

    

勤行のあと、司婚者が仏前に結婚の報告をする「表白(びょうひゃく)」を読み上げます。司婚のことばのあと、新郎新婦が誓いの言葉を宣言し、念珠授与のあと焼香します。

  

式盃の儀というのは、三三九度のこと。雄蝶雌蝶(おちょうめちょう)が盃を持って新郎新婦の許へ。

    

このあと、「恩徳讃」を謳い、式は終了します。

教会式と仏前式の結婚式大きく違うところは、新郎新婦が結婚を誓うのではなく結婚することを仏と先祖に報告する、という形で行われることにあります。

運命の人とは、生まれたときから赤い糸で結ばれている、などという話を聞いたことがある人もいると思いますが、まさに仏前式での「結婚」は、新郎と新婦が出会ったこと・結婚にいたったことをお互いの縁、

つまり「因縁」と考えることが基本となっています。この「縁」を親や親族を含めた先祖に感謝することでお互いの縁を大切にする心を持ち続けよう、という考えで結婚式を行います。

この仏前結婚式は、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗などの宗派が行っています。(上記の結婚式は、浄土真宗大谷派)

芸能人でも東貴博・安めぐみさんも仏前結婚式を挙げられました。

 

 


官兵衛ゆかりの地「吉塚」を歩く

2014-10-22 15:53:34 | JR九州ウオーキング

今日(10/18)は、JR九州ウオーキングで「吉塚」に行きました。吉塚は、博多駅の一つ先の駅で、近くには、福岡県庁があります。

     

吉塚という地名は、八女・星野の城主星野吉実は、その敵高橋紹運を四王寺山の岩屋城(太宰町)に滅ぼしました。その後、若杉山の高鳥居城(篠栗町)の守護にあったが、豊臣勢である立花宗茂のため落城し、

天正14年(1586)に自刃しました。その首を千代の松原であった現在地に埋めて吉実塚といったが、のち、この附近は吉塚と呼ばれ地名になりました。

また、この地には供養のため、元禄(1688~1704)のころ建てられたという吉塚地蔵があります。

 

    

10:15 吉塚駅をスタート。先ず「筥崎八幡宮」へ。ここには、元寇の役で「敵国降伏」の額があります。勝負の神様で福岡のスポーツチームの「福岡ソフトバンクホークス」や「アビスパ福岡」の必勝祈願の絵馬が奉納されています。

今、ホークスは、パリーグCSファイナルステージを戦っています。私もホークス必勝の祈願にお祈りをしました。

  

歩いていると懐かしいカレー屋さんの看板を見つけました。「湖月のカレー」です。

私がまだ学生の頃、中州にこのカレー屋さんがあり、中州に行くとここに行っていました。あと、博多駅や天神には、「ナイルのカレー」もありました。

湖月のカレーへ行ってみたかったのですが、まだ準備中でした。残念!また、箱崎には、春日原の「ナガタパン」の支店もあります。

  

筥崎八幡宮を過ぎると、「恵光院(えこういん)」があります。ここには、初めて行きました。

   

境内にある菩提樹は、大きく6月ごろには花が咲くそうですので、是非見に行きたいですね。

東公園にやってきました。福岡市には、昔から「西公園」「南公園」とこの「東公園」があります。東公園には、野球場があったのですが、福岡県庁建設に伴いなくなりました。

東公園には、「日蓮聖人」の銅像が建っています。日蓮聖人は、文応元年(1260)、「立正安国論」を記し、当時の執権北条時頼に「元」(モンゴル)の襲来を警告しました。

これが、北部九州を襲った文永、弘安の役です。日蓮聖人像の前でもソフトバンクの必勝祈願をしました。

    

県庁を抜けると、「崇福禅寺」があります。山門は、福岡城本丸表御門が、大正7年(1918)、陸軍から払い下げられ、崇福寺に移設されました。

この門は、二層造りの本瓦葺切妻造りです。

    

崇福寺は、黒田家の菩提寺でもあります。このお寺には、黒田官兵衛(孝高)、黒田長政など他にも黒田家4代、6代、7代、9代が祀られています。

  

    

崇福寺黒田家の墓地は、他にも4代綱政、6代継高、7代治之、9代斉隆の墓があります。  尚、御供所町の「東長寺」には、2代忠之、3代光之、8代治高の墓があります。

崇福寺には、吾妻屋で「官兵衛まんじゅう」が売っています。これが、餡子たっぷりで結構いけます。我が家の仏様のお土産に一箱買っていきました。(6個入り@800)

  

また、崇福寺には、「玄洋社」のお墓もあります。玄洋社は、旧福岡藩士が中心となって明治14年(1881)結成された政治団体です。

この玄洋社からは、戦前活躍した「頭山(とうやま)満」、第4次吉田茂内閣で官房長官、副総理となり、吉田辞任後は、自由党総裁となり保守合同を推進した「緒方竹虎」、や「中野正剛」がいました。

現在、国際連合難民高等弁務官で活躍中の「緒方貞子」さんのご主人が緒方竹虎の三男です。

 「中野正剛」は明治19年、現在の荒戸1丁目に生まれます。早稲田大学を卒業後、ジャーナリストや衆議院議員として活躍しましたが、第二次世界大戦中に当時の首相であった東條英機と反目。倒閣工作に関わったとして昭和18年に検挙・拘留された末に、突然の自殺を遂げました。

  

崇福寺を後に、吉塚商店街に入ってきました。約一年前ブログで発表しました、天ぷらで有名な「だるま食堂」です。今日は、JRウオーキング参加者だけに、海老か肉の天ぷらがサービスということで

早速中に入りました。店の中は、JRウオーキングの方で一杯でしたが、待つこと30分、ようやく天ぷらにたどり着けました。この店は、サービスでイカの塩辛があります。これも絶品です。

   

お腹もいっぱいになり、ちょうど13時ごろゴールの吉塚駅に到着。今日は6kmと短めのウオーキングでしたが、お腹は十分満足しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


官兵衛ウオーキング「黒田家ゆかりの黒崎」(福岡県北九州市八幡西区)

2014-10-12 11:16:44 | JR九州ウオーキング

10/11は、JR九州ウオーキングで北九州市八幡西区黒崎へ行ってきました。黒崎は、黒田六端城の一つ「黒崎城」があった所です。

                

 慶長5年(1600)関が原の戦いの功により五十二万石の大名として筑前国に入部した黒田長政(黒田官兵衛の長男)は翌6年から福岡城の築城にとりかかりました。
(福岡という地名は黒田家のゆかりの地岡山備前邑久郡福岡村(現岡山県瀬戸内市長船)からとった)
また同時に国境の守りを固める為、同15年までの間にこの黒崎城をはじめ、若松城、大隈城、鷹取城、小石原城、左右良(まてら)城の六端城を築いた。
左右良城は杷木町にあり、豊後国をにらんでいたが、他の五城は豊前国をにらんでいた。豊前国細川忠興とは不仲だったそうです。
黒崎城主は黒田24騎の一人井上周防之房(ゆきふさ)が入った。(大河ドラマでは、高橋一生さんが演じてます)
然し幕府の一国一城の令により元文元年(1615)わずか十数年で城は破却されました。

黒崎駅隣のショッピングセンターでは、黒田二十四騎が勢ぞろいしています。この中で、黒崎駅長が、なみなみと注がれたお酒を飲みほしています。これから黒田節の演武がされるのかな????

     

    

駅前の歩道橋を通り、「春日神社」へ。春日神社には、「絹本著色黒田二十四騎画像」が奉納されています。

福岡藩が、江戸末期御用絵師「尾形洞霄」に命じ、初代黒田長政に仕えた二十四人の重臣の肖像画を描かせ、春日神社に奉納したものです。

これは、長政の死後、かつて黒崎城を預かっていた井上周防之房が春日神社に長政の霊を祀り、黒田大明神として祭礼を行ったという由来によるものです。

  

      

黒崎は、長崎街道「黒崎宿」として発展しました。商店街には、「黒崎宿」の看板が立っています。

曲里松並木公園では、「黒崎宿秋のにぎわい祭り」が行われていました。

   

会場では、「官兵衛鍋」が振る舞われていました。行列に並び、私もいただきました。

  

曲里松並木では、「黒田二十四騎」に扮された方々が出番を待たれています。

    

その中に、何か変わった「黒田二十四騎」がいました。脇差もしています。

黒田二十四騎は、ひょっとして、黒田二十四騎+一頭の犬だったのでしょうか 

    

曲里の松並木 

 江戸後期の狂歌師太田南畝(おおたなんぽ)は「坂を下るに赤土の岸あり。松の並木をゆくゆく坂を上り下りて、また坂を下りゆけば、左に黒崎の内海見ゆ。」と

 その紀行文(小春紀行)にこの「曲里の松並木」あたりの描写をしています。
 この松並木は当時幕府が全国の街道に松や杉を植樹させた名残で、日光の杉並木(日光街道)、安中の杉並木(中山道)、さらに箱根の杉並木(東海道)はその代表的なものです。
 昭和20年頃まで黒崎から木屋瀬にかけて街道には多くの松を残していましたが、今はわずかにこの辺りが昔日の長崎街道の面影を留めているのみで、当時の松も残り2本となりました。
 なお、史跡の指定範囲は幅20~30メートル、長さ約310メートル、面積約8000平方メートルで、現在旧街道緑地として整備されています。(八幡西区HPより)

  

曲里松並木を通り、王子町を過ぎると左手に「穴生(あのう)ドーム」があります。ドーム内では、テニスの試合が行われていました。

  

筑豊電鉄穴生駅を過ぎると、「弘善寺」があります。

 浄土宗弘善寺は大永年間(1521~1528)に行蓮社(ギョウレンジャ)念誉上人行明和尚が開山し、黒田二十四騎のひとりでもある黒崎城主の井上周防之房によって再興された、九州の浄土宗を代表する歴史と伝統と伽藍を誇る寺院です。
この寺には、井上之房の夫人(法名 玉泉院殿光誉法月大姉)と之房の娘(法名 覚修院殿享誉涼心妙大姉)が葬られています。

夫人は、播州志方城主櫛原氏の娘で、娘は、黒田長政の従兄弟の黒田修理正基に嫁ぎましたが、若くして死別したため、ここに葬られています。お二人とも元和4年(1618)に亡くなられています。

  

  

夫人と娘さんのお墓は、寺の裏側にあります。

    

尚、井上周防之房の墓は、遠賀郡岡垣町高倉の龍昌寺にあるそうです。

12:43JR黒崎駅にゴールしました。

今日は、朝から中津と黒崎、二つの官兵衛ゆかりの地を訪ねました。

 

 

 

 

 

 


尾道古寺めぐり(広島県尾道市)

2014-10-10 10:35:59 | ウォーキング

尾道」と一言でいうと、坂の街、文学の街、映画の街、そしてお寺の街。

尾道は、戦火を免れたため、西の小京都とも呼ばれ、いまでも大小のお寺が存在しています。

この尾道の「古寺めぐり」をしてみました。駅前の観光案内所でお寺の地図をもらい、古寺めぐりに出発です。

  

 

   

先ずは、延命祈願の「持光寺」(じこうじ)へ。

石の山門は、別名「延命門」と呼ばれます。開運長寿を念じながら、この門をくぐり、ご本尊、五劫思惟、阿弥陀如来に手を合わせ、すべてをおまかせすれば、除障、延命、現生安穏、後世安楽は疑いなし。(パンフより)

   

尚、境内には、黄色の花を咲かせている「小葉のセンナ」(カッシャ)や「小紫」それに、中国原産の「旱蓮木(かんれんぼく)」(喜樹)が咲いていました。

      

光明寺

平安時代初期の創建。備後時の古刹として有名。また、瀬戸内水軍ゆかりの寺でもあります。境内には、蟠龍の松があります。

   

宝生寺

寺の一角にある「吉備津彦神社」は、尾道のお祭り、「ベッチャー祭り」の祭神になっています。寺の山門の屋根には、模様かな?と思いましたが、植物が生えていました。なかなか趣があります。

 

 

   

 尾道は、猫の街でもあります。坂道を歩くと、どこからともなく猫が現れます。エサでもねだっているのかな  

坂道を歩いていると「猫の細道」などもありました。招き猫美術館たるものもあるそうです。いずれにしろ、猫好きの方には、たまらない場所でしょうね。

私?、どちらかというと、猫より犬の方が好きです。

   

尾道には、坂がつきものです。よく撮影スポットになっている場所です。

   

尾道文学館というのがあります。尾道出身の方は、放浪記の「林芙美子」を始め、怪傑黒頭巾の「高垣眸(たかがきひとみ)」、緑の地平線の「横山美智子」さんなどがおられます。

  

 

「緑の地平線」は、映画になったそうですが、このときの主題歌は、私も知っております。古賀メロディです。 

       なぜか忘れるひとゆえに 涙かくして 踊る夜は~ ぬれし瞳に すすり泣く リラの花さえ 懐かしや  

高垣眸の「怪傑黒頭巾」は、名前は、知っていますがテレビや映画などでは見たことがありません。

  

  

古寺めぐりに戻ります。

尾道の観光案内によく出てくるのが、天寧寺(てんねいじ)の三重塔。本堂入って左に祀られている賓頭盧さんは、地元の方に「さすり仏さん」と慕われており、自分が患っている場所と同じ場所を撫でると治ると言われていることから、

病気平癒祈願の寺と言われています

 

  

千光寺(せんこうじ)。千光寺山よりまちを見守る尾道のシンボル的存在。艮神社の所からロープウェイも出ていますが、歩いて登りました。
舞台造りの本堂からは眼下に尾道水道、遠くには四国連山まで一望。「日本の音風景100選」に選ばれた鐘楼や、光る玉が海を照らしたという伝説の「玉の岩」もあります。

   

寺院は、「恋人たちの聖地」にもなっており、韓ドラのロケ地にもなりました。NHK朝ドラ「てっぱん」に出てきた「鼓石」もありました。

   

妙宣寺 文和3年(1354)、大覚大僧正妙寛の開基と言われています。本堂の裏手には熱心な日蓮宗徒でもあった加藤清正公を祀る「清正堂」があります。

  

 慈観寺 江戸時代、天保の大飢饉の際、尾道にも困窮の難民が多く出たが、当時の町年寄橋本竹下は、その救済策として本堂の改築を発願し、天保5年(1834)工を起し天保8年(1837)に竣工したのが現在の本堂です。

竹下は、この工事に難民を人夫として雇用し、尾道では、一人の餓死者も出さなかった。またこの寺は、桜の終わった後、境内一面に牡丹の花が咲き乱れ、通称「牡丹寺」と呼ばれています。

境内には、他にも「夫婦松」もあります。

  

大山寺(たいさんじ)日限地蔵本尊前の左右六体の地蔵尊(一体5~12kg)は、別名「重軽地蔵」といい、日を限りに日参し、一心に願い事を念ずれば、心願成就の暁には、軽々と上がって下さるといわれる。
志望校に合格祈願の参拝の方が多くみられるそうです。

  

西国寺 山門には、大小の草鞋があり、往古より剣客の寺として老若男女の参拝が多い。私達も山陽道を歩いた時、ここで健脚のお参りをしました。

その時は、本堂奥にある三重塔まで足を延ばしました。

  

福善寺  天正元年(1573)行栄法師の開基の仏閣。長い参道を上ってゆくと、「ええもんは福善寺」と童唄にも残る立派な彫刻の山門があり、扉には精巧な鶴丸、頭上には力強い龍が踊っています。

門を入った境内一面に枝を広げているのが、尾道の三名松の一つで市の天然記念物の「鷲の松」です。

袴腰(はかまごし)鐘楼は、全国でも珍しい鐘楼です。

  

浄泉寺 天文12年(1543)創建の仏閣。すばらしく大きな屋根の上には、畳16畳敷くらいの鬼瓦をのせています。
本堂前の水盤銘文は頼山陽の筆で盤をささえている「天邪鬼」の石像は当時の石工の技がしのばれます。

前述の山陽道歩いた時もこの大きな屋根にはびっくりしました。

  

浄土寺   616年、聖徳太子の創建と伝えられるています。足利尊氏が九州平定や湊川の戦の際、戦勝祈願をした寺としても有名です。

七佛めぐりでは、勝負に勝つ!必勝祈願のお寺になっています。
「本堂」「多宝塔」は国宝、「山門」「阿弥陀堂」は国重文、境内一帯は国指定文化財に指定されています。
奥庭には伏見城から移築したといわれる茶室 「露滴庵(国重文)」が寂然と建っています。
また「奥の院(浄土寺山展望台」から見下ろす尾道の風景は尾道を代表する風景の一つです。参道には、姿三四郎のモデルになった西郷四郎の像があります。

 

  

 海龍寺    この寺は、鎌倉時代には浄土寺の曼荼羅堂と呼ばれていました。
正中2年(1347)に炎上後、直ちに再建され、寛文2年(1662)には現在の名に改められました。
山門を入った右側には江戸時代の人形浄瑠璃家「文楽」「竹本弥太夫」の墓があり、「お経の塚」に触れることで技芸が上達すると言われています。

  

境内には、文化七年(1810)の小屋主・植村文楽軒之墓と文政三年(1820)の初代竹本弥太夫の墓がある。

江戸末期、尾道の浜問屋の旦那衆が、大坂から文楽師匠を招いて余暇を楽しんでいて、師匠の死後、追善供養のため建てたものである。人形浄瑠璃に因み、右側のお経塚を撫でながら念ずることで

参拝者の持ち前の才能が開花するといわれている。

  

尾道はお寺町として有名です。貿易が栄えた当時、裕福な貿易商の投資で多くのお寺が建てられました。25のお寺は隣接しており、寺から寺へと移動できるルートがあります。

この日は、急ぎ足で駆け回りましたが、それでも3時間は、かかりました。

 

 

 

  

 

 


2014,10,08の皆既月食

2014-10-09 00:00:01 | 日記

2014,10/08は、皆既月食でした。

皆既月食とは、地球が太陽と月の間に入り、地球の影が月にかかることによって、月が欠けて見える現象のこと。

18:15月が欠けてきました。

    

      

19:20月が完全に地球に隠れました。20:35ごろからまた月が顔を出し始めました。

   

21:35 何事もなかったごとく、月が元通り輝き始めてきました。次回は、来年4月4日だそうです。

 

 


瀬戸内しまなみ海道3DM(2014年)2日目は台風の影響で中止

2014-10-08 04:30:00 | ウォーキング

10/04ゴール後島内巡回バスで大三島の旅館に入りました。「せとうち茶屋」で降りると隣には、「大山祗神社(おおやまづみじんじゃ)」があります。

  

 

今からおよそ2600年くらい前、神武天皇御東征(南九州地方より奈良地方へ御東征したと伝えられています。)にさきがけて、御祭神、大山積大神の子孫乎知命(おちのみこと)が先駆者として伊予二名国(四国)に渡り

瀬戸内海の治安を司どっていたとき芸予海峡の要衡である御島(大三島)を神地と定め鎮祭したことにはじまると伝えられます。御祭神は、大山積大神で天照大神の兄神に当り、

天孫瓊々杵尊御降臨に際し御子女神木花開耶姫命を皇妃として国を奉られたわが国建国の大神で、山幸神(山林・鉱山の神)、和多志神(航海の神)、大水上神(地水、稲作の神)、塩筒神(陸上・海上交通の知識神)、

事勝国勝長狭神(戦勝の神)が祀られ御神徳のある由緒ある神社です。本殿、拝殿、宝篋印塔は重要文化財に指定され、隣接する宝物館には国宝を含む数多くの重要文化財を収蔵しています。

境内には、能因法師雨乞の楠や、乎知命御手植の楠、伊藤博文初代首相の楠などがあります。

  

乎知命御手植の楠は、樹高15,6m、幹周り11m、樹齢2600年能因(のういん)法師(僧侶、歌人)雨乞の楠は、樹齢3000年、幹周り17m。1066年大干ばつの際、伊予国司の使者としてこの楠の前で雨乞いを行いました。

   

大山祇神社は、17時まででしたので、急いで廻ってきました。

旅館に着き、やはり「たのしみは・・・・・・・」  料理ですね。大三島の海の幸が食卓に並びました。    御飯は、鯛めしが出ました。勿論ビールを飲みながらの食事です。

   

夕食の後は、もう寝るだけですね。  今宵は、相部屋となっており、私の部屋は8人部屋です。相部屋なんて修学旅行以来です。残念ながら枕投げはしませんでした。(笑)  家内は2人部屋でした。

ただ、相部屋でこの料理、一人当たり12000円ですが、少し高いのではないかな・・・・・・・

                                                                                             ※大三島のマンホール  特産のミカンをデザインしています。

                                                                                     

 

 

 

【大会二日目】

10/4の夜半から、台風18号が日本に接近しており、今日も橋を渡りますので風が強いとやばいな・・・・と思ってましたら、5時半からの朝食の席で大会関係者から「台風接近のため中止」の連絡がありました。 

バスは、予定通り6時15分に「せとうち茶屋」前を出て、多々羅公園~尾道駅に向け出るそうです。

       

昨日、7時間近くかけて歩いた「尾道~多々羅」をバスでは、45分ぐらいで着いてしまいました。

帰りは、夜の9時前の新幹線を予約していましたので、駅に行き、電車の変更をし、9:15福山発さくら547号で帰途につきました。

  

 

 

 

 

 

 

 


瀬戸内しまなみ海道3DM(2014年)1日目40km

2014-10-06 21:37:43 | ウォーキング

10/04(土)2年ぶりに「第14回瀬戸内しまなみ海道スリーデーマーチ」(Dコース2日間縦断コース40km)に参加しました。

 

       

前日宿泊地福山から、JR福山発7:14の電車で会場の尾道駅前へ。

             

会場では、各地から参加された方が集まってきました。このような光景を見ると気持ちが高まってきます。会場には、「ミス尾道」の方もいらっしゃいました。思わずパチリと写真を撮ってしまいました。

7:45の出発式では、今治のタオルを使った「タオル体操」が披露されました。

     

8:00 先ずは、フェリーで対岸の向島へ。5分の船旅?のあとウオーキング開始です。

  

スタートしてから約7k、因島大橋が見えてきました。因島大橋は、全長1270mで上が車道、下が自歩道になっています。

  

  

一昨年の大会では、私、この橋を渡った直後右足小指に激痛が走り、橋の先の「大浜PA]で足の手当てをしました。でも今年は大丈夫です。2回目の参加でしょうか、かなり速く歩けています。

  

因島は、かつて、蚊取り線香の材料になる「除虫菊」の一大産地でした。1940年代には島全体で350ヘクタールにわたって栽培され、初夏、瀬戸内の青い海を背景に咲き誇る花々が、

島の斜面を白く染めた。戦後、安価な外国産が台頭し、60年代には衰退。現在は観賞用に島内有志四つのグループが計約50アールで栽培するのみとなったそうです。

11時ごろ、チェックポイントの「因島フラワーセンター」到着。ここでは、牛蒡天、みかんの接待を受けました。お弁当を注文された方は、ここで受け取ります。

10分ぐらい休憩の後、再びスタート。あと25kmです。この調子で行くと16時ぐらいにゴールできそうです。

  

   

歩いていると、「白滝山」が見えてきます。見ると山にたくさんの岩が見えます。白滝山は、 1569(永禄12)年、因島村上水軍6代当主村上吉充が観音堂を建立したと伝えられる標高227メートルの岩山。

1827(文政10)年には柏原伝六とその弟子たちにより、五百羅漢の石仏が造られた。

山頂に上がると、さまざまな姿態と表情をもつ大小約700体の石仏がところ狭しと並んでいる。因島随一の好ロケーションを誇り、瀬戸内海に浮かぶ島々と因島大橋が眺められる。

白滝山は「白滝の山に登れば眼路広し、島あれば海、海あれば島」と歌人吉井勇をして讃嘆せしめた絶景の地で、瀬戸内海国立公園に指定されています。

白滝山と除虫菊の風景は「にほんの里100選」に選定されています。(広島観光ナビより)

また、マンホールのデザインのようにこの因島には、「村上水軍城」があります。このウオーキングコースには、入っていませんが、いつか行ってみたい城です。

   

生口橋(いくちばし)が見えてきました。コース上では、幼稚園の運動会が開かれていました。

  

生口橋は、全長790m。この橋では、橋の側道側に自歩道が造られています。景色に見とれて歩いていると後ろから自転車が近づき、少々怖い思いがしました。然し、素晴らしい眺めです。

  

生口島を渡り終えると、あと15kmの表示がありました。今の時間は13時ちょうど。順調に歩いていましたが、私の足に何かマメができそうで少し痛くなりました。

また、この区間、給水所もなく、飲み物も無くなりかけています。通りに有名なジェラート屋さんがありましたので、マメの手入れと、給水のため立ち寄りました。

  

足のマメは、まだできてなく少し赤くなっていましたので、そこにテープを巻き応急処置をしました。また、大阪から参加の方からマメ予防クリームをいただきました。本当に有難うございました。

生口島の中心地「瀬戸田」に入ってきました。瀬戸田には、「耕三寺」や「平山郁夫美術館」があります。

瀬戸田市民会館が、給水ポイントです。こちらには、「ふるさとレモン」が振る舞われました。

   

   

瀬戸田市民会館は、3日間でしまなみを縦断するコース(Aコース)のゴール地です。歩いているとゴールを目指す方々とすれ違いお互いに声を掛け合い励ましました。

コースは、瀬戸田商店街に入ってきます。お店には、干しタコや海産物が販売されていました。商店街でコロッケがおいしいというお店に行列がありましたので、1個いただきました。

  

  

コースは、瀬戸田港を通り、海岸線に出てきます。台風の影響でしょうか、私のリュックの後ろにつけている風車が勢いよく廻っています。

  

サンセットビーチ前給水所が35km地点。あと5kmです。

  

多々羅大橋が見えてきました。全長1480m。国内最長の斜張橋です。世界でも5番目だそうです。橋の中央部が広島と愛媛の県境になっています。

  

多々羅大橋には、

主塔部の歩道に立って大きな音を出すと、日光東照宮の鳴き龍と同じ現象である「多々羅鳴き龍」が発生します。

これは多重反響(フラッターエコー)と呼ばれる現象で、主塔が逆Y字型という特性から音が主塔の内側の面を繰り返し反射し共鳴しながら、上に向かって登っていくように聞こえます。

この現象を体験できるよう、この付近には撥が置いてあります。なお、これを体験出来るのはあくまで歩道のみです。(ウィキペディアより)

16:10 40kmコースゴール!

  

ゴール後、16:20発のバスで今夜の宿泊地大三島の旅館に向かいました。

本日の歩数計。

 グーグルアースで今日の歩行を紹介します。