よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

第21回こばやし霧島連山絶景ウォーク1日目20km(宮崎県小林市)

2019-02-28 09:10:50 | ウォーキング

2/23(土)昨日とは打って変って快晴の宮崎県小林市です。

第21回こばやし霧島連山絶景ウォーク1日目20kmに参加しました。今回は24日に私用があるので1日目だけの参加です。会場は小林駅前「小林市中央ふれあい広場」。

7:45より出発式。※写真では参加者が少ないように写っていますが、ほとんどの方がスタート口の方におられます。

8:00 30kmコーススタート。今回もフライングスタートします。

    

コスモスレディもお見送りしてくれました。コースは、昨年より少し変わっています。小林駅を出るとすぐ霧島連山が見えてきます。

  

2kmぐらい歩いた所の浄化センターで折り返します。ここでペットボトルの水をいただきました。

  

5,7km地点が「霧島岑(きりしまみね)神社」です。大昔、霧島岑神社は高千穂峰中腹の瀬多尾(せだお)の高地に鎮座していました。度重なる噴火により、たびたび社殿などが焼失。

享保14年(1729年)夷守岳中腹に社殿を再建、明治初頭まで鎮座しました。明治6年(1873年)霧島六社権現の一つであった夷守神社を合祀した後、夷守神社跡地に遷座し現在に至ります。

御祭神は、ニギニギノミコト(天孫)、コノハナサクヤヒメ(ニニギノミコトの妻)、ヒコホホデミノミコト(ニニギノミコトの息子で山幸彦)、トヨタマヒメ(ヒコホホデミノミコトの妻)、

ウガヤフキアエズノミコト(ヒコホホデミノミコトの息子、神武天皇の父)、タマヨリヒメ(ウガヤフキアエズノミコトの妻)。※ニギニギノミコト、ヒコホホデミノミコトウガヤフキアエズノミコトは日向三代と称されています。

 

今年もここでは、ふくれ菓子、お漬物、のおもてなしです。

 

コースは牧場を歩きます。この自然を見ると心の洗濯ができそうです。

 

  

3月中ごろになるとこの桜もきれいでしょうね。

  

新燃岳では噴煙が上がっています。2/25には、警戒レベルが2に引き上げられました。

 

出(いで)の山公園が最初のチェックポイント。ここでは、お菓子が振る舞われました。

 

出の山公園を引き返し、ホタル館では、豚汁、チョウザメのから揚げがおもてなしです。

  

出の山ホタル館が20k。30kの分岐点。30kは生駒高原方向へ、20kは運動公園の方に向かいます。

  

民家の方で鶏の鳴き声がしますので覗くと、珍しい鶏です。名前は「横斑プリマスロック」です。初めて見る鶏でした。

 

運動公園が見えてきました。運動公園が2回目のチェックポイント。バナナやイチゴ、キャンディの御振舞です。

  

    

運動公園からゴールまで約5km。この調子なら12時ごろのゴールになりそうです。

12:00に20km(正確には19km)コースゴールしました。

  

 この分のヤマップです。こちらから ↓  ↓  ↓

https://yamap.com/activities/3158898


「霧島の麓 神武天皇御生誕の地を巡る」せっかくウォーク(宮崎県西諸県郡高原町)

2019-02-25 14:10:17 | ウォーキング

2/22(金)  「こばやし霧島連山絶景ウォーク」で高原町で行われる、せっかくウォーク「霧島の麓神武天皇御生誕の地を巡る」に参加しました。

朝7:00福岡を出る時は、曇り空でしたが、宮崎に入ると雨が降ってきました。

高原町は、宮崎県の西南部霧島連山の主峰「高千穂の峰」の麓にあります。高原(たかはる)と読み、日本の神々がお住まいになられる高天原(たかまがはら)の名に由来しています。

我が国の神話で、天孫降臨の地とある「日向の高千穂」は、私達の町では高千穂峰のことと伝えられ、山頂の天逆鉾はご降臨の際、ニニギノミコトが突き立てられたと伝えられています。

その後、ニニギノミコトのご令孫として我が国の初代天皇で在らせられる神武天皇カムヤマトイワレヒコノミコト)が高原町でご生誕になられたと伝えられており、その地と伝えられる「皇子原神社」を始め、

町内には数多くの伝承地が有ります。平成の御代の今上天皇様が125代目であり、皇室の始まりが私達の町と伝えられていることに誇りを持った町です。 (高原町観光協会HPより)

会場は、高原町総合運動公園。この公園は、今、河津桜が満開です。

このせっかくウォークは、神武天皇がこの地で誕生され、東征(大和の地)されるまでの町内の遺構を辿るコースです。

神武天皇(カムヤマトイワレヒコノミコト)は、天孫瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の曽孫。彦波瀲武鸕鶿草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)の第四子。母は玉依姫(たまよりびめ)。

兄に彦五瀬命、新羅の王の祖である稲飯命、三毛入野命がいる。『日本書紀』神代第十一段の第三の一書では第三子とし、第四の一書は第二子とする。庚午年1月1日(庚辰の日)に日向国で誕生。

15歳で立太子。吾平津媛(あひらつひめ)を妃とし、手研耳命(たぎしみみのみこと)を得た(Wikipediaより)。 御幼名は生まれた所の地名をとって「狭野尊(さののみこと)と名付けられました。

  

12:30 せっかくウォークスタート。雨の為ポンチョ、傘をさしてのウォーキングです。

  

高原町からは、高千穂峰が間近で見えるのですが、今日は雨で視界が霞み見ることができません。

 

狭野渡・・・・神武天皇がこの地を出発し、東の方に行かれる際に最初に渡った川と伝えられています。

   

湯之元温泉が接待所です。飲み物、クッキー等のおもてなしがありました。

  

湯之元温泉は、明治35年(1902)に創業された町内で最も古い歴史ある温泉です。高濃度炭酸泉をそのまま湯船にいれた、高濃度の炭酸温泉かけ流し風呂が特徴です。ラムネ温泉とも呼ばれています。

この炭酸泉温泉水は、飲めますので一口飲んでみました。口の中が苦い感じがします。美肌にいいらしい。この温泉には、福岡ソフトバンクホークスの選手も時々来ているそうです。

 

宮の宇都・・・・神武天皇の父彦波瀲武鸕鶿草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)の皇居があった所で、神武天皇が父とともに幼少時代に住んでいた跡と伝えられています。

    

   

2時間半のウォーキングでゴールの「狭野神社」に到着。

  

狭野神社は、祭神が神武天皇(カムヤマトイワレヒコノミコト) 第5代孝昭天皇の御代に神武天皇ご生誕の地にご創建されたのが始まりと伝えられています。

神武天皇はご幼名を狭野尊(サノノミコト)と申し上げますが、皇族のご幼名は生まれ育った地名を付ける慣習があった事から、当地の地名の狭野が由来すると伝えられており、当社より西に1キロ程に有る末社の

皇子原神社がご生誕の地といわれます。

また、直線の参道では日本で一番長いといわれる狭野神社の参道沿いは美しい杉並木となっており、ご参拝前に歩くと心が清められる感じが致します。

当社の氏子が中心となり行われる祭祀に、2月18日の苗代田祭(ベブがハホ)、5月16日の御田植祭、12月第1土曜日の狭野神楽がございます。 (高原町観光協会HPより)

  

  

 

15歳になった神武は、皇太子となり高原を巣立って宮崎に移り(宮崎神宮)、45歳の時に美々津の港から大和地方に出発します(神武東征)。舟軍を率い宇佐、埃宮(えのみや)、吉備国の高島宮などに

立ち寄りながら有力者からの支援を獲得していき、兵を整え浪速(なみはや)の渡りに上陸すると、ナガスネヒコ(長髄彦)との壮烈な戦いが待ち受けていました。皇兄イツセノミコト(五瀬命)は戦場で負った傷がもとで

亡くなり、同じく皇兄ミケイリヌノミコト(三毛入野命)とイナヒノミコト(稲飯命)もまた遭難してしまいます。

アマテラスや高木神(タカミムスビ)等の応援もあって、作戦を変え熊野に上陸し、ようやく荒ぶる神たちを服従させ大和を平定した神武は、畝傍(うねび)の橿原(かしはら)で第一代天皇に即位しました。

日向を発って7年が経過していました。(高原町まちづくり推進課パンフより)

  

何か神武東征を聞くと、邪馬台国の東征論と似ているような気がしますね。

今度は天気がいい日に行ってみたいです。また、湯之元温泉にも入りたいです。

 

 

 


第29回南房総フラワーマーチ2日目20km(千葉県南房総市)

2019-02-21 18:28:14 | ウォーキング

2/17(日)南房総フラワーマーチ2日目。昨日は千倉から南の方を歩きましたが、2日目は千倉より北の方を歩きます。

今日はゴールしてすぐ帰る予定ですので33kmコースにフライングスタートしました。

出発式の後、7:45スタート。今日も千葉県のゆるキャラが見送りに来てくれました。

 

桜並木を歩きます。まだ蕾ですが、満開になったらきれいでしょうね。

 

竹林を通るとすぐ10kmとの分岐点です。

 

歩いていると左側に「安馬谷八幡神社」があります。

毎年三月三日に行われる安馬谷八幡神社の御神的神事は、源頼朝が流鏑馬(やぶさめ)を行ったことから安馬谷八幡神社でも奉納するようになったと伝えられています。

昔は馬上がら矢を射っていましたが、見物人に当たる事故があり、現在のように境内で歩射(ぶしゃ)を行うようになりました。

射手は区長がつとめ、早生3本・中生3本・晩生3本の合計9本の矢を射り、矢の当たり具合で農作物の豊凶や天候を占います。

  

今日は昨日と違って風が強く私のリュックの後ろの風車が勢いよく廻っています。時々突風も吹いて危険ですので外しました。

  

沼蓮寺(じゅうれんじ)です。沼蓮寺は、延慶元年(1308年)に眞雅和尚による創建と伝えられています。宗派は真言宗で智山派赤坂山沼蓮寺安楽院と称します。通称「だるま薬師」として親しまれています。

本尊は地蔵菩薩です。毎年1月7日、8日に祭りが開かれます。

  

約10k地点の南三原小学校がチェックポイント。

  

南三原交差点が33コースとの合流点。ここから海岸線を歩きます。

  

このあたりの海岸は、波が高く、サーファーの方がウィンドサーフィンを楽しんでいます。そういえば、橋の名前も「和田サーフ橋」と名付けられています。

 

道の駅「ローズマリー公園」です。ここからゴールまであと5km。この公園には、10k、20k、33kのコースが合流します。

直売所では、いろんなお花の販売が行われていました。風もだいぶん治まりましたのでリュックに風車を取り付けます。

  

  

  

ローズマリー公園で少し休憩し、再び歩き出します。

昨日は地元の中学生の参加が多かったですが、今日は小学生の参加が多いです。ゴールに向けて歩いているとその小学生の団体と何回も遭遇しました。

小学生には、私のリュックの後ろの風車が人気みたいでした。

  

 

11:35 ゴールしました。今日はそんなにアップダウンもなく順調に歩くことができました。

昨日の朝日新聞には、この大会の事が載っていました。参加者の数を書いているボードがないか探しましたけどありませんでした。この大会では、参加者を公表していないのかな?

初めての南房総ですが、さすがに九州からは遠いですね。

     

このあと、レンタカーを君津駅に返しに行き、君津発14:52の電車で品川へ、品川から京急で羽田、羽田からANAで福岡に戻りました。

この大会2日目もヤマップに記録しています。こちらです。  

https://yamap.com/activities/3132097

 


第29回南房総フラワーマーチ1日目23km(千葉県南房総市)

2019-02-21 09:01:48 | ウォーキング

2/16(土)南房総市で行われた「第29回南房総フラワーマーチ」1日目23kmコースに参加しました。

宿泊した館山のホテルから会場の千倉保健センターまで車で30分。8:00に会場に到着しました。

8:45から出発式。南房総市はベルギー・フランケンベルグと姉妹都市、ベルギーからの参加者も紹介されていました。

9:00スタート。出発前の「激」はありませんでした。スタートでは、千葉県のゆるキャラ「チーバくん」、南房総市の「みなたん」、南房総の「なんぼーくん」が見送ってくれました。

  

千倉中学校の所が35k、23kの分岐点。23kは、高家(たかべ)神社の方に向かいます。

高家神社は、祭神は、磐鹿六雁命・天照皇大神・稻荷大神を祀っています。高家神社は、日本で唯一料理の祖神を祀る神社として、料理関係者や味噌醤油などの醸造業者からの信仰を集めてきました。

現在でも、毎年行われる「庖丁式」を中心に多くの料理関係者が参拝に訪れます。

毎年10月17日と11月23日に行われる「庖丁式」は、烏帽子・直垂を纏い、包丁と箸のみで一切手を触れることなく、鯉・真鯛・真魚鰹などをさばく厳粛な儀式です。平安時代の宮中行事を再現し、

古式に則った所作と包丁さばきに、日本料理の伝統をかいま見ることができます。

高家神社から長い上り坂が続きます。ここで私の鼻がむずむずし、また眼もかゆくなりました。花粉症???

用意していたマスク、サングラスをつけ歩きますが、サングラスが曇ってきましたので外しました。今年も私の下に来てくれました。誠に迷惑な訪問者です。

 

  

林道千倉線に入りました。古い隧道を通ります。この隧道真っ暗で何も見えません。今日は大会ですので大勢の人で通っていますが、一人だったら怖くて通れません。

 

こういうのが里山でしょうか、道の両側には、竹林があります。千倉は、竹細工も有名です。中でも団扇は日本三大団扇の生産で知られています。

そんな中、畑の中に竹で囲ったものを見つけました。ちょうど中学生の団体と遭遇しましたので中学の先生に聞きますが、わからないそうです。

帰って調べましたら、この囲っているものは、「楽屋(がくや)」といって、楽屋の中には、お正月の縁起のいい「千両」が植えられています。

千両は、強い直射日光を嫌うので日陰を作る為、竹で囲われているそうです。

 

約8kmぐらい歩いた所の「畑青年館」が1回目のチェックポイントです。(このあとチェックポイントはありませんでした)

 

安房(あわ)白浜トンネルの前に「海底地すべり地層」があります。平成22年4月に開通した安房グリーンラインの工事により発見されたものです。

第三紀鮮新世から第四紀更新世(およそ400万年前~100万年前)に堆積した千倉層群・畑層の砂岩泥岩の層で、200万年前に起きた大地震によって液状化し、「海底地すべり」を起こして堆積したものです。

  

里山を抜け、名倉海岸に出てきました。ここからは、海岸線を歩きます。南房総の海岸線は、岩などが隆起しきれいな海岸線を形成しています。

Wikipediaによれば、房総半島と西側で向き合う三浦半島(神奈川県)は、元々は2000万年前から1500万年前の太古の時代に太平洋の深海底で太平洋プレート上に降り積もった堆積物に由来する。

太平洋プレートが海溝においてフィリピン海プレートの北上の影響で大陸プレートの下に沈み込む際に堆積物は剥離して積み上がり、約50万年前には海面上まで隆起し、三浦半島や房総半島のもととなった。

そのため、これらの半島には地層中に火山噴出物が多く含まれている。

NHK「ブラタモリ」のタモリさんが好きそうな地層ですね。

  

魚の干物を加工している所があります。ウォーカーの皆さんが立ち寄られているので私達も行ってみました。干物を買うとご希望によりその場で焼いてくれます。

私達もウルメイワシ(@30)を焼いてもらいました。丁度いい塩加減でおいしかったです。お酒があれば、なおさらです。

  

南房総は、年間を通じて暖かい気候に恵まれ、花の栽培が盛んです。歩いているとキンセンカ、金魚草、ポピー、菜の花などの花が満開です。

花摘みもできることから休日にはたくさんの人が来られています。近くに住んでいたら私も花摘みをしたいくらいです。

  

千倉大橋を通ります。この橋には、人魚姫などのオブジェがありました。

   

道の駅「潮風王国」です。ここからゴールまで6km。

  

13:45  ゴールしました。今日は前半の上り坂が多かったので疲れました。ゴールでは千葉県のゆるキャラが出迎えてくれました。

  

 1日目のウォーキングをヤマップに記録しました。こちらです。↓

https://yamap.com/activities/3125447

 


房総半島へ (千葉県)

2019-02-19 19:55:12 | ウォーキング

2/15(金)

2/16~17に千葉県南房総市で行われる「第29回南房総フラワーマーチ」参加の為、福岡発8:00の飛行機で羽田へ。羽田からバスで君津に。このバスは羽田よりアクアライン(海ぼたる)を通ります。

平日でしたので約40分で君津に着きました。

 

君津からはレンタカーです。運転していると雪が降ってきました。私自身今年初めての雪です。

  

ウォーキング会場の南房総市千倉までは、高速が早いのですが、別に急いでいませんので一般道を通りました。

千葉県は、今まで何回か行ったことがありますが、ここ房総半島は、初めてです。 

房総」という地名は、令制国の安(あわ)国と上(かずさ)国と下(しもうさ)国の三国にまたがることに由来しています。

『古語拾遺』によれば、阿波国において穀物や麻を栽培していた天富命(あめのとみのみこと)は、東国により良い土地を求め阿波の忌部(いんべ)氏らを率いて黒潮に乗り、房総半島南端の布良の浜に上陸し

開拓を進めました。そして阿波の忌部氏の住んだ所は、「阿波」の名をとって「安房」と呼ばれたといわれています。

車で走っていると、房総半島には、「道の駅」が非常に多く見かけられます。(調べると南房総エリアで12か所)ただ、私が九州で知っている「道の駅」とは、何かちょっと違うような気がします。

お腹も減ってきたし、「道の駅とみうら」に立ち寄りました。地元の青物の魚を主体にした海鮮丼です。

13:30 ウォーキング会場の千倉保健センターに到着。事前受付をしました。

 

このあと、洲崎を経由して今夜の宿館山に向かいます。

房総半島は、半島付近を流れる黒潮の影響で、温暖な気候に恵まれたリゾート地。1年を通じて、海と花を満喫できます。

白間津花即売所の花が綺麗でしたのでちょっと覗いてみます。ここでは、花摘みも行われていて、現在、キンセンカ、ポピー、金魚草、菜の花、ストックなどの花が咲き誇っています。

この辺りの道路を「房総フラワーロード」と呼ばれていますが、まさにフラワーロードですね。お花畑の向こう側は、太平洋です。

  

    

洲崎(すのさき)神社に着きました。

神武天皇の御代、安房忌部一族の祖天富命が勅命により四国の忌部族を率いて房総半島を開拓され、忌部族の総祖神天太玉命の后神天比理乃咩命を祀ったのが当社です。

平安時代の延喜式神名帳に式内大社后神天比理刀咩命神社とあり、元の名を洲ノ神(すさきのかみ)と称されていました。

鎌倉時代の治承4年(1180)石橋山の合戦に敗れ房総半島に逃れてきた源頼朝公は、先ず当社に参詣し源氏の再興を祈願し、寿永元年(1182)には奉幣使を派遣し妻政子の安産を祈願して、

広大な神殿を当社に寄進されました。以降関東武士の崇敬篤く、里見家七代義弘は社領五石を寄進。徳川幕府も朱印状で安堵しています。

室町時代には、江戸城を築いた太田道灌は、鎮守として当社の御分霊を奉斎したのが神田明神の摂社八雲神社の前進と伝えられており、東京湾をはさみ湾の西海岸に位置する品川、神奈川にも御分霊を

奉斎藤する神社があります。また、成田市鎮座の熊野神社境内には、明和2年(1765)建立の「諸国六十六社」があり、四方に一宮の社名が彫られており、安房国一宮として当社の社名が彫られており、

広く信仰されていたことがうかがわれます。(洲崎神社HPより)

 

 

ここからは、富士山を見ることができますが、今日は午前中雪が降り、現在は止んでいますが、曇り空です。残念ながら見ることはできませんでした。

 

館山市内に入りました。館山というと曲亭馬琴(滝沢馬琴)の「南総里見八犬伝」です。その舞台となった「館山城」に向かいます。

三方を海に囲まれたこの地域は古代から海を通じた他地域との交流が積極的に行われていました。鎌倉時代には、幕府の置かれた鎌倉の経済や文化の影響を強く受けています。

当時、安房は、安西、丸、神余、東条などの豪族が勢力を持っていましたが、室町時代になると安房に進出した里見氏が治めるようになります。

その後、里見氏は、戦国大名として成長し、水軍を組織し、最盛期は下総まで領土を拡大します。江戸に幕府が置かれた後も外様大名として安房で勢力を維持し、慶長19年(1614)に倉吉へ国替えを

命じられるまで十代170年にわたり安房を治めました。(館山城パンフより)

  

館山城には、八犬伝博物館があります。開館時間は16:30までですが、もう時間も16時過ぎですので中に入るのは諦めました。

 館山城には「恋人の聖地」があります。この枠の中に天気が良ければ富士山が見えるそうです。

  

残念ながら、曇り空で富士山が見えませんでした。

このあと、ホテルに帰り、明日からのウォーキング大会に備え、早めに床に就きました。

 


筑前五ヶ浦廻船と今津干潟の野鳥を見るウォーキング下見(福岡市西区)

2019-02-06 21:13:31 | ウォーキング

1/28(月)  3月のサタデーウォークのコース「筑前五ヶ浦廻船と今津干潟の野鳥を見る」ウォーキングの下見に行ってきました。

筑前五ヶ浦廻船」とは、江戸時代、博多湾内の西側にある、能古島(のこのしま)、浜崎(はまさき)、今津(いまづ)、宮浦(みやのうら)、唐泊(からどまり)の5つの浦の船乗りたちは、

巨大な弁才船(べざいせん)(千石船)に乗り込んで、日本全国を舞台に活躍していたことがありました。彼らの廻船は五ケ浦廻船と呼ばれ、今もさまざまな足跡を残しています。

 五ケ浦の廻船は、福岡藩の年貢米を大坂や江戸へ運ぶことを第一の仕事としていました。それが秋に終ると、こんどは東北や蝦夷地(現北海道)の米や産物を大坂や江戸に運びました。

廻船業は長い間故郷を離れての、しかも海の大自然を相手の厳しい仕事でした。しかし利益も多く五ケ浦に繁栄をもたらしました。五ケ浦廻船が最も活躍したのは17世紀後半から18世紀の中頃でした。

その後は、特に日本海側の廻船(北前船)の台頭や、数多くの遭難がもとで、五ケ浦のうち2ヶ所が活動を止めるなど、筑前五ケ浦廻船の全盛期はややすぎてしまいました。

しかし幕末でも能古島の虎吉丸(とらよしまる)など1,700石積の巨大な廻船が、幕府の御用船に選ばれるなどの活躍をしており、江戸時代の五ケ浦廻船の歴史の最後のかがやきを見せています。

ただ、現在その遺蹟は殆ど残っていません。

   

JR今宿駅をスタート。横浜から海岸に行きます。ここ横浜は、江戸時代怡土郡、志摩郡(現在の糸島市)の米を貯蔵する「米蔵」がありました。この米を五ヶ浦廻船が江戸、大坂に運んでいました。

現在この場所も確定されていません。

   

今津橋から見ると鉄塔の跡が見えます。これは、戦後すぐ米軍依頼で板付飛行場工事の為、今山と対岸の毘沙門山から砕石が掘られ、ケーブルカーで今山まで運ばれていました。

そのケーブルカーの跡です。

  

筑前五ヶ浦廻船「浜崎浦

現在は、レジャーボートの係留地になっていますが、江戸時代は、筑前五ヶ浦廻船「浜崎浦」でした。

宝暦2年(1752)12月、浜崎の廻船「福聚丸」は青森から塩魚、大豆、小豆を積んで江戸に向け出港しましたが、福島県いわき沖で遭難しルソン島へ漂流しました。

当時、厳しい鎖国政策をとっていた幕府に疑われないため、浜崎、今津の2つが廻船業から撤退させられ、幕末頃には残りの3つの浦による廻船業が続いていました。

  

浜崎浦から日赤病院を通り、福岡県水産海洋技術センターへ。ここで休憩。

  

水産海洋技術センターから誓願寺を目指します。

誓願寺は、臨済禅を日本に伝えた人物、又、お茶を日本に普及したとして有名な栄西(ようさい)との関係が深く、当寺の建立頃は当寺を活動の拠点とし、2度目の渡宋を果たす文治3年(1187)迄

この誓願寺に滞在しました。この間宋版一切経の入手に努めました。栄西自筆の「盂蘭盆(うらぼん)縁起」は国宝に指定されています。

  

  

元寇殲滅之碑」は、1913年(大正2年)に発掘された今津地区の元寇防塁を保存し後世に伝えていくため、1915年(大正4年)に建てられた石碑です。

碑の上部にはハートマークが刻まれています。元寇の戦いの中心になったのは、長崎県鷹島ですが、当時玄界島も鷹島と呼ばれており、この記念碑は玄界島の方を向いてます。

今津浦」 今津は、もともと「登志(とし)郷」と呼ばれていました。「登志」という意味は、韓国語で朝日が出る所という意味です。つまり可也山(糸島富士)から見て朝日が昇ってくる所が「登志」即ち「今津」でした。

11世紀ごろになると有力な荘園領主は、宋との直接貿易による私貿易を行うようになります。今津は京都の仁和寺の荘園になり怡土庄の貿易港として開けました。

また、1150年代大宰府目代「藤原宗頼」が博多の宋人街を襲い、世情不安定な博多津を避け、今津に立ち寄るようになりました。博多津の古津に対する新しい港ということで「今津」と呼ばれるようになりました。

その後貿易港として発展しましたが、1750年代外国への漂流事件後、浜崎と共に廻船業から撤退させられ、今日に至っています。現在では、昔の面影を残すものが残っていません。

   

コースは、このあと、今津干潟へ行きます。

  

今津干潟は渡り鳥の飛来地として有名です。この日も絶滅危惧種「クロツラヘラサギ」がいました。

 

 

 ゴールは、九大学研都市駅です。ここまで11km余のウォーキングでした。

 


第27回いぶすき菜の花マーチ2日目23km(鹿児島県指宿市)

2019-02-02 04:17:40 | ウォーキング

1/27(日)指宿菜の花マーチ2日目23km。

今日は、昨日と違って天気は快晴。ちょっと風はあるものの絶好のウォーキング日和。昨日はリュックに仕舞っておいた風車をつけてのウォーキングです。

2日目23kmのコースは、なのはな館~砂むし「砂楽」~山川駅~鰻温泉~橋牟礼遺蹟~指宿駅~なのはな館ゴールです。

8:30スタート。

   

  

開聞岳(薩摩富士)が見えてきました。

 

1回目のチェックポイントはJR山川駅。お漬物の接待がありました。

  

成川交差点を右折します。ここが30k、23kの分岐点。成川地区では、今日災害訓練が行われていました。

  

成川遺跡は,弥生時代の中頃から古墳時代に至る巨大な墓地。昭和32年に発見され,発掘調査の結果,土葬された300体を超える人骨に加え、鉄製の刀や剣などおびただしい数の副葬品が見つかった。

古墳は造られておらず,土こう墓(土葬の墓)に,高さ1m以上もある自然石を標識のように立てる埋葬の方法をとっている。古墳時代,全国をみても薩摩半島南部にしかみられない独特な埋葬法です。

 

30kとの合流地点を過ぎ、鰻池に向かいます。例年このあたりに「土筆」が立っているのですが、今年もありました!日本一早い?土筆でしょうか?

 

  

鰻池から鰻温泉に向かうと、集落のあちらこちらで白い噴気をあげる「スメ(巣目)」と呼ばれる温泉の蒸気を利用したカマドがあります。現在も、家庭で日常の煮炊 きに使われています。

 

鰻温泉では、スメを使ったお接待が待っています。毎年この接待を楽しみにしております。今年は、温泉玉子、茶ぶし、ふかしイモの他にぜんざい、スナップエンドウ、お漬物も用意されていました。

 

鰻温泉の先が2回目のチェックポイント。

  

鰻温泉を出ると急な上り坂が待っています。例年ですと、ここから成川バイパスに向かうのですが、今年はコースが変更になり杉並木を歩きます。

  

指宿橋牟礼川遺跡は,縄文土器が弥生土器よりも古い時代の土器であることを初めて証明した遺跡です。また,最近になって開聞岳の大噴火で埋もれた遺跡であることが確認されました。

橋牟礼川遺跡は大正13年に国指定史跡に指定され,現在約2ヘクタールが史跡公園として整備されています。史跡地内には,4軒の古代住居の復元をはじめ,貝塚や地層の展示施設があります。

 

コースは指宿駅を通りゴールの「なのはな館」へ。

  

12:55  ゴールしました。