よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

第32回(2024年)いぶすき菜の花マーチ1日目15kmコース(鹿児島県指宿市)

2024-01-31 05:22:32 | オールジャパンウオーキングカップ

1/27~28 鹿児島県指宿市で行われた「第32回いぶすき菜の花マーチ」に参加しました。

ここ4~5年は、鹿児島に住む学生時代の友人と歩いていました。昨年も一緒に歩いたのですが、その彼、6月に急逝してしまいました。

昨年歩いた時は、体調の変化も見られず、一緒に酒を飲んだのですが・・・・・・・ショックでした・・・・

今回は、彼の弔いのウォーキングです。(写真は、昨年の大会から彼の写真です)

 

 

今年の会場は、「ふれあいプラザなのはな館」  今日の天気は快晴です。

なのはな館の周りには、この大会に合わせたように菜の花の花が咲いています。

 

 

 

8:30  15kmコース スタート

 

指宿港にも菜の花畑が・・・

  

 

スタートして3,7km地点が砂蒸し会館「砂楽」

  

歩いているとポケモンのマンホールを見つけました。これは、指宿と名前の語呂が似ていることから人気ポケモンのイーフィが「指宿市スポーツ・文化交流大使」に就任しました。

そのご縁からイーフィと進化型のポケモンのマンホールを市内9か所に設置したそうです。

また、「指宿(いぶすき)」は、難解地名です。その由来を調べると、諸説がありますが、代表的なものとして、古来「湯里宿(ゆとほすき)」と呼ばれ、平安時代の「和名抄」では、

「以夫須岐」と記されました。これらが混じりあって「指宿」に変化しました。

他の説では、天智天皇行幸の言い伝えとしては、「今夜の宿は、あの湯煙が立っている場所にしよう」と指を指したのが指宿であり、そこから指宿の字を使うようになったそうです。

国立病院前の交差点が30k、15kの分岐点。15kmは、ここから右折します。

  

橋牟礼川遺跡公園で休憩。

 

ここの葉の花もきれいです。

休憩後再スタート。橋牟礼川公園から指宿駅に向かいます。

 

 

商店街を通りパーク指宿へ。ここがチェックポイント。

 

菜の花の漬物のお接待。

休憩後再スタート。コースは、指宿高校の横を通り「揖宿神社」へ。

  

揖宿神社が2回目のチェックポイント。

揖宿神社は、社記によれば、天智天皇が薩摩地方御臨幸の折り、当地の大杜に御滞興あらされた由緒の地として、慶雲3年酉午(西暦 706年)2月10日、賀茂縣主堀内氏、指宿氏の

遠祖が勅を奉じて、天皇の神霊、遺器を奉斎して葛城宮がご創建されましたが、168年後の貞観16年甲午 (西暦874年)7月、長主山(現在の開聞岳)の大噴火があり、

開聞九杜大明神(現在の枚聞神社)の葛城宮にご避難されたいとのご神託により同年11月遷 宮され当杜を[開聞新宮九杜大明神]と称され、爾来指宿郷の総氏神として地方開拓の祖神、

航海安全、諸業繁栄の守護神として崇敬され、明治維新に際し「揖 宿神社」と改称され現在に至っております。特に、薩摩藩代々藩主の尊崇殊の外篤く、32度に及ぶ社殿の改修等全て

藩費をもって施行されております。(揖宿神社HPより)

 

 

揖宿神社からゴールのなのはな館へ向かいます。

 

 

11:55 ゴール!

 

指宿に来るとやはり開聞岳を見ないと・・・・とゴール後、ふくおかW協会のメンバーと一緒に車で開聞岳近くまで行ってきました。

 

 

 

 


楽しいウォーク「香椎浜とアイランドシティ散策」(福岡市東区)

2024-01-21 10:54:36 | ふくおかウォーキング協会

1/17(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「香椎浜とアイランドシティ散策」でした。

集合場所は、JR千早駅。参加者39名。

9:30ウォーキング開始。

 

千早駅周辺はもともと旧国鉄の『香椎操車場』だった場所。その操車場跡地を再開発する「香椎副都心土地区画整理事業」の着工が2000年頃から始まりました。2003年にJR千早駅が開業し、

翌年に西鉄千早駅も開業。千早駅周辺の区画整理が進行し、操車場跡地にはNTTドコモ九州香椎ビルを筆頭に高層マンションが続々と建ち、「香椎副都心公共施設(通称:なみきスクエア)」というシンボリックな施設も登場しました。現在も千早駅周辺では整備事業が行われています。

 

国道3号線から多々良川河口に向かいます。

 

名島神社・・・・神功皇后の三韓御遠征の折、香椎の西にある黒津の岬より、諸軍各々に郷名姓名を名乗らせながら乗船させたことから、その場所が「名嶋」と名付けられたと伝えられます。そしてこの地より宗像三女神を拝し、遠征の無事を祈られました。

御凱旋の後、神功皇后は再びこの地に上らせ給い、宗像三女神を勧請して御奉斎された事が名島神社の起源と伝えられています。
中世には七福神の信仰が盛んになり、三女神の市杵島姫命が弁財天と同一視された事から、名島神社は「名島弁財天社」と称され、足利尊氏や豊臣秀吉などの時の権力者の参詣も受けて

来ました。そして明治時代の神仏分離を経て、弁財天は宗栄寺へと移され、宗像三女神をお祀りする名島神社としてこの地に鎮座しております。(神社HPより)

 

名島帆柱石・・・3世紀ごろ神功皇后が三韓出兵に使用した船の帆柱が化石になったという言い伝えがあります。

 

 

このあたり福岡空港への航路になっているのか、飛行機が頻繁に飛来しています。

昭和初期(昭和6年)、名島には、名島水上飛行場がありました。あの「翼よあれが巴里の灯だ」で有名なリンドバークが世界親善訪問旅行の途中、名島飛行場に飛来しました。

名島飛行場は、水上機専門の為、使い勝手が悪く、雁ノ巣飛行場(戦後米軍に接収)→→席田(むしろだ)飛行場(板付→現在の福岡空港)に移りました。

 

 

名島神社の近くには、旧名島城址があります。

戦国時代天文年間(1532~1555)に立花城主立花鑑載が支城として築造したといわれ、のちの天正16年(1586)から慶長5年(1600)の黒田入城まで、秀吉から筑前国を与えられた

小早川隆景・秀秋がここを改修し居城とした。東をのぞく三方を海に囲まれた戦国時代の城郭で、北に本丸、その南に二の丸、三の丸を配し、海水を引き込んだ堀割と空堀で周囲を防御する。東西840m、南北280~400mの規模をもつ。関ヶ原の戦い以降、初代福岡藩主黒田長政も初めここを居城にしたが、城下町の発展に不便な地として、慶長6年(1601)から福崎の地に

福岡城の築城を始めた。慶長12年(1607)福岡城の完成、移転とともに廃城となった。この時石垣や門などを新城に輸送したといい、遺構として名島門(市指定建造物)が福岡城に、

唐門(県指定建造物)が崇福寺に残る。
現在、宅地化が進み当時の面影をとどめないが、平成2年の本丸天守台東側の発掘調査では石垣の根石や建造物の跡が確認された。また平成16年度から本丸の確認調査が行われており、

石垣の一部が確認されている。(福岡市の文化財より)

 

名島神社よりみなと百年公園へ向かいます。

  

みなと百年公園は、博多港築港百周年を記念して造られた公園です。桜並木もあり、桜の季節には人が多く集まります。

 

 

 

みなと百年公園からアイランドシティへ(人工島)。

 

 

アイランドシティから博多湾沿いに歩きます。

 

 

 

あいたか橋から片男佐橋に向かっていると、後方の方から私を呼ぶ声が・・・・・「何だろう?」と思ってそちらに向かうと、高齢者の方(私たちも高齢者ですが)がうずくまっています。

見ると、手から血が・・・・・会員の方が持っていた救急バンを貼りますが、それでも止まりません。事情を聴くとイオンの近くの施設の入居者です。

その施設に電話しますが、なかなかつながらず、転送電話になっていました。やっとつながりましたので事情を話し迎えに来てもらうようにしました。

その高齢者の方は、御歳が98歳、生家がこの近くでそこを見に来るために電動自転車で来たそうです。自転車の前カゴにも血がついていました。

ウォーキングは、ここで仮ゴールにし、何人かの方に残ってもらい、救急車を呼ぼうかとも思いましたが、頭を打っていなかったのでまた、最近の施設は、病院と提携している所も

ありますので施設の方を待つことにしました。40分ぐらい待ったでしょうか、やっと施設の方が来られました。事情を話し、私の名刺を渡し、あとは、施設の方にお任せしました。

ゴールに向かっている途中、救急車のサイレンの音がしましたので運ばれたかな?

翌日、東京に住んでおられる息子さんから私にお礼の電話があり、手を二針縫ったそうで他は異常なしということでした。大事に至らなくてよかったです。

約1時間ぐらい遅れ、JR香椎駅にゴールしました。

このあと、秋口に予定している「ねんりんウォーク」の会場候補の「雁ノ巣レクレーションセンター」に行き、事務所の方と打ち合わせしました。

 

 

 


サタデーウォーク「那珂川から南区のため池を巡る」(福岡県那珂川市~福岡市南区)

2024-01-20 06:18:19 | ふくおかウォーキング協会

1/13(土)ふくおかウォーキング協会サタデーウォークは、「那珂川から南区のため池を巡る」でした。

このコースは、昨年大雨で中止になった文のリベンジです。今日は天気も良くウォーキングには最高です。

福岡市南区には、灌漑や治水を目的にした「溜池」が56もあります。宅地開発が進む前は、大部分が農地でした。

中でも市内最大の野多目大池は、95,000㎡もあり、ペイペイドームの1,4倍の広さを誇ります。

この日は、JR博多南駅から西鉄バス桧原営業所までのため池巡りウォークです。

9:30新幹線博多南線「博多南駅」スタート。この日は、地域の人が花壇の手入れをしていました。植えているのは、パンジーかな?

 

 

歩いているとライオンの看板があります。近づいてみるとパチンコ屋さんでした。

 

今光橋から那珂川沿いに歩きます。

 

片縄交差点・・・・このあたりに私の同級生の家があります。この先が那珂川市と福岡市の境です。

 

那珂川河畔公園で休憩

 

野多目中央公園。

野多目拈渡(うちわたし)遺跡の案内板がありますが、薄く見えません。ネットで探すと次のように書かれていました。

この遺跡は、那珂川にそった標高15mの段丘の上に位置している。公園を建設する前の調査で、旧石器時代から古代までの生活の跡が重なりあった複合遺跡であることがわかった。

今から約3,000年ほど前の縄文時代後期のころ、食料としていたイチイガシの貯蔵穴50基が発掘され、弥生時代になると前期末から中期(西暦前2世紀ころ)の竪穴住居跡や貯蔵穴があり、

古墳時代(西暦6世紀ころ)には63棟の竪穴住居跡が認められ、一段と大きな集落に発展している。さらに、古代(7~9世紀ころ)には1間×2間や2間×2間ほどの大きさの掘立柱の

建物24棟や土坑39基・柵列・溝などが確認されている。このような遺跡は、盛土をして公園の下に保存されている。

 

照天神社・・・祭神は、伊邪那岐(イザナギ)大神。 伊邪那美(イザナミ)大神。

野多目大池・・・福岡市内最大のため池。

 

野多目といえば、今、福岡市立福翔高校(旧福岡商業高校)です。OBの方は、主な方で出光興産の出光佐三氏、ミュージシャン甲斐よしひろ氏、漫画家小林よしのり氏・・・・

1963年博多区堅粕から移転しました。旧堅粕校舎は、現在東福岡高校です。

 

 

桜ヶ丘公園で休憩

  

 

 

福岡病院の所には、「新池」があります。

 

「じょうもんさん」とは、博多弁で若い女性、美人という意味です。「上物(じょうもん)」

 

12:00 西鉄バス桧原(ひばる)営業所にゴールしました。ここからバスで薬院に戻ります。

 

今日のGPS

 

 

 

 

 

 


優しいウォーク「姪浜界隈お寺巡り散策」(福岡市西区)

2024-01-14 18:47:03 | ふくおかウォーキング協会

1/11(木)ふくおかウォーキング協会優しいウォークは、「姪浜界隈お寺巡り散策」でした。

姪浜の歴史は古く、小戸は神代の昔、伊邪那大神が小戸の憶ヶ原で禊祓の神業を行なわれ、天照皇大神、月読命、須佐之命、志賀三神、住吉三神、警固三神の御降誕された所として、

全国の神社の祓え詞として奏上されています。

また東北側の海岸線を「あこめが浜」といい、神功皇后が三韓遠征の際、この浜より出発され凱旋帰国された所で、濡れた女性の衣を干された浜で、それが転化して姪浜と呼ばれるように

なったとの言伝えがあります。

長崎・平戸方面からの唐津街道として福岡に入る要路にあたり「宿駅」が置かれ繁栄をしました。鎌倉時代に入り「元」からの侵攻に備え「探題職」を当地に置いたこともあり、愛宕山をはじめクローズアップされるようになりました。その名残が「元寇防塁跡」でマリノアシティ前や小戸ヨットハーバー横の松林にその記念碑があります。

江戸時代には、黒田藩が福岡城(舞鶴城)をつくり入府すると、唐津街道からの福岡入り口の宿場駅としてさらに栄えました。ただ明治維新後は、一時衰退をたどったとの記録があります

明治22年に自治制が敷かれ「早良郡姪浜村」でスタートして、明治26年に姪浜町になり、大正3年(1914年)には「姪浜・福岡炭鉱株式会社(早良炭鉱)」が起業し、炭鉱町としても隆盛していきました。昭和8年(1933年)4月に早良郡姪浜町から福岡市に編入合併され現在に至っています。(姪友会HPより引用)

 
 

福岡市西区姪浜地区には、11軒ものお寺が存在しています。昨年福岡城近くの唐人町のお寺巡りをしましたが、唐人町のお寺の数と変わりません。

福岡城の西の防衛施設としてまず唐人町界隈、続いて姪浜界隈に防衛拠点を設けたのではないかと思われます。

そこで今回の優しいウォークは、その姪浜のお寺巡りです。

集合場所は、JR姪浜駅南口。南口には、波と兎のモニュメントがあります。これは、姪浜のお寺と関係します。

その昔、宋(中国)の国で学問を修めた大応国師(南浦紹明)という僧が帰国の途中、雪深い山の中で狼に追われていたうさぎを助けて船に乗りました。玄界灘で船が暴風雨に遭い、

いまにも難破しそつしなったとき、そのうさきが荒れる海に身を躍らせました。すると荒波がピタリとおさまって、大応国師(南浦紹明)の一行は無事姪浜の港に帰ることができました。

ほっとして空を見上げるとろさぎがきらきらと金色に光り輝いて、空高く舞い上がったかと思うと、やがて龍王の姿となって天に消えていったのでした。

この大応国師(南浦紹明)が文永7年(1270)招かれて興福寺の開祖となりました

 

参加者は、31人。今日は初参加者が多いです。

9:30姪浜駅をスタート。今日は優しいウォークですので距離が約7kmです。

姪浜駅から小戸公園へ。

 

小戸公園へ。

 

 

マリナタウンで休憩。

  

最初のお寺は、 浄土真宗本願寺派「万正寺(まんしょうじ)」

開山は、享禄元年(1528)。万正寺の裏手には、探題塚があります。※福岡市 探題塚 (fukuoka.lg.jp)

浄土真宗大谷派「称讃寺(しょうさんじ)」慶長2年(1597)筑前国志摩郡北原(現西区周船寺)に開基、その後元和2年(1616)この地に移転。

 

旧唐津街道を通り、臨済宗大徳寺派「白毫寺(びゃくごうじ)」。開基を白毫峯翁一円福雲庭禅和尚、歴史も古く元徳2年(1330)の創建。

白毫とは、仏(如来)の眉間のやや上に生えているとされる白く長い毛のことです。仏像の額にあるホクロのようなものは、実は毛であるとのこと。

 

一旦、市道千代今宿線(旧国道202号)に出ます。この道路は、1979年(昭和54)に廃止されるまで西鉄電車福岡市内線の「姪の浜」電停があった所です。

私が小学生の頃、叔母が馬出に住んでおり、夏休みや春休みによくこの電車に乗って遊びに行ってました。その頃は往復切符で25円だったかな・・・・

電停の近くには、映画館が2軒ありました。また、電停の近くには、日の出食堂があり、うどんが美味しかったという記憶があります。

西鉄ストア(レガネット)でトイレ休憩。

 

休憩後再スタート。細い路地を進みます。

 

浄土宗「天然寺(てんねんじ)」天文年間(1532~1555)の創建。

 

時宗「光福寺(こうふくじ)」

お寺には、ソテツの木がよく植えられています。この寺のソテツも大きくて立派です。ソテツは釘を打つと元気になるといわれており、針供養なんかに使われることもありますが、

ある方のブログを見ていたら、はっきりはわかりませんが、ソテツの花が仏教に関連しているのでは?と書かれていました。雄の花がお寺の相殿に似てる、雌花が擬宝珠に似ているからだと

いうことです。一度お寺に聞いてみたいですね。

お寺には、菩提樹として銀杏の木などが多く植えられていますが、これは、銀杏の木が燃えにくいからだそうです。

 

旦過だるま堂・・・・・北九州小倉に火事で焼けましたが、旦過市場というのがあります。この「旦過」という意味は、旅の修行僧を宿泊してもてなした場所だそうです。

北九州の旦過市場ももともとは、修行僧の為のものだったのではないでしょうか?

旦過だるま堂もこれから行きます「興徳寺」旦過寮があった所です。境内には、室町時代の五重石塔があります。

 

 

真言宗大覚寺派「法蔵院」九州八十八か所霊場84番。昭和(1926~1989)初期建立

 

浄土真宗本願寺派「順光寺(じゅんこうじ)」昔は、怡土郡上原村(現西区今宿上の原)にあり、慶長7年(1602)上原村より移転。

臨済宗大徳寺派「照林寺(しょうりんじ)」昔は、興徳寺の子院でした。当寺の前身は。室町時代中頃の草創、当時檀林寺と東照寺の2ヶ寺がありましたが、無住の時代が長く、

大正6年(1917)両寺が合併し、両寺の名をとり照林寺が生まれました。

  

姪浜お寺巡り最後は、臨済宗大徳寺派「興福寺(こうふくじ)」・・・文応元年(1260)鎮西探題北条時定が建立。開山は、南浦紹明(大応国師)。

場所は、旧唐津街道姪浜宿の西搆口のそば。寺の敷地は広く市道千代今宿線には、「興徳寺橋」があります。

境内には、いろんな珍しい植物が植えられています。

  

 

 

  

 

11:43姪浜駅にゴール!

今日のGPS

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


楽しいウォーク「九州大学伊都キャンパス散策」(福岡市西区)

2024-01-12 15:46:07 | ふくおかウォーキング協会

1/10(水)ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは「九州大学伊都キャンパス散策」でした。

大学共通一次試験が今週末の13~14日に行われますが、ここ九州大学も会場になっています。

集合場所は、JR九大学研都市駅。ここからバスで九州大学伊都キャンパスへ移動します。

 

約15分で九州大学伊都キャンパスへ。

今日のリーダーは、50年ぐらい前に九州大学を卒業されたY氏。Y氏が在学の頃は、九州大学は箱崎キャンパスでした。

 

 

フジイギャラリーでは、「モンゴル高原牧畜社会の始まりを探る」という研究発表が行われていました。

 

 

 

九州大学中央図書館は、「次の百年を担う図書館であること~アジアのトップブランドとして~」を基本コンセプトに、収蔵能力350万冊を有する国内最大規模の図書館として、

2018年に全面開館しました。150万冊収蔵可能の自動書庫と、可動式の机・椅子を配置したフレキシブルな学習空間であるアクティブ・ラーニング・スペースはじめとした様々なサービスを

提供しています。ただ、共通試験準備のため立入りが禁止されていました。

 

松浦鎮次郎総長は、1929年~1936年まで総長を務められました。

 

学食です。構内にはいろんなところに学食があります。値段を見ると、すべてワンコイン内です。味はどうかわかりませんが、安くてボリューム満点ですね。

 

 

空中廊下を渡ります。

 

せっかくですので記念写真を。

 

初代総長「山川健次郎」の銅像です。山川健次郎は、九州工業大学の設立にも尽力されました。

 

 

ここにも学食がありました。

 

 

日本一の大水晶

 

このあたりから雨が本降りになってきました。

 

 

農学部あたりを歩いていると雨が強くなってきました。このあと筑前前原の方に行く予定でしたが、足元が悪くなってきましたのでここで中止とします。

このあと、バスでJR学研都市駅へ。今日は3kmぐらいのウォーキングでしたが、雨が降らなければいいコースだったと思います。

また次回再チャレンジしたいです。

 

 

 

 

 


「2024年新春合同三社詣りウォークin福岡」(福岡市中央区)

2024-01-09 09:45:23 | ふくおかウォーキング協会

1/7(日)は、NPO福岡県ウォーキング協会主催の「2024年新春合同三社詣りウォーク」でした。

(昨年12/13には地元紙の掲示板に掲載していただきました。)

     

NPO福岡県ウォーキング協会は、北九州W協会、ふくおかW協会、くるめW協会、小竹町歩こう会、ちくご歩こう会、みやまW協会、の6団体が所属しています。それと県職員互助会の方も

参加です。あと一般の参加者です。

今回は、ふくおかW協会が当番です。私は、昨年5月にふくおかW協会の役員になりましたので今回初めてのスタッフです。

この大会、準備を始めたのは、昨年5月からです。会場の舞鶴公園を仮申請して確保してもらい、その後何回か書類を提出し、11月に正式に申請し使用許可を得ることができました。

当日、早めに来て、テントを張ろうとしましたが、この日福岡地方は風が強く、若しテントが吹き飛ばされたら・・・と考え、テントを張るのは止めました。

この日のコースマップです。コースは10kと6kコースを用意しました。

マップの裏面には、コースの見どころを書きました。

   

参加者は、事前申し込み・当日受付を含めて約205人。(最終人数は現在県W協会で集計中)ここ最近の大会では、一番多い参加者です。

9:30より出発式。初めての司会、馴れない司会で悪戦苦闘しました。

9:50 10kmコースからスタートです。

  

ここからは、下見に行った時の写真を掲載します。(下見の時はいい天気でしたが、本番は、風が強く吹き飛ばされそうでした)

 

 

 

天気のいい日には、こんな光景が見られるのですが・・・・・

  

  

 

 

護国神社の鳥居は、まだ工事中でした。

 

護国神社では、この日、七草がゆが振舞われたそうです。

 

11:30ごろからウォーカーの皆さんがゴールの三ノ丸広場に帰って来られました。

 

今日のIVV

 

初めての大会スタッフ、疲れました!

来月2/4(日)は、博多区冷泉公園で「第65回元気!スマイルウォークin福岡」サブタイトル「博多港ウォーターフロントを歩く」が行われます。

担当は、今度もふくおかW協会です。今回の反省点を踏まえ、皆様に楽しく歩いていただけるようまた頑張りたいと思います。

 

 


1月例会「赤間宿と正助村を訪ねて」(福岡県宗像市)

2024-01-08 15:47:37 | ふくおかウォーキング協会

1/6(土)ふくおかウォーキング協会今年最初のウォーキングは、1月例会「赤間宿と正助村を訪ねて」でした。

集合場所は、JR教育大前駅近くの熊越池。参加者40名。

9:30 熊越池をスタート。長崎街道赤間宿に入ります。今日は朝から雨が降りスタート時点では止んでいましたが、空は暗くなっていました。

 

出光佐三生家 出光興産創業者で小説「海賊と呼ばれた男」のモデル「出光佐三」は、この地の生まれです。

出光佐三 - Wikipedia

 

赤馬館でマンホールカードゲット。

  

古い文献などには「赤間」の地名を「赤馬」と書いたものがよくあります。 一説には、神武天皇が日向から大和へ向かう際に、露払いの神様(八所宮の神様とも言われる)が赤い馬に乗って姿を

現わし、 人々を指揮したところであるため赤馬と付き、のちに赤間と書くようになったと言われています。 身近には、法然寺山門の横にある石碑に、赤馬と刻まれた文字を見ることが

できます。

 

釣川徳重桜公園

 

名残高田遺跡  古墳時代の古墳です。詳しい資料は残っていないそうです。

赤木の里で休憩。

 

 

ふくおかウォーキング協会のちびっ子会員の「そうた君」と「あおいちゃん」

そうた君は、小4、あおいちゃんは今年4月から一年生です。あおいちゃんは、何年か前、歩き疲れて会員さんにおんぶをねだっていましたが、今では10km楽に歩けます。

 

 

 

正助ふるさと村で休憩

 

休憩後ゴールを目指します。

 

 

12:15 熊越池にゴールしました。今日のGPSです。

今日は車で熊越池まで来ていましたので、ゴール後「宗像大社」へ向かいました。

お正月も6日も経っていますが、まだ初詣客が多かった。

 

 

 


24年新年あけましておめでとうございます。

2024-01-01 08:14:37 | 日記

2024年 新年明けましておめでとうございます。

今年も恒例の初日の出を見に近くの日の出スポットに行きましたが、福岡地方は、7時ごろまで雨が降っていてその後止んだのですが、雲が多く

「ちょっとだけ」の初日の出でした。

 

 

 

天気がいいときは、下記のような日の出です。

今年も宜しくお願いします。