よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

大濠公園能楽堂~西戸崎駅まで25kmウォーク(福岡市中央区~福岡市東区)

2018-06-26 19:03:23 | ウォーキング

6/23(土)は、ふくおかウォーキング協会の例会で「大濠公園能楽堂~西戸崎駅」まで歩きました。

スタートは、大濠公園能楽堂。今日は家内とお揃いの北見カーリング娘の「そだね~」のTシャツを着て歩きます。

          

スタート時は、小雨が降っていますが、天気予報では、10時ぐらいには雨も上がるそうです。

コースは、大濠公園から長浜通りへ。このコース車ではもう何回も通っていますが、歩くのは初めてです。

  

長浜のKBCを通って福岡市民会館へ。市民会館から築港本町を左折します。ここには左側に大相撲九州場所が行われる「福岡国際センター」、その右側には、「福岡国際会議場」があります。

この近くには、釜山行のビートルやカメリアが発着する博多国際ターミナルもあります。

  

歩いていると、連結バスが走っていました。これは、BRT(Bus Raipid Transit)といい、訳するとバス高速輸送システムです。全長18m、定員130人。

 

貝塚から箱崎埠頭の方に行きます。

 

カモメ大橋の多々良川には、風車が建っています。周囲の環境を測定しているようです。

 

このあたりは、平成6年(1994)から博多湾の埋め立てにより、人工島ができました。ここでは、アイランド大橋を境に「みなとづくりエリア」と「まちづくりエリア」に分けられています。

  

  

2020年(平成32年)には、都市高速道アイランド線も開通します。

 

海の中道大橋を渡ります。平成18年(2006)8月、ここで飲酒運転による事故があり、幼い子供さん3人が犠牲になりました。

福岡では、この事件を機に飲酒運転撲滅運動が行われています。

  

海の中道大橋を渡ると、雁ノ巣レクレーションセンターです。ここには、野球場、ソフトボール場などがあります。

2年前まで福岡ソフトバンクホークスの二軍球場でした。

 

雁ノ巣レクレーションセンターで昼食タイムです。30分後再びスタート。

  

  

マリンワールド海の中道を過ぎるとゴールはすぐそこです。

14:20  西戸崎駅にゴールしました。

  

 


せっかくウォーク「サロマ湖ワッカ原生花園を訪ねる道」(北海道北見市)

2018-06-24 16:40:03 | ウォーキング

6/12(火)北海道遠征も今日のサロマ湖のせっかくウォークで最終日です。朝、早く目覚めたので常呂町旅館の近くを散策します。

朝のオホーツク海  砂浜では、雀よりも少し大きな「コヨシキリ」が鳴いていました。

  

道端に咲いていたお花。マーガレット、ハマナスは、わかるのですが、ニラに似た花の名前は、わかりません。

  

常呂川です。遠くを見ると山の上に「百年記念展望塔」が建っています。これは、昭和58年(1983)常呂町開基100年を記念して建てられました。高さ30m、海面から100m、展望台までの

階段が100段と100を強調しています。上の方がホタテ貝に似ていることから「ホタテタワー」とも呼ばれています。

手形柱 これも昭和58年の開基100年を記念して造られました。当時在住した常呂町民の手形を6基の柱に張り付けました。

その常呂町ですが、平成18年(2006)北見市と合併し、現在は、北見市常呂町となっています。常呂町の地名の由来は、アイヌ語の「トー・コロ」(沼・湖のある所)に由来しています。

     

朝食後、7:15にお迎えのバスがきました。これからサロマ湖へせっかくウォークに出かけます。

7:30 サロマ湖ワッカネイチャーセンター到着。サロマ湖は、オホーツク地方の北見市、佐呂間町、湧別町の3つの街にまたがる湖です。面積約152㎡、周囲91kmで、日本で3番目、

北海道では最大の大きさを誇ります。オホーツク海を隔てる長さ約25km、幅200~700mの砂州には、原生花園や森林公園があり、四季折々の姿を楽しむことができます。

  

出発式の後、8:00 ワッカネイチャーセンターからワッカの森折り返し10kmのせっかくウォークスタートです。

 

歩いていると、いろんなお花が咲いています。写真撮影に夢中になっていると、最後尾になってしまいました。

 

   

   

東屋からオホーツク海の方に行ってみると、うっすらではありますが、知床連山が見えてきました。

  

「龍宮街道」の看板があります。明治の文豪・大町桂月が大正時代に、ここワッカ原生花園を訪れた際、「天の橋立などはとても比較になり申さず候」とオホーツク海とサロマ湖を左右に見渡せる

その景色に感動し名付けました。

  

第二湖口の橋が見えてきました。

  

第二湖口は、幅を広げる工事が行われていました。上の方の物体は、オホーツクから流氷が入らないためボックス型のものが据えられています。

   

    

 

ワッカの森が折り返し点。

ワッカとは、もともとアイヌ語で「ワッカ・オ・イ」(水が・ある・ところ)、砂嘴(さし)の中ほどに、真水が湧く沼があることに由来します。

折り返し地点に湧水がありました。少し飲んでみますが、おいしいです。

   

  

10:00 スタート地点のネイチャーセンターにゴール。ゴールすると空から細かい雨が降ってきました。

   

せっかくウォークGPS

このあと専用バスで女満別空港に送ってもらいました。女満別空港から羽田に行き、羽田から福岡空港行に乗り換えます。

搭乗手続きをして待合室に行くと、売店に「赤いサイロ」が入荷しています。カーリング娘がモグモグタイムで食べて一躍有名になったお菓子です。

すぐ、売店に行き5個買ってきました。@840です。ラッキーです。    

    

飛行機搭乗まで時間があったのでレストランへ行き「北見の玉ねぎラーメン」をいただきました。

  

約5時間で福岡に帰ってきました。


第31回ハッカの大地北見ツーデーマーチ2日目20km(北海道北見市)

2018-06-23 19:14:18 | オールジャパンウオーキングカップ

6/11(月)北見ウォーク2日目。でっかいどうオホーツクマーチ最終日。今日は、20kmに挑戦です。

7:30 昨日に引き続き、20k、30k同時スタートです。

  

コースは、東稜公園の中を歩きます。

  

北見ハイテクパークは、隣接地にソーラー研究・コンピュータ情報処理・工学研究で知られる北見工業大学、介護福祉系の日本赤十字北海道看護大学のキャンパスが広がる「産学官連携」の拠点として、

恵まれた立地環境にあります。隣には、「そだね」Tシャツを販売している北見工業大学があります。

  

10kmコースとの分岐点を過ぎます。

  

屯田農村生活センターの近くが給水所。隣には、民家でしょうか?お城みたいな建物が建っています。

  

先へ進むと、左側に端野中学校が見えてきます。隣は、端野小学校でしょうか、同じ敷地に小学校、中学校が建っています。とにかく広いです。

   

10km地点の端野町公民館が20kコースのチェックポイントです。

 

国道39号線と交差する所が20k、30kの分岐点。

 

石北線の踏切を渡り、しばらく歩くと右側が「JR端野駅」です。

  

端野駅の先には、「石倉交流センター」があります。この石倉交流センターは、農業農村の歴史的資料の展示室と交流ホールからなり、交流ホール(床面積200平方メートル)はフローリング張りで、

舞台・音響設備・照明などが整備されており、多目的に利用ができます。また、この施設は、石倉横の広場(2面)とともに、北見市端野町石倉公園として道営田園空間整備事業で整備したものです。

  

コースは、小泉東公園へ入ります。

   

11:40  ゴールしました。ゴール後、30kをトップでゴールされた、兵庫の〇坂さん達と記念写真を撮りました。

ゴール後、地元のオニオンスープ、ジャガバターが振る舞われました。

 

今日20kmのGPSです。

今日は、このあと明日のせっかくウォーク「サロマ湖ワッカ原生花園を訪ねる道」に参加の為、専用バスで常呂町に移動します。

北見駅からバスで約1時間で常呂町に着きました。常呂町は、オホーツク海に面した町で、先の平昌五輪で銅メダルを獲ったカーリングのメッカです。

  

 

旅館に着いて夕食までの間、常呂町を散策します。

カーリング場にやってきました。カーリング娘さんに逢おうと思いましたが、残念ながら今日、月曜日は休館日でした。  

  

 


ハッカの大地 北見「ウェルカムパーティ」

2018-06-21 15:10:50 | ウォーキング

6/10(日)ハッカの大地北見ツーデーマーチ1日目ゴール後、ウェルカムパーティまで時間がありましたので、北見駅周辺を散策しました。

「北見」の名の由来は、明治政府から国名を諮問された松浦武四郎が「この地を従来から北海岸と唱えてきたので北の文字を用い、カラフト島が快晴の日には見えるので、北見としてはどうか」と

進言したことによります。旧北見市市制施行前の名称「野付牛」(のっけうし)は、アイヌ語の「ヌプンケシ」(野の一方の端)に由来しています。

尚、松浦武四郎は、蝦夷地を「北海道」と命名したことでも知られています。

駅前には、昭和初期の野付牛駅前の写真が掲載されていました。(右側の写真は、現在の北見駅前です。)

  

昭和初期の写真に「レートクレーム」という看板が見えますが、明治11年(1878)創業し、昭和29年(1954)に廃業した、化粧品メーカー「平尾賛平商店」の看板です。本社は東京にありました。

この二代目平尾賛平氏のお孫さんが、昨年亡くなられた作曲家「平尾昌晃」さんです。

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15:00より会場でJMLなどの表彰式が行われました。歩友の方も表彰されました。

  

15:30からウェルカムパーティです。北見はオホーツク海に面しているから海鮮が多いのでは?と思いがちですが、実は北海道の都市(5万人以上)で、焼き肉店の対人口比が一番高いのが

北見市です。 人口約12万5千人の北見市の人口に対して、焼き肉店が約60店舗あり、人口が同水準の江別市の13店と比べると【焼き肉のマチ北見】に納得いただけると思います!

ウェルカムパーティも勿論焼肉です。

お肉と飲み物の引換券を持ち、並びます。

  

  

ウェルカムパーティ式場で行われた抽選では、私が、北見のお菓子、家内は、ご当地キャラ「ミント君」の歴代バッチでした。


第31回ハッカの大地北見ツーデーマーチ1日目30km(北海道北見市)

2018-06-20 18:27:49 | オールジャパンウオーキングカップ

6/10(日)からでっかいどうオホーツクマーチは、会場を北見市に移して行われました。「ハッカの大地北見ツーデーマーチ

ハッカは全世界で栽培される多品種のハーブで、「Mint ミント」は英語、イタリア/スペインなどラテン語では「Mentha メンタ」、「ハッカ」は日本語です。読み方は違えど中国語でも「薄荷」(ボーフォァ)。

そして、この草の大きな特徴として、シソ科特有の正方形の茎形と、葉をもむだけで感じられるスーッとする独特な清涼感があります。

明治35年頃から生産が始まった北見ハッカは昭和14年に全盛期を迎え、当時世界薄荷市場の約70%を占めるまでに成長し、現在の北見の礎(いしずえ)を形成する重要な産業となりました。

その北見市は、オホーツク海沿岸から石北峠までの東西110kmに広がっており、北海道で一番広い都市です。人口約12万人。

今年の平昌冬季五輪では、北見の女性カーリングチーム「ロコ・ソラーレ北見」が銅メダルを獲得しました。その時の「そだね」とか、「モグモグタイム」は、流行語になりました。

会場は、北見駅南側の多目的広場です。今日は、15:30からのウェルカムパーティに参加しますので30kmコースを歩きます。

  

7:30  30k、20k同時スタートです。

 

  

5km地点常盤公園が給水ポイント。

  

しばらく行くと20k、30kの分岐点です。20kコースは、橋の下を通って直進、30kコースは橋から左折し、「とん田通り」にを歩きます。

  

しばらく歩くと右側に「北光八幡神社」があります。

  

北光八幡神社の横には、「北光社遺跡」があります。説明文を読むと、「坂本龍馬の甥、坂本直寛は、片岡健吉・澤本楠弥・西原清東と共にキリスト教の精神を具現する理想郷(農場)建設の為、

有限会社(後に株式会社)北光社を設立した。社長には、坂本直寛、副社長澤本楠弥が就任した。北光社は、明治29年(1896)、坂本や前田駒次の視察でクンネック原野の常呂川と訓子府川に

挟まれた地域を農場に相応しい土地として払い下げの申請をした。翌明治30年(1897)4月、募集に応じた22戸約650人を乗せた船は、高知浦戸港を出帆、船中に麻疹が流行、罹患して

死者を出したり、オホーツク海の気象不順などで約1か月を要す船旅となった。農場は、常呂川及び訓子府川(くんねっぷがわ)との合流点やや上流から訓子府町日の出迄、訓子府川では、

北見市のうちまでの流域で、片岡・西原・傍士・大脇・由比・武内・小嶋・大谷の8班に分割して開拓させた。翌年には、大水害の不幸にも見舞われ、多くの辛酸をなめたが、澤本・前田の下で

開拓を進め、大正2年(1913)には、黒田農場を経て、現在では、下流域は、市街地に、上流域は、見事な穀倉地帯となっている。」

また、北光社とほぼ同時期に入植したのが北の防備と開拓を目的にした屯田兵でした。 この両者の強じんな開拓魂が、想像を絶する困難にも負けず北の大地を切り開き、

ここに北見の歴史が始まったのです。

この大会の参加者の中に高知県の方がいました。その方が曰く、「北見市と高知市は、姉妹都市」。理由はわかりますね。

 

北見水田発祥の地石碑  北見地方の米作の始まりは、明治31年、北海道庁が北光社農場に対し、水稲の試作を委嘱した時です。この年から、農業管理人の前田駒次は毎年これを試作、

35年にいたってようやく穂が稔り、これを脱穀、精白して北光社の農家に二合(約三百グラム)ずつの白米を配ることを得ました石碑は、昭和43年(1968)建立されました。

   

何か、ウォーカーの人が減っている様な感じがします。私達がアンカーさんを除いて最後尾かもしれません。皆さん20kmコースに行かれたのかな?

北海道糖業は、ビート糖(甜菜)を製造しています。北見でもビート(甜菜)を栽培しています。

  

マップでは、玉ねぎ畑が広がります。と書いてましたが、道路の両側には、一面の玉ねぎ畑があります。福岡では、今、玉ねぎの収穫期ですが、ここでは、8月末~9月中旬に収穫するそうです。

「銀河ふれあい道路」に来ました。昔、ここには、池田~北見までの約140kmを「ちほく(池北線)高原鉄道(ふるさと銀河線)」が走っていました。

 

 

上常呂駅があった「上常呂コミュニティプラザ」がチェックポイントです。ここまで11km。

 

遠くに雪を被った大雪山系の山が見えます。昨日、一昨日の雨があの辺りは雪だったのでしょうか?

  

一面の玉ねぎ畑を見ていると、サンプラザ中野さんが歌った「大きな玉ねぎの下で」という歌が浮かんできて口ずさみます。

 あの大きな玉ねぎの下で 初めて君と会える 九段下の駅を降りて坂道を 人の流れ追い越して行けば 黄昏時雲は赤く焼け落ちて 屋根の上に光る玉ねぎ~

この歌は、武道館の上にある擬宝珠を玉ねぎに見立てて歌ったのですから、本物の玉ねぎとは違いますが・・・・・

 

矢旗では、ここから直線で5,5kmあると書かれています。森ではカッコーの鳴き声が聞こえます。前を歩く人も見えないし、ゆっくり歩くことにします。

  

 

 

コンビニから左折すると国道39号線に入ります。先の歩道橋を渡ると「東相内住民コミュニティセンター」です。ここまで19km。時間は11:30.あと10kmぐらいですが、ちょっと休憩します。

 

  

休憩後、再び歩きます。

  

今日は、日曜日、小学校では、運動会が行われていました。北見でも運動会は、春に行うのですね。

双葉公園が20kmのチェックポイント。ここまで24km地点。

  

 

ここから石北線の高架を渡ります。渡ってからは、石北線と並行に歩きます。途中、電車が来ました。昨日網走から乗った特急「大雪」です。

 

石北大通り公園のSL広場では、かつて北見を走っていた機関車が展示されています。

  

ピアソン記念館は、1914年(大正3年)ウイリアム・メレル・ヴォーリズ氏の設計により建設され、アメリカ人宣教師のピアソン夫妻が15年にわたり生活をされた木造2階建の西洋館です。

その後各種の造作がなされたため、北見市は1970年(昭和45年)復元工事を行い、1971年5月31日、ピアソン記念館として開館し、同年10月1日「ピアソン記念館条例」を制定しました。

また、ピアソン記念館は2001年(平成13年)10月22日、北海道遺産に選定されました。

  

オホーツクビアファクトリーは、日本で初めて地ビールを造った会社です。一杯試飲でもしたかったのですが、飲んだら歩けなくなりますのでここは、じっと我慢しました。

コースは、北見駅前へ。ゴールはすぐそこです。

  

14:25 30kmコースゴールしました。

 

今日のGPSです。

   

 


「第31回でっかいどうオホーツクマーチ」網走コース2日目20km(北海道網走市)

2018-06-19 10:23:32 | オールジャパンウオーキングカップ

6/9(土) でっかいどうオホーツクマーチ2日目。昨日からの雨は止みましたが、朝は少し肌寒い。最低気温が5度ぐらいで何か冬に戻った感じです。

今日は、ゴール後、次の会場の北見に電車で行く予定です。石北線の電車はあまりなく、できれば11:58の電車に乗れればいいのですが・・・・

8:00 今日も東農大オホーツクキャンバス応援団の「大根踊り」でスタート。

  

 

コースは、中央橋を渡り、天都山の方に向かいます。

  

途中、蒲鉾の接待がありました。

  

5km地点が「北方民族博物館」です。

  

途中、網走湖を見渡せるビューポイントがありました。天気がよければいいのですが、今日はドンより曇っています。

このあたり、歩道がなく車に注意しながらの歩行です。

しばらく歩くと、30k、20kの分岐点です。20kは、右折します。

  

このあたりから、緩やかではありますが、下って行きます。

  

10km地点の「旅館もとよし」がチェックポイント。チェックを受け、すぐにスタートします。

踏切の傍の所には、「鉄ちゃん&鉄子の宿」があります。鉄道ファンなんでしょうね、時間があれば入ってみたかったです。

 

踏切を渡ると国道39号線通称北見国道に出ます。ここが30k、20kの合流点ですが、もう30kのウォーカーの方がどんどん過ぎていきます。丁度歩友「東京のMさん」と会いました。

聞くと、昨日の雨で「呼人探鳥遊歩道」が通行できなくなったため、5kmぐらい短縮になったそうです。

コースは、網走湖湖畔を歩きます。

   

  

網走湖は、夕陽のビューポイントだそうです。今日は曇っていて夕陽は見えるかな?

 

網走湖では、ボート、レガッタの練習が行われていました。

  

後を振り向くと、先ほど登ってきた北方民族博物館、NHK受信塔が見えます。

  

網走湖から、網走川に入ります。

「網走」という地名は「ア・パ・シリ」(我らが見つけた土地)から出たとも、「アパ・シリ」(入り口の地)あるいは「チバ・シリ」(幣場のある島)などの諸説があって定まりませんが、

いずれにしろ「アパシリ」というアイヌ語を漢字にあてたものとされています。

  

 

川の向こう側には、「網走刑務所」が見えてきます。

  

網走刑務所に通じる「鏡橋」

 

11:30 ゴールしました。距離は20kmとなっていますが、GPSを見てみると、19km弱です。

  

ゴールしてから、札幌のN・Hさんと記念写真を撮りました。

  

網走大会は、これで最後です。参加者の数が発表されていませんが、事前受付で443名。やはり参加者の減少が一番の理由でしょうか?

最近は、参加者の減少で大会の廃止などが多くなってきています。何とか存続させる手立てはないものでしょうか?

この後、次の会場の北見に移動するのですが、現在11:40. ホテルに荷物を取りに行かねばならないし、11:58の電車には、間に合わないみたいです。

時刻表を見ると、12:35の特急大雪があります。それに乗って北見に移動します。

  

13:24 北見駅到着。北見駅では、先の冬季五輪カーリングで銅メダルを獲った「北見ロコ・ソラーレ」のポスターが掲げられていました。

  

カーリング娘さんがモグモグタイムで食べていたお菓子「赤いサイロ」を作っているお店が近くにあるということで行ってみました。

案の定売り切れです。予約はできないかと聞きますが、出来ないとのこと。朝は、7時ぐらいから行列ができ、開店早々すぐ売り切れるそうです。

明日からは、でっかいどうオホーツクマーチ北見大会ですし、赤いサイロは諦めることにしました。

泊まったホテルは、駅前で2食付です。今夜の夕食は「刺身定食」でした。

  

 


博物館「網走監獄」(北海道網走市)

2018-06-18 11:00:07 | 日記

でっかいどうオホーツクマーチ網走コース1日目を終えた後、雨の中博物館「網走監獄」に行ってきました。

博物館網走監獄は、明治以来、網走市と深く関わりを持っていた網走刑務所旧建造物を保存公開する野外歴史博物館です。網走国定公園の景勝天都山網走湖側に位置し、

敷地面積は約東京ドーム3.5個分に相当します。

網走刑務所というと、私がまだ学生の頃、高倉健主演の映画「網走番外地」が公開されました。この映画を見るためよく映画館に通いました。健さんがかっこよかったです。

 馬鹿を 馬鹿を承知の この稼業 赤い夕陽に背を向けて 無理に笑った 渡り鳥 その名も網走番外地 

刑務所の中は、法務省の管轄で番地がつかないため、番外地と呼ばれました。

鏡橋   川面は、鏡。「わが身を見つめ自ら襟を正す」という意味が鏡橋には込められています。

  

正門    網走監獄の正門は、現在の刑務所と同じ形です。

煉瓦門  明治45年(1912)用地内の粘土で煉瓦の製造を始め、大正8年(1919)から5年かけて築造しました。高さ4,5m、長さ1086m。使用した煉瓦は150万枚。

  

明治維新後近代国家への脱皮を目指して邁進する明治新政府にとって、アジアに進出する列強の動きは大きな脅威でした。とりわけロシア帝国の南下政策に対する危機感は強く、

北海道の防衛を固めるべく開拓を推進することが新政府の急務となっていました。その開拓の先兵として注目されたのが、当時膨大な数に膨れ上がっていた長期重罪囚です。

この発想は、当時の太政官大書記官「金子堅太郎」によるもので「元々彼等は暴戻の悪徒であって尋常の土夫では耐えられぬ苦役に充て、これにより斃(たお)れても監獄費の支出が

減るだけで、万やむを得ざるなり」(要約)との囚人苦役論でした。これが内務卿「山縣有朋」の廉価な労力で北海道開拓を進め、刑を終了した囚人が住み続くことで北海道の人口増加を

促進するという「苦役本文論」に引き継がれ、初代北海道開発庁長官「岩村通俊」によって囚人による北海道開拓が推し進められることになりました。

未開の地であった北海道開拓は、「監獄開拓」「屯田兵開拓」「移住民開拓」の3段階で進められました。先駆である「監獄開拓」によって道なき所に道が開かれ、家なき所に家が建ち、

原生林が農耕地として拓かれるなど屯田兵や移住民の入植を進めるための基礎的条件が整備されました。

 

    

休泊所  受刑者が塀の外に出て日帰りできない作業をする場合は、「休泊所」と呼ばれていた仮小屋で寝泊まりしました。明治24年(1891)の網走から札幌へと続く中央道路開削工事では、

      延べ1200人の受刑者が投入され、工事の進行に伴い、休泊所を解体して移動していきました。別名「動く監獄」と呼ばれ、後の厳しい監視と強制労働で知られる一般労務者の

      飯場「たこ部屋」のつくりは、これを模したものと言われています

  

映画「網走番外地」のポスターもありました。シリーズ18作のヒット作品になったそうです。健さんは「橘 真一」に扮していました。

   

二見ヶ岡農場  明治29年(1896)に設置され刑務所農場としては、日本一広い面積、16181、266㎡の栃を有効に活用しながら、受刑者に働く喜びを体験させ、健全な心身を作ることを

           目標として独自の農園訓練規定を設け、寒冷地農業に取り組んでいます

   

舎房及び中央見張所  放射状に広がる5棟の舎房の中央に、1か所から全体を見渡せるように6角形の中央見張所が設けられています。

                この舎房は、当時ベルギーのルーヴァン監獄を模倣して造られました。雑居房と独居房合わせて226房 には、最大700名を収容でき、明治45年(1912)から

                昭和59年(1984)まで網走刑務所の獄舎として72年間にわたり使われました。高い天窓からそそぐ光が印象的です。

 

    

斜め格子    第1舎、第3舎房室の廊下側壁は、暖房、換気、通気、監視を兼ねた独特の菱形斜め格子となっており、収容者同志は向かい合う部屋の中を覗くことはできないが、

          廊下に立つ看守からは、両方の部屋の監視ができるようになっています。

  

哨舎  内務省が制定した図式に基づいた見張所。明治45年(1912)に設置された。登録有形文化財に指定されています。

浴場  1000人近い受刑者を効率よく入浴させるため、入浴時間は15分。刑務作業のグループごとに入浴させていました。脱衣場で服を脱ぐと一つ目の浴場の前に並び、

     看守の号令で浴槽に入ります。3分で上がり、次は体を洗い、二つ目の浴槽に入った後、髭を剃ります。すべての動作は3分刻みで行われ、脱衣着衣を含め15分で

     入浴を済ませることができました。浴槽が深いのは、立ち膝とてを上げて入浴させたためです

 

教誨堂 (きょうかいどう)  教誨堂は、宗教心を持つことの大切なことが説かれ、獄則を守り、希望を持って再生への道を歩むことを教え導かれました。

  

映画「網走番外地」の監督「石井輝男」監督のお墓は、網走市内にあるそうです。

    

明日のでっかいどうオホーツクマーチ2日目は、現在の網走刑務所の前を歩きます。

現在では、執行刑期10年以下の受刑者が収容されているそうです。

然し、明治時代の北海道開拓が、この網走刑務所の受刑者によって行われたということは、初めて知りました。 


「第31回でっかいどうオホーツクマーチ網走コース」1日目20km(網走市)

2018-06-15 18:48:01 | オールジャパンウオーキングカップ

6/8(金)でっかいどうオホーツクマーチ網走コース1日目。

この「でっかいどうオホーツクマーチ」は、6/8~9が網走コース、6/10~11が北見コースと4日間のウォーキング大会です。

網走大会は、参加者の減少や運営費の減少で今年限りになります。

会場は、ホテルから徒歩10分のオホーツク文化交流センター(エコセンター2000)。

天気予報では、雨の予想ですが、まだ今の所降っていませんが、いつ降ってもおかしくないくらいの天気です。気温も10度ぐらいで少し寒いです。

会場では、札幌のN・Hさんと3年ぶりにお会いしました。NHさんは、札幌からバスで6時間かけて網走に来たそうです。飛行機とバス、乗り物が違いますが、私たちも5~6時間かかりました。

 

出発式は、雨が降るかもしれませんので室内で行われました。私は、もうポンチョを着て雨対策をしています。

8:00 東農大オホーツクキャンパス応援団の「大根踊り」で出発。この大根踊りも来年からは見れなくなります。

  

北海道でよくみられるのが、「ルピナス」。これが雑草のようにいたるところに生えています。

 

ライラックは、「白」もありました。福岡では、ゴールデンウィークに満開になる「藤」もここでは、今が満開です。

 

網走小学校裏手には、「網走空襲の碑」がありました。昭和20年(1945)7月15日午前4機の米軍機が襲来し、ロケット弾、機銃掃射によって14人が亡くなりました。

 

北海道の広大な大地には、麦やビート(甜菜てんさい)などが栽培されています。

 

ウィキペディアによると、ビート(甜菜)は、寒さに強く、寒冷地作物として中から高緯度の地域で栽培されている。サトウキビとならんで砂糖の主要原料であり、根を搾ってその汁を煮詰めると

砂糖がとれる。 アンセルム・ペイアンが脱色法を発明してからは原料として好まれるようになり、全世界の砂糖生産量のうち約35%を占める。なお、葉と搾りかす(ビートパルプ)は、

家畜の飼料として利用される。日本では、北海道を中心に栽培されている。テンサイから作られた砂糖は甜菜糖とよばれ、国内原料による日本の砂糖生産量の約75%、

日本における砂糖消費量の25%を占める。

 

 

9時20分ごろから雨が降り出しました。

 

  

感動の径」に入りました。感動の径とは、この一直線の道路と一面の畑、天気がいい日には、知床の山々も見えるそうです。

天気がよければ、本当に素晴らしい光景だと思うのですが、今日は雨模様です。

  

コースは、石北線の踏切を渡り、オホーツク海に出ます。春先までは、この海に流氷が流れ着いたそうです。

 

オホーツク海沿いの道には、カニ屋さんがあります。一度でいいから腹いっぱいカニを食べてみたいです。(笑)

 

民家の庭先には、チューリップや木蓮、芝桜、スズランなどが咲いています。福岡では、木蓮、芝桜、藤などは、ゴールデンウィークあたりに咲いていますので約2か月ぐらい違いますね。

桜は、調べてみると、5月中旬から下旬が見ごろだそうです。日本全国桜を追って南から北に旅するのもいいでしょうね。

   

  

流氷街道のビューポイントに来ました。天気が良ければ、羅臼岳など知床連山が見えるそうですが、今日は雨で見えません。

 

  

網走港に「屯田兵上陸の地」の碑があります。1897(明治30)年6月、網走のポンモイに上陸した屯田兵第四大隊の第一陣が、初めてこの地に上陸した。

このとき入地した茶木与三の日記には、「二日 午前雨 午後晴午前六時頃北海道北見国網走港着同七時四十五分に艀に乗り同九時十五分網走港上陸す同十時三十分網走町

本願寺派光輪寺に着宿」とある。野付牛村(北見市)の屯田兵屋の建設が間に合わないこともあり、5日まで光輪寺(現・網走市南7条東3丁目)にて滞在する。

6日に光輪寺を出発し、網走川を小舟で遡り網走湖~荷揚坂を上って、中央道路を通り端野にて一泊、7日に野付牛に到着した。

この隊は先に入植した北光社移民団らとともにクンネップ原野(北見)の開拓に力を注いだのである。(網走観光協会)

 

知床旅情や網走番外地の歌に登場する「ハマナス」。バラ科だそうです。

 

道の駅「流氷街道網走」に着きました。ここで休憩します。店内には、カーリング娘さんをデザインしたお菓子もありました。

  

また、店内には、今年3月に公開された吉永小百合さん主演「北の桜守」のセットがありました。

 

網走神社は、福岡の宗像大社の市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命の三神(宗像三女神)を祀り、俗に弁天様と呼ばれています。他に天照大神を配祀しています。

 

コースは商店街を通ります。このあたりが、網走の中心地でしょうか?

中央橋を渡ると会場のエコセンターが見えてきました。

   

12時半ゴール ゴールでは、網走流氷パタラの方が迎えてくれました。パタラとは、北方民族ウィルタの言葉で「お嬢さん」を意味しているそうです。

  

ゴール会場では、ホタテの味噌汁、いもだんご、かぼちゃだんごが振る舞われました。今日は寒かったので生き返ります。

 

今日の歩いたコースです。

 


北海道「網走」へ(北海道網走市)

2018-06-14 11:20:17 | 日記

6/7(木) 「でっかいどうオホーツクマーチ」の網走大会が今年で中止になるということで、急遽網走大会に参加することにしました。

6/7~6/12までの5泊6日までの北海道道北、の旅。網走・北見・サロマ湖を歩くウォーキング大会です。

    

福岡から網走までは、飛行機で新千歳に行き、そこから女満別(めまんべつ)空港へ。女満別からは、バスで網走に入りました。福岡からは5~6時間で網走に着きました。

  

バスの中からは、北海道の広大な地が見えます。

 

 

女満別空港から約1時間で網走に到着しました。ホテルの前には、ライラックの花が綺麗に咲いていました。

ライラックはモクセイ科ハシドイ属の落葉樹。フランス語からリラ(Lilas)とも呼ばれる。和名はムラサキハシドイ(紫丁香花)。 

   

ホテルのロビーには、オホーツク人の衣装や土器などが展示されていました。

今から約1300年前、北の大陸からやってきた人びとは、この網走の地にムラをかまえました。たくみな航海術と海獣狩猟・漁場の技術をもつた彼らの暮らしはオホーツクの豊かな海の恵みに支えられ、

それまで北海道では見られなかった「オホーツク文化」とよばれる独自の文化を発展させていきました

ここ網走には、「モヨロ貝塚」があるそうです。

オホーツク式土器は口の広い壷形で、細長い粘土紐を使った文様がみられます。この細長い粘土紐は形状が素麺に似ていることから「ソーメン文」や「貼付文」とよばれています。

  

ホテルの夕食には、「モヨロ鍋」が出されました。

オホーツクサーモンをはじめとする恵み豊かなオホーツクの魚介類と網走発祥のすり身をオホーツク土器に見立てた特製の鍋でいただく新・ご当地鍋。オホーツク塩を使用した塩味をベースに

白魚醤油を加え、地元産の貝、野菜を入れるなど約1,000年前に忽然と姿を消した北方の民「モヨロ人」をイメージした鍋です。