ホテルは、堺市内にとりました。
ホテルから会場に向かう途中にこんな看板を見つけました。
歌謡曲などでよく歌われている「銀座の柳」は、堺がふるさとなんですね。堺の銀細工職人が東京に移って銀貨を鋳造した地であることから銀座と呼ぶようになり、職人たちが堺を懐かしみ堺から
柳を移植したそうです。
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和泉弥生ロマンツーデーウオーク2日目17km
昨日一緒に歩いたSaboriさんは、22kmコースに参加の為もうスタートしていました。
今日は、朝から膝痛の為、シップ薬、痛み止めを飲んでの参加です。出発式まで会場で待っていると、熊本のNさんご夫妻がおられました。
Nさんご夫妻は、今月初め高崎でご一緒し、今回和泉弥生ウオークでオールジャパン達成とのこと。おめでとうございます。
そういえば、敦賀の車さんも現在行われている山梨河口湖ウオークでオールジャパン達成だそうです。埼玉のKiyoさんは、来月の下関で達成予定。
私は、この大会をクリアして34県目。あと13県です。達成は、2年後かな???
出発式では、よしもと2700のツネさんがゲストです。ツネさんは、和泉の出身だそうです。
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9:00 キッヅのチアガールの声援を受け、スタート。
スタートには、和泉のゆるキャラ「コダイ君」「ロマンちゃん」も応援に駆けつけました。
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観音寺城跡という石碑があります。天平年間に、この地へ藤原氏が城を築き、興亡の歳月を繰り替えしながら、井上某氏に至り
廃城されたと言うから、奈良時代に建立されていたのかも知れません。南北朝の頃には北畠顕家が観音寺城に陣をとり、北軍の襲来に備えたと言われています。
またこのあたりは、「熊野街道」で摂津・和泉を経て、紀州熊野へと通じる熊野参拝の道です。旧家などが今でも建ち並んでいます。
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4km地点の西福寺が1回目のチェックポイントです。
西福寺は、鎌倉時代初期に東大寺再建に尽力し、この地で生まれたという伝説がある俊乗房重源上人が中興の開基と伝えられています。
その重源上人がこの地で雨乞いの儀式をしていた時に、本堂の隣にあった井戸でお婆さんが洗濯をしていました。雨乞いの効果がてきめんとなり、にわかに黒い雷雲が空を覆い、夕立となりました。
ゴロゴロという雷鳴と共にその井戸に雷が落ちたのですが、落ち着いていたおばあさんは、すかさず洗濯中のたらいで井戸に蓋をして雷を閉じ込めてしまいました。おばあさんは、井戸に落ちた雷に説諭し、
雷を逃がすかわりに二度とこの地に落ちないという約束をその雷から取り付けました。
その時の約束とは、ゴロゴロと雷の音がした時に「クワバラ、クワバラ」と村人たちに唱えてもらえれば、この地が桑原であることが分かるので、雷が間違って落ちることがないというものです。この約束を交わしたのちに雷は解放され、
天に戻ることができました。
この逸話がもとで、「クワバラ、クワバラ」と唱えることが雷封じの呪文となりました。今ではこの風習が全国に広まり、雷が鳴れば「クワバラ、クワバラ」と言えば雷が落ちないと、日本人なら誰もが知っているはずです。(西福寺HPより)
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西福寺の桑原町から府中町に入ります。
「泉井上神社」があります。ここには、和泉の地名のおこりとなった「和泉清水」を祀っています。
神社のパンフを見ると、井八幡神社、井戸ノ森八幡と称されることもあり、国土守護神又、殖産興業の神として御神徳を示されました。神功皇后、仲哀天皇、応神天皇の他、
神功皇后に従って朝鮮に渡った従者四十五座を加えた四十八座をおまつりしています。
特に、和泉国府内の神社であるところから和泉総社が勧請され、後に王子神社、菅原神社、式内和泉神社が合祀されました。神社名は、湧き出る泉の井戸の上におまつりされたお宮であるという所からきています。
ここでも朱印をいただきました。
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先へ急ぎます。「ロードイン和泉」という商店街にやってきました。ここでは、バナナをいただきました。
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JR和泉府中駅を通ると、泉大津市に入ります。泉大津市のマンホールは、羊は全国シュア95%を誇る毛布の町です。繊維産業都市を表現しています。
豊中の交差点には、博多ラーメンを全国展開しているお店「一〇」がありました。
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豊中交差点を右に行き、阪和第二国道(国道26号線)沿いに歩きます。途中、泉佐野市からまた和泉市に入ります。大阪府弥生文化博物館より左折。
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その先を右折すると、「池上曽根史跡公園」があります。ここが3回目のチェックポイント。
池上曽根遺跡は、弥生時代の集落遺跡で国史跡に指定されています。遺跡中心部で、約80畳の広さを持つ大型建物やクスノキを切り抜いた直径2mの井戸などが発掘されました。
大型建物の柱は、年輪年代測定から、紀元前52年の伐採と判明しました。史跡公園では、これらを復元し公開しています。(和泉市観光マップより)
弥生時代の遺跡というと、九州では、佐賀県での吉野ヶ里遺跡があります。ここも大規模な遺跡でが復元されており、一大「クニ」があったと推測されています。
九州の吉野ヶ里と和泉の池上曽根遺跡、これは、私の私感ですが、昔は、交流があったのではないでしょうか?
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国道26号線を横断します。ここの歩道には、弥生時代のイラストが埋め込まれています。
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フレッシュマートサンパールでは、飲料水の差し入れがありました。聖(ひじり)神社は、17kコースには、入ってなく22kmのコースです。
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コースは、伯太(はかた)町に入ります。
昨日、会場の手荷物預かり所に荷物を預けた時のことです。受付の方から「どちらから参加ですか?」と聞かれ、「博多(はかた)からです」というと、「近くですね」と言われました。
博多と和泉は、そんなに近くはないけど、「九州の博多ですよ」というと、「てっきり、和泉の伯太(はかた)と思った」と言われました。その時、初めて和泉に「伯太(はかた)」という地名があるということを知りました。
以前、しまなみ海道を歩いた時、「伯方(はかた)島」があることも知りました。ウオーキングしてなければ、同じ地名(漢字は違いますが)があることをわからなかったでしょうね。
伯太神社の御祭神は、応神天皇、伯太比古命 伯太比売命 天照皇大神、小竹祝丸 天野祝丸 熊野大神 菅原道真 天児屋根命.
伯太比売命は、伯太族で藤原不比等を養子として育てました。
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伯太藩は、初代藩主渡辺丹後守吉綱が寛文元年(1661)に1万石の加増を受け、兄から受け継いだ武蔵国比企郡内などの3500余石と合わせて、1万3500余石を知行し大名に取りたてられたのが起こりです。
元禄11年(1698)武蔵国にあった知行地が近江国四郡に移されるとともに藩の居所は和泉国大島郡大庭寺に移り、大庭寺藩となりました。
その後、享保12年(1727)には、更に大庭寺から和泉国伯太村へ移すこととなり、伯太藩が成立しました。
和泉国伯太に移ってからは、国替えはなく、明治2年(1869)の版籍奉還を迎えました。明治4年(1871)の廃藩置県に際し、旧藩邸が伯太県庁に転用されましたが、明治19年に堺県に統合された際、
それも取り壊されました。(大阪府文化財センターより)
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「丸笠山古墳」という石碑がありました。行ってみようかと思いましたが、石碑から遠い為、諦めました。
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大阪市立信太山青少年野外活動センターを通過。
アレッ!和泉市内なのに大阪市立なんですか?
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3回目のチェックポイントは、「郷荘神社」です。
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創建の年代、沿革等不詳であるが、古くは郷荘大宮祇園社又は八坂大明神と称え、領主坂本氏の産土神として尊崇厚く廔々祈願のあった神社と云い伝う。
中古は坂本郷と唱え坂本村、観音寺村、寺田村、今福村、寺門村、桑原村、黒鳥村、一条院村、今在家村、九ヶ村から郷荘大宮を郷社として崇敬した神社である。
延喜式国定には一宮二宮三宮の総者であり、国内神名帳にも所載あり。 現今の本殿は大永年間、松の大木一樹を以て造営したと云い伝う。 天正7年巳卯7月遷宮した棟札の記録ある、
年月を経るに従い腐朽のヶ所を異質の木材にて修繕している。明治5年には村社に列格している。
明治41年10月28日旧郷荘村各村の神社を阪本八坂神社に合祀、同日郷荘神社と改称。明治42年5月5日北池田村阪本の神社を合祀し、今日に至っている。(神社御由緒より)
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12:55 17kmゴールしました。ゴールでは、神戸のちゅうさんと合い、しばしお話をいたしました。
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今日(10/18) 17km(よしもとコース)のGPSです。
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このあと、着替えをし、明日福島県郡山で下関のはなまりんさんご夫妻と合流するため、新大阪駅へ直行しました。
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