よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

「第38回飯田やまびこマーチ1日目大平(おおだいら)宿コース22km」(長野県飯田市)

2024-04-30 18:48:12 | ウォーキング

4/27~28長野県飯田市で行われる「第38回飯田やまびこマーチ」に参加しました。

博多から新幹線で名古屋へ、名古屋から高速バスで飯田市へ。約6時間かかりました。

この大会これで4回目の参加。2020年にも参加する予定でしたが、コロナで中止になりました。

会場は、中央公園、中央公園の前はリンゴ広場になっており、リンゴの花が一斉に開いています。

 

 

 

大平(おおだいら)宿コース】

大平集落は長野県南部 飯田市と南木曾町との境界近くの山間の集落であったが、昭和45年に200年以上続いた集落を捨てて集団移住し、その村の歴史を閉じたのだった。
天龍川の流れる伊那谷と、中山道の通る木曽谷が並行している。この二つの谷の間には中央アルプスの山々が連なっているので、伊那谷と中山道を結ぶ道は極端に少なく、伊那谷南部の飯田市と中山道の南木曽妻籠を結ぶ大平街道は、唯一ともいえる峠越えの道だ。
この街道の開通は江戸時代中期の宝暦年間(1751~64)のことである。飯田藩と地元の商人山田屋新七の手によってであった。表向きの目的は山林開発のためとのことだが、実際は中山道を通る参勤交代の荷物運搬の人夫に伊那の農民を動員するための最短ルートを開くためであった。
その後大平は飯田と木曽を結ぶ大平街道の峠の宿場として発展した。幕末の戸数は37軒、旅篭2軒であった。明治38年にはこの街道が車両通行可能になり、伊那谷と木曽谷を走る二本の鉄道を結ぶ主要街道として全盛期を迎える。
明治末から大正期の大平は、林業・養蚕の最盛期とも重なり、宿場としての集落は繁栄の時代を迎え、暮らしは豊かになり、立派な構えの家も現れてきた。養蚕と豊かな林産資源で炭を焼き、標高1100mの高所に戸数75戸もの大平集落が形成された。
しかし大平の生業の中心は炭焼きで、昭和30年頃までは値もよく豊かな生活ができたが、石油エネルギー取って代られ生活の糧を失ってしまった。過疎集落になっていく大平はついに昭和45年に200年以上続いた集落を捨てて集団移住をしてしまったのである。
今この集落は僅か20数戸だが、宿場時代の姿が良く残っている。宿の建物の建築年代は江戸末期から明治期に建てられたものが殆どである。切り妻造りで、平入りの場合も妻入りの場合も、街道に面した側は出桁造り(せがい造り)になっていた。この出桁造りは中山道の木曽路から北国街道沿いなど、長野県を中心にして分布しているようだ。殆どが平屋建で中二階建もあるが、中二階は天井の低い物置として利用していたようだ。平入りと妻入りが入り混じり、屋根はかって全戸板葺石置きであったが、今は殆どその上にトタンを被せていたが、2・3戸は板葺石置きのままであった。
間取りは前土間型で道路に面して土間があり、道路に対しても、家内部に対しても広く開放されている。土間に接する床上部分が板張りになっていて、大きな「いろり」が切ってある。
今、残っている民家は宿場時代の旅篭から養蚕、林業、炭焼きで活気のあったときに建てられたもので大型の家屋が多く、山間のひなびた宿場にしては立派な構えで場違い的な建物が多い。


会場の中央公園からマイクロバスで約1時間かけて大平宿へ。

 

 

ここは、標高1150mの地点、建物は、江戸から明治にかけて建てられたものです。まさに原風景です。

 

 

 

一瞬別世界に来た感じです。

 

スタート前には、韓国ウォーキング協会会長が挨拶されました。

今から36年前、このやまびこマーチを視察され、大平街道の大自然の豊かさと奥深さを実感され、「この豊かな自然に恵まれた大平は、総合病院であり、みなさんの二本の足は、

お医者さんです」と熱く語られたそうです。今回も韓国・原州から10人が参加されています。

 

 

やまびこマーチでも以前は、ここで宿泊して下りるコースがあったそうです。

 

8:30 ウォーキング開始。気温を確認しようと携帯を見ると「圏外」の表示

 

 

未舗装の道を下っていきます。

 

途中には、こんな所もあります。

 

歩いていると空気が美味しいです。側を流れる「黒川」は、飯田市で天竜川と合流します。

 

 

  

鳩打隧道・・・・隧道の中は、真っ暗で持ってきたヘッドライトで照らします。

 

鳩打隧道の先にある「あずまや」までが、未舗装道路、ここからは舗装道に変わります。そして自由歩行。

 

 

舗装道を下っていると古傷の膝がいたくなってきた。

山道を下り一般道へ。

 

 

 

  

 

急な上り坂です。

 

  

昨年、滋賀県高島市今津を歩いた時に「ザゼンソウ」自生地の看板を見ましたが、ここにも自生地があるのですね。

 

膝が痛くなり、公園でしばし休憩。10分後再スタート。

 

 

ここから中央道高速の上を歩くのですが、この上りがきつい!高速道渡った所にある公園で再び休憩します。

 

 

飯田市中心部に入りました。ゴールまであと少しです。

14:00 無事ゴールしました。このコースアップダウンが多く少々バテました。

 

今日のGPSです。

翌日の中日新聞に飯田やまびこマーチの事が書かれていました。

 

 

 


第27回久留米つつじマーチ(福岡県久留米市)

2024-04-25 09:08:44 | ウォーキング

4/20~4/21まで福岡県久留米市で行われた「第27回久留米つつじマーチ」に参加しました。

この大会もう10回以上参加していますが、今年はスタッフとしての参加です。

私は、IVVの担当で10時集合でいいのですが、せっかくだから集合時間の前に10kmコースを歩きました。

【第一日目10kmコース】

 

7:30が40kmのスタート。それを見送り後方からスタート。

 

石橋文化センターを通り、高良川沿いに歩きます。

高良川沿いでは、毎年鳥越建設さんが個人で接待をされています。

 

分岐点を左折、正源氏公園へ

 

 

 

正源寺池から久留米競輪場へ

 

 

久留米競輪場から久留米大学御井キャンパスに向かいます。

  

久留米大学の中に初めて入りました。昔の職場の先輩が久留米大学出身でした。その先輩も今月帰らぬ人となりました。

 

高良大社の大鳥居です。

 

大鳥居の横(御井小学校内)には、薩摩街道府中宿本陣がありました。

 

御井小学校の所がチェックポイントです。ですが、早いので何も準備されていませんでした。

 

 

 

久留米そろばん踊りのモニュメントがあります。

久留米そろばん踊り(福岡県民謡) (youtube.com)

 

また、久留米には「久留米小唄」という歌もあります。久留米小唄2版 (youtube.com)

コースは筑後川沿いに歩き百年公園へ

 

ゴールが見えてきました。ちょうど10kmコースがスタートしていました。

 

何と、久留米観光大使女優の「田中麗奈さん」が応援に来られていました。

 

ゴール後、スタッフとしてIVVの担当をしました。

しばらく遠征をしていませんでしたので全国の懐かしい歩友と再開しました。

 

【久留米つつじマーチ2日目】

2日目も30kmコースの後、10kmを歩く予定でしたが、前日ふくおかウォーキング協会の会員さんからIVVが「2023年」になっている・・・と指摘を受け、

朝早くから昨日のIVV・今日の分のIVVを点検しました。

すると、全体の約2割ぐらいが「2023年」が混じっていました。

すぐ、大会本部に行きIVVを間違って配布したことをアナウンスしてもらうよう依頼します。

2023か2024かわからない人には、新しいIVVを渡し。何とか危機脱出しました。

早く気づいてホントよかったです。

2日目は雨が本降りになり、ウォーカーの方がずぶ濡れになってゴールされていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

初めての大会スタッフでしたが、大会運営には裏方の力が必要ですね。いろいろ勉強になりました。

ですが、やはりお客さんとして歩きたいです。

 

 

 

 

 

 

 


真鯛満喫ウォーク(佐賀県東松浦郡玄海町)

2024-03-19 06:50:10 | ウォーキング

3/17(日)佐賀県玄海町で行われる「真鯛満喫ウォーク」に参加しました。

仮屋漁港に車を置き、シャトルバスでスタート地点の「玄海会場温泉パレア」へ。

このウォーキング大会、真鯛の塩焼きが格安でいただけます。

  

生憎朝から小雨が降り続けています。天気予報では、昼から回復するということですが・・・・・

スタートまで時間がありますので会場周辺を散策します。

 

仮屋漁港では、「若鷲之碑」がありました。

小富士海軍航空隊と書いてます。小富士海軍航空隊というと、先月小富士梅園ウォークに行ったときに「小富士海軍航空隊跡の碑」というのがありました。

小富士で訓練してここ仮屋湾から飛び立ったのですね。

碑文を見てみると、「昭和20年まさに仮屋湾は戦雲急なる激動の海であった。第34突撃隊仮屋派遣隊は、小富士海軍航空隊より15・16歳の第16期甲類飛行予科練生179名を

もって編成、この地を兵舎として日夜本土決戦に備え特攻基地づくりに身命を賭した。機到らんとする8月15日終戦爾来半世紀、いま仮屋湾は平和を祈念し、新しい希望を象徴する

海として甦った。昭和51年から始まる仮屋総員整列は常に同期の鎮魂の祀りであった。

仮屋湾は我々の青春すべてを見つめ歴史の一頁を刻み込んだ海である。 我々はここに死に そして生きた

平成7年10月   小富士海軍航空隊  第34突撃隊  仮屋派遣隊員一同」

 

  

出発式の時間になりましたので会場に戻ります。

9:40 スタート。雨は一向に上がる気配もないのでポンチョを着てのウォーキングです。

 

ゴールの仮屋漁港駐車場を通ります。駐車場では、お土産用の鯛を炭火で焼いています。その匂いがたまらないです。

 

漁港駐車場から長い長い上り坂です。

 

スタートして約40分で浜野浦に着きました。

 

この棚田では主に「コシヒカリ」が栽培され、例年、4月中旬から田んぼの水張りが始まり、5月上旬には田植えが終わります。この間、水平線に沈む夕日が海面と水田とをオレンジ色に染め、畦道が描く幾何学的模様は私たちの目を楽しませてくれます。

確か、2011年(平成23)5月だったか、浜野浦の夕日が見たくて5日間通ったことがあります。

5日目に下記のような写真が撮れました。(2011年5月7日撮影)

 

この日の棚田には、菜の花が植えられていました。天気が良ければいい写真が撮れると思います。

この棚田は、「恋人の聖地」に認定されています。

 

 

浜野浦では、イチゴが振舞われました。

 

浜野浦の棚田からは、下り坂です。

 

 

11:05 仮屋漁港駐車場にゴールしました。

 

ゴール後、鯛めし、鯛汁、玄海町のお茶、そして玄海町のお菓子「しっとりさざえもなか」をいただきました。

注文していた鯛の塩焼きです。約40cmぐらいの大きな鯛です。割引券を利用して一尾@800です。

隣では、カキ焼きがあり試食させていただきました。身も大きく1袋買いました。(1000円)

 

温泉の割引券もありましたので玄海会場温泉パレアに行き、汗を流しました。

今日のGPSです。マップと照らすと浜野浦に行く道を間違えたようです。

 

 

 


「第29回九州国際3DM」 3日目10kmコース(熊本県八代市)

2024-03-07 19:11:16 | ウォーキング

3/1~3/3まで熊本県八代市で第29回九州国際3DMが開催されました。

私は、3日間エントリーしていたのですが、1日は、地元W協会の決算前の帳面照合、2日目は、3月例会で3日目だけの参加になりました。

早朝5時半に福岡の自宅を出て、八代に着いたのが7:30。もう30kmコースはスタートされていました。

 

受付会場には、昨年末に亡くなられた「八代亜紀」さんのポスターが展示されていました。

八代亜紀さんは、2002年からこの大会に応援として参加されていました。

 

会場には、岐阜のT夫妻も参加されていました。

8:10から20kmコースの出発式です。

 

韓国・原州から参加された方の挨拶。

 

10kmのスタートは、9:30からですが、いつものようにフライングスタートします。

 

100mぐらい進んだところが20k、10kの分岐点。

   

八代市役所には、八代亜紀さんの献花台があるということで立ち寄ります。

 

 

八代市役所から八代宮へ。

八代宮は、後醍醐天皇の皇子で、征西将軍としてこの地で足利軍と戦った懐良親王を主祭神とし、懐良親王没後に征西将軍職を継いだ良成親王を配祀する。

地元では「将軍さん」の愛称で呼ばれている。建武中興十五社の一社である。

 

 

八代宮から商店街に向かいます。

 

塩屋八幡宮

祭神は應神天皇、神功皇后、仁徳天皇、武内宿禰 公。細川忠興が関ケ原の戦いで東軍として手柄を立てて豊前國を拝領したときに、近所の宇佐八幡宮を豊前城に勧請した。

そんななか、寛永九年(1630年)、息子の忠利が肥後国を拝領・移封となったので、忠興は引退して、八代で隠棲することになった。そのときに、その御分霊を船で松江城に移そうと

しているさなか、二羽の鳩が「船江の古木のある砂場を神地にすべし」と告げたので、八幡浜としてお祀りしたようだ。

その後、正保三年(1644年)、八代城主となった松井興長が、今よりも良い場所に移しましょうと進言して、明暦元年に今の場所にご遷座したそうだ。その後、産土神として

今も尊崇を集める。

塩屋八幡宮からお祭りでんでん館へ。

 

 

3km地点が5kとの分岐点。

 

緑の回廊を歩きます。

  

水無川を通り、日置公園がチェックポイント。(本当は、おまつりでんでん館もチェックポイントでしたが、わからずスルーしました)

 

踏切を渡り、日本製紙八代工場へ。

 

日本製紙から地下道を通り八代駅の方へ。

八代駅では、肥薩オレンジ鉄道のオレンジ食堂車が入線していました。

 

  

八代駅から球磨川に向かいます。以前は、この大会球磨川河畔が会場でした。

 

白鷺橋からゴール会場へ向かいます。キャバレー白馬は、八代亜紀さんが八代時代ここで歌っていました。

 

11:30 ゴールしました。

 

この日のGPSです。

 

 

 

 


「第32回(2024年)いぶすき菜の花マーチ2日目 魚見岳コース10km」(鹿児島県指宿市)

2024-02-02 18:44:07 | ウォーキング

第32回いぶすき菜の花マーチ2日目、魚見岳コース10km。

昨日の快晴と違い今日は雨の予報。風も強くなるそうです。

ふくおかW協会のNさん、Rさんと一緒に 8:10 フライングスタート。

実は、この4人で昨日のウォーキングの後、農家の方を訪ね、スナップエンドウ・ソラマメを安く分けていただきました。

その時の殺し文句が「スナップエンドウを油炒めで食べると焼酎がうまい」とか、「ソラマメを焼いて食べると焼酎がうまい」と全部焼酎がらみです。

今日のコースは、魚見岳を登るコース。

  

魚見岳は、ハワイのダイヤモンドヘッドそっくりの、岩肌荒々しい標高215メートルの山で、指宿が「東洋のハワイ」と呼ばれるゆえんのひとつでもあります。春には約600本もの桜の名所で、

山頂まで車で行くことができます。

かつて漁師が、その山頂から錦江湾の魚群を見つけて漁に出たといわれることから「魚見岳」の名がつけられたといわれ、その眺望の良さは抜群。指宿市街地をはじめ知林ヶ島や

3月~10月の大潮・中潮の干潮時に出現する砂州、晴天時には開聞岳、遠くは桜島まで眺望できます。夜は街の夜景が一望でき、満天の星空の眺めも抜群です。(かごしまの旅より)

 

700mぐらい歩いたサンテヴィラージュ交差点が22kと10kの分岐点。22kは直進、10kは右折します。

 

このあたり、ソラマメとスナップエンドウの畑が並んでいます。また、分けてもらおうかと畑周辺を見ましたが、今日は日曜日ですので農家の方もお休みかな???

 

魚見公民館がチェックポイント。焼いたソラマメが振舞われました。

 

これから魚見岳登山です。

 

鉄塔の所が魚見岳頂上です。

 

 

与謝野寛・晶子夫妻は、昭和4年(1929)8月、指宿農林試験場を訪れています。その時に詠んだ歌かな?

 

2回目のチェックポイントは、魚見岳頂上近くの魚見岳自然公園。

 

休憩後再スタート。

 

魚見岳ビューポイント。

知林ヶ島と菜の花のコラボです。天気が良ければ絶好のロケーションでしょうね。

知林ヶ島は、鹿児島湾(錦江湾)に浮かぶ美しい無人島です。3月から10月にかけての大潮又は中潮の干潮時には、長さ約800mの砂の道(砂州)が出現し、知林ヶ島に歩いて渡ることができます。
陸と繋がる島であることから、縁結びの島とも言われ、島には周遊道路や展望台、「チリンズベル」と名づけられた鐘などが整備されています。

 

 

 

下りていると雨風が強くなってきました。傘は吹き飛ばされそうです。

 

 

指宿市東方にある『田良浜』には,かつて指宿海軍航空基地がありました。昭和18年から実際に飛行機の発着が行われ,特攻隊の出撃基地にもなりました。それらの英霊を慰霊するため,特攻隊として飛び立っていった若者が82名であったこと,敵機迎撃によって亡くなった基地隊員が100名以上であったことなどを記した「指宿海軍航空基地哀惜の碑」を遺族や旧海軍出身者でつくる指宿かもめ会が昭和46年6月8日に建立し,毎年5月27日(旧海軍記念日)には慰霊祭が執り行われています

休暇村指宿の敷地も海軍航空基地の一角でした。

 

 

指宿球場には、韓国の野球チームがキャンプ中でした。

 

帰っていると、スタートしたばかりの5kmコースリーダーに会いました。

10:40 ゴールしました!

 

10kmコースのGPSです。

この後、隣の温泉で汗を流し、約5時間かけて車で帰りました。歳をとると長距離運転が苦になってきました。

 

 

 


第2回東京ベイサイドツーデーマーチ2日目10km

2023-10-31 15:21:37 | ウォーキング

10/22(日)東京ベイサイド2DM2日目。登録は20kmでしたが、今日15時のANAで帰るので10kmに変更。

10kmコースは9:15からですが、フライングスタートします。

10kmは、潮風公園スタートして辰美の森~有明~潮風公園ゴールの約13km。

8:35スタート

昨日と同じふくおかウォーキング協会Nさんと歩きます。会場からお台場海浜公園の方に向かいます。

 

今日もスカイツリーが見えています。何と、お台場に「自由の女神像」が・・・・・

  

これは、「あうん」でしょうか?

 

有明テニスの森の信号が10k、20kの分岐点。

 

また、今日も「謎解き」。

  

水素バス

 

辰巳桜橋を渡ります。

 

今日もまた、「謎解き」。4問はわからないです。

  

 

  

 

このあたりは、昨日通った道かな?

 

 

夢の大橋を通る。橋のインターロッキングには、江戸の文化が描かれています。

  

  

船の科学館を通り潮風橋を渡る。いよいよゴールです。

 

12:00  ゴールしました。10KMは、13KMありました。

2日目の10Kコースは、あまり見どころが少なく、また、昨日通った所が多く、歩いていてあまり感激するところがありませんでした。

このあと、ニッコウお台場ホテルまで行き、空港への直行バスで羽田まで行きました。

2日間で参加者は約2000人弱かな?やはり参加料が3500円と高価の為皆さん参加を見送ったのではないかな?


第2回東京ベイサイドツーデーマーチ1日目20kmコース

2023-10-28 14:41:35 | ウォーキング

10/21~22に行われた「第2回東京ベイサイトツーデーマーチ」に参加しました。

今回は、ホテルと飛行機がセットになったプランで参加。飛行機に乗るのは、5年前(2018年)12月、長崎街道~山陽道~西国道~東海道を歩いたとき日本橋にゴールした時以来です。

大井町のホテルから会場の台場・潮風公園までバスで約20分。

   

9:00 スタート。20kは、お台場~豊洲~築地~皇居~増上寺~レインボーブリッジ~潮風公園を通るコース。

  

コース上では、東大謎解き制作集団による「謎」を解きながら歩きます。立ち止まりしばらく考えますが、全然わかりません。

 

 

 

ダイバーシティでは、ガンダム像がお迎えしてくれました。高さ約20m。これで福岡・横浜と3つのガンダムに会いました。

 

夢の大橋は、全長360m、道路幅60mの自転車・歩行者専用道です。橋の照明は、江戸火消しの纏や燈篭をデザインされています。鬼太郎の目玉おやじにも似ていますね。

  

東京ビックサイトは国際展示場です。名前は聞いたことがありますが、名の通り大きな施設です。

 

  

有明コロシアム・豊洲市場を過ぎ豊洲大橋に向かいます。向かい側にはレインボーブリッジが見えます。

  

ビルの隙間からスカイツリーが・・・

オリンピック選手村は、現在、分譲住宅・賃貸住宅として整備中です。「はるみフラッグ」という新しい街になるそうです。

  

勝鬨橋は昭和15年に国家的イベントとして計画された万国博覧会のメインゲートとして計画されました。

東京市(当時)、錢高組を主体とし、石川島造船所(現IHI)、横河橋梁製作所(現横河ブリッジ)、川崎車両(現川崎重工業)で工事を行いました。

当時は、隅田川を航行する船舶が多く、陸運よりも水運を優先させる可動橋として設計され、大型船舶の通航を可能としました。 午前9時、午前12時、午後3時の1日3回、1回につき

20分程度開いていました。さらに昭和22年12月24日には都電が開通しています。しかし、東京オリンピックが開催された昭和39年以降は、跳開回数は年間100回を

下まわるようになり、昭和45年11月29日を最後に跳開されることはなくなりました。(錢高組HP)

  

勝鬨橋開通前は、「かちどきの渡し」がありました。

 

勝鬨橋を渡ると「築地」です。このあたりでランチをと思っていましたが、どこの店も大行列です。外国人の方が多いですね。

  

人が多く、ゆっくり歩きます。

築地本願寺は、京都の本願寺(西本願寺)を本山とする浄土真宗本願寺派の寺院。1617年(元和3年)に、浅草近くに創建されたが、1657年(明暦3年)の「明暦の大火」で焼失してしまったそう。

そこで再建の地として幕府から現在の土地が与えられたが、なんとその土地は海中だった…。そのため、海を埋め立てて土地を築き上げ、本堂を建立したことが“築地”の由来になったという。

さらに、1923年(大正12年)には、関東大震災に伴う火災により、再度本堂を焼失。10年以上の歳月を経て、1934年(昭和9年)に、帝国大学(現、東京大学)名誉教授で建築家の伊東忠太博士の

設計により、古代仏教建築などを模した現在の本堂が落成した。建物内部は浄土真宗寺院の伝統的な造りと、パイプオルガンやシャンデリア、正面扉上部にあるステンドグラスなどの

西洋文化が調和した、心安らぐ空間になっている。2014年に、本堂、三門門柱、大谷石塀が国の重要文化財に指定された。(walkerpulusより)

 

弾正橋(現八幡橋)は、初代の木製の橋が架橋された江戸時代初期に、東詰に2代目南町奉行を務めた島田弾正の邸宅があったため、弾正橋と名付けられました。

 

京橋:5年前東海道を完歩したとき歩きました。ここから日本橋までは、あと少しです。

   

  

東京ベイサイトツーデーマーチは、チェックポイントもQRコードですのでマップには、休憩の場所も書いてません。

歩き始めてまだ1回も休んでませんので日比谷公園で休憩します。

  

休憩後再スタート。

  

増上寺から左折します。

 

JR浜松町駅を過ぎ、旧芝離宮へ。

  

竹芝桟橋を通りダイヤモンドブリッジへ。

  

レインボーブリッジを歩いて渡ります。

レインボーブリッジは、お台場と東京都心を結ぶ全長798m、幅49mの橋梁です。上が首都高、下が一般道そして真ん中にゆりかもめが通っています。

歩いて渡る場合、ノースルート、サウスルートのどちらかを選択しなければなりません。

また、自転車は、走行禁止ですので自転車を押し、しかも後輪に台車を付けなければなりません。

橋から下を見ると、クルーズ船、貨物船、水陸両用バスなどが航行しています。

  

 

 

約20分かけて渡ってきました。

お台場は、幕末(1853)アメリカのペリー艦隊が黒船を率いて浦賀に来航、幕府に開港を迫った時、江戸防衛の為砲台を備えた島を「台場」といいます。

現在、第三台場と第六台場の二つが残って史跡に指定されています。第三台場は、開放されていますが、第六台場は,海の中の孤島で自然のまま保存されています。

 

お台場海浜公園では、木製のラケットを使ってゲームを楽しんでいる人がいました。これは、「フレスコボール」というそうです。

フレスコボール - Wikipedia

 

14:25 ゴールしました。約5時間半かかってしまいました。

 

 

 


第21回しまなみ海道スリーデーマーチ2日目「国宝とロマンの島大三島宮浦コース」20km

2023-10-06 12:14:25 | ウォーキング

10/1(日)しまなみ海道スリーデーマーチ2日目は「国宝とロマンの大三島宮浦コース」20km(実際は、23km)でした。

前日マップを確認すると、今治港を8:20の船に乗り、宮浦港着9:50。それから歩きだして帰りのフェリーが12:00、13:00。(フェリーは所要時間1時間半)

高速船が13:00,15:50 (高速船は、所要時間50分)

今日は、自宅に帰るので遅くとも15:00には、今治に戻りたいのですが、9:50に出発してもとても13:00の船には間に合いません。

下記写真参照。一番早い12:00のフェリーに乗るには、時速12km/hで歩かなければいけません。おまけに急坂が何か所もあり、高速ウォーカーの方も無理だと思います。

結論としては、宮浦港をスタートして伯方塩業の先から大山祇神社に向かうショートカットを選択しました。

ところが、当日になって、バスの便が用意できたそうです。行きは、今治港発 8:15 で宮浦港着9:00。

帰りは、宮浦港発 13:30,14:00,15:30です。

これも口頭で聞いたのですから、スタート地点でバスの便を案内する看板、プラカードなど一切ありません。私の知人は、知らないので他のコースを選択したそうです。

9:10大三島の宮浦港に到着。

 

 

宮浦港で、帰りのバス、フェリーの時間を確認。14:00のバスに乗りたいので逆算すると時速5km/h強のスピードで歩かなければいけません。

トイレを済ませ9:20スタート。

 

 

 

今日から10月、大三島では、秋祭りが行われていました。浦戸峠に来ました。大三島は坂道が多いです。

ここまで時速6km/hで来ました。

  

ところミュージアム大三島は、平成16年春に開館した現代アートの美術館です。アメリカで活動するノエ・カッツやマリソール、トム・ウェッセルマンを始め、サン・ピエトロ寺院大聖堂の

門扉を14年かけて制作したことで世界的に知られるジャコモ・マンズー、日本の林範親、深井隆の立体作品など約30点を展示しています。(ところミュージアムHPより)

 

伊東豊雄建築ミュージアムは、ところミュージアムを寄贈した所敦夫が伊東豊雄に設置を提案したことをきっかけに設置が計画され、2011年7月30日にオープンした。施設建設費には

市の他、伊東豊雄や所敦夫などの寄付金が活用されている。

施設は伊東豊雄の作品を展示しているスティールハットと旧邸宅を再現したシルバーハットの2棟の建物で構成されている。伊東豊雄が設計した図面や建築物が展示されている他、建築物の

模型などを展示している他シルバーハットにはワークショップスペースが設けられている。両施設とも伊東豊雄が設計しており、施設自体が展示物となっている。(wikipediaより)

 

伯方(はかた)に宗方(むながた)と聞くと、福岡みたいですね。 

  

大三島憩いの家 が休憩所

大三島憩いの家は、旧宗方小学校をリノベーションし、2018年4月に宿泊施設として「大三島ふるさと憩いの家」がオープンしました。

宿泊施設にリノベーションするにあたり、かつての面影を活かし、外観は小学校の雰囲気を残し、さらに雨漏り屋根を改修し、また耐震補強も実施されました。

「ふるさと憩いの家」大きなポイントは「ながーい板張り廊下」です。昭和の学校に合った、懐かしい廊下です。

リニューアルの際、昔の面影を残すのに、最も苦労した場所なのだそうです。オープンデッキとしても使えますし、さらに2階にはイベントやワークショップなども開催できるサロンを

設けたことで、宿泊施設としてだけでなく、地元の人々が集まる場所にもなり、島の人と旅行者の新たなコミュニティの形成にもつながっています。(しまなみ海道の魅力を再発見より)

昭和が舞台の映画の撮影にもいい光景です。ここでは、酒まんじゅうが振舞われました。

岩田健母と子のミュージアムは、円筒状のコンクリート壁に覆われた、半屋外スペースに母と子をテーマにした岩田健氏の彫刻を展示しています。緑の芝生の中にはいくつものベンチが

置かれ、瀬戸内の陽光と潮風を感じながら作品と触れ合ってください。建築家・伊東豊雄氏による建築も見どころです。(せとうち美術ネットワークより)

 

 

少し休憩し、再スタート。

 

急坂に差し掛かりました。この坂、2kmぐらい続くのかな?・・・・・ 

  

トンネルを抜けると海岸線が広がります。然しそれも一瞬だけ。誘導員さんの指示に従い左折するとまたまた坂道です。

 

保健センターがチェックポイント。ここでは、神島(みしま)まんじゅうが振舞われました。神島まんじゅうは、大山祇神社の神紋入りです。

  

少しだけ休憩し再スタート。今、12:30 ゴールまであと5,5km。今の調子で歩けば14:00のバスに間に合いそうです。

チェックポイントからしばらく歩くと往路の所に合流します。来るときは感じませんでしたが、ここも坂道です。

  

 

宮浦港と大山祇神社との分岐点に来ました。ここからまっすぐ行くと約700mで宮浦港に行けますが、大山祇神社経由で宮浦港に向かうとあと2km弱です。

少し考えましたが、せっかくですので「大山祇神社」に向かいました。

 

大山祇(おおやまずみ)神社は、愛媛県の最北端、瀬戸内海のほぼ中央、大小の島々に囲まれた瀬戸内海国立公園の中心、さらには愛媛県今治市と広島県尾道市を結ぶしまなみ海道の中心、

芸予諸島最大の島である大三島に大山祇神社は鎮座しています。御祭神は大山積大神一座。天照大神の兄神に当たらせられます。古事記・日本書紀には「山の神」とあり、

伊予国風土記には「御島に坐す。神の名は大山積・・・一名を和多志の大神」とあって、山の神であると同時に、大海原の神、渡航の神とされています。
神武天皇の御東征に先駆けて四国に渡った大山積大神の子孫である小千命がこの大三島に勧請鎮祭したと云われております。天孫瓊瓊杵尊の皇妃として迎えられた木花開耶姫命の父に

当たる大山積大神は、皇室第一の外戚として、また我が国建国の大神として、全国津々浦々にその御分社が奉斎されています。(大山祇神社HPより)

他に大山祇神をお祀りしているのは、静岡県三島市の「三嶋大社」です。

 

 

今日はお祭りがあったのでしょうか?、山車が片付けられていました。

 

 

大山祇神社から参道を通り宮浦港へ。

現在13:20 。ひょっとすると13:30のバスに間に合うかもしれません!

 

13:30 宮浦港に到着。まだバスは発車してなく、何とか無事乗車することができました。

14:15 今治桟橋「はーばり」にゴール!

 

GPSを見てみると平均して時速5,5km/hで歩いています。それにしてもきつかった・・・・・・(スタート直後GPSの不調でスタート地点がずれています)

 

今治桟橋から15:00の福山行の高速バスに乗って福山駅へ。福山駅から17:08の新幹線「のぞみ」で博多へ。博多着18:30でした。

今回で5回目のしまなみスリーデーマーチでしたけど、やはり尾道コースが無くなって少し物足らなかったです。

感想を少し述べさせていただきますと、2日間の日程で10コースというのは、多すぎます。(3日間コースでしたらわかりますが)

コース上(今治市街地ですが)、矢羽根、案内看板が一つもなく、誘導員が指示していました。その誘導員にここから曲がってどこに行くかと聞いても「しらない」とのこと。

歩かせていただいているので文句は言えませんが、自分の持ち場の周辺は知ってほしかったです。

会場への交通手段が変わると(バスが増設されたとか)看板等で案内してほしかった。

会場では、案内板もプラカードもなく、どのコースがどこで受付しているのかまた、バスや船はどこで待てばいいか係の方に聞かないとわかりませんでした。

このコースはここですよと看板などで指示してほしかった。

また、コースごとに、ワッペン、名札等を用意してほしかった。そうしないと人数制限のコースに予約していない方が参加される可能性があります。

来島海峡大橋コース15kmは、1日目、2日目と2回ありますが、これは1日だけでいいのでは?

このブログの先頭で申しましたが、船で10時ごろ着いてそれから23km歩く・・・1番の船は12:00発なんて競歩の選手だったらわかりますが、一般の人では時速12km/hは、

無理です。

来年は、ツーデーになるか、スリーデーになるかわかりませんが、いずれにしてももう少し配慮があればというのが感想です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


第21回しまなみ海道スリーデーマーチ1日目来島海峡大橋コース15km(愛媛県今治市)

2023-10-03 16:18:05 | ウォーキング

9/30~10/1まで愛媛県今治市で行われた「第21回しまなみ海道スリーデーマーチ」に参加しました。

今年から毎回楽しみにしていた今治~尾道コースが無くなり、コースすべて愛媛県内で行われることになってます。また、スリーデーの名称ですが、名称はそのままで2日間コースです。

 

 

9/30(土)スリーデーマーチ1日目、私が参加したのは、来島海峡大橋コース15km。

9:25の船で今治水港へ。今治水港からウォーキング開始。

 

今治市街と向かいの大島を結ぶ来島海峡大橋は、大島側から第一大橋・第二大橋・第三大橋の3つの吊り橋が連なっています。
世界初の3連吊り橋で、全長は約4000m。

   

 

 

船を下りて約70分で来島海峡大橋を渡りました。

今治は造船の町。

このコース「矢羽根」がありません。道路には、白線で表示され、交差点の角には、誘導員が配置されています。

 

  

 

大濱接待所がチェックポイント。チェックポイントの表示がないため、通過するところでしたが、誘導員の方に呼びかけられUターンしてチェックポイントを受けました。

 

大濱八幡神社は、「越智氏」発祥の地だそうです。

『 乎致命 ( おちのみこと ) 顕彰文
 史に曰く 乎致命は饒速日命の十代目に当たり 七歳の時に応神天皇より伊予国 小市の国造に任ぜられ、ここ大濱の地に館を構え南海に武威を示し 東予地方を開拓し徳を施し 

内外に皇威を輝かされた
 命は 日本六十余州 越智氏族の祖であり その氏神として 此こ大濱の地に鎮座され 人々の崇敬を集めている 以来壱千七百余年の間に氏族は全国に広がり繁栄している
 この度 命の御姿を建てるのは 命の御神徳を称えると共に 氏族又産土の方々に神恩無窮と敬神崇祖の美風を呼び起こし報恩の日々を送って頂きたい為である。
 撰文 宮司 桧垣壮次  』

  

大浜から急坂を上り、国道317号線に向かいます。途中の池には、ホテイアオイの花が満開でした。

 

国道317号線。この道に沿って歩けばゴールにたどり着けます。地図を見ると「CVS」という記号があります。何の意味だろうと思ってましたが、コンビニの略ですね。

私みたいな年寄りには、「CVS」というよりも「コンビニ」の方が判りやすいんですが・・・・・

 

別宮大山祇神社の横には、四国霊場の「南光院」があります。

 

今治市役所あたりでマップを見ますが、この辺の地図は省略され、まして矢羽根もないのでわからないまま歩いているとガードマンの誘導員がおられ、ここから右に行くよう指示され、

右折してどういう風に行くのか聞きますが、「知らない」との一言。前には誰も歩いていないのでとにかく港を目指して歩きます。

然し、この大会、矢羽根の代わりにたくさんの誘導員が動員されています。せめて自分の持ち場周辺ぐらいは地図を把握してほしかった・・・

12:37 迷いながらどうにかゴールの今治桟橋に到着しました。距離は約13kmでした。

今治市は、23年人口10万人~20万人未満のまちランキングで第1位を獲得したそうです。2位は、同じ愛媛の西条市。

 

 

 

 

 


大阿蘇元気ウォーク1日目20kmコース(熊本県阿蘇市)

2023-09-06 19:27:17 | ウォーキング

9/2(土)は、熊本県阿蘇市で行われる「第11回大阿蘇元気ウォーク」に参加しました。

この大会コロナで中止になっており、4年ぶりの再開です。

朝4時に福岡の自宅を車で出発し、途中何回か休憩し会場の阿蘇神社駐車場に着いたのは、7時半でした。

 

今年5月から地元の協会の役員をしていて慣れるまで遠征ができない状態が続きましたが、やっと遠征ができるようになりました。

ただ、ほとんど10km程度のウォーキングでしたので20kmを歩けるかどうか不安です。

佐藤阿蘇市長の歓迎の“歌”で出発式が始まり、8:30 20kmコーススタート。

今日は、曇り空で気温も30度を切っているのか、歩きやすいコンディションです。

 

八代ウォーキング協会のMさんは、今日、20kコースのアンカーを務めるそうです。

 

 

 

 

 

振り返ると阿蘇五岳が見えています。ここから見ると「涅槃像」に似ていますね。

「阿蘇山」という山は存在せず、阿蘇五岳(杵島岳、烏帽子岳、中岳、高岳、根子岳)と外輪山を総称した名前となります。

 

 

国造神社に到着。国造神社は、熊本で古い神社の一つで、阿蘇神社の北に位置する為 「北宮」とも呼ばれる。 祭神は阿蘇の開拓神健磐龍命の第1子である速瓶玉命のほか、

雨宮媛命、高橋神、火宮神の 4神である。 速瓶玉命は父の健磐龍命とともに阿蘇の開拓につくしたといわれ、牛馬を育て、田畑に水を引き農業を起こしたと伝えられている。

このような理由から農業の神様、 五穀豊穣の神様としての信仰が厚い。境内にはこの他、大鯰の霊を祀った 「鯰宮」、「手野の大杉」、「白蛇の桧」 などがある。

 

国造神社の所が1回目のチェックポイント。ここでは、きゅうりの塩漬けや、冷やしトマトなどが振舞われました。

トマトを丸かじりするのは何年ぶりだろう? このトマト、形は悪いが、本当においしいです。

 

手野の大杉は、ここ国造神社の主祭神 速瓶玉命のお手植えの神杉として伝えられ、県下でも最大級の巨木であった。昔は「手野の神杉」「手野の二本杉(夫婦杉)」といい、2本あったというが、男杉は文政年間(1818~30)に雷火により伐採され、この女杉だけが残っていた。現在、男杉の株痕横に天保2年(1831)に植えられたという杉がある。これは男杉の古株から生じたヒコバエを植えたものといわれ。「神杉 天保二年 御郡御目附中村荘右衛門 植之」と刻んである植杉碑が建てられている。また、伐採された男杉は香りが高く、その一部を御笏の材料として仁考天皇に献上したところ、おほめの言葉を頂いたとも伝えられている。
平成3年の台風19号により地上約11m付近から主幹が折損した。そのため保存を第一として土壌改良など懸命な養生作業を行ったがやむなく枯死してしまった。残念ながら国の指定は解除となったが、地元にて「手野の大杉 保存事業期成会」を立ち上げ、折れ残った地上2.5mから7mを切断し、上屋をかけ平成14年に現在の姿となった。元国指定にふさわしく堂々とした貫禄の杉で、神の鎮まる神域を感じさせる。

国造り神社の方には、幹の部分が置かれてある。

 

下御倉古墳   国造神社南西、上御倉古墳の南東20mほどにある墳丘直径30m・高さ4.5mの円墳です。隣にある上御倉古墳と同様の複室構造で、奥行8.7mの横穴式石室を持ちますが、残念ながら石室は土砂に埋もれてしまっています。被葬者は速瓶玉命(はやみかたまのみこと)の妃、雨宮媛命(あまみやひめのみこと)との伝承があります。

 

 

草泊り  昔の人たちは、離れた場所の農作業や放牧をする期間、この草泊りを作り寝泊りしていたそうです。

 

 

 

田園地帯を歩く。春牧中学校跡は、昭和23年(1948)発足、昭和47年(1971)人口減少により廃校となりました。

  

JA小野田選果場がエイドステーション。横には湧水があり、手を入れると冷たく気持ちがいいです。

 

町の至る所に湧水があります。

 

 

約15km地点の「道の駅阿蘇」が2回目のチェックポイント。

 

阿蘇の牛乳が出されたが、牛乳が苦手の私は、道の駅に行ってソフトクリームを買ってきました。

 

阿蘇駅前の信号を直進します。

 

民家の庭には、珍しい花が咲いていました。

 

萩の花ももう咲いています。

 

旧黒川村には、詩人蔵原伸二郎の生誕地がありました。(現在も蔵原さんがお住まいでした)伸二郎の母親は、医学者北里柴三郎の妹さんです。

蔵原伸二郎は、本名を惟賢と言い、明治32年旧黒川村西町に生まれた。7歳の時熊本市へ移り、大正7年上京、美術を志したが、父の反対で慶応大学に入学した。在学中から詩や小説を書き同人誌などで活躍しました。
 詩集「東洋の満月」や「暦日の鬼」などがあるが、昭和39年に出版した「岩魚」で読売文学賞を受賞しました。
 40年3月埼玉県飯能市で死去、65歳だった。飯能市には市の観光協会の手で大きな詩碑が建てられています。
 西町の生家跡に残っている詩碑は、昭和59年7七月、阿蘇郷土の会(会長永田珠一)によって建てられました。

故郷の山
わが故郷は荒涼たるかな累々として火山岩のみ黒く光り高原の陽は肌寒くして山間の小駅に人影もなし祖先の墓に参らんとひとり風はやき荒野をゆくこれぞこれわが誕生の黒川村か重なり重なり波うち怒れる丘陵ああ黒一點鳥の低く飛び去るあたり噴煙たかく大阿蘇山は神さびにけり

 

阿蘇神社の鳥居が見えてきました。阿蘇神社の楼門も地震で被害を受けていましたが、工事も終盤に入っているようです。

 

13:00 阿蘇神社駐車場にゴールしました。

  

ゴールすると冷やしトマト、かき氷のサービスがありました。曇り空でしたけどしっかり汗をかきました。

今日のGPSです。