よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

楽しいウォーク「桜ウォークin博多区」(福岡市博多区)

2024-03-30 05:50:41 | ふくおかウォーキング協会

3/27(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「桜ウォークin博多区」でした。

博多区には、桜の名所として、ユニバ通り、下月隈、弥生さくらロード、山王公園があります。

今回のウォーキングは、それぞれの桜を歩いて鑑賞しようというもの。

例年、福岡は、この時期さくらが満開に近いのですが、今年は開花予想の3/20ごろを過ぎてもまだ開花宣言がありません。

このウォークを企画したときは、桜が満開した状態で歩く姿を想像して作りました。(この企画は1月中旬に行いました)

然し桜はまだまだです。(今日開花宣言をするそうですが・・)

 

 

集合場所は、福岡空港近くの下臼井公園。参加者は36名。

 

9:30スタート。桜も一部は咲いている所もありました。

 

 

サッカー一部リーグ「アビスパ福岡」の本拠地ベスト電器スタジアムの近くには、「陽光桜」が綺麗でした。

 

スーパーさにーでトイレ休憩

 

休憩後再スタート

 

道路沿いの桜は、うっすらピンクで今にも咲きそうです。

 

ここは、福岡空港に近く、飛行機が間近に見れます。

 

 

 

小学校の校庭の桜は、8分咲きかな?

然し、すぐ近くの桜はまだまだです。

 

御笠川浄化センターで休憩。

 

浄化センターからゴールの山王公園まではあと2km。

 

12:10 山王公園にゴールしました。

ゴール後山王公園内を散策。山王公園には、野球場があり、私も若いころここで早朝野球やリーグ戦を行いました。

一番の思い出は、私の一つ下の後輩君(彼は私の幼馴染で甲子園ボーイでした)が、この球場で4打席連続本塁打を打ったことです。(両翼80m)

相手の投手は、その2年前日産グリーンカップ(草野球の全国大会)で優勝した時の投手でした。

 

 

 

 

今日のGPSです。

追記:福岡地方今日(27日)桜の開花宣言が発表されました。昨年より9日、平年よりも5日遅い開花でした。

来週、ふくおかウォーキング協会は、お花見コースのウォーキングを予定しています。桜を見ると気分の最高ですね。楽しみです。

 

 

 

 


楽しいウォーク「動植物園界隈散策」(福岡市中央区)

2024-03-22 18:47:03 | ふくおかウォーキング協会

3/20(水)春分の日

ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「動植物園界隈散策」でした。

この日、福岡地方、天気は晴れているのですが、朝から暴風警報が発せられ10m強の風が吹き荒れています。

集合場所は、福岡市中心部「警固公園」、参加者は37名でした。

9:30 警固公園をスタート。国体道路に向かいます。

 

国体道路赤坂2丁目信号を左折。正面は、高校駅伝の強豪「筑紫女学園高校」です。

桜坂信号から左折、動物園前から御所ケ谷へ。

このあたり、私が少年時代、「古小烏(ふるこがらす)」という電車の停車場でした。近くにある「小烏神社」が地名の由来です。

父の友人がここに住んでおり子供の頃、何回か行ったことがあります。近くには、元西鉄ライオンズの「関口清治 - Wikipedia選手」の家もありました。

因みに「桜坂」の古い地名は、「練塀(ねりべい)町」でした。昔、武家屋敷の練塀があったからだそうです。

御所ケ谷には、小・中・高の一貫教育のカトリック系女子高「福岡雙葉学園」があります。

 

   

浄水通りから動物園へ。

今日は、春分の日の休日ですでに駐車場は満車です。

福岡市では、市内在住の65歳以上の高齢者は、市立の動植物園や、庭園などは、無料で入場できます。

 

動物園から植物園へ。植物園に行くには、この250段の階段か、坂道を行かなくてはいけません。私は、坂道を選択しました。

 

動植物園界隈は、「南公園」と呼ばれ、桜の名所ですが、桜のつぼみは、まだ固くあと1週間ぐらいで開花かな?

 

 

 

急な下り坂を下り、平尾大池へ。ここの桜もまだまだです。

 

山荘通りから野村望東尼(のむらもとに)の銅像がある「山荘公園」へ。

山荘通りの地名は、1806年(文化3年)に福岡で生まれた地名は、1806年(文化3年)に福岡で生まれた野村望東尼 - Wikipediaの隠棲した平尾山荘があったことによるものです。

 

平尾山荘では、枝垂れ桜が少し花を咲かせていました。

 

平尾山荘から、松風園へ。このあたりは、福岡市内でも高級住宅地です。一軒家の大きな家が建ち並んでいます。

松風園は、かつての福岡を代表する百貨店である「福岡玉屋」の創業者田中丸善八翁の邸宅「松風荘」の跡地を整備後、平成19年度に福岡市平尾に開園し、一般利用できるようにしました。

また、「松風園」の由来である田中丸家が愛用した茶室「松風庵」は、当時の状態で保存されています。

 

 

 

松風園から薬院駅に向かいます。

暴風警報も10:30ごろには解除されていました。

 

交通の便がいい「薬院駅」で仮ゴール。マップ上のゴール地、渡辺通りまでは、あと700mぐらいです。

 

今日のGPSです。

 

 

 

 

 

 

 


真鯛満喫ウォーク(佐賀県東松浦郡玄海町)

2024-03-19 06:50:10 | ウォーキング

3/17(日)佐賀県玄海町で行われる「真鯛満喫ウォーク」に参加しました。

仮屋漁港に車を置き、シャトルバスでスタート地点の「玄海会場温泉パレア」へ。

このウォーキング大会、真鯛の塩焼きが格安でいただけます。

  

生憎朝から小雨が降り続けています。天気予報では、昼から回復するということですが・・・・・

スタートまで時間がありますので会場周辺を散策します。

 

仮屋漁港では、「若鷲之碑」がありました。

小富士海軍航空隊と書いてます。小富士海軍航空隊というと、先月小富士梅園ウォークに行ったときに「小富士海軍航空隊跡の碑」というのがありました。

小富士で訓練してここ仮屋湾から飛び立ったのですね。

碑文を見てみると、「昭和20年まさに仮屋湾は戦雲急なる激動の海であった。第34突撃隊仮屋派遣隊は、小富士海軍航空隊より15・16歳の第16期甲類飛行予科練生179名を

もって編成、この地を兵舎として日夜本土決戦に備え特攻基地づくりに身命を賭した。機到らんとする8月15日終戦爾来半世紀、いま仮屋湾は平和を祈念し、新しい希望を象徴する

海として甦った。昭和51年から始まる仮屋総員整列は常に同期の鎮魂の祀りであった。

仮屋湾は我々の青春すべてを見つめ歴史の一頁を刻み込んだ海である。 我々はここに死に そして生きた

平成7年10月   小富士海軍航空隊  第34突撃隊  仮屋派遣隊員一同」

 

  

出発式の時間になりましたので会場に戻ります。

9:40 スタート。雨は一向に上がる気配もないのでポンチョを着てのウォーキングです。

 

ゴールの仮屋漁港駐車場を通ります。駐車場では、お土産用の鯛を炭火で焼いています。その匂いがたまらないです。

 

漁港駐車場から長い長い上り坂です。

 

スタートして約40分で浜野浦に着きました。

 

この棚田では主に「コシヒカリ」が栽培され、例年、4月中旬から田んぼの水張りが始まり、5月上旬には田植えが終わります。この間、水平線に沈む夕日が海面と水田とをオレンジ色に染め、畦道が描く幾何学的模様は私たちの目を楽しませてくれます。

確か、2011年(平成23)5月だったか、浜野浦の夕日が見たくて5日間通ったことがあります。

5日目に下記のような写真が撮れました。(2011年5月7日撮影)

 

この日の棚田には、菜の花が植えられていました。天気が良ければいい写真が撮れると思います。

この棚田は、「恋人の聖地」に認定されています。

 

 

浜野浦では、イチゴが振舞われました。

 

浜野浦の棚田からは、下り坂です。

 

 

11:05 仮屋漁港駐車場にゴールしました。

 

ゴール後、鯛めし、鯛汁、玄海町のお茶、そして玄海町のお菓子「しっとりさざえもなか」をいただきました。

注文していた鯛の塩焼きです。約40cmぐらいの大きな鯛です。割引券を利用して一尾@800です。

隣では、カキ焼きがあり試食させていただきました。身も大きく1袋買いました。(1000円)

 

温泉の割引券もありましたので玄海会場温泉パレアに行き、汗を流しました。

今日のGPSです。マップと照らすと浜野浦に行く道を間違えたようです。

 

 

 


楽しいウォーク「古賀市の史跡めぐりと美しい菜の花畑を散策」(福岡県古賀市)

2024-03-16 12:31:45 | ふくおかウォーキング協会

3/13(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「古賀市の史跡めぐりと美しい菜の花畑を散策」でした。

集合場所は、JR古賀駅。参加者は40名でした。

9:30 スタート。

 

 

一厘貯金之碑というのがあります。NETで調べるけど不明です。古賀市歴史資料館にこれに関するものがあるそうです。

 

大根川の畔には、薬師如来像板碑、弘法大師像があります。

薬師如来像板碑・・・・言い伝えによれば、昔、筵内に疫病が大流行し、これを封じるために三像を三面の平石に刻んで大根川の岸に建てた。これが洪水に流され、のちに

現在地に移された薬師如来板碑、熊野神社に現存する阿弥陀如来板碑、摩滅して不明の像(千手観音)がその三基と思われる。建長7年(1255鎌倉時代)の作。

弘法大師と大根川・・・・平安時代、空海(弘法大師)諸国行脚の途中に筵内に寄った時に「南無阿弥陀仏」(空海は真言宗なので鎌倉時代に親鸞が開祖である浄土真宗の念仏を唱えるわけがないので信ぴょう性はない)と唱えながら金剛杖をついた空海が大根川の上流に差し掛かり、空腹になったので橋の上から水面を眺めていたら、1人の老婆が大根を洗っていたので、分けて欲しいと頼んだが老婆は空海が偉い僧侶と知らず、またみすぼらしい格好だったので、怒って川の水を掛けた。空海は吃驚したが、もう1度頼んだ。しかし、老婆は顔を真っ赤にして石を投げ、その石が空海の顔に当たって血が流れた。空海は静かに「人面如夜叉」と唱え、杖を3度地面についた。空海は見た目だけで相手を判断して応対する態度に激怒し、戒めのために大根川の水を干上がらせてた。この逸話から「大根川」という名前がついた。それからの毎年大根を洗う季節になると筵内では老婆の戒めのために水が表面を流れなくなるという。

この話は、福岡県みやま市山川、宮崎県にも同じような内容のものがあります。広島県宮島では、大根の代わりに「豆」が出てきます。

みやま市には、古賀市と同様の大根川が現存します。

 

筵内の桜並木を通っていると、参加者の一人が「ノビル」を採ってきました。酢味噌にして今日の晩酌のアテにするそうです。

 

熊野神社参道前には、満開の菜の花が咲いています。

 

コースは、250段の階段を上り、熊野神社に向かいます。

熊野神社は、鷺白山の北の峰 緑豊かな「なぎの木」しげる鎮守の森に奥床しく鎮座されている

御祭神に 伊邪那美命 饒速日命他三柱を祀り 日本の建国に最も功績の高かった神々で 文武に勝れた開運の守り神である

社伝によれば神武天皇が東遷のおり 御船を海浜につなぎ この山上の石に腰掛け四辺を展望されたことから「御腰掛石」の名が残っており大小二石あることから「夫婦石」とも呼ばれている

後に神功皇后が新羅へ進幸される時神武帝の故事に倣い 此の地が勝れた霊山であるので祭祀の御座に藁筵を敷き熊野大神を招請して戦勝を祈願された

その折白鷺が飛来し傍らの松樹に止り筵内の村名と鷺白山の地名が起こったと言う

天安五年(一四四八)足利義政将軍の時鷺白山から現在地に移され天文年中(一五三二 一五五四頃)義晴将軍の時再建された

九月十六日から十八日迄の祭礼には神輿が三町余(三百五十米)山下の頓宮(宝満神社跡地)へ渡御されていた(社伝は筑前國続風土記捨遺巻之二十五に拠る)

ここにも神功皇后の名が出てきますね。ホント、北部九州には、神功皇后に関する神社が非常に多いです。

 

  

筵内の町内を通り「菜の花の道」に向かいます。

 

地域の方たちが育てている菜の花畑!毎年約6万平方mの敷地に約500万本の菜の花が咲き誇り、一面が黄色のじゅうたんに。いくつかの区画に分かれ、鯉のぼりや「幸せの黄色いハンカチ」

などの楽しい演出も。2017年、古賀市の都市景観賞に選ばれました。

 

 

 

 

 

 

せっかくだから、皆で記念写真を撮ることにしました。

楽しんだ後、ゴールに向かいます。

 

サンコスモ古賀で休憩し、古賀市役所・古賀神社を通り、ゴールの古賀駅へ

 

12:25古賀駅に到着しました。

今日、GPSスイッチを押すのを忘れ記録できませんでした。

 

 

 

 

 

 


サタデーウォーク「絶景!関門海峡一望と旦過市場へウォーク」(北九州市門司区~小倉北区)

2024-03-15 04:45:31 | ふくおかウォーキング協会

3/9(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは、「絶景!関門海峡一望と旦過市場へウォーク」でした。

集合場所は、JR門司駅。

門司駅では、JR九州ウォーキングが開催され、もう約100人ぐらいの方が並ばれています。受付開始時刻には200人ぐらい並ばれるのではないでしょうか?

私も並んで参加賞のかっぱえびせんをいただきました。

JR九州ウォーキングは、100人強に比べ、私たちのサタデーウォークは、18人です。我がW協会平均年齢76歳です。やはり遠いと足が鈍るのかな・・・・・

それと今日から倉敷で「倉敷・瀬戸内ツーデーマーチ」が行われ、当協会からも何人か参加していますので参加数が少ない原因かもしれません。

 

今日のマップ

9:30スタート

 

関門海峡です。対岸は下関です。下関には、古いウォーカー仲間がいます。元気にしているかな???

 

コースは、小倉に入ります。

 

 

 

小倉駅から長崎街道の始発点「常盤橋」に向かいます。

常盤橋は、もう10数年前になりますが、私が旧長崎街道を歩いた時(長崎~小倉)ここが終点でした。

橋の向こう側には、御菓子屋さんがあり、「白象饅頭」を売っていましたが、もうありません。

 

常盤橋には、広告塔があったそうです。

 

橋を渡ると、修善寺寒桜が満開でした。

 

常盤橋から小倉城へ

 

 

 

小倉城の横は、勝山公園です。

コロナ前までは、ここで無法松2DMが行われていました。現在この大会は、まだ休止中です。早く再開してもらいたいですね。

 

小倉城から北九州の台所「旦過(たんが)市場」に向かいます。2年前の4月、8月に火災があり、現在再開発の向けての計画が行われています。

一応、この旦過市場で仮ゴールです。

旦過市場は、大正時代初期、隣接する神嶽川から魚の荷揚げ場として成立し、その後、田川・中津方面からの野菜の集積地となったことで市場としての機能が形成された。

昭和30年代に建てられた木造建築物が密集しております。因みに「旦過」とは、修行僧の雲水が宿泊する場所です。近くに大きなお寺があったのでしょう?

旦過市場の名物というと、鯖の糠焚きです。今晩のおかずに買っていきました。

 

 

旦過市場から魚町銀天街を経てゴールの小倉駅に向かいます。

 

12:00 小倉駅にゴールしました。

 


優しいウォーク「鳥栖市・サロンパス工場見学でグッジョブ」(佐賀県鳥栖市)

2024-03-12 05:26:05 | ふくおかウォーキング協会

3/7(木)ふくおかウォーキング協会やさしいウォークは、「鳥栖市・サロンパス工場見学でグッジョブ」でした。

集合場所は、JR鳥栖駅。参加者24名。

今回は、博多駅で用事があるので自宅からJRで鳥栖駅まで行きました。

鳥栖駅では、観光列車「やませみかわせみ」と遭遇。

 

9:30鳥栖駅スタート。すぐ見えてくるのは、サッカーJ1サガン鳥栖の本拠地「駅前不動産スタジアム」。

また、ソフトバンク創業者の孫正義氏は、このスタジアム近くに生家があったそうです。

 

鳥栖には、バレーボールVリーグの久光スプリングスの本拠地「サロンパスアリーナ」も近くにあります。

 

駅を一周して表通りに出てきました。

 

10:30から工場見学を予定していますので旧長崎街道からサロンパス工場に向かいます。

 

江戸時代、鳥栖には、轟木宿と田代宿がありました。轟木宿は、鍋島藩が管轄、田代藩は、対馬藩の飛び地でした。

 

サロンパス鳥栖工場に到着。受付を済ませ工場内に入ります。ここから先は、撮影禁止です。

工場内に入るとあのサロンパスの匂いが・・・・匂いを嗅ぐだけでも何か、肩こりに効果がありそうです。

 

サロンパスの会社の経歴を説明していただきます。

創業者の久松仁平が1847年(弘化4年)に同社の前身となる「小松屋」を創業。当時は「奇神丹」などの丸薬を製造していた。仁平が1877年(明治10年)の秋に死去すると、長男の久松與市(与市)が家督を継いだとされ、その後は與市の三男である中富三郎が家督を継いだ。 久光兄弟合名会社時代の1934年(昭和9年)に今日まで同社の主力製品となる「サロンパス」を発売 これがロングセラーとなったことで同社の基礎を固めると共に、1965年(昭和40年)に現社名に改称する。その後も「エアーサロンパス」、「サロンシップ」 、「サロンパス-ハイ」などの製品を次々と送り出す一方で、「モーラス」 / 「モーラステープ」ほか、医療機関用(処方箋医薬品)消炎剤にも進出しており、2005年(平成17年)にはエスエス製薬の医療用医薬品事業を譲受する。エスエス製薬の医療用医薬品は湿布薬などの外用消炎鎮痛薬が主流で、当社の得意分野を譲受したともいえる。

製品開発・生産については佐賀県鳥栖市に所在する本社(その他栃木県宇都宮市にも工場が存在する)でおこなわれているが、営業、宣伝、マーケティングなどその他一連の業務については、東京都千代田区に所在する東京本社でおこなわれている。社章(丸囲みで「小」)は小松屋の紋章である。(wikipediaより)

工場内では、「モーラス」の製造過程を見学させていただきました。

お土産は、これです。↓ ↓ ウォーキング中何かあったらいけないのでリュックの中に入れておこうと思います。

今日のゴールは、JR弥生ヶ丘駅。ここから約2kmです。

旧長崎街道を歩きます。長崎街道は、私がウォーキングを始めた頃よく歩いていました。

 

  

 

 

12:06 JR弥生が丘駅ゴールしました。

 

今日のGPSです。

 

 

 

 


楽しいウォーク「菜の花にインスタ映えの筑後川橋を渡る」(久留米市北野町~三井郡大刀洗町)

2024-03-10 16:52:15 | ふくおかウォーキング協会

3/6(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「菜の花にインスタ映えの筑後川橋を渡る」でした。

集合場所は、西鉄甘木線大城(おおき)駅。参加者25名。

福岡地方、昨晩からの雨は止みましたが、いつ降ってくるかもわからない状況です。一応リュックには傘を用意しています。

 

9:30大城駅スタート。

 

大城橋を渡ります。

 

筑後川サイクリングロード。18もの橋があります。

大城橋から筑後川河川敷へ。

河川敷には、菜の花が咲いています。天気が良ければ絶好のインスタ映えするのですが・・・・・

 

   

筑後川橋が見えてきました。

 

橋の手前から町の中を散策します。

 

片の瀬温泉は、「美人の湯」として有名です。

お昼に鰻でもと思うのですが、私の中身の軽い財布では、夢のまた夢です。

  

筑後川橋を渡ります。筑後川橋は、昭和6年(1931)に出来た長さ473mの橋です。通称「片の瀬橋」。

現在、橋の鉄骨部分を塗装工事中です。

橋を渡ると、三井郡田主丸町です。

 

 

染天満宮を通り、ゴールの西鉄大堰駅へ。

 

 

大堰神社から200mぐらいのところが西鉄大堰駅です。11:36ゴールしました。

 

 

 

 


「第29回九州国際3DM」 3日目10kmコース(熊本県八代市)

2024-03-07 19:11:16 | ウォーキング

3/1~3/3まで熊本県八代市で第29回九州国際3DMが開催されました。

私は、3日間エントリーしていたのですが、1日は、地元W協会の決算前の帳面照合、2日目は、3月例会で3日目だけの参加になりました。

早朝5時半に福岡の自宅を出て、八代に着いたのが7:30。もう30kmコースはスタートされていました。

 

受付会場には、昨年末に亡くなられた「八代亜紀」さんのポスターが展示されていました。

八代亜紀さんは、2002年からこの大会に応援として参加されていました。

 

会場には、岐阜のT夫妻も参加されていました。

8:10から20kmコースの出発式です。

 

韓国・原州から参加された方の挨拶。

 

10kmのスタートは、9:30からですが、いつものようにフライングスタートします。

 

100mぐらい進んだところが20k、10kの分岐点。

   

八代市役所には、八代亜紀さんの献花台があるということで立ち寄ります。

 

 

八代市役所から八代宮へ。

八代宮は、後醍醐天皇の皇子で、征西将軍としてこの地で足利軍と戦った懐良親王を主祭神とし、懐良親王没後に征西将軍職を継いだ良成親王を配祀する。

地元では「将軍さん」の愛称で呼ばれている。建武中興十五社の一社である。

 

 

八代宮から商店街に向かいます。

 

塩屋八幡宮

祭神は應神天皇、神功皇后、仁徳天皇、武内宿禰 公。細川忠興が関ケ原の戦いで東軍として手柄を立てて豊前國を拝領したときに、近所の宇佐八幡宮を豊前城に勧請した。

そんななか、寛永九年(1630年)、息子の忠利が肥後国を拝領・移封となったので、忠興は引退して、八代で隠棲することになった。そのときに、その御分霊を船で松江城に移そうと

しているさなか、二羽の鳩が「船江の古木のある砂場を神地にすべし」と告げたので、八幡浜としてお祀りしたようだ。

その後、正保三年(1644年)、八代城主となった松井興長が、今よりも良い場所に移しましょうと進言して、明暦元年に今の場所にご遷座したそうだ。その後、産土神として

今も尊崇を集める。

塩屋八幡宮からお祭りでんでん館へ。

 

 

3km地点が5kとの分岐点。

 

緑の回廊を歩きます。

  

水無川を通り、日置公園がチェックポイント。(本当は、おまつりでんでん館もチェックポイントでしたが、わからずスルーしました)

 

踏切を渡り、日本製紙八代工場へ。

 

日本製紙から地下道を通り八代駅の方へ。

八代駅では、肥薩オレンジ鉄道のオレンジ食堂車が入線していました。

 

  

八代駅から球磨川に向かいます。以前は、この大会球磨川河畔が会場でした。

 

白鷺橋からゴール会場へ向かいます。キャバレー白馬は、八代亜紀さんが八代時代ここで歌っていました。

 

11:30 ゴールしました。

 

この日のGPSです。

 

 

 

 


3月例会「飯盛神社と旧金武宿を訪ねて」(福岡市西区~早良区)

2024-03-05 12:24:29 | ふくおかウォーキング協会

3/2(土)ふくおかウォーキング協会3月例会は、「飯盛神社と旧金武宿を訪ねて」でした。

この日は、八代で「九州国際3DM」「京都ウォーク」などと重なり、当協会の会員さんもそちらの方に参加され、参加者が少ないのでは??と思ってましたが、2/23に地元紙の

掲示板コーナーでお誘いを呼びかけましたら、18人の方が参加されました。当協会会員さんの参加が17人でしたので一般の方の参加が会員さんを上回るという珍現象です。

集合場所は、地下鉄橋本駅。

 

9:30 スタート

先ずは、室見川河畔道を歩きます。 

 

西部運動公園でトイレ休憩。運動公園の花壇には、チューリップが芽を出し花が咲いているのもありました。

 

川の堤防には、土筆が立っています。今日、東北の方では雪が降っている所もありますが、福岡では、「春」が訪れています。

民家の庭には、白木蓮が花芽を付けています。

 

歩いていると「青柳種信ゆかりの地」の看板が建っています。

青柳種信は、国学者で福岡藩士、江戸に出仕し井戸南山に儒学を学び、寛政元年(1791年、24歳)伊勢松坂の本居宣長に入門する。
先祖は飯盛宮の神官で、筑前国佐原郡平軍郷飯盛村字馬場に住み、代々同郷の司として、飯盛三所大神の祭礼を掌る。平群郷百三十余町の地を領し、後世に至り47歳の時『後漢金印略考』

(金印を受けたのは奴国=福岡に与えられたものであることを立証した)を著し、また、日本で最初の全日本全図を作成した伊能忠敬の道案内人も務めた。文化11年(1814年)

『国学家業城代組』となり、次いで『御右筆記録方』に勤仕する。
主な著書
『筑前国怡土群三雲村古記図説』『栁園古器略考』『筑前国続風土記拾遺』『飯盛神社由来記』『防人日記』
案内板より

飯盛神社が近づいてきました。飯盛神社は、飯盛山の麓にある神社です。山が飯を盛った形に似ているから「飯盛」と呼ばれています。

 

 

飯盛神社は、旧早良郡7ヶ村の惣社で、御神祭は、誉田別命(ほむだわけのみこと)(応神天皇)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、玉依姫命です。

かつては、上宮、中宮、下宮の。3所が祀られていましたが、現在は、中宮、下宮が往時の姿を偲ばせています。貞観元年(859)年の創建と言われ、上宮の山頂からは永久2年(1114)の

銘を持つ瓦経(がきょう※粘土板に経を刻み焼いたもの)が発見されています。また、西の飯盛山と東の若杉山は、夫婦山として古代から国生み伝説も。若杉山に位置する「太祖神社」は、

伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を祀る神社です。

飯盛神社では、毎年3月にその年の豊凶を占う県指定の無形民俗文化財「かゆ占」があり、秋には、市指定の無形文化財である「流鏑馬(やぶさめ)」が奉納され、賑わいをみせます。

 

 

飯盛神社で休憩の後再スタート。かなたけの里に向かいます。

 

金武地区は、ブドウの栽培が盛んで7月半ば過ぎには、直売所も設けられます。安くて美味しくて午前中には完売になってしまいます。

三瀬街道金武宿にやってきました。

 

三瀬街道、そこに位置する「金武宿」は、早良平野には江戸時代中期頃から明治時代にかけて、佐賀と福岡とを結ぶ「三瀬街道」が通っていました。三瀬街道の要所にあたる金武には

「金武宿」とよばれる宿場があり、筑前福岡藩領内の宿駅である筑前二十一宿の一つに数えられていました。肥前から筑前へは米や木炭などが、筑前から肥前へは塩や海産物などが

運ばれました。金武宿の中心は馬や人足の手配をする人馬継所で、荷物を積んだ馬の往来が多く、木賃宿(自炊して宿泊する宿)や染物屋、質屋、雑貨屋などが軒を連ね、武士や商人などの

旅人で活気に満ちあふれていたと考えられています。今も、漆喰壁(しっくいかべ)の蔵などが当時の面影を偲ばせます。

旧道ですので道幅が狭いです。それでも子の旧道には、バスが通っています。

 

室見川を渡り、ゴールの地下鉄次郎丸駅へ

 

12:12 次郎丸駅にゴールしました。今日の距離は、ジャスト10kmでした。

この日のランチは、途中見つけたレストランの「ステーキランチ」です。150gで1450円(コーヒー付き)でした。