よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

「西吾妻スカイバレー」おまけに「リンゴ狩り」

2015-10-29 18:27:56 | 旅行

五色沼の紅葉の後、西吾妻スカイバレーを通って白布峠の紅葉見学に行きました。

 

西吾妻スカイバレーは、桧原湖と山形・白布峠を結ぶ約18kmのコースです。

途中、桧原湖周辺の紅葉を楽しみます。

桧原湖は、明治21年(1888)、磐梯山の噴火による山体崩壊により出来た湖です。最大水深31m、湖岸周31,5kmの裏磐梯最大の湖です。

 

  

車で走っていると紅葉が綺麗でついつい車を止めて眺めたくなります。こんな時、レンタカーにもドラレコがあればな・・・・・と思います。

車は、標高700m、800mとヘアピンカーブを登って行きます。

途中「東鉢山七曲り」という所に来ました。ここからは、桧原湖と磐梯山が見えるそうですが、生憎霞んでいてはっきり見ることができません。

   

  

標高1404m地点が山形県との県境の「白布峠」。

廻りを見渡すと、もう紅葉シーズンが終わったのか葉っぱを落とした木々だけが見えます。山もそろそろ冬支度かな?冬はこの道路も通行止めになるのでしょうね。

白布峠には、「こうすけ文学碑」が建っています。「吾妻晴れ山 くもり山 曇りのち晴れ 人の世も」。

浜田広介は、山形県出身の児童文学者です。

  

白布峠を越えると「山形県」に入ります。入ってしばらくすると「最上川源流」の碑があります。

 

 

 

  

 

せっかく米沢に来たのだから「米沢牛」を食べようとHさんが提案しますが、Kさんは、お昼は、もう決めているということでKさんに従うことにしました。

峠を下ってくると、道路の両側に私達を迎えてくれるのがいます。

お猿さんです

  

刺激しないよう、そろりそろりと行って写真を撮らせていただきました。そういえば、白布峠の所には、「白猿に注意!」という看板がありました。白猿もいるのですね。

平地に戻りました。右側には、高原野菜直売所があります。イナゴや、白菜、大根・・・・・・白菜なんか、大きいもので250円です。九州では@450ぐらいしていたのでは、なかったかな?

近くだったら買って帰るのに・・・・・・

 

このお店、野菜を買うと「大根汁」がサービスでいただけます。大きな鍋で作られていますのでこれがまた、美味しいんです。温まります。おいしいのでお代わりしました。

もちろん食べた後の器なんかは、セルフで洗って片付けます。米沢牛とは、違いますが、お財布にやさしく大満足です。

  

道の駅ばんだいで休憩の後、会津のリンゴ園に行きました。

   

会津は、リンゴの産地です。昨年の朝ドラ「マッサン」では、余市でウイスキーを売る前に「リンゴジュース」を販売していましたが、余市のリンゴは、会津藩士によってひろめられました。

戊辰戦争(1868~69)に敗れ、逆賊の扱いを受けた会津藩士は、江戸での謹慎後、余市に入植し開拓を始めます。その中でリンゴは、この地で結実しその果実は、徐々に外部へ

出荷されるようになりました。マッサンが作ったリンゴジュースは、会津がルーツなのです。

 

  

先ほど、「大根汁」を食べましたが、リンゴは別腹なんでしょうか、試食に出されたリンゴは、あっという間に私たちの口の中に運ばれていました。

今日の宿は、会津東山温泉です。

ゆっくり温泉に入って旅の疲れを癒します。それにしても会津は、陽が暮れるのが速いです。九州と比べ約1時間ぐらい違いますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


裏磐梯「曽原湖」散策

2015-10-28 16:01:51 | ウォーキング

泊ったホテルが、ホテルの近場を早朝ウオーキングするということで皆で出かけました。

裏磐梯の朝は、寒いです。7時の気温が8°。Kさんから防寒着を借りてウオーキングです。

   

今日のコースは、「曽原湖見学コース」。

曽原湖は、長さ約1,5km、幅0.4kmと裏磐梯の湖の中では、小さい部類に入ります。

  

廻りには、民宿やペンションが建ち並んでいます。

   

約30分のウオーキングでしたが、裏磐梯の気持ちのいい空気に触れました。

  

 

 


『磐梯五色沼の紅葉』(福島県裏磐梯)

2015-10-27 07:11:30 | 旅行

 10/20は、裏磐梯にある「五色沼」に行ってきました。

裏磐梯の美しい風景は、明治21年(1888)の磐梯山噴火によって生まれました。神秘的な色の五色沼もその一つで、磐梯山火口に生まれた酸性の銅沼が水源です。

その水は、五色沼周辺で湧きだすアルカリ性の水と混ざり合い、すると化学反応によって沼の中で鉱物の粒子が出来、水中を浮遊し白く濁った層ができます。

そこに太陽光が当たると青系色の光のみを反射し、神秘的なパステルブルーの沼に見えます。(パンフより)

 

裏磐梯ビジターセンターより「五色沼探勝路」があります。(約3,6km)ここを歩いてみることにしました。

カメラは、一眼とコンデジ。あっと言う間に200枚もの写真を撮りました。

詳しい写真は、下記のデジブックにまとめましたので、よろしければご覧下さい。こちらです。  

 

デジブック 『磐梯五色沼の紅葉』

http://www.digibook.net/d/1b44e377a109bec02acf5d0682b05a5e/?viewerMode=fullWindow


和泉弥生ロマンツーデーウオーク2日目17km(大阪府和泉市)

2015-10-24 13:30:27 | オールジャパンウオーキングカップ

ホテルは、堺市内にとりました。

ホテルから会場に向かう途中にこんな看板を見つけました。

歌謡曲などでよく歌われている「銀座の柳」は、堺がふるさとなんですね。堺の銀細工職人が東京に移って銀貨を鋳造した地であることから銀座と呼ぶようになり、職人たちが堺を懐かしみ堺から

柳を移植したそうです。

   

 

和泉弥生ロマンツーデーウオーク2日目17km

昨日一緒に歩いたSaboriさんは、22kmコースに参加の為もうスタートしていました。

今日は、朝から膝痛の為、シップ薬、痛み止めを飲んでの参加です。出発式まで会場で待っていると、熊本のNさんご夫妻がおられました。

Nさんご夫妻は、今月初め高崎でご一緒し、今回和泉弥生ウオークでオールジャパン達成とのこと。おめでとうございます。

そういえば、敦賀の車さんも現在行われている山梨河口湖ウオークでオールジャパン達成だそうです。埼玉のKiyoさんは、来月の下関で達成予定。

私は、この大会をクリアして34県目。あと13県です。達成は、2年後かな???

出発式では、よしもと2700のツネさんがゲストです。ツネさんは、和泉の出身だそうです。

 

9:00 キッヅのチアガールの声援を受け、スタート。

スタートには、和泉のゆるキャラ「コダイ君」「ロマンちゃん」も応援に駆けつけました。

 

観音寺城跡という石碑があります。天平年間に、この地へ藤原氏が城を築き、興亡の歳月を繰り替えしながら、井上某氏に至り

廃城されたと言うから、奈良時代に建立されていたのかも知れません。南北朝の頃には北畠顕家が観音寺城に陣をとり、北軍の襲来に備えたと言われています。

またこのあたりは、「熊野街道」で摂津・和泉を経て、紀州熊野へと通じる熊野参拝の道です。旧家などが今でも建ち並んでいます。

  

4km地点の西福寺が1回目のチェックポイントです。

西福寺は、鎌倉時代初期に東大寺再建に尽力し、この地で生まれたという伝説がある俊乗房重源上人が中興の開基と伝えられています。

その重源上人がこの地で雨乞いの儀式をしていた時に、本堂の隣にあった井戸でお婆さんが洗濯をしていました。雨乞いの効果がてきめんとなり、にわかに黒い雷雲が空を覆い、夕立となりました。

ゴロゴロという雷鳴と共にその井戸に雷が落ちたのですが、落ち着いていたおばあさんは、すかさず洗濯中のたらいで井戸に蓋をして雷を閉じ込めてしまいました。おばあさんは、井戸に落ちた雷に説諭し、

雷を逃がすかわりに二度とこの地に落ちないという約束をその雷から取り付けました。

その時の約束とは、ゴロゴロと雷の音がした時に「クワバラ、クワバラ」と村人たちに唱えてもらえれば、この地が桑原であることが分かるので、雷が間違って落ちることがないというものです。この約束を交わしたのちに雷は解放され、

天に戻ることができました。

この逸話がもとで、「クワバラ、クワバラ」と唱えることが雷封じの呪文となりました。今ではこの風習が全国に広まり、雷が鳴れば「クワバラ、クワバラ」と言えば雷が落ちないと、日本人なら誰もが知っているはずです。(西福寺HPより)

  

  

西福寺の桑原町から府中町に入ります。

「泉井上神社」があります。ここには、和泉の地名のおこりとなった「和泉清水」を祀っています。

神社のパンフを見ると、井八幡神社、井戸ノ森八幡と称されることもあり、国土守護神又、殖産興業の神として御神徳を示されました。神功皇后、仲哀天皇、応神天皇の他、

神功皇后に従って朝鮮に渡った従者四十五座を加えた四十八座をおまつりしています。

特に、和泉国府内の神社であるところから和泉総社が勧請され、後に王子神社、菅原神社、式内和泉神社が合祀されました。神社名は、湧き出る泉の井戸の上におまつりされたお宮であるという所からきています。

ここでも朱印をいただきました。

  

先へ急ぎます。「ロードイン和泉」という商店街にやってきました。ここでは、バナナをいただきました。

 

  

JR和泉府中駅を通ると、泉大津市に入ります。泉大津市のマンホールは、羊は全国シュア95%を誇る毛布の町です。繊維産業都市を表現しています。

豊中の交差点には、博多ラーメンを全国展開しているお店「一〇」がありました。

    

豊中交差点を右に行き、阪和第二国道(国道26号線)沿いに歩きます。途中、泉佐野市からまた和泉市に入ります。大阪府弥生文化博物館より左折。

  

その先を右折すると、「池上曽根史跡公園」があります。ここが3回目のチェックポイント。

池上曽根遺跡は、弥生時代の集落遺跡で国史跡に指定されています。遺跡中心部で、約80畳の広さを持つ大型建物やクスノキを切り抜いた直径2mの井戸などが発掘されました。

大型建物の柱は、年輪年代測定から、紀元前52年の伐採と判明しました。史跡公園では、これらを復元し公開しています。(和泉市観光マップより)

弥生時代の遺跡というと、九州では、佐賀県での吉野ヶ里遺跡があります。ここも大規模な遺跡でが復元されており、一大「クニ」があったと推測されています。

九州の吉野ヶ里と和泉の池上曽根遺跡、これは、私の私感ですが、昔は、交流があったのではないでしょうか?

  

  

  

国道26号線を横断します。ここの歩道には、弥生時代のイラストが埋め込まれています。

    

フレッシュマートサンパールでは、飲料水の差し入れがありました。聖(ひじり)神社は、17kコースには、入ってなく22kmのコースです。

  

コースは、伯太(はかた)町に入ります。

昨日、会場の手荷物預かり所に荷物を預けた時のことです。受付の方から「どちらから参加ですか?」と聞かれ、「博多(はかた)からです」というと、「近くですね」と言われました。

博多と和泉は、そんなに近くはないけど、「九州の博多ですよ」というと、「てっきり、和泉の伯太(はかた)と思った」と言われました。その時、初めて和泉に「伯太(はかた)」という地名があるということを知りました。

以前、しまなみ海道を歩いた時、「伯方(はかた)島」があることも知りました。ウオーキングしてなければ、同じ地名(漢字は違いますが)があることをわからなかったでしょうね。

伯太神社の御祭神は、応神天皇、伯太比古命 伯太比売命 天照皇大神、小竹祝丸 天野祝丸 熊野大神 菅原道真 天児屋根命.

伯太比売命は、伯太族で藤原不比等を養子として育てました。

  

伯太藩は、初代藩主渡辺丹後守吉綱が寛文元年(1661)に1万石の加増を受け、兄から受け継いだ武蔵国比企郡内などの3500余石と合わせて、1万3500余石を知行し大名に取りたてられたのが起こりです。

元禄11年(1698)武蔵国にあった知行地が近江国四郡に移されるとともに藩の居所は和泉国大島郡大庭寺に移り、大庭寺藩となりました。

その後、享保12年(1727)には、更に大庭寺から和泉国伯太村へ移すこととなり、伯太藩が成立しました。

和泉国伯太に移ってからは、国替えはなく、明治2年(1869)の版籍奉還を迎えました。明治4年(1871)の廃藩置県に際し、旧藩邸が伯太県庁に転用されましたが、明治19年に堺県に統合された際、

それも取り壊されました。(大阪府文化財センターより)

  

「丸笠山古墳」という石碑がありました。行ってみようかと思いましたが、石碑から遠い為、諦めました。

  

大阪市立信太山青少年野外活動センターを通過。

アレッ!和泉市内なのに大阪市立なんですか?

  

  

3回目のチェックポイントは、「郷荘神社」です。

  

創建の年代、沿革等不詳であるが、古くは郷荘大宮祇園社又は八坂大明神と称え、領主坂本氏の産土神として尊崇厚く廔々祈願のあった神社と云い伝う。 

中古は坂本郷と唱え坂本村、観音寺村、寺田村、今福村、寺門村、桑原村、黒鳥村、一条院村、今在家村、九ヶ村から郷荘大宮を郷社として崇敬した神社である。 

延喜式国定には一宮二宮三宮の総者であり、国内神名帳にも所載あり。 現今の本殿は大永年間、松の大木一樹を以て造営したと云い伝う。 天正7年巳卯7月遷宮した棟札の記録ある、

年月を経るに従い腐朽のヶ所を異質の木材にて修繕している。明治5年には村社に列格している。

明治41年10月28日旧郷荘村各村の神社を阪本八坂神社に合祀、同日郷荘神社と改称。明治42年5月5日北池田村阪本の神社を合祀し、今日に至っている。(神社御由緒より)

  

 

  

12:55 17kmゴールしました。ゴールでは、神戸のちゅうさんと合い、しばしお話をいたしました。

今日(10/18) 17km(よしもとコース)のGPSです。

このあと、着替えをし、明日福島県郡山で下関のはなまりんさんご夫妻と合流するため、新大阪駅へ直行しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


和泉弥生ロマンツーデーウオーク1日目20km(大阪府和泉市)

2015-10-23 17:22:29 | オールジャパンウオーキングカップ

10/17,18に行われた「第17回和泉弥生ロマンツーデーウォーク」に参加しました。

博多から新幹線で新大阪へ。新大阪から地下鉄で難波、難波から泉北高速鉄道に乗って「和泉中央駅」へ。

会場は、和泉中央駅のいずみアムゼ広場。

   

  

この大会それぞれのコースにスポンサーがついていて、40kは、ミズノコース、20kは、牛滝温泉コース、10kは、コストココース、2kは、マクドナルドコースと冠がついています。

私が参加したのは、20kの牛滝温泉コース。膝の痛みを抱えながらの参加です。

神戸から参加された「Saboriさん」と一緒に歩きます。Saboriさんは、昨年11月西国街道を踏破した時にゴールでお迎えしてくれました。それ以来の参加です。

9:00 太鼓の音と共にスタート。

  

3kのチェックポイントは、くすのき公園。ここでは、お茶の他にジュースも振る舞われました。

 

くすのき公園の廻りを見ていると、桜の木にプレートが付けられています。「桜の里親」。その中には、「孫誕生記念」とか、「結婚35年珊瑚婚記念」などと書かれています。

和泉市のマンホールは、水仙です。水洗に水仙とは、やはり大阪のギャグでしょうか?

和泉市は、鎌倉時代わが国で初めて水仙が栽培された土地だそうです。

    

 先へ進みます。

松尾寺にやってきました。『松尾寺』は、白鳳時代役行者が如意輪観音の像を刻んで安置したことが寺の起こりと言われています。戦国時代織田信長に敗れ諸堂宇は破却されましたが、

豊臣秀頼により再建されました。国の重要文化財に指定されている「如意輪陀羅尼経」、「孔雀経曼茶羅図」等多くの文化財が保存されています。

また、ここは、和泉市でも有数の紅葉狩りのスポットですが、肝心の紅葉は、まだまだの様ですね。パンフには11月中旬から12月上旬が見ごろだそうです。

こちらでも朱印をいただきました。

 

 

  

松尾寺を出ると、周りにはミカン畑が広がっています。和泉市は、大阪府内最大のミカンの産地だそうです。

田んぼには、稲刈りが行われていました。

  

6km地点が「コスモ中央公園」。長い階段を上るとチェックポイントです。ここでは、キャラクター入りのハンカチが配られました。

公園の中を見てみると木々が少し紅くなりつつあります。

 

  

コスモ中央公園を下ると大きな工業団地が見えてきます。住所表示には、「テクノステージ〇丁目」と書かれています。

ここは、「テクノステージ和泉」といって、1993年(平成5年)の阪和自動車道堺IC-岸和田和泉IC間開通、1995年(平成7年)の 泉北高速鉄道和泉中央駅開業を機に、和泉市では市の産業活性化のため南松尾地区 に工業団地を設置し、

本格的な企業の誘致を始めました。地域の第2のニュータウンであるトリヴェール和泉の南西に位置し、岸和田和泉ICと国道170号(大阪外環状線)に近接する。設置当初はまだ社会の認知度が低く、

進出する企業が少なかったが、トリヴェール和泉の人口増加も相まって次第に企業の進出が進み、認知度も高くなっていった。現在では多くの企業が立地し、大阪府下の郊外型工業団地としては有数の規模を誇るまでに至っています。

和泉市内はもちろん、泉大津市、忠岡町、岸和田市、高石市、堺市、河内長野市、大阪狭山市、大阪市など、市外からの通勤者も少なくない。(wikipediaより)

 

テクノステージを抜けると国道170号線(大阪外環状線)に合流します。

私、学校を卒業し研修を終え、最初の赴任地が東大阪市花園です。まだまだ駆け出しだったので商品名を覚えるため、主に倉庫内の作業が中心でした。

午後3時ごろになると地方への出荷の為、運送会社に持ち込みがあります。地図も不慣れなため、先輩に場所を教えてもらいました。その時「外環」という地名がよく出ていましたが、

それが国道170号線(大阪外環状線)だったのですね。当時は、この道路が出来たばかりで広い道路だな・・・・と思ってました。

11km地点が、道の駅「いずみ山愛の里」です。

  

ここがチェックポイント。時間を見るともう12時です。Saboriさんは、お弁当を持ってこられていましたので、私達もこの道の駅で「渋柿の葉寿司」を買いました。

柿の葉寿司というと奈良の名産とばかり思っていましたが、和泉は、柿の産地、美味しくないはずはありません。

  

 

歩いていると、旧家が多く建ち並んでいます。このあたりは、旧大津街道なのでしょうか?

 

和泉国分寺に来ました。寺院は多分建て替え中でしょうか、基礎部分だけが見えていました。

  

池田春日神社です。御祭神は、武甕槌命(たけみかづちのみこと)、経津主命(ふつぬしのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、比売大神(ひめおおかみ)。

神護景雲年間、常陸国より武甕槌命経津主命が大和国御蓋(三笠)に御遷宮の砌り近郷の民、この地に集い頓宮を造営。次いで天児屋根命、比賣大神を斎祀して春日大明神社と称し、

和泉国池田郷の鎮守として崇敬さるるに至った。」(春日神社氏子中)

武甕槌命は、大国主の国譲りの時に活躍した神様で茨城・鹿島神宮の御祭神です。藤原氏は鹿島神宮の神官。

和泉市は、その昔、藤原氏の荘園でしたのでそこからご鎮座されたのではないでしょうか?

そういえば、近くを歩いていると「藤原」という姓がよく見かけました。藤原氏の末裔でしょうか?

  

  

槇尾川沿いに歩くと阪和自動車道が見えてきます。ゴールまであと少しです。

  

13:50 20kmゴールです!

タイム的には、不満ですが、膝の痛みと戦いながら無事ゴールしました。

 

  

ゴールのあと、協賛スポンサーからグッツがもらえます。この20kmコースは、岸和田・牛滝温泉の利用券です。

このあと、宿舎の近くのスーパー銭湯で汗を流しました。風呂上がりのビールは最高ですね。

本日、20kmコースのGPSです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  


パリーグクライマックスシリーズ第1戦観戦(福岡ヤフードーム)

2015-10-15 06:34:43 | 日記

10/14からプロ野球クライマックスシリーズファイナルが始まり、これを観戦に行きました。

この日、来場者全員に「頂点まで・・・・・」のタオルが配られました。

   

パリーグ・ソフトバンクの相手は、3位から上がってきたロッテ。

ロッテは、リーグ戦終盤西武との3位争いを勝ち抜けファイナルまで勝ち上がりました。チーム状態も一番いいのではないでしょうか?

迎えうるホークスは、スタメン出場が微妙だった「ギータ(柳田)」選手が帰ってきました。

先発は、ロッテ・大嶺、ホークス・武田。武田投手は、1回を見事なピッチングで3者凡退に抑えました。

  

対する大嶺投手は、初回2本のヒットを打たれるが、主軸を抑えました。

ホークスは、2回のチャンスを併殺で逃し、流れが悪くなりました。案の定、3回には、ロッテ清田選手からタイムリーを打たれ2点先制されます。

然し、その裏柳田選手の豪快な本塁打で同点にします。

  

然し、武田投手がピリッとしません。5回1死2,3塁とするとここで千賀投手に交代。工藤監督にしては、早めの継投です。

千賀投手は、5番、6番を連続三振に取り、見事な火消し。

  

 

  

その後、両チームとも継投に入り、9回で決着がつかず、試合は、延長へ。ロッテは、この回より抑えの内投手へリレー。

  

ホークスは、上林選手の振り逃げでチャンスを掴み、1死満塁。ここでバッターは、4番内川選手。

  

内川選手は、粘りながら根性のライト前のヒット。

ソフトバンクホークス サヨナラ勝ちです!

 

  

ハラハラした試合でしたが、気分爽快なサヨナラ勝ちです。野球などのゲームは、ちょっとしたことで流れがどんどん変わります。

ホークスは、ピンチを抑えた、千賀投手、10回に振り逃げで出塁した上林選手などが影のヒーローです。

これで1勝のアドバンテージが与えられていますので2勝です。日本シリーズまであと2勝。頑張れホークス!

 

 

 

 

 

 

 

 


城下町熊本・みずあかりナイトウォーク(熊本市)

2015-10-11 19:28:24 | JR九州ウオーキング

10/10(土) JR九州ウオーキング。

まだまだ膝の状態が万全ではないため、今日は、平坦なコース、しかも"~3時ごろから出発できる「城下町熊本散策とみずあかりウォーク」にしました。

博多を14:30に出発し、熊本駅には、16:35に到着しました。今日と明日は、「熊本みずあかり」駅前でも出店があり、多くの方が来られていました。

  

コースは、白川に掛かる橋沿いに歩きます。私、熊本には、もう何十回も来ていますが、白川沿いに歩くのは、初めてです。

白川に掛かる橋は、昔からの橋が多く、散策する価値もあります。

白川橋は、昭和35年築造。

  

泰平橋は、白川橋と同じ昭和35年の築造。形も白川橋に似ていますね。橋を見ると文字が消えていますが、「汽車制・・・・・・・」と読むことができます。

この橋に汽車かなんか走っていたのでしょうか?昔は、泰平橋という電停があったそうですが・・・・・・・

  

続いては、「長六橋」です。慶長6年(1601年)にできたから「長六橋」と命名されたそうです。現在の橋は、平成2年にできたものです。

長六橋は白川に架かる橋で、河原町と迎町とを結ぶ国道3号線の橋であり熊本市内で一番交通量の多い橋です。

 橋には左右2体づつ、合計4体の裸婦像があります。明治10年の西南戦争のときは、この橋を渡り薩摩軍が進撃してきました。

 

  

私は20代の頃、熊本に約半年間住んだことがあります。熊本市街地に行くときには、この白川沿いにピンク色した屋台がありました。

地元の方から行かない方がいいと言われていましたので1回も行ってませんが、あれから約40年・・・・・・その屋台は、形が無くなっていました。

辛島公園では、熊本県内の食を集めた「大にぎわい市」が行われていました。

この地には、熊本交通センター、元県民百貨店がありますが、再開発計画があり、2018年春には、ホテルを含めた一大プロジェクトが完成するそうです。

 

みずあかり」会場に来ました。熊本の著名人により願い事を書いた竹灯籠に灯りをともしています。

 

   

道路は、歩行者道路になり、スタッフの方が一生懸命準備されています。

  

  

熊本城にかかる坪井川では、スタッフの方が川に入り、準備中です。

 

18時を過ぎ、だんだん暗くなってきました。

  

今日は、熊本城もライトアップされていますので、熊本城に行ってみます。

  

熊本城のライトアップは、初めてですが、素晴らしいですね。

  

  

暗くなってきましたので、メイン会場に行きます。

 

  

  

熊本のみずあかりは、初めてでしたが、幻想的な雰囲気が何ともいえません。大満足です。

 

 

 

 

 

 


高崎観音だるまマーチ2日目「観音様お参りコース」14km(群馬県高崎市)

2015-10-09 19:05:45 | オールジャパンウオーキングカップ

10/04 (日)今日も高崎は快晴です。エントリーは、25kmにしていましたが、私の膝の状態を考慮し14kmコースに変更しました。

edocappaさんの奥様から、14kmは、高低差があると聞かされ、一瞬ガ~ンとなりましたが、帰りの時間も考え14kmを歩くことにしました。

会場に来る前、ホテルで右足にテーピングを施し、その上にサポーターを付けての出陣です。

出発式では、昨日と変わり、金色のだるまに目入れをします。今日も札幌のSさんと一緒に歩きます。

             

   

コースは、市役所から左折します。このあたりは、昔、高崎城があった所です。

高崎城は、慶長3年(1598)、徳川家康の命を受けた箕輪城址・井伊直政によって築城されました。高崎城は、郭内だけでも5万坪を超える広大な城郭でした。

現在は、三の丸外囲の土居と堀、乾櫓、東門が残っています。武器や食料の収蔵庫で、ここから敵に矢や鉄砲を射かれたという乾櫓は、県内に現存する唯一の城郭建築です。

  

高崎城址は、現在、高崎公園です。春には、桜の名所として有名です。

  

  

橋を渡りしばらく行くと、運動公園があります。野球場では、早朝野球が行われていました。群馬県は、高校野球の盛んな所。プロ野球にもたくさんの人を輩出しています。

  

  

スタートから1時間ぐらい歩くと、坂道に差し掛かります。元来上り坂には強いのですが、膝痛の私には、一番過酷な所です。

  

視界が開けた所から前橋方面に「赤城山」が見えてきました。

赤城山というと、国定忠治ですね。

江戸後期の侠客。本名は長岡忠次郎。父は上野国(群馬県)佐位郡国定村の中農与五左衛門。17歳のとき人を殺し大前田英五郎の許に身を寄せ,博徒の親分として売り出す。

博奕を業とするが,縄張りのためには武闘を辞せず,子分を集めて私闘を繰り返した。天保5(1834)年島村伊三郎を謀殺したことから関東取締出役に追われる身となり,

以降一貫して長脇差,鉄砲などで武装し,赤城山を根城としてお上と戦い,関東通り者の典型となった。逃亡,潜伏を繰り返すうち,同7年信州の義弟兆平を殺した波羅七を討つため大戸(群馬県)の関所を破ったり,

同13年には博奕場を急襲した八州廻りの手先で二足の草鞋の三室勘助を,子分の板割浅太郎(忠治の甥)を使って殺すなど幕府のお膝元関八州の治安を脅かす不遜な存在となった。

 逃亡,潜伏を支えたのは一家の子分の力もあるが,忠治をかくまった地域民衆の支持もあった。伝承によれば,同7年の飢饉(天保の大飢饉)に私財を投じて窮民に施したり,

上州田部井村の名主西野目宇右衛門と語らい博奕のあがりで農業用水の磯沼をさらったりした。忠治は幕府にとって文武の敵となった。

嘉永3(1850)年夏,潜伏先の国定村で中気となり隣村(田部井村)の宇右衛門宅で療養中捕らえられ,江戸に送られ勘定奉行の取り調べの上,罪状が多すぎるため最も重い関所破りを適用され,磔と決まった。

磔に当たっては,刑場大戸まで威風堂々と道中行列を演技し14度まで槍を受けて衆目を驚かせた。忠治の対極にいた幕吏(代官)羽倉簡堂は『劇盗忠二小伝』(『赤城録』)を著して,凡盗にあらずして劇盗と評した。

死後の忠治は,時代が閉塞状況となるたびに国家権力と戦う民衆のヒーローとして映画や芝居などを通して甦った。墓は養寿寺(群馬県佐波郡)と善応寺(伊勢崎市)にある。(朝日日本歴史人物事典より)

カープ女子も参加されていました。残念ながら最終戦に負け、CS進出はできませんでしたが、あの審判のホームラン判定の大誤審がなければ、CS出場でした。

 

チェックポイントは、観音山ファミリーパークです。ここでもお漬物や、果物の接待がありました。

  

観音山ファミリーパークは高崎の町並みを見渡せる高台にあり、周囲を山々に囲まれた公園です。群馬県内でファミリーで楽しめる公園としても広範囲において知られており、

人気の遊具や水遊び場、バーベキュー場、各種イベントなども人気の理由の一つです。広大の敷地の中にある公園で、自然豊かで開放感にしたりながら、ゆったりとした時間を楽しむことができると思います。

園内は森のスポ・レク広場、森の芝生広場、バーベキュー広場、水と花の広場、癒しのエリアに分かれており、春には桜を楽しみ、夏には噴水広場で水遊びを楽しんでみたり、

バーベキューなども楽しむことが出来ます。(ぐんまナビより)

観音山ファミリーパークからまた、上り坂が続きます。ポールを頼りに歩いていきます。

    

2回目のチェックポイントは、染料植物園です。ここで先に行っていたSさん、家内が待っていました。

ここでもお接待がありました。

   

染料植物園は、今日は、ゼッケンを見せると入館料がサービスです。

  

先を急ぎます。歩いていると「ひびき橋」がありました。

白衣大観音と染料植物園を結ぶ橋として1998年3月に完成しました。長さ120m、幅員2m、地上28,5m。

札幌のSさんが揺らしましたが、この橋揺れません。

 

  

  

白衣大観音に着きました。

高崎市のシンボルとして、昭和11年に建立されてから高崎を見守りつづけている観音様、その白衣は、悟りを求める清らかな心を表しています。

高さ41.8メートル、重さ約6,000トンで、建設当時は東洋一の大きさを誇ったといわれます。胎内にも入ることができます。製作は、井上保三郎氏で井上氏の銅像も建っています。

  

  

ここでも御朱印をいただきました。

白衣大観音からは、下りになっています。膝痛の者には、下りが一番つらいです。ポールを使ってそろりそろりと下りて行きます。

  

下りていくと地元の小学生が歩いていました。6kmコースに参加したそうです。

  

  

12:30 ようやくゴールしました。  

ゴールでは、ぜんざい(お汁粉かな?)、梨の接待がありました。2日間の参加者は、2515人です。

  

2日目14kmのGPSです。

高低差は、結構ありましたね。

ホテルで着替え、帰りは、北陸新幹線の車両で東京に戻りました。(東京から福岡へは、飛行機)

高崎駅で買った「だるま弁当」です。

  

次回は、大阪を予定していますが、早く膝痛を治さないといけませんね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


高崎観音だるまマーチ1日目「かみつけの里見学コース」24km(群馬県高崎市)

2015-10-08 14:34:35 | オールジャパンウオーキングカップ

10/3、第23回「高崎観音だるまマーチ」に参加しました。会場は、高崎市役所前の中央公園。

高崎は、江戸時代から関東と上信越をつなぐ中継点として栄えた商業都市です。上越新幹線、北陸新幹線は高崎から分かれていきます。人口約375,000人。

  

会場には、「高崎だるま」が置かれています。高崎だるまは、約200年の伝統があり、眉毛は、鼻から口ヒゲは 縁起の良い二つの動物をお顔に表現しています。

別名「福だるま」「縁起だるま」とも呼ばれています。

会場では、先月の長岡ウオークで一緒でしたedocappaさんご夫婦も参加されていました。

  

ダルマの目入れ式が終了後、8:50ウオーキングスタート。

私達は、札幌のSさんと一緒に歩きました。ゼッケンには、それぞれ札幌、福岡と書いています。他の方が見られたら日本の北と南・・・・・面白い組み合わせでしょうね。

  

今回も私は、Dバックの後ろに「風車」を付けています。上州の空っ風に風車は、よく廻っています。

私の風車も奇抜ですが、中には、篭を背負っている方もいました。

烏川にかかる和田橋を渡ると山の上に「白衣大観音」が見えてきます。

  

コースは、烏川、碓井川分岐点から碓井川の方に歩きます。碓井川は、利根川水系で、長野県境碓井峠が源です。

碓井川沿いの乗附(のつけ)小学校では、運動会が行われていました。僕らが子供の頃運動会では赤、白でしたが、高崎の小学校では、妙義団、赤城団、榛名団と上州三山をチーム名にしています。

  

乗附緑地の先から左折すると少林寺達磨寺に入ります。

  

長い階段を上り本堂へ。膝痛を抱える私には、この階段辛いです。

  

観音山丘陵の端に位置する少林山達磨寺は黄檗宗(おうばくしゅう)という禅宗のお寺です。達磨大師の教えを受け継ぐ高崎だるま発祥の寺として有名です。

天明の飢饉の後、九代目東獄和尚(とうがくおしょう)が苦しい農民の副業になるようにと、開山心越禅師が描かれた一筆達磨像をもとに木型を彫り張子だるまの作り方を伝授しました。

境内には、古今東西各種のだるまを展示した達磨堂や、ドイツの世界的建築家ブルーノ・タウトが昭和初期に居住していた洗心亭があります。

秋の紅葉時期には赤い達磨と紅葉が見事にマッチした風景が楽しめます。

少林山の達磨は福だるまとして有名で、その眉と髭は鶴と亀を象っています。

毎年1月6・7日に「七草大祭だるま市」が開かれ、一年の福を求めて大勢の参拝客や観光客でにぎわいます。一年の間、人々の生活を見守った福だるまは、感謝のこころで奉納され、お焚き上げ供養されます。(高崎市観光協会HPより抜粋)

達磨の赤色は、達磨禅師がまとっていた赤の法衣の色を表しています。また達磨の前面に描かれている金色の模様は、袈裟を意味しています。

  

折角ですので、御朱印をいただくことにしました。お写経をしないといけないということで慣れない筆で書いてみました。

書いた後、お経をあげていただきました。

  

 

本堂の所が、チェックポイントになっています。

   

少林寺を経てしばらく行くと、24k、16kの分岐点があります。16kは、左折し「鼻高展望台」の方に、24kは、「上野一社八幡宮」へ向かいます。

  

  

上野(こうずけ)国一社八幡宮」は、元々は碓氷八幡宮と呼ばれていたと言われ、現在は「八幡の八幡さま(やわたのはちまんさま)」の通称で地元の人々を中心に親しまれています。

御祭神は、品陀和気命(ほむだわけのみこと)・息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)・玉依姫命(たまよりひめのみこと)をお祀りしています。

御神徳としては、勝運守護・開運厄除・方位除・無病息災・子育て・交通安全・家内安全・商売繁盛などなっています。(ぐんまナビより)

品陀和気命(ほむだわけのみこと)は、応神天皇、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)は、神功皇后です。

  

このころになると、私の膝が痛くなり、歩くスピードがだんだん遅くなってきました。ポールを使い何とか踏ん張って歩いています。

西部小学校に来ました。校庭では、運動会が行われています。そういえば、八幡宮近くの小学校でも運動会が行われていました。この日、高崎市の小学校は、運動会だったのですね。

福岡では、現在運動会は、5月末頃行われていますが、やはり運動会と言えば秋晴れの下で行うものだと思っています。

剣崎長瀞西古墳があります。帆立貝古墳で古墳時代の5世紀後半のものだそうです。高さ5m、最下底径30m。

 

奥州道と信玄石というのがありますが、案内板が掠れて読めなくなっています。コースは、だるま店の前を通ります。このあたり一帯だるまを製造されています。

 

 

榛名地区のマンホールです。高崎市街地のマンホールとはちょっと違いますね。これは、集落排水のマンホールです。榛名山などが描かれています。

  

前方に古墳が見えてきました。この一帯は、5世紀後半から6世紀前半にかけて築造された「保渡田古墳群」と呼ばれ、双子山古墳、八幡塚古墳、薬師塚古墳などがあります。

双子山古墳は、墳丘長108メートル、後円部径74メートル、高さ10メートル、墳丘部が三段築成で、前方部幅71メートル、高さ7メートル。周濠は馬蹄形で二重に造られており、

内濠部に後円部を囲むようにくびれ部と斜面側後方部分に中島を4基配置しています。墳丘・中島・中低部とも川原石で葺石としている。埴輪円筒列を巡らしています。

墳丘北側の中堤部分の一角から外濠西北隅の外側部分に人物埴輪・飾馬・イノシシ・イヌ・盾・蓋(きぬがさ)・家などの形象埴輪を配置した区画が見つかっています。

例年ですと、この古墳には、コスモスの花が咲いているそうですが、今年はもう終わったのかあるいは、まだ咲いていないのかコスモスの姿が見られません。

  

  

2回目のチェックポイントは、「かみつけの里」。お漬物などが振る舞われました。

  

私の膝の状態はもういっぱいいっぱいの状態。左足を庇って歩いているせいか、足にマメも出来てしまいました。患部の手入れをし再び歩き出します。

  

 

浜川公園にやってきました。19,2haの敷地に陸上競技場、体育館、弓道場、プールなを備えた運動公園です。御布呂が池は、5~6月ごろに咲く菖蒲の花が名所になっています。

 

ゴールの高崎市役所が見えてきました。足を引きづりながら最後の力を振り絞り歩きます。

 

14:50 やっとゴールしました。ゴールでは、二十世紀梨、ぜんざいが接待です。歩いた後の果物は、美味しいですね。一人2個でしたが、3個いただきました。

  

本日のGPSです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


群馬・高崎のグルメ

2015-10-07 05:54:29 | グルメ

富岡製糸場から高崎に戻り、明日(10/3)からの高崎観音だるまウオーク事前受付に行きました。

会場は、高崎市役所の前の中央公園。ここには、江戸時代高崎城があった所です。

  

 大会参加賞は、高崎だるま。12cmぐらいあります。

高崎のマンホールは、高崎祭りに使われる山車と花火です。

  

会場の前は、高崎市役所。大会の係りの方から市役所の最上階は、展望台になっていて、そこからの眺めがすばらしいと言われ、行ってみることにしました。

エレベーターを21階で降りると、そこは、360度のビュースポットです。

今日は、風が強いため、上州三山(妙義山、榛名山、赤城山)がきれいに見えます。左側には、浅間山も見えます。(写真は、合成。逆光の為、見にくいかもしれません)

そのあとホテルへチェックインし、高崎の美味しいものを食べようと高崎駅ターミナルビルに行きました。

  

駅ビルの中を廻ると「群馬の台所」という看板を見つけここに入りました。

  

ここは、峠の釜めし で有名な「おぎのや」です。1958年(昭和33年)信越本線横川駅で「釜めしの駅弁」を発売し一時は、日本一の駅弁と評されたこともあったそうです。

 

 

 

 

ビール、地酒、焼酎と飲み、〆は、やはりこれですね。「峠の釜めし」。

天ぷらとのセットを注文しました。

横川駅に行かなくても峠の釜めしがいただけました。もう大満足です。