よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2017年10月オールジャパンカップ達成。





熊本城の桜

2015-03-31 07:28:39 | デジブック

3月21日に全国で最初に桜の開花宣言が出された「熊本城の桜」。

ここ2~3日の陽気で散ってしまうのでは、ないかと思い、3/30 青春18きっぷで熊本城に行ってきました。

  

瀬戸口門から入ります。天守閣までの通路にも桜が。なんだかウキウキしますね。所々桜が散りかけています。

  

  

  

お城と桜 よく似合いますね。

   

桜見学には、外国の方も多数見かけました。

  

清正公も花見かな?

   

  

しっかり2時間お花見を楽しんできました。お昼は、下通りのホテルでランチ。

  

帰りは、普通電車を2時間かけて博多へ。人ごみに疲れました。

熊本城の桜は、満開です」をデジブックで公開しています。こちらです。↓ 

http://www.digibook.net/d/e0d5837f811ba25937a84502cca19a1a/?viewerMode=fullWindow 

 

 

 

 

 

 

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デジブック 『うきは、日田の桜』

2015-03-29 22:39:08 | デジブック

3/28 JR九州ウオーキングで福岡県うきは市、大分県日田市に行ってきました。

うきは市では、百年公園で桜祭りが開催されていました。

うきは市の桜名所「流川桜並木」では、沢山の桜見学の方が訪れていました。

この分をデジブックにしました。

こちらです。↓

 

デジブック 『うきは、日田の桜』

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第5回唐津・虹の松原ツーデーウオーク2日目20km「鏡山と虹の松原をたずねる道」(佐賀県唐津市)

2015-03-25 05:30:57 | オールジャパンウオーキングカップ

3/22(日) 佐賀県唐津市で行われた『第5回唐津・虹の松原ツーデーウオーク2日目』(鏡山と虹の松原をたずねる道20km)に参加しました。

    

私、この大会4年ぶりの参加です。今日、北部九州は、PM2.5と黄砂の影響で視界が悪く霞んでいます。

8:30 スタート。最初は、「鏡山」を登るコースです。鏡山は、中学校の遠足の時に行きましたから、もう〇〇年ぶりでしょうか?

  

 鏡山は、鏡山の名前は、標高284m。山頂の展望台からは、高島、加部島などの島々が見渡せ、天気のいい日には、壱岐も見ることができます。

福岡や佐賀の方のドライブコースにもなっています。鏡山の名称は、神功皇后が山頂に鏡を祀ったことに由来するといわれています。また、松浦佐用姫(まつらさよひめ)が山頂から大伴狭手彦の船を見送ったという伝説の地であり、

佐用姫が袖につけていた領巾(ひれ)を振りながら見送ったということから、領巾振山(ひれふりやま)の別名でも呼ばれています。

私が子供のころは、佐用姫伝説の方が印象に残っています。

鏡山へは、車道を通って登った記憶があるのですが、今回は、登山道です。これでしたら車の心配がなく安心して登れます。

   

休み休み登り、約30分後山頂に到着。山頂が1回目のチェックポイントになっています。

    

山頂には、松浦佐用姫の像があります。

松浦佐用姫は、唐津市厳木の豪族の娘。新羅に出征するためこの地を訪れた大伴狭手彦と佐用姫は恋仲となったが、ついに出征のため別れる日が訪れた。

佐用姫は鏡山の頂上から領巾(ひれ)を振りながら舟を見送っていたが、別離に耐えられなくなり舟を追って呼子まで行き、加部島で七日七晩泣きはらした末に石になってしまった、という言い伝えがある。

佐用姫の像は、玄界灘方向を向いており、鏡山山頂は、虹の松原や高島、加部島など見晴らせるビューポイントです。

残念ながら今日は、PM2,5、黄砂の影響で視界が悪く霞んでいます。

  

鏡山を下りていきます。さよひめ橋を渡ると公園になっています。この公園には桜、つつじが植えられていますが、まだ開花は先。代わりに彼岸桜が満開です。

  

  

 鏡山神社は、神功皇后が三韓征伐の折、戦勝祈願したことにより、創建されました。

佐用姫神社は、地元の有志によって建てられました。

  

下りは、野田温泉の方に行きます。旧浜玉町に入ります。この浜玉町も昔は、浜崎町と玉島町が合併して出来た町でしたが、平成の大合併で「唐津市」になりました。

まだ、、浜玉町のマンホールが残っています。(鏡山と虹の松原がデザイン)

   

第2回目のチェックポイントは、野田温泉です。隣には、日帰り温泉施設があります。10年ぐらい前は、ここに「水」を汲みに来ていました。

  

チェックポイントでは、暖かいしょうが湯が振る舞われました。

  

    

コースは、日本三大松原の一つ、「虹の松原」に入ります。虹の松原は、国の特別名勝にも指定されています。       ※日本三大松原・・・・・三保の松原、気比の松原、虹の松原

17世紀のはじめ、唐津藩の藩主である寺沢広高が新田開発の一環として、防風林、防砂林として植樹を行った。藩の庇護の下、禁伐の掟(伐採は死罪)はもちろんのこと、

燃料としての落葉の採取も厳しい制限が課せられていた。また、藩主の改易者や移封により主家が変わっても手厚く管理された。

寺沢広高は、この中に自分が愛してやまない松が7本だけあると言ったというが、どの松と指定されてはいない。これは住民に「もし自分が粗末にした松がその7本のどれかだったら」と思わせることで、

全ての松を大事にせざるを得ないように、心理的に圧力をかけたものといわれている。 

この松原は、その区域の長さから、藩政時代は「二里松原」と呼ばれていた。明治時代に呼ばれるようになった「虹の松原」の語源とも言われているが、呼称が変わった理由などは知られていない。

1771年には、当時天領となっていたことから、農民の反乱である「松原寄り(虹の松原一揆)」の舞台ともなっている。(wikipediaより)

      

虹の松原は、唐津街道(旧国道202号)に面しています。ここを歩くと両側に松が覆い、ドライブしているととてもいい気分になれますが、歩くと車道が狭く、おまけに歩道もありませんので非常に危険です。

ここは、いったん浜崎海岸へ出ます。

   

松林というと、すぐ「松露(しょうろ)」が思い浮かびます。私も子供のころは、5月ごろでしたか、近くの松林でこの「松露」を掘っていました。

独特の香りで、お吸い物にするととても美味しかったです。その松露が近年採ることができなくなってきています。その原因として挙げられるのが、昭和30年代までは、家庭の燃料として松葉や松ぼっくりなどが

使われ、松林は、いつもきれいでした。然し、ガスコンロや炊飯器の普及など生活様式の変化で人々は、松葉や松ぼっくりをとらなくなりました。

松葉が放置されると土壌が、富栄養化し、草木類や広葉樹が侵入しやすくなってきます。

そこで、唐津の方は、ボランティアで「虹の松原再生、保全活動」として、定期的に松葉かき、下刈、除草などを行っています。

そのせいか、今では、時々「松露」も採れるようになったそうです。

  

コースは、唐津シーサイドホテルから松浦川沿いに歩きます。今日は、黄砂などの影響で唐津のシンボル「唐津城」もぼんやり霞んでいます。

12:55 松浦川運動広場にゴールしました。ゴールでは、唐津のゆるキャラ「さよひめちゃん」「かんねどん」が迎えてくれました。

  

今日のコースは、20kmではなく、22kmもあったそうです。

   

ゴールの後のお楽しみは、食事、温泉・・・・・・・

  

今日のGPSです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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龍馬ハネムーンウオークin霧島 犬飼・中津川コース23,5km【鹿児島県霧島市】

2015-03-23 20:15:24 | オールジャパンウオーキングカップ

霧島市は、1866年(慶応2年)3月、坂本龍馬とお龍が日本で最初の新婚旅行に訪れた所です。龍馬が辿った経路は、龍馬ハネムーンロードとして美しい日本の歩きたくなる道500選に選ばれています。

2015,3,21 鹿児島県霧島市で行われた「第19回龍馬ハネムーンin霧島」に参加しました。

私たちが参加したのは、「犬飼・中津川コース23.5km」でハネムーンウオークの中でも過酷なコースです。4年前にもこのコースを歩きました。

昨年、せっかく登山で「高千穂峰」に登りました。その感想文を書いて出したのが、大会誌に記載されていました。

    

この大会、一年以内に結婚され、参加された「新婚さん」が紹介されます。このコースでは、2組の新婚さんが紹介されました。

  

出発前の準備体操では、「薩摩弁」のラジオ体操です。参加者一同笑いながら体操しました。2年前仙台の大会に参加しましたが、この時は、東北弁のラジオ体操でした。

各地の方言を使った体操は、面白いですね。

9:30 犬飼・中津川コース出発。掛け声は鹿児島弁で「いっど~」。

   

霧島の方は、花を育む方が多いです。歩いているといろんな花が迎えてくれます。歌にもありますね。 花は霧島・・・・・・・

「イワツツジ」は、今が、一番の見ごろです。

   

約1時間ぐらい歩いた所に「横瀬の田の神」があります。江戸時代農民が神にすがって農作物の豊作を祈るために造られました。南九州独特のものです。

また、ここが最初のチェックポイントです。チェックを受けると「お・も・て・な・し」が待っています。この大会、おもてなしがよく、ウオーカーの楽しみの一つでもあります。

  

お接待に感激しながら先へ進みます。お花は、いろんな所に咲いています。

  

    

「黒文字」は、爪楊枝に使われるそうです。コースは、石橋を渡り、杉林の間を歩いていきます。

  

第2チェックポイントは、「塚原台地」。ここから天気がいい日には、霧島連山が見渡せるのですが、あいにくこの日は、雲がかかっており、あまり視界が良くありませんでした。

塚原台地では、「霧島茶」の接待がありました。お茶で作った「ダックワーズ」もおいしかったです。

  

塚原台地には、日本一のお茶の木があります。

  

塚原台地を下りていくと、中津川町です。ここでも民家のお庭には、きれいな花が咲いていました。

  

町を抜け、中津川の方に歩きます。川の水が、コバルトブルーで透き通っています。

  

   

中津川を下りてくると、桜の花が満開です。この桜は、エドヒガン桜で自生南限地として国の指定天然記念物になっています。

この先が、「犬飼滝展望台」。4年前歩いた時は、雨で滝もモヤっていて見えませんでしたが、今日ははっきり見ることができます。

第3チェックポイントが、「和気神社」。

奈良時代の官僚、和気清麻呂は、769年、時の権勢「道鏡」の意にそぐわなっかった為、この地に流されてきました。龍馬が手紙の中で「和気公いおりを結びしところ」と書いた地です。

時間は、12:30.ここでは、昼食時ということで、豚汁、鳥のバーベキュー、霧島茶のサービスがありました。また、 花は、霧島  タバコは国分・・・・・ということで、

国分たばこ税連絡会から、携帯灰皿、ライターを配布されていました。

     

  

あと残り10km余り・・・・・お腹も一杯になり、先に進みます。

途中、82歳のウオーカーの方と会いました。特徴ある法被を着られ話を聞くと、今まで参加したマラソン大会のゼッケンで作られていました。

   

最後のチェックポイントは、「伊邪那岐神社」です。ここでは、甘酒と自家製のお漬物の接待がありました。

  

中津川小学校に近づきました。子供たちから手作りの本のしおりをいただきました。こんなに子供たちから歓迎受けると目頭が熱くなってきます。

   

子供たちに誘われ、体育館の中へ。ここで子供たちによる「棒踊り」が披露されました。

中津川小学校では、運動会とこの龍馬ハネムーンウオークに披露しているそうです。一生懸命踊っている姿を見ると、また熱くなってきました。

踊りが終わると皆一列になって私達を見送ってくれます。  尚、中津川小学校は、元大関「霧島関」の母校です。

   

  

横瀬の田の神に来ました。ここからスタートした道を戻って行きます。長い上り坂が待っています。あと5,2km。

この上り坂、結構きついです。途中、地元のボランティアの方から、みかんとお水のお接待を受けました。本当にありがたかったです。

  

14:50 ようやくゴール

係りの方に近くに温泉はないか聞きましたら、隣に「国民休暇村」の温泉があると教えていただきました。200円です。(シャンプー、ボディソープは別売り)

歩いた後の温泉は、最高ですね。疲れが一遍で吹っ飛びます。

  

本日のウオーキングは、地元の方の温かい「お・も・て・な・し」に感激の連続でした。

こんなに歓迎してくれるとまた来年も歩きたくなります。

今日のこのコース、590人が参加されたそうです。詳細は、

3/21   A、霧島温泉コース       10km   1220人

       B、犬飼・中津川コース     23,5km  590人

3/22   C、花は霧島菜の花コース   11km  1130人 

      D、隼人・天降川コース     18km    520人

      2日間合計                    3460人

また、このウオーキングを地元のテレビ局「MBC南日本放送」が3/26 午後4時からの「4時です」で放映するそうです。風車をつけて歩いているのが私です。(笑)

今日のGPSです。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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第14回阿波えらいやっちゃツーデーウオーク2日目30km(徳島県鳴門市)

2015-03-18 20:09:56 | オールジャパンウオーキングカップ

 

阿波えらいやっちゃツーデーウオーク2日目 30km 「撫養街道とレンコン畑と梨畑が楽しめるみち」

天気予報では、昼過ぎから雨ということでしたが、もう朝からポツリポツリと雨が落ちています。レインコートをリュックに入れ会場に向かいます。

参加者は、昨日並みの120~30人ぐらいでしょうか、昨日に引き続き「阿波踊り体操」でスタートします。

  

コースは、国道28号線の淡路街道を歩きます。淡路街道は、徳島城鷺の門から商業港として栄えていた撫養(むや)岡崎渡しに至る4里(16km)に及ぶ街道で、岡崎からは、船で淡路国福良に到着しました。

斉田の信号の先から旧吉野川沿いに歩きます。ここは、撫養(むや)街道と呼ばれている街道です。律令時代、四国の玄関口は、徳島でした。江戸に入ると蜂須賀家政により、阿波五街道が整備されました。

その一つが撫養街道です。吉野川の北側を通るので川北街道とも呼ばれました。撫養町岡崎から吉野川の北岸を西走して池田町の州津渡しで伊予街道に変わるまでの約67kmです。

堤防には、地元の方がお花(芝桜?)を植えられていました。

    

撫養街道に入ると雨が降ってきました。民家の軒先をお借りしてレインコートを着ます。

歩いていると右側に「長谷寺(ちょうこくじ)」があります。寺の歴史は、文明12(1480)年、船戸左衛門尉が大和の長谷寺から本尊を勧請したことに始まりです。
慶長三年(1598)、徳島藩主蜂須賀家政により駅路寺の指定を受け、隆盛を迎えました。

1時間ぐらい歩いたところが20k、30kの分岐点です。20kは、いわし山の方へ、30kは霊山寺の方に向かいます。

分岐点を過ぎた頃から、ウオーカーの人数が減りました。皆さん20kの方へ行かれたのでしょうか?

  

右側に「大谷焼」の案内板が建っています。

江戸時代後期、安永9年(1780年)に、四国八十八カ所霊場の巡礼に来た豊後の国(大分県)の焼き物細工師・文右衛門が、ここ大谷村において、蟹ヶ谷の赤土で作ったのが大谷焼の起源と伝えられています。

そのころ徳島は、「藍」の一大産地でした。藍玉(藍の塊)を入れて、発酵を促し染液にするための巨大な甕(かめ)は、藍甕用として盛んに焼かれてきました。
水甕、睡蓮鉢など大物陶器の生産を開始したことが大谷焼の始まりだといわれています。

   

更に先へ進むと、歴史のあるお酒屋があります。「松浦酒造」。銘柄は、「鳴門鯛」。鳴門の鯛で地酒を飲む・・・・・酒飲みにはたまらないでしょうね。

この酒屋さんの隣には、これも歴史のあるお醤油屋さん「福寿醤油」があります。こちらも当主の方は、松浦さん。元寇の時に活躍した「松浦党」のルーツにあたるそうです。

「桃太郎醤油」というのもありましたが、調べてみましたがわかりませんでした。いずれにしろ、このあたりは、お水がおいしいのでしょうね。

  

阿波神社」があります。承久の乱で承久3年(1221)、土佐の国に遷幸され、更に貞応2年(1223)再び遷幸。寛喜3年(1231)この地で崩御された「土御門天皇」をお祀りしています。

   

10:15 四国八十八箇所の一番霊場「霊山(りょうせん)寺」にやってきました。13日(金)に、お参りしましたので、ここは、スルーします。

金曜日は、参拝の方は、少なかったのですが、今日は、日曜日、観光バスから吐き出された参拝客で境内は、賑わいをみせています。

  

霊山寺の横を通り、「大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)」に向かいます。大鳥居を潜ると、長い参道が続きます。

  

大麻比古神社の御祭神は、大麻比古大神、猿田彦大神です。阿波国の一之宮です。通称「大麻さん」。

大麻比古神は、天太玉命(あめのふとだまのみこと)のこととされています。天太玉命の子孫の天富命(あまのとみのみこと)が阿波忌部氏の祖を率いて阿波国に移り住み、麻楮の種を播殖するなどして、

この地を開拓。祖神の天太玉命(大麻比古神)を阿波国の守護神として祀ったのが始まりとされています。後に古くから大麻山に祀られていた「猿田彦大神」が合祀されました。

狛犬の姿が独特です。「うん」の狛犬の下には、人間?でしょうか、それが描かれています。

  

  

  

大麻比古神社が折り返し地点です。境内の脇道を抜けると「ドイツ館」です。ここが第一チェックポイント。10:50着。

  

お腹も減ってきましたので、道の駅「第九の里」に入ります。私は、チラシずし、家内は、ドイツパンを購入しました。

この物産館の建物は、第一次世界大戦時に建てられ、国登録有形文化財に指定されている。旧板東俘虜収容所の兵舎の一部を移築したものです。

    

道の駅敷地近くには、「賀川豊彦記念館」があります。鳴門市で小、青年期を過ごした賀川豊彦は、大正デモクラシーの先頭に立ち日本の民主化に大きく貢献しました。

生涯に渡り「友愛・互助・平和」の精神を提唱し続け、ノーベル平和・文学賞の候補にもなりました。

記念館の先には、高速道路をまたぐ階段が待っています。この階段少し急。手すりを使いながら登って行きます。高速道の跨線橋を渡ると、下りがまた急な階段です。

 

  

何とか無事に渡ることができました。私の足のふくらはぎは、疲れからか、少し痛くなりました。あと半分。

池の前に第一次世界大戦で日本での捕虜生活で亡くなった方の慰霊碑が建っています。ここ坂東には、「東俘虜(ふりょ)収容所」があったそうです。

第一次世界大戦中の1917年、鳴門市板東にあった「板東俘虜収容所」に中国青島で捕虜となったドイツ兵士約1000人が送られてきました。所長を務めていた「松江豊寿」はじめ、所員は、捕虜たちの

人権を尊重して人道的で寛容な心で接しました。板東俘虜収容所は、多数の運動施設、酪農場を含む農園、ウイスキー蒸留生成工場も有し、農園では野菜を栽培。また捕虜の多くが志願兵となった元民間人で、

彼らの職業は家具職人や時計職人、楽器職人、写真家、印刷工、製本工、鍛冶屋、床屋、靴職人、仕立屋、肉屋、パン屋など様々でした。彼らは自らの技術を生かし製作した“作品”を近隣住民に販売するなど経済活動も行い

ヨーロッパの優れた手工業や芸術活動を披露しました。また、建築の知識を生かして捕虜らが建てた小さな橋(ドイツ橋)は、今でも現地に保存されている(現在では保存のため通行は不可)。文化活動も盛んで、

同収容所内のオーケストラは高い評価を受けた。今日でも日本で大晦日に決まって演奏される、ベートーヴェンの交響曲第9番が日本で初めて全曲演奏されたのも、板東収容所です。

このエピソードは「バルトの楽園」として2006年映画化されました。(wikipediaより)

松江はドイツ人の俘虜達に人道に基づいた待遇で彼らに接し、可能な限り自由な様々な活動を許しました。賊軍としての悲哀を味わった会津藩士の子弟に生まれた体験が、大きく彼の良心的な人格形成に影響したといわれています。

「第九」のふるさとである鳴門市では、6月1日を「第九」の日と定め、毎年6月の第一日曜日に演奏会を開催しているそうです。

また、このような人道的に対応したことから、赤十字ゆかりのモニュメントが2011年に設置されました。

※捕虜と俘虜・・・・・同じ意味ですが、第二次世界大戦以前は、「俘虜」と呼ばれていました。また、捕まった時点では、「捕虜」、収容されてからは、「俘虜」と呼ばれる場合もあります。

   

  

収容所跡をまっすぐ歩くと、第二番霊場「極楽寺」に着きます。一番霊場を廻った団体の巡礼の方が極楽寺を目指して歩かれています。

このお寺も巡礼の方が多いです。境内にある「長命杉」は、弘法大師お手植えの杉です。ここでも御朱印をいただきました。

  

  

極楽寺を出た後は、田園地帯を歩きます。雨は、小雨ですが、段々寒くなってきました。今日の予報は、15℃ぐらいまで上がるそうですが、体感として8°ぐらいかな?

ウオーカーの方は、どこに行ったのか、先の方を見ても誰もいません。コースが間違っているのかな?と思ったりしますが、「矢旗」の通りに歩いていますので、そんなはずはありません。

このころから、家内の体調が悪そうです。しばし立ち止まって様子をみますが、きつそうです。次のチェックポイントまであと2~3kmぐらい。私のふくらはぎも平坦な道はいいのですが、坂道、階段になると

痛さが増してきます。スローペースで歩き、ようやく第二のチェックポイント「福泉寺」にやってきました。ゴールまであと10kmぐらいです。

家内は、苦しそうですので、ここで家内に「棄権」を勧めます。係りの方に、その旨を伝えました。(30分ぐらいでお迎えの車が来たそうです)

私も、ここでふくらはぎにエアーサロンパスをスプレーし、レインコートのズボンを履きます。

これからは、私の一人旅です。

  

雨は時々強く降ったりします。前方を見ても本当に誰もいません。皆さんもうゴールされているのかな?

レンコン畑を通り、まっすぐな道を歩きます。道路の横には、不法投棄のゴミが散らかっています。鳴門市は、ごみの分別が厳しいと昨日聞きました。

「どうしてこんな不法投棄するのだろうか?」一人旅で話す相手もいなく、独り言のようにつぶやきます。

  

   

14:35 ようやくゴール  疲れました・・・・・・もう歩けません。

家内は、チェックポイントから車で会場まで送っていただいたそうです。

係りの皆さん有難うございました。今、家内は、超元気です。

3日間の徳島でしたが、阿波人形浄瑠璃などまだまだ行きたいところがあります。また、行ってみたいな~

これでオールジャパン四国4県完歩しました。あとは、東の方ばかりです。

本日のGPS

グーグルアース

 ※2日間の参加者は、約600人ぐらいだったそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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第14回阿波えらいやっちゃツーデーウオーク1日目30km(徳島県鳴門市)

2015-03-17 17:12:16 | オールジャパンウオーキングカップ

3/14,15徳島県鳴門市で行われた「第14回阿波えらいやっちゃツーデーウオーク」に参加しました。私が参加したのは、「渦潮と島田島・小鳴門海峡の景観が楽しめる道」30kmコース。

天気予報では、夕方から崩れるとのことでしたが、小さい雨が降ってきました。JR九州ウオーキングでしたら、雨の日ポイントをもらえるのですが・・・・(笑)

駅から、会場の鳴門市民会館に向け歩いていると、7:00スタートの40kmコースの方とすれ違いました。その中に、ブログ友達の「ちゅうさん」発見。声を掛けると手を振ってくれました。

受付を済ませ、7:30から出発式。準備体操は、「阿波おどり体操」です。昨日、阿波踊り会館で踊りの仕方を教えていただきましたが、どうもうまく踊れません。

私、今回「風車」で鳴門初登場です  渦潮をイメージしてつけてきました。そのせいか、いろんな方に声を掛けていただけます。一躍スター気分

8:00スタート。参加者は、120~30人ぐらいでしょうか?

    

鳴門は、大塚グループの発祥の地。大正10年(1921)に大塚製薬工業が創立しました。塩田残渣(にがり)から炭酸マグネシウムを作る原料メーカーとしてスタートしました。

当時、瀬戸内海沿岸では、塩業が盛んだったそうです。

   

コースは、小鳴門大橋を渡り、高島に向かいます。橋に行くための長い階段は、きつく何回か休みながら登って行きます。

橋を渡ると、「鳴門ウチノ海総合公園」が見えてきます。鳴門渦潮のイメージと対照を成す穏やかな内海であるウチノ海を間近に望む景観豊かな公園です。

島の中には、鳴門教育大学があり、ウオーキング中、部活中の学生さんから温かい声援を受けました。小さな橋を渡ると「大毛島」です。

  

ウチノ海は、穏やかな海です。地図をみると、内海になっており、これが変じて「ウチノ海」になったのでしょうか?

海岸沿いでは、今が旬でしょうか、「鳴門ワカメ」の収穫作業が行われています。ふと、皆さんが立ち止まるので見てみると、採れたばかりの「鳴門ワカメ」のしゃぶしゃぶがサービスで振る舞われていました。

ワカメは、私の住んでいる福岡でも養殖していますが、この鳴門ワカメ、柔らかく、本当においしいです。お土産に是非買って帰りたい。

  

網干海岸にやってきました。ホテルの前には、「大鳴門鯛」と大きく書かれたトラックが停まっています。

鳴門は、渦潮でもまれた「鳴門鯛」も有名です。居酒屋さんのおかみさんが言われていましたが、鳴門鯛は、釣りあげた時、眼の上に独特のアイシャドウみたいな青や紫の模様が入るそうです。

渦潮を見ながら、鳴門鯛の生き造りを食べてみたいな~

  

網干の休憩所に着きました。ここには、伍代夏子さんが歌われた「鳴門海峡」の歌碑があります。横のボタンを押すとこの歌が流れるということで、押してみました。

大音響でこの歌が流れ始めました。

ここで私の右足に違和感が・・・・・・どうもマメができたみたいです。靴下を脱ぎ、救急絆創膏を貼り、その上からテーピングしました。

  

歩いていると左側に歌舞伎座みたいな建物が見えます。ここが大塚グループの保養所「潮騒荘」です。一般の人には、開放されていないようです。(確かではありません)

コースは、鳴門公園・渦の道に入ります。足のマメの痛さをこらえながらゆっくりゆっくり登って行きます。眼下には、大塚国際美術館があります。

登りきった所がチェックポイント。約15km地点。時間は10:50。

  

   

鳴門海峡といえば、「渦潮」です。

鳴門海峡は、本州と四国の間にある瀬戸内海と太平洋とを結ぶ海峡の一つで、幅が約1.3km。潮汐により1日に2回、大量の海水が瀬戸内海に流れ込み、また同様に1日に2回瀬戸内海から流れ出す。瀬戸内海と太平洋の水位差は最高で1.5mにも及ぶ。海峡の幅が狭いことに加え、海底の複雑な地形も影響し、潮流は13 - 15km/hの速度で流れる。大潮の時には20km/hに達することもある。この潮流の速度は日本で一番速く、「世界三大潮流」にも数えられることもある。

この早い潮流と、海峡両岸に近い穏やかな流れの境目において、渦が発生する。(wikipediaより)

春、秋の大潮の時は、渦の直径が最大約30mにも達するそうです。

3月14日の潮は、小潮。12時20分ぐらいから見ることができるそうですが、あと1時間少々ですが、待っているとウオーキングのゴール制限時間に間に合いません。

仕方なく諦め、歩き出します。海峡の下では、小さい渦が発生しています。

下の写真右側は、ポスターからの抜粋ですが、最大の渦は、このようになるそうです。今週末からの彼岸は、大潮ですのでこのような光景が見れるかもしれません。

  

「千畳敷」は、渦潮が見れるビュースポットです。

「お茶屋」は、阿淡藩主「蜂須賀候」が茶屋を設けて観潮した所で、当時は、お茶屋と呼んでいました。

「大鳴門橋架橋記念館」では、渦潮と橋に関する展示物の他、大渦を体感できる劇場などがあります。

  

野口雨情の「鳴門小唄」歌碑を過ぎ、鳴門山トンネルを通ります。ここが折り返し点です。

   

瓶浦神社を通ると、田園地帯に入ってきます。畑には、らっきょが植えられています。鳴門は、らっきょの産地でもあります。

ここで私の足、それも今度は、左足に違和感を覚えました。マメかな?

しばらく長距離を歩いていないのでそのツケがきたのかな?次のチェックポイント「潮明寺」までごまかしながら歩きます。

12:30「潮明寺」に着きました。すぐ両足のマメの手入れをします。テーピングを二重三重にしました。

  

再びスタート。チェックポイントの係りの方の話では、あと10kmぐらいだそうです。となると、ゴールは、14:30ごろかな?

14:00から会場の市民会館で阿波踊りの公演があるのですが、間に合うかな????

地図を見ると、朝来た道の反対側の小鳴門海峡沿いに歩いています。ここでもワカメの加工が行われていました。トラックいっぱいにワカメが積まれ加工場に入って行きます。

   

高速道路と小鳴門橋の橋脚を潜り、朝来た、小鳴門大橋に向かいます。大橋の方の空を見ると真っ黒い雲がかかっています。今日は、スタート時点では、小雨が降りましたが、あとは、曇り空でした。

小鳴門大橋を渡るころから、雨が降りはじめました。そんなに大粒でもありませんのでそのまま歩きます。あと4kmの看板が建っています。

  

市街地に入ると雨も止んできました。ゴールまであと少し・・・・・・・痛む足を引きづりながら必死に歩きます。ちょっとお菓子屋さんで休み一息入れまた歩きます。

14:30やっとゴールしました。会場内を見回すと阿波踊りは、終わって最後の挨拶をされていました。昨日見ていてよかったです。(笑)

会場内では、ちゅうさん、鶴さんがおられました。40kmを13:30ごろゴールされたそうです。

ゴールのご褒美は、地元の鳴門金時、鳴門ワカメ、鳴門鯛?が入った「うずしお鍋」です。これにビールがあれば最高なんですが・・・・・・

  

久しぶりの長距離で疲れました。早くホテルに戻って風呂に入り、明日の為に元気を取り戻したいです。

今日のGPSです。

グーグルアース

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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初めての徳島

2015-03-16 21:57:53 | 旅行

「阿波えらいやっちゃツーデーウオーク」に参加の為、前日の3/13(金)、徳島に向かいました。

福岡から徳島には、飛行機、列車などのアクセスがありますが、今回ジパング倶楽部を利用して新幹線乗継で行ってきました。

徳島は、いろいろ行きたい所もありますが、時間的に余裕もなく、とりあえず、四国一番札所「霊山(りょうせん)寺」、徳島「阿波おどり」観賞、そのあとロープウェイで眉山(びざん) → → 鳴門のホテル・・・というスケジュールを建てました。

7:00博多発さくら540号岡山着8:57   岡山発9:05マリンライナー高松着9:58  高松発10:11特急うずしお7号 池谷着11:14  池谷発11:15 普通列車で板東駅11:19着。

   

  

板東駅から徒歩10分ほどで四国一番札所「霊山寺」に着きます。えらいやっちゃウオークでは、2日目のコースに入っていますが、ウオーキング大会では、あまり時間がとれませんので先に見学します。

ウオーキング友達の「ぼくちゃん&相棒さん」が、現在、四国八十八箇所を歩いて巡礼されていますが、ぼくちゃんたちもこの霊山寺からスタートされました。

  

四国八十八ヶ所霊場の全行程はおよそ1460キロ、365里におよぶ。この霊場を札所番号の順に巡拝する遍路には、霊山寺、ここが「発願の寺」、「同行二人」の長い旅となる。

縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が開創された。弘仁6年(815)、弘法大師が四国の東北から右廻りに巡教された際、この地で衆生の88の煩悩を浄化し、

また衆生と自らの厄難を攘はらって、心身の救済ができる霊場を開こうと37日間の修法をされた。(四国八十八箇所霊場会HPより)

   

本堂横には、これから八十八箇所巡りをされる方の衣装やグッズなどを販売されていました。ここでは、御朱印がもらえるということで私もいただきました。

      

霊山寺を出て、坂東駅に戻ります。これから徳島駅に行きたいのですが、列車は、12:23発。少し時間がありますので駅周辺を散策します。

一番霊場ということでしょうか、駅には、巡礼に関する知識などを書いた説明文が掲げられています。

  

12:41徳島駅到着。お腹も減ってきたので駅前の「そごう」のレストラン街でちょっと遅いランチを!徳島というと、やはり刺身ですね。

ランチの「刺身定食」を注文しました。味噌汁には、鳴門名産のワカメが入っています。

  

お腹も一杯になり、今日2番目の目的地「阿波おどり会館」に向かいます。明日のウオーキング会場でも「阿波おどり」が行われる予定ですが、14:00からですので、それまでに帰ってくれればいいのですが、

多分無理かな・・・・・・・・???

駅から約10分で「阿波踊り会館」に着きました。会館前の四阿では、屋根が阿波踊りの笠をイメージしています。

※徳島市のマンホールは、波をイメージ。

    

  

阿波踊り公演と眉山ロープウェイがセットになったチケットを購入。入るとすぐ、阿波踊りの公演が始まりました。

私、阿波踊りを実際、生で見るのは初めてです。

400年の歴史を持ち世界にもその名を知られる阿波おどり。その起源については、いろいろな説があります。
盛んに踊られるようになったのは、徳島藩祖・蜂須賀家政が天正14年(1586年)に徳島入りし、藍、塩などで富を蓄積した頃からといわれ、 その後、藍商人が活躍し、

年を重ねるごとに阿波おどりを豪華にしていきました。
そこから阿波おどりは市民社会にも定着し、自由な民衆娯楽として花開き、 特に戦後は復興の象徴として目ざましく発展していきました。(阿波ナビより)

終盤には、お客さんと一緒に踊るコーナーもあり、踊り方の指導もありました。昔のナンバ歩きみたいに足を少しあげ、2拍子にのって踊るそうです。私もやってみましたが、この歳です。なかなかうまくいきません。

踊りのうまかった方には、賞状が贈られました。

眉山ロープウェイは、阿波踊り会館5階から運行しています。約7分間で山頂へ。

眉山は、どの方向から見ても眉の姿に見えることからその名が付けられたそうです。標高290mで山頂は、眉山公園になっています。

ここからは、徳島市街地が見渡せます。遠くには、淡路島が・・・・・・、徳島港を出港した船も見えます。あれは、和歌山に向かうのかな?

   

山頂には、太平洋戦争戦没者を慰霊するパゴダ、一等三角点の表示などが建っています。

    

東南部を見ると四国の山々が見えます。剣山(つるぎざん)あたりが三好あたりでしょうか?雪の被害がありましたね。また、福岡出身・「北山たけし」さんの歌に「剣山」があります。

 時間は、4時をすぎました。ロープウェイの下りに乗り、徳島駅の方に戻ります。徳島駅からバスに乗り、今日のお宿「鳴門」へ。

  

チェックインし、食事に行きます。今晩の夕食は、これです。

明日のウオーキングに備え、早めに就寝しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今津干潟に「コハクチョウ」が飛来(福岡市西区)

2015-03-12 13:30:46 | 

今津干潟に今年も「コハクチョウ」が飛来しました。(2015,3,11 時間AM9:00ごろ撮影)

 

 

    

コハクチョウが、九州に飛来するのは、珍しいことですが、実は、一昨年、昨年とこの干潟近くで見ました。

北帰行の途中に羽根休めに飛来したのでしょうか?、また普通♂、♀でいますが、今回は一羽しか見ませんでした。

写真は、2013、2月、糸島平野に飛来した「コハクチョウ」

  

下記は、2014,2月撮影。コハクチョウが4羽来ています。

 

 

 

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JR九州ウオーキングでわが町を歩く(福岡市西区)

2015-03-10 17:03:39 | JR九州ウオーキング

3/7(土)は、JR九州ウオーキングでわが町を歩きました。花粉症対策でマスクを着用してのウオーキングです。

 8:30 JR今宿駅をウオーキング仲間十数人とスタート。 今津橋を渡ると左側にコンクリート基礎部分が見えてきます。

今では、野鳥の休息地になっていますが、これは、昭和初期、毘沙門山から石を切り出し今山に運んでいたケーブルの跡です。 ここは、夕陽撮影のビューポイントです。

  

橋の右側には、江戸時代、筑前五ヶ浦廻船の一つ「浜崎港」があります。現在は、レジャーボートの停泊地になっています。

橋を渡り、しばらく行くと、左側に「カブトガニ産卵地」の看板が建っています。生きた化石と呼ばれるカブトガニは、夏至ごろ産卵にやってきます。

  

更に先に進むと「大泉坊 誓願寺」の幟が見えてきます。そこから右折し、しばらく歩き、左折します。突き当りが「誓願寺」です。

誓願寺は、筑前怡土(ちくぜんいと)・志摩(しま)両郡の荘園であった怡土荘の豪族仲原(なかばら)氏の娘の発願で、 安元元年(1175)に、渡宋のためこの地に赴いた栄西 1141~1215を招いて創建されました。

日本の臨済宗の開祖である栄西は、比叡山で天台の教義を学び、二度の渡宋により臨済宗を伝え帰ったことで有名です。日本初の臨済宗のお寺を福岡・博多「聖福寺」に建立しました。

栄西は、二度目の渡宋の前、宋版一切経(そうはんいっさいきょう)の渡来を待って本寺に十数年間滞在し、 その間に数々の著述を行いました。なかでも「誓願寺盂蘭盆縁起(せいがんじうらぼんえんぎ)」は、 栄西筆の書として国宝に指定されています。

 本寺には中国の呉越国(ごえつこく)907~978年から分与された「銭弘俶八万四千塔(せんこうしゅくはちまんよんせんとう)」、 元からもたらされた「孔雀文沈金経箱(くじゃくもんちんきんきょうばこ)」など、対外交流を裏付けるものが多数伝えられています。 これらは、いずれも国の重要文化財に指定されています。(案内板より)

国宝の「誓願寺盂蘭盆縁起」は、九州国立博物館に所蔵されていますが、このお寺には、レプリカがありました。意味は、わかりませんが、さすがに達筆です。

誓願寺には、今津の中に、子院が42もあり、町内には、今もなお、「寺小路」という地名も残っています。

 

   

誓願寺を下りてくると、右側に「登志(とし)神社」があります。昔々、今津は、「登志郷」と呼ばれていました。朝日が昇ってくる場所という意味だそうです。(多分、可也山(糸島富士)から見て)

今津という地名で呼ばれるようになったのは、平安末期頃からで、博多津に代わる新しい港、すなわち「今津」です。瑞梅寺河口に位置し、怡土荘の入口でもあります。

また、平安末期には、博多津の宋人街が襲われたりして世相不安な所もあり、今津になったという説もあります。

その「今津港」ですが、江戸時代、筑前五ヶ浦廻船の一つでしたが、今では、その面影がありません。

登志神社の横には、「元寇殲滅之處」の記念碑が建っています今津には、元寇防塁が復元されています。

博多湾岸の東西に延びる史跡元寇防塁は、建治2年(1276)時の鎌倉幕府執権北条時宗が、当時世界の大半を征服して世紀の英雄といわれた元の国王フビライの日本襲来に備えて

文永の役(文永11年・1274)直後九州の諸武将に命じて築かせた石築地(いしついじ・防塁)である。その高さは1.8メートルないし3メートル、幅1.8メートルないし2.4メートルあったといわれ、

東は箱崎地蔵松原から西は今津長浜にいたる延長20キロメートルにおよぶ大規模なもので、2度目の弘安の役(弘安4年・1281)には、この防塁が、わが国の防衛上大きな貢献をなした。

石築地は、わが国の歴史上からはもちろん世界史上からも重要な史跡である。

ここ今津は、日向、大隅の両国の担当でした。また、蒙古の兵士を供養した「蒙古塚」は、志賀島が有名ですが、ここ今津にも野の花学園の敷地内にあります。

 

 

JA福岡市今津支店では、福岡産イチゴ「あまおう」の試食がありました。今津は、砂地で昔からイチゴの栽培が盛んでした。

 

今津は、郷土芸能として「今津人形芝居」も有名です。今津人形芝居は、歴史が古く、弘化元年(1844年)に今津・大原で若者の中に賭博を流行するのを抑えるため農村健全娯楽として始まりました。

それからしばらく空白の時がありますが、明治24年復活しました。今でも毎年10月ごろ記念公演を行っています。

  

今津干潟は、満潮の為、野鳥が観察できませんでしたが、絶滅危惧種「クロツラヘラサギ」、鴨、シギ、それに時々ではありますが、北帰行の時にコウノトリが羽を休めに来ます。

また、日の出の名所でもあります。

   

  

今日のウオーキングは、1000人以上の方がわが町に来ていただきました。満足して帰られたかな?

 

 

 

 

 

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日本茶発祥の地を訪ねて(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町)

2015-03-06 15:18:29 | 日記

ネットを見ていたら、日本茶発祥の地が佐賀県吉野ヶ里町にあるというので行ってみました。

福岡から国道385号線を走り、有料の東脊振トンネルを通り、吉野ヶ里町松隈へ。

ここは、旧東脊振村で、2006年3月三田川町と合併して「吉野ヶ里町」になりました。

トンネルを過ぎると「道の駅吉野ヶ里さざんか千坊館」があります。

 

道の駅から見ると、福岡・佐賀県境にある脊振山系、南の方を見ると天気が良ければ、島原半島などが見渡せます。(残念ながらこの日は、曇っていて見えませんでした)

道の駅には、脊振山系のおいしい湧水を汲むことができます。40㍑で@100です。

   

店内に入ってみると、吉野ヶ里町の特産品がたくさん並んでいました。黒ニンニクもあり、即購入。また、ミシュラン福岡・佐賀版に掲載された、「玄海鯖ずし」もありました。

  

店内の奥の方を見ると、食事をするところがあります。まだお昼前でそんなにお腹がすいていませんが、野菜チャンポン、野菜カレー、ヤマメ(山女魚)料理・・・・・・・・・・など美味しそうなものがそろっています。

「野菜カレー」が美味しそうでしたので これに決めました(@800)。それと先ほど買った「鯖ずし」をいただきます。

野菜カレーは、野菜を油で揚げたり、蒸したりしたのがルーの上に乗っています。鯖寿司は、鯖の身が厚く、さすが、ミシュランという感がします。

  

他のコーナーでは、活きたヤマメの料理もあります。これもおいしそうです。

  

お腹もいっぱいになりましたので、先へ進みます。

 

現在の日本茶をもたらしたのは、日本初の禅寺を開祖した栄西禅師です。

栄西禅師は、1195年、福岡・博多区に日本初の臨済宗「聖福寺(しょうふくじ)」を開祖しました。これより前の1177年には、宋(中国)へ渡るため、福岡・西区今津「誓願寺」に滞在しました。 

この誓願寺では、42の子院を持ち、かなりの規模を誇っていました。今でも通称「寺小路」という地名が残っている程です。

栄西禅師は、宋に文治3年(1187年)まで滞在し、修行を終えた栄西は、多くの経典と一緒に薬草として茶を育てようと、種を持ち帰り育てる場所を探しました。

この脊振山系は、中国の山並みを思わせる眺望の素晴らしさがあり、茶と同じツバキ科の中間であるサザンカがたくさん自生していた事などから、宋から持ち帰った大切な茶種を蒔くのにふさわしい場所として選びました。(一部JAさがより)

 

 道の駅を出てしばらくすると旧道「坂本峠」の看板があります。ここを左折しますが、道幅が狭く、離合に神経を使います。

約1kmぐらい走った所に「霊仙寺(りょうせんじ)」があります。

霊仙寺跡は、8世紀初頭の和銅年間から江戸時代にかけて存在した寺院の遺跡。

山岳仏教の修験場として脊振山系千石山の中腹に開山しました。

中世期(平安 - 鎌倉時代)は付近一体の山地に広まり、一部は肥前国のみならず北方の筑前国側にも及ぶほど栄えました。脊振千坊と呼ばれた。

中世に戦国時代の混乱で荒廃し半ば遺棄される。江戸年間には、水上坊の僧仁周が鍋島家の支援を受け再興した。明治維新の廃藩置県により鍋島家の支援が絶たれ、廃絶しました。

  

現地に掲げられた地図を見ると、ここから20~30分ぐらい登った所に茶園、記念碑があるそうです。てっきり、道路沿いにあると思って、今日は、歩ける恰好で来ませんでした。

また日を改めて登りたいと思います。

入口には、「日中茶経研究交流会来村記念碑」や「静岡県・菊川のお茶記念碑」などが建てられていました。

   

帰りは、吉野ヶ里町、ひがしせふり温泉「さざんかの湯」でゆっくり過ごしました。

 

 

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